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(2004/2/25)

 元オウムサマナ、メロン氏、オウムを語る--(2)-- 

--タントラ経典を中心に--


メロンさん、貴重な投稿ありがとうございます :カピラ : 9月19日(火)01時27分53秒

長文の書き込みをしていただいて感激しています。

>たとえ信者が還俗しても脱会しても神秘力が使えなきゃ、導き手として失格だと思いますけど。
>心の本質に到達させるのがグルの仕事ですから
>それを「自分だけの祝福の世界」に縛り付けてしまったのでは、意味がない。
>例えばチベット仏教では、いかなるグルであっても、解脱した心の境地は同じであって
>瞑想上、宗派同士でグルがケンカするはずがない、と考えてます。
>だから、パドマサンバヴァを観想しようが、ヅォンカパを観想しようが、
>あるいは実在のグルを観想しようが、本質的に同じで、何の問題もないと考えている。
>だけど、我々は二元論的思考にとらわれているから、
>例えば「自分はカギュー派の修行者だからグルヨーガでミラレパは観想できても、
>ヅォンカパは観想できない」とか、考えることがある。
>あるいは、「オウムの修行はできるけど、チベットの修行はそれより劣っててできない」とか。
>それは、大きな誤りというわけです。
>オウムの修行をやってて、そう誤解してしまう可能性があるわけで
>これは教義上の欠点といえるでしょうか。
>(なぜならこうした誤解は、弟子たちの煽りでエスカレートしたことも否定できないから)

このメロンさんのご指摘は、非常に参考になります。 私もこういうオウムの心の固さ、柔軟性の無さ、というものに、本来の仏教が持つと私が感じる心の軽やかさ の欠乏を感じて、何だか、窮屈な感じがするなと思っています。柔軟さというのでしょうか、 本来修行者は、その存在自体から滲み出るような慈悲の心、ヴァイブレーション、心の広さ、豊かさが、修行の過程で 自然に備ってくるのではないでしょか。。 それがオウムの修行を続けていると、どうしても他を排斥してしまいがちになってくるのではないか。 メロンさんの文章を読みながら、そういう感想を持ちました。 これはやはり修行方法に問題があるのではないか。 そういう心的態度になる根本原因は、やはり教祖を最終解脱者と規定してしまうところにあるのでしょうか。

>「具体性に固執」とはつまり、なんでしょうか。
>リフトンは「信者がこれを読んで、本当に自分の体を焼くヤツが居る」と言ってるの?(笑)  

そうは言ってはいないようですが(笑)、 この問題は、中沢新一さんが述べていますね。ナローパとティローパの師弟物語などについて、 グルと弟子との関係の物語を、オウムが悪用したのではないのか、と。この関係を文字通りに 解釈したのがオウムであると。そうではなく、ここで述べられているのは、師弟関係の本質を 象徴的な言葉で語っているのであり、弟子の心の自然状態というものの実現の上に悟りが 達成されるのであり、オウムの場合は、この心の自然状態とは反対のクローンとしての弟子に グルの悟りのデータが注入されるだけのこととして、解釈されていると。 こういう問題点をリフトンさんは述べているのではないでしょうか。 中沢さんは、「タントラ文献は、つねに自由で複数の解釈に向かって、開かれているものである」と 書いていますが、私も、こういう姿勢がオウムには欠けていたのではないかなと思います。 どうも頑なさというのか、固さ、柔軟さのなさ、こういうものを感じます。

タントラ経典。 :メロン : 9月19日(火)02時47分57秒

>この問題は、中沢新一さんが述べていますね。ナローパとティローパの師弟物語などについて、
>グルと弟子との関係の物語を、オウムが悪用したのではないのか、と。この関係を文字通りに
>解釈したのがオウムであると。

お、いきなり本質にいきますか?(笑)
実は、その通りなんですよ。オウム流ヴァジラヤーナが邪道に反れた原因として、 ティローパの伝記やナーローパの伝記にあった、とメロンも断言できてます。 あと、英訳されている一部の無上ヨーガタントラ経典です。 ウッタマーが、英語訳されてる伝記を、日本語に翻訳したんですよ。 メロンもそれを読める立場に居ましたから、読みましたけど すごいんですよね、あの伝記。メチャクチャというか。(笑) 例えば、ティローパが指をパチンとならしたら、彼の教えを聞きに集まっていた すべての群集が、ポアされちゃったとか。 もちろん、それはメタファーなんでしょう。 でも、麻原はそれを真に受けたような気がするんです。

メロンは結論からいうと、そういう高度な比喩(ムドラー)を用いた経典を 翻訳し出版したアメリカ人たちに、大きな罪があると思ってます。 カギュー派はアメリカでは大人気でしたから、当然この種の経典・伝記は 出版されるんですが、あまりにも勢いに乗りすぎた気がするんです。 しかも商業ベースが背景にあるわけで、教えの血脈を守るために 限られた者しか配布しない、というような配慮は、まったくない。

>そうではなく、ここで述べられているのは、師弟関係の本質を
>象徴的な言葉で語っているのであり、弟子の心の自然状態というものの実現の上に悟りが
>達成されるのであり、オウムの場合は、この心の自然状態とは反対のクローンとしての弟子に
>グルの悟りのデータが注入されるだけのこととして、解釈されていると。
>こういう問題点をリフトンさんは述べているのではないでしょうか。

なるほど。そうですね。これだと、よくわかります。 たしかに、グルのコピーとしての印象が強いですよね。 また、巷に出回っているマハームドラーの伝記とかも、誤解されかねませんよね。 中沢新一さんも、最初はどっちかというと、 こういう誤解されかねない書き方で、本を書かれていた気がします。 それがオウムにどれだけの影響を及ぼしたのかは、わかりませんけど。

>中沢さんは、「タントラ文献は、つねに自由で複数の解釈に向かって、開かれているもので
>ある」と書いていますが、私も、こういう姿勢がオウムには欠けていたのではないかなと
>思います。
>どうも頑なさというのか、固さ、柔軟さのなさ、こういうものは感じます。

たしかに、オウムは頑なですね。柔軟性が、まったくない。 どうしてなんだろう。

中沢さんが真に言いたいのは、たぶんこういうことなのでは。 つまり「タントラ経典は、ちゃんと灌頂を受けない者は読んではいけないよ」って。 普通は、資格ある修行者だけが、グルからタントラの灌頂を受けて、 様々な誓約を守りつつ、初めてその経典を、読むことができるわけですよね。 しかしそういう本来の特質を見落としてしまいがちな、出版のされ方というか タントラ経典を面白おかしく公開するみたいな方法が、 今まで少なくなかったと思うんです。 チベット密教研究者は、まずそれを反省すべきだと思う。

資質が伴ってない者がタントラ経典を読んで、どうなるか。 普通なら、タントラ経典の様々な比喩には、注釈がついているんです。 「ここの本当の意味は、××だよ」とか。 でもそれを知らない者は、タントラ経典を性ヨーガとしても使うだろうし 殺人肯定の根拠としても、使うかもしれない。そのまま受け取ってしまう。 オウムはチベット語で経典は読んでないんです。英語だけなんです。 だから、こうした全体から見ると一部の、しかも片寄った教えを 字面どおりに受けとってしまった麻原にも、 限界があったということでしょうか。 その意味でも、ティローパの伝記は、象徴的ですね。 あとアベルさんにはお伝えしましたが、麻原は自分を ナーローパの生まれ変わりだと、確信していたようでして(笑) そこらへんも、教団の転落と関連あるんでしょうかねぇ。

富士山ですね。 :メロン : 9月19日(火)04時11分28秒

>>入信してしばらくして、成就者が一気に出たでしょ。暮れでしたかねぇ。
>>「マハーヤーナ」の成就体験特集は、素晴らしかったです。
>>(白い表紙で、麻原が富士山バックに映ってるやつ)
>マハーヤーナNo11(1988年6月号)には、白いクルタを着た教祖と
>マハーケイマさんの二人が、
>微笑みながら富士山をバックに映っていますね。この表紙は、すごくいいですね。
>このころのオウムの勢いを象徴しているかのようです。
>メロンさんの言っているのは、これより後の号でしょうか。あんまり詳しいことは
>分からないのですが、

ご、ごめんなさーい。。成就記事号は、たしか真っ白(銀色)の表紙で 麻原の顔がモノクロで映ってるやつ(丹沢セミナーだかの写真)だったような…

富士山をバックに映ってる写真、いいですよね〜♪ ほんとに富士は、きれいでしたよ。 メロンは死んだら、あそこに埋めてもらいたいな。。。

>有名な元サマナで直接知っているのは、ナローパさん位でしょうか。
>ナーギタ師という方ともお話したことがあります。
>マハーヤーナの編集をされていた方ではないですか。

ナーギタはMAT(アニメ班)のリーダーでした。 成就後は、大阪支部に支部活動しに行ったんですよね。 某有名マンガ家(永井○さん)のアシスタントをやってた方だそうで。 もちろん、初期はデザイン・編集に居たこともありますが。

MATが出来たのは、たしか90年だったかな。 選挙中にも、マンガをたくさん出したでしょ。『マンガ滅亡の日』とか。 その後、アニメ班がデザインから独立するんですよね。 初めはみんな素人同然だったんだけど、だんだん技術もアップしてくるんですよ。 元MATのバッジダが、カナリヤのHPにアニメだかを描いてますね。(笑)

ナローパ師は、ホントに怖い人だったよぉー (泣) 肯定的に言うと、粋がいいっていう感じですかね。 静岡の生まれだったから。次郎長って感じでした( ← 意味不明) 還俗してたんですか? いつ頃? 

>この頃のマハーヤーナは確かに読んでいても、感動します。

なにせデザインは、オウムが誇る天才デザイナー、マハー・カッサパでしたからね。 カッサパさんが一番冴えてた時期じゃないですかね。 カッサパさんのお仕事よく見てましたが、ホント、天才的ですよ。 書道も抜群にうまいし。 そもそも、生き方・振る舞い・生活すべてが、芸術的なんです。 かっこい〜い、の一言。 91年以降は、カッサパさんがデザインから脱退しちゃいますから それ以降はもう書籍のデザインが、、、(以下無言) 編集も当時はカンカーレーヴァタやスッカー達が総力を結集してましたね。 文章も、内容も、そんなに稚拙じゃないですよね。 93年以降の書籍は、内容もデザインも、製本も、目も当てられないです。 実は、ここらへんが教団の転落に拍車をかけたんだと思ってるんです。 詳しいことは、またいつか。

タントラ経典について :カピラ : 9月20日(水)01時44分42秒

>中沢さんが真に言いたいのは、たぶんこういうことなのでは。
> つまり「タントラ経典は、ちゃんと灌頂を受けない者は読んではいけないよ」って。
>普通は、資格ある修行者だけが、グルからタントラの灌頂を受けて、
>様々な誓約を守りつつ、初めてその経典を、読むことができるわけですよね。
>しかしそういう本来の特質を見落としてしまいがちな、出版のされ方というか
> タントラ経典を面白おかしく公開するみたいな方法が、
>今まで少なくなかったと思うんです。
>チベット密教研究者は、まずそれを反省すべきだと思う。

タントラ経典を象徴の物語として読むことが出来る心の成熟が出来ていないものは 読むべからずということなんでしょうか。 確かに、理趣経なんていうのは、一般の人が読んだら、非常な誤解をしてしまう恐れが ありますよね。

>資質が伴ってない者がタントラ経典を読んで、どうなるか。
>普通なら、タントラ経典の様々な比喩には、注釈がついているんです。
>「ここの本当の意味は、××だよ」とか。
>でもそれを知らない者は、タントラ経典を性ヨーガとしても使うだろうし
>殺人肯定の根拠としても、使うかもしれない。そのまま受け取ってしまう。
>オウムはチベット語で経典は読んでないんです。英語だけなんです。
>だから、こうした全体から見ると一部の、しかも片寄った教えを
>字面どおりに受けとってしまった麻原にも、
>限界があったということでしょうか。

確かに、麻原教祖に悪用されたのではという感じがします。 そういう危険性があるから、メロンさんは、オウムは原始仏教というか、南伝の世界へ回帰せよと提言されているのですよね。 チベット仏教は魅力的なんですが、それを悪用してしまったんでは駄目だ。 「ダライ・ラマの密教入門」を訳された石濱裕美子さんも述べていますが、
「オウムの密教理解はまったく誤っている。チベット密教はチベット顕教の上に築かれたものである。 密教の修行は顕教の学習の後にしか許されていない。」
この指摘は私は共感するところなんですが・・・。

石濱さんの本。 :メロン : 9月20日(水)07時02分11秒

石濱さん曰く――
>この『カーラチャクラ・タントラ』はオウム真理教の教えに影響を与えた本である。
>何年か前、オウムがこの『カーラチャクラ・タントラ』を日本語に翻訳しようと
>していたことを聞いているので、これは確かなことである。

これは、本当です。英語からじゃなくて、原典(チベット語)から オウムは翻訳しようとしてたんです。 これは、ごくわずかなサマナしか知らない情報なんですが。 でもなんで石濱さんが知ってるかというと、 原典(根本タントラ)があまりにも難解だから(当たり前だけど) いろんな学者に、聞きまわってたんです。ホント、愚かですけど。 それでたぶん、W大学のF先生経由かで、話が伝わったんでしょうかね。

タントラには、まず「根本テキスト」(根本タントラ)があって 、 それに対して、大学者・大成就者たちが著した、膨大な注釈があるんです。 その両方を読まなければ、タントラは理解できません。 しかも、読むには必ずグルからの灌頂(講読の許可)を必要とします。 オウムがなぜ「カーラチャクラ・チャクラ」を読もうとしたかというと 、 シャンバラに関する記述が、出てくると思ったからなんですね。 あと、予言ですかね。

>しかし、本書を読んでいただければ一目瞭然であるが、彼らの密教理解はまったく誤っている。
>チベット密教はチベットの顕教の上に築かれたものである。密教の修行は顕教の学習の
>後にしか許されていない。

これは、ガチガチのゲルク派信者ですね。(笑) 密教やる前に勉強だけで死んだら、どうなるんでしょう? (笑) 大切な一生を、単に顕教の勉強だけで終わらせては、どうしようもないじゃない。 しかも現代人に、そんな時間があるかってーの。 だから、こういう考えが日本で適用するとは、メロンは考えてませんし 貴重な今生をムダにしないためにも、他宗派の密教のアプローチはかなり違います。

>チベットの顕教は「信仰ではなく論理によれ」という仏陀の言葉を奉じ、極めて精緻かつ
>高度な論理性を備えた哲学世界を展開している。そこで説かれているのはまさに命あるもの
>に対する愛(慈悲)と物事の本質(空)を認識する究極の智慧なのである。また密教の教えも、
>いたずらに神秘体験や超能力をもとめるものではなく、顕教の思想を自らの意識上に
>実現することが目標となっているのである。

でも石濱さんの言う「究極の智慧」は、学問的知識のことに他ならないわけで。 空性の理解なんて、瞑想なしでは、決して体得できるものじゃない。 そういう意味でメロンは、麻原の密教的アプローチがそんなに間違ってるとは思わない。 ゲルク派の立場では、眉しかめられますけどね。(笑)

ただ、瞑想修行だけじゃなくて、学問的理解もときとしては必要だから 、 それらも謙虚に学んでいく姿勢は、持つべきでしょうね。

上の付けたし。 :メロン : 9月20日(水)07時58分20秒

石濱さん曰く――
>この『カーラチャクラ・タントラ』はオウム真理教の教えに影響を与えた本である。

ここの部分は、間違ってるよぉー! >石濱さん
オウムの教えで、時輪タントラ(カーラチャクラ)から影響を受けたものなんて ほとんどないって。 ゲルク派僧侶が時輪タントラを英語で詳しく説明した本がアメリカで出版されたけど 、 それをウッタマーたちが日本語訳してテキストを作って、できたのが、 オウムの「カーラチャクラ・イニシエーション」(たしか93年)でした。 とても難しいんですよ。麻原の注釈は、大変よかったんだけど。 でも麻原も途中から難しくなったのか、最後は「サマナの態度が悪い」とか急に怒り出して イニシエーションを終わらせちゃったんですね。 そういう代物だったんですよ。オウムの教義に影響なんか、与えてないって。 そこまで理解できてなかったんだから…(笑)

前にどなたかが書かれたように、オウムはカギュー派から大きな影響を受けてるんです。 すなわち、「マハームドラー」の思想ですよね。 あと「ポア」っていう修行法も、カギュー派で大事に保持されている最奥義ですし。 むしろ、オウムに絶大な影響を与えたのは、こっちなんですよ。 ま、これについても追々、書き込んでいきましょう。

ナーギタさんとの会話で :カピラ : 9月21日(木)04時33分15秒

ナーギタさんは阿含宗の出身なので、阿含宗の教祖のことなどについても 話してくれましたが、「密教・超能力の秘密」「変身の原理」などの初期の著書には 何かを訴えよう、ある悟り、自分が体験したものを伝えようという使命感のようなものが 感じられたが、「霊障シリーズ」あたりから、どうも、堕落していったように思う、 当初の聖なる使命が失われたように思う、と語っていました。

あと、「タターガタアビダンマ第四誦品」を読み、オウムの目指しているものが分かった、と 語っていたのが印象的でした。この第四誦品は、サマナでも、推薦に一冊に挙げる人が、 たまにいますね。

「タターガタ・アビダンマ」 :メロン : 9月21日(木)07時25分40秒

>あと、「タターガタアビダンマ第四誦品」を読み、オウムの目指しているものが分かった、と
>語っていたのが印象的でした。この第四誦品は、サマナでも、推薦に一冊に挙げる人が、
>たまにいますね。

「サッチャ・サンユッタ」(諦相応)ですね。あれは、いい経典ですね。 メロンは、「タターガタ・アビダンマ」の第一誦品が大好きですね。 あれが発表されたのは91年暮れなんですが、我々制作チームは、静かな興奮に包まれましたね。 どうやって作ったかというと、麻原が口頭記述をして、 それを録音したものをテープ起こしして、できたんです。 あの本は、かなりの自負をもって、世に送り出されたんです。 初版本はかなり紙質が悪かったんですが、改訂版で上質紙を使いましたね。 あとあの頃、印刷工場に箔押機がやって来たんです。で、表紙に箔押が使われました。 第二誦品も、いいですよね。ただ、紙質悪いですが… (ーー;) 第三誦品の「パーラーヤナ」の、麻原の注釈は、すごいと思いません? あそこらへんが、やっぱ修行者だなぁと思います。

あと、「キリスト宣言」も、大好きです。 ちょっと異色な本なんですけど。 日本の大学教授が、あの本のギリシャ語翻訳は間違ってるとか言ってましたが どうなんでしょう? ウッタマーとヴィマラが、がんばってましたけどね。あとカンカー・レーヴァタも。 聖霊を「風」と解釈したりして、メロンは「ああ、なるほど」って納得しちゃいました。(笑)

ゲルク派とオウム。 :メロン : 9月21日(木)07時41分34秒

>確かに、顕教だけで終わると・・・、というご指摘は、私のような知識だけの人間には、
>大変痛いところでもあるし(苦笑)、なかなか反論できにくいのですが、それでも、
>私は、ゲルク派の考えの方にやっぱり共鳴します(笑)。まあ、ここがメロンさんと
>私の違いではなかろうかと思っています。
>まあ、私は、あんまり瞑想とかヨーガの修行とかは好きではないし、今生は、まあ、
>仏教の教えだけでもいいと考えているんです。密教は、来世でということに
>しているんです(笑)。

ゲルク派の顕教の教学と、オウム的教学はかなり違うと言えます。 ゲルクの学問というのは、論理学が中心になります。 もっとはっきり言うと、知的遊戯なんですよ。 五大学科(般若・中観・論理学・唯識・律)を、問答形式で20年かけて学ぶんですね。 要するに、ゲルクで重んじるのは論理で、瞑想も「構造的瞑想」を重んじてる。

ところが、オウムでは本質以外のものをキライますから 教学も、直接コーザル世界を浄化するようなものが多いでしょうね。

メロンはゲルクの高僧を何人も知ってますが プライドの高い方が、多いんですよね。知的プライドの修習が、ものすごい。 石濱さんは、自分たちのことを、言ってるんです。(笑) たしかに、現在のアレフでは、密教修行がやりにくいという現状はありますが かといって、ゲルクのように、プライドを修習するような教学ではないはずで そこらへんが、違うんだと思います。

そういえば、麻原は「ツォンカパの生まれ変わり」だったっていう噂が… もし本当だとすると、やっぱオウムはゲルク派かも? (^^;


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