統計学の系譜


統計学の系譜

イギリス政治算術\                /イギリス生物統計学
フランス確率論 —ベルギー ケトレー「社会物理学」
ドイツ国状学  /                \ドイツ社会統計学

イギリス政治算術
 1662 グランド『死亡表に関する自然的政治的諸観察』イギリス王立協会に提出
 1671-76 ペティ『政治算術』執筆
 1688 キング、イングランドの国民所得測定(キングの経済統計)
 1692 ライプニッツ、ドイツの神学者による「ブレスラフ市における年齢別死亡数の研究」を、イギリス王立協会に報告
 1693 エドモンド・ハレー(ハレー彗星の発見者)、ライプニッツの報告を元に『人間死亡率の概算』(生命表)作成(ハレーの人口統計)
 1741 プロシアの牧師ズュスミール、「グランドの方法」によって『その出生、死亡及び繁殖により証明せられたる人間種族の諸変動における神の秩序』執筆。
 1762 近代的生命保険会社エクィタブル社設立。保険料算定にハレーの理論を採用。

フランス確率論
 1654 パスカル−フェルマ、賭金の分配についての往復書簡
 1657 ホイヘンス、期待値についての論文
 1658? パスカルの賭(『パンセ』)、確率的意志決定理論
  ……I・ハッキングはここに確率は本来持つべき二つの顔(Janus-faced)を整えて現れる、とする。すなわち「信念の度合としての主観的確率」と「事象のチャンス(偶然)と関わりを持つ客観的確率」の二つである。
 1713 ベルヌーイ『推測法』(死後出版)、二項分布と大数法則を論じる。
 1718 ド・モァヴル『偶然の原理』、正規分布による二項分布の近似計算。
 1785 コンドルセ『多数決の確率に対する解析の適用』。「社会数学」。裁判官・陪審員による判決、投票による合意の合理性についての確率論。
 1812 ラプラス『確率の解析理論』、「ラプラスの魔」登場。古典確率論の完成、確率の社会的応用についての考察。
 1835 ケトレー『人間について』。自由意志による行動も大局的に見れば偶然的な撹乱要因にすぎず、多数事例を平均することで相殺されるとする、「平均人」の概念をもって、ラプラスの影響のもと社会物理学(社会力学)を構築をめざす。自由意志と決定論を「確率」でブリッジ。
 1869 ケトレー『社会物理学』。
 1876 ロンブローゾ『犯罪人論』。ケトレーの統計的決定論的犯罪論に強い影響を受け、イタリア犯罪学派、誕生。

ドイツ国状学
 1660 コンリング「諸国家に関する知識」初講義。ヨーロッパ諸国についての、四原因による「体系的」著述。その後、ドイツ各大学に「国状学」講座設立。カメラリスト(官房学者)の必須科目に。
 1741 デンマークの歴史家アンケルセン『文明国一覧表』。表派統計学。
 1748 アッヘンワール『ヨーロッパ諸国国家学綱要』、国状学を「統計学」と呼ぶ。ゲッチンゲン学派。
 1810? リューダー『統計学批判』。表派統計学(政治算術亜流)とゲッチンゲン学派(国状学)の対立、ピークに。

統計作業
 1790 アメリカ国勢調査(世界初のネイションワイドの人口センサス)、下院議員数及び直接税割当のために行なわれる。
 1801 イギリス、フランス国勢調査。
 1846 ケトレー、ベルギー国勢調査を指揮。
 1851 ロンドンで第一回万国博覧会。ケトレー、世界の統計学者に国際的基準統一を呼びかける。
 1853 ブリュッセルで国際統計会議。ケトレー、議長に。

ドイツ社会統計学
 1864 ワグナー『一見恣意的に見える人間行為における合法則性』。若きドイツ・ケトレー派が書いたこの書に対しての反論を直接的契機に(内実はケトレーの決定論的犯罪論に対する哲学者、神学者、倫理主義者の反論)、意思自由論争が開始される。ドイツにおけるケトレー統計学の隆盛とその反動。
 1895 エンゲル(ドイツ・ケトレー派)、エンゲル係数についての論考を含む『労働の価格』。
    リューメヒン
 1898 マイヤ、ミュンヘン大学教授に。