発刊に寄せて

久野 収


 支配政党の金権腐敗、この政党に巨額献金する経済主流が見逃す無責任なマネーゲーム、巨大化したマス文化の画一化作用、これらは相乗効果を発揮して、いまや底無しの様相を呈し、民主主義の市民と世論を呑み込む勢いである。

 この三つの荒廃には、さまざまな超越的、イデオロギー的批判が下されている。しかし、あまりものをいうようにも見えない。

 むしろ、いま必要なのは、前途をどうすれば明るくできるか、その勢力と方法の芽生えはどこにあるのかをはっきりさせる内在的、打開的批判であり、この批判を職業し、生活し、思想する主権市民の立場から実物教示してみせる仕事である。

 われわれは、三四年を積み重ねた『朝日ジャーナル』の一貫した志の中断をはなはだ残念に感じ、ここにその志を継承し、さらに発展させる週刊誌を新しく発刊しようとする。

 いかなる機構、どんな既成組織からも独立し、読者と筆者と編集者の積極的協力の道を開き、共同参加、共同編集によって、週刊誌における市民主権の実をあげるモデルの一つを作りたいと願っている。

 われわれをバックアップしてくれるのは、三四年に及んだ『朝日ジャーナル』だけではない。一九三五年、ファシズムの戦争挑発を防ぎ、新しい時代と世界をもたらすために、レ・ゼクリバン(作家・評論家)が創刊し、管理する雑誌として出され部数十万を数えた『金曜日』(ヴァンドルディ)の伝統もある。「自由な作家・評論家と自由な市民から成る読者大衆との直接交流」の熱望を生かすために、ロマン・ロラン、アンドレ・ジッド、哲学者アラン、マリタン、バンダ、物理学者ジョリオ・キュリー夫妻以下四十数名の編集者の名前を表紙にずらりと刷り込み、社説、発言、政治ニュース批判、社会時評、海外情報、芸術、科学、哲学、大衆娯楽の各欄を大きく取り、長編連載小説まで組み込んだのが、この週刊誌であった。さらに『金曜日』に刺激され、一九三六年、京都で発刊され、京阪神だけで一万部近くに達し、「生活への勇気、精神の明晰、隔てなき友愛」をモットーにした週刊誌『土曜日』の伝統も加わっている。

 読者諸君、執筆者諸君の積極的参加を心から期待したい。

 一九九二年一〇月三〇日


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