日記 6月号

    日 記

     むちゃくちゃだ。五月をすっとばして、六月の、それも月末近くの日記で再開だ。

     

    1999.06.27

     さて、言い訳の数々。

     五月いっぱいはひたすらパズルを作っていた。その間の活動やパズルを作る理由の詳細はパズル自作派の方を見ていただくとして、要するにこうだ。「創造的に生きよう」に記してきた方法を実践すれば、創造的に生きるための下地が、確実に作られる。しかし、創造性そのものを育むには、実際に何かを創造する以外には手段はない。

     考えてほしいのだが、作曲家と歌手とカラオケファンとCDを聴くだけの人。この四人の中で一番創造的なのはだれだろう。まさか後半の二人だと思う人はいないだろう。いかにつまらない曲であっても、一番創造的に生きているのは作曲家である。次は歌手。カラオケマニアは歌手に匹敵する。そして聴くだけの聴衆は、まったく聴かないよりは増しな程度だ。

     実際に何かを作ることは、それがいかにつまらない、くだらないものと見えても、それは極めて創造的な作業である。例えば俳句ひとつ口にするだけでも、それはただ、他人の俳句をとやかく言うだけの人と比べれば段違いの創造性の発露なのだ...

     考えてみれば、「人間」というものは一日のうちで「本当に自覚的に考えて」行動することがどれだけあるのだろう。自動車を運転する。前の車が妙にノロノロと制限速度で走る。「自動的に」ムカッとする。「自動的に」車間距離を詰める。「自動的に」パッシングして、「自動的に」追い越しをかけて、「自動的に」中指をおっ立てる。

     信号のある交差点を通るのが損な気がして、脇道からおっかなびっくり出ようとしてビュンビュン走る車に接触しそうになる。

     お昼になると腹が減ってなくても「自動的に」食事をする(私はしばしば昼食を摂らない。腹が減っていないときがよくあるのだ。「おなかがすくでしょ」とよく尋ねられる。確かに夕方には腹が減るが、それだけのことで、たいしたことじゃない。むしろ、腹が減ってないのに無理に食うと、腹が突っ張って苦しい。)。

     午後9時になると「自動的に」いつもの下らないドラマを見てしまう。強引きわまりないシチュエーションで無茶な恋愛を見せられても「恋愛」の一言で「自動的に」感動してしまう。恋愛結婚は見合いより上等だ、実写ドラマはアニメより上等だ、新しい「スターウォーズ」は見なくちゃと「自動的に」思う。

     古くは宮沢りえ、今は広末涼子とサッチーは「特別」だ、と(これは主に芸能マスコミが)「自動的に」思う。宇多田ヒカル(字はあってる?)は「特別」だとみんなが思う(確かにいいけど、ちょっと売れすぎだと思う。私にはMISIAやトライセレイトプスやラルカンシェルや椎名林檎やB'zの方がいい。だいたいにおいて群集がこぞって支持したものにろくなものはない。ヒトラーとか...)。

     身の回りに一流ブランドをズラリと揃えないと心まで貧しくなるような気がして、風俗で身を売ってビトンのバッグを買っても、プラダが流行ると手に入れずにはいられない。「いまさらビトンなんて」と古道具屋に売ってしまう。

     本当のところ、人間の行動の大部分は、それまでの人生における行動が積み重ねられてできたプログラム(仏教者なら「業(ごう)」と呼ぶだろう)に沿って自動的に行われていることなのだ。最新の脳科学や認知科学では「自我は蓄積された情報」だと喝破している。私が寝る前に必ずホラーのビデオを見てしまうのも、小学生の頃から海外の怪奇小説ばかりを読んできた「業」のなせるわざなのだ。

     実のところ、人間が本当に自覚的に何かを考えるのは、創造的な思考をしているときだけだと断言してもいいような気がする(と考えるのも私の業のなせるわざかもしれないが...)。この辺のことに関心のある人はクリシュナムルティの著作を読んでみるといいと思う。とくに『自我の終焉』はまとまっていて良い。

     というわけで、私は「パズルを解く」から一歩踏み込んで、「パズルを作る」サイドにまわることにした。おかげで、「散布図の回帰式まわりの点の分布の偏りの有無を統計的に検定する法」なんてものを自分で考えついた(もっとも、モノになるかどうかはまた別だが...)。

     簡単に書くつもりが、やたら長くなってしまった...

     さて、四月にシスアドの試験が済んで、多少「燃えつき症候群」な状態にあったが、ここのところ、また息を吹き返しつつある。なにしろ合格通知が来たもんだから...

     このごろはあまっているノートパソコンにLinuxをインストールして、サーバーを作っている。まずWindows95とMacの仲を取り持つファイルサーバーを作った(SambaとNetatalk)。

     私はWindows98は使わない。Win3.1->Win95と比べると、Win98にバージョンアップする意味は「マルチメディア機能がアップする」ばかりで、これでなければならない、というものがない。そのわりに必要なリソースが倍近いとは暴力だ。

     恐らくWindowsをバージョンアップすることはこれから先も無いかもしれない。Windowsのバージョンアップはイコール「パソコンの買い替え」「手持ちのソフトの総バージョンアップ」に通じるからだ。これではいつまで経っても金が貯まらない。他にも使い道はあるのだ。

     それよりもLinuxがエンドユーザーにも使いやすいOSになるのを待つ積もりだ。日本語環境の整備が不十分だが、それも、せいぜいあと三〜五年だ。

     さらにWWWサーバー(Apacheという。CGI可)とftpサーバーを作り、掲示板CGIをインストールした。これがこの二週間でしたことだ。インストールしたのはPlamo Linuxというディストリビューション。次はデータベースサーバー PostgreSQL の使い方をマスターする予定だ。これらはゆくゆく、私の部所の情報サーバー、あるいはその雛形になる。マニュアル類はすべてhtmlファイルとして部内のサーバーに置かれ、必要に応じて病院内各部門から参照される。掲示板で質問事項を受付け、必要に応じFAQデータベースに追加する。消耗品発注と在庫管理もWWWベースのイントラネットで管理する。自作の制度管理アルゴリズムを実装する...誰も手を出さないので一人でやっている。なにしろ「情報処理技術者」だから...^_^

    「うちのホームページなんて誰も見てないよ」とよく言われる。「今は見る人が少なくても、五年後は違う」と私は答える。「五年後...ね、ふふっ」というのが大方の反応だ。私は五年後を見て暮らしているのだが、「大方」の人にとって「五年後」とは...なんなんだろう?  

     

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