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政策作成マニュアル
2000.12.15追加
道具箱3:
交渉の仕方
交渉はいたるところ、いたる場面で必要となる
 政策案が一応でき、それをどことやらへ提言・要求しなければならない場面ではもちろんのこと、仲間を集めたり(リクルートメント)、情報を集めたり(調査)、資金をあつめたりといった場面から、イベントの出演依頼や間内でのトラブルシューティング(もめ事解決)まで、いろんなところで交渉は必要になります。
 本当の交渉は、美辞麗句の並べ立てや詐欺まがい・二枚舌まがいの巧言でもなければ、脅迫でも懐柔でもありません。むしろ、プライドや感情、目先の利益や自分の既得権に縛られ「ケンカ別れ」に終わったり、どちらも自分の提案に固執して仕方なく「足して2で割る」妥協案に泣くことを避け、もっとましな案があることに双方が気づき、それをお互いの協力で創造していくプロセスなのです。その意味では、ミクロな政策づくりの側面を持っています。
TOP PAGE 0 何故、政策か? 1 ターゲットの設定 2 問題の分析 3 政策案の創案 4 政策案の選択 5 政策案の明確化 6 政策相関図(リンクマップ) 7 リンクマップの検証と評価 8 政策案の完成と発表
道具箱 調査の仕方(一般編) 調査の仕方(行政情報編) 交渉の仕方 ミーティングの仕方 # 参考文献・リンク集
ADVANCED 0 当事者性の政策術 1 政策資源の政策術 2 対案づくりの政策術

 
 
冷静になる必要と方法

 感情的になることは当の交渉を台無しにするばかりか、後にずっと悪い影響を残します。まずこちらの信用は地に落ちるでしょう。交渉相手はおそらく二度とあなたの話にのってこないでしょう。同じように、こちらも交渉相手に対する悪感情を拭い切れません。わだかまりは数年、いやもっと続きます。問題解決が達成できなかったのはあいつらのせいだ、とお互いが思い出すたびにそうつぶやきます。そのとおりかもしれません。ですが、何年も「あいつらがわるい」とだけ言い続ける活動ではダメだと気付いて、我々は政策提言をしようというのでなかったのでしょうか。

 交渉の目的は、相手をこき下ろすことでも、自らの正当性を高らかに叫んで満足を得ることでもありません。そんなことなら、ビラでも配って街頭でばらまけば用は足りるはずです。

 もっとも、交渉のプロセスのここかしこに、自分を、はたまた相手を、憤らせる地雷が埋まっているのも確かです。自分の方はそうしなくても、相手はぞんざいな物言いをするかもしれないし、こちらをさげすむかもしれません。(自分のことは棚にあげて)こちらの不実をなじってくるかもしれない。
 また、交渉相手が誠実な人物であるとは限りません。相手はあなたを怒らせようとしてくるかもしれません、安心させる裏側でだまそうとしてくるかもしれません。しかし相手がそうしむけているのなら、なおさら怒るのは相手の思う壺です。
 相手がわざとそうしているのでなくても、相手に合わせてしまうのは考えものです。相手が大声を出したからあなたも大声を出す、相手が脅しをかけてきたからあなたも脅し返す……、そうして大声や脅しは両者の間で往復する間に、どちらにもどうしよもうもないくらいに膨れ上がってしまうでしょう。

 では、どうするのか。

 交渉における最大のスキルが「終始冷静でいること」です。これができれば、かなりのレベル向上が図れます。逆にこれができないとなると、いかなる「交渉学」を学んでも、実践ではアタマが真っ白になって、結局は同じ事です。お互いに好きなことをまくし立て、あとで「しまった」と反省会にネタを提供することだけに「交渉学」の知識が生かされる、ということにもなりかねません。
 

冷静でいる方法−とにかく時間を空ける

 「冷静でいる」ための、もっともシンプルかつ有効な方法は、あの有名なジェファーソン・メソッドです。要するに

腹が立ったら10数える。それでもだめなら100数える

です。多くは、小話やジョークを通じてこの方法をご存じでしょう。
 繰り返しネタにされてきたところを見ると、チャレンジした人の多さと、失敗をめぐる悲喜劇の膨大さがしのばれます。要するに我々は、10まで数えきることがほとんど出来ません(実践されている方を心の底から尊敬申し上げたいと思います)。交渉においてはこういうことでしょう。我々を怒らせた原因は、まだすぐ目の前にあるということ、例えば10数えないうちに相手は繰り返し「口汚い言葉」を投げつけてくるかもしれない、ということです。

 つまり「時間をかせぐ」必要があります。

理由をつけて席を外す

のが(可能であれば)いちばんよいでしょう。言い争いは(普通は)誰しも避けたいところですから、お互いが熱くなったとき「少し休憩しましょう」と言えば、その申し出に相手が乗ってくる可能性は少なくないはずです。
 複数人で交渉に当たっている場合には、「少し今の話について、我々だけで相談したいのですが」という手もあります。「相談したい」は、ここにいない誰かを持ち出しても有効で、「大事な話なので、一度○○と相談したいと思います。このつづきは後日行いたいのですが」といった方法もよく使われます。
 逆に言えば、途中で席を外せない形で、交渉を行うことは避けるべきだということです。相手がそうした形で交渉の場を設けようとするなら、気をつけた方がよいでしょう。交渉期限や条件をきつめに設定し「今日ここで結論がでないなら、この話はなしです」といった追い詰め方もあり得ます。そうした交渉条件も、もちろん交渉の対象になります。理由を問いただし、交渉により有利な(少なくとも公平・公正な)交渉の場を用意すべきでしょう。

 仮に席を外せない場合(あるいは外したくない場合)はどうするか。相手にしゃべらせず、しかも自分にとっては「時間をかせぐ」やり方としては、

話を「巻き戻す」

という方法があります。つまりこれでの議論を、最初からひとつづつ確認していくのです。決して無意味な話で時間をつぶそうというのでない訳ですから、相手も邪魔しずらいことがひとつ。急ぎ足で議論を進めようとする(ひょっとしてそこには詐術がひそんでいるかも)相手に「ちょっとまった」をかけるのにも使えます。巻き戻して再生するのは、議論であって、相手の罵詈雑言や失礼な言い回しは無視するのはもちろんです。つまり何も数えるのは数字でなくてもいい訳で、議論自身を「数える」ことでジェファーソン・メソッドを実行しようというのです。
 「巻き戻し」のためには、メモをとりながら交渉を行うと便利です(複数で交渉しているなら、筆記役を決めておきましょう。彼は単なる記録係ではなく、いざというときみんなの熱を冷ますペースメーカーにもなり得ます)。メモは、議論の流れを確認し、客観視するためにも有効です。「えーと、そもそも何の話をしていましたっけ」。相手や自分の感情にではなく、議論の流れに集中することこそ、交渉の第一歩です。

冷静でいる方法−できるだけ公開する

 交渉のプロセスはできるかぎり公開すべきです。「フェアにやる」というばかりでなく、その方が確実に冷静な交渉を行えます。第三者の目があると、あまりバカなことで怒ったり声を荒げたりできなくなります。これは独善と独善のぶつかり合いを回避し、双方の身も心もそして交渉の内容も結果もボロボロにしてしまわないために、創造的な交渉を行うためには重要なことです。
 「冷静でいこう」と繰り返してますが、怒っていけない訳ではありません。喜怒哀楽は表現してもいいです。むしろヘンにガマンする方が大変だし、後に残るかもしれません。しかし、怒るなら怒りの内容、さらには怒り方が真っ当でないとダメでしょう。自分はもちろんのこと、相手も納得する怒り、怒りの内容、怒り方なら結構です。
 では恐喝と真っ当な怒りを区別するには、どうすればいいのでしょう。一番いいのは第三者の目です。自分たちだけの独りよがりでないかどうかのチェックにもよろしい。交渉に必要なのは、攻撃力より説得力です(言い換えれば「相手を恐れさせる怒り」ではなく「周りを納得させる怒り」です)。そのためにも第三者を意識する(ようにもっていく)ことは有効です。
 しかしあらゆる交渉が「公開」で行えるかというとそうではありません。ではどうするか。できれば、交渉のプロセスをビデオなりに記録しましょう。相手に対してのプレッシャーばかりでなく、自分たちにの自戒(プレッシャー)でもあります。後に残ることを意識するのは、第三者の目を意識することにかなり近いです。ビデオがだめなら録音しましょう。
 ビデオも録音もだめなら? そのときには、せめて自分の心の中でビデオを回しましょう。あたかも交渉プロセスを録画しているかのように、自分の声・言葉・身振りをコントロールしようと試みましょう。どこかでカメラが回っているかのように、交渉プロセスを眺めてみる気持ちになってみましょう。特に、交渉が白熱して「我を失い」かけた時には「交渉をまるで第三者のように眺める」。これはほとんど、交渉における最大のスキル「終始冷静でいること」と同じです。相当の高いスキルではありますが、ひるがえって「公開すること」は交渉者にそうしたスキルをまとわせる効果があるのです。
 

禁じ手:怒りのプロの「交渉」

「怒るな」というが、怒りを道具にして交渉を行う人も少なからずいるじゃないか、との声をあります。傾向と対策の意味で、ここでは、その筋のプロのやり方を、ほんの少しだけご紹介しましょう(あくまで禁じ手です)。
 

 1.「怒りのプロ」は無理難題を持ってくる。
 「怒りのプロ」の人も忙しいので、用もないのに来たりしない。「怒りのプロ」の人はお願いに来る。普通に実現できる「お願い」なら、わざわざ「怒りのプロ」して来る必要はないので、「怒りのプロ」が来るのは、「無理なお願い」をするためである。

 2.「怒りのプロ」は当事者でない。
 「お願い」の当事者は、「怒りのプロ」の人の友人だったり内縁の人だったりする。当事者は「お願い」する立場なので、それだけの「弱味」があって攻撃力が落ちる。「怒りのプロ」の人が仮に「当事者」であっても、そのときは別の「怒りのプロ」の人が攻撃を担当する。もちろん「当事者」もいっしょにやってくる。そうでないとまた「お願い」にならないのである。当事者はいっしょにきて、しかしあまりしゃべらない。「怒りのプロ」の人は「当事者」を代弁し、時折話の流れの中で、「当事者」に話をふったりするが、あくまでイニシアティブは「怒りのプロ」の人がにぎらなくてはならない。

 3.「怒りのプロ」は非を認める。
 「怒りのプロ」の人は、用向きを言う。しかし「用向き」は「無理なお願い」であるので、それが「無理なお願い」であることは真っ先に認める。当事者に非があるときは、先にそのすべてを認めてしまう。そうすることで応対者の反撃をあらかじめ封じる。なおかつ「非を認める」ことは、正しくて筋の通ったことを言うことであるので、応対者もそれを止めることができない。つまりしゃべりまくれる。これでまず話の主導権を握るのである。

 4.「怒りのプロ」は怒鳴る。
 「用向き」は「無理なお願い」であるので、応対者は「それは、これこれこういう理由でできません」と答える。「怒りのプロ」の人の台本通りである。ここで一発、「怒りのプロ」の人は怒鳴る。怒鳴らないと、いかに格好がそれっぽくても、「怒りのプロ」の人である感じがしないからである。「怒りのプロ」の人の戦略としては、まず応対者に「私は「怒りのプロ」の人である」ということを分ってもらわなくてはならない。どれほどわずかでも、応対者に恐がってもらわなくてはならないのである。

 5.「怒りのプロ」は応対者のいったことをまとめる。
 怒鳴られて怒鳴り返す訳にはいかないので、応対者はまた理をつくして説明する。説明するしかないのである。「怒りのプロ」の人はそれを聞く。「怒りのプロ」の人はプロなので、ちゃんと応対者がするくらいの説明は知っているのだが、この場では知らないことにしておかなくてはならないので、ちゃんと聞くのである。聞いて「おまえのいうのは、これこれこういうことやろ」と、応対者の説明をまとめる。この「まとめ」は、「怒りのプロ」の人の力量がでるところで、100%正解のまとめをしてしまう人もいれば、50%くらいしか的を得てない場合もある。多分いちばん効果的なのは80〜90%くらい、概ね正解なのだが違うところもある、しかしだいたい合ってるのでそれをわざわざ指摘するには及ばないだろう、という「まとめ」であろう。応対者は「そうです、その通りです」と言わざるを得ない。

 6.「怒りのプロ」は言葉尻をとらえる。
 こうして「説明」→「まとめ」がしばし繰り返される。その後、突然「おかしいやないけ!おまえ、さっき、こう言うたやないか!」と「怒りのプロ」の人は来るのである。「こう言うた」内容は、応対者が説明した言葉だけでなく、当然「怒りのプロ」の人がまとめた「まとめ」も含まれる。「まとめ」に若干おかしいところがあったとしても、それを指摘せずに先に進んでしまえば、応対者もそれを承認したことになり、承認したことなら「言ったも同然」なのである。もっというと、応対者が説明した事項でも、「怒りのプロ」の人の「まとめ」に含まれてなければ、それは「言ったことにならない」のである。「おれがこれこれこう言うたとき、お前『そうです』言うたやないけ」なのである。

 7.「怒りのプロ」は脱線する。
 「怒りのプロ」の人は論理的な矛盾や単なる言い間違いを逃さない。逃さないだけでなく、しつこく追及する。「『つもり』?お前、いま『つもり』言うたな。おう、確かに聞いたぞ。『つもり』って、何え?お前はそういう『つもり』かもわからんけど、そんなもん、俺には全然わからんやないけ。『つもり』いうのはな、『実際はそうでないのに、そうであるかのような気持ち』ちゅうことや。辞書引いてみ、ボケ。大の男がわざわざ時間さいて、大事な話しに来てるちゅうのに、お前『つもり』言うのけ!?そんないいかげんな、曖昧なこという奴に、大事な話ができるけ!」と、「つもり」だけで30分くらいやるのである。その間、本題に話をもどそうとしても、がんとして受け付けない。「『つもり』が先じゃ。1段がないのに2段があるけ!人間、何でコミュニケーションすんねん?言葉やろ!その言葉ないがしろにして、何で話が先進むんじゃ!」である。

 8.「怒りのプロ」は緩急つける。
 「怒りのプロ」の人も怒鳴ってばっかりではない。効果が逓減するし、第一本人がつかれる。怒鳴り続けたかと思うと、すっと声を押えやわらかく話し出す。「わしら、お願いに来てんにゃ。そんなけんもほろろにやられたら、どうしようもないやんか。わしらかて、何もええ事してるとは思てへん。悪いもんは悪い。払ってないんやから、ダメなのもようわかる。どないしようもないのはよう分るんや。そやけど、こっちかて困ってるんや。払いとうても払えんときが、人間あるやろ。そやけど、規則ちゅうもんがある。それは守らなあかんわな。そやから、何かええ知恵ないか思もて、こないして相談に来てるんや。わしらよう知らんしわからんけど、お宅ら専門家やろ。なんかええ手あったら教えてえな」ここで、また同じ説明をすると「お前、わしの話、何聞いとったんじゃ!」と怒鳴る。仮に「何かええ手」があったとしても、「何でそれを先言わへんねん!さっきからダメやダメやの一点張りやったんとちゃうんか!わし、そんなもん、お前から説明されてへんぞ。そやろ、お前、言うてへんやろ!」と再び怒鳴るのである。

 9.「怒りのプロ」はとにかくあやまらせる。
 さっきの「つもり」だと、とにかく「『つもり』と言ってごめんなさい」と言うまで追及する。いまのだと「すいません、言ってませんでした」というのを応対者が認めるまでやる。本題と何の関係がなくても、どんなささいなことでも、とにかく応対者にあやまらせるのが、「怒りのプロ」の人の大事な戦略である。どんなことでもあやまると、少しであっても態度が引いてしまう。隙ができる。それが「怒りのプロ」の人の狙いである。

 10.「怒りのプロ」はジグザクに攻撃する。
 本題→言葉尻を捉えて脱線→応対者が謝る→本題→言葉尻を捉えて脱線→応対者が謝る→本題……と、「怒りのプロ」の人は、ジクザグに進撃する。一度応対者が謝ると、「怒りのプロ」の人はほんのわずかでも陣地を増やしたことになり、逆に応対者はなくしたことになる。「怒りのプロ」の人は勢いを得、応対者は逆に勢いを失う。多分、人間と言うのは、そんなに数多く謝れないようになっているのかもしれない。5、6回も謝ると、「もうどうにでもして」みたいな感じになる。

 11.「怒りのプロ」は「上のモノ」を呼ぶ。
 「おまえじゃ、話にならんわ。上のもん、呼びいな。なんちゅう名前や」
 普通なら言わないのであるが、「もうどうにでもして」状態であるので、つい上役の名前を言ってしまうのである(名前を聞くのがポイントである)。これでとりあえず1面をクリアー。「怒りのプロ」の人は次のステージへ。

 12.「怒りのプロ」はくりかえす。
 で、上役が出てきても、「怒りのプロ」の人はおなじ攻撃をする。応対者にすでに謝らしている分だけ、最初から1ステップ進んでいる。

13.「怒りのプロ」は提案させる。
  「怒りのプロ」は自らは解決策を示さない。自分から示して脅して「このようにしろ」といえば、立派な脅迫である。あくまで「窮状を真摯に訴えた上で」、相手側がやむにやまれず出した提案に対して、「しぶしぶ妥協する」という作戦をとるのである。だからこそ、(例外的・裁量的な)解決策を示せる「上役」の登場が不可欠なのである。

交渉の前に準備すべきこと

 すべての交渉が、事前準備を許してくれる訳ではありません(交渉相手は、こちらの不意をついてやってくるかもしれません)。しかし、たとえ15分でも時間をとって、交渉の準備(事前確認)を行うべきです。ひとつは、人間なら誰でも弱点をさらすことになる「不意打ち」を避けるために。事前準備は、冷静かつ創造的な交渉の担保です。
 それともうひとつ、「何のために交渉するのか」を、つまり「その交渉では結局何を得ればよいのか」を確認するためにです。
 何をしたらよいか分からない交渉ほど、人を不安に陥らせ混乱させるものはありません(そしてそのような交渉事は少なくありません)。落ち着いて交渉にあたるには、当の交渉について確かな立脚点が必要です。
 複数の達成目標がちらついて、どちらの獲得に力を注げばよいかわからなくなって交渉の進め方について混乱してしまうかも知れません。また場合によってはその交渉は不必要かもしれません。また相当のエネルギーと時間を投入して交渉にあたっても、それで得られる利益は投下コストに見合わないものかもしれません。どこで進んでどこで退却するか、わからない交渉では、不安になってしまうのも不思議ではありません。

利害を確認する

 交渉にあたる双方には、それぞれ獲得したい利益や避けたい損害があります。そうした利害のために、我々も相手方も交渉を行うのです(当然です)。ところが、何が利害であるかについて、我々にも相手方にも、必ずしも明確になっている訳ではありません。特に「あいつらの好きにはさせん」といった感情が(表だって口にされることはありませんが)先に立っていると、自分にとっての利害はそっちのけで(つまり何の利益にもならない)交渉をはじめてしまいます。同じ組織内でも「足の引っ張り合い」という形でよく行われます。誰の得にもならない、それどころか組織の貴重な資源を食いつぶす非建設的交渉が繰り返し行われるくらいですから、異なった組織や立場の間ではなおさら「どちらの得にもならない/交渉に費やされる双方のエネルギーと時間が無駄になる」交渉は少なくありません。
 「たとえ無駄なあがきであっても、泣き寝入りはいやだ」。気持ちはわかります。もう誰もあなたに「交渉は冷静に」なんて言えません。そうなってはもう、交渉は「感情の爆発・ほとばしり」以外の何ものでもなくなってしまいます。

 政策作成マニュアルの「交渉の仕方」に戻るなら、やはり交渉は利害からはじまります(利害なくして交渉なし)
 利害のために交渉を行うのですから、何のために交渉するか、どこまで・どれくらいエネルギーと時間を投じて交渉を行うか、どんな場合に交渉をやめるべきか、はすべて「利害」を基準に判定することができます。
 相手にも利害があります。相手の利害を知ることが出来れば、相手が何を目指して交渉しているかがわかります。これは相手の「ひっかけ」を−交渉をうち切ると脅す、怒り散らして交渉をさせない、何が望みか自分では言わない、親切めかして妥協案も進めてくる等々を、より分ける基準となります。
 

  1. 利害は明確にするには「掘り下げ」が必要です。具体的には繰り返し「何故?」と問うことです。自分は何故それを望むのか?何故それを避けたいのか?→××だからだ→では、なぜ××でなければならないと思うのか?→……。本当は我々は何を望んでいるのか?何を求めるべきなのか?
  2. 利害はひとつではないでしょう。複数の利害をリストアップできたら、今度は優先順位をつけなければなりません。長期的・最終的に重要な利害を第1順位に、より短期的な・目先の利害はより低い順位が付けられるでしょう。
  3. 相手の利害を知らなければ交渉のやりようがありません。しかし、どうすれば相手の利害が分かるでしょう?一番よい方法は「相手の立場に立って考えてみる」ことです。これが完璧出来ればあらゆる交渉を成功させることができるでしょう。困難ではありますが、しかしできる限り常に試みなければならないことでもあります。相手が大切に思っているものはなんだろうか?相手が耐えられないことは? 交渉の過程で相手の利害がわかってくることもあります。リサーチを行い、できるだけ事前に知ればそれに越したことはないかもしれません。
  4. しかしご用心。相手もそのことを知っています。「ニセの利害」を情報として流すことは十分にあり得ます。もっとも我々の交渉相手は、多くは逃げも隠れもできないほど大きな図体(組織)を持っているものです。大きな組織のそれぞれの部署や担当者は、互いに絡み合ったそれぞれに違った利害を持っています。それ故に複雑ではありますが、「ニセの利害」で(足並み揃えて)ごまかすこともまた難しいのです。
 
BATNA−相手の合意なしに得られる最善策

 それでは、我々はどこまで交渉につき合うべきでしょうか。例えば、「この額以下なら、この家は売らない」といった「撤退ライン」を決めておくべきではないでしょうか。
 確かに「撤退ライン」は、ずるずる相手に譲歩する危険を、ついては交渉後に手にした結果について後悔することを、避ける効果があります。
 しかし、「撤退ライン」には欠点もあります。撤退ラインは融通無碍に動くものであっては役に立ちません。つまり厳格さを要求されるものです。そして場合によっては、この厳格さが徒(あだ)となります。
 おそらく「撤退ライン」法に見合った交渉方法は「脅迫」です。「このライン以下には絶対まからん」「だったらもうこの話はナシだ!」。脅迫は、古来もっともよく用いられてきた交渉方法ですが(なにしろこちらから何も提案しなくてもいい、必要な言葉は最小で2,3語(あと身振り)だけで済むのですから)、よく知られた欠点があります。交渉が感情的なものとなりがちであること、交渉後の人間関係に支障を来しやすいこと、そして交渉者それぞれが当初から持っていた観点に縛り付けやすいということです。最後の欠点については、交渉学の本では繰り返し紹介される小話があります。
 「二人の姉妹がオレンジをめぐって交渉した。テーブルのうえにはオレンジはたった1つ。長い交渉の末、二人は妥協し、オレンジを半分づつ手に入れた。そして姉はオレンジの皮をケーキに使い(半分になった実は捨てた)、妹はオレンジの実を食べた(半分の皮を捨てて)」。よりよい結果がありながら、最初の「オレンジを手に入れたい」ことにこだわるばかり、より劣った結果しか得られないことは実際の交渉でも少なくありません。
 「撤退ライン」はまた、恣意的に(しかもしばしば高めに)決定されがちです。今の姉妹の話で、二人の「撤退ライン」が「オレンジ1個」だったら、交渉は決裂し双方がオレンジを手に入れられないでしょう(これまた、もっと複雑な事例ではありそうな話です)。恣意的に(しかもしばしば高めに)決定された「撤退ライン」は、相手に受け入れがたいでしょう。双方が高い「撤退ライン」を持っているなら、交渉の成否は「相手を圧倒できるかどうか」にかかってきます。脅迫方式の採用です。

 BATNA(Best Alternative To a Negotiated Agreement)−相手の合意なしに得られる最善策をあらかじめ用意しておくのは、「撤退ライン」を決めるよりずっとよい方法です。
 まずあまりにも自分に不利益な提案・条件を受け入れることを防ぎます。BATNAと比べて不利益な提案は、受け入れる必要がありません、交渉相手が合意しなくても手に入るものの方がよりまし、ということですから。
 BATNAは、相手の合意なしに手に入るもののうち、最上のものです。BATNAをあらかじめ用意しない交渉者は、交渉が不成立に終わった後のことをあまり考えていません(まず交渉してみよう。万一交渉が不調だったらそのとき考えよう、ということでしょうか)。逆にBATNAを用意している交渉者は、交渉が不成立に終わった後のことを「考え尽くして」います。だからこそ、そのうちの最上のものと、交渉を通じて手に入るものとを比較することができるのです。
 加えて、「撤退ライン」とちがって、交渉者の観点をしばりつけません。交渉に登場するさまざまな案、たとえば金額としては思ってたよりも低いが他に有利なオプションがついた提案を、BATNAと比較して、よい/わるいをいちいち確かめてみることができます。BATNAを用意している提案者は、あらゆる提案に対して開かれているといえます。BATNAを用意すれば、より幅広い観点から課題を見ることができ、それを創造的な交渉の基盤とすることができます。
 BATNAを用意している提案者は、また交渉成立にこだわらないことで、交渉力を高めます。つまり交渉において有利なのは「別に交渉が成立しなくてもかまわない」方です。交渉成立に拘泥する方は、そのため妥協を強いられます。これらの点でBATNAは、交渉者に精神的余裕をもたらします。

選択肢−どれだけ多く広く考えておけるか

 まずい交渉者は、最初におもいついた作戦や選択肢にこだわってしまいます。よい交渉者は、あらゆる選択肢を考えます。交渉は相手を前にする以前に、どれだけ多くの、また多様な選択肢(オプション)をつくる時点ではじまっているといっても過言ではありません。
 さきの「オレンジの姉妹」の例は、オレンジ1個をどちらが獲得するか、という選択肢にこだわっていては到達することができないポイントに、最善の結果がありました。
 数多くの、そして様々な視点にたった選択肢を検討することで(それぞれを当方と相手の立場に立っていちいち評価する訳です)、交渉にあたる双方の利害や対立の構造が浮かび上がってきます。
 交渉において「妥協」でなく「創造」による解決を、つまり「足して2で割る」愚を避け、両方が満足できる創造的な案において合意にいたるためには、この作業は不可欠です。片方がもう片方を「言い負かす」のでなく、双方が納得できるwin-winな成果を得ることこそ、交渉の最終かつ最善の目標です。
 このプロセスには、政策案づくりと検討のプロセスが活用できます。少数のアイデアや観点にしばりつけられないためには、複数で考えること。時に同じ「理念」を報じる仲間内だけでなく、「外の人」や「素人」を入れて検討すること。諸条件を一端「白紙」にもどして、「そもそも」から始めることなどが有効かもしれません。

相手にも正義もあれば都合もある

 よく知らない相手について、我々が抱くイメージは「典型的」なものになりがちです。政治家は「政策」など考えてもいず利益誘導ばかりに興味を持っており、役人は前例に固執し自分のアタマで考えることができず、企業は利潤第一で人のイノチなのへとも思っていない。たまに「市民派」と名乗る/呼ばれる議員や学者がいて期待をかけると、大抵は思ったほどこちらの話に乗ってはくれず、やれ「かっこいいこと言っても所詮政治屋だ」「結局は御用学者じゃないか」と、評価は一方の「典型的」からもう一方の「典型的」へと移ります。
 相手が自分の期待や思いこみどおりに行動する(すべきである)と考えるのは、相手をモノかロボット扱いしていることにも等しい、かもしれません。まして信念を持って何事かを主張したりする人は(政策をつくろうという我々なども、もちろん含まれます)、口はばったい言葉ですが何らかの「正義(正しいこと)」を信じていている訳ですから、このままだとなおさら質の悪いことになります。自分の信念や正義に合致しない人々はみんな「悪」だという決めつけです。我々は社会や世の中全体のことを考えているというのに、こいつは自分の保身や利益ばかり守ろうとする利己主義者だ、とこれまた「典型的」なのがでてきます。
 自分にばかり「正義」があり、相手には「都合」しかないと見なすのは、あまりに一方的です。実践的には、それでは交渉が成立しません(せいぜいが自分の主張をぶつけて、うさばらし、が関の山でしょう)。
 そもそもなぜ「交渉」が必要なのでしょうか。
「正しいこと」を主張しさえすれば、万人がそれを認めるというのではあれば、「交渉」は必要ありません。
「交渉」が知恵を持ち寄り議論を通じて行われる交渉者間の創造行為であるというのは、我々にとってはむしろ望むところです。我々は、国家官僚であれ市民団体であれ誰かがどこかで「こうするのが正しい」と決めてかかる政策形成のあり方に疑問を感じて、このマニュアルをはじめました。「政策案」づくりは、実際のところ、政策づくりのほんの端緒にすぎません。それをひっさげ、さまざまな議論や「交渉」をつうじて行われるプロセスが、政策づくりのむしろ「本番」と言えるでしょう。
 
相手から多く学べれば、それだけ高い合意に達する

 交渉が有意義なものになるためには、相手を知ることが不可欠です。相手を知ることができるもっとも有効な場面が、交渉それ自体です。その意味では、交渉では「どれだけ有効にこちらの主張を相手に伝えるか」よりむしろ「どれだけ多くを相手から引き出すか」が重要になります。たとえば相手から「アイデア」や「都合」や「正義」など、なるだけ多く引き出せれば、それだけ豊かな選択肢をつくることもできます。豊富な選択肢が、よい交渉に必要なのは前述したとおりです。
 相手の話を聞く用意がないのに、交渉は行えません。このことは立場を入れ替えてみるとよくわかります。たとえば、すべてが決まってから「交渉」にやってくる役所の人間が少なくありませんが(もちろん彼にも「都合」−役所の意志決定システムがそうなっている−があるのでしょうが)、市民や住民側としては、これでは交渉にならないとすぐわかるでしょう。
 
 相手から学ぶべき事は数多くあります。
 まず相手は誰であり、何者なのでしょうか。我々が知りたいのは「性格」といったものよりもっと具体的な何かです。たとえば

  1. 今回の交渉にあたって、何をめざし何を避けようとしているのか(利害)。
  2. どんな制約条件の下に置かれているのか。
  3. 何をどこまで知っているのか、何を知らないのか・気づいてないのか。
  4. 何をしゃべることができて、何には触れられないのか。
 「性格」と同様、信頼できるか/できないか、はあまり重要ではありません。というべきか、その二分法ではあまりに荒すぎます。
 相手が誰であり、何者であるかは、実のところなかなかわかりません(身の回りにいる人のことを考えれば、そんなものであることがわかります)。また「どんな人物であるか」わかったとしても、あまり役には立ちません。相手を知るプロセスはむしろ、「決めつけ」から解放されるプロセスとして重要です。「決めつけ」からいくらかでも脱することができてはじめて、信頼なるものが登場する可能性が生じます。

 物事がうまくいかない時は、大抵の場合、誰かの不誠実をなじるよりも、不明な点を明らかにしようとする方がうまくいきます。

 両者が問題にする事項について、相手はこちらとは違った見解を披露するかもしれません。ちがった主張を行うかもしれません。これらは論破の対象である前に、学ぶべきものです(言葉尻をつかまえて批判したり、大声で相手の発言を萎縮させるなんてもったいない!)。

  1. 相手が教えてくれる「違った見解」は、我々の見方を広げる可能性があります。
  2. 相手の主張の寄って立つところ(問えば相手は必ず答えてくるはずです)は、新たな情報源や気付かなかったロジックを提供してくれるかもしれません。
  3. 相手がどんな基準を採用しているかわかるのも重要です(その基準に基づいたこちらの主張なら、相手は聞かざるを得ないからです)。
もちろん言い逃れやごまかしを行っている可能性だってあります。だとしても、根拠やオリジナルのデータまで細かく聞き出して、あとで批判すればよい話です(その過程は、我々の大きな知的財産となります)。結論を急がせたり、幕引きをせかしたりする場合だけ、しっかり拒否しましょう。
 

聞かないから相手は「繰り返す」

 もちろん我々の交渉相手は、資料や情報をあらかじめ集め理路整然と主張してくる人物ばかりではありません。感情にまかせ、話もあっちこっちに飛びながら、同じ事を何度でも繰り返す人を相手にしなければならないことも少なくありません。
 しかし相手の主張の全容をすぐには理解できなくても、いくつかのことは確かです。まずその人は何か問題を抱えているということ、それはおそらく当人としては納得しがたい事態であること、そして「あなた」に何か期待していること、などです。
 相手の話を遮らないことです。相手が間違いを述べてもすぐには修正せず、侮辱されても聞き流します。話がとぎれたら続きを静かに促します。そして本当に話を聞くことに専念します。
 交渉をする時は、どれだけ有効な言葉を発することができるかに気を取られ、相手の話をあまり身を入れて聞かない場合があります。両者がそうであれば、「相手に自分の言葉が通じなかった」ことを悟って、どちらもが何度でも自分の主張を繰り返すことになります。話は文字通り「平行線」です(それどころかヒートアップするかもしれません)。どう答えようかにアタマをめぐらせるよりも、相手が何を伝えたいかに集中する方が、結局は時間は節約できます。相手が落ち着かない限り、話はできないのですから。
 ここでもあの格言は有効です。すなわち「有能な交渉者は、誰もが語る何十倍もの話を聞く」。
 

交渉相手も「誰か」を説得しなければならない

 目の前にいる交渉相手は一人の人間であっても、その後ろに多くの人間が控えている場合があります。人間はさまざまな関係から独立して存在している訳でもなければ、そうした関係から離れて意志決定できる訳でありません。組織の人間と交渉する時はなおさらそうです。
 彼に窮状を伝えても、彼はつらそうな顔はしてみても、決してYESとは言いません。彼は前例と規則にのみ従う感情のないロボットなのでしょうか。いいえ、彼はその窮状を理解し、なんとかしてやりたいという気持ちは持っているのですが、そのために上司を説得できる理屈を欠いているので、板挟みになっているのです。困っている人はなんとか彼にその窮状を理解させようとして、盛んに自分が陥っているトラブルや困難さを示しますが、彼が欲しいのはその人を助けることを正当化できる理屈なのです。

 我々の目標は、相手にとにかく「YES」といわせ、「おまえ、あのときこういうたやろ」と「言質」をとることではありません。相手を納得させるだけではことは足りません。究極には、相手を「説得者」にしなければ、目標は達成できないのです。相手側の事情は、もちろん相手こそが一番よく知っています。だからこそ(無理矢理にでも)、相手と協同で「考える」ことが必要なのです。
 

関係を「少し」だけ変えてみる

 膠着に陥る論争や交渉事は、(そして多くの論争や交渉事がそうなのですが)、1.まず自分の権力(やコネ=他人の権力)に頼って物事を解決しようとする。 2.それでだめなら自分の「権利」を主張しはじめる;といった順序を辿ります。こうして敵対的な関係が深まり、決着は「決裂」か片方の「泣き寝入り」のいずれかになります。
 言うまでもありませんが、相手にとっては交渉に挑むあなた(我々)だって「典型的」です。議員にとっては私利私欲の塊の、息子の大学入学なんか世話して貰おうとやってきた「典型的な」陳情型市民に見えるかもしれません。役人にとっては、怒りにまかせて自分の権利ばかり主張する「典型的」な住民エゴ市民なのかもしれません。……と、事実そうでないのに、そんな風に思われたら誰だって腹が立つでしょう。そしてそこで怒れば、かえって「典型的」な何かを演じてしまう(少なくとも相手にはそう受け取られる)ことになるかもしれません。こんな風に、無意識な期待や思いこみが、目の前の相手をその「期待や思いこみ」どおりの人間にしてしまうことがあります。相手を「典型的」な人間と「取り扱う」ことで、ほんとうに「典型的」な人間にしてしまうのです。
 人の話しぶり、立ち振る舞い、あるいはその見方捉え方ですら、「関係」に依存します。そして我々と交渉相手の「関係」を変えることは容易ではありませんが、交渉の目的は実はそこにあります。そして我々と交渉相手の「関係」が変わる可能性があるとすれば、我々からの「関わり方」をまず変えてみることです。
 
 
 
 
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