『ネメシス S.T.X』
スタートレックシリーズ終焉へ

当初からの生粋のファンとして
 カーク船長の登場する第1シリーズのオリジナルシリーズの初期のテレビ放映時から見続けてきた。私は生粋の熱烈なスタートレックファンである。だがこの映画『ネメシス S.T.X』はスタートレックシリーズの終わりの始まりというべき映画だった。
 現在テレビシリーズは第5シリーズ『エンタープライズ』で22世紀の初期の宇宙航行の始まりを描いている。何しろ要の転送装置さえ試験段階。宇宙航行のよちよち段階で、ファーストコンタクトの相手で導き手であるバルカンからもまだ宇宙航行には早いと言われ、友好的でないクリンゴンなどからは完全に馬鹿にされどこも認めてくれない。悪戦苦闘が続いている。日本ではケーブルテレビで第1シーズンの放映が終わったところだ。

 だが、テレビも最早色々なパターンをやり尽くしてこの『エンタープライズ』で終わりかなという感じが強い。そして映画シリーズがまずこの『ネメシス S.T.X』で終わってしまったのだ。

『ネメシス S.T.X』の良さ、不満の声
 『ネメシス S.T.X』の出来映えはすばらしいと思う。周囲もそうで、私も含めたスタートレックファンのかなりの意見かなとは思う。前作の愚作『叛乱』から大きく盛り返したと思う。

 しかしファンではない評論家の意見としては、
映像スタイルが過去のままで少しも変わらない。
話に新鮮味がない。
と、不満が出ている。スターウォーズ以降のSF特撮の発達は取り入れているのに、それを反映した画面展開、映像構成は、非常にオーソドックスで旧タイプのままだということなのだ。
 それはその通りでその意見は正しいと思う。またストーリーはおなじみのものではないかということなのだ。だがそれらを変えればスタートレックシリーズではなくなってしまう。だからもうこのスタートレックシリーズ自体が終末を迎えようとしている一因かとも思う。

 今回ライカー副長が、カウンセラーのディアナ・トロイと結婚して他の宇宙艦の船長として夫婦で転任することになる。その地球での結婚式が終わり、ディアナの母星ベタゾイゾでの第2の結婚式へ向かう途中で事件が起きる。
 つまり家族として暮らしてきたエンタープライズの仲間がいよいよ別れ、新たな道へ向かおうとしているのだ。副長がいずれ艦長となるというのは、この『新スタートレック』がテレビで始まった時からのお約束といえる。だが家族の解体で番組が終わるのでこれまであくまで暗黙の了解事項だった。だがそれがいよいよエピソードとして出てきたのだ。

スタートレックの誕生と理想社会
 スタートレックシリーズは、製作者であった故ジーン・ロッデンベリが、全てのベースを創作したもので、アメリカの開拓時代の牛をひきいつつ家族が幌馬車で移動したその生活をモデルにした。様々な星の人々が宇宙連邦の宇宙艦隊として妻子と共に生活し宇宙航行する。それはいろんな人種が暮らすアメリカの社会をモデルにした。
  それに宇宙艦と転送装置、遮蔽装置(連邦は条約で開発禁止されている設定だが)、シールド、レーザー砲と光子魚雷の武器の定番の機器類。

 時々出てくる現在の地球は病気も争いもない夢の理想世界なのだ。これはアメリカ合衆国国民が捉えた幻想的自画像なのだろう。何しろこの地球と宇宙艦隊では貨幣すら無いのだ。黄金の欲望で動かされることもない。実は旧ソビエト連邦もびっくりの一種の共産主義社会なのだ。
 ところがである。その夢の世界から一歩出ると宇宙は理想世界ではないと出てくる。『新スタートレック』(TNG)でもかつてテレビでピカード艦長のグチとして「地球は病も争いもない理想世界だから地球にある艦隊司令部はこの宇宙の欲望と争いと荒廃がわからないのだ。」と発言する。こういうことはその後もバリエーションを変えて何回か出てきたように思う。

 この宇宙での連邦と違い対立したり渋々つきあう集団がいる。これら非理想世界でない集団のうちで初期のいくつかのものはアメリカ以外の国々や主義そのものをモデルにした。
クリンゴン帝国はソ連、ロシア共和国。
ボーグは共産主義そのもの。
フェレンギは日本人。

 創作者ロッデンベリはパイロット版から始めたが「スタートレック」を売り込もうとして苦労してきた。第1シリーズがやっと作られても低視聴率で3年で打ち切られた。ところが各地のケーブルテレビで再放映が続きカルト的な熱烈なファンが増えてこのスタートレックシリーズが盛り返してきた。そして第2シリーズである『新スタートレック』の製作と爆発的な人気へとつながる。映画への進出もできた。そして『新スタートレック』終了直前に亡くなった。

 こうして第1シリーズの時は、さほどうまくいっているとはいえず、これはミスタースポック役のレナード・ニモイが『私はミスタースポック』という本で書いたのだが、ロッデンベリは金銭・事業面、生活面でずいぶん苦労してきれい事ではないものもあったようだ。何しろシリーズ終了間際には本来関係のない商業メダルを売り込もうとしていやがるニモイに命令し番組でメダルを不自然に付けさせたのだ。また番組俳優に愛人もいた。

 『新スタートレック』でより鮮明にされた金のない理想世界というのはその過去の逆投射であったのかもしれない。そして日本人のカリカチュアのフェレンギ人はその黄金崇拝が批判的に描かれる。
 これはアメリカ人ロッデンベリの生活体験と、自国の理想化と理想世界アメリカの価値観普及というスタートレックが元々持っている感覚とが融合したのだろうか。

 しかしアメリカ絶対化、アメリカンウェイの追求ではスーパーマンなどのアメリカンコミックスに比べるとはるかに弱い。スーパーマンは宇宙人なのにアメリカで育ったとからという設定で単純なアメリカ正義道を貫く。しかし世の中は複雑化する。10数年前スーパーマンはいったん死亡するのだが、その前には、最後には何が正義で正しいのかわからなくなる。戦うべき悪を見失ったのだ。象徴的なのはスーパーマンがベトナム戦争に行くのだが、妖術師の操るジャングルの怪物と闘うというストーリーしかできずあまりに非現実的だと非難される。

 この戦争では悪の側がアメリカである自分たちなのだがそれを出すわけにもいかない。そしてベトナム民族解放戦線と闘うわけにも行かずそんなストーリーになってしまったのだ。スーパーマン自身が正義とは何だ、一般の人はこんなにがんばっているのに自分を認めてくれないと悩むことになる。ちなみに私はスーパーマンは復活せず死んだままであると思っている。復活したものはスーパーマンではない。

他との共生の模索とアメリカの変質
 しかしスタートレックは現に多くの宇宙人と暮らしつつ多くの集団と宇宙で争いつつも悩み外交と話し合いで理想を追求する。単純な話ではない。もちろん、限界は大きい。
 しかし第1オリジナルシリーズでは、各星の自立性など形だけでほとんど考慮せず、哲学的内容にアメリカ的生活と思考・政治−アメリカンスタイルの優先を訴えるメッセージが見え隠れしていた。
 でも第2シリーズTNGでは大きく前進した。まず「艦隊の誓い」として次を徹底している。
ワープ航法以前の文明には決して異星人として接触しない。
各星の政治、歴史、文化を尊重して介入しない。
  そしてピカード艦長は外交の手腕が大きく、絶えずいかに他の星の人たちとつきあうかがテーマとなっていた。

 私たちの目には今やアメリカが世界から、恐れられ、あるいは嫌われつつ、自国を絶対視し軍事力のみ突出して世界を支配しようとしているようにさえうつる。スタートレックが終わりを開始したのはかなりアメリカナイズされているとはいえ、話し合いで理想を広げていくスタイルが残っていた内容の基本が、今のアメリカ大衆のアメリカ絶対化・軍事支配化という要求と合わなくなったのではないかと懸念している。

 アンドロイドのデータ役、ブレント・スパイナーは今回のストーリーの原案を作ったが、映画パンフレット上のインタビューで、シリーズが終わるのではという質問に答え、「それはヒットするかどうかだけでヒットさえすればいくらでも作るし、また私も出演する」と答えました。
 しかし、実は『ネメシス S.T.X』はその後アメリカ国内ではかなりの不評で上映は早期に打ち切られ興行的には大失敗だった。

 やはりスタートレックシリーズ自体が終わろうとしている。これはほぼ確定のようだ。
 多くの人々と理想を追い求め悩み試みつつ航行するスタートレック、それはアメリカがかつて持っていた面であり、文化として私の一部であり、希望の一つだった。残念でならない。


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