アジア国際通信

No.212 (1999/10/15)

SCRIBBLE

  • アフガンが世界最大のアヘン生産国に

ドラッグ・ウォー

  • 政治権力はなぜ麻薬戦争で勝利できないか
  • 東インド会社は麻薬貿易で繁栄した
  • イラン産アヘンを巡る三井vs三菱の死闘
  • 戦争の勝利者が麻薬を独占した

CTBT

  • 「核先制攻撃」と「ノーベル平和賞」
  • 唯一の超大国そのものが「恐怖」となる
  • 引退後の刑事訴追がクリントンの最大課題
  • クリントンに恥をかかせられなかった共和党

SCRIBBLE (NO.212,1999/10/15)

 ◆アフガンが世界最大のアヘン生産国に

 アフガニスタンでは今年、ヘロインの原料となるアヘンの生産量が推定4,500トン に達し、世界最大の生産国になった。
 これは9月10日、パキスタンのイスラマバードに駐在する『UN(「国連」)麻薬統 制計画』(UNDCP)のフラヒ代表が明らかにしたもの。

 同代表によると、昨年は麻薬ではメッカ的存在であった「黄金の三角地帯」(タイ ・ビルマ・ラオス国境)とコロンビア、パキスタンとの合計で約1,500トンのアヘン が生産されたが、アフガンは2,100トンと世界最大であったという。それにしてもア フガンの今年の生産量は昨年の2倍を超えており、あまりの急激な増産である。

 アフガニスタンでは、イスラム武装勢力『タリバン』と反タリバン同盟との内戦が 今なお続いているが、タリバンが国土の約80%を支配下に治めたといわれる。
 フラヒ氏によると、「タリバンが武器調達の財源とするため、アヘンの原料となる ケシ栽培を奨励し、これらのアヘンはヘロインに精製された上で、中央アジア諸国や ロシアを通じて欧州などに流れている」という。

 西欧世界での手の施しようのない麻薬汚染の実態は、『FOREIGN AFFAIRS』5/6月 号で、ジャーナリストのラリー・コリンズが、「オランダの麻薬対策の挫折」という 論文を寄せている(次号で取り上げたい)。

 麻薬流通では、「孤高のネット・ジャーナリズムを確立した男」といわれている田 中宇の、『国際ニュース解説』(1999年10月19日 http://tanakanews.com/)に、「欧 州に密入国移民を送り出す『闇のシルクロード』」という興味深い記事がある(以下 抜粋)。

 「イラン人に聞いた話では、アフガニスタンとイランの国境では、アフガン側で親 子のラクダを捕まえ、子供のラクダだけイラン側に連れていき、親ラクダの背中に麻 薬を詰めた箱を乗せ、野に放すのだという。

  国境付近は砂漠や荒れ地で、柵などはないから、ラクダは自由に越境できる。親 ラクダは子供のにおいをかぎ分けて、イラン側にやってくるので、人間が付き添うこ となしに、アフガニスタンからイランへと、麻薬を運べる。イラン兵が国境でラクダ を捕まえても、誰が積荷の麻薬を乗せたのか分からないので、麻薬ブローカー自身は 逮捕される危険がない。

 その後麻薬は、イランからトルコ、トルコから東欧へと、当局の目を盗んで、消費 地であるヨーロッパへと運ばれるのだが、こうした『闇のシルクロード』を通って運 ばれる『積み荷』には、人間自身もいる。パキスタン、イラン、トルコなどから、 ヨーロッパに働きに行く、密入国移民の流れである」。■


ドラッグ・ウォー (NO.212,1999/10/15)

 ◆政治権力はなぜ麻薬戦争で勝利できないか

 ●東インド会社は麻薬貿易で繁栄した

 合法であれ非合法であれ、人の流れに伴って麻薬を含めたモノとカネが流通する。 あらゆる種類のドラッグが「合法」ならば「薬」と呼ばれ、「非合法」ならば「麻 薬」(ナルコティックス)になる。この薬と麻薬との間の“あいまい”な領域は広大 で、国家はむろんのこと、科学者からマフィアまで様々な「職業」が介在している (ここでは「覚醒剤」を含めて「麻薬」とする)。

 そこには、需要―生産―加工―流通―消費という、他の商品と何ら変わらないシス テムが存在する。しかもこれ全体が一大「産業」を形成していて、想像を絶する巨大 な規模になる。いうまでもなく、陰に陽にそのほとんどの決済に、国際的な銀行がか らんでいる。

 そもそも「国際的な銀行」が誕生した主要な動機が、「麻薬取引決済」の必要性か らであった。『イギリス東インド会社』繁栄の巨大な柱が、インド産のアヘンを中国 に売りつけることであったからだ。この会社はただの会社ではない。イギリス国王に 直結する国策会社であり、麻薬は「パックス・ブリタニカ」とイギリス民主主義を支 える経済的基盤であった。

 イギリスの国際資本は、国策としてアヘン貿易を「三角貿易」の柱とすることから 誕生し、アジアから巨万の富を吸い上げて巨大化していった。イギリスのみならず、 フランスやオランダも、そしてアメリカもそれぞれ『東インド会社』を設け、奴隷貿 易や麻薬貿易で資本を蓄積していった。

 これらの歴史的事実の一端は、中学の歴史の教科書にも断片が記述されており、広 く知られていることだが、「その後の国際資本と麻薬との関係」がどんなであったか は、教科書は触れていない。

 教科書が触れていないのは欧米の国際資本ばかりではない。戦前の話だが、遅れて きた帝国主義国・日本も欧米諸国に倣ってアジアを舞台に、政府と国策会社「財閥」 が共謀して「麻薬取引」を行い、巨大な富を蓄積していった。しかし、これらの事実 が語られることはほとんどない(以下にその一例を、本誌124号[95年6月15日付] から抜粋する)。

 ●イラン産アヘンを巡る三井vs三菱の死闘

 日本が、中国をはじめその他のアジア地域で、いかに汚い国家犯罪を犯したのか は、その占領地での「アヘン・麻薬政策」を見れば一目瞭然だ。この国家犯罪は直接 には『興亜院』(詳しくは次号で)と、日本が造り上げた中国の傀儡政権、および日 本軍の関係諸機関が主役であった。当然ながら、多くの日本の民間人がこれに関係し た。麻薬にフォーカスをあわせると、「帝国主義」時代の戦争と侵略戦争の実像が鮮 明に浮かび上がる。

 イラン産アヘンの密輸取引では、三井物産と三菱商事とが激しい争奪戦を展開し た。
 両社は1937年3月6日、駐イラン代理公使・浅田俊介の立ち会いのもと、「向こう 1年間は三菱の独占を認め、それ以後についてはあらためて協議する」という協定を 結んでその場はおさまった。
 しかし、38年に入ると、三井は期日以後の自由競争を主張し、三菱は引き続き独占 することを主張してドロ沼の争奪戦になった。困り果てた駐イラン公使の中山詳一郎 が1月25日、広田弘毅外相に電報で報告した。内容は次の通り。

「右期日到来せば、両社の間に激烈な競争おこなわるべきは予想せらるるところ、し かもその相手は1個の専売会社なるがゆえ、容易に先方のために操らるべく、かくの ごときは…我が方に不利なることは両社とも理解はしおるらしきも、アヘン取引は年 600万円にのぼる大取引きなるうえ、これをおいて他に相当なる商売なきため、両社 とも出先にては本社にたいし自己の成績に執着し、大局的利害を顧みる余裕と権限な きがごとし」。

 結局、三菱は独占契約を一方的に更新し、三井は38年12月27日までの取引からはじ き出されてしまった。このため三井は、日本公使館に三菱の協定違反についてねじ込 む一方、陸軍との間で直接取引を成功させ、「アヘン428箱」(1箱=160ポンド=72 キログラム=2000両)=280万8000円分を、ブシール港から新嘉坡(シンガポール) 丸で積み出した。

 この事態に困り果てた外務省は、1939年3月14日、両社間に「日満支むけイランア ヘンの買い付けは両社共同一本建てにて交渉す」という申し合わせを成立させ、さら に興亜院の要望に基づく外務省の勧奨で10月30日、両社間に『イラン産アヘン買付組 合』設立に関する協定を結ばせ、両社は等分にアヘンを扱うこととなった。

 ●戦争の勝利者が麻薬を独占した

 これらは、日本人のだれもが知るものではなかった。敗戦後の「東京裁判」という 歴史的な緊張状況を背景にして公然化した。裁かれる根拠はただ戦争に負けたからで あった。陰で同じことをやっていた国々は、勝利したがゆえに裁かれなかった。裁く ものなど存在しなかったからだ。ここに「東京裁判」全体を貫く、悲劇と喜劇の根本 原因がある。
 「悪が滅び正義が勝利した」などというのは、子供じみた「勝利者が書く教科書」 の文言に過ぎない。この後、「戦勝国、とりわけアメリカに麻薬取引の利権が独占的 に集中した」ということが、これに関して言えるもっとも明白な帰結であった。

 アメリカは「ドラッグ・ウォー」を高らかに宣言し、「麻薬カルテルを壊滅する」 と何遍繰り返したであろう。だが、何の成果も挙げていない。事態は日を追って悪化 する一方だ。唯一の超大国がそれほどまでに無能だなどと、なんで信じなければなら ないのか?

 逆に、「第三世界の軍事政権と結託して国際麻薬カルテルを育成し、見え透いた共 謀関係にあったことを精算できない。だからそのツケのすべてを第三世界に押しつて いる」というのは単なる妄言であろうか?

 「もともと、国際麻薬カルテルは、闇資金を求める政府や情報機関が、あまり目立 たない組織として生み出したもので、その資金を『独自の組織的な活動』(謀略)に 当てていた(Alfred W. McCoy 著『The Heroiin in Southeast Asia』[New York : Harper Colphon Books,1972])」というのを、妄言でかたづけてきたのは誤りではな かったか?

 妄言をつづけよう。「冷戦時代」、決して目立ってはならないものであったが、闇 資金を求める政府や情報機関と麻薬カルテルの活動は、必要不可欠な要素であった。 しかし、政府や情報機関の庇護のもとに、大いなる「発展」を遂げた麻薬カルテル は、冷戦というタガがはずれるや、“生みの親”を不安にさせるほどに巨大な存在に 膨れ上がった。

 戦後の様々な新しいドラッグのほとんどが、アメリカの情報機関や軍関係機関の手 によって世に送り出されたことを明らかにした研究書や報告書は山ほどある。

 A. Hoffer and H. Osmond の『 The Hallucinogens 』(New York : Academic Press, 1967)によれば、「1960年代の闇市場に姿を現したほとんどすべてのドラッ グ―マリファナ、コカイン、ヘロイン、PCP、亜硝酸アミル、キノコ、DMT、バルビ ツール酸塩、笑気ガス、スピード、その他多くのものは、あらかじめCIAと軍の科学 者によって詳しく調査され、テストされ、場合によってはさらに効果に磨きがかけら れていた」。

 「しかし、数百万ドルの費用と4半世紀の時間をかけて、人間精神を征服しようと するCIAが探求したすべての技術の中でも、LSD-25ほど注目を浴び、熱狂的に受け入 れられたものはなかった。しばらくの間、CIA職員はこの幻覚剤に完全に夢中になっ ていた。

 1950年代初期に初めてLSDをテストした人々は、それがきっと謀略活動に革命をも たらすだろうと確信した。リチャード・ヘルムズが長官在任中にCIAは、アメリカに おける反戦運動やその他の不満分子に対して、非合法的な大規模国内キャンペーン (「MK-ウルトラ作戦」をおこなった。…」。さらに「4半世紀の時間がかけられ た」のが今日である。(つづく)■


CTBT (NO.212,1999/10/15)

 ◆「核先制攻撃」と「ノーベル平和賞」

 ●唯一の超大国そのものが「恐怖」となる

 あわやの大惨事に世界中が注目し、日本列島人の心胆を寒からしめた東海村「核爆 発」事故2日後の10月2日深夜、太平洋の小さな島(メック島)から発射された『攻 撃ミサイル』が、カリフォルニア州バンデンバーク空軍基地から発射された『核攻撃 用大陸間弾道弾ミサイル』に命中し、これを撃墜した。この間約20分の出来事であっ た。

 アメリカが「核の恐怖」という巨大な壁をぶち破り、一方的な「核先制攻撃」とい う選択肢を手にした瞬間であった。これまでの「核抑止力理論」を、まったくの役立 たずにしてしまうもので、代わって唯一の超大国の存在そのものが「恐怖」となるこ とを意味する。

 これはクリントン大統領の肝入りでつづけられてきた実験で、過去19回にわたりす べてが失敗に終わっていたが、20回目のこの日、ようやく成功に漕ぎ着けた。

 核の先制攻撃は、敵から確実に報復攻撃を受けることから、攻撃側も破滅的事態を 招くことは自明であった。これが「恐怖の抑止力」の論拠となってきた。しかし、攻 撃ミサイルの撃墜が可能となれば、アメリカはこの「恐怖」から全面解放され、遠慮 のない「核先制攻撃」という選択肢を手にすることになる。

 茨城県東海村の核燃料加工施設で、9月30日に引き起こされた“臨界”事故は、小 なりとはいえ、紛れもない「核爆発」であった。日本の原子力関連産業全体の体質の ように思えるのだが、「核爆発の恐怖」はいつの間にかマヒ状態に陥っていたよう だ。

 「国際社会」もやはり、れっきとした核兵器である「劣化ウラン弾」が、実際にイ ラクやユーゴの空爆で実戦使用されていながら、小規模であるためか差し迫った「恐 怖」とはとらえにくく、「核兵器」として広く認知されているようにはみられない。

 「国際社会」ではこれまで、「大規模核爆発の恐怖」から「核抑止力理論」を生 み、その危ういバランスの上で一定の了解、すなわち「平和」の理論が組み立てられ てきた。しかし、今やその根拠も失われようとしており、「大規模核爆発の恐怖」の 壁すら突き破られようとしている。否も応もなく、人類は引き返すことのできない、 まったく新しい核の次元に突入したのである。

 地球上のどこにでも、“恐怖の宅配”が可能であることを誇る中国の移動式大陸間 弾道弾「東風31」が、10月1日、建国50年で沸き返る天安門広場を悠然と横切った。 しかし、アメリカにとってそれらは、ほどなくものの数ではなくなるであろう。

 ●引退後の刑事訴追がクリントンの最大課題

 クリントンは、「核先制攻撃」という極限の恐怖の選択肢を右手に、左手には「平 和の使徒」の顔をもつ『包括的核実験禁止条約』(CTBT)批准決議案を掲げ、大統領 引退後に待ち受けている複数の偽証罪(「重大犯罪」)の刑事起訴対策に大わらわで ある。

 同決議案の票決が13日、アメリカ上院で行なわれ、結果はご承知のように、大方の 予想通り51対48で否決された。アメリカのマスコミでは今、この結果をめぐる議論が 盛んだ。評決を巡る様々な駆け引きに、熟しきったアメリカ民主主義の「偉大さと卑 小さ」を見るのは筆者だけではないであろう。アメリカ人自身が当惑し、揺れ動いて いるようだ。

 ホワイトハウスも議会も、そもそも内容などどうでもよかったようで、実際、「国 際社会の安全保障に関わる重要な決断を下す」にしては、充分な審議どころか公聴会 も開かれなかった。これ一つを見ても、「もともと、むき出しの欲得と保身のための 政争の具でしかなかった」と言っても過言ではないであろう。

 2000年度の政府予算をめぐって、クリントンは議会(すなわち共和党)の予算案に 対して拒否権発動で臨み、ホワイトハウスと共和党の対立は激化していた。2000年度 の新会計年度は10月1日からはじまったのだが、今のところ昨年同様、暫定予算で運 営されている。

 先の大統領選挙が思い起こされる。この時も予算案をめぐり、ホワイトハウスと議 会との泥沼の対立が続き、政府省庁は開店休業状態となった。クリントンはこのすべ てを共和党の責任に転嫁する凄腕を発揮して、見事に再選を果たした。

 要するに「責任のなすり合い」に勝った方が有利になるわけで、政治力学の軸が 「いかにうまく相手に責任転嫁できるか」を中心に回転し加速する。したがって、ア メリカの政治家にとって宣伝・広報が死活的生命線となる。クリントンはこれがとり わけ上手い。

 この「宣伝・広報」という、アメリカ民主主義の“偉大”な形式に対する礼賛を、 多く見聞きするが、「責任のなすり合い」という“卑小な心”なくしては、例えアメ リカにおいてさえこの形式は成り立たないということを、しっかり見ておく必要があ る。

 今回の批准決議を巡る政争が一線を超え、だれの目にも明らかに「愚行」と映りは じめた時、共和・民主両党の間で、これ以上の愚行を回避するための“手打ち”が、 「投票の延期」という方向で模索された(10月5日)。

 当然だれもが、そこに落ち着くに違いないと信じた。上院共和党院内総務のロット は、「民主党とクリントン大統領が、批准審議・票決を来期の議会まで延期すること に合意するなら、延期してもよい」(6日付けワシントン・ポスト)と提案した。  ところが、評決に突入すればほぼ負けが確実であるにもかかわらず、クリントンは これをチャンスとばかりに中央突破作戦に出た。瀬戸際でのクリントンの政治判断と いうのは、「肉を斬らせて骨を断つ」というような、どこか“凄み”がある。ゴアに はこれがない。
 同じ嘘をつくのでも、ゴアは「私がインターネットを発明した」などと、バレバレ の明らかな嘘しかつかないが、クリントンの場合は“深み”が違うのもこのためか。

 すでに各種世論調査では、「ほぼ80%の国民が条約批准を支持している」という結 果が出ていた。また、評決を目前に控えた12日、「核保有クラブ」のメンバーである パキスタンでクーデターが勃発し、軍事政権が誕生した。これにはアメリカのマスコ ミもこぞって飛びつき、アメリカ国民に少なからぬ衝撃を与え、期してか期せずして か「批准可決」への期待を高めるおあつらえの“小道具”となった。

 クリントン政権がパキスタン陸軍のクーデターを、事前にキャッチしていたことに 疑問の余地はない。むしろ、ドンピシャリのタイミングでありながら、「パキスタン 陸軍に“お墨付き”を与えた」と睨む議論がみられないのはどうしたことだろう。

 ●クリントンに恥をかかせられなかった共和党

 『CTBT』は1996年、クリントン自身が提案し署名したものであったが、米上院では これまで批准案は棚晒しになっていた。クリントンは、上院が予算の審議・折衝で多 忙を極める中、「この時期になぜ」という疑問を無視して、根回しもなく、目算も立 てずに批准作業を推進した。確実な勝算もなく、なぜクリントンは中央突破をはかっ たのだろうか。

 順番からいえば、そもそもCTBT批准決議案にスポットライトを浴びせたのは、共和 党であった。議案の可決には上院の3分の2(67票)が必要であることから、上院で 多数を占める共和党は「絶対に可決できない」と踏んだからだ。

 前後して、共和党主導で議会を通過させた減税案及び予算案が、クリントンの「拒 否権発動」(一部すでに実行済み)でデッドロックに乗り上げていた。拒否権が発動 されれば、今回の減税案を今議会中に蘇生させる手段はほぼ皆無となり、廃案同然の 末路をたどる。共和党にとって、クリントン及び民主党を苦境に追い込む効果的な嫌 がらせ的“カード”が必要であった。そこで共和党は、棚晒しになっていたCTBTを引 き出してきた。

 上記したロット院内総務が言う「来期の議会」というのは、2000年に始まる第107 議会のことで、クリントンはすでに大統領の座にはない。これではせっかく自分が提 唱し、第1番に署名した条約が、自らの政治成果になり得ない。これだけでも、クリ ントン自身の手による批准決議に執念を燃やす動機として十分だが、彼の抱えた事情 はもっと複雑だ。

 大統領引退後のクリントンが、「重大犯罪」(独立検察官と連邦議会司法委員会の 共通見解)とみなされる複数の偽証罪で「刑事起訴」される可能性は極めて高い。そ うなれば、クリントンにとって人生最大の危機となるのは必定で、歴代大統領で「最 悪」のレッテルを貼られることは避けられない。頼みの新上院議員(?)の“かあ ちゃん”からも切り捨てられかねない。

 この問題はワシントンの法律学者の間で延々と議論が交され、大勢は「当然起訴さ れるべき」となっている。クリントンの逃げ切り策は、ゴアをなんとしても大統領に して「恩赦」を取り付けることしかなさそうだ。  「クリントンが朝鮮半島の和平実現に熱心なのは、ノーベル平和賞を確実なものと したいから」ということを以前記したが、もはや時間切れの観がある。このままで は、これといった褒められるべき“勲章”がないまま任期切れになってしまう。残る はCTBTしかないのだ。これなら確実に「ノーベル平和賞もの」である。

 一方、批准を否決し去った共和党にとって、事態が有利になったわけではない。逆 に、今のところマイナス点を背負い込む結果となり、ノーベル賞はともかく、共和党 が当初目論んだ「クリントンに恥をかかせる」という成果は挙げることはできなかっ た。
 マスコミの間で、 「クリントン疲れ」という用語まで登場して、「クリントンに はもううんざりだ」という気分が蔓延していたにもかかわらず、CTBTに関しては、ア メリカの対外影響力・指導力の維持という観点から、条約批准を支持した。それが 「世論」の圧倒的批准支持という結果であった。

 クリントンは当然、アメリカの国際的指導力低下の責任を共和党に転嫁して、苦戦 が予想されているゴア当選の“追い風”に使う。実際、13日の票決後、クリントンと 民主党幹部は「今後、本件を民意に直接ぶつけて支持をあおぐ」と息まいた。

 アメリカで批准の是非が論議されている5日から8日、ウィーンでは、CTBTに未だ 署名や批准をしていない国々に向けて、『CTBT発効促進会議』が開かれた。
 日本は議長国として参加し、会議は各国に署名を求める宣言を発した。アメリカ議 会での批准論議に「外圧」をかけるためのものであった。

 日本のマスコミはこの会議の模様を報じたが、何をやっているのか判らないよう な、インパクトの薄いものであった。一方アメリカでは、批准に反対の共和党は当然 としても、不思議なのは、賛成の論陣を張ったメディアまでも、これをほぼ完全に黙 殺したことである。

 CTBTに関するアメリカの報道は、まるでアメリカ以外では何事も起こっていないか のような、「情報鎖国状態」であった。アメリカの場合、結構こういうケースが多く 見られる。自己完結性の強いアメリカは、実は「国際化」がもっとも遅れた国のひと つなのだ。

 日本は「外圧」を気にする傾向が強いこともあって、この手の報道はかなり過剰気 味に流通し、すぐに「国際化」するが、アメリカにとって「外圧」というのは、あく までも一方的に「加えるもの」であって、どんな些細なことでも「受ける」ことには 堪えられないのだ。このため、「国際化」がいつまでも進まない。■

Jimbo Takami ,1999