
(2004/2/25)
上祐獄中書簡 (96年暮れごろ書かれたといわれている)
【資料提供:語呂つき氏】
最近の尊師公判での出来事によって、動揺している信者がいるのではないかと思い 心配しています。尊師を強く批判する(元)高弟や、尊師が退廷させられた件(尊師の言動 が教祖らしくない、ふまじめ、狂っていると報道された)によって、疑念が生じたりしていな いでしょうか。それについては、私は次の通り考えていることを伝えていただきたいと思い ます。
まず、尊師のご説法にある通り(尊師ファイナルスピーチ 1 p.195)、全ての出来事は カルマの法則にのっとっていて、良いことも悪いことも心が生じさせており、すべて心の現 われである、というのが仏教の根本法則です。つまり私達が何を経験するかは私達の中 にその因があって、外にはないということになります。
今や日本中の人が尊師を知っていますが、私たちには偉大なグルとして映った人が、 凶悪犯の教祖として一般の人には写っています。この違いもすべて、カルマの法則による ものです。つまり過去世から尊師をグルとしてきた人、真理を肯定してきた魂は、尊師が 偉大なグルと感じられる経験をしますが、悪業多き、真理を否定してきた魂は、そういう 経験をする機会がないのです。そして、今はカーリー・ユガの時代であり、大半の魂の カルマは大変悪く、彼らが尊師と接するマスコミ報道や公判においては、彼らのカルマ に応じた尊師が映し出される、生じるのです。
すると何故高弟になる程のカルマを持った弟子達が、一転して尊師を批判したりする のかという疑問が呈されるかもしれませんが、これは彼らの有しているカルマが単一では なく、色々なカルマが混じっているからであって、やはりカルマの法則にのっとった現象な のです。
弟子のカルマについて言えば、過去世においては尊師をグルとしたいわゆる「順縁」 の生ばかりではなく、例えば敵対関係であった「逆縁」の生もあるのです。そして、逆縁 という形で縁が生じ、それをきっかけにして、その後弟子という順縁に転じていくという プロセスが重要な救済方法の一つとさえ言うことができます。
そのよい例がサキャ神賢(お釈迦さま)に対抗したデーヴァダッタですが、過去世におい て王として、当時修行者だったサキャ神賢を殺すなどの逆縁を形成したデーヴァダッタは サキャ神賢が真理勝者の生では、高弟となり、その後過去世のカルマで神賢と敵対し、教 団分裂を引き起こし、地獄に落ち、そこで神賢に心から帰依することを誓い、再び修行者 に生まれ代わることができたというプロセスをたどっています。かなりの高弟となって敵対 したところや、神賢が堕落した、煩悩的なったと批判したところなどは、現在の状況とそっく りですね。
逆縁による救済についてお話しますと、尊師は私に「“被害者の会”(注・現在は「オウム 真理教家族の会」)の親たちは未来際、私の弟子となるだろう」とおっしゃったことがありま すが、尊師によると親たちは尊師を強く憎んでいるが、その結果尊師に強く集中している ため、尊師とのデータ交換が、すなわち縁が生じ、来世に真理に導かれるそうなのです。 もちろん、憎しみではなく帰依心を持って集中することができればベストなのですが、何の 集中もなければ何の縁も生じず、最悪なのです。よってサキャ神賢は「縁なき衆生は救済 できない」とおっしゃったのです。それでチベットのタントラ経典の中には、真理と縁を作る ために(他に手がなければ)菩薩に対して石を投げて逆縁を作れという教えもあるくらいで す。
この逆縁というのは、多くの弟子にみられるもので、今裁判で敵対している弟子が特別 なわけではありません。例えば帰依の見本のようだったマンジュシュリー正大師も、過去 世において尊師に対し刺客だった生があり、また、これまた帰依の強いミラレパ正大師が 尊師の敵軍の将であり、その戦いをきっかけとして帰依するようになった話は有名です ね。私も、その生で、敵軍の子供で、その戦いで親が戦死するといった意味で逆縁を形成 したのです。(その後尊師に引き取られ、育てられた面、順縁もある。)
こう言うと逆縁のカルマはかなり多いのですが、救済とはそもそも汚れた欲界で行なわ れるものであり、特にカーリー・ユガの時期の救済は社会全体が汚れているため、順縁を 使った救済は効果がとぼしいのです(尊師ファイナルスピーチ4 (サマナ用) p.288参照)。 その一方で、救済者は汚れた社会に妥協しませんので、そこで多くの魂と対立的関係、逆 縁が生じます。そして、その後、逆縁を使いながら救済していくのです。もちろんこの対立 も人々のカルマの現われ、過去において真理を否定する等の悪業がなければ生じないの です。
このように、菩薩の救済活動は、救済される側のカルマに応じて、尊敬すべきグルや、 憎むべき敵、軽べつの対象等に菩薩を映し出しながら、順逆の強い縁を結んで進んでい きます。ここで大切なのは、菩薩がどのように映るかは、人々のカルマに応じて現れた幻 影であり、菩薩の実態は透明で広大な四無量心以外の何物でもないのです。それは、逆 縁によって一時的に失われる安定、名誉、権力、等々には全く頓着せず、ひたすら救済の 成功を求めている心です。
尊師が公判初日に、「私は逮捕前も後も絶えず、一つの心の状態(四無量心)で生きて きました。・・・ 今の心境は聖無頓着です」と言われたのは、尊師の実体を表していらっし ゃいます。尊師を敵対している弟子が、具体的にいつのカルマによって敵対しているかは まだわかりませんが、私たちがまず理解すべきことは、高位の菩薩の救済活動において は、逆縁が形成され利用されることなのであり、よって現在、私たちが動揺すべきことでは ないのです。ノストラダムスの予言詩の中にも、「十字架の半神が様々の闘争によって狂 気の様子から一つのものに(闘争の形を取りながら、最後に聖なる実体を現わす)」という ものや、「多くの信者が真理の法則を汚す・・・その時神秘的資質のものは艱難を受ける」 といった予言がありますから、現在の敵対関係は予言の成就でもあるのです。
さて、私たちが今の状況、情報によって疑念を持つことがあるとしたら、どうしたらよい のでしょうか。疑念は観念によって生じます。つまりグルはこうあるべきだこうあってはなら ない等々の思い込みです。そして、グルに関する情報がその思い込みに反していると、疑 問が生じるのです。よって同じ外からの情報があっても人によって、疑念が生じたり生じな かったりするのです。つまり疑念もカルマの現れです。
そこで、まず第一に修行によって疑念や外的情報を超えた経験をしてみたらどうでしょう か。つまり、私たちが尊師を意識したり、観想したり、伝授された修行を行ったりした時、私 たちが煩悩が弱まったり、エネルギーが上昇したり、意識状態が高く透明になったり、経典 上の体験をしたりするなら、いかなる外的情報があったとしても、尊師は真理、聖と言える のではないでしょうか。私たちが死んだら、マスコミも観念もついてこないし、助けてくれま せんが、聖なる意識状態は来世にも持っていけるし、高い世界の転生の決め手になる絶 対的なものです。
私の体験としては、尊師への帰依を強めようと意識するとき、よく透明で輝くブルーの光 を見ることがあります。この光は『色別恋人判別法』にある通り、「三宝に心から執着して いる」時に発せられるもので、私が尊師を三宝であると確信する一つの理由になっていま す。
第二に、私達は、自分達の真理の実践とカルマの法則にもっと確信を持つべきではな いでしょうか。カルマの法則によれば、聖なる弟子には聖なるグルが与えられ、聖なるグ ルは聖なる弟子が与えられるのですから、聖なる弟子は必ず聖なるグルと巡り合うので す。よくいう「類は友を呼ぶ」とはカルマの法則を表しており、似た者同士が集まるから、 六つの欲界が六つのカルマによって形成されるのです。
よく新興宗教にだまされたという話があり、現在のマスコミはオウムをそれらと一緒にし ていますが、それは間違っています。だまされる場合は、だまされる側にだまされるカル マ、 汚れたカルマがあるからですが、ほとんどの新興宗教は現世利益を説き、欲望の多い 汚れたカルマを持つ魂を集めるのです。
しかし、尊師は、オウムは、現世利益を説かず、汚れを捨て、解脱・悟り・救済を求める 清らかな魂を集めました。もちろん他の団体を経験した人もいますが、皆現世を捨て、厳 しい戒律のある出家生活に入ったということは、彼らの中心的カルマは清らかでないはず がありません。そして、極限の布施、奉仕と他に類をみない極限修行など、現在の世界で 最もハードな修行をしてきました。これはプライドでも何でもなく、私がインドや他の仏教国 を見た結果、考える事実であり、尊師のご説法にもあります。そして、多くの人が思い出し ているように、これは前生からのものでもあります。このように聖なるカルマを形成してい る私達が巡り合ったグルが聖でない、真理でないわけがないのです。それはカルマの法 則、全宇宙の王たるシヴァ大神とすべての真理勝者の説かれる絶対の法則上ありえない のです。このように、私達は、まず、私達の外にある情報ではなく、私達の内側の体験や 私たちの実践してきたこと自身を信ずべきなのではないかと思うのです。
第三に、観念の捨断、捨断のためのザンゲをすべきだと思います。あらゆる観念は私 たちが目指している真我=マハーニルヴァーナのものではありません。真我は広大な純 粋な光の世界であり、観念や思考といったものではないのです。そして、今生培った社会 通念や観念は、死んだら無効になる一種の幻影なのです。よって四念処で「諸法無我」、 諸々の観念(識別)は捨断すべきものとされています。つまり真我に到達する上で妨げに なるのです。観念を超えるためにグルに帰依したのに、観念によってグルを否定したら、 成就しないのはカルマの法則通りです。
しかし、十戒等の教えも観念ではないか、何故グルはそれを与えるのかという疑問が生 じるかもしれませんが、それは、最終的に一切の観念から離れるための過程において必 要な観念なのです。川の向こう岸に渡るために船が必要でも、向こう岸についてしまえば もういらなくなるようなものです。よって小乗や大乗から金剛乗と、修行レベルが高くなる 程、法則も非観念的になり、例えば小乗の戒律が必要なくなっていくのです。そして、グル が教学、グルが瞑想という教えが尊師のご説法にある通り出てくるのです。観念を超えて グルに帰依した代表例がナーローパでしょう。ナーローパのグル、ティローパは、当時乞 食で、付近の人は誰もグルと思っていませんでしたが、清らかなカルマを持つナーローパ は、観念に負けず帰依し、その後ティローパの与えた、生命さえ危なくする狂気じみた指 示に従い続け、完全解脱をしたのでした。ナーローパの帰依に比べると、私たちに求めら れている帰依など遊びのようなものかもしれません。
また、ナーローパの弟子マルパも、その弟子ミラレパに対し、酒に酔ったふりをしたりし て、支離滅裂とも、理不尽とも言える指示を繰り返し、ミラレパは疑念に悩みつつもそれに 耐え続け、最後は自殺をはかるほど苦しみましたが、これによって大半の悪業が取り除か れ、その生で完全解脱に至ったことも有名な話です。
苦しみながら帰依することは、悪業の清算となりますから、一生で解脱を目指すヴァジ ラヤーナ、マハームドラーの教えでは、一生という短い期間に悪いカルマを落とすため、弟 子は大いなる試練、苦境を与えられます。そこでそれを与えるグルに疑念を持たず帰依で きるかがポイントとなるのです。よって私達は今の逆境を喜びとすべきなのです。なぜなら 最速の解脱の道を歩んでいるからです。
さて、世の中の動きとしては、ある時点までは悪がはびこり、その後、善が強くなり、つ いにはキリストの登場、千年王国に至ると予言されています。この逆転は、もちろん予言 をなした、シヴァ大神やすべての真理勝者方の意思、祝福によって生じるのですが、その 予言において弟子たちはキリストを助ける重要な役割を与えられています。そして、そもそ も、千年王国の恩恵を受けるのが弟子たち自身であることを考え合わせるならば、私達が それにふさわしいカルマ、心を有すべく努力をすることは、現象を逆転させる上で極めて 重要であると言えないでしょうか。そして、それはもう目の前のことなのです。
私たちは今、帰依しにくい環境にありますが、それは過去のカルマによって生じた煩悩 や観念が邪魔している結果です。ですから、今帰依することは、私たちのカルマに打ち勝 ち、それを落とすことになり、以前よりはるかに強い帰依、ステージに至ることになるので す。尊師のご説法に、逆境の時の帰依は、平時の一万倍もの力があるというのがありま す。そしてこの強い帰依心、集中による思念の力が悪しき心の現われに打ち勝って、現象 を好転させるのではないでしょうか。つまり、すべては心の現われ、心が生じさせているも のなのですから、私たちの尊師をグルとして、キリストとして世の中に現わすことができる かは、私たちの心がどのくらい強く、尊師をグルとして、キリストとして信じ続け、それに基 づく帰依の実践をなすかが重要だと思うのです。そして、今の逆境は、その強い帰依心を 培う手助けをしてくれるのです。なぜなら、逆境でないときは煩悩は観念であっても、帰依 しているつもりでいられましたが、逆境よりそれができなくなり、ついには浄化され、真のグ ルへの集中、真の帰依が培われる機会を得るからです。
去年の三月二十三日、逮捕前の最後のご説法で尊師は次のように言われています。 「君たちは五感にとらわれてはならない。通常の思考にとらわれてはいけない。マスコミに とらわれてはいけない。・・そしてグルが居、偉大なる完全なる絶対なるシヴァ大神と完全 なる覚醒を達成なさったすべての真理勝者が存在していらっしゃることに確信を持つべき である」と。そして、逮捕となった時も、「今、修行をしています。結果が出るのは少し時間 がかかるでしょうが、すべては心の現われですから」とおっしゃったそうです。
チベットに伝わる有名な話として、仏陀への帰依の深い老女に、息子がただの石を、仏 陀ゆかりの聖石として偽って渡したところ、老女がその石に対して一心に祈りを捧げたの で、石に仏陀の加持力が宿り、本当の聖石となったという話があります。この話は、聖なる 心に対して、聖なる現象が現われ、神々の祝福があることを示唆しているのではないでし ょうか。
すべては心の現れ。未来は私達の心が生じさせるもの、言い換えれば、未来は私たち の心の中にあるのです。外側の情報や現世の観念にとらわれず、自分達の心に強い帰 依心そして救済のための予言の成就に対する確信を培おうではありませんか。
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