
(2004/2/26)
Lavender さんのオウム裁判傍聴記
五月25日(1998)の石井被告の公判を私も傍聴して参りましたが、私にとって心痛かったのは彼女 の子どもに 関すること、でした。妊娠後期の流産を麻原によって「カルマだ」と決め付けられる ことなどは言葉に絶するほど 残酷なことではと感じました。彼女が「死んじゃいましたので」 と精一杯証言したことばが今もって胸に残ってい ます。 「母性」というものは男性が感じることは難しいと思いますが…。 この日の公判は江川さんも傍聴されてい ました。
本日、5月29日に飯田被告の控訴審傍聴してきましたが、結審しました。判決は九月だ そうです。
彼女は思わず真っ赤なハンカチで顔を覆い、女性の弁護人が彼女の肩をなぜて慰めている のが印象的でした。 ピンクのTシャツ、白いジーンズ姿の彼女はとても37才とは思えず少 女のようです。どうしてこんなことになってし まったのか…とわたしも辛い気持ちになりま した。
運命と言うものはなんとも恐ろしく、そして任下男は運命の前ではあまりにも無力だからだ からこそ、人生の歩を 進めるときには自分の身の程を知等内ということは悲惨な結果になつ てしまうものでしょう。
思えば1980年代半ば、秘教サークルで「魂の救済」を求めていたわたしですが、世代、 そしてある意味では境 遇ともに彼女たちと似ているわたしにはとても辛いことでした。 わたしは秘教サークルでちやほやとアイドル扱い され、それが女性指導者に嫌われ、誹謗中 傷を流されてサークルを追い出されたという結果になってしまったの ですが…。 教の控訴審を傍聴して、わたしは14年前にある人にいわれたこと「神秘の道に踏み込む ときには常 に足下のまむし、蠍、そして偽預言者に注意せよ。」というこ言葉をありありと 思いでしました。彼女達は偽預言 者にとらわれてしまったのかもしれませんし、足下の蠍や まむしと言ったものから自分を守るということを忘れた のかもしれません。
しかし今からバブルに突入しようとする1980年代なかば、欲望扇動する大量消費時代 が訪れんとしている中、 なにかしら魂の純粋さなるものを守ろうとするためにはそのような 社会に復讐するようななにかオウムのような破 壊的なものになる必要があったのでは…とか、 あるいはオウムのようなものは現れるべくして現れてきたものと いう感じはわたしにもする ものですが…。
思えば、石井久子さん、飯田エリ子さんの公判を傍聴するということはわたしにとって 失われてしまったピュアな 宗教的を取り戻す過程でもありました。だいたい石井久子さ んにそっくりだというので有名になってしまったわた しが彼女の裁判を傍聴こと自体、 「馬鹿にしているのか」と言われるのではないかという不安もあり、かなり勇気 がいる ことでした。
既存の伝統的な、あるいはオフィシャルな宗教と言うものは多くが父権的でロゴス優勢で エロスに関しては省み ない傾向が多いものですが、時代は母性的、エロス探求的な宗教を 必要としているのではないか…という感想 も受けます。
真の導師は自分の中にあるものであり、神への扉も自分の中にあるものである…それがわた しが十余年前に 秘教サークルで追い出されてから痛感したものでもあります。 神より出でた「真我」は天使の姿になって、いかな る状況にあろうとも魂の双子の兄弟であ るわたしを見守ってくれている…わたしはそう感じることも何度もありま した。
(無題) 投稿者:Lavender 投稿日:05月31日(日)22時09分02秒
おそれながら再投稿させていただきます。
石井被告に冠しては、私の感想ではすべて真実を話しているとは思えない し、不自然、作為的と感じられる事も ありました。 林郁夫被告の供述を「嘘だとおもう。」と証言していましたし、林被告が嘘を 付いた理由に関しては 「林被告自身の自己弁護のためと推測される」と証言し ていました。そのことに関してはわたしは林被告のほう に同情しましたが、 クールダウンしてみれば、林被告自身も被害者や世間一般に謝罪するあまり、 旧オウムの 被告にに関してはある程度蔑ろになってしまい、無意識のうちに 責任転嫁してしまったという事もあったかも知れ ません。
いずれにしても「すべては神のみぞ知る」というところでしょう。
私は法曹関係は素人ですからなんともわかりませんが、自己弁護、自分にと って不利益なことを話さないのは 人間として自然の事でしょうし、また反対に なんでも素直に話してしまうことが却って他者の責任をなすり付けら れる事も あるのでしょう。
滝本先生の掲示にもあるように、麻原さんへの帰依を辞めたこと自体、途方も なく辛いことであり、このショックは 自分ににとって思い出したくないことは潜在意 識の自己防衛システムで一時的に忘却してしまったという可能性 もあると思います。 自分にとって不都合な事実を思い出すということは自殺したいほどの激しい自責の念に と らわれ、理性によるコントロールのキャパシティを超えて自我崩壊、精神分裂症状態 に陥り、以後自我再構築不 可能といった状態に陥る可能性もあるかもしれません。
その事から考えると、中川被告などがいまだ尊師に帰依せざるを得ないのも自我 の崩壊を何とか防ごうとする、 本能的自己防衛反応かもしれません。
石井被告の去年五月の意見陳述の様子に関してですが、 宗教的信仰の偽りを認めるということは失恋や入試 不合格などの比ではなく、そこ に何もかも信じられない闇と絶望の中であり、またみずから地獄へ落ちる事をも 受 入れなければならないことであったのかもしれません。また自分の中を駆け巡るさ まざまな思考や意思のう ち、だれが「偽りのグルのエゴイズムによるコマンド」に よるものか、それとも本来の自分によるものかの区別も 付かなかったという状態で あるのかもしれません。いわば尊師の意志にアクションするようなオペレーション シス テムを頭脳のハードディスクのなかから追い出し、心に自分のオリジナルの意 志にアクションするOSを再構築し なければならなかったのでしょう。
人間の本質たるものに関して、浅見定雄氏や高橋紳悟氏などの学者よりも海千山千の麻原氏 のほうが精通し ていたと言うことはみとめなければならない事実であり、人間そのも の社会の暗部を肌で生き抜いてきた人でし ょう。
考えてみれば、メシアとは最高の社会的地位でもあり、麻原さんのことを「あそこ 迄やってこそ男だ」と賛美する 人もいるのも事実であり、それもまた人間の本質である という事実であるということを受入れならないのかもしれ ません。
(無題) 投稿者:Lavender 投稿日:06月03日(水)11時33分25秒
石井さんの証言に関しては不自然で演技的であると感じた個所もありました。 しかし絶対的信仰と言う 精神的支柱の誤りを見付けたこと自体、無限とも思え る絶望の闇の中にある上体であり、嘘を付いてでも自己 弁護していく以外にど うしたらいいのか判らない状態では…と私は思いますが…。教団の内情でも本 人がまっ たく知らなく、逮捕後に始めて知ってびっくりした事、知っているの に知らなかった事にしたほうが都合のいい事も あったと考えるのが自然だと思 いますが…。
石井さんに対しては特に「麻原にだまされていたんだ、可哀想に、後悔し ているんだ、素直になって早く我々の 所に戻ってきて欲しい。」と期待し ている人が多いのにわたしも「やっぱり」と思いました。アイドルなので しょうけ ど、麻原さんもそのような心理を利用して石井さんをアイドルと して担ぎ上げたようです。アイドルとして期待をさ れた方はアイドルを演 じなければ自分が「期待を裏切ってくれて」と軽蔑とも悲しみとも付かな い表情で突き放さ れてしまうのではという不安の為に素顔を隠し続けなけ ればならず、これも辛いものです。 あくまでも弁護側証 言の中から察すると麻原さんは石井さんをアイドルと して教勢拡大のために利用したようです。そして石井さんの 人気がおおき くなり、麻原さん自身の権威に脅威を感じた事態で石井さんを幽閉したの では…と思います。証 言の中で石井さんが妊娠している事、子どもがいる事 を隠さなければ成らないので第一サティアンに隔離状態 で子どもの声も聞こ えないような防音装備がなされたという事でした。
私的なことですが・・・。飯田さんや石井さんは私の中学時代を思い出 させてくれました。 なんたって私は中学時 代、毎日家庭教師に夜の10時までつきまとわれ て、クラスメイトから引き離されてしまったのですから・・・。
滝本太郎弁護士ニューズウィーク記事へのコメント
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