政界名(迷)言集

まずは、三木武夫語録から――

「男は一度勝負する」
「晴天の霹靂だ」

これは有名。

「私は何も恐れない。ただ大衆のみを恐れる」
佐藤四選に挑戦、無謀だからやめろと言われて。

「私は国民と結託する」
小派閥で政権に就いて、なにを基盤にするのかを聞かれて。

「まるで宮澤君(喜一・官房長官)の腹話術のようだ」
鈴木善幸首相の原稿棒読みの国会答弁をチクリ皮肉。「評論家」三木の面目躍如か。

――

「佐藤首相は日本の首相です。私は日本人です。
日本人の私の目の前で、日本の首相の非難をすることは断じて許しません」
松村謙三

親中派の松村は昭和41年、83歳の高齢をおして訪中し周恩来ら会談した。 その際、佐藤首相の反中国政策を非難する周らに対し、松村自身、反佐藤でありながら、きっぱりと言い返した。 やはり昔の政治家は一本筋が通っていたのか。

「政権を奪らない政党はネズミを獲らないネコと同じだ」
西尾末広

初代民社党委員長、民社党結成に際しての発言

「議員ニ十五年 政権もとれずに 恥かしや」
江田三郎

在職25年の永年勤続議員の表彰を受けた時、その心境を一句。
その後輩政治家は、

「やるっきゃない!!」
「ダメなものはダメ!!」
土井たか子

…気合ばっかりでした。

「昭和元禄」
「狂乱物価」
「日本経済は全治3年」
「人命は地球より重い」
福田赳夫

造語・警句の名手だった福田赳夫の発言の数々。
最初のものは、池田内閣時代、経済繁栄に浮かれる世相を元禄時代にたとえたのが最初。
2番目は、田中内閣時代にインフレ不況を「物価は狂乱状態」と称したもので、当時の流行語にもなった。
3番目はその田中内閣の大蔵大臣に就任、記者会見で経済再建の見通しを訊かれてズバリ言い切った。
そして最後のは、首相時代、日本赤軍の日航機ハイジャック事件に際して、犯人の要求に応じて人質と引換えに莫大な身代金を支払った時。 この決定は国内外から批判を浴びたが…。
福田語録で一番有名なのは、総裁予備選に敗北した時の、あの、

「天の声にも時には変な声がある」
だろう。予期せぬ惨敗に落胆するさ中でもユーモアを忘れない飄々とした人柄がしのばれる。
ちなみにそれから23年後、弟子の小泉純一郎が総裁予備選に圧勝し、 「天の声も変わった」と息子の福田康夫官房長官。23年掛かりで弟子と息子がオチをつけた。

「政治は義理と人情だ」
「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればもう政治家ではない」
大野伴睦

うーん、わかりやすい(笑)

「私は嘘を申しません」
池田勇人

大蔵大臣の時に「貧乏人は麦を食え」と言った池田勇人は、新総理に就任した際、 10年以内に国民所得を倍増する所得倍増・高度経済成長政策を発表し、こう言い切った。 実際、その通りになった。ただし物価も倍になったが。
嘘と言えば、

「この顔が嘘をつく顔に見えますか?」
中曽根康弘

大型間接税は導入しないと選挙公約。しかし選挙に大勝するやたちまちホゴにした。

「栄ちゃんと呼ばれたい」
佐藤栄作

大野伴睦の3周忌の会に出席した佐藤首相は、「官僚出身の政治家はとかく国民に親しみを持たれ難いが、 自分も『栄ちゃん』と呼ばれるぐらいでなければならないと思っている」と、「伴ちゃん」と親しまれた故人の大衆性を称えた。 大野と佐藤は犬猿の中だったから、本心そう思っていたわけではない(佐藤いわく、ほかに誉めようがなかった、との事)。しかしこのおかげで後々まで「栄ちゃん」とマスコミにからかわれ 続けた。

「偏向新聞は大嫌いだ」
佐藤栄作

7年8ヶ月の最長不倒政権を築きながらも不人気をかこち、マスコミと対立し続けた佐藤首相がその退陣会見で言い放った言葉。 「テレビカメラはどこにいる。新聞記者の諸君とは話したくない。直接国民に話したいのだ」とマスコミを追い出し、 ひとりぽつんとテレビカメラに向かった。敵役の権力者として、最後までその役割に徹したのはお見事。

「数は力、力は金だ」
田中角栄

佐藤はついぞ「栄ちゃん」と呼ばれなかったが、これに対して最初から「角さん」と呼ばれたのが田中角栄。 ダミ声を張り上げた早口の角栄節は有名だが、でもこれと言って印象的な言葉はないような気がする。 件の文言にしても、「力は金」の部分は実はマスコミの創作らしい。
ロッキードの時の「よっしゃ、よっしゃ」も本当に言ったんだか? 伝説が一人歩きするあたりは超大物らしいが。
そのロッキード事件で

「三木君は、はしゃぎすぎだ」「惻隠の情がない」

と、三木おろしの先頭に立ったのは椎名悦三郎
でも椎名裁定で三木を総裁に指名したのはあなたではないか、と反問されて椎名が答えていわく、

「私が産みの親だが、でも育てると言った覚えはない」

当時コインロッカーに産んだばかりの赤ん坊を捨てる母親の存在が問題になっていたが、 その無責任な母親ばりの発言だった。

「国鉄もひとつぐらい大臣の言う事をきいてくれたっていいじゃないか」
荒船清十郎運輸相

自分の選挙区に急行の停車駅を作ろうとして批判を浴び、辞任。その時の台詞。野人に大臣は似合わなかったか、

「やはり野におけ、レンゲ草」
と派閥の親分川島正次郎
川島の名文句で有名なのは、

「政界は一寸先は闇」
一説によれば、最初は、自分が入閣できると思っていたのにあてが外れた時に口にしたと言う。
その「一寸先の闇」をまさに身を持って体現した人が

「アー、ウー」
大平正芳
大平と言えば、何はなくともやっぱり「アーウー」。
大変な読書家だったらしいので、よくよく聞いてみれば実は含蓄ある発言をしていたのだろうが、 でもアーウーしか印象に残らなかった。
大平で有名なのは、田中後継を決める5者会談の席上、調整役であるはずの椎名副総裁がどうやら自分が暫定総理・総裁 になる色気がありそうだと察知した大平が記者団に、
「行司が廻しを締め始めた」
と痛烈に批判。この一言で椎名暫定政権はつぶれた。
そういえば「選挙の禊(みそぎ)」いうのは、ロッキード選挙の時に大平が田中を庇って言い出したのが初めではなかったか。
滅多に聞かない難しい言葉といえば、

「不逞の輩」
「曲学阿世」
吉田茂

さて、吉田茂は河野一郎が大嫌いで、自分の政権を奪い取ったというので「盗っ人」呼ばわりしていた。ある日、その河野邸が放火で全焼した。たまたま三木武夫がその翌日大磯を訪ねると吉田は上機嫌で「三木君、今日は愉快だ」を連発する。何がそんなに愉快なのかと三木が首を捻っていると
「河野邸、焼き討ちだ!」
あのね・・・(苦笑)。

そして、吉田茂で一番有名なのは、やはり、

「バカヤロー」
だろう。呟いたのがマイクに乗って問題になり、解散・総選挙になった。
逆に選挙で負けて呟いたのが

「チクショー!」
橋本龍太郎


また、「加藤政局」の時に言ったというのは、 「熱いフライパンの上で猫踊りさせてやる」
その時の当の主人公の台詞は

「これからが長いドラマの始まりです」
加藤紘一

嗚呼、始まる前に幕は閉じた…。