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移住者の会創立20周年
「トークしよう“私達の昨日・今日・明日”」より

日系社会の歴史

門田ゴードン(NNHCS会長)

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 移住者の会20周年おめでとうございます。

戦後の移住

 戦後、カナダの移民法が改正されましたのが1965年です。これにより、結婚等で来た人は別として、戦後初めての移住者が来たのが1966年です。その頃は主として技術移民が多く、そして農業移民者として南アルバータのレスブリッジ方面で働いた人も数百人いました。カナダ大使館で働いていたとき、横浜に有りました研修センターの何期生かが1960年代後半から70年代にかけて入って来まして、年に700名とか800名、 一番多いときで千2百人だったでしょう。
 日本でもカナダに対して観光旅行という事でも焦点があたるようになり、1967年はカナダ建国百年記念でモントリオールで国際万博があり、移住者と共に観光客も来るようになりました。1970年には大阪で国際万博があり、カナダとして4つのパビリオンを出して参加しました。アーサーエリクソンが設計したカナダ館の他にBC館・ケベック館・オンタリオ館です。この大阪万博により、カナダに対する関心が寄せられたと記憶しています。
 移住者にも、今でもそうですが、資格が必要になり、いわゆるポイントシステムで、幾つかの項目で採点され、それに合格する必要がありました。それに合格して資格を取り60年代後半から70年代にかけてカナダに入って来られました。
 そういう資格はないけれどカナダに住みたいという人は、観光という事で多くの人が来ました。観光についてはカナダと日本でビザなしの合意が早い時期、72年頃に出来てたのです。当時香港からの密入国者も多く居たのですが、73年に永住希望者に正式に許可を与えました。カナダ政府は同時に移民法の整理をしたのです。
 70年代は日本の経済も成長し、日本からの移住者は思ったより多くはありませんでした。それ以来今日まで、年間に千人を超えるようなことは稀でした。特にインド・香港・中国からの移住者に比べると日本からの移住者は少ないのです。

日系移住百年祭

 移住者の会が出来ました1977年には、日系百年祭がありました。最初の移住者として、長崎の永野万造が1877年にビクトリアに上陸したのです。そこで1977年に、日系移住百年祭をやりましょうという事で、この1年間に全カナダ17ヵ所でいろんな行事が行なわれました。各地でイベントが行なわれた事もさることながら、この時点で各地の日系人の横の繋がりが出来たという事で、有意義であったと思います。

日系人の歴史

 遡って、戦前からの日系人の歴史を考えますと、1800年代の終わり頃からの移住者、いわゆる一世、そしてその二世が居まして、第2次大戦により日本人の血を引くものは皆敵国人と見做され、開戦後2~3ヵ月後に強制移動させられました。BC州の沿岸から100マイル以上奥地に移動するというのが、1942年の日系人強制移動でございます。ホープはバンクーバーから90マイルですが、1942年2月にその先10マイルの所にバラック建の収容所が出来、約4千人の日系人が収容されました。その他、ミッドウエー・ニュー デンバー等6ヵ所の収容所があり、日系人は皆そこへ強制移動させられたのです。中にはもっと奥地へ行ったり、トロントの方へ移った人達も居ます。
 戦争が終わった年にはバンクーバーには一人の日系人も居なかったのです。4年後の1949年4月に始めて沿岸に戻っていいという許可が出て、1950年代始めにかけて日系人がこの地域に戻って来たのです。一方、ウイニペグやモントリオール等、東部に行った人も居ますし、南アルバータで農業をしたり、ヴァーノンやケローナに住み着いた人達も居ます。
 日系百年祭では、こういう人達との交流が出来たのです。カナダ政府が、1960年代には英仏二文化の国と言っていたのが、1971年に多様文化主義法が制定され、1970年代になって多様文化の国と言うようになのです。その1977年に日系百年祭が行なわれたのは意義有ることだったのです。パウエル祭もこの日系百年祭の一つの行事として始まり、柴田さん山本さんそして山城さん達が活動しました。
 日系人の中もマルチカルチャだと思います。日本語を話す人や英語を話す人、戦前移住者や 戦後移住者、そして二世 三世。三世四世となると80%以上が日系の人以外と結婚してますから、その子供達も日系と言うべきかと言う質問もありますが、私は敢えて日系人と拘る必要はないと思います。日系コミュニティーに関心のある方々が寄って、いろんなイベントで協力し交流する事が大切だと思います。
 日系コミュニティーにはいろいろな組織があり、ばらばらで統一できていないという心配の意見がありますが、それはそれで良いと思います。てんでんばらばらが良いという意味ではなく、夫々の背景に応じた活動をし、共通性のある事柄の時に共同して活動・交流すれば良いと思います。
 1977年の日系百年祭はいろんな意味で、新移住者も含めて、文化交流あるいは日系人・日本人の交流のきっかけと言いますか、存在の意識と言いますか、新しく日本から来た人達もカナダ社会の中に入って生活できる、そしてその中で共通性を見つけて活動が出来るようになったと思います。特に戦前からの日系人にしてみればコンフィデンスが生じたと思います。
 又1977年11月に、カナダ政府による戦時中の日系人強制移動に対する、日系補償の運動が始まりました。強制移動から30年以上経過していたのですが、あの不正に関してなんらかの謝罪なり補償なり求めるべきだという動きになったのです。

カナダは多様文化の国

 カナダ言う国は多様文化の国であり、カナダというのは一つの国なのですが、10の州が寄って連邦という一つの国を作っており、夫々の州に独自の強い権威があります。カナダは1867年にイギリスから独立したのですが、憲法はイギリスにあずけたままになっていたのです。それまで何回も憲法の復帰を図ったのですが、やっと1982年にトルード内閣により、カナダ独自の憲法が公布されたのです。それと同時に、カナダにはそれまで無かった人権憲章も出来ました。
 1970年代後期は、丁度そういう多様文化・他民族主義の活発な時期であり、私達の日系補償運動もその時期に始まったわけです。戦後移住者の方にも理解して頂こうと思い、当時鹿毛さんにもオタワに同行してもらいました。
 20年前に移住者の会が出来たのは非常に有益なことだと思います。その創立に努力された鹿毛さん、柴田さん、山本さん達に敬意を表する次第です。これからも、あまり難しく考えないで、日系社会の中で共通性のある事があれば皆さん寄って、お互いの存在と交流をエンジョイすることが非常に良いことだと思います。
 移住者の会の益々のご発展を願っています。


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