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自衛隊の災害派遣について知ることのできるページ

目次

仮設堤防の構築

被害状況

 伊勢湾台風によって堤防が決壊し水没した主要な地域は次の通りである。(昭和34年11月23日時点)(1)

伊勢湾台風による堤防決壊区域(主なもののみ)
地区締め切り完了(予定)日排水完了(予定)日
名古屋市南部10月9日10月16日
名古屋市西部11月3日11月13日
愛知県海部郡北部11月10日(11月28日)
愛知県海部郡南部11月21日(12月1日)
愛知県知多郡上野町10月10日(11月30日)
愛知県海部郡鍋田干拓(昭和35年2月下旬)未定
愛知県碧南郡南干拓11月6日(11月26日)
岐阜県養老郡養老町根古地10月10日10月17日(下地地区水田11月25日)
三重県桑名市(城南干拓含む)11月5日11月10日
三重県桑名郡長島町11月18日北部11月15日 南部(11月25日)
三重県桑名郡木曽崎村11月5日11月18日

 この様な地域の復興のための堤防締め切り支援が行われた。まず小規模なものとして、河川堤防の締切りは、名古屋災害派遣隊と建設群が天白川(10月6日)、山崎川及び大江川(10月7日)、庄内川(10月9日)の仮締め切り支援を行った。また第14普通科連隊は半田市の汐止め(10月12日完了)を行った。

 これらの作業は「官・民・自衛隊混淆方式」(2)で行われた。

 

大規模な作戦

 当初愛知県等は、決壊堤防の応急処置を民間に任せるつもりであったが作業が進展しないため、自衛隊に本格的な協力を要請したものである。(3)

尾西作戦

 10月3日頃から愛知県海部郡弥富町の筏川左岸の締切り・道路補修作業を行ったいたが、10月10日県関係者より、自衛隊において旧東海道の締切りを消防団等奉仕団体を「区署」(4)して担任して欲しいと言う意向が伝えられ、10月11日中部日本災害対策本部の協力と支援の確約をえて、着手が決意された。

 10月14日12時の10混行災命3−166号「旧東海道締切工事等に関する第10混成団行動命令」が発せられ、「尾西作戦」と命名されると共に弥富町−六条−重宝−笹之郷(2,749m)にわたる締切作業が開始された。(5)

 尾西作戦は「自衛隊の自主責任作業方式」(6)で行われた。陸自延べ35,780人/日の人員で、第1第2工区は11月4日までに完成、さらに追加要請された笹之郷嵩上げ、補強作業も11月12日終了。13日に引き渡し式典が行われた。

上野作戦

 現在の東海市(当時の上野町)名和前ポンプ場〜道沿いに北方の稲荷社(天白川)付近までの区間を締め切るもので、現在の背戸田付近から川沿いに名和前ポンプ場まで業者により仮設された線路及び北側の天白川沿いの道路や、冠水していた名鉄線西側を海上自衛隊舟艇20隻/日を利用して土嚢など運ぶルートを形成し、12ヶ所の堤防決壊過所の仮締切(355m)、4ヶ所中3ヶ所の水門の復旧(残りは県実施)イノ割と口ノ割の間の道路付近に250mの新堤防を構築する作業であった。作業は10月10日頃開始され、陸自延べ約12000人/日の人員で11月5日に完成した。(6)

南陽作戦

 港区南陽町の締切作業は県が実施していたが、難航が予想されたため県は自衛隊に支援を要請した。(7)また地元住民は尾西作戦などの成功を目の当たりにし、業者を排除してでも自衛隊に作業をさせるように要求していたため「業者の作業引継ぎ交代方式」で行われた。(8)

 南陽町(藤前)の決壊過所は現在のサンビーチ日光川付近から藤前干潟方面を経由して新川沿いに庄内新川橋付近であったがこのうち自衛隊が担当したのは藤前3丁目の決壊地点のみ(296m)であった。

 作業は10月22日に開始され、陸自が延べ4,315人/日を投入し、11号地(空見埠頭)から海上自衛隊の舟艇62隻/日によって土嚢が運ばれ、10月31日に仮締切終了、11月3日まで県作業の支援を実施して終了した。これに伴い名古屋市のほぼ全域が乾陸化されることとなった。(9)

木曽岬作戦

 三重県桑名郡木曽岬村の南端部(当時)の白鷺から南端を通って川先までの堤防決壊地点1680mのうち968mを担当し、尾張大橋付近から海上自衛隊舟艇など68隻/日などによって運ばれた土嚢を用い10月24日に作業開始し、陸自延べ4,704人/日を投入して11月5日に締め切り完了し、三重県に引き渡した。(10)

南海作戦

 伊勢湾台風派遣最後の「作戦」であり海上自衛隊が命名したものである。この作戦の最大の特徴は業者作業の支援であり、「業者作業に横割り分担方式」(11)である。従って、業者が立てた作業計画に人員装備を提供したと言うのが実際であったと思われる。

 当初は他の作戦優先であり、10月末に三重県南勢方面が一段落したことに伴い、その隊力を転用して間接支援(砂利俵150,000袋・延べ3,036人/日)の作成にあたっていたが、他の作戦が11月初旬に終了したことに伴い作戦が開始された。

 11月12日より、開始された作業は現在の飛鳥村新末広大橋付近と弥富町駒野付近の二ヶ所を担当し、江南市から運ばれてきた土嚢を名古屋港10・11号地などから陸・海自舟艇115隻/日を利用して海上輸送し、11月22日に締切を完了した。

 この作業に伴い陸自延べ8,929人/日が投入され、前期の150,000袋とは別に103,095俵の石のうを作成し、179452俵の石のうを輸送。2ヶ所計820mの堤防締切を支援した。(12)

(1)
『中部日本新聞』昭和34年11月24日
(2)
熊谷卓次「特に印象深かった思い出」(陸上自衛隊第十師団『伝統 創立十五周年記念文集』p18〜19)
(3)
熊谷前掲書、建設省河川局『伊勢湾台風災害誌』1962年 p499
(4)
第10混成団『伊勢湾台風災害派遣誌』p158 「区署」トハ本然ノ指揮系統ヲ有セザル軍隊ニ対シテ委任セラレタル範囲内ノ事項ノミニ関シ一時コレヲ指揮スルヲ言ウ(『防衛用語辞典』(真邉 正行/編著 国書刊行会))
(5)
第10混成団『伊勢湾台風災害派遣誌』p161〜162
(6)
第10混成団『伊勢湾台風災害派遣誌』p167〜172
(7)
第10混成団『伊勢湾台風災害派遣誌』p173
(8)
熊谷前掲書
(9)
第10混成団『伊勢湾台風災害派遣誌』p173〜179
(10)
第10混成団『伊勢湾台風災害派遣誌』p180〜186
(11)
熊谷前掲書
(12)
第10混成団『伊勢湾台風災害派遣誌』p186〜195

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