写真集

気仙沼観音寺にある歌碑。ピンボケ、機会があれば差し替えよう。
海岸山観音寺の朝ぼらけ空々くろろんと啼くは誰が子ぞ 陀仙、とある。
碑の裏には、辻潤の略歴がびっしり彫られてある。

気仙沼には旅館海光館にも歌碑があり、全国でここにある二つが全てのようだ。 海光館の前の道路を挟んだ前庭に碑はあり、活字体で次の歌が読める。
尾ノ崎の海光館のあねこらは呼べど返事をせぬアネコかな 陀仙
海光館はサービスが悪いとも読める歌だから、何でこんな歌を歌碑にしたのか理解に苦しむ。大方、気仙沼のようなところでは辻潤も大先生として崇められていたのだろう。観音寺には、辻潤の歌碑以外にも同地出身の落合直文の碑とか沢山建てられて居る。辻潤の歌碑だけではあんまりだと気付いたのに違いない。


駒込西福寺にある辻潤の墓。
昨年(1998年)までこの墓碑は西福寺に入って左に五輪塔などと一緒に並んでいて、辻潤の墓には、木の柱が一本立っているきりで、周りが立派な墓だけに余計寂しかった。西福寺の方がこの墓碑を墓の方に移して下さったのだろう。これで墓らしくなった。
表に、陀仙辻潤の墓、とあり、裏に、昭和十九年十一月二十四日 ですぺらの会 自由クラブ 有志、と刻まれている。
何と言う石かは知らないが、辻潤の好きな老壮の自然に時とともに帰っていくような感じがする。緑の色合いが故人の純粋さを示しているようだ。

辻潤が入院し、後三島寛(無想庵の弟)が勤務した慈雲堂病院の現在の姿。
現在、慈雲堂内科病院、練馬区関町南四丁目にある。当時と同じ場所にあるのかは知らない。
すぐ傍を千川上水が流れている。当時の面影はあるのだろうか。あったところで、どうってことはないが……。

『ダダイスト辻潤』に掲げられて居る辻潤と辻潤の描いた化物。


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