北朝鮮による拉致問題まとめ @ニュース実況板 北朝鮮関連総合スレ

拉致被害者支援法の適用対象として2003/1/6までに日本政府に拉致被害者認定されたうち、
2002/9/17の北朝鮮からの報告では死亡ないし入国形跡なしと発表された方々。


横田めぐみさん

横田(よこた) めぐみさん
1964年10月5日生(現在38歳)
新潟県新潟市
当時 新潟市立寄居中学校1年生(13歳)
  • 1977年11月15日、中学校の部活動を終えて下校中、新潟市内の自宅近くで友人と別れた後、消息を絶つ。
  • バドミントン部に所属していた。
  • 朝鮮名は「リュ・ミョンスク」。
  • 1977年11月から1986年7月まで招待所で暮らす。
  • 1986年8月13日、会社員キム・チョルジュ(現在41歳)と結婚。
  • 1987年9月13日、娘キム・ヘギョン(現在15歳)が生まれる。平壌市内万景台区域タンサン(堂上)洞に居住している。
  • 1993年1月29日、鬱病のため夫に連れられ平壌市スンホ(勝湖)区域49予防院に入院したと伝えられる。
  • 1993年3月13日午前、同病院内で散歩中、南寿岩主治医が目を離した間に、着物を裂いて松にかけ首を吊って自殺したと伝えられる。
  • 墓は死亡した病院の裏手にあったが、数年前に夫キム・チョルジュが移した。現在の墓の場所はわからないという。
  • 北朝鮮への入国経緯は、「1977年11月15日、新潟市内で工作員が学校から帰宅途中のめぐみさんに会った。工作員は身辺の露出の危険性を感じ、露出を防ぐために同女を拉致した」と発表された。
  • 一般的に北朝鮮の特殊機関は、所属に関係なく軍事化されており、命令を実行した者は責任を問わないことになっているが、本件の実行犯は命令なく恣意的に行動した者であり、職務停止処分を受けているという。
  • 1988年頃から1991年にかけて金日成政治軍事大学において目撃したという証言があるが、北朝鮮側はこれを「事実無根」と否定している。
  • 北朝鮮入国直後、曽我ひとみさんと同じ招待所で暮らしていた時期がある。
  • 2002年9月17日、平壌で梅本和義駐英公使がキム・ヘギョンさんと面会した際に、めぐみさんのものとされるバドミントンのラケットが提示された。
  • 2003年1月18日、TV番組で安明進氏がめぐみさん拉致犯の名前は「チョン・スンホ」であると証言。これからの警察の動きが注目される。
  • 2ちゃん的愛称は「めぐみタン」「横めぐ」など。
  • 金正日の娘にもキム・ヘギョン(金恵敬)という名の女性がいること、めぐみさんが美貌の持ち主であったことなどから、「めぐみさんは悦び組で金正日との間に子供をもうけた後に幹部の男性の妻になったのではないか」との噂が流れたが、現在はあまり聞かない。
  • キム・ヘギョンさんがインタビューで「父の会社はルンラ」と発言したことから、「綾羅888(ルンラ・パルパルパル)貿易会社」ではないかと噂された。ルンラ888は麻薬などの密輸に関係した北朝鮮工作機関。
  • 北朝鮮では「成分の悪い」日本人が朝鮮人と結婚することはあまり考えられないことから、夫キム・チョルジュも拉致された日本人ではないかという噂がある。
キム・ヘギョンさん

キム・ヘギョン(きむ へぎょん)さん
1987年9月13日生(現在15歳)
平壌市万景台区域
  • 横田めぐみさんの娘。
  • DNA鑑定で横田めぐみさんの実の娘であると確認された。
  • 2002年10月25日、フジテレビ・毎日新聞・朝日新聞3社合同でヘギョンさんに対するインタビューが行われたが、北朝鮮のプロパガンダに与するものとして激しく非難された。
  • 同インタビュー内でヘギョンさんは「父の会社はルンラ」と発言。父キム・チョルジュは工作員との疑いが強まる。
  • 「母の墓は知らない」と、先祖の墓を大切にする儒教思想と乖離した香ばしい発言も残している。
  • 同インタビュー内でヘギョンさんの顔の上に「会見 泣き」というテロップが誤って出てしまったため、報道番組ではなく泣かせ目的のバラエティ番組であることが露見してしまい、北朝鮮のプロパガンダ番組という評価に終わった。
  • 2ちゃん的愛称は「ヘギョンタン」「へぎょタン」など。
横田滋さん

横田 滋(よこた しげる)さん(70)
  • めぐみさんの父。
  • 家族会の代表を務める。
  • マターリ系で穏やかな人柄だが、そこが北朝鮮に狙い撃ちされそうで少々心配。
  • 「北朝鮮は嘘だと言わなくていい。調べなおしたら生きてましたでいいから、めぐみを帰してほしい」と、その壮絶なまでの優しさは人々の胸を打つ。
  • 2ちゃん的愛称は「横田パパ」「横父」など。
  • 2002年12月末頃、訪朝に意欲的な姿勢を見せ、「第二の寺越家になってしまう!」と多くの2ちゃんねらが横父訪朝に憂慮を示した。しかし早紀江さんや横Bros.の説得により、再び訪朝には慎重になったもよう?(;´Д`)=3 ホッ
横田早紀江さん

横田 早紀江(よこた さきえ)さん(66)
  • めぐみさんの母。
  • 著書に『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社)
  • めぐみさん拉致事件後、精神的な救いを求めてクリスチャンに。
  • めぐみさんを目撃したという元工作員の安明進氏と面会した際、早紀江さんは「あなたも家族を北に残したままでお辛いでしょうに」「あなたも体制の犠牲者なのですね」と声をかけた。安氏は早紀江さんのこの言葉に号泣したという。。・゚・(´Д`)・゚・。
  • 2ちゃん的愛称は「横田ママ」など。
  • ヘギョンインタビュー番組で滋さんと共に生出演の際、「取り調べのようで、かわいそうで見ていられません」と番組途中で席を立ち抗議した姿はあまりにも有名。
  • ヘギョンインタビューにもぶれず、「あくまでめぐみ自身の帰国を求めていく」と気丈な姿勢を見せる。
横田拓也さん

横田 拓也(よこた たくや)さん(34)
横田哲也さん

横田 哲也(よこた てつや)さん(34)


増元るみ子さん

増元 るみ子(ますもと るみこ)さん
1953年11月1日生(現在49歳)
鹿児島県鹿児島市
行方不明当時 事務員(24歳)
  • 1978年8月12日夕方、市川修一さんと鹿児島県日置郡の吹上浜キャンプ場に行ったまま、行方不明となる。
  • 朝鮮名は「ホ・ジョンシル」。
  • 1978年8月から1981年8月まで、招待所で暮らす。市川修一さんとは別々の招待所だった。
  • 1979年4月20日、同時に拉致された市川修一さんと結婚。同じ招待所に住むようになる。
  • 1981年8月17日、心臓病によりファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡にて死亡したと伝えられる。
  • 市川さんの死後は結婚してから住んでいた招待所にそのまま住んでいたという。
  • るみ子さんの墓は、市川修一さんと同じリンサン(麟山)郡サンウォルリ(上月里)共同墓地にあったが、1995年7月の貯水ダム崩壊により流失したと伝えられる。
  • 市川さんとの間に子供はなく、遺品もないと伝えられた。
  • 北朝鮮への入国経緯は、「鹿児島県吹上浜キャンプ場で特殊機関工作員が語学養成のため拉致した」と発表された。
増元照明さん

増元 照明(ますもと てるあき)さん(47)
  • るみ子さんの弟。
  • 家族会事務局の次長を務める。
  • 帰国者との面談の日、鹿児島の父・正一さんは危篤状態。ひとつでもるみ子さんに関する情報がほしいと、父の死に目にあえないのを覚悟で帰国者5人と面談した後、鹿児島の病院に急行し正一さんを見送った。武士の香りを感じる漢。
  • 2ちゃん的愛称は「増弟」など。
  • 「大物課長」と言われるのは、水産会社の「大物課」に勤務しているため。実際は課長さんではなく課長代理。ちなみにマグロ担当。
増元正一さん

増元 正一(ますもと しょういち)さん(享年79)
平野フミ子さん

平野 フミ子(ひらの ふみこ)さん(52)
  • るみ子さんの姉。
  • るみ子さんが死亡と伝えられ「鹿児島でテレビ見てる父ちゃん、母ちゃん。まだわかんないからね。北朝鮮の言うことなんか信じられないからね」と涙ながらに訴えた姿が印象的。
  • 2ちゃん的にはあまり目立たない存在。

増元 信子(ますもと のぶこ)さん(74)
  • るみ子さんの母。
  • マスコミへの露出はあまりないが、救う会の講演会などには参加しているようです。


市川修一さん

市川 修一(いちかわ しゅういち)さん
1954年10月27日生(現在48歳)
鹿児島県鹿児島市
行方不明当時 電信電話公社職員(23歳)
  • 1978年8月12日夕方、増元るみ子さんと「夕日を見に行く」と鹿児島県日置郡の吹上浜キャンプ場に行ったまま、行方不明となる。
  • 吹上浜には修一さんの車や、履いていたサンダルの片方が残されていた。
  • 朝鮮名は「キム・ヨンチョル」。
  • 1978年8月から1979年9月まで、招待所で暮らす。増元るみ子さんとは別々の招待所だった。
  • 1979年4月20日、同時に拉致された増元るみ子さんと結婚。同じ招待所に住むようになる。
  • 1979年9月4日、ウォンサン(元山)海水浴場で心臓麻痺のため溺死したと伝えられる。
  • 修一さんの墓は、リンサン(麟山)郡サンウォルリ(上月里)共同墓地にあったが、1995年7月の貯水ダム崩壊により流失したと伝えられる。
  • 増元さんとの間に子供はなく、遺品もないと伝えられた。
  • 北朝鮮への入国経緯は、「鹿児島県吹上浜キャンプ場で特殊機関工作員が語学養成のため拉致した」と発表された。
  • 1994年に金日成総合大学、金正日政治軍事大学で見たという目撃証言は「事実無根」であると北朝鮮側は否定した。
  • 北朝鮮では海水浴は8月15日頃までで、監視も行き届いているので溺死することはまずないという証言がある。
市川健一さん 市川 健一(いちかわ けんいち)さん(57)
  • 修一さんの兄。


田口八重子さん

田口 八重子(たぐち やえこ)さん
1955年8月10日生(現在47歳)
東京都豊島区
行方不明当時 飲食店店員(22歳)
  • 1978年6月ごろ、仕事に向かうためベビーホテルに2人の子供を預けたまま行方不明になった。
  • 1985年に起こった大韓航空機爆破未遂事件の犯人・金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚に日本語を教えた女性・李恩恵(リ・ウネ)の似顔絵が田口さんに酷似、会話内容なども田口さんの状況と合致していることから、北朝鮮に拉致されたことが発覚した。
  • 東京の飲食店店員だった。
  • 朝鮮名は「コ・ヘオク」。
  • 1978年6月から1984年10月まで招待所で朝鮮語を勉強していた。
  • 1984年10月19日、原敕晁さんと結婚。その後は主婦。
  • 原さんの死から数日後の1986年7月30日、帰宅する途中ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡のマシク嶺峠で乗用車とトラックの衝突事故で死亡したと伝えられる。
  • 田口さんの墓は、リンサン(麟山)郡サンウォルリ(上月里)共同墓地にあったが、1995年7月の貯水ダム崩壊により流失したと伝えられる。
  • 原敕晁さんとの間に子供はなく、遺品もないと伝えられた。
  • 北朝鮮への入国経緯は、「1978年6月29日宮崎市青島海岸で工作員が接触した際に『3日程度なら観光がてら北朝鮮に行ってみたい』という意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するために連れてきた」と発表された。
  • どう考えても子供2人を残したまま北朝鮮に行きたいなどと言うわけがない。
飯塚繁雄さん

飯塚 繁雄(いいづか しげお)さん(64)
  • 八重子さんの兄。


原敕晁さん

原 敕晁(はら ただあき)さん
1936年8月2日生(現在66歳)
大阪市東成区
行方不明当時 調理師(43歳)
  • 1980年6月、宮崎市の青島海岸で消息不明。
  • 北朝鮮元工作員の辛光洙(シン・グァンス)元死刑囚が韓国で摘発され、ソウル地裁で原さんを拉致したと証言したことにより、拉致が発覚した。
  • 行方不明当時は、中華料理店「宝海楼」の調理師だった。
  • 朝鮮名は「パク・チョルス」。
  • 1980年6月から1984年10月まで招待所で暮らす。
  • 1984年10月19日、田口八重子さんと結婚。
  • 1986年7月19日ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡で肝硬変で死亡したと伝えられる。
  • 田口八重子さんとの間に子供はなく、遺品もないと伝えられた。
  • 北朝鮮への入国経緯は「原さんが金もうけと歯科治療のため、海外行きを希望していたので、工作員が原さんの戸籍謄本を受け取る見返りとして日本円100万円と共和国への入国を密約した。これにより1980年6月17日、宮崎市青島海岸から連れてきた」と発表された。
  • 宝海楼は在日朝鮮人大阪府商工会理事長・李三俊の経営する北京料理店だった。
  • 原さんを拉致した辛光洙は、原さんになりすまし日本に入国。パスポート、運転免許証、国民健康保険証などを取得し、海外にも出て対南工作を続けていたところ、1985年2月に韓国で逮捕された。
  • 辛光洙は1999年12月31日に恩赦を受けて釈放された。
  • 拉致事件が発覚しても宝海楼は営業を続けていたため、2ちゃん内では店の所在地まで晒されていた。

原 耕一(はら こういち)さん(76)
  • 敕晁さんの兄。


有本恵子さん

有本 恵子(ありもと けいこ)さん
1960年1月12日生(現在43歳)
神戸市長田区
行方不明当時 大学生(22歳)
  • 1983年夏頃、イギリス留学中にコペンハーゲンから出した手紙を最後に消息不明になる。
  • 1988年、石岡亨さんが家族に宛てて書いた手紙で、平壌にいることが判明。
  • 手紙には、石岡さんと有本さん、赤ちゃんの3枚の写真が張り付けてあった。2人の間に産まれた赤ちゃんの可能性もあるが、9月17日の日朝首脳会談では、北朝鮮から何の情報もなかった。
  • 神戸外国語大学の学生だった。
  • 朝鮮名は「キム・ヒョンスク」。
  • 北朝鮮への入国経緯は「特殊機関メンバーが接触し、北朝鮮行きを誘うと同意したことから、特殊機関が日本語教育に引き入れる目的で1983年7月15日に平壌へ連れて行った」と発表された。
  • 入国1年後から、石岡亨さんとともに特殊機関の学校で日本語を教えていたという。
  • 1985年12月27日、石岡亨さんと結婚し、翌年娘が生まれた。娘の名はリ・ヨンファ。
  • 1988年11月4日の夜、チャガン(慈江)道ヒチョン(熙川)市内の招待所にて寝ている途中、暖房用の石炭ガス中毒で子供を含む家族全員が死亡したと伝えられた。
  • 一家はヒチョン(熙川)市ピョンウォン(平院)洞に葬られたが、1995年8月17日から18日の大洪水による土砂崩れで遺骨が流出したという。
有本明弘さん

有本 明弘(ありもと あきひろ)さん(74)
  • 恵子さんの父。
  • 方々の政治家の事務所を訪れ、拉致問題解決を訴え続けた。当時外相だった安倍晋太郎事務所に陳情に行った際応対したのが、秘書だった安倍晋三タン。有本夫妻の陳情がきっかけで安倍タンは拉致問題に取り組み始めたと語っており、いわば有本夫妻の執念が拉致に取り組む政治家を育てたと言えよう。
有本嘉代子さん

有本 嘉代子(ありもと かよこ)さん(78)
  • 恵子さんの母。
  • 方々の政治家の事務所を訪れ、拉致問題解決を訴え続けた。当時外相だった安倍晋太郎事務所に陳情に行った際応対したのが、秘書だった安倍晋三タン。有本夫妻の陳情がきっかけで安倍タンは拉致問題に取り組み始めたと語っており、いわば有本夫妻の執念が拉致に取り組む政治家を育てたと言えよう。
  • 石岡亨さんからの手紙を、藁をもすがる思いで土井たか子に持っていったところ、土井は総連に通報した。
  • 2002年9月17日、北朝鮮側から恵子さん死亡と伝えられ、さらに死亡とされる日が石岡さんの手紙到着の2ヵ月後だったことから「社民党から筒抜けだったんだ。社民党が北朝鮮に連絡してすぐに処刑されたに違いない」と憤激。
  • 「社民党、わたしあれ、日本の政治家やと思っとりませんよ。北朝鮮の政治家。ね。」という言葉に、嘉代子さんの怒りの丈が凝縮されている。


石岡亨さん

石岡 亨(いしおか とおる)さん
1957年6月29日生(現在45歳)
札幌市豊平区
行方不明当時 日本大学学生(22歳)
  • 1980年3月、亨さんは「パンやチーズの職人になるきっかけを見つけたい」と欧州旅行へ出たが、「8月 ウィーン」の消印がある手紙が、家族に届いたのを最後に消息不明となる。
  • 1988年9月、亨さんから実家に手紙が届く。「事情あって有本恵子さん、松木薫さんと3人で平壌で暮らしている」と伝えてきた。
  • 失踪直前、よど号ハイジャック犯の妻と一緒にバルセロナで撮影した写真が残っている。
  • 日本大学農獣医学部の学生だった。
  • 朝鮮名は「リ・シオ」。
  • 北朝鮮への入国経緯は「スペインのマドリードで松木薫さんとともに、特殊機関工作員の一人との接触過程で北朝鮮訪問を勧められて同意し、日本語教育に引き入れる目的で1980年6月7日に平壌に連れてきた」と発表された。
  • 招待所で自分の勉強をするとともに、特殊機関の学校で日本語を教えていた。
  • 1985年12月27日、有本恵子さんと結婚。翌年娘が生まれた。娘の名はリ・ヨンファ。
  • 1988年夏に、平壌市内の店でショッピングをしている際にポーランド人に手紙を託した。
  • 1988年11月4日の夜、チャガン(慈江)道ヒチョン(熙川)市内の招待所にて寝ている途中、暖房用の石炭ガス中毒で子供を含む家族全員が死亡したと伝えられた。
  • 一家はヒチョン(熙川)市ピョンウォン(平院)洞に葬られたが、1995年8月17日から18日の大洪水による土砂崩れで遺骨が流出したという。
石岡章さん

石岡 章(いしおか あきら)さん
  • 亨さんの兄。
  • 石岡家は家族会に属していない。
  • 北朝鮮を訪問して、亨さんについて直接情報を聞きたいと要請した。
  • 北海道新聞でインタビューが出ています。http://www5.hokkaido-np.co.jp/italk/4.html
  • 章さんのスタンスは「拉致は許しがたい。だが、日本も過去に朝鮮人を強制連行した罪がある」のようだ。(´・ω・`)


松木薫さん

松木 薫(まつき かおる)さん
1953年6月13日生(現在49歳)
熊本市
行方不明当時 大学院生(27歳)
  • 1980年夏頃、スペインに留学中にマドリードで消息を絶った。
  • 石岡亨さんが実家に出した手紙に松木薫さんの名があり、平壌で有本さんと3人で暮らしていることが判明した。
  • 警視庁公安部は、よど号事件グループが拉致に関与したとみて捜査している。
  • 京都外国語大学の大学院生だった。
  • 朝鮮名は「リム・チョンス」。
  • 北朝鮮への入国経緯は、「石岡亨さんとともに、特殊機関工作員と接触するうちに松木さん自身が北朝鮮訪問の勧めに応じ、語学教育の目的で1980年6月7日に北朝鮮に連れてきた」と発表された。
  • 北朝鮮特殊機関の求めに応じて、特殊機関内の学校で学生に日本語を教えていた。
  • 独身を通していたが、楽天的な性格ではなく、すべてにおいて慎重で思索的な人間で、受け持った仕事および生活両面においてそつがなかったと伝えられる。
  • 1996年8月23日、リャンガン(両江)道の革命史跡の参観に行く途中、ハムギョンナムド(咸鏡南道)コウォン(高原)郡と北西郡の境界にあるトチョル嶺という峠道を自動車乗車中、運転手の不注意による事故で、運転手とともに死亡したと伝えられる。
  • ハムギョンナムド(咸鏡南道)プクチョン(北青)郡の遺骨安置所に遺骨が保管されていたが、洪水被害で流されたという。
  • 最近の調査で100%の保証はないが松木さんのものと思われる遺骨が発見され、再火葬されたの後、2002年8月30日に平壌市ランナン(楽浪)区域オボンサン共同墓地に安置されたと伝えられた。
  • 松木さんのものと思われる遺骨は日本側に引き渡されたが、鑑定の結果、松木さんの遺骨ではないことが確認された。
  • 偽遺骨事件でクローズアップされて以来、「長髪の松木さんカコイイ」と女性2ちゃんねらに人気。
  • 松木薫さんが北に拉致された際、「騙されたことを知った松木さんが激怒し、工作員の顔面に一発決めた」という萌える噂が流れている。
松木信宏さん

松木 信宏(まつき のぶひろ)さん(30)
  • 薫さんの弟。
  • 北朝鮮で一緒に暮らしていたという石岡亨さんの家族は家族会に所属していないため、石岡家と家族会の橋渡し役を務めている。

齊藤 文代(さいとう ふみよ)さん(57)
  • 薫さんの姉。


久米裕さん

久米 裕(くめ ゆたか)さん
東京都
行方不明当時 警備員(52歳)
  • 三鷹市役所の警備員だった。
  • 1977年9月19日、石川県能都町の宇出津(うしつ)海岸で行方不明になった。
  • 久米さん失踪の翌日、久米さんと同じ旅館に泊まっていた在日朝鮮人の男を逮捕。男は「北朝鮮工作員から45〜50歳の独身の男性を拉致するよう指示され、北朝鮮の船に久米さんを引き渡した」と供述した。
  • 北朝鮮側からの発表によると、「北朝鮮への入国は確認されなかった」という。