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自衛隊の災害派遣について知ることのできるページ

目次

雲仙・普賢岳噴火における活動

雲仙・普賢岳噴火における自衛隊の災害派遣活動等を詳しく解説します。

(主要な参考文献としている陸上幕僚監部編『雲仙岳噴火災害派遣行動史』は文中『行動史』と省略表記していることがあります。)

参考リンク

2002年7月にオープンした「雲仙岳災害記念館」のサイトです。自衛隊の活動を納めた貴重な映像が見れます。

雲仙岳噴火災害派遣の意義−意識変革−

 平成2年はドイツ統一や湾岸戦争などヨーロッパ地区における冷戦の終結に伴い、自衛隊に関しても平成3年にはペルシャ湾への掃海艇派遣、平成4年には国際平和協力法案成立し、施設部隊などがカンボジアに派遣される中で、いわゆる冷戦後の自衛隊の役割とは何かが問われている時代であり、平成2年12月に定められた「中期防衛力整備計画(平成3年度〜平成7年度)」の中にはこの様な一文が盛り込まれている。

1.計画の方針
2 組織、編成及び装備の各分野にわたって、一層の効率化、合理化の徹底を図りながら、防衛力の円滑な整備及び運用に努める。また、将来における人的資源の制約の増大等に的確に対応するため、自衛官定数を含む防衛力の在り方について検討を行い、本計画期間中に結論を得る。

 このような時期に現在の平成新山の火山活動が活発になりつつあった。平成2年11月、火山の噴火が始まって以降、まだ被害が発生していない時期から長崎県を担当する第16普通科連隊や上級司令部たる第4師団は積極的な動きを見せている。理由は不明である。地元島原市と第16普通科連隊が通常以上の友好的な関係にあったからなのか、それとも、江戸時代に大災害をもたらした眉山崩れに備えた活動であったのか。とにかく通常の訓練を災害派遣に備える訓練に変更し、研究機関に積極的にヘリを提供するなど災害に対する認識がまだまだ少ない中で事前の準備が着実になされていったのである。

 平成3年6月3日は自衛隊にとって記憶されるべき日となった。それは雲仙岳噴火災害派遣の始まった日ではなく、「疲労が激しくなった消防団の替わりに自衛隊を派遣し災害を予防する」という災害救助ではない「災害予防」のための派遣について県知事、県総務部長、第16普通科連隊長、第4師団司令部防衛班長との間で合意された日としてである。このことに関与した人々にこの様な意識があったとは思えない。ただ単に「島原の人たちが困っている。我々には出来ることがある。助けてあげたい。」と考えていただけに見える。しかし、今まで縛られてきたとされる災害派遣の3要件を柔軟に解釈し、積極的に災害派遣を実施するという現在の自衛隊の方針は直接的にはこの出来事をきっかけにの全自衛隊組織に受け入れられていったのである。

 幅広い要請に長期間にわたり応え、成功裏に撤収に至った本災害派遣の教訓は具体的に『災害派遣の参考』(陸幕運第4号 12.1.11別冊)という資料に記載されている。地域の実情に応じた柔軟で迅速な対応と関係機関との連携、住民への積極的な広報、平素の教育訓練の充実はこの災害派遣の教訓として今後他の災害派遣に活かされて行くであろう。

 しかし、もう一方の特徴として極めて属人的なつながりからこのような特徴を持つに至った災害派遣であったことは間違いない。後で述べるが、当時の連隊長が山口義廣であり、九州大学に太田一也という教授がいたからこそここまでの災害派遣となったようにみえる。

主要参考文献

普賢岳噴火の概説

 

長崎県の島原半島中心部にそびえる普賢岳の噴火が原因となった災害である。災害の経過は以下のようなものであった。

 普賢岳山頂は、南高来郡小浜町にあるが本災害は実質的には島原市にある平成新山(当時は溶岩ドームと呼ばれた)の災害であり、被害は島原市と深江町に集中した。

 本噴火は数千年に一度の規模で、当初の予想(溶岩流、山体崩壊)と異なり、火砕流と土石流による被害がメインとなった。火砕流は火山学的には小規模なものであったが、犠牲者の発生や長期にわたる避難者が発生したことから、「大火砕流」と呼ばれた。土石流(特に水無川流域のもの)は通常の河川の流れとは別のところを流れたため大きな被害をもたらした。

 本災害で自衛隊は九州(自衛隊志願者が全国平均に比べ多い)という地域特性から対象勢力を気にすることなく非常にスムーズに派遣を実施した。また、長崎県知事など関係機関の適切な対処により何ら問題点が見いだされることなく派遣が終了したもので、様々な危機に対処する「新しい自衛隊」を国民に知らしめるものの一つであり、自衛隊内部にもこれを強烈に印象づけるものとなった。

 しかし、本災害は阪神・淡路大震災時にいたっても継続中であったこともあり、1995年当時、原因分析が始まったばかりであり、自治体、研究者、地域住民とのきわめて良好な関係やによって成功したことがあまり宣伝されなかったため、様々な危機に対処する「新しい自衛隊」のイメージが無批判に定着し、阪神・淡路大震災の無知と偏見に基づいた非難に繋がった。

 雲仙岳の災害派遣関連の記載については、2002年に作成した原稿を元に2005年までに収集した資料を基に加筆・修正を加えている。

災害派遣準備(前災害期の活動)


作者と連絡先