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自衛隊の災害派遣について知ることのできるページ

目次

現地へ行く

 実施に災害派遣されている現地へ行くということは、難しいものがあると思います。私自身も遭遇したことはありません。しかし、災害派遣を調べるのに事後であっても現地へ行くということは有益なことと思います。しかし、前にも述べたように災害派遣はその痕跡をほとんど残しません。ではどこへ行けばよいのでしょうか。

派遣部隊の駐屯地へ行く

 今までの経験から、実際に災害派遣された部隊の駐屯地へ行く事は意外に大きな収穫を得られるように思います。平日でも依頼すれば見学できるようですが、駐屯地の記念日に行くほうがいろいろなイベントもありお勧めです。私が駐屯地に行って主に見ている点は次のとおり。

広報館(資料館)

 たいていの駐屯地には広報館(資料館)がある。展示内容は旧軍に関するものと自衛隊に関するものだが、当然見るのは自衛隊に関するものが中心になる。

 たとえば富士学校(静岡県)の広報館には雲仙岳噴火災害派遣に対する長崎県知事からの感謝状と記念品がおいてある。『雲仙岳噴火災害派遣行動史』には富士学校・富士教導団が派遣された事実が記載されているが、これを裏付ける物証となる。

 また1991年、「フライデー」の取材で雲仙岳噴火災害時に警戒区域内に勝手に進入し逮捕された鎌田というジャーナリストが当時自衛隊が情報を独占たことに不快感を示している。

 しかし現地の島原記者クラブは災害派遣終了後にわざわざ感謝状を贈っている。(大村駐屯地で展示)鎌田の言うような情報独占があり取材活動の妨害となっていたのであれば、災害派遣終了後このような感謝状が送られるとは想像しにくい。

 総合力により、結果的に「情報収集」を独占することとなった自衛隊の活動がまっとうなものであることを示す重要な資料である。(収集した情報はケーブルテレビ等で一般にも公開されていたので、決して情報を独占していたわけではない)

装備品を見学する

 イベントの際にはほぼ必ず装備品展示がある。最近は一般の装備品に混じって、人命救助コンテナの展示をしているところも多い。また特別な装備を見ることも可能である。たとえば下の写真はOD色の車体にトイレが内蔵されている車。裏に女性用がある。大規模災害ではこんなものもほしい。

各施設を眺める

 基本的に広報館とPX以外の建物は、トイレ用に開放されているだけで、中を詳しく見るというわけにはいかない。でも、周りを見ているだけでも災害派遣に思いをはせることは可能である。

 たとえば、下の写真は神戸市内唯一の自衛隊基地、海上自衛隊阪神基地である。2004年ごろの写真で地震からの復興がなった後であるが、自衛隊の施設としては極端に狭い(周囲1km程度)。このように狭く、しかも当時は液状化で泥水まみれだったというこの基地が、震災当初海上自衛隊からの救助部隊、さらには東海北陸から来た第10師団等の貴重な支援拠点であったことは有名である。狭かろうが、壊れていようが被災地域内に根拠地があることの重要性をまざまざと見せ付けられる思いがする。

施設の周辺も見る

 下の写真は、阪神基地に行く道すがら通った神戸市東灘区の瀬戸公園(写真奥側の植え込みの奥が瀬戸公園。手前は被災者用に自衛隊の天幕が設置された魚崎中学校)。写真の反対側には国道43号線。震災当時は狭い公園のなかに第10師団司令部、35普連等が駐屯。しかしここから10分も歩けば阪神基地で、補給を受け、各地へ移動するにはには最適。

被災地をへ行く

災害派遣の記念碑を見る

 災害派遣を顕彰する碑が建立されるのは非常に珍しいが、殉職者が出た場合など関係者の寄付により碑が建立されることがある。下の写真は京都府八木町の大堰川堤防上に建立されている殉難碑。殉職した三名の自衛官の背面に刻まれている碑文には「・・・茲ニ頌徳ノ碑ヲ建テ水防守堤ノ鎮護トシテ遺芳ヲ讃仰セントス」と3自衛官の名誉をたたえ、水害が起こらないことを願っている。

 ちなみに殉難碑の揮毫は当時の知事・蜷川虎三である(社会・共産の支援を受け知事7期)

 殉職後すでに40年以上経過しているが、定期的に清掃・献花が行われている模様。

地元の図書館へ行く

 地元の図書館にはそこにしかない資料が収集されている。たとえば、前述の殉難碑について八木町の図書館に所蔵されていた八木町の広報誌『広報大堰橋』(96号)には殉難碑建設の概要が記載されている。費用313,202円を寄付によりまかない。その内訳は八木町住民・婦人会・消防団約194,000円、7普連・福知山業務隊78,000円、遺族20,000円などとなっている。土台作りはは福知山部隊の隊員が3週間かけて行った。実物に建設の経緯が記載されることはないので、図書館は情報収集の重要な手段となる。

災害の資料館を見る

 大きな災害後にはその災害に関する資料館ができます。たとえば雲仙岳噴火災害においては雲仙岳噴火災害記念館が建設され、災害の様子を現在に伝えています。自衛隊員が記録した噴火の様子や、記録映像さらにはや山口陸将のインタビューなどそこでしか見ることのできない資料が豊富にあります。

災害の現場へ行く

 実際の現場に行って見ることでも新たな発見を得ることができます。下の写真は雲仙岳噴火災害で救助活動の部隊となった北上木場地区。(2005年撮影) 現在でも警戒区域とされ、遠隔操作による工事が行われる。救助部隊は写真中央部、今では火山灰により埋まってしまった上木場地区で捜索。連隊長も写真左側の丘のふもと(堤防の左端付近)間で進出し救助活動を指揮した。

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