
| 初恋のきた道 |
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◇原題 我的父親母親(The Road Home) 2000年 中国・アメリカ 1時間28分 ◇ CAST チャオ・ディ: チャン・ツィイー STAFF 監督: チャン・イーモウ 撮影: ホウ・ヨン 美術: ツァオ・ジュウピン サウンド: ウー・ラーラー 編集: チャイ・ルー 音楽: サン・パオ 脚本: パオ・ シー |
■初恋のきた道
多くの映画を見てきた。だからそう簡単に納得しない。そう思ってしまう。すれてしまったのだろうか。決して感動する心の部分を無くしたわけではないのに。でもどこかさめた部分はある。
でもしかしだ。この「初恋のきた道」には打ちのめされた。冒頭から心から泣いた。そこここで泣き、涙が止まらなかった。ラストには嗚咽をこらえて泣いていた。これは自分で驚いた。49才になった男が20年くらい体験したことのない感動だった。
この映画はこれ以上ない愛の傑作だ。村にやってきた20才の教師をひたすら愛する18才のディ。彼女の愛の純粋さに深く感じたのだ。これほどの思いがあるだろうか。私たちの心を揺さぶる確かなものがある。実は当初の場面ではまたもさめていて、40年たった現代での、夫の死を嘆き悲しむ母親となった彼女の嘆きをただ眺めていた。心から値踏み的な目で見ることの愚かさを恥じた。今だぼうっーとしている。
| ●チャン・イーモウ作品 84 黄色い大地(撮影) 84 一人と八人(撮影) 86 大閲兵(撮影) 87 紅いコーリャン(監督) 87 古井戸(撮影・主演) 88 ハイジャック 台湾海峡緊急指令(監督) 89 テラコッタ・ウォリア 秦傭(主演) 90 菊豆<チュイトウ>(監督) 91 紅夢(監督) 92 秋菊の物語(監督) 92 画魂 愛、いつまでも(製作) 95 上海ルージュ(監督) 99 あの子を探して(監督) 00 初恋のきた道(監督) |
実は監督のチャン・イーモウは、「紅いコーリャン」の後「紅夢」で最悪だった。赤色を中心にするような外形重視の映画作りが息詰まったのだろうか。大きな危機があった。おかげで次の公開作「菊豆」を見なかった。
だが久しぶりに「あの子を探して」を見て驚いた。みごとに復活していたのだ。
何でもない人の何でもない生活の中の大きなドラマを描き撮る。日常から離れることなくそれらをみごとに描ききっていた。
そして今回の「初恋のきた道」でより大きく花開いた。これは中国の当たり前の人と生活を描く映画が現れたのだと思う。一つには政治的な原理だけでなく、自らの生活の大切さを中国の人も見つめるようになったのだろうか。その事を心から祝福する。
■チャン・イーモウ監督
テレビ東京 CINEMA STREET / 活きる ページ紹介より引用(行開けは私)
チャン・イーモウは、革命直後の1950年、西安で生まれる。父親は、国民党の元兵隊、医者であった母親が、家族の収入を支えていた。66年の文化大革命当時、学校が閉鎖され、何百万人もの若者とともに、田舎へ送られる。■西で、3年間農業に従事したのち、西安へ送られ、粉ひき労働を課される。このとき、製図の才能を認められ、毛沢東の肖像画を描かされるようになる。幼い頃から絵画や写真に興味を抱いていた彼は、自分の血を売りながら、カメラを買う金を貯めていた。
78年に、北京電影学院が再開されたことを知ったチャン・イーモウは、入学を申請した。描き溜めたポートフォリオを提出し、優秀な成績で入学試験をパスしたが、27歳という年齢は、当時の学校年齢制限を5歳も上回っているとして、入学を拒否された。彼は、その後も2度、北京へ出向き入学を願い出たが、受け入れられなかった。そこで、文化省に手紙を書き、自分は文化大革命により10年もの時を、無駄に過ごさねばならなかった旨を説明した。2カ月後、政府の介在により、チャン・イーモウは入学を許可された。その後82年に大学を卒業し、広西映画スタジオへ入社。85年、西安スタジオへ移る。
チャン・イーモウは、カメラマンとしてキャリアをスタート。82年のチャン・チュンチャオ監督の「一人と八人」を始めとし、数々の作品のカメラを担当する。83年、チェン・カイコー監督の「黄色い大地」では、最優秀カメラマンとしてゴールデン・ルースター賞を受賞。翌年のナント映画祭でも、同等の賞を受賞した。85年にも、チェン・カイコーの「大閲兵」の撮影を担当。
87年、ウー・ティエンシンの「古井戸」で、役者としてデビュー。この演技で、東京国際映画祭、最優秀男優賞を受賞。90年にもチン・シュウタン監督「テラコッタ・ウォリア」で熱演を見せている。
88年、初監督作品「紅いコーリャン」が、ベルリン映画祭金獅子賞を受賞。89年には、アクションスリラー「ハイジャック台湾海峡緊急指令」を監督している。90年「菊豆」が、カンヌ映画祭の正式出品に選ばれ、アカデミー外国語映画賞のノミネートを受ける。91年「紅夢」は、国際的な成功をおさめ、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞、さらに、アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。92年の「秋菊の物語」は、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞、コン・リーは、主演女優賞を受賞した。コン・リーとのコラボレーションは「上海ルージュ」まで続き、多くの話題を生み出した。
元国民党兵士の子供。「文化大革命」の時は本当に大変だったろうなと思う。しかし中国でも文化省はちゃんと国民に対応してくれているわけだ。なぜ入学できたか知り合いが不思議がっていたのだ。
思えば激しい苦労をしているわけだ。この時政府が介在して許可したおかげで、現在のチャン・イーモウがある。卒業後はカメラマンから俳優もやり監督へ。すばらしい展開を見せる。
そして今3年間の下放と粉ひき労働での多くの苦労が彼の映画の中に新たな実りとして結実しているように思う。