ヘティ・グリーン(Hetty Green)研究

『The Witch of Wall Street Hetty Green』翻訳

第1章 ヘティ・グリーン、ウォール街に来る(2010.8.15追加)
第20章 アメリカに帰る(前半)(2011.5.15追加)
第20章 アメリカに帰る(後半)(2012.3.18追加)
第22章 ヘティ、夫を蹴落とす(前半)(2014.3.9追加)
第22章 ヘティ、夫を蹴落とす(後半)(2017.1.9追加)
第24章 ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株買占め(前半)(2017.4.28追加)
第24章 ルイスヴィル・アンド・ナッシュヴィル株買占め(後半)(2017.9.20追加)

2006.7.9(仮最終回)

ヘティ・グリーン死後の話

現在、アメリカにはヘティ・グリーン系の財閥は残っていない。ヘティ・グリーンの子孫も残っていない。 ヘティ・グリーンの死後、巨大な遺産はどうなったのだろうか。

ヘティの死後、遺産は息子のネッドと娘のシルビアに半分ずつ相続された。ネッドは、ヘティの死後、無茶苦茶にお金を使った。豪邸を建て、豪華客船を買った。また、ネッドは新奇なものには何でも手を出した。 自動車、飛行機開発に熱中し、自分のラジオ局、テレビ局を作った。そこまでは、一般人でも理解できるのだが、極めつけは、マサチューセッツ工科大学の教授を呼び寄せて粒子加速器(参考、ネッドが作らせたものはもっと小さかったと 思う。) を作らせたことだ。 自動車や飛行機やテレビ、ラジオは日常生活で使うかもしれないが、粒子加速器を日常生活で 使うことはない。ネッドはよほどお金の使い道に困ったようだ。それでもネッドは世界大恐慌の直前に鉄道会社を売却し、世界大恐慌直後に買い戻したりして儲けていたので、財産は減らなかった。 やがて、ネッドが子供なしで死んで、遺産は全てシルビアのものとなった。シルビアにも子供がなかった。

ネッドにもシルビアにも子供がいなかったのには原因がある。ヘティはネッドの恋人が金遣いが荒いことを嫌った。そのため、ヘティが死ぬまでネッドはその恋人と結婚できなかった。一方、シルビアに求婚する 社交界の男性も多かったが、ヘティは「そういう男は、金儲けをしたこともなければ、お金の価値も知らない。」と言って認めなかった。そして、シルビアは38歳で結婚した。だから、ネッドにもシルビアにも 子供がいなかったのは偶然ではない。

シルビアの死後、遺産は遺言により140に分割され、大学、病院、図書館、シルビアの知人などに 分け与えられ社会に還元された。


2006.6.10

ヘティ・グリーンの死亡記事

アメリカの一部の教会関係者は、今だに日曜日の説教で信者に向かって、ヘティ・グリーンは不幸な人で、 苦しみながら死んだ、と中傷しているらしい。しかし、余り信用できない。 『Hetty:The Genius And Madness of America's First Female Tycoon』の記述では、 ヘティは普通に脳卒中で倒れて衰弱して、息子と娘に看取られて81歳で死んでいる。1916年のことである。僕の印象に残ったのは、「ヘティは毎日、息子のネッドに会った。ネッドは、ちょうど数十年前 ヘティが父と祖父にしたように、その日の経済ニュースを詳しく話した。」という記述だ。 普通の人なら、死ぬ前にお金を 使ってしまおうと考えると思うが、ヘティはそういう考えを超越してしまっている。一種のさわやかさを感じる。生活を派手にすることと結びつかない金銭欲は、無欲に等しいのではないか。

ヘティ・グリーンの死亡記事に関しては「もし、ヘティが男性だったなら・・・ 莫大な財産を増やすために身も心も費やしたとしても、 人は特にそれを変わっているとは思わないであろう。」が有名だが、 他にも何種類かある。

「ほとんど全ての町、小さい町にさえ、ヘティ・グリーンに 似た女性がいる。ヘティがお金を貯めこむために払った犠牲は平均的なものである。 ただ、他の女性が数千ドル貯めこんだのに対して、ヘティが数千万ドル貯めこんだことが違うだけだ。」

「たぶんへティは幸せだっただろう。 ヘティは勇気を持って自分の生き方を選び、好きなだけケチな生活をした。彼女にとって正しく 役に立つと思えるような世の中の慣習に従い、その他の全てを冷たく、または穏やかに無視した。」


2006.5.13

ヘティ・グリーン対宗教

ヘティ・グリーンは政府や企業にお金を貸していたが、善意で多くの教会にお金を低利で貸していた。 あるとき、シカゴの第5長老教会は、借金を返せなくなってしまった。その教会の牧師は、他の教会の牧師 にまで呼びかけて、信者に向かって、ヘティは情け容赦ない金貸しだと中傷させた。さらに、その牧師は、 ヘティに手紙を出して、担保物件を売りさばくと、天国へ行けなくなると脅した。 (まったく、ひどい宗教もあったものだ。) この手紙に対して、ヘティはこう返事した。「脅すつもりなら、新しい教会の礎石の 上で祈ったほうがいいですよ。担保物件は売りさばきますので。」また、多くの教会関係者がヘティを弁護する側に回ったらしい。

ヘティ・グリーンと1907年恐慌

1901年、J.Pモルガンは約2億5000万ドルでカーネギースチールを買収しUSスチールを設立した。 モルガンは、繊維産業などでも企業買収によって巨大企業を作っていった。 その中のいくつかでは、関係企業の株価がつり上げられた後、買収資金をまかなうための新株が発行された。 その結果、株式ブームが起こった。好景気はやがてバブル化した。その間、ヘティが批判めいた発言をしても、古臭く退屈な考え方としか受け取られなかった。1907年、ニッカーボッカー信託銀行の破綻をきっかけにして、恐慌が起こった。好景気の時には気前よくお金を貸していた銀行が、不景気になると急に 貸し出しを渋るようになった。ニューヨーク市は資金繰りに窮し、市の清掃部門にさえ給料を支払えなくなった。そのときヘティが現れ、ニューヨーク市にお金を貸し付けたため、ニューヨーク市は急場をしのぐことができた。さらにヘティは、ラカワナ鉄道が、いち早く燃料に無煙炭を使って乗客にすすが付かないようにした こと(参考)に注目して、恐慌下にもかかわらずラカワナ鉄道への貸付を増やした。

話は前後するが、 1905年11月ヘティは、ニューヨークタイムズの記者に次のように語った。 「安値で誰も欲しがらないときに品物を買う、そして、それが値上がりして、人々が買いたいと強く望むようになるまで、相当な数のダイヤモンドを持つように、持ち続ける。これが、事業で成功する一般的な秘訣だ。」


2006.3.18
ある日、ヘティは仕事上の用事で不動産会社に行った。 ある社員は、ヘティの質素な服装を見て、雑用の仕事を求めて来たに違いないと思った。 その社員は「お手伝いさんは雇わないよ。」 と言ってヘティを追い出そうとした。 仕方が無いので、ヘティは「私はヘティ・グリーン。あなたの会社が私から50万ドル借りたいと言うので、商談のために来た。」と言った。お金を借りようとする相手を追い出そうとするのだから、失礼極まりない社員だ。

その後の記述は無いが、きっと社長が出てきて社員に怒りつつヘティに謝るという 具合になったのではないか。


2005.12.4

へティ・グリーン対コリス・ハンティントン

『バブルの歴史』にヘティ・グリーンが鉄道事業家のコリス・ハンティントンをピストルで脅したという 謎めいた記述がある。コリス・ハンティトンは、スタンフォード(スタンフォード大学設立で有名)とともに 大陸横断鉄道の建設に関わった超大物である。 この事件には次のような背景がある。 1892年、ヘティはアメリカ西部の小さな鉄道を競りで買収した。 ハンティントンもその鉄道を 狙っていたが、提示額が少なく買えなかった。ハンティントンは何としてもその鉄道 を手に入れようとしてヘティに嫌がらせをした。 ハンティントンは裁判所を操作してヘティが買収した鉄道には土地が付属していないということにしてしまった。 当時の鉄道会社には沿線の土地が政府から無償で与えられ、その土地を売って会社の利益にすることができた。 そのため、買収した鉄道に土地が付属していないことはヘティにとって大損だった。 嫌がらせはさらにエスカレートして、ハンティントンはヘティの事務所に押しかけ、 鉄道を手放さなければヘティの息子( へティの事務を代行するためアメリカ西部に 派遣されていた。) を警察に逮捕させると脅した(無茶苦茶だ)。その時、ヘティは机からピストルを取り出しハンティントンに 向けて「Up to now ,Huntington,you have dealt with Hetty Green,the business woman.Now you are fighting Hetty Green,the mother.Harm one hair of Ned's head and I'll put a bullet through your heart!」と言ったとされる。日本語に訳すと「ハンティントン、あんたは今まで実業家としての私と取引してきたけど、今、あんたは母親としての私と戦っているんだよ。ネッドの髪の毛一本でも傷つけたら、 あんたの心臓を撃ち抜くよ!」といったところだろうか。ハンティントンは叫び声をあげて逃げ去ったらしい。 その後、ヘティは自分の買値より高い値段で鉄道をハンティントンに売却して利益を上げた。

2005.8.14
1886年初夏、ヘティ・グリーンは、ジョージア・セントラル鉄道の株を1株あたり70ドルで 6700株買った。近いうちに、ジョージア・セントラル鉄道株をめぐる買収合戦が起こるという情報を聞きつけたからだ。 ジョージア・セントラル鉄道は多数の鉄道路線の寄せ集めで、非効率経営が行われていた。 ニューヨークの投資家グループはジョージア・セントラル鉄道を買収して利益が出る会社に作り変えようと画策した。 ヘティ・グリーンがジョージア・セントラル鉄道株を買った後、買収合戦は過熱化した。 ニューヨークの投資家グループは、ジョージア・セントラル鉄道の経営者を、非効率で株主に報いていないと批判した。 これに対して、ジョージア州民は、ニューヨークの投資家グループは短期間の利益しか考えてないと批判した。 (現代日本に外資が入ってくるときの論争そっくりだ。)さらに、約20年前の南北戦争の 記憶が両陣営の対立をいっそう激しくした。「南北戦争研究室」によると、南北戦争時、 北軍は、ジョージア州で、 大都市から農村・田畑に至るまで進撃路の南部人資産をことごとく収奪・焼却したといわれる。 ジョージア・セントラル鉄道株の買収合戦が過熱化した結果、株価は1886年11月に100ドルまで上がった。

株主総会の時期が近づいたとき、ニューヨークの投資家グループは取締役選挙に勝つために、 ヘティ・グリーンが持っているジョージア・セントラル鉄道株を買い取ろうと考えた。 ニューヨークの投資家グループの一員で、取締役選挙に勝った場合、 ジョージア・セントラル鉄道の社長になる予定のE・P・アレクサンダーがヘティ・グリーンとの交渉にあたった。 アレクサンダーは、ヘティ・グリーンに1株あたり115ドルで ジョージア・セントラル鉄道株を買い取ると提案した。ヘティ・グリーンは1株あたり125ドルを要求した。 アレクサンダーは、1株あたり125ドルで買い取る現金が無いので、いったん断ったが、後に、取締役選挙で自分の陣営に投票してくれたら、 選挙に買っても負けても1株あたり125ドルで買い取ると妥協案を示した。 アレクサンダーにとっては信じられないぐらい寛大な妥協案だったらしい。 しかし、ヘティ・グリーンは、現金が手に入るまで時間がかかる料金として1株あたり5ドルを加算して1株あたり130ドルを要求した。 結局、1株あたり127.5ドルで合意に達した。 1887年1月株主総会が開かれ、アレクサンダーは選挙に勝った。 この取引でヘティ・グリーンは、 38万5200ドルの利益を手に入れた。


2005.6.19

2005.4.24の補足

「南北戦争研究室」の「南北戦争時の貨幣価値について」 に、 グリーンバックス(アメリカ紙幣)の値動きの資料がある。 グリーンバックスは1864年に底値をつけた後、 値上がりし続け、1879年に金との兌換が再開された(つまり、1ドル紙幣を銀行に持っていけば、 1ドルの金貨と交換できるようになった)。 『Hetty:The Genius And Madness Of America's First Female Tycoon』 によると、ヘティ・グリーンは、 南北戦争終結後、1865年から1867年にかけてグリーンバックスを買っているので、どの時点 で売ったとしても、かなりの利益を得たと思われる。

2005.6.5
ある日、ヘティが雑誌記者に、なぜケチな生活をするのか、と聞かれた。ヘティは 、自分の家は5世代にわたって金持ちなので、富を見せびらかして社会的地位を上げる必要がない、 と答えた。この発言のため、ヘティは当時のマスコミに、金持ちは金持ちでない人より偉いのか、と批判された。たぶん、 へティは、金持ちは金持ちでない人より偉いと言いたかったのではなく、 『バブルの歴史』に出てくるような、富を誇示するにわか金持ちと自分は違うと言いたかったのだと僕は思う。

2005.5.8
ヘティ・グリーンが、銀行で大量の預金を一度に引き出せと要求して、 銀行を潰したというエピソードがある。 また、ヘティの夫、エドワードが事業で破産したが、 ヘティは結婚の条件として、夫婦の財産を別管理にしていたので無事だったというエピソードがある。 実は、この二つのエピソードは関連していた。1884年、ヘティの取引先の銀行が鉄道投資に失敗して、 経営危機に陥った。それを知ったヘティは、銀行から預金を引き出そうとした。 しかし、エドワードはその銀行から大量の借金をしていた。 ちょうど、ヘティはその銀行の最大の預金者で、エドワードは最大の借り手だった。 銀行側はヘティにエドワードの借金を払うよう頼んだが、ヘティは聞き入れず、 銀行から預金を全て引き出した。こうして銀行は潰れ、エドワードは破産した。 何の落ち度もないのに、ヘティはこの事件でずいぶんマスコミに叩かれたらしい。

2005.4.24
「J_Coffeeの株式投資日記」では、南北戦争中にヘティ・グリーンがアメリカ国債を買ったとされているが、 『Hetty:The Genius And Madness Of America's First Female Tycoon』によると、 ヘティは南北戦争後にアメリカ紙幣を買ったことになっている。 南北戦争中に北軍は戦費をまかなうために大量の紙幣を発行した。 南北戦争後、経済の先行き不安から、アメリカの紙幣の価値が下がり、 1ドル紙幣が50セントの金貨と交換されるようになった。 ヘティは、このアメリカ紙幣を大量に買った。 鉄、石炭、石油などの資源開発が押し進められ、 アメリカの戦後復興が順調に進んでいるとヘティは考えたからだ。 この本では、その後、アメリカ紙幣がどうなったかの記述がない、 アメリカ史の常識なのだろう。アメリカ史の基礎知識を身につけようと思った。

これまでの研究

2005.1.30
『Hetty:The Genius And Madness Of America's First Female Tycoon』購入。 ヘティ・グリーンの生涯を扱った洋書である。『Witch Of Wallstreet』がどうしても手に入らなくて困っていたが、 2004年11月に新しいヘティ・グリーンの伝記が出版された。早速、Amazonで注文して取り寄せた。 いちいち辞書を引くと、全く先に進まなくてつまらないので、小学生が大人向けの歴史の本を読むような感じで読んでいる。 まだ投資手法のところまで読み進んでいないが、ヘティの幼年期のエピソードで面白いものがあった。 ヘティが6歳か7歳のころ、歯医者に行かされた。普通の子供にもよくあることだが、ヘティは歯医者を怖がって泣き叫んで治療を受けようとしなかった。 歯医者が困っていたところ、召し使いがヘティの母から渡された50セント硬貨をヘティに見せた。そうするとヘティは泣き止んで、おとなしく歯の治療を受けたという。 しかも、ヘティはそのとき受け取った50セント硬貨を全く使わず貯金箱に入れたらしい。素晴らしい。

2004.3.21
大学4年の夏の話になるのだが、株式投資の研究のため「バブルの歴史」を図書館で借りて読んだ。オランダのチューリップ投機から日本のバブル経済まで世界史上のバブルを紹介するという内容の本である。ほとんどの登場人物が、バブルの発生ともに大金持ちになって贅沢な生活をするようになり、バブルの崩壊とともに破滅した。その中で、一人だけ違うタイプの人物がいた。ウォール街の魔女と呼ばれたヘティ・グリーンである。何が違うかというと、まず徹底的なケチ(ギネスブック公認らしい)。どんなに金を儲けても浪費することがなかった。そして、投資手法。ほとんどの人は暴落時に破滅するのに、ヘティ・グリーンは逆に暴落時に買うことが得意だったようだ。彼女は死ぬまでに1億ドルの財産を築いたらしい。このヘティ・グリーンの生涯と投資手法についてもっと詳しく知りたいと思っていたが、適当な本がなかった。今年の3月になって、洋書を買うことにした。アマゾンで「Witch of Wall Street Hetty Green」を注文した。英語が読めるかどうか分からないが、時間をかけて読もうと思う。到着は3月末か4月初らしい。またホームページで「Witch of Wall Street Hetty Green」の紹介をする予定。


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