■書評『茶色の朝』


 昨年十二月に日本で発刊された本書を、遅ればせながら手にとった。
 原本は一九九八年、フランスで出版された。八〇年代以降仏国内で勢力を伸ばしはじめた極右政党国民戦線が、同年の統一選挙で躍進。著者フランク・パブロフ氏は、これと協力関係をとり結ぼうとした保守派の動きに抗議するために本書を出版した。そして二〇〇二年。仏大統領選の決選投票にルペン・国民戦線党首が臨むことが決まった直後から本書は爆発的に読まれ、ベストセラーに。かつてナチス・ドイツに侵攻された歴史を持つ欧州の人々にとって、初期のナチス党が制服に使っていた茶色はナチズム、あるいはファシズムの象徴なのだという。このわずか十一ページの寓話は、全欧州で擡頭する極右運動への人々の危機感を覚醒させたのである。
 …主人公はある日、友人に彼の飼犬だった黒色のラブラドールを安楽死させた、と告げられる。主人公が白地に黒のぶちが入った猫を処分したのと同様に。毛が茶色以外の犬猫を飼ってはならないという法律を政府がつくったからだ。街には自警団がつくられ、毒入り団子が無料配布される。主人公は胸を痛めるが、人間のどもと過ぎれば熱さも忘れるものさ、と呑気に構える。そのうち、この法律を批判する新聞が廃刊に追い込まれ、この新聞社系列の出版物が街中から強制撤去される。あらゆる言葉に「茶色」という修飾語を織り交ぜ友人と会話をするようになる主人公。やがて「茶色に染まること」に違和感を感じなくなっていく。ある日、お互い自分からすすんで飼いはじめた茶色の犬と猫とを見せあいながら、二人は笑い転げる。「街の流れに逆らわないでいさえすれば」「茶色に守られた安心、それも悪くない」と。だが、「快適な時間」を過ごしていたはずの彼らに、突然「国家反逆罪」のレッテルが張られ−−。
 「私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描き出して」いる。東京大学大学院教授の高橋哲哉氏は、本書への「メッセージ」のなかでこう述べている。そして氏は、この物語は日本にも無縁ではない、主人公たちが「茶色」を受容していく時に持ち出すさまざまな「言い訳」と似たような理由をつけてその都度「流れ」を受け入れているじゃないか、と警鐘を打ち鳴らす。そしてこう結ぶ。「やり過ごさないこと」「思考停止をやめること」が必要だと。
 ついに日本国軍隊がイラクの軍事占領を米英とともに担うためについに足を踏み入れたいま。私は、たくさんの人が本書を手にとって、この日本社会も「茶色に染め上げられ」てんだと感じてほしいと思う。それは非常に大きな一歩であり、心有る者の前提である。
 同時に私は、では私たちはこの寓話から何を紡ぎだすべきかと考えた。おそらく多くの日本人は、高橋氏の解説がなければ、この寓話を「読めない」だろう。まず私は、パブロフ氏と私たちとの歴史感覚、身体感覚の違いに驚愕した。確かに、イラク戦争とは何だったのかを問う声はここ日本でも皆無ではない。しかし、その多くが国家権力の命令を己の使命とする軍隊に対して「殺すのも殺されるのもダメ」と哀願するものだ。ここからこの寓話に匹敵するものを生み出せる人間がどれほどいるだろうか。この一事に、日本にある私たちが感じ考えるものの浅薄さと軽さを発見し、ずきんと胸が痛むのだ。なぜこんな社会になっているのか。この痛みから私たちははい上がるしかない、と思いを新たにする。
 本書を読んで前が開けるものを感じるのは、パブロフ氏の思いに反するだろう。氏は、イラク軍事占領の当事国の国民である私たちに重い宿題を突き付けた。この宿題にどう答えるかを模索する道程に一歩足を踏み出すことが、私たちには問われている。(晴佳)


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