私の作りたい雑誌 読みたい雑誌

筑紫 哲也


 ジャーナリズム、マスメディアのことを考える時、私は水の流れようを思い浮かべる。

 水源(アカデミズムを含むソース)がやがて小さな流れ(雑誌など)を作り、やがて本流(新聞など)となり、この本流から枝分かれしたり、そこに注ぎ込む支流として別のタイプの雑誌が存在し、やがて河口の大河(いまではテレビの役割)に至る。

 個人的に私はこの流れを二往復ほど漂流して、いま河口にいる。そこには塩水やゴミなども交じり合って混沌としているが、それはそれでおもしろくないわけではない。それぞれの部分に役割があると思うのだが、流れのありようを決める一番大事な部分はどこかと問われれば、私の経験から言えば水源をふくむいちばん上流だと答える。ここの水質がよくないことには、川下の汚染はどうにも施しようがない。

 情報化社会とやらの名で呼ばれているいまの私たちの社会だが、溢れているのは濁流のような情報が多くて、しかも上流の水質がそれほどよくない。

 この状況のどこに問題があるかを考えてみれば、いま必要なクオリティ・マガジンとはどんなものかの答えは自ら出てくると思う。 私流にこれを整理すれば次の五点。それが私が作りたい、読みたいと思う雑誌である。


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