姫路の倉谷さん龍野に造船会社
アメリカズ杯挑戦の日本艇製作
世界の技 故郷で開花
NZで修行 船大工の夢かなう 
2000/10/06 神戸新聞


 世界最高レベルのヨットレース、アメリカズカップに挑んだ二十七歳の若者が、龍野市内に小さな造船会社を設立した。“ヨット王国”ニュージーランドの現地修業で造船技術を学び、同カップを目指したチーム「ニッポンチャレンジ」の一員としてヨット製作を担当。各国がヨットの最新技術を競う第一線で実践してきた。「相手は世界。どの国にも負けないヨットをつくりたい」と夢を描く。(小山 優)

 姫路市木場、倉谷泰成さん(27)。播磨灘をのぞむ町で生まれ育ち、海は身近な存在だった。船大工になる夢を抱き、二十歳でヨットやボートの本場ニュージーランドに渡った。

 言葉も通じない現地で、道具一つ取っても勝手が違う。初めての作業が続き、戸惑いの連続だった。しかし、だれよりも真剣に取り組む倉谷さんに職人たちはやさしかった。丁寧に教えてくれた。現地修業は三年間。本場ならではの技術が体得できた。

 帰国後、同カップを目指すニッポンチャレンジの公募に応募。九八年九月からチームに加わった。レースはヨットの最新技術を競うハイテクの世界。長さ、幅、帆の面積などがルールで決められ、ミリ単位の作業が要求される。同カップの条件の一つ「カーボン素材のヨット」を手がけたメンバーは少なく、設計図をにらみ作業を指示する役目を任された。

 半年がかりで「阿修羅(あしゅら)」「韋駄天(いだてん)」の二艇が完成。随所に倉谷さんの経験が生かされた。同カップ出場をかけ、今年一月にニュージーランド沖で行われた予選レースでも活躍をみせた。

 レース後、倉谷さんはチームから退き、念願の独立を決めた。八月下旬、「カドマリン」を設立。龍野市龍野町に工場を構えた。チームでともに苦労した仲間もスタッフとして協力。主に小型ヨット製作を手がけ、受注も順調に滑り出した。時には朝五時まで作業が続くこともある。

 「アメリカズカップへの挑戦で、日本の技術が劣っていないことが分かった」という倉谷さん。「日本人らしい丁寧な仕上げが真骨頂。多くの人にヨットの素晴らしさを知ってほしい」と話す。カドマリンTEL0791・64・6500。

(掲載日: 20001006 )


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