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ロバート・J・リフトン教授オウムを語る【No1】


from "Tricycle, The Buddhist Review" Winter, 1997

以下のインタビューは、仏教専門誌のTricycleに掲載されたリフトン氏へのインタビュー記事の翻訳です。日本語訳はKaivalyaが 行いました。悪戦苦闘しました(苦笑)。いやー、本当に翻訳は難しいですね。しかしいい勉強になりました。余談屋さんの叱咤激励 が無ければ、最後まで訳せなかったと思います。ともかく最後まで、完璧には程遠いですが、何とかこぎ着けました。これも ひとえに余談屋さんというオウムウォッチャーのおかげです。一言感謝の言葉を言いたいです。ありがとうございました。 以前、このインタビュー記事について余談屋さんが掲示板に投稿していただいた書き込みがありますので、それをここに参考の ために掲載させてもらいます。この記事は非常に興味深いものですし、余談屋さんのオウムへの情熱(その信仰にではなく、 何故オウムのような信仰集団が現代日本に出現してしまったのか、その原因の探求にかける情熱)には、ただただ脱帽する のみです。

投稿日 : 2000年4月9日<日>20時22分

ところで、丁寧な用語解説付きの対訳、で思い出しましたが、少し前にも投稿されていたリフトン氏の 対談、あと一回くらいで終了かと思いますが、ぜひ全編をまとめてどこかにアップされてはいかがでし ょう。

余談ですが、昨年秋の"Destroying the World to Save It"の発売(アメリカで)以来、この「オウム真理 教と黙示録的テロリズム」の同テーマでリフトン氏は主に東海岸で頻繁に講演を行なっており、今年に なって私自身も聞く機会があったんですが(おどろおどろしいような題ですが、実際の講演はあの本と 同じ。70分があっという間の話の面白さ!でした)、この対談の話題が出たんですよ。講演後の質疑 応答(Question and Answer session) で、オウムの教えで仏教の教えにも通ずるものに関する質問が 出たのですが、そこでリフトン氏から、Tricycle誌の中で長年の友人でもある禅僧のシェインバーグ氏 と議論をしているのでそれをぜひ読んでほしいということで(下記URL)。

邦訳が店頭に並ぶのはまだ先になりそうですが、その頃にこの対談をまとめてアップされ、この本を 入手した方がのちにいつでも副読記事として参照できるようになるといいですね。本の方は、仏教とし ての議論はあまり出てこないようですしね。対訳で用語解説つきとまでいかなくても、こういうサービス 精神を宗教学者の諸先生方も披露してくれればと思います。ぜひ、これまでのものを一つにまとめて アップされますことをご提案申し上げます。ま、具体的な感想とかのレスはきっと無さそうだろうとは思 いますが、これまでの様子からすると(笑)。

「何の本の話をしてるんだ?」という方、昨年暮れに出た『別冊宝島476 隣のオウム真理教』の161 ページ(「海外でのオウム研究最新レポート」)をご覧下さ〜い。よろしく。
神秘主義から殺人へ--リフトン教授オウムを語る--


神秘主義から殺人へ--リフトン教授オウムを語る--

◆ロレンス・シェインバーグがロバート・リフトンに、仏教専門誌上でオウム真理教についてインタビューを行う。

致死性のサリンガスが、1995年3月20日に、東京地下鉄の異なる3つの路線の五つの車両の中で散布され、12 人が死亡し、約5500人程が被害を受け傷ついた。この時、オウムの名は全世界に知れ渡った。後に、オウムは地 下鉄サリン事件以前にも、1994年、長野県松本市にもサリンを散布し、7人を殺害し、50人程を傷つけたことが発覚した。 これらの攻撃は、オウムが当初計画していた大規模な破壊計画に比べれば、単なる序曲に過ぎなかった。

オウム真理教は、目が不自由な、ヨーガを教えていた麻原彰晃によって、1987年に設立された。麻原は1955年 九州の小さな村で、松本智津夫として生まれた。麻原は現在、地下鉄サリン事件やその他の事件で起訴され裁判 を受けている。麻原の教義は、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教などの教義を混ぜ合わせたもので、日本の新興宗教 とも共通の要素を持っている。オウムは多くの日本の若い人たちを魅了し、その中には日本の経済成長時代の価 値観の虚妄性を見破った専門職の人たちもいる。

オウムは毒ガスを散布した最初の精神的思想集団ではないが、そのヴィジョンの兇悪さにおいては、最も危険な集 団であった。オウムが実践した「仏教」は、オウムが描いたヴィジョンはオウムが拠って立つ精神的源泉と密接につ ながっていたのだということを、痛烈な教訓として残してくれた。(ロレンス・シェインバーグ)

ロバート・リフトンはニューヨーク市立大とジョン・ジェイ大学の精神医学と心理学の著名な教授で、暴力と人間性研 究センターの指導をしている。リフトン教授の著書における関心の対象は、ナチの医師、核実験、中共文化大革命 等々多岐に渡っている。最近の著書として、「アメリカの中のヒロシマ--50年にわたる否定--」がある。それ以前の 研究には、過去、広島を訪れ、多数の被爆者との面談を通して調査した労作「死の内の生命--ヒロシマ」がある。 リフトン教授は1995年以来オウムを研究している。

ロレンス・シェインバーグは作家であり、仏教思想の専門誌Tricycleの顧問編集者でもある。シェインバーグ氏の最 も新しい著書として、"Ambivalent Zen : A Memoir" がある。


シェインバーグ:オウムはテロにより何を達成しようとしていたのでしょうか?

リフトン:オウムは新しい人間の危機を象徴していると言えるでしょうね。オウムは終末論の教義を持つカルトで、特 にABC兵器と呼ばれる核兵器や生物学兵器、化学兵器に魅了されて、これらの最終兵器を獲得できる能力を持っ ていたということです。彼らは、化学生物学兵器を貯蔵し、さらに核兵器を手に入れようとしていました。地下鉄への サリン攻撃は、本当のところは、警察の強制捜査が近くなされるという情報により、あせりから出た、捜査攪乱のた めでした。実際、計画されていたサリン散布は、数ヶ月後の11月に予定されていました。オウムはヘリコプターを購 入し、信徒の一人をアメリカへ送り、操縦技術を学ばせていたので、東京の空からサリンをばらまくことができたかも しれません。もし計画通り事が運ばれていたら、数十万から、もしかしたら数百万人が犠牲になっていた可能性があ りました。それを第三次大戦を引き起こす手段にしようという計画でした。そして、それにより、ハルマゲドンを開始さ せて、世界の終わりへと持っていこうと狙っていた。まあ、それでも彼らにとっては控えめな野望でしたが・・・・。

シェインバーグ:最盛期にはオウムの信徒数はどの位だったのですか。

リフトン:通常、日本には一万人、ロシアには三万人の信者がいたと考えられていますが、ちょっと奇妙な数字です ね。しかし、日本では一万人の信徒のうち、三千人が出家者と呼ばれる、隔離された施設に住んでいた僧侶もしくは フルタイムで教団のために働いていた信者でした。

シェインバーグ:アメリカには何人位信者がいたのでしょうか?

リフトン:ほんの少数です。小さなオフィスを一つ持っていましたが、麻原はここに数回訪れています。麻原は、アメリ カ人は日本人よりも15倍から20倍の悪いカルマを持っているので、改心させることはほとんど不可能だといったと 言われています。しかし、私は、オウムは全世界的な終末の衝動の一翼を担っていたことを認識することが重要だ と思います。これは日本だけでなく、あらゆるところに、すべての大陸にまたがって、終末論を掲げる宗教的政治的 な集団が存在します。オウムが他の集団と異なっていたところは、素朴に世界の終わりを待ち望むのではなく、積極 的に自ら引き起こそうとしたところです。

シェインバーグ:消極的に待ち望む代わりに、教祖は自らの予言が実現するように行動を起こしたということです ね?

リフトン:たぶんそれは主に麻原の考えだと思いますが、信者もそういう考えは受け入れていたと思います。世界の 終わりは彼らの救済計画の不可欠のものだったからです。このことが、オウムがわれわれに嫌悪感をもたらすのと 同じくらいに、オウムを宗教的な問題として見なさなければならない理由なのです。

シェインバーグ:しかし、なぜオウムの連中は世界を破壊しようとしたのでしょうか。それは彼らの宗教的なヴィジョン とどのように関連していたのでしょう?

リフトン:オウムはこの世界(現世)を一度破壊することにより、現世から、そのすべての汚れをとり除こうとしたので す。まさにその時においてのみ、純粋な、新種の人類が誕生し、そうしてその人類と共に高い霊的レヴェルがこの地 上にもたらされると考えたのです。この終末論的なメッセージは、麻原が語っているヴィジョンから来ているのです が、それによると、彼の前にシヴァ神が現れて、闇の勢力に対抗する光の闘いにおいて、その光の神軍を率いて戦 え、と命令したというのです。勿論、シヴァ神は、ヒンドゥー教の神ですが、オウムはいろいろなものを取り入れる折 衷主義です。あなたも知っておられるように、チベット仏教の中にヒンドゥー教の要素がたくさんありますが、オウム はチベット仏教の修行を極端な形で取り入れており、修行の核としています。麻原が信者の修行を開始させるとき、 おもにチベット仏教の伝統から取り入れた修行を行わせました。

シェインバーグ:具体的な修行方法を説明していただけますか。

リフトン:様々な瞑想の方法を教えており、その中にはいわゆる立位礼拝というものがありますが、これは立った状 態から膝を屈して地面につけ、五体を地に付けるという動作を、1000回、10000回、10万回行います。麻原はこ の立位礼拝という修行をチベット密教ニンマ派の初歩の段階の修行から取り入れています。しかし、私は、麻原が チベット仏教から取り入れた最も重要なアイデアはポワだと考えています。<ポワとはその実践によって、死に際の 人間の意識が頭頂から抜け出て、肉体から解放されるというもの> ポワはグルから学ぶこととされており、それを 行うにあたっては、死に行く人間の魂が悟りの境地へ向かおうとする動きを促進させるために修されなければならな いとされています。実際のタントリック(密教的)な実践においては、どのくらい手荒い行為が行われたかについて は、不確かなものがあります。しかし、麻原に解釈されたポワの方法は、チベット仏教においては、ある大変過激な 要素が存在していることを強調していました。もし、グルが弟子に他人を殺せと命令したならば、弟子は他人を殺さ なければならない。なぜなら、殺される対象になった人間の死ぬ時期が到来したから殺すのであり、ゆえに、この行 為は正しいことになる、というものです。

シェインバーグ:言いかえれば、相手を殺害することは、思いやりの行為ということなのですか?

リフトン:はい、そうです。この現世のすべての人は、この現象界を浄化するために殺されなければならない、と主張 する資質は、現世を憎悪する宗教のヴィジョンから来ています。現世はその悪いカルマで汚れており、希望がない、 だから、普通の、つまり、あなたや私を殺すことは哀れみ(思いやり)の行為である、何故なら、殺すことにより殺され た人の魂の不死性を強固にし、続く後の転生において浄土へ至る旅を早めるのだから、というものですが、まあど んな風にでも言えるのですが。オウム信者の全員が、このポワの見解をそのまま信じていたわけではないのです が、麻原はこのポワの見解を文字通りに解釈し、後に不安定になるにつれて、それをより強調するようになったので す。

シェインバーグ:麻原は、最初、どのようにして仏教を学んだのでしょうか?

リフトン:彼は、集中的にチベット仏教や密教を学んでいきました。80年代の初期には、日本のいわゆる新興宗教 の一つである阿含宗の会員だったのです。19世紀以来、日本には何千という新宗教が設立されて、第二次大戦後 は、雨後の竹の子のようにたくさんの新興宗教が誕生しました。グルという考えや、チベット仏教を修行の中心にお いていることは、阿含宗からの影響が大きいということです。阿含宗を去った後、彼はヒマラヤへ行き、1986年の ことですが、そこで最終的な悟り(解脱)を達成したと宣言しました。

シェインバーグ:麻原は最終解脱とは何かについて議論したことがありますか?

リフトン:いいえ。ただ宣言しただけなのです。最終解脱にまつわる問題の一つは、それは非常に主観的な宣言であ るということです。麻原はいかなる有名な宗派・団体にも属していませんでしたので、誰に対しても何物に対しても責 任がなかったのです。あなたも同感だと思いますが、多くの日本の若者は日本の仏教は形骸化していると言います ね。彼らを惹きつけるものがないのです。ところで、もしあなたが日本の仏教徒であり、どこかの宗派・団体に属して いるとしたら、そこには当然あなたの発言には限界があります。しかし、もしあなたが自分の宗教団体を作り、いか なる人間との結びつきもなく求められるものもなければ、何を発言しようが、自由なわけです。

シェインバーグ:麻原がヒマラヤで誰に学んだのか、あるいはそこで何を経験したのでしょうか。ただ放浪していただ けでしょうか。

リフトン:彼はヒマラヤで幾人かの元を訪れていますが、実際に誰かの元で学んだということはないです。ただ、自分 の宗教体験をチェックしたり語り合っただけなのでしょう、ダライ・ラマの時のように。

シェインバーグ:麻原はダライ・ラマに会ったのですか?

リフトン:ダライ・ラマは麻原にはていねいに面会したし、たぶん温かく彼を迎え入れたのでしょう。そして、たぶん、最 初には言うまいと思っていたことまで彼に話したのでしょう。麻原はダライ・ラマと一緒に並んでいる写真を撮り、そし てダライ・ラマが彼に次のように語ったことを引用しました。−−「私がチベットにおいて仏教のために実践している ことを、あなたは日本において行いなさい」 ダライ・ラマは後にこのことについて尋ねられて、このようなことを語っ たことを否定しました。ただ単に、温かく客として面会しただけだと言っています。麻原はまた、スリランカやその他の 様々な所を訪れて、宗教的指導者に会い、彼らと一緒に並んでいる写真を撮り、彼らは自分を偉大な霊的指導者と して受け入れてくれたと吹聴しました。しかし後に日本の報道機関は麻原の訪問したところを追跡し、彼が自分を賞 賛したと言った多くの人々にインタビューしています。その中の一人は、「私たちが会ってから、1,2週間後に戻って きて、最終解脱を達成したと言いました。私は驚きましたし、解脱などはほとんど一生涯かけて達成するものだから です」 と当時を振り返っていました。しかし、この行為(自分勝手に最終解脱を達成したと宣言することや、有名な 宗教者に会うことなど)は、彼の弟子たちを納得させるものだったのでしょう。またある意味では、自分自身も納得さ せたのでしょう。ある人たちには奇妙な心理が存在していると思います。これはある出来事について自分流の解釈 を信じ、同時に完全なずるい、詐欺師の側面を保持していくことができる才能といってもいいかもしれません。これら が組み合わされば、説得力が出てきます。

シェインバーグ:詐欺師としてうまく行けば、より自分自身を信じるようになるのでしょうか。麻原が信じていたことで、 なにか証明されたものがありますか。

リフトン:麻原は早い時期から尋常でないヨーガの才能を発揮していました。多くの人が最初にヨーガの指導を受け るために彼のもとにやってきました。彼らの多くは専門職についている人たちや、若い大学卒業生で、彼らの生活の 中で精神的なものを求めている人たちでした。このヨーガの才能は、後のための大変重要な基礎になりました。ヨー ガは、彼が指導していた仏教修行や仏教的な修行からは切り離せなくなくなりました。彼は仏教やヒンドゥー教やキ リスト教の様々の概念を互いに関連づける見せかけの術に長けていました。彼は殺人者であると同時に卓越した有 能な宗教指導者でもあったのです。

シェインバーグ:どのようにして宗教から殺人へと至ったのでしょう?

リフトン:麻原が最初目指していたものとしての説明として普通よく言われているものですが、オウムは阿含宗のよう に新宗教の典型的なものと見られていた、ということです。精神的求道者の興味をかき立て、かなりポジティヴな反 応を得ました。しかし、まもなくオウムの活動を妨害する人たちが現れてきました−−例えば、オウムが子供達を洗 脳しているとその親達が抗議したりとか等々−−それでオウムは社会と本格的に衝突するようになりました。そして 麻原は敵意を露わにして、怒りを爆発させてしまって多くの問題を起こしてきたのです。

シェインバーグ:あなたはどのように麻原教祖を分析していますか?

リフトン:オウムの設立時からの展開を見ていると、彼は最初から幻想的な資質を持っており、誇大妄想狂であったとい うことです。彼は極端な妄想症患者であり、非常に高い知的レベルでその誇大妄想狂が発揮されるという点が特徴 的です。このような患者の特徴は、特に自分のまわりの環境が自分のすべてであるような人がその環境をコントロ ールできる場合に、その誇大妄想狂が起こってきます。そして、そのコントロールが何かの理由で脅かされた場合、 その妄想症患者は切れてしまう傾向にあります。そしてまさにこのことが、オウムが追いつめられた時に、麻原に起 こったのです。80年代後半にオウムの違法な土地取得や信徒のお布施やその他の犯罪についてなどの詳細がマ スコミに暴露されていきました。最も戦慄すべき事件は、オウムの違法行為を暴き立てていた中心的な人である坂 本弁護士殺害です。坂本弁護士は1989年に子供と妻と共に殺害されました。また、89年から95年にかけて、オ ウムは多くの殺人事件を起こしました。実際、何人殺されたかは定かではありません。100人位に達するのではと 言われています。多くの信徒がオウム内部で行方不明ななっているのです。ほとんどの信徒は、兵器や襲撃計画に ついては知りませんでした。しかし、彼らにしても−−麻原の中での変化がいつ起こったのかを言うのはむずかしい のですが−−教団のやり方は何か間違っているのではないかという疑念は否定しなければならなかったのです。 なぜなら、潜在的にはいつも存在していたのですが、教祖の変貌は完全な変化ではなかったからです。 麻原には、詐欺師の側面と有能な宗教的指導者としての側面の両面がいつも同居していました。

シェインバーグ:指導者として教祖を弟子たちはどのように見ていたのでしょうか?

リフトン:彼の弟子たちは、非常に威厳に満ちた落ち着いた人物として語ります。私がインタビューした元弟子の一 人は、教祖の教団の初期の頃の仏教の指導者として威厳にみちた振る舞いの印象と、法廷における取り乱し方と の落差に愕然としたと語っていました。

シェインバーグ:今、彼は取り乱しているのですか?

リフトン:勿論そうです。今彼は法廷で精神病患者のように振る舞っていますし、奇妙な行動や言動を発して、裁判 官し対して、自分の頭に放射線を送っていると非難しています。私は教祖はオウム崩壊の前にも精神病をわずらっ ていたことは十分にあり得ることだと思っています。サリン攻撃をしかける数ヶ月前には、教団がサリン攻撃を受け ており、急熱リケッチャが発生したと言ったり、内部にスパイがいるので捜しているとか、色んなおかしな言動を発し ていました。麻原は常に終末論的傾向を有していました。後になり、よりその傾向が強くなり、滅亡の予言を繰り返し ていくことになります。そしてその自分の予言の実現のための極秘プロジェクトを発動していくことになります。

シェインバーグ:麻原がハルマゲドンなどの妄想の実現を外部の世界にもたらそうとしていたことと、メディアがいつ もわれわれの妄想をかき立てていたこととの間には、何か関係があると思いますか?

リフトン:麻原とメディアとの関係は持ちつ持たれつの関係でした。彼が妄想を発すれば、今度は外部から妄想が入 ってくるというようなものでした。オウムは、他のある新宗教のように、メディアの扱い方に長けていました。日本のメ ディアの飽和状態を手玉にとっていたようなものです。麻原はしばしばテレビにゲスト出演していました。彼のある本 のカバーの宣伝文には次のように書かれています−−「尊師はあらゆる分野において天才であり、作曲し、映画を 作り、偉大な宗教的指導者であり、すぐれたテレビのパーソナリティーであられるのです」  ある意味では、メディア は麻原の想像力と外界とを結ぶパイプ役としての機能を果たしていたとみることができるでしょうね。彼の考えは確 かに時代の要求に叶うものがありました。第二次大戦後、日本のメディアは終末論的な妄想を振りまいて、それに より栄えていきました。メディアはあらゆる地球の危機をあおり立てています−−地球は危機的状況だとか、爆発寸 前だとか、悪魔の天体と衝突するかもしれない等々−−が、そしていつもこの地球を支えたり、ハルマゲドン後の世 界に生き残った人類を救う日本人の救世主が登場します。第二次大戦はこのような物語の材料をふんだんに提供 しています。唯一の原爆を体験した国から、ハルマゲドンを起こそうとした凶暴なカルトが現れたことは、偶然ではあ りません。↓のページに続きます。

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「リフトン教授オウムを語る」を英語で読む(1)


リフトン教授ロサンゼルス世界問題評議会における講演 「終末と救済の幻想」--オウム真理教とは何か--
元オウムサマナ、メロン氏、オウムを語る--(1)--
オウムドキュメンタリー映画『A』の批評及び感想
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