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自衛隊の災害派遣について知ることのできるページ

目次

伊勢湾台風における部隊運用

 伊勢湾周辺地方以外への派遣は任務終了後または、それ以前に伊勢湾地方への派遣に備え、およそ2、3日で撤収したため今回はもっとも重大な被害を出した地域を管轄する第10混成団(1)の活動に焦点を絞る。

 当時は中部方面総監部が編成途上であったことなどもあって、第10混成団長が終末にいたるまで被害の中心であった伊勢湾周辺における災害派遣の指揮をとることとなった。なお指揮所は名古屋市に隣接する守山市(現守山区)の守山駐屯地から移動しなかった。また、県庁等に連絡所を設置した形跡はない。

 当初は、大規模な派遣が行われるなど誰も想像すらしていなかったためそれまで行ってきたような単発の災害派遣を数多くこなす形をとり、災害派遣活動とした。派遣地域は台風の進路上に位置した第10混成団の管轄地域(東海、北陸)の広い範囲にわたっていたため部隊も愛知、三重、岐阜を中心に福井県などにも派遣された。当初の第10混成団指揮下部隊の勢力は3701人であり、(2)期間末までに第10特科連隊のような第3管区内所在部隊を第3管区総監の了承を得て増強すると共に、10月3日決定の陸上自衛隊の「中部地区災害に対する今後の構想」や「陸乙行災命第四号(10.31200)」によって大規模な増援部隊が増援される10月5日までのこの期間が第1期(約10日間)である。

 政府は、10月1日政府現地対策本部を設置し、これに伴い自衛隊も10月3日ごろまでに増援部隊を派遣決定し、積極的な復旧支援に乗り出すことになった。第10混成団は新たに第1・第3管区隊 から各1個普通科連隊・1個施設大隊を基幹とする増援部隊を受け入れた。(なお、当時は普通科連隊の隷下に3個大隊、戦車中隊などが配属されており現在の普通化連隊の3倍程度の規模がある)10月6日これらの部隊を第10混成団長の指揮下に入れると共に態勢を整理し、次のように編成された。

 このように他管区の大規模な増援部隊を得て災害復旧にあたった時期を第2期(約50日)とし、上記の部隊編成であたった前期(約1週間、10月13日まで)と、初期活動終了に伴い一部の部隊を待機態勢とし、北勢、尾西、名古屋災害派遣隊と全般支援部隊によって堤防締め切り作業に集中した後期(約40日、11月23日まで)に区分される。

 11月13日に撤収の目安を排水及び関連作業が終了する12月中旬と定め、他管区隊の部隊を原隊復帰させ、第10混成団の全力(ただし、有力な一部は待機態勢)によって三重(11月27日まで)愛知(12月10日まで)作業を行った第3期(約20日)にわけられる。

『派遣誌』を全般的な状況の参考にした

(1)
第10混成団は第3管区隊の地域内にあった米陸軍の縮小に伴い、東海地区の空白を埋めるべく昭和34年6月三重県の久居駐屯地で編成され、同月米軍基地の跡である守山駐屯地に移駐したばかりであった。その編成は団本部と第14普通科連隊(在金沢、一部は守山・久居。3個普通科大隊・各大隊はその後、改編され第14・33・35普通科連隊となった)、第10特科連隊(在京都・大久保駐屯地)などで構成されるが、13個師団制移行期の過渡的なものであるため細部は不明。
(2)
第1建設群2035人含む
(3)
部隊名が記述されているものは派遣隊長の出身部隊。員数は10月12日0時現在。以下同じ

人命救助と遺体収容

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