
第四章 日本史の課題
3.いつ日本人は生まれたか
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われわれ日本人の直接の先祖は、現代の地質区分のすこし前、第四氷期の、いまから三五〇〇〇年前の地球温暖化時期以降に、大陸から移ってきた人々と、その後の寒冷化が終わって再度地球が温暖化する約一五〇〇〇年前にこの日本列島に渡ってきた人々という二つの人口移動と、その混住の結果生まれたと考えられている。
その痕跡は、最近の発掘調査で次のものが知られている。
平成五年八月、長野県上水内郡信濃町・日向林B遺跡で、後期旧石器時代(約二八〇〇〇−二二〇〇〇年前)の磨製石斧41点など約七千点の石器が発見された。石器の加工場跡あるいは祭祀場かと思われる。
平成五年十月、鹿児島県加世田市・栫ノ原遺跡が、年代測定で約一二〇〇〇年前の定住地跡と推測された。
遺跡に住んだかれらは旧石器時代人で、約一万年前からの縄文時代人の直接の先祖にあたる。
戦後、桐生に住んで、行商しながら考古学を学んだ相沢忠洋氏が岩宿の関東ローム層から発見した黒曜石の槍先形尖頭器を使った人もそのひとりだ。
どんな人であったか知りようがないが、かれの子孫が現在もどこかにいるだろう。
もっともかれはなんらかの不運ですぐに死んだかもしれない。が、われわれがこの人と同時代に生きたひとりの子孫であることはまちがいない。そうでなければわれわれは存在しない。
日本人にかぎらず人間ひとりひとりに、長い歴史の過程の、現在につながるとてつもない長い一筋がある。それは想像もつかないほどの苦難の歴史でもあっただろう。戦争、飢饉、恐慌、大地震・・・それを乗りこえて、いまある。この事実はもっと大事にされていい。
それはともかく、人間が苦難の歴史を乗りこえた理由だが、頭脳があることはいうまでもないが、そもそもの理由は、人間が猿から分離する時、それは樹の上で、草原をみながら、目の諸特色が形成されたためではないかと思われる。
人間の目は草原を見ながら、草原の反射光を受けて作られた。
このため目の構造は、緑を可視光線の中心にし、赤を補色にするものとなった。
人間の目に、赤が目立つ色になったということである。
このため果実の熟した色=赤系色を、人間はほかの動物より早く気づいた。
翼もなく、木登りもうまくなく、またキリンのように首の長くない人間が、食料獲得競争で、ほかの動物に負けなかった理由だ。
さらに、人間の目の構造は、動物中もっとも精巧にできた。それで正確な像、立体像、豊富な色彩をもつことができた。
この、他の動物との違いが、歩行とともに脳を発育させたと考えられる。
微細な知覚は、たとえば手の動作で、より巧妙で、繊細な動作を可能にする。それが手の筋肉などの発達をうながし、やがて頭部前頭葉(知能・企画・構想力などをつかさどる)の発育をうながすなど、脳を育てたのだろう。人間が受け取る情報の九〇%が目からといわれている。情報と人間との関係は、脳の解明とともに、今後の問題だろう。そして、人間という存在に、情報のもつ意味の大きさも考えなくてはならない。
なお、指の運動が前頭葉の発育をうながすことは、幼稚園での「お手手つないで」のゆうぎ歌、あるいは「あやとり」、さらに老人の指運動などの効用から、広く知られているところだ。先にふれたトロフィック(trophic)説との関連についてもあてはまる。
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