市民派宣言

981129新設

[市民派とは?]
 市民派というのは実に新しい言葉だ。つい最近まで市民が大きく語られることはなかった。NPO法ができた。そして情報公開法がついに国会に上程された。これで日本も様々の紆余曲折があるだろうが、市民の時代へと入ったと思う。

 これまで、市民活動、市民運動など市民の動きというのは一部の人たちのものだと思われていた。またやっている人たちもいつの間にかそれを受け入れていたように思う。市民運動にもただ反対さえしていればいいんだなどという人が結構大きな部分にいる。それはそうではないのだということを改めて表明したいと思う。市民派として社会に欠かせないそして重大な構成要素としてあるべきものなのだ。またそれは社会の中で、経済に、政治に、言論に大きな位置を占めていくべきものである。またそうなるだろう。また必ずそうしていくべきものだ。

 アメリカのNPOはGDPの4パーセントを占める。いずれは日本でもそうなる。そして同じく市民運動から政府へスタッフとして参加することも実現するだろう。また政治家も市民運動からどんどん出ていく。結局はいつでも代われますよ、いやだったら、やる気がなかったらそこをどけて下さい。私たちがやりますと言えなければならないのだ。

[正と負の遺産]
 頭だけで考えないこと。頭の中だけで完結させようとしない。それを肝に銘じたい。私たちは多くの負の遺産も抱えている。理論だけで全てを推し量ろうとして、「最後に世の中を変革する。だから過程などどうでもいい。」それが色濃く私たちの中にある。否定してみたってじっと自分の中を見つめてほしい。そして思い起こして欲しい。なぜ日本の市民は政策提言や制度を作ることが苦手だったのか。あなたは何か政策や制度を提言しようとしてきたか。市民社会をつくり政府をつくろうとしてきたか。私だって学生運動の経験はない。でも前の人がそうやってきたのだ。だから受け継いでいる。それをどう克服するか。

 言いたくはないが、例えば88年頃に丸木美術館にカンパで「太陽電池を取り付けようとしたら、そんなものを取り付けても電気や原発問題の完全解決にならないのに反対だ」と電話がいっぱいかかる。そんな感覚なのであっという間に変革しなければならない、つまりは革命でなくてはならないのだね。何か具体的にやれば段階的なものになるのでそれらは中途ハンパで全てダメという。つまりは具体的なものを作っていく感覚がまるでない。最近さすがにそういう連中は少しおとなしくなったが、まだまだ多くいるのだ。「まず原発を減らしても電気を減らさなくていい」と選挙カーで訴えると、「電気を減らさなければ意味がないからやめろ」と突然車の中でお説教するやつ。頭の中だけで全て完結してなくてはならず、すぐにお説教して強制しようとする。典型的な古い運動家だ。やな連中だ。うっとおしい。

 日本の大衆運動がやってきた役割を過小評価しようというのじゃない。日本がまだ貧しくそして冷戦の最前線の国だった頃、平和運動が日本ほど盛んで国の進路に大きな影響を与えた国は実はないのだ。これはなかなか信じられないだろう。戦争と平和、軍事化と平和主義の間の厳しい緊張が重大な政治の争点として、他の国には見られない比重で一貫して占めていた。それは人々が平和を望んでいたからだ。そして反戦、反核、反軍国主義、反再軍備、反安保、反基地、反軍事化といった平和主義を原点とする市民の行動が、国家権力のコントロール機能を戦後に一貫して果たしてきたのだ。戦後の日本では、市民の平和意識や平和運動が、政治体制の民主化を進めて定着させるのに他の国以上に大きな役割を演じたのだ。

 うそーと思うかい。韓国やフィリピン、ヨーロッパでもギリシャ(映画『旅芸人の記録』、『Z』を見たらいい。)ではみんな軍事クーデターを経験している。みんなどんなにひどい目にあってきたか。日本でも1957年2月から60年7月の岸内閣の路線というのは実は日米安全保障条約改正を要に憲法を改悪して戦前の日本的な体制に戻すことだった。これは歴然としたことなのだ。

 もし市民の平和主義が無く、「国論の分裂」が無く、再軍備・軍拡指示、安保支持、核戦略支持一色だったら、日本は親米反ソ連だが、権威主義的独裁・反民主的反共体制という米国の多くの同盟国と同じ歴史を歩んだだろう。実は西欧先進国を除けば、冷戦の前線にあった米国の同盟国で軍事クーデターを経験しなかった国は皆無に近いのだ。先進欧米にしか民主主義が存在しない時代があったのだ。日本ではそれを大衆運動が阻止した。国会を大衆デモが取り囲み突入した。機動隊が暴れかかりデモ隊には死者も出た。安保条約は通ったが、軍事国家化を目指す岸内閣は倒れた。このことの意味を改めてかみしめたい。

[先進国化と市民の動き]
 その後池田内閣の高度成長路線が始まる。これは岸内閣が倒れ政治的な意識が高いから国民の眼を経済に向けさせ振り子を戻そうという一時的な待避という思惑で始めた政策で、決して意識的に行われたものではない。それが思いもかけずうまくいき、成長し続けていけたのは、これも日本の大衆と企業経営者の大きな努力なのだ。決して官僚が意識的にコントロールしたからできたわけではない。

 実は官僚は自動車産業を大きくするのには反対だった。アメリカにかなうわけがないという意見だ。何を言ってるんだという経営者の独走が高度成長の基盤となった。もし自動車産業が大企業にならなかったら日本の高度成長など無かったのではないか。こういう例は山のようにある。官僚などその程度の発想なんだ。それなのに成果を独り占めして俺達がやったからと言いふらしている。もちろん官僚主導の法律や間接金融などの昭和16年体制というのが経済発展に大きな力を果たした。これは否定できない事実だろう。でもあくまでも発展というのは共同作業なのだ。そして引っ張ってきたのは国家でも官僚でもない。いろいろの日本社会の大衆の渦の中から現代日本は生まれてきた。

 多くの人々の汗と血の努力で日本は先進国となった。そのとたんに今までのシステムは官僚体制、経済、政治も含めて全てうまくいかなくなった。そして同じく日本の市民運動、市民の動きというものも実は岐路にさしかかっている。

 戦後の平和主義とその市民運動が大きな役割を果たしたことは述べた。今日これらの運動を「古い」と過小評価しようという動きがあるが、それは戦後の歴史を省みないことだ。この歴史事実をしっかり踏まえることがとても大切なのだ。

[市民社会と制度政策を作る]
 しかしこの市民運動は大きな問題があった。市民運動には二つのタイプがある。それは政府と制度を作り変え、権力を置き換えようとする第一のタイプ。第二のタイプは権力と終わることのない緊張関係に立つ絶対的反権力運動で平和運動などがこれに入る。

 日本の市民運動は平和運動から生まれたこの二つ目のタイプで、そこから発展してきた各運動も全てそういうものだった。でもそれだけでは反面では実は権力の絶対の変わらない存在を前提とするのではないか。決して権力の中身を問うことはないのではないか。

 97年に死刑廃止の運動家を講演によんだ。そうするとその人は反権力絶対運動の固まりで「今は対案を出すのがはやりだが、私はとにかく権力に反対さえしていればいいんだ。そういう運動が正しい。」大臣になれるなら改革主導のためになりたいと言った私の知り合いに「大臣になりたいのか、変わった考えだ」と応じた。私は大変悲しい気持ちになってその死刑廃止の運動家に対して「それはおかしい。私も長年市民運動をやっているが、それでは何も変えようとしていないし変わらない。対案を出すのははやりではない。」と反論した。実は病気になったときにとても心配した古くから知っている人なのだ。

 その時ついに言えず後で知り合いに言ったが、
「ただ権力に反対だけしていればいいと言うのなら昔の封建時代に『お殿様、何もわかりませんがどうか止めてくだされ』と直訴しているのと実体は変わらない。私たちには政府を作れる民主主義国家にいる。制度も作るのは私たちで、あれではあまりにも思考停止で受け身でしかない。」と。その人は国会への働きかけも政府に交渉すらしたことも無いのだ。

 日本の市民運動は市民社会を自分たちでつくることを考えてこなかった。絶対の権力反対というのは実は、体制側が設定した枠組みやルールや制度を前提にして運動を行う事が非常に多い。60年安保以後は少なくとも民主主義を前提にしている。これが仮に反民主主義や軍国主義の国なら打倒という形で新たなものを作るという運動も成立するはずだが、日本では民主主義国なのでそういうやり方も成立しなかった。絶対権力反対運動だった日本の運動は、だから市民が自分たちで市民社会をつくり、ルール、条例、法、制度をつくってやがては政府をつくるという意識がほとんど欠落していた。つまりは絶えざる反権力でパフォーマンスやシュプレヒコールさえしていればそれでいいということになるわけだ。何もつくりはしない。制度つくりさえなかなか考えようともしない。政府への働きかけや交渉、国会にもロビー活動をしない。

 私も苦い思いをした。情報公開条例制定運動で私なども加わって3人で「市民がつくる情報公開条例」をつくって、集会を開いて披露したが、参加者の内の情報公開の運動以外の旧来の運動タイプの方たちは、コピー料がただになってない、完璧ではないと感情的に騒いで私をつるし上げたのだ。こういう馬鹿なことになる。すかっとあたりのいいことを書いて感情的にスカッとするのが制度つくりや条例つくりではないということもわからない。悲しいことだ。

 市民運動が、政策・制度を作ろうとしたり法律や条例を書いたり、ましてや政府をつくるなどと考えては自殺行為だという反論があるだろう。しかし市民運動が終わることのない運動だといっても、ずっといつもいつも運動だけにとどまり、それ以降を実行したり考えてもならないということではない。私たちはそれらが思考停止であり怠惰に過ぎないと気づくべきではないか。もちろん今までの市民運動を一歩踏み込んだ所に来ていると絶えず自覚してどう自分たちのヴィジョンを政策化するか緊張していなくてはならない。そうでなければ堕落してただの権力病や権力のメッセンジャーになるだけだ。

 少し外れるがその意味では佐高信の菅直人批判は難しいところなんだなと思う。

 いろいろと文句も言ったがこれらは決して相互に補完するもので、何も対立したり近親憎悪的に非難し合うものではない。理念を守ることもだいじで、それらを実現するために構想して制度・政府つくりに動いていくことも大事なのだ。理念は押さえておかないと堕落してしまう。

[新たな市民派の時代へ]
 私たちは、新たな時代の中へ踏みださねばならない。先進国が市民の社会であることを考えればこれからの日本は私たちが主導していく時代に入ったのだ。NPOのネットワークを社会全体に広げていこう。そして市民政策提案、国会ロビー活動、政府自治体交渉。これらは市民が社会をつくる活動としてまずその端緒として始めねばならない。

 そして選挙である。いずれ市民政府をつくる。そのための選挙である。政治活動も市民の政治をつくるためのものとする。政党もまたそのための道具(言葉は悪いが)とならねばならない。これを見ているあなただって市町村会議員や国会議員に立候補する可能性がある。これからの日本は私たち市民派がオピニオンしていくのだ。後はない。踏み出していき新しい時代をつくろう。

 取りあえずの提案として、情報公開法は市民社会をつくるその意味で最も必要なものである。市民社会をつくり政策や制度をつくるのも、何をするのでも政府権力の情報独占ほど害になるものはない。情報公開法案は何としても成立させねばならない。とりあえずこのままの法案で通そう。そして4年後には裁判管轄を変更して地域住民の居住地の裁判所から提訴できるように改めさせよう。またNPO法は3年後の2001年の見直しの時にNPOへの寄付の免税をぜひ認めるようにさせなければと思う。
 市民側のファクターを社会に拡大し広げていくことが何よりも必要なのだ。

というのが私の市民派宣言である。少しずつ書き改めると思う。あなたの市民派宣言はどんなものか。どうか教えて下さい。


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