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日本の選択: 社会保障改革 明確に示せ
 −参院選控え 広井良典・千葉大教授に聞くー (聞き手 山田邦博)

                         2004年6月22日付 朝日新聞 朝刊 より全文転載

 低成長下の分配が課題

ー国会議員の未納・未加入問題は何を象徴しているのでしょうか。
 「多くの政治家が年金問題を重要な政策課題として認識していなかったことが明らかになった。戦後、国会では安全保障などに比べ、年金をはじめとする社会保障は深く論じられてこなかった。社会保障は突き詰めれば、国民の富=パイをどう分配するか、ということ。戦後、日本は国を挙げて経済成長を追及し、実現してきた。みんなが得をする時代だったから、政治は分配の問題に直面することがなかった。政治は、官僚が用意した案を『負担は軽く、給付は厚く』と微調整するだけですんだ」
 「これまで日本では、会社と家族による『見えない社会保障』があったから、社会保障費用は欧州より低い水準ですんできた。会社は終身雇用で失業のリスクを回避し、社宅や保養所などの福利厚生を提供した。家族は扶養や家庭内介護を担ってきた。また、公共事業も職の提供を通じた生活保障という形で社会保障を代替した。欧米に比べて日本の公共事業費は突出しており、公共事業型社会保障といえる」

ーしかし、終身雇用は揺らぎ、核家族化も進んでいます。
 「もはや、見えない社会保障に依存することはできない。既得権を固定する公共事業型社会保障も限界だ。低成長時代に入り、初めて政治はパイの分配の問題に直面することになった」

ー分配の問題に取り組むため、政治はどうあるべきですか。
 「まず、何が公平、平等なのかといった原則、理念を明確にすることだ。でないと、パイの奪い合いになって議論は混乱し、将来への不安が一層、増幅してしまう。政党が理念をはっきりさせて対立軸を鮮明にし、国民に選挙で選択してもらうのが本来のあり方だ」


 欧州型か米国型か

ー何が対立軸になるのでしょうか。
 「『大きな政府か、小さな政府か』『成長志向か、成長を前提としない環境(定常)志向か』が対立軸になる。大きな政府は欧州のモデル、小さな政府は米国型のモデルだ。欧米の場合、『大きな政府か、小さな政府か』の対立が2大政党制の機軸をなしていたが、80年代ごろから欧州を中心に『成長か、環境か』という対立軸が加わった」

ーいまの日本の政治にあてはめると、どんな構図になりますか。
 「小泉政権が進める構造改革は、小さな政府・成長志向の流れにある。ただ、方向性は定まっていない。サラリーマンの医療費の自己負担を3割に引き上げたことは小さな政府の流れだが、年金改正では相当高い水準まで保険料を引き上げることを決めており、ちぐはぐだ」
 「民主党は医療費の自己負担引き上げに反対し、年金では基礎年金の主要部分を税金で賄うために目的消費税を提案している。負担の問題に踏み込んだのは評価できるが、具体的な給付水準がはっきりしない。政党は、高福祉なら負担増を、低負担なら給付カットを、率直に打ち出すことが必要だ」



 負担増、先送りの歴史 ー制度ゆがみ 後世にツケー

 戦後の年金制度で、政治は年金の給付増を進める一方で、負担増を先送りにしてきた。経済の低成長と少子高齢化が始まってからも、改革に手を付けなかったことで、制度はゆがみ、後世へのツケはさらに膨らんだ。

 サラリーマンが加入する厚生年金は、戦後の急激なインフレなどで48年8月に保険料(労使折半)を9.4%(男性)から3%に大幅に引き下げた。経済の混乱で労使とも保険料負担に耐えられなくなったためだが、この低率は60年4月まで12年間続いた。

 厚生年金は42年6月の制度発足当初、将来の年金給付に必要な費用を積み立てる「積み立て方式」で運営されていた。しかし、長く保険料率が据え置かれたことなどから財政の見通しが立たなくなり、54年の改正で基本的に現役世代の保険料負担で年金受給者の費用を賄う現在の仕組みに改められた。

 61年には自営業者らが加入する国民年金が創設された。「国民皆年金」となり、高度経済成長の下で、給付を上げながらそれに見合う負担増は求めない改正が続いた。

 65年には厚生年金の給付額が当時の標準的な月収(2万5千円)の会社員でつき1万円(25年加入)になるよう改正。66年には国民年金の給付も夫婦2人で月1万円(20年加入)になった。69年には国民年金(夫婦2人)、厚生年金とも2万円に引き上げられた。

 いずれも給付アップに見合う負担増は先送りされた。背景には負担増を避けたい労使の意向があり、55年体制を担った自民、社会両党の利害は一致していた。

 田中角栄首相は73年、「福祉元年」を掲げて大幅に給付を積み増すことを決めた。72年の総選挙で社会党が年金の充実などを訴えて議席を伸ばしたことへの危機感があった。給付水準を現役世代の平均月収の60%程度に維持することにし、当時の標準的な月収(8万4600円)の会社員(27年加入)の場合で月約5万円にした。

 さらに、物価の変動に応じて年金額を改正し、現役世代の賃金の伸びに応じて年金額を算定する仕組みも導入した。国民年金も25年加入での夫婦で月5万円に引き上げた。年金積立金を使って保養施設建設や住宅融資を実施するのを決めたのも73年の改正だ。

 改正直後の73年秋に石油危機が起き、高度経済成長時代が終焉。70年に65歳以上の人口が7%を超え、合計特殊出生率(一人の女性が産む子どもの数)が75年に1・91と2を割り込むなど、少子高齢化が始まった。

 このため、旧厚生省は将来世代の負担が重くなり、制度が維持できないと判断。80年に支給開始年齢を60歳から65歳に引き上げようとしたが、自民党の反対で見送った。79年の総選挙で「一般消費税」導入などに対する世論の反発で自民党が惨敗、「一般消費税の二の舞になる」との懸念があったためだ。

 支給開始年齢は、94年と00年の改正でそれぞれ引き上げが決まったが、20年遅れとなった。先送りのツケを払うため、85年以降、原則5年ごとにおこなわれてきた改正で負担増と給付抑制を進め、制度への不安や不信を高める悪循環に陥った。


公的年金の歴史

42年    厚生年金(労働者年金)創設
45年    終戦
47−49年 第1次ベビーブーム(団塊の世代)
48年    保険料率を9.4%から3%に引き下げ(60年まで据え置き)
54年    厚生年金を全面改正、現在の2階建てに
61年    国民年金創設、「国民皆年金」に
65年    厚生年金で「1万円年金」
66年    国民年金で「夫婦1万円年金」
69年    「2万円年金」(厚生年金、国民年金は夫婦)
70年    65歳以上の人口が7%を超える
71−74年 第2次ベビーブーム
73年    「5万円年金」(厚生年金、国民年金は夫婦)。物価スライド導入
       石油危機。高度経済成長の終焉
75年    出生率が2を割り、1・91に
80年    厚生年金の支給開始年齢引き上げを見送り
85年    国民共通の基礎年金導入
89年    厚生年金の支給開始年齢引き上げを見送り
94年    厚生年金定額部分の支給開始年齢引き上げを決定
00年    報酬比例部分の支給開始年齢引き上げを決定
       厚生年金、国民年金とも保険料の据え置きを決定
       物価スライドを凍結(02年度まで3年連続)
03年    物価スライド凍結を02年分の0.9%のみ解除
04年    年金改革法が成立。出生率1・29(03年)と判明

(2004.6.23)