
オタクの反対語は如何
2002年10月31日
オタク(ヲタク)という用語はネガティブに使用される場合もあるし、ポジティブに使用される場合もあるので、概念としてはかなり広いものであるが、反対語を考えることにより、追々明らかにしていきたいと思う。
オタクの元祖といえば、岡田斗司夫さんなのだが、かなり肯定的にとらえてしまっているので、岡田さんの著作からの引用は、残念ながら使えない。
オタクというものの性質を考え出した当初、その反対語として‘教養人’という言葉を想定していたのだが、どうも、説明がしっくりいかない。そこで、‘専門家’を反対語に持って来ると説明が簡単につくようになったので、オタクの反対語を専門家として、話を進めていきたい。
オタクと専門家をわける要素は何かと考えてみると、視野の広さである。専門性という観点からは、両者に差というものはない。故に、両者のもつ知識量に差は基本的ないと考えて間違いない。では、視野の広さというものが、何に影響するだろうか?自分は判断能力の段階で圧倒的差になって顕れると考えている。この判断能力には、感受性というものも含まれるとも考えている。
この判断能力の差というものは、一体、最終的にどのような差になって顕れるだろうか検討してみたい。オタクの場合、ある一定のラインを超えると、純粋にその分野を楽しめなくなるようになると考えている。ただ、オタクの凄いところは、ぶつぶつ文句を言いながらでも量をこなせてしまうところである。このあたりが、普通の人と違うところである。ある意味、このあたりは、専門家の吸収能力を、基本的に凌いでいると考えて間違いない。
判断能力が高い(視野が広い)と、物事を一面的にのみに捉えることが出来ないから、楽しくみれる面が出てきてしまう。淀川長治さんみたいな映画評論に似ています。それ故、一概に非難というものが出来なくなります。このあたりが、オタクはサラッと非難できてしまうのです。
教養というのは、幾つかの専門分野+αが基本になります。ある分野を理解する際、その分野の概念だけでは説明しにくくても、他の分野の概念なり用語を補助線として使えば簡単に説明することが可能な場合が往々にしてあります。視野が広いとか判断能力が高いということは、複数の分野が有機的に結びついているということです。無機的に複数の分野の専門性が高くても、それは、複数のオタクを兼ねているだけです。ただ、こういうことはあまりないんではないかと考えているんですが、場合によってはあるかもしれません。
教養というのは、ある程度、現世利益がないことをやらなくてはならないからです。尤も、普通の人が考えるオタクというのは、大概、現世利益のないことをやっていますから問題ありません。また、現世利益のみ追求している人は、精々、資格試験合格程度の知識しか身についていませんから、専門性が高いとはいえません。
オタクという人たちは、普通の人と較べて非常に惜しい位置にいます。ちょっと、やる気になり、複数の分野に興味をもちたるだけで、専門家への転換することは容易であると考えています。あえて、秘訣としては、教養を身につけると意図的に意識することではないでしょうか。