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自衛隊の災害派遣について知ることのできるページ

目次

自衛隊の災害派遣とは

災害派遣(辞書的意味・定義)

 災害派遣は天災地変その他の災害に際して自衛隊が公共の秩序の維持のために必要に応じて行う任務であり、都道府県知事等の要請により人命・財産の保護を行いこの目的を達成するものである。大きく3種類に分かれ災害派遣(自衛隊法第83条)地震防災派遣(同83条の2)原子力災害派遣(同83条の3)がある。なお、自衛隊法上「武力攻撃事態等」における国民の保護については国民保護等派遣(同77条の4)に規定されており災害派遣とは区別される。

 災害派遣が「公共の秩序の維持のために必要に応じて行う任務」であることは間違いないが「秩序の維持」という言葉のイメージの悪さから一般的にはあまり説明されない。

 災害派遣として行われる活動には行方不明者捜索・人命救助、堤防・道路の輸送、医療、人員物資の輸送など多岐にわたる。

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同様の役割をになう他機関等との比較

 自衛隊が災害派遣でになってきた任務は「事態やむを得ない場合に」「必要に応じて」行われるという性格から大半の活動は他機関・民間企業が同様の活動を行っている。たとえば人命救助であれば消防や海上保安庁とかさなり、堤防補強の場合は水防団など、生活支援(給食・給水・入浴ほか)であれば自治体・ボランティア・民間企業と役割が重なる。

 一般的に防衛を主たる任務とする自衛隊はそれぞれの活動を行う他機関等よりは能力が劣るといわれるが、災害時においては他機関等が通常利用しているインフラが崩壊しているため、インフラなしで行動することが前提の自衛隊に対し、遅れをとることも多い。災害派遣に対して批判的な意見の中には自衛隊の能力が他機関等より劣っていることを根拠とするものがあるが、これは的外れである。

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災害派遣の歴史(解説と年表)

 災害派遣は警察予備隊発足の翌年(1951年)のルース台風による災害に対する救援活動から開始され現在に至るまで延々と続いている。災害派遣はすでに約32,000件、延べ730万人以上の規模で行われており、自衛隊史上最大の実績をもつ任務である

 災害派遣の歴史がこのように多様性を持つものとなったのは上下左右問わずに「都合のいい解釈」で災害派遣を行ってきたことによる。このような背景の中で災害派遣の歴史は3つの期間に区分できる。

第1期(草創期)

 災害派遣に関する規定が整備された1950年代から60年代前半にかけての時期である。社会基盤が災害に対して脆弱であり、これらの補完のため、知事の要請と部隊長の判断という非常に簡単な手続きで実施可能な災害派遣が防衛庁・自衛隊側は消極的であったが政府・政治家主導で積極的に行われた。

第2期(沈黙期)

 1960年代後半以降、都市部を中心にいわゆる革新自治体が各地に誕生し、「知事の要請」という部分をことさらに強調して災害派遣の封じ込めを図った。革新自治体が都道府県において消滅した後も、知事が自衛隊に対して否定的な感情を持つ団体の支援もうけて当選している実態は変わらず、また大きな災害が少なかったため災害派遣に消極的な姿勢が続いた。この影響を受け自衛隊の側も災害派遣にはより慎重になり、真に必要とされた災害(日航機墜落事故、長崎水害、阪神・淡路大震災など)においても有効に災害派遣できない事態が発生した。

 この背景には、自衛隊に対し否定的な革新自治体が住民の支持を得て各地に誕生している一方で、革新自治体の知事が自衛隊の否定、特に自治体住民の生命に直結する災害派遣を否定すれば「思想のために住民を犠牲にする」という批判が巻き起こるのは必至でありいわゆる革新勢力とそれにいわゆる保守勢力ともに相手を論破するだけの根拠を持ち得なかったことがあり、議会等公式な場では触らぬ神としての扱いが行われた。

一方、都市部以外の地域においては民生支援と同様に災害派遣も積極的に活用された。沖縄・長崎・小笠原諸島など一部地域においては急患空輸等、災害派遣による支援が受けられることを前提にインフラが整備されることもあった。

第3期(発言・行動期)

 災害派遣が機能不全を起こすなか、自衛隊の内部では第2期の反省からもっと積極的に災害派遣を行おうとする動きが現れる。第2期末の1990年代前半に雲仙岳噴火災害やビッグレスキュー91など、地方部隊の中から積極化の動きが現れた。この動きはその後の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件など、一般行政では対応しきれない非常事態の発生によって防衛庁・自衛隊内部での一般的な行動様式となった。このようにして1990年代後半から災害初動時における実働4庁(防衛・警察・消防・海上保安)の1つとして「自主的且つ積極的な災害派遣」と「自衛隊が蓄積したノウハウの提供」という特色をもつ災害派遣(を含む防災行政への関与)の時期を迎える。

総論

 災害派遣自体は「便利だから」という軽いのりで明文化され、さまざまな立場の人々が「都合のいい解釈」をし、利用してきたものである。それぞれ立場により、危難の中での最後の希望であり、ただで使える建設・運送業者であり、良質な宣伝材料であり、悪質なプロパガンダであり、国民弾圧のための口実であった。だからこそ災害派遣は日本社会の矛盾を調整するひとつの弁としての役割を果たすことが出来たし、今後もその役割を担っていくことであろう。

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外国での軍隊による災害救助

 外国においても災害派遣に類する活動は普遍的に行われている。入手しうる情報で判断するとその位置づけや活動頻度はその国のさまざまな要因によって変化する。概ね共通する点は特別の装備や部隊を持たない、救援活動は単独では行わず災害対策本部に相当する組織の中で調整した内容に基づき自治体等の意向に沿った形で行動することなどがあげられる。

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災害派遣の各種記録

 災害派遣が「都合のいい解釈」で行われてきた結果、災害派遣にはさまざまな記録が作られることとなった。

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