

「 私達の昨日・今日・明日」(その1)
移住者の会ホームページ
"私達の昨日・今日・明日は"「私達、移住者・移住者の会・
日系社会の過去の経験・歴史を聴き、私達の今日の生活の知恵を相互に話し、
私達・日系社会の将来の語り合いをしよう」という主旨で行なわれました。
その場で出たお話を掲載(文責;編集部)します。
束川エリックさん
(JCCA会長、日本へ出張中)のメッセージ
中秋の名月も過ぎ、こちらも秋めいて参りました。JCCA
会長として日本より一言ご挨拶を申し上げます。
よくJCCAは移住者の為のものではない と思われていますが、
実はそうではありません。
JCCAを日本語にすると日系市民協会なので「私は日系人ではなく、
日本人だから」と思う人も少なくないそうです。
しかし、市民権をとった人だけでなく、カナダに住む日本系の人の為の会です。
つまり、一世・二世をはじめランデッドイミグラントも含みます。
だから三世や私のような四世の目から見ると、JCCA
と移住者の会、二つの会の存在に疑問を持ちます。
移住者の目から見るとJCCAが自分達の為ではないので当然だと思います。
移住者も一世です。私はこれからもこのような誤解を直して行きたいと思います。
これからはJCCAと移住者の会はますます協力しあって行かねばならない
と思います。
プログラムも色々と相互が幅広くアピールしなければならないと思います。
例えば、JCCAでは移住者のための就職セミナーを企画しています。
こらからも二つの会がますます協力しあい、
日系社会の発展の為に貢献して行きたいと思っています。
山城猛夫さん
(移住者の会発起人代表、隣組事務局長)
1977年日系移住百年祭を期に、JICAからの援助金の話もあって移住者の会
の発足の動きが始まったのですが、それ以前から戦後移住者の有志が
月に1度集まっていました。
それがだんだん人気が無くなり開店休業状態となり、
最後の世話をしていた平野雷秀が隣組に再建の話を持ち込んで来られました。
そこで隣組の一人としての私と、ランゲージエードで日系人にサービスをしていた
坂田道子さん、山本くに子さん、柴田祐子さん等が集まって協議をしました。
そこで私と小泉まやさんが代表ということになって組織作りを進めました。
その段階で日本とカナダの間で働いている鹿毛達雄さんのことを知り
移住者の会の会長になって頂いた次第です。
このように私は移住者の会の橋渡しをしただけで、今日も隣組で働いており、
私も古い移住者ですが隣組として移住者の仲間として共同で活動を続けております。
日系コミュニティーについて現在感じていることを一つだけ話させて頂きます。
それは、日系ヘリテージ・センターのプロジェクトについてです。
中心になっている方々は熱心ですが、コミュニティー全般のグラスルートで
認識が低いと思っています。
隣組自身が中に入っていないので申し上げにくいのですが「これは皆の将来ですよ」
と言うことです。
新さくら荘は工事に入りました。組織には設備が必要です。
ここ日系プレースが日系コミュニティーの中心になることは間違い有りません。
新さくら荘が出来れば日系コミュニティーがそこに出来ます。
現在隣組は日系ヘリテージ・センター協会から外れていますが、
隣組は皆さんと一緒に歩くことは得意ですから、
日系の人が住むようになった時には、これまでと同様に一緒にやって行きます。
格好いい言葉ですが「住み良い社会を作るため」我々も共同して活動したい
と思っていますので宜敷お願いします。
日系ヘリテージ・センターの将来には、まだまだいろんな事があると思っています。
私自身はこれからの皆の課題だと思っています。
二つのディベロップメントが残っているは大変なことだと思います。
そして近くに変電所があるという事です。
現在は科学的に問題は無いといわていますが、将来にどういう結論が出るか
は未だわかっていません。
そういう場所に作るのは問題だという理由で隣組は抜けたのですが、
私はそれに拘っては居ません。
隣組は日系コミュニティーの一員として今後とも
一緒に歩んで行きたいと思っています。
久保谷信治さん
(元会長、JCCA役員)
私は1972年にカナダに移住して来ました。
長男なものですから、親には「3年で帰ります」と約束してきたのですが、
今では日本に住んだ時間よりカナダに住んだ時間の方が長くなってしまいました。
あるときパートナーから「移住者の集まりがあるから行ってみるか」
と誘われて、参加しました。
それがきっかけで会報、当時は手書きでしたが、のお手伝いをしたり、
役員になったりしました。
そういうボランティア活動という一種の病気にかかってしまったようです。
パウエル祭に移住者の会も参加しようではないか、ということで
相撲を始めました。17〜8年続けて来ました。
トロントで新企会という新移住者でビジネスをしている人達の集まりがあり、
バンクーバーでも創ろうではないかと移住者の会で話が出て出来たのが企友会です。
その後、子供達の事を考えて日本語学校をつくろうと考え、
移住者の会の力を借りて出来たのがバーナビー、サレー、フォートラングレー、
ノースバンクーバーの日本語学校です。
ある時JCCAが困っていると聞き、移住者の会から役員を出して
乗っ取ろうではないかと話したのですが、
結局私一人だけが入り、ついには会長までやる羽目になりました。
そんなことで今でもJCCAの役員をやっています。山城さんも日系プレース
の話をされましたが、完成は未だ先です。
それでJCCAのビルディングを建てたのですが使用率が非常に少ないのです。
文化センターが完成するまでJCCAで何かやろうではないかという事です。
日本で今すごく若い人やシニアーを対象にしたアダルト文化教室
のようなものが盛んです。
学校を出て社会に出て、実は学校はなにも教えてくれていないことに気付き、
実際の社会の経験者から習おうではないかということです。
日系人が料理教室というと日本料理を考えますが、イタリア料理とか
スペイン料理とか中国料理を。
タイ料理なんかとても面白そうです。
そういうことを、ここでやってみようかなと、今計画しています。
柴田佑子さん
(元役員、UBCアジア学科講師)
先程 山城さんや鹿毛さんがおっしゃっていましたように、
この会は1977年、日系百年祭に「この機会に戦後移民の会を創ろうではないか」
という意図で、当時イースト・ヘースティングにあった隣組に集まり
鹿毛さんを会長にしてスタートしました。
実は「移住者の会」ができる1年前から私は鹿毛さんの奥様ディアンヌさん、
小泉まやさん、当時UBCの社会福祉学部のマスターコースにいた
ウエンディーさんの四人で定期的にストラスコーナのコミュニティー・
センターを借り、あの頃子育てをしていた日系女性にカナダの
教育・医療・社会制度などの情報提供のため
「女性オリエンテーション・グループ」という集まりをやっておりました。
これは1966年から1972年をピークにしてカナダに来た技術移民の人達の集まり
「新移住者の会(平野氏会長)」の会員がカナダに根をおろし始めた頃です。
移住者の会の想い出というと、昔の隣組に皆で集まり夜遅くまで会報の為に
皆で苦労したのが思い出されます。
今日ここにいらっしゃる山本久仁子さんもご一緒でした。
新納さんが中心になって当時のガリ版刷りでニュースレター
を発行してたのを思い出します。
今はもうそんな事をしなくてもいいコンピュータの時代ですから簡単にできますね。
時代が変わりました。もう二昔前の事です。
これからの日系コミュニティーに関連して山城さんが日系プレース・
ヘリテージ・センタの重要性について話されましたが、
私は日本語講師としての体験から感じる「言葉と文化の大切さ」
を少しお話したいと思います。
特に多様文化、モザイク文化を唱うカナダに住む私達ですが、
やはり私達がVISIBLE MINORITYである以上、
少しでも日本語または日本文化/伝統を知ること、またそれを私達各自の
カナダ移住体験のレンズを通した知識として、一般のカナダ人に、
また「一般の日系カナダ人」に説明できるようになることが、
これからの日系コミュニティーのメンバーとして必要だと思うのです。
バブル崩壊後の現在も世界はアジア諸国に目を向けている様子で、
いまだに日本語を取る学生が増えています。
これは、日本語の株が高いということでしょうか。
でも、これからの日本語教育は「量より質の時代」であると言われ始めました。
ただ日本語がなんとなく「話せる」という学習者数の時代は終わったようです。
この数年、新移住者のお子さん達、新二世の学生が毎年増えています。
「時々親戚に会いに日本へ行きます。
父や母は母国に帰るといいますが、僕には訪れるという気持ちです。
父母には日本文化というか日本人という意識が85%で僕は35%です。」
このように、毎年 新学期に書いてもらう自己紹介の中にも新二世の
アイデンティティーが明かるく表現されているようになってきたように感じます。
これからの日系社会、そしてカナダを担う人達が生まれつつあるようで、
とても嬉しく思います。
これからのカナダまた日系社会における文化と言葉の接点の場;「移住者の会」
の重要さを感じると同時に、この会の二十周年を迎えた皆様のご努力に
感謝したいと思います。
大河内南穂子さん
(元役員、すみれ会及び弥生会名誉会長、SFU日本部講師)
十年を一昔と言うならば、この会は二昔前にスタートしたわけです。
聞くところによると一時は「風前の灯」という時もあったようですが
「継続は力なり」と申しますように20年続いたことはお芽出度いので、
今日はお祝いのお赤飯を炊いて参りました。
実は一昔前に誘い上手の鹿毛さんから「移住者の会を手伝うように」
と何度も迫られまして、根負けしたというのが本音で、石の上にも3年・・・
とにかくイスの上に3年は居続けたわけでございます。
困った時や土壇場に強いのが取り柄の私なので、“新年会"や”ピクニック"
をひとつ盛り上げようということで一寸したきっかけを作るために
電話作戦をとりまして何人の方々に連絡したか数え切れ無いくらいでした。
朝早くから場所を取るために、お花見じゃございませんが、
湖の周りに陣取ったのも懐かしい想い出です。
集まれば、皆さんおおいにエンジョイなさって大変な食欲ぶりで、バーベキュー
なんかもお楽しみになるのですが、どういう訳かこの街にいらした方は誰かに
ポンと背中を押されないと こういう催しに出ていらっしゃらないようです。
今回も役員の方々が努力された結果このように大勢の方々が
お集まりになったのだと思います。
移住者の会の役員をして、どんなメリットが有ったかと考えてみました。
まず、先輩達から各々専門的な知識の数々を聞き出すことが出来て得をした
という事です。
例えば、今でもひそかに我が師と仰いでいる鹿毛さんや山城大先輩は、
私にとってホームドクターならぬホーム弁護士といったところでしょうか。
なにしろ、お二人とも法律にめっぽう強い方で、一寸わからないことがあれば、
女性に優しいお二方ですから、快く教えて下さるというわけです。
メカに全く弱い私にとってのお助け舟が久保谷さん。
今でもコンピュータのことで大変お世話になっております。
有難うございます。
もし、正式に計算しますと、この3人の方々に今までにして頂いた
コンサルタント料だけでとっくの昔に移住者の会の会費の元は採れた
というわけです。
今日はゴマをたっぷり振りかけたお赤飯を用意して
心ばかりのお返しをさせて頂く訳でございます。
何もないところから人を集めてグループを作り上げることは私にとって
一種のゲームに近い面白さがありました。
人材、つまり将棋の駒に例えるとして、駒をどのように動かすか、
この人は斜めに飛ばそう、この人は真っ直ぐ行けそうな人だ、戻らせたほうが良い、
といった兼合いが大変面白くて、如何に会長の元で役員を動かすかという事で
その会の性格も出て来るのではないかと思います。
例えば私の場合、サレーの日本語学校・日系女性の会それから企友会
のスタートに当たって、自分なりに知恵を絞って企画を提供し、
人材を発掘しながら時間を掛けて育てた上で会の内容も向上させて
(マー欲張っているのですけれど)
一人二人と巣立って行くまでを見守ることが出来ました。
ボランティア活動というのは、考えてみれば人の為にでは無く
自分自身を成長させる為にとても役立ったのではないかと思います。
会を運営して行く上で大切な役員をどのようにして参加してもらうか、
ここで具体的に申し上げます。
先ず初対面できちんと挨拶の出来た人は脈有り、自己紹介での
第一印象がポイントになります。
次は、受付でご本人が名前を記入する態度、文字の書き方を見ただけで、
ちゃんと行動できる人物かどうかをジャッジ出来るわけです。
この方は将来書記や司会に向いていそうだな、スカウトしなくちゃと
頭に入れておくのです。
次に、質疑応答の時間に要領良くスマートな話し方だったら、もう合格なのです。
そしてお茶の用意や後片づけを一緒にしながら観察していると、積極的な性格か、
気配りの有無も直ぐわかります。
では旗振り役の幹事にとって心強い味方は・・・
というと、皆様方そうでしょうが、何と言ってもマメ男さんとマメ子さんです。
新入りの豆粒の段階で早々に人柄とか能力を見抜いて、引き出して
後進を育てて行くことがリーダーの実力に懸かって来るのではないかと思います。
ともすると、月1回の集まりで当日だけの付き合い、コンチハ・サヨナラ
これだけで解散で、次の月まで何の準備もない、役員同士の打ち合わせも無い、
会員相互の交流も無い、ということでは例会が開かれても集まる人が
減って来るの
は当然ですね。
会員が何を求めてその会に集まって来るかを役員の方々が充分に把握することが
大切です。
私は会の始まる前、お茶の時間、そして会が終わってから
なるべく多くの会員の方とお話するようにして「どちらの御出身ですか。
どちらにお住みですか」
とお尋ねして「アー○子さん、この方も広島ですって!チョット」
と引っ張りだすのです。
関係者が集まった方々の意見を聞き出して役員会の打ち合わせに直ぐ提案します。
私の家は、ひどく散らかっていて人様をお呼び出来ないのですが、
各カイ毎(フロアー毎じゃありませんよ)各会毎に大きなバッグを用意していました。
移住者の会・すみれ会・弥生会・企友会のです。
集めた情報、ラジオ・テレビ・新聞・雑誌などのメモとや切り抜き他
をどんどんそこに入れておくのです。それを次の会合の時に役立ちます。
一時は5袋も転がっていて、如何に多くの会に欲張って首を突っ込んでいたか
が一目でわかったものです。
なるべくなら会の内容が難しくなくて誰にでも身近で、わかりやすいことが
大切なのじゃないかと思います。
気を付けなければと、いつも心掛けていること、心掛けていただきたいことは、
皆さん知らないうちについつい、こちらの生活が長いと、
英語が飛び出してしまうのです。
それがキザに聞こえるという以前に、日本語で会を進めているのなら
最後までなるべく日本語で通して頂きたいのです。
特にコンピューターの好きな方が最新のハイテク用語なんかで
ペラペラペラと続けて言われると・・・。
始めは英語で構わないのですけれど、直ぐその後に和訳をつけて、つまり
「日本語で言うと、これこれ・・」というふうに言って頂けますと
私なんかのように歳を取って来て新しい英語の苦手な者には大変役立つわけです。
そうでないと折角内容の良いお話を講義して頂いても、
一つの事に拘ってしまうのです。
"さっきの英語が解からない。
家に居れば主人に聞くのだけれど"とつっかかってしまって、
後の話が全然耳に入らなくなってしまうのです。
そういうことで、ご本人は気付かないかも知れませんが、専門用語が続くと
がっかりしますので気を付けて頂きたいと思いますし、
私自身も気を付けなければと思っています。
女性の会には相当お歳を召した方、随分昔に故郷日本を離れた方が
いらっしゃいますので、チョベリバなんてのは"何だろかい"
と言うことになりますから、易しく言ってあげるのが心遣いだと思います。
その会ならではの特徴を出すことも考えてみたいと思います。
すみれ会を例に取ってみますと、女性ならではの医学上の話を取り上げられる
というメリット(つまり利点)が有りますし、お子様連れの
若い母親も参加できる等という特徴があります。
今、沢山ある会の中ではっきりした個性を打ち出して良いと思うのです。
勿論これは会員の希望を取り入れて進めている例です。
自然に友達の輪が広がって行くような雰囲気を持った会ならば、
次の集まりが待ち遠しくなるのは当然の事です。
今まで沢山の会に参加できたおかげで、バラェティーに富んだ仕事をお持ちの方、
趣味・考えをお持ちの方と巡り会えましたし、
人を見る目も一層研かれたように思うのです。
会の役員やメンバーがその会から栄養を吸収して巣立って行くこと
は当然の流れだと思います。
長いこと居座っているのは心底世話好きか、会に対する愛着があって
離れがたい方かと思いますが、なにかしら新しい発見があって
大いに勉強になると思います。
最近の新聞記事によりますと「将来歳取ってから友人の多い人の方が長生きする」
と言うことですから、心身共に健康なうちに出来る限り時間を作って、
これだけ沢山有る「選り取り見取りの日系社会」
のグループの中に参加して、大いに友達を作って頂きたいと思います。
時間を上手に使ったりして会に出る努力は必要ですが、私自身は貯金額の丸
を増やすよりは、素敵な友達の丸い輪を増やして行く方が愉しいことになっています。
古館高人さん
(領事)
移住者の会20周年、お芽出とうございます。
20年というのは長い時間で、20年前というのは私が物心ついたかどうか
(笑い)の頃で、長い期間続いたというのは会の存在意義があるとい
う証拠だと思います。従いまして、今後も20年・30年と続いて行くこと
は間違いないと思います。
移住者の会、この移住者ということを考えますと、日本から
いろんな所に行っております。
私も今回中南米に行く機会があり、ペルーにも行って参りましたが、
日本人の方が大勢住んで居られます。
もっとも、地元のインディオの方の顔が日本人そっくりで、
日本人が集まっているなと思ったら、その人達だったという事もありましたが。
世界各地に移住者が居るわけですが、その中でもカナダは羨ましい、
と思われているところです。
しかし、実際に移住者として生活されると、それなりに御苦労なり
問題はあると思います。
そういう意味から移住者の会というのは移住して来た人達にとって、
有難い存在だと思います。
人が集まれば、いろんな人が居るわけですから、
いろんな形の集まりが出来て来ます。
最も単純なのが、趣味を共通した人達の集まりが一つの形態です。
さらには、移住して来ると日本で住んでいたら問題の無い、医療とか福祉等の
行政のサービス面で不便を感じ、
お互いに助け合おうじゃないかという集まりが出来ます。
そして、特にカナダは多様文化主義の国ですから、
日本をルーツとした文化を保存し知らせていこう、という集まり。
このように3種類が考えられます。
この移住者の会は、以上申し上げた中の2番目の、移住して来た人達が
何か困ったり、日本の行政にも頼れない、カナダの行政にも頼れない
といった側面の所をお互いに助け合う面がありますので、
非常に大きな存在だと思います。
私は総領事館の中で領事事務をやっています。
領事事務というのは、旅券とか証明の発行と行った日本人の為の行政事務と、
外国人への査証の発給といったことをしています。
それ以外に日本人の人達の保護というのがあります。
これが中南米では日本政府として重要な仕事で、予算処置を取られているのですが、
ここのような先進国には予算はなく、実際的には出来ることは少ないのです。
そんな訳で、心苦しいのですがせめて精神的な面で応援することが出来れば、
と心掛けています。
領事館の受付の対応に問題があることは、私も聞いております。
人間のやることですから、完全には参りませんが、私の机を窓口の近くにして、
問題解決に努力しています。
今後とも改善に努めますのでよろしくお願いします。
会場からの質問
私共は主人がリタイアして近々奥地に引っ越します。
年老いた母のパスポート更新の時には、わざわざバンクーバーまで
出て来なければならないのでしょうか。
母は車椅子生活をしていますし、こういう場合の情状酌量の余地というか、
温情ある方法はありませんでしょうか。
古館領事
旅券は日本の旅券法というのによって、領事館で処理ているので、
特別な人に特別扱いをする ということは出来ないのです。
旅券の発行には領事館に来て頂いて旅券に本人がサインをしていただく
必要があります。
今のお話の場合についてですが、ご本人が病床から出ることが出来ない
という医者の証明書を頂いて、それを東京の本省に提出して事情を説明し、
許可を得なければならないのです。
旅券の更新は、切れる1年前から手続きが出来ます。
この例の場合は東京との手紙のやり取りに日数が掛かりますので
余裕を持って準備して下さい。
串田勝彦さん
(会員)
アッパー スクォミッシュでハミングバードというB&Bを始めて2年程になり、
なんとか落ち着いて来たのですが、いろんな悩みというか・・が有りまして。
こちらに来てみますと皆さんの顔が輝いています。
こういう所に出席する人は、日頃からやる気があって頑張っている人達だと思います。
私達は始めたばかりで、まだ周りがわかりませんので、是非助けて頂きたい
と思います。
富川国広さん
(朝日大学教授)
半年前にバンクーバーに来て、何か日系コミュニティーのお役に立てば
と考えました。
コミュニティーにはコミュニケーションが必要です。
それにはインターネットを使えば安くて迅速にできるなと考え提唱しましたら、
久保谷さんや加藤会長、久保さんの賛同を得て新しいインターネットによる
コミュニティー「サイバー茶会」が発足しました。
これですと、時間や空間に関係なく、自由に意見の交換が出来ます。
私も此に居て日本の学生達とやり取りしています。
しかも電話の市内料金で(バンクーバーでは無料ですね)世界中と連絡できるのです。
こんな良い手段を利用しない手はないですね。
バンクーバーのは多くの日系コミュニティーが有ると聞いていますが、
縦よりも横のネットワークを作って頂きたい。バンクーバーは
こんなに素晴らしい日系人が居るのだという所をです。
インターネットというと難しい感じがしますが、もうすぐ
電話やファックス並になってきます。
ケーブルテレビが通信に開放されると、テレビを操作する
のと同じようになりますので、是非日系社会で活用頂きたい、団体でも個人でも、
ホームページやE-mailを利用してです。
時代を先取りした日系コミュニティーの発展を願っています。
白木和雄さん
(サイバー茶会事務局長)
インターネット研究会「サイバー茶会」の事務所はロブソン通りにある
Pan Pacific Web
という会社の中に有ります。
毎週金曜日の午後5時から2時間半、会員の皆さんに事務所を開放し、
お互いに話し合ったりインターネットって何が出来るだろうと研究したりしています。
富川教授が日本で主宰しているやり方を習ってバンクーバーにも作ったのです。
「サイバー茶会」という名前についてですが、徳川の封建時代に茶の湯の部屋
に入るには身分の差別無く頭を下げた、というように一切の身分差を無くし、
インターネットを通じて皆さんの交流を深めようということです。
インターネットには、現在ではコンピュータが必要ですが、
やがてはテレビ並になると思います。
(続く)
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