赤穂に伝う「もう一つの忠臣蔵」紹介 市立歴史博物館 
2017/12/13 神戸新聞 

 幕末の赤穂藩では「もう一つの忠臣蔵」と呼ばれた仇討ち騒ぎがあった−。暗殺事件に端を発する復讐劇の史料を集めた特別展「藩儒村上氏−文久事件・高野の仇討」が、兵庫県赤穂市上仮屋の市立歴史博物館で開かれている。事件の様子を生々しく描いた絵馬や、関わった藩士らの直筆文書など約150点が並び、「日本で最後の仇討ち」ともされる出来事を伝えている。(西竹唯太朗)

 同館によると、尊皇攘夷の機運が高まった幕末の赤穂藩では、財政難により下級藩士の不満が渦巻いていた。藩主の後継ぎに絡んで1862年、権力闘争が発生し、藩政を担っていた村上天谷が尊皇攘夷派の下級藩士ら13人に襲われ、家老の森主税とともに暗殺される「文久事件」が起きた。

 9年後の明治初期、村上の息子ら7人が父親の仇討ちを計画。文久事件で暗殺に関わった藩士ら7人を高野山で殺害する「高野の仇討ち」を起こした。事件は明治政府が復讐を禁止するきっかけとなった。

 藩士同士の事件だったため、これまで積極的に公表されていなかったが昨年、村上家の子孫から保存していた史料の寄贈を受けて、同館が展示を企画した。

 特別展では、「高野の仇討ち」の現場となった高野山中の絵図や、関わった7人の寄せ書きなどを並べた。村上の四男が当時、国に呼び出されて様子を話した速記録には、「敵6人の首を切り、父らに報告した」といった説明が残っている。

 一連の仇討ちは忠臣蔵と同様、芝居にもなり、大正時代の大阪で上演された劇のパンフレットも並ぶ。

 同館の木曽こころ学芸員は「赤穂でもこの事件を知る人は少ない。展示を機に興味を持ってもらいたい」と話している。

 1月16日まで。午前9時〜午後5時。水曜休館。大人300円、小中学生150円。同館TEL0791・43・4600



【とんび岩のコメント】


 「龍野の六人殺し」は、子どものころ親から何度も聞いたが、この話は覚えがない。赤穂民報の記事中に「事件について語ることをタブーとする雰囲気があった」とあるので、相生では殆ど知られていなかったのかもしれない。

 「忠臣蔵」というのは、(たぶん)大石内蔵助の「蔵」を連想させるためのネーミングだから、幕末の村上一族の仇討ちを「もう一つの忠臣蔵」と呼ぶのは無理があるのではないだろうか?。首謀者の名前中に「蔵」の字があるのなら話は別だが。

 赤穂市内にも高野という地名があるが、この仇討ちが実行されたのは和歌山の高野山のようだ。こちらのサイトがその場所を紹介している。→日本最後の仇討ち墓所
  



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