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(2004/3/1)

元サマナてんまさんと、現役サマナ神秘さんとの真理闘論(4)

てんま さんへ  投稿者:アルマ  投稿日:09月18日(金)04時36分56秒

神秘 さんからのコメントです。投稿の都合上、引用の順序が前後しますがご了承下さい。

>神秘さんへ01 投稿者:てんま  投稿日:09月17日(木)08時07分05秒
> 再度言うように、まだ真理にであってない魂。真理を否定する魂に対し、哀れみを持ち、相手の
> 無智を悲しみ、早く真理にであって欲しいなと思うのが四無量心の一つでしょ。麻原は一時期説法
> の前に解説をしながらよく瞑想をやってたでしょ。
> ちがうというのなら教義が変わったのでしょうか。確かに優位な立場に立ち「哀れみ」をもって
> ますよね。でもそれがオウムの哀れみでしょ。麻原の説法をもっと読んで下さい。
> 感受性を情であると言ってますが、いいとこ突いてますね。そのとおり、四無量心は無頓着以
> 外、感情の動きがあるんじゃないですか。

■てんまさんへ
あなたの法則に対する理解がいかに表面的で浅いかよく理解できました。 あなたの言っていることはこの文書の内容としては、一見正しいことを言っていますが、 オウムの修行体系を本当に理解してはいないことがハッキリしました。これについては後述します。

> 出ましたね。いつもオウムはそうだ。彼がオウムを脱会するのを知っていたとか言い出す。麻原
> なんかはアニメでも言っているでしょ。笑っちゃいます。結局、力のないグルなんですね。

■脱会するのを知っていたと名言はしていませんが、そう解釈するならばそう解釈してください。 私はカルマを乗り越えるのは本当に大変なことだと言いたいだけなのです。

> 貴方はその事実を確認しましたか。証言を直接聞きましたか。あなた方は現世の人間をマスコミ
> 真理教といいますが、それならあなた方はオウムから提示される、情報の裏付けを取りましたか。
> ただ鵜呑みにしているだけでしょ。それでは現世の人間を情報に流されているなんて言う資格はな
> いですよ。私はオウムの陰謀論や何にしても、ネタ本がある事を知っています。オウム自らが事実
> を確認した情報があるのか。あなたも現世のひとと同じように、情報に流されているのがわからな
> いんですか。
> ただ一つだけ、「麻原」が多くのサマナを妊娠させたが、それは薬とセックスによる快楽によっ
> て、彼女らの言う妊娠をさせたことは知っているか?まあ、信じるかどうかは君に任せる。
> (しかし、貴方は随分高飛車な口調ですね。冷たいものを感じます。麻原は言ってましたね。冷た
> い人間が語ることばにはその節々から、その冷たさを感じると。)

■あまりゴシップざたにはしたくないので、詳しい内容はこれ以上は避けさせていただきます。

それから、君に説明させて頂くが、私は裏付けした情報しか信じないタイプであり、すごく懐疑的なんだよ。 だから、直接本人に聞いたり、別のルートで調査したり、自分で経験したものを基準に判断している。 それから尊師が多くのサマナを妊娠させたという件も私の心の中ではすべて説明がついているので問題はない。 それから、君も最初から気になっている私の口調が高飛車なのはわざとやっているのだ。 それは君と他の人のコメントでも違いがあることに気づくと思うが、それは君が元サマナであり、グルの弟子であり、 私の法友であり、強く縁を感じたから、わざと口調を変えたのだ。それだけ君に親しみを感じた友人としての 最後の言葉だと思ってくれ。しかし、もうこういう口調は使わない事にしよう。私の見込み違いだったのでこれからは、 丁寧な口調に変えます。今までの無礼な口調をここにお詫びいたします。<(_ _)>

しかし、あなたはオウムを否定しているにかかわらず、その節々にオウムの教義を持ち出していますが、 フィクションの団体の教義を一部でもまだ信じているのでしょうか?

>「麻原は言ってましたね。冷たい人間が語ることばにはその節々から、その冷たさを感じると。」

これをあなたは信じているのですか?でもオウムはフィクションだから真理に値しないならば、 この言葉もフィクションでは?それとも都合の良い部分だけは信じるのでしょうか?

> 麻原に聞いて下さい。あなたが言うようにおかしいですね。でも、四無量心の瞑想は感情がなけ
> れば出来ないんじゃないんですか。感情の働きもなく、慈愛の瞑想や、哀れみの瞑想は出来ないで
> しょ。感情のない哀れみ、称賛、慈愛とはなんなのでしょう。四無量心は人間界だけのものなんで
> すかね。貴方の問いによって矛盾に気づきましたよ。

■オウムの教義は土台に小乗があり、そして次に大乗があります。ここまでは理解されていますでしょうか? そして大半の信徒やサマナは、この土台の小乗の修行での途上にあります。要するに、個の完成としての成就を 果たしていません。そして真の大乗の実践は小乗の完成をした人が実践していく道だということを、教義で 学んでいたと思いますが、覚えていますでしょうか?

しかし、救済活動を展開するには時間がないと言うことで、小乗の修行を進めていきながら、大乗の実践を しないといけない状況が生じていたわけです。でも大半の信徒とサマナはいまだ個の完成はしていません。 でも救済活動は展開しないといけません。そして小乗の完成をしたとしても、そのまま涅槃【ニルヴァーナ】されては、 グルの意思する救済活動は展開されず、全ての魂の本当の利益につながらないでしょう。そこで、時間が少ないと いう事もありますが、並行して大乗の種子を植え付けるための実践として四無量心の瞑想などの修行をするわけです。

しかし、そこで考えないといけないのは、小乗の完成をしていない魂は大乗の実践は本当はできないということです。 そして「大乗の発願」とか「苦の詞章」や「四無量心の瞑想」は本来は小乗の完成の後の修行ですが、それを最初から 実践するのは、先程も述べたように大乗の種子を植え付けるのが目的です。 ですから、この時の「四無量心の瞑想」は内容は大乗の実践課題なのですが、実践している私達のレベルが いまだ個の完成をしているわけではない人が多いので、大乗的な実践となります。

ここであなたが言う矛盾が生じるのです。 大乗と大乗的な実践の差が生じているのです。 そこに輪をかけるように、金剛乗の教えも加わるのですから、さあ大変ですね。 土台も固まらない状態で、教えや秘儀伝授を次々とこなしていくとどうなるでしょうか? 人によっては消化不良を起こすかも知れません。ですから、大乗的な実践や金剛上乗的な実践をしている人が いるわけです。なかには本当に素晴らしい成就者の方々は、大乗の実践をされていましたが、その数はわずかです。

これで少しは理解できたかと思いますが、その当時の四無量心の瞑想を実践する人は大半は、 この大乗的な実践者ではなかったでしょうか。そしてこの大乗的な実践者が犯しやすい過ちがあなたが 指摘している慢を背景とした四無量心の瞑想の実践になるのだと思います。「四無量心を実践しているつもり」 これは、個の完成をしていないから仕方がないと言えば、仕方がないことです。これは、私達の修行レベルが グルの求めるものより低すぎたのが原因でしょう。 だから、大乗の種子を植え付けるのと同時に、大乗的な実践を行うために、四無量心の瞑想を、 その当時の人達のレベルにあわせて説いているに過ぎないのです。グルはその場に集う人達のレベルに 合わせて大乗ではなくて大乗的な四無量心の瞑想を説いたのでしょう。 しかし、法則とは不思議なもので、同じ内容でもその心のステージの違いで、受け取り方は変わってきます。

それから、情が感情という説明は今までの説法ではなかったと思いますが、いかかでしょうか? 情の捨断とは、愛著の捨断ではないでしょうか? 感情が必要ないと私の今までの文書で明確に説明しているのならば、それは私のミスなので、 申し訳ありません。それから、感情を捨てるのではなくて、無感動になるのではなくて、感情に翻弄されない 寂静の心を培う実践をしていたはずだと思います。

そして本当の四無量心はの実践は、その寂静の心の状態から意識して心を動かして相手にぶつける実践です。 そういう意味では感情は必要です。でもこの時の感情は人間界の情ではないのです。具体的に説明するには 言葉では難しいのですが、あえていうならば全ての魂に対する真剣勝負とでもいうべきでしょうか。 決して、上から見下すようなものではなくて、自己の全てをかけての真剣勝負だと思います。

しかし、四無量心の瞑想でもおわかりの通り、ほとんどのサマナや信徒は、大乗的実践者だったので、 魂の真剣勝負ではなくて、自己の心に余裕がある状態での四無量心の実践による慢の増長があったのだと思います。 そして我こそは真理を実践しているということで、本来のグルの意思をはき違え、傲慢だと気づかずに、 出家生活を過ごしていたのだと今回の事件を通じて理解しました。そして、グルの意思ではなくて自己のエゴで 生活していたサマナの空間が崩壊するのは当然のことでしょう。私達は多くのものを失ってやっとそのことに 気づいたのです。

神秘 さんからのコメントです。

>神秘さんへ02 投稿者:てんま  投稿日:09月17日(木)08時18分42秒
> 仕事の可能性と宗教を同じレベルで論じるとは、貴方の信仰心とはそのようなものなのですか。
> そのような心構えだから洗脳されるんですよ。どのような世界観を信じて生きていくかを論じてい
> るのに、現世での仕事まで一緒のレベルにされちゃ話しになんないや。

■それでは、普通の人に大変失礼ですよ。 人はその仕事に人生の全てをかけているのに、信仰だけが特別だと思う心のほうが、 傲慢な考えではないでしょうか?人は仕事やその人間関係を通して人生という自分の世界観を 構築していくという強い信念をもって生きている人に対して、その発言は侮辱ではないのでしょうか? 世界観は人それぞれ違うものであるし、それをまず理解した上で受け入れる受け入れれないと 判断するのではないでしょうか?

> 信仰するにあたって石橋を叩いて叩きすぎる事などないんじゃないんですか。人生の全てを賭け
> る訳ですから。
> まあ、オウムが正しいだろうと信じ、賭けてみてもいいとしましょう。しかし、麻原は何をしま
> したか。他の宗教の間違いを指摘し、(阿言宗、幸福の科学など)オウムこそ真理であると訴えて
> います。ならば、真理であると証明せねばなりません。可能性に賭け信仰しているのはどの宗教の
> 信者も皆そうでしょ。あなた方の信仰心のレベルは、阿言宗、幸福の科学のレベルと変わりないで
> すよ。

■そうとしか受け取れないのならばそれも仕方がないことですね。

> オウムこそ絶対的真理であると証明できぬ限り、他の宗教を批判したりするのは怠慢な行為であ
> るとしか言いようがありません。

■普通はやらないことですが、あまりのひどさに耐えかねた末の実践だから問題はないのではないでしょうか? それは、あなたの理想論に過ぎないのではないでしょうか? それとも、絶対的真理であるということが証明されれば、あなたはまたオウムに戻ってくるのでしょうか?

> 貴方はEQというものを知ってますか。貴方にはそれが欠如しているのでしょう。だから、他人
> の不快が解らないのです。まあ人間の情を超えるらしいですから、感受性の欠けたロボットになっ
> てください。感受性の無い物になぜ、他人の苦が理解できるのか。
> 情を超えるとは具体的にどういうことなんでしょ。
> オウムにいた時は見事に人間を超え、無感動なゾンビのような人間を多く見ましたよ。それが行
> く末ならば、感情のこもった笑いなんてないでしょうね。

■これは無智が噴き出してボーっとした状態とは違うのでしょうか? もしくは自己の苦しみに没入して固まっている人とか。私の周りには無感動な人は皆無でした。 無言の行や沈黙の行で、日々を黙って黙々とワークをしていた人はいましたが。

> そのような会話をしたいなら、いつから入信してどのようなワーク、修行をしたのか具体的に述
> べるべきでしょう。あなたの口調や言葉は霊的経験をしても心が熟成しない証拠ですね。

■あなたとはこれで最後なのでそれを説明する必要もなくなりました。
短い間でしたが、いろいろと貴重な意見が聞けてよかったです。ありがうございました。それから最後に、 この一連のやり取りで、ある人物が悟り、解脱に対する欲求が強まり、修行を頑張ってくれるそうです。 てんまさん、そして皆さん、どうもありがとうございました。 そしてその功徳によっていずれは真理と巡り会い、そして高い転生をされることを願いコメントを終了いたします。<(_ _)>

アルマさんへ(神秘さん) 投稿者:てんま  投稿日:09月18日(金)21時24分14秒

正しいかどうかも解らない思想に傾倒して行くのが危険だと言っているのに、仕事の可能性に賭 ける事とまでなぜ一緒に討論されなければならないのか。ここで問題になっているのは一般社会と はことなる思想に傾倒してゆくのが危険だと言っているのであり、もし、傾倒してゆくならばホン トに正しいのか十分な考察の上、傾倒していくべきだといっているのであり、なぜ、仕事の可能性 と一緒になるのか。仕事の場合は成功するかどうかの可能性が問題になっているのであり、思想的 なものの場合それ以前のその対象が正しいのかどうかが問題になっているのでしょ。普通の人に失 礼もなにもありませんよ。大体次元の違う話しなんですから。あなた方がそう捉えるのは、オウム を現世の仕事と同様に一つ生き方として考えているからなのか。まあそれでもいいが、ここで問題 としているのはその正しいかどうか解らない仕事に(オウム・殺し屋・泥棒など)就く事が問題だ と言っているのです。もし、その仕事が正しいのならちゃんと立証して下さいと言っているので す。(極端な例になりましたが、言いたい事理解してくれたでしょうか。)

>それとも、絶対的真理であるということが証明されれば、あなたはまたオウムに戻ってくるので しょうか?

そりゃそうです。ポワ思想にしても何にしても絶対的真理であるということが証明出来ないから問 題なのです。絶対的真理であるということが証明されれば、万人にとって選択の余地がないでしょ う。麻原が神であると証明されれば従いますよ。

>■これは無智が噴き出してボーっとした状態とは違うのでしょうか?もしくは自己の苦しみに没
>入して固まっている人とか。私の周りには無感動な人は皆無でした。
>無言の行や沈黙の行で、日々を黙って黙々とワークをしていた人はいましたが。

皆無と言うのがいいですよね。変な人、サマナにはたくさん居るじゃないですか。私はたくさん 見てきましたよ。そのうちサマナの生活でも紹介するつもりです。あと、私は麻原に幻滅させられ る前に法友たちに失望させられましたよ。コミュニケーションの取り方においては現世の人間以下 の人が多くいましたね。

>それから、君に説明させて頂くが、私は裏付けした情報しか信じないタイプであり、すごく懐疑的なんだよ。
>だから、直接本人に聞いたり、別のルートで調査したり、自分で経験したものを基準に判断している。

フリーメーソンに世界が操られている事を裏付け捜査したのでしょうか。凄いものだ。全て調査 出来ると言い切っているところが凄い。そんな情報力を持っている人がいるんですか。あなたは何 者でしょう。ぜひそのお調べになった真実を公表して下さい。麻原が信じていた川尻氏の「滅亡の シナリオ」ご存知でしょ。麻原はあの程度の情報を信じていた訳ですから、その点、裏付けをとる 貴方は麻原以上では。

>しかし、あなたはオウムを否定しているにかかわらず、その節々にオウムの教義を持ち出してい
>ますが、フィクションの団体の教義を一部でもまだ信じているのでしょうか?
>>「麻原は言ってましたね。冷たい人間が語ることばにはその節々から、その冷たさを感じる。」
>これをあなたは信じているのですか?でもオウムはフィクションだから真理に値しないならば、
>この言葉もフィクションでは?それとも都合の良い部分だけは信じるのでしょうか?

我々が(笑)の使い方に対し、それは失礼ではないですかと申した事が、そもそも四無量心の話 しの始まりでした。しかし、結局、非を認めることなく終えた訳ですね。

オウムには素晴らしい思想もあります。四無量心もその一つで解釈次第で大変良いものだと思っ てます。問題はグルイズムやポワなどにある訳であり、全てを否定している訳ではありません。そ れはどの宗教も同じでしょ。私がフィクションと申しているのは霊的な世界観です。心のプロセス においては良いものもあると思ってます(わずかですけど。)しかし、実践出来ている信徒がどれ だけ居るでしょうか。「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする。」このよう な苦の詞章にしてもどれだけの信徒が理解し実践しているでしょう。今回、私が指摘した(笑)の 使い方にしても相手を見下し、嘲笑しているだけでしょ。それに対し、四無量心の実践者ですかと 言った訳ですが、それ以前に人間としてどうなのか。失礼ではないでしょうか。しかし、非を一度 足りも認めることなく、相手の無智を哀れむ事は四無量心ではないの一点張りで終えた訳ですね。 あと、いろんな信徒によって捉えかたが違うでしょ。師によっても違う。サマナ時代よく師同士 が口論しているのをみましたよ。例えば今回私以外のところに出したレスが問題になっているみた いですが、あれなどは師によっては貴方は叱咤されますよ。

海野さんへ+RE:滝本さんがTenmaさんにみていただきたいそうです(1) 改訂 投稿者:てんま  投稿日:09月18日( 金)21時29分14秒

>>「オフ会参加するぞ・ オフ会参加するぞ・ オフ会参加するぞ・ オフ会参加するぞ・
>>オフ会参加するぞ・ オフ会参加するぞ・ オフ会参加するぞ・ オフ会参加するぞ」
>毎日唱えよう。( ゜o゜)ハッ てんまさんが危ない!(爆)
>男は一言「オフ会参加する!」で いいでしょう(笑)

つい、サマナ時代の癖が出てしまいました。「修行するぞ・修行するぞ・修行するぞ・・・・」 「「ポワするぞ・ポワするぞ・ポワするぞ・・・・」今でも頭の中を駆け巡る麻原の詞章・・・。 うなされるよー。なんちゃって。もう麻原の呪縛からは逃れました。 でも唱えるだけで現象が変わるなら楽な事はありませんね。

脱会信徒の中には今でも地獄の恐怖に苦しんでいる人が居るみたいですね。深刻な問題だと思い ます。私も幼少の頃から人一倍死後が不安で、精神世界・修行の道に入ったきかっけもその恐怖を 超えるためでした。

現在の私はその恐怖もなくなりました。 私はオウムに入り、現世から自由になった気がしましたが、今度はオウムが自らを呪縛している と気づき、脱会した今はもっと自由な境地になれました。 ここで投稿しているモノを読む人はまるで唯物論者になったかのように感じるかもしれません が、そうではないです。神も魂も転生もあるだろうという思いの方が強いです。漠然とそういうも のがあるだろうなと感じています。かといって何らかの宗教を信じようとは思いません。オウムの 人は無智になったと言うかもしれないでしょう。でも、今の方が純粋に信仰心を持てています。 ここまで至るにはいろんな経緯がありました。脱会してからの1年くらいはオウムに変わる真理 を求め放浪しました。しかし、結局全てに失望させられ、真理とは真実とは何なのか考えさせられ ました。その心のプロセスや出来事は、省略しますが今では真理を求め放浪することなくなりまし た。簡単に言うと自分の心の中に真理を見つけたというか、そんな感じです。

そういえば薬物を使ったイニシエーションでは多くの信徒が地獄やなんかのヴィジョン に恐怖を感じ、叫んだり暴れたりしてましたね。中には電球を割り、その破片で首を切ろ うというものまでいましたね。 わたしはどうかというと、そのイニシエーションの最中、至福の状態で快感の中に居ま した。なぜ、こう違うかというとただ単に心の働きなのでしょう。わたしもそのイニシ エーションの最中、多少恐怖を感じました。目の前には恐ろしい神の絵が飾られ、薬物の 影響で動き出したり、周りではおどろおどろしい声が聞こえたりと。まあ教団側も地獄の ヴィジョンを見せようとしたのでしょう。しかし、わたしは、薬物服用中においては少し の心の働きが助長されることを知ってましたし、日々の修行において(幽体離脱など)恐 怖心を消す事には長けていましたので、地獄のヴィジョンに心が捕らえられる事はなかっ たですね。まあ性格的なものもあると思いますが・・・私は楽天的で、地獄なんて落ちる と思ってませんでしたから。そして、その時思ったのです。地獄とは自らが作り出す幻影 ではないのかと。

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