自民党総裁選挙の記録

年月日 結果 選出方法
1956.4.5 ◎鳩山一郎394 岸信介4その他5 公選。国会議員と各県連2人ずつの地方代議員が投票
1956.12.14 岸信介223 石橋湛山151 石井光次郎137 公選
決選投票 ◎石橋湛山258 岸信介251
1957.3.21 ◎岸信介471 松村謙三2他2 公選
1959.1.14 ◎岸信介320 松村謙三166他5 公選
1960.7.14 池田勇人246 石井光次郎196 藤山愛一郎49他7 公選。
決選投票 ◎池田勇人302 石井光次郎194
1962.7.14 ◎池田勇人391 佐藤栄作17他20 公選。地方代議員が1名に。
1964.7.10 ◎池田勇人242 佐藤栄作160 藤山愛一郎72他1 公選
1964.12.1 ◎佐藤栄作 話し合い。池田前総裁が指名し、臨時党大会で正式決定
1966.12.1 ◎佐藤栄作289 藤山愛一郎89 前尾繁三郎47 灘尾弘吉11野田卯一9他5 公選
1968.11.27 ◎佐藤栄作249 三木武夫107 前尾繁三郎95他1 公選
1970.10.29 ◎佐藤栄作353 三木武夫111他3 公選
1972.7.5 田中角栄156 福田赳夫150 大平正芳101 三木武夫69 公選。立候補要件に国会議員10人の推薦。
決選投票 ◎田中角栄282 福田赳夫190
1974.12.4 ◎三木武夫 話し合い。「椎名裁定」後、両院議員総会で選出
1976.12.23 ◎福田赳夫 話し合い。「挙党協」の推す福田を両院議員総会で選出
1978.11.26 ◎大平正芳748点 福田赳夫638点 中曽根康弘93点 河本敏夫46点 公選(予備選)。推薦20人。福田が本選を辞退
1980.7.15 ◎鈴木善幸 話し合い。両院議員総会で決定
1980.11.27 ◎鈴木善幸 候補者1人
1982.11.24 ◎中曽根康弘55万9673 河本敏夫26万5078 安倍晋太郎8万0443 中川一郎6万6041 公選(予備選)。推薦50人。河本らが本選を辞退
1984.10.30 ◎中曽根康弘 候補者1人
1986.9.11 ◎中曽根康弘 党内合意により、任期1年延長を両院議員総会で了承
1987.10.31 ◎竹下 登 中曽根前総裁の指名。臨時党大会で正式決定
1989.6.2 ◎宇野宗佑 両院議員総会の「起立多数」で決定
1989.8.8 ◎海部俊樹279 林義郎120 石原慎太郎48 両院議員総会の投票。推薦20人。
1989.10.31 ◎海部俊樹 候補者1人
1991.10.27 ◎宮澤喜一285 渡辺美智雄120 三塚博87 公選。推薦30人。県連の持ち票1〜4に。
1993.7.30 ◎河野洋平208 渡辺美智雄159 両院議員総会の投票。推薦20人。県連各1票。
1993.9.30 ◎河野洋平 候補者1人
1995.9.22 ◎橋本龍太郎304 小泉純一郎87 公選。推薦30人。党員1万票につき1票。
1997.9.11 ◎橋本龍太郎 候補者1人
1998.7.24 ◎小渕恵三225 梶山静六102 小泉純一郎84 両院議員総会の投票。推薦20人。
1999.9.22 ◎小渕恵三350 加藤紘一113 山崎拓51 公選
2000.4.5 ◎森 喜朗 「5人組」談合。両院議員総会で決定
2001.4.24 ◎小泉純一郎298 橋本龍太郎155 麻生太郎31 地方予備選(広島山口除く)&両院議員総会の投票。県連各3票(小泉123、橋本15、亀井3、麻生0)。 亀井静香が本選辞退
2001.8.10 ◎小泉純一郎 候補者1人
2003.9.20 ◎小泉純一郎399(議員票194+党員票205) 亀井静香139(66+73) 藤井孝男65(50+15) 高村正彦54(47+7) 公選。県連各3〜11票。
2006.9.20 ◎安倍晋三464(議員票267+党員票197) 麻生太郎138(69+67) 谷垣禎一102(66+36) 公選。県連各3〜12票。
2007.9.23 ◎福田康夫330(議員票254+地方票76)麻生太郎197(議員票132+地方票65)無効1 両院議員総会の投票。県連各3票。
2008.9.22 ◎麻生太郎351(議員票217+地方票134)与謝野馨66(議員票64+地方票2)小池百合子46(議員票46+地方票0)石原伸晃37(議員票36+地方票1)石破茂25(議員票21+地方票4)無効2 両院議員総会の投票。県連各3票。
2009.9.28 谷垣禎一300(議員票120+地方票180票)、河野太郎144(議員票35+地方票109)、西村康稔54(議員票43+地方票11) 公選。県連各4〜15票。
<<解説>>
自民党の総裁及び総裁選挙の規程はその時々の都合でしばしば変るため、ただ記録を見ただけではよくわかりにくい部分がある。主だった特徴を上げておく。
・1972年以前の総裁選挙は立候補制ではなかったため、出馬の意思表示をしなかった人への得票も有効票としてカウントされている模様である。
・総裁任期は、1972年までは2年で、72年総裁選からは3年となったが、78年総裁選を前に再び2年に戻った。2003年秋実施の総裁選からは再度、3年に延長。
・また、当初は任期途中で交代の場合でも、新総裁は前任者の残任期間ではなく新たな任期を務めていたが、現在では、残任期間終了毎に改選されているようである。
・総裁選のやり方は、国会議員と各県連代表である地方代議員による投票(過半数得票者不在の場合は上位2名の決選投票)が一般的だが、 78〜82年には一般党員による予備選挙が導入されていた。78年は、党員党友1000人につき1点と計算して予め各県連の持ち点を決め、投票の結果で上位2名に比例配分される点数方式で、 予備選挙の上位者2名が国会議員による本選挙に進む、というやり方。82年は総得票方式で、上位者3名が本選挙に進むやり方だった。 (実際には、2位以下が辞退のため本選挙は行われず)
・なお、2001年の予備選挙は、各県連単位で自主的に実施したもので、その結果にもとづき各都道府県3票の党員票が本選挙で投票された。 2003年の総裁選からは、党員票は計300票。各都道府県に基礎票3票を割り当て、残りを党員数に応じて配分するので、都道府県の持ち票は3-11票程度。候補の総得票数に基き比例配分方式で持ち票を配分する。
・総裁の決定方法で一番わかりにくいのが、選挙ではなく「話し合い」で選出、というものであ。「話し合い」といっても党の公式機関での討議の結果で決定されるわけではなく、 実質的な意思は派閥単位で統一される。派閥の裏談合や駆け引きで形成された大勢が事後承認される事を「話し合い」と呼んでいるのである。 選挙によらず総裁が選ばれた最初は、1964年の池田から佐藤へのケース。総裁選の4ヶ月後に病気引退という事情を考慮し、川島副総裁と三木幹事長が党内意見を聴取し、最後は池田総裁が指名、 という方式を採った(57年の石橋病気引退も似たようなケースだが、この時は形式上、公選が行われている)。72年以降89年までの17年間は、78、82年の二度予備選が行われただけで、国会議員の参加する総裁選挙は全く絶えていた。 その前半期は、「角福戦争」以後あまりに派閥抗争が激化したため、選挙による決着によってもたらされる混乱が回避される傾向が表れたものである。逆に後半期は、田中-竹下派の最大派閥支配により、総裁選びが空洞化したためである。 中でも一番ひどかったのは、1989年の、竹下後の宇野総裁決定のケース。竹下派支配に反発する若手勢力に推された山下元利が立候補を表明していたにもかかわらず、投票を行わずに、異例の議員総会での「起立多数」で押し切ってしまった。 90年代以降は、小渕緊急入院時に「5人組」といわれる主流派幹部の密室談合で森総裁が選ばれた以外は、選挙が行われる傾向にある。