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■本学当局は深く反省し、学生に謝罪するべきだ■
一月十六日に東京高裁が下した名簿裁判の判決は、本学当局の犯した反社会的行為を厳しく指弾する画期的判決である。本学当局はこの判決を真しに受けとめ、深く反省し、その責任をとるべきだ。
今回の判決においては、当局がプライバシー保護に関する学内規則を無視して秘密裏に警察に名簿を提供したことをとりわけ強く批判している。これは、大学自治・学生自治を平然とふみにじって、学生の人権を軽視し、民主的諸権利を否定する当局の姿勢を高裁が痛烈に指弾したといえよう。その意味で、九四年の奥島総長就任いらいの本学当局が学生自治活動を破壊するために治安弾圧を狙う警察権力とゆ着を深めてきたことが今回の事態の元凶となっているのであり、奥島理事会の責任が厳しく問われている。
じっさい今回の事件以外にも当局は、文化団体連合会に対しては、教員を使って脱退をそそのかし、学生自治組織そのものを破壊しようとしてきた(団結権の侵害)。新学館においては監視カメラとカードキー・システムで、誰がいつどのように部室を利用したのかを当局が本人に無断で掌握している(プライバシー権の侵害)。そして何よりも、本会に対しては、ありもしない「早稲田祭プログラム広告費横取り」を口実に公認を取り消すばかりか、配布の妨害、広告企業へのイヤガラセなど、言論・表現の自由をあからさまに侵害してきたのが奥島総長主導下の本学当局だった。学生からの批判の声を封殺しつづけてきた奥島当局の腐敗の極点こそが、警察との黒いゆ着ゆえにひきおこされた名簿提供事件である。
また同時に、この判決が社会的にも意味するところは大きい。本学当局はみずからの定めた「個人情報保護規定」すら投げ捨て、プライバシーという諸個人の人権よりも、「要人警護のため」と称して、大学や警察が国家的利益と判断するものを優先してきた。しかし、本判決においては、プライバシーの権利として自己に関する情報の開示について本人の同意の必要性を重視し、当局のような考え方を否定している。
今通常国会において、「テロ対策」という名のもとに、有事立法が策され、国民の基本的人権を制限して戦争に動員しうる法制度が構築されようとしている。あるいは、警視庁が顔貌によって人間を特定する路上監視システム(IRシステム)を導入するなど、国家による国民監視が強まっている。このような社会状況のなかで下されたこの判決は、国家的利益の前に個人の人権を制限してしかるべきという考え方にもとづいた治安弾圧の強化に警鐘を鳴らすものとして画期的意義があるといえよう。
本学当局は、いまや政府による戦時体制づくりに組みしているとさえいる。じっさい本学当局は、昨年十一月にアジア・太平洋研究センター主催で開催した「国際テロにどう立ち向かうべきか」と題した講演会において、日本の戦時体制づくりを尻押しする主張を展開した。これは、戦前国家権力によって「学問の自由」が蹂躙されたという苦い教訓の上に築かれた、「大学自治」という理念すらもみずからふみにじる実に由々しき事態にほかならない。今回の判決で学生の人権を官憲に売りわたした当局の姿勢を指弾されたことの意味は重い。
だがしかし奥島当局は、一月十六日付の告示においてみずからの非を一切認めずに、「名簿提出の正当性を認めながらも、大学の主張を一部認めなかったことは極めて遺憾」などと恥知らずな詭弁を弄している。しかし、当局が判決において「名簿提出の正当性を認め」られたかのように押しだしていることじたいが黒を白と言いくるめるものである。判決では、当局の主張をことごとく否定し、当局による名簿提供を「プライバシーの権利を侵害する好意に該当する」と認定している。しかも「違法性阻却事由」、つまり違法性を問わない事情もないと断定されているのだ。したがって、当局の弁明の余地は一切否定されたというべきであろう。にもかかわらず、当局は奥島理事会の責任追及をかわすためにのみ、上告を策してさえいる。こう態度は決して許されるものではいない。
今回の判決で指弾された本学当局の反社会的行為の、その責任はすべて奥島総長はじめとした現理事会にある。本学の当局者はみずからの責任の所在を明らかにし、出処進退を明確にすることこそが求められているのではないか。
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