過労自殺は企業の責任(12.3.27)



 最高裁で争われていた電通の過労自殺事件ですが、結局のところ企業の責任を 全面的に認める判決となり、本人に一部責任を認めた高裁判決を差し戻しました。

 この裁判は、自殺自体が「過労自殺」であるか否かは実は大きな争点ではなく、 もっと云えば、常軌を逸した長時間労働を行ったのは本人の意思であることすら 大きな争点ではなく、それによって起こった「過労自殺」について、電通および 上司の安全配慮義務違反と賠償責任がどこまで問えるかが争点となっていました。
 そして、一審が電通および上司の責任を100%認める判決を言い渡したため、 被告が控訴し、控訴審は労働者の一部責任(20%)を認めたため、双方が上告 していました。

 小生は、正直なところ、昨今の自己責任原則への方向性を考慮すると、大方の 見方とは逆に、労働者にさらに責任を認める判決が出るのではないかと予想して いたのですが、見事にはずしました。

 わが国では、もともと、国際的には類を見ないようなパターナリスティックな 安全配慮義務が使用者に課されていることはご承知のとおりで、髪型とか服装は もちろん、生活習慣のようなことまでも、使用者(現実には上司)が留意、指導 して、安全を確保しなければならないとされています。
 今回の判決は、これをさらにおし進め、使用者には、「業務遂行に伴う疲労や 心理的負荷等が…労働者の心身の健康を損ねることがないように注意する義務が ある」と判示したうえ、他のすべての同僚をはるかに上回る長時間労働を行ない、 ついにはうつ病を発症するまでに至るような、「まじめで完璧主義的な性格」に ついては「通常想定される範囲を外れない」と判断し、さらに、両親についても 「状況を改善できる立場にあったといえない」と判断しています。
 すなわち、企業は「本人よりも、親よりも本人の精神衛生に注意し、配慮する 義務がある」うえ、「自ら長時間労働を行い、うつ病を発症するような性格」も 「通常の範囲内として、100%の責任を負わなければならない」という判決が 最高裁で下されたわけです。
 これは、企業の労務管理にとって、非常に重い意味のある判決であると言える ものと思います。とりわけ、労働者自身の裁量範囲を拡大したり、昇進・昇格や 賃金の決定について、より成果や業績を重視したりする傾向にあるだけに、より 一層そうではないかと思います。裁量が拡大した上、成果や業績を重視して評価 されるとなると、どうしても長時間働きたくなってしまうのは致し方のない話で あり、そういう意味では、先般の労基法改正論議の中でもあったように、企業が 従業員が働き過ぎにならないように注意する必要性も高まっていることは当然と 云えると思います。

 マスコミは、相変わらず「サービス残業」「長時間労働」といった、皮相的な 報道を繰り返していますが、もちろん本質はそんなところにはありません。大体、 多くの人がサービス残業をしているのを見て「わが社の社員はよく働く」などと 云っている能天気な管理職や労務屋がそんなに居るわけもなく(時節柄、会社を つぶさないために、申し訳ない、というのはあるのかも知れませんが)、むしろ、 どうやってサービス残業をやめさせるか、させずにすむようにするか、といった ことが悩みのタネになっているわけです。すなわち、注意しても聞かずに長時間 労働をしてしまう社員に、いかにして長時間労働をやめさせるか、が、本質的な 問題点になってくるわけです。
 したがって、就業規則などに所要の改正を行ない、長時間労働を注意されても 改まらない場合は文書で警告し、度重なる場合には就業規則にもとづいて処分し、 繰り返し処分を受けてなお改まらない場合は(懲戒)解雇する、といった管理を 行えば、だいぶ企業も注意義務を果たしたことになりそうです。
 しかし、そんなに時間をかけて手続きを進めたのでは、間に合わない可能性も あります。この判決からすれば、手足を押さえつけて自宅に運び込み、ベッドに 縛り付けても働かせないようにしなければならない、ということかも知れません。 しかし、本人は働きたいわけですから、これは暴行監禁だ、とか、下手をすると 「働かせてもらえないから自殺する」ということにもなりかねないわけであって、 なかなか簡単な問題ではありません。
 たとえば、今回の事件を例にして考えてみますと、マスコミ等ではあまり報道 されていないようですが、
○自殺した労働者は宣伝業界に憧れて縁故で入社した。
○能力的には正規入社は困難な水準で、同僚と比較しても明らかに見劣っていた。
 (電通のキャリアがどうなっているのか知りませんが、ラジオ局という配属も
  あまり花形部署という感じはしませんね)
○その一方で、宣伝業界のスターになりたいという希望、野心は人一倍強かった。
 といった事情があったようです。
 すなわち、同僚との能力差を、長時間労働でカバーしようという、陥りがちな パターンにはまっていたと思われるわけで、こうなると、少々大げさな云い方を すれば、監獄にでも入れない限り、上司がどんなに云ったところで長時間労働を やめさせることができなくなる可能性があります。
 そして、もし、むりやりに働かせないという対応をした場合には、そのせいで 「宣伝業界のスターになる」という希望を奪われ、生きる目標を失った、という ことで自殺すらしかねません。現実に自殺しているのですから。

 一般論に戻りますが、企業は、この判決を教訓として、労務管理にどのように 生かしていかなければならないか。小生は、一般論としては、成果・業績重視を 云うのであれば、企業は従業員に、その評価と将来の可能性について、率直かつ 誇張することなく開示すべきである、ということではないかと思います。
 多くの企業は、きわめて狭き門となった限られたポスト、限られたいい仕事を めざして、同期で過酷な競争を強いるという労務管理を実施しており、そのうえ、 早い段階である程度の差はついても、40代なかばくらいまでは一応チャンスが 残っているような制度にしていますから、敗者であるとわかった時点では、既に やり直しのききにくい状況になっているわけで、少数の勝者と多数のやり直しが ききにくい敗者を20年以上の長期間をかけて選別するという過酷きわまりない 競争になっているわけです。
 したがって、一部の非常に有能な人材、および出世競争をギブアップして会社 以外に生きがいを見出している人を除くと、いったんバランスを失うととどめの ない長時間労働に陥り、しかもその見返りもないという危険性があるわけです。
 こうした弊害をなくすためには、40代なかばという「遅い昇進」を見直して、 遅くとも30代前半の、やり直しのきく段階で、本人に勝敗を明らかに伝えると いうしくみにしていくのが良いのではないかと考えます。これであれば、敗者も、 それを受け入れて会社の外に生きがいを見出すか、転職して新たな機会を狙うか、 十分選択が可能だからであり、不毛な長時間労働をなくすことができるからです。
 こうした企業の中には、30歳前後の早い段階で、事実上勝者と敗者が色分け され、育成計画なども異なってくるというケースも多くあるようです。ところが、 それを本人に伝えることでモラルダウンすることを恐れるのか、本人には十分に チャンスがあるかのような幻想を抱かせて、過酷な競争に止まらせるような人事 管理をしている企業も少なくないようです。高度成長期のように、遅かれ早かれ それなりに管理職になれた時代ならともかく、今となっては、このような管理は 経営道義の上から許されないものであると信じます。このような幻想を追わせて 長時間労働を誘導した結果、「過労自殺」が出るということであるなら、これは 企業の大罪であると云わざるを得ないと思います。

 さて、以上は一般論ですが、今回の電通のケースは入社1年半程度ということ ですから、基本構造は同じとしても、以上の議論はそのままはあてはまりません。
 もちろん、「君だって、同僚と比べて自分の実力はわかってるだろう。いくら 長い時間頑張っても、君の実力では一生ラジオ局止まりだから」くらいのことを 云えば、あるいは長時間労働はやめさせられたかも知れない(より一層促進する リスクもありますが)でしょうが、さすがに1年半ではそこまで絶望的なことは 云えないでしょう。縁故入社ともなればなおさらかも知れません。
 結局のところ、あからさまに云えば、どうしてそういう人を採用したのか、と いう点で、人事の落ち度が責められてもやむを得ないように思います。
 企業によっては、かなりの縁故推薦であっても、実力的に見劣りするようなら 「結局本人が不幸になるから」ということで断っている、というところもあると いうことです。どちらが本当に本人のためか、関係者が深く考える必要があると 思います。

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