チェルノブイリ事故

 チェルノブイリ事故は、1986年4月26日の深夜、ソ連のチェルノブイリ4号炉で、外部電力が絶たれたときを想定してタービンの慣性で発電して吸水ポンプを動かす実験をしていた。実は吸水ポンプは普段は外部からの電力で動いていたのだ。そして非常用ディーゼル発電機が作動する間この方法で原子炉を守るという実験を低出力運転でしていた。これは特別なものではない。そして実験が終わったときに緊急停止スイッチを回して制御棒が下りて原子炉は無事に停止する予定だった。
 チェルノブイリ原発は、ソビエト型で要となる核分裂の連鎖反応の中性子のスピードを抑えるのに黒鉛で取り囲むというやり方だった。日本の原発は水を使うやり方である。それが問題ではない。こういう水や黒鉛を減速材という。

 緊急用に制御棒があるがこれは黒鉛に穴が開けられそこへ入れるようになっていた。そこで重大な事が行われていた。この制御棒の穴を塞いで減速材の量を増やしより効率を高めると称して先に黒鉛の棒が取り付けられていたのだ。考えればずいぶんみみっちく異様な構造である。ところが制御棒を下ろすとき減速材が一部抜かれ材質の違う制御棒が入れられることになる。制御棒は何十本もあるのだからその数の黒鉛の棒が抜かれるのだから一時的に出力が上がる。特に低出力運転をしている時など不安定な運転状態だからこういう場合に下ろすと出力が異常に上がるという欠陥を持っていた。しかし現場技術者は誰も知らないというこれまた異状な組織管理状態だった。それで原子炉は一瞬に暴走し爆発した。制御されていた核分裂から暴走して核爆発したのだ。格納容器ごと原子炉が吹き飛んだのだ。

 この初期の時に、炉が爆発したと認識できず、炉が無くなっているのだから何の意味もない動かなくなっている制御棒を手動で動かすように命じたり、冷却水ポンプが何故動かないのか調べたりで、放射能渦巻く原子炉の真上の中央ホール行きを命じて何人もの犠牲者を出した。
 そして爆発音を聞いて駆けつけた消防士も12箇所に広がった火災を防護服無しで消し止めたが6人が急性障害で死亡した。

 技師達は作業員達の皮がむけ被爆した状態見て原発が爆発したとやっと理解した。星空が見えたり周辺に黒鉛が飛び散っているのだから理解せざるを得ない。ところが連絡を聞いて駆けつけた所長や技師長は原子炉が破壊されたという言葉をまるで受け付けず無事だと信じ込み、無意味な復旧命令を出してますます被害者を増やした。

 この時炉芯溶融で二次的なもっと大きな爆発の危機が迫っていた。メルトダウンはチャイナシンドロームとも呼ばれる。アメリカでメルトダウンしたら溶けた炉心はとどめようが無く地球の裏側まで行くだろうとそう名付けられた。しかし実際には地球の反対側まで行くことはない。どこかで地下水層に突き当たって最後の大爆発を起こすからだ。チェルノブイリでもそうなると残りの3つの炉も破壊して最大の惨事を招くことになる。動員された兵士達は周辺から穴を掘ってまず地下水槽の水を抜いた。そういうものが下にあったのだ。何万人もの兵士達が放射能に犯されつつ作業したのだ。(後は作成中)


戻るボタン