西はりま幻妖記(2) 金倉の六地蔵(佐用)  
2016/08/15 神戸新聞 

 佐用の宿場町・平福。宮本武蔵が初めて決闘に挑んだと伝わる場所に、6体の地蔵がいる。

 そばにある橋の名前から通称「金倉の六地蔵」。いつ作られたかは定かではないが、ここは旧平福藩の刑場だった。

 青白い火の玉がゆらり、ゆらり。夜な夜な宙を舞っていた、という。

 江戸中期、凶作が続き、大飢饉(ききん)に見舞われた。農民は年貢の減免を領主に願い出たが、聞き入れられず、一揆をもくろむ。企ては気付かれ、首謀者の農民の一人、牛右衛門が捕らえられた。そして刑場で斬り殺された。

 仲間を救おうとした牛右衛門は、義民として語り継がれ、地蔵が霊を慰めた。だが、その無念はいかばかりか。

 地蔵の周囲は近年まで、雑草が生い茂る人けのない場所だった。立ち入りを拒むかのように多くの墓石が立つ。無縁墓とされるものも少なくない。

 地元の住民がささやく。「処刑となった人々は土葬された。まだ地中で眠っているのかもしれない」

 武蔵に引かれて来た観光客も、感受性の強い人は不思議と、地蔵にカメラを向けることはないという。

 今は花や水のお供えが絶えることはない。「ここ数十年、人だまは見ないねえ」と住民は言う。

 再び夜に訪れた。静まりかえった闇の中で、ファインダーをのぞき込む。

 そこに、顔はなかった。

(文・小西啓介、撮影・山崎竜)



【とんび岩のコメント】


 ストリートビューで探してみたら、道の駅から4〜500b下流の橋のたもとにあった。道路から離れた林の中では見つからないかもしれないと思っていたが、杞憂だった。入口付近に、行政が設置した立派な案内板が立っていた。

 最後の一文、「そこに、顔はなかった」というのは、地蔵の顔は長い年月で風化したのか「ノッペラボウ」だったという意味かな?。

 



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