
ニルヴァーナへの道 --究極の悟りを索(もと)めて--
(2004/2/29)
■2004年3月14日 「彼はなぜ凶悪犯罪を実行したのか--ルポ、オウム真理教・中川智正被告裁判--」を読む(1)麻原オウムには、根本的な欠陥があるのではないか、その根本的な欠陥とは何なのか? そもそも、教祖を始めとして、12名もの死刑判決を受けるとは、ただ事ではないはずだ。
信徒や、特に、幹部にとっては、いてもたってもいられないはずだ。何故なのか、いったい、なぜこういう事態に立ち至ったのか。その根本的な原因とは 何なのか。日夜、煩悶せずにはいられないはずだ。まだ、陰謀論などに固執している人は、修行者としての、霊的センシティビティーの資格において、まったく落第という他はない。
そしてまた、元ナーギタ師が指摘されているところの、「諸悪の根元」としての「オウム流マハームドラー」論も、岩波書店の「世界」4月号の、藤田庄市さんの、「彼はなぜ凶悪犯罪を実行したのか--ルポ、オウム真理教・中川智正被告裁判--」を読むと、なんとなく色あせてくるのだ、私には。なるほど、そういう要素も大きな割合を占めていたであろうが、さらに、その奥の、根本的な原因へと、藤田さんの記事は迫っていると思うのだ。
ああ、そうだったのか、なるほどなー、いやー、恐いなー、正直、非常な、気味悪さ、オウムに巣くう、邪悪な霊、または、邪悪な神、を感じた。オウム凶悪事件の「淵源」は麻原にあると裁判長は断罪したが、なるほどそれはそうなのだが、その麻原にしたって、もっと強力な、破壊の霊、破壊の神、にのっとられていたのではないのか。「脳機能学者」苫米地英人氏は、麻原教祖自身も強烈なマインドコントロールにかかっているのではないか、ということを書いていおられたが、教祖自身が、邪悪な霊、神にあやつられていたとしたら、苫米地氏の意見にも、なるほどと思えるだろう。
オウムの行くところ、必ず地元住民の反発を食らうのは、それなりに理由があったということではないのだろうか。つまり、地元住民は、直感的に、「邪悪な」ものを感じたのではないかと思うのだ。神州潔癖の民といわれている日本民族の体質には、根源的に拒絶される、何者か、えたいの知れない邪悪性といったものを感じていたのではないかと思う。オウム問題は、もう、宗教の世界の領域を超えて、「霊」の世界の領域に入っているといわなければならない。その麻原オウムの「霊」の問題を、率直に認めて、その領域へメスを入れなければ、この問題の根本的な解決はないのではないかと思うのである。
この記事の中で、藤田氏は、こんなことを書かれている。
「京都府立医大の学生時代には障害者介護のボランティアグループに参加していた。そうした優しい性格であることも伝わってくるにつれ、疑問はいっそう募った。が、その疑問は2002年になって基本的に氷解する。前年より中川智正は、被告人質問及び麻原法廷などの証人に立ち、ようやく詳細な供述、証言を始めていた。入信前後の神秘体験について供述が進むにつれ、
「巫病(ふびょう)だったのか」
驚くとともに、疑問への答えを得た感じがした。そして、当時の中川の心身の深刻さを想像できた。「巫病(ふびょう)」とは文化人類学などで用いられる言葉だが、シャーマンに成る過程でよく見られる神秘体験と一体の心身異常、とでもいえばよいだろうか。研究としては、霊能者である沖縄のユタや青森もゴミソなどについての蓄積があり、筆者も都市部の霊能祈祷師を幾人も取材した経験がある。「巫病(ふびょう)」に陥ると、神や霊のごとき超自然的存在がその者に介入し、傍目には精神異常としか映らない態様を示す。神の指示により拝み場所を徘徊させられ、逆らえば肉体的苦痛にさいなまれたりする。神に従わない限り、心身の異常は持続する。つまり、神の支配に服さねば、通常の生活は送れないままだ。結果、神に対して、他動性、不可避性の人間となってしまうのである。」
■2004年2月29日 麻原判決の外国メディアの報道CNNやBBCのサイトや、他の大手メディアのサイトでも、麻原裁判の模様が報じられていますね。特に、BBCは、かなり詳しく報じています。さすが、BBCというところでしょうか。やはり、オウム事件は、日本のみならず、世界の注目を集めることになりましたが、それもひとえに、サリンという大量破壊兵器と宗教が結びついた事件だったからであり、この事件の持つ将来の潜在的危険性をいち早く察知したのが、アメリカであった、というところが、なんとも皮肉といいましょうか、日本の安全に対する鈍感さ、というものを感じた次第です。やっぱり、「世界覇権国家」であるアメリカの感度は、ものすごく発達しているということでしょうか。
イギリスの経済紙フィナンシャルタイムズは、村上春樹の分析とインタビューの言葉を紹介しています。
その箇所を引用してみます。
http://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/StoryFT/FullStory&c=StoryFT&cid=1077690744165&p=1012571727102The sarin gas attack by Aum Shinri Kyo, the Supreme Truth Sect, shattered Japan's postwar confidence and brought home to the world the ease with which biological and chemical weapons could be deployed on civilian targets.
オウム真理教によるサリンアタックは、戦後日本の自信を粉々に打ち砕いてしまい、生物化学兵器は容易に市民に対して使用されるのだということを世界に痛感させた。
Haruki Murakami, a Japanese author whose book Underground comprised interviews with gas victims and Aum members, has described 1995 as the most critical year in Japan's postwar history. The March 20 gas attack followed the Kobe earthquake of January 17 in which 6,000 died.
日本の作家の村上春樹は、サリン被害者やオウム信者のインタビューで構成したアンダーグラウンドという本を出したが、1995年という年を、戦後日本の歴史における最も危機的な年て描いている。一月17日の神戸地震で6000人が死んだが、それに続いて3月20日の地下鉄サリン事件が起こった。
"It was the year the postwar myth of the miracle years ended," Mr Murakami said in an interview last year. "We believed in our system. But after 1995, we were not so confident any more and we have come to think that there is something wrong with our system."
「戦後の奇跡の神話が終わったのは1995年という年だったのです。」と村上氏は去年のインタビューで語った。「私たちは、自分たちのシステムを信じていたのです。しかし、1995年以後、もうそのような確信が持てませんし、われわれのシステムの中に、何か欠陥があるのではないかと考えるようになってきたのです。」
これと同じような村上さんの意見は、1998年のデイリーヨミウリ紙のインタビューでも読んだ記憶があります。日本のシステムには何か欠陥があるのだ、という認識は、多くの人がなんとなく感じていることなのではないでしょうか。こういう村上さんの見解を紹介するあたり、さすが、高級紙といわれているだけのことはある、という気がします。
イギリスのBBCのサイトにも、かなり多くのスペースを割いて、オウム真理教の成立の過程や、どういうタイプの人間がオウムに入っていくのか、上祐氏の指導方針、アーレフの将来の危険性についての公安調査庁などの見解など、が述べられています。さすが、BBCという感じがします。CNNとは一味違った、深さ、を感じます。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3513617.stmMr Asahara set up a small religious sect in Tokyo in 1984 and renamed it Aum Shinrikyo in 1987. It espoused a mixture of Hindu and Buddhist beliefs and the writings of Nostradamus.
麻原氏は、1984年、東京に、小さな宗教のセクトを立ち上げた。1987年、オウム真理教という名前に変えた。その教義は、ヒンズー教の仏教の混合物とノストラダムスの文書から成り立っている。
"Most of them had very few rebellious periods in their teens... They were from good stable households and were normal kids," Taro Takimoto, a lawyer whose fight against Aum nearly lost him his life at the hands of the cult, told BBC News Online.
「オウム信者のほとんどは、彼らの十代において、反抗期を経験していません....彼らは、良き、しっかりした家庭の出身ですし、普通の子供なんです。」と、かつて、オウムによってほとんど命を失いかけた、反オウム活動を展開している滝本弁護士は、BBCのインタビューで語った。
Ironically it seems likely their backgrounds made them more vulnerable to the charismatic Mr Asahara's power.
皮肉にも、彼らのバックグラウンドは、麻原氏のようなカリスマのパワーに対して、免疫力がないので、不条理な命令に対して簡単に、言いなりになってしまうようだ。
"Many of them were naive about the corrupted nature of some people in society... they joined Aum with the true belief that they were going to make the world a better place," Mr Takimoto said.
「彼らの多くは、社会の中には堕落した人間もいるのだ、という認識を持っていません。人が良すぎるのです。彼らは、本当にこの社会を良くしたいという思いをもってオウムに入信したのです。」と滝本氏は語る。
Andrew Marshall, co-author of The Cult at the End of the World: The Incredible Story of Aum, says they were arguably not helped by a "straight-jacketed" education system which does not nurture critical faculties.
オウムに関する本の共著者であるアンドリュー・マーシャルは、オウム信者は、批判力を養成しない硬直した日本の教育制度の、たぶん、犠牲者だろうと指摘する。
Although many Japanese claim to adhere to the nation's traditional religions of Buddhism and Shinto, their worship often seems to fulfil a cultural rather than emotional need, according to Ian Reader, a lecturer in religious studies at Lancaster University in the UK.
多くの日本人は日本の伝統的な宗教である仏教や神道の教えに従っていると考えているが、彼らの信仰は、しばしば、感情的な要求よりも、むしろ、文化的必要性を満たしているようだ、とイギリスのランカスター大学で宗教学を教えているイアン・リーダーは語る。
"They [Asahara's followers] were looking for something more spiritually nourishing," Mr Reader said.
「麻原を信仰している人たちは、霊的により高められる何かを求めている。」とリーダー氏は語った。
'Starting over' (再出発)
Aum has since renamed itself Aleph and renounced violence.
オウムはアーレフと名前を変えて、暴力を否定した。
Fumihiro Joyu, the group's new leader has said that while Mr Asahara is still considered a "genius of meditation" the group "cannot approve" of the activities conducted by Aum under his leadership and that he is no longer considered the group's guru.
グループの新しいリーダーである、フミヒロ・ジョウユーは、麻原氏は依然として「瞑想の天才」と考えられているが、現在の団体は、彼の指導力の下で、オウムによってなされた(犯罪)活動を認めることはできないし、彼はもはやアーレフのグルとは考えられていない、と語った。
"We will abandon the parts of [his] teachings that are considered dangerous," Mr Joyu has written on Aleph's website.
「私たちは、危険と考えられている教義の一部を破棄します。」と上祐氏は、アレフのサイトに書いている。
The Japanese government is not convinced.
日本政府は、アーレフの主張を全面的には信用していない。
"The threat that Aum poses today hasn't changed since the [sarin] attacks on Matsumoto and Tokyo," said a spokesman for Japan's Public Security Investigation Agency (PSIA).
「オウムの現在の脅威は、松本サリン、東京地下鉄サリン事件以来、なんら変化していない。」と公安調査庁のスポークスマンは語った。
"The Aum followers, they still maintain their absolute faith in Asahara and they maintain faith in his doctrine too," he said.
「オウム信者は、麻原への絶対の信仰をいまだに持ち続けているし、彼の教義に対しても同じように信じている。」と彼は語った。
The PSIA said that it had not found any specific terror plans, or any signs that Aum was capable of producing sarin today, but that its beliefs, and the high standards of education and technical ability possessed by its members, meant it was still dangerous.
公安調査庁は、言う、いまだに、具体的なテロ計画や、今日、また、サリンを作れる能力を持っているサインを見つけることはできないが、しかし、アーレフの信仰体系や、信者の教育や技術能力の高い水準は、まだ、アーレフは危険なのだということを意味しているのだ、と。
Its membership - which is thought to have numbered in the thousands at the time of the 1995 attack - has dropped to around 450, according to the PSIA, although the agency says it has shown signs of gradually increasing.
公安調査庁によると、アーレフの会員数は、--1995年当時は、数千人の会員数を擁していたが--450人前後に減ってきているが、最近は、反対に、ゆっくりとではあるが、増加傾向を示しているということだ。
Mr Takimoto agrees that Aleph remains an unknown quantity, but that security has been improved.
滝本氏は、アーレフには未知数の部分が残っていることには同意するが、安全は改善されてきていると言う。
"22 March 1995 was a major wake-up call. Japan has been through it. The police were lax until then but now things are much better," he said.
「1995年3月22日は、重大な警鐘の日であったのです。日本はそれを経験しました。警察はそれまで警戒を怠っていました。しかし、現在、事態は随分と改善されてきています。」と滝本氏は語った。
Shoko Egawa, a Japanese journalist who has written several books on Aum, and who was nearly gassed to death herself by the group, said she did not believe that cults posed any greater threat to Japan than any other developed nation.
江川紹子は、オウムに関する本をいくつか書いている日本のジャーナリストであり、オウムの毒ガス噴霧によってあわや殺されかけた経験を持つが、現在のアーレフは、他の先進国におけるカルトがその国に及ぼしている危険度と比較すれば、日本にとってはそれ以上の危険性はない、と考えている、と言う。
But she did say many Japanese may be missing the point by only viewing the cult problem as a matter for the police.
しかし、江川は、多くの日本人はカルトの問題を警察が対処する問題だとしか考えていないことによって、ポイントを見逃しているかもしれない、と言う。
"What we Japanese lack might be studying our society from every angle ourselves," she said.
「我々日本人が欠いているものは、わたしたち自身であらゆる視点から自分たちの社会を検証していくことかもしれない。」と江川は語った。
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このページの右上に、
WATCH AND LISTEN
The BBC's Jonathan Head
"This unremarkable street is where what's left of the Aum cult is hiding itself"
という箇所があり、ここをクリックすると、サリン事件当時の様子や、その被害者の現在の様子、森達也監督の話、そして、永岡辰哉さんの話などを見ることができます。
■2004年2月28日 麻原判決に思うまあ、予想された判決であったと思う。
あれだけの凶悪な事件の中心人物だったのだから、死刑判決を下されたのは、仕方ないなと思う。
仕方ないなとは思うが、実行犯として駆り出された元弟子、弟子たち11人の死刑判決はいかがなものかなとは思う。滝本弁護士も、主張されているように、オウム事件の死刑は、麻原一人でいい、どうか他の実行犯の人は、死刑にはしないでほしい、という説に賛成である。非常に凶悪な事件だったとはいえ、実行犯たちに、憎しみがあって、明白な殺意があってやった事件ではないのだ、というところが、オウム事件のやっかいなところなのだ。勿論、それを命じた、教祖に殺意があり、憎しみがあったのかもしれない。それは大いにあり得ることだ。だが、オウム独特の「救済」という観念、思想が、彼ら、実行犯の心の中にあったことは間違いないことだと思う。
そして、その「救済」の観念と、「全知者」としてのグルという観念が結びつくとき、そのとき、実行犯の観念における、強力なる化学的変容を引き起こし、その「救済」の観念と、「全知者」という観念が結びついた、化学的変容物である新種の観念が、サリン撒布という無差別殺人を行わせたのだ、という視点が、オウム事件を分析するときの見方として、非常に重要になってくると思う。
国学院大学で、インド思想を教えておられる宮元啓一先生は、オウム事件を引き起こした教義の中核にあった「ポア」の思想も、結局のところ、大乗仏教の救済の思想と仏教思想上における仏教の開祖ゴータマ・ブッダの神話化の最終地点としての全知者という観念の結びついたものと同じだったのであり、オウム事件の思想上の淵源は、実は、仏教思想上にあったのだ、ということを、春秋という雑誌で、分析しておられた。そして、オウムは、無差別殺人を引き起こしたとはいえ、仏教の鬼子とはいえ、れっきとした子供である(つまり、仏教である)と指摘しておられた。これは、非常に、洞察に富む見解だと思う。
では、今後の対策として、どうすればいいのか。宮元先生は、「インド死者の書」(すずき出版)で、このオウム事件を取り上げながら、「理想主義的であればあるほど、救済思想というのは、じつに簡単に過激な危険思想に化す傾向を強める。・・・・・・・大乗仏教の救済思想もまた、自己責任思想を軽視、無視、否定する要素に満ち満ちている。自己責任思想は、そう簡単には危険思想とはならない。・・・・・社会的弱者の救済は必要であろうが、救済思想に凝り固まると、とんでもないことになりかねない。自己責任思想を中核にすえ、救済という課題を付帯的なものとして扱う智慧が、われわれに要求されているのではないだろうか。これは、オウム真理教のような救済思想の鬼子(鬼子であってもれっきとした子供)をけっしてださないようにするためにも必要なことである。」と提言されている。
この「自己責任思想」というのは、自己の解脱悟りを最優先におく、小乗仏教の基本的考え方だろう。われわれは、もう一度、大乗仏教の救済という思想を点検しながら、大乗仏教から批判されてきたとはいえ、まず、自己の完成を目指す小乗仏教の持つ堅実さのプラス面を、見直す時に、きたのかも知れない。