
第四章 日本史の課題
1.なぜ、歴史か
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変化する社会がある。変化は、社会の構成で、AとBとCとの組み合わせが、AとDとに、新たにEとかDが加わる。中心も、AからDに、あるいはEに変わるかもしれない。現実にはどの組み合わせにすべきか試されている。その組み合わせが確定されるのはいつなのかわかっていない。意識、思考もいろいろである。
経済でいえば、情報産業化なのか、東南アジアとの経済圏の強化か、有効利用、共生、省資源・・・、あるいは金融での東京市場の強化か。
政治でいえば高齢化社会、高度情報化社会、環日本海経済圏、国連との関係、あるいは中国との関係、戦後処理・・・それも決断なのか、時間をかけてなのか。
それらは選択する人の、社会変化の見方、また、自分はどうしたいという生き方、あり方の問題につながり、社会のあり方、国のあり方とかにつながっている。
どうすべきか?
それが現在である。
模索は、過去の経験=歴史を見ると、自己のあり方の見直し、つまり古いものの見直しからスタートする。
このため、さまざまな神、土俗的なものの見直し、掘り起こしもおこなわれる。
新興宗教、超能力、さらには数年前の村起こし、町起こしから出発したイベント・ラッシュがそれにあたる。
まだ十分に理解されていないかもしれないが、すべて、生き方の核、村の核とかの模索だ。
オカルトはベトナム撤退以来、混迷を深めたアメリカからいろいろ伝わり、また東京への一極集中という形の、異常な発展をもたらした日本の社会からも生まれている。
この状況が、ある混乱をまねく場合もある。それは前に述べた情報拒否からくるものの他に、日本全体が、個々の選択肢の模索で混沌としているからである。
やがて新しい思想が生みだされるだろう。そしてそれまでの間に、選択での誤りから、混乱を生むこともある。
それをさけるのが歴史に対する冷静な目だ。日本は、すでに二度とくり返してはならぬことをおこなっている。
ためしに、日本の歴史は以下のように考えられる。正しいか、疑問点はなにか。それらは、現在につながる歴史の見方であり、これからの生き方の選択だろう。
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