運動代表 TAKIの個人的見解



児童ポルノ法と淫行条例


児童買春・児童ポルノ処罰法と青少年条例(淫行条例を含む)は、往々にして同じ議題の上に載る。この2つは似たような条文を持ち、似たような問題を持つのでその事は理解できる。しかし大抵の場合議論されるのは双方の条文と「表現の自由」(児童ポルノ法では読んで字のごとく児童ポルノ規制を、青少年条例では図書の有害指定等による規制を定めている)のからみである。その問題は当運動の趣旨とはまた別なので置いておくが、青少年の性行為についてもこれらの条文は18歳未満という線引きで規制を行っている点で似通っている。

しかしながら私が、特に議論されがちな児童ポルノ法よりも淫行条例を問題としたのは、この2つの法は土台となっている思想が違うからである。要するに、

児童ポルノ法=青少年を不当な性搾取被害から守る
青少年条例=青少年を「健全に」そだてあげる

という、別々の目的があるのである。もちろん双方とも目的に対してそれほど洗練されているわけではなく、児童ポルノ法にも健全性政策的部分が残っているが、大筋では上記の趣旨に沿っている(その手段の是非はここでは置く)。

児童ポルノ法の趣旨は、現在の国際的世論から鑑みても強く批判できるものではなく、むしろそのような趣旨に沿った法令は必要であったと考えられる。しかしながら青少年条例の趣旨は「他人の決めた健全性の押しつけ」に過ぎず、前近代的である。もちろん青少年に限らず人が皆健全であるにこした事はないのであろうが、果してその「健全」の内容を公権力が決定し、法令と罰則を振りかざして人々に押し付けると言うのはあまりに暴力的である。

よって、私はこと青少年の性行為規制に関しては、その思想部分から問題のある青少年条例に、より関心をしめし、改正を求めていく考えである。



淫行条例と単純さ


私の目から見た場合、多くの淫行条例というのは非常に単純なものである。第1に、「問題を解決するのに、法による規制を用いる」という、ありていに言えば解決方法としてはお手軽かつ単純な手法に訴えている所、第2に13歳と17歳を性的に同列扱いしている所。本来ならばこの問題は非常に難しくデリケートなものであるが、単に青少年条例の一項目で、たった1、2行で規制を示すと言うのは殆ど「怠慢」としか思えない。私は、独立した条例を設置してなるべく青少年の人権や自己決定権を侵害しない形で木目細かな規制と保護をするか、その程度の事をするつもりもないならいっそ規制などするべきではないと考える。各県の立法に携わる人々には今一度熟考願いたいものである。



児童福祉法第34条第1項6号


児童福祉法第34条第1項6号「児童に淫行させる行為の禁止」については、かつての通説を覆す「 自分がその淫行の相手方となる場合も適用される」との判例が、最高裁で出ている。この判例は条文解釈としては無理の無いものであるとおもう。しかし、そのように解釈した場合は他の法令・条例との関係においては非常に大きな無理が生じる。例えば、この条項に違反した場合の最高刑は懲役十年であり、児童買春罪(同3年)より各段に重い。罪の重さに対する刑の重さに逆転が見られる。また、「性の問題には公権力が積極介入すべきでない」との方針によリ淫行条例設置を見送った東京都や、他の自治体と比べて淫行条例を狭い範囲で定めた大阪、千葉等の都府県において、他の県の淫行条例違反にあたる行為が児童福祉法違反の適用によって検挙されてしまうと言う問題がある。淫行条例を定めた県では条例違反(最高刑懲役2年、自治体によってはそれ以下)、淫行条例を見送った東京では児童福祉法違反(同10年)では、東京都の判断と決定がかえって逆の結果をもたらしている事が明らかであり、その原因は児童福祉法にある。さらに上記の判例において「自慰行為をさせる」などの、直接誰かが相手方として存在しない性行為を誘発した場合も適用されるとされてしまったことにより、児童福祉法第34条第1項6号は稀に見る問題条項として存在する事になった。
この問題は意外と注目されていないが、ぜひ議論の的となって欲しいと願う。



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