皇族方の終戦

 昭和20年8月11日 午後1時 芝高輪にある高松宮御殿に高松宮・三笠宮をはじめ6人の宮様方が集まった。
 各宮は、それぞれ陸軍・海軍の軍服を着用されたまま、
 東郷外務大臣からポツダム宣言に対する帝國政府の対応についての説明を受けた。

 東郷外相は、
 ソ連に和平の斡旋を依頼していたが回答のないまま遂に8月8日戦争状態となったこと。
 それを受けて御前会議が開かれ、連合国に対してポツダム宣言を
 「天皇の統治大権を変更するとの条件を包含しないとの了解のもとに受諾する」という申し入れを行ったこと
 などをを説明した。

 6人の宮は表情も変えずに冷静に聞いていた。

 閑院宮は、まだ日本が十分戦えるのに小柄な老人(東郷)が連合国に降伏するのが当然なことであるように
 話すのを、他の宮たちが冷静に聞いている事に強い不満を感じた。それでも閑院宮も何も言わなかった。

 翌8月12日 連合国の回答があり、外務省は直ちに翻訳し対応を急いだ。
 特に天皇の「国家統治の大権」は連合国最高司令官に subject to される という部分は軍と外務省の意見の対立を見た。

 午後3時 再び皇族方が宮城に到着された。
 吹上御所の会議室は金屏風を背にした玉座を囲むようにして弧形の机が置かれており、
 各宮は、皇族の順序に従い以下のように着席された。

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   高松宮  海軍大佐 軍令部部員
   三笠宮  陸軍少佐 航空総軍教育参謀
   閑院宮  陸軍少将 第4戦車師団長心得
   賀陽宮恒憲王  陸軍中将 陸大校長
   賀陽宮邦寿王  陸軍大尉 東京幼年学校 第2学年生徒監
   久邇宮  海軍中将 第20連合(霞ヶ浦)航空隊司令
   梨本宮  元帥 陸軍大将 伊勢神宮祭主
   朝香宮  陸軍大将 軍事参議官
   東久邇宮稔彦王  陸軍大将 軍事参議官
   東久邇宮盛厚王  陸軍少佐 第36軍情報参謀
   竹田宮  陸軍中佐 第1総軍防衛主任参謀
   李王垠  陸軍中将 軍事参議官
   李鍵公  陸軍中佐 陸大教官兼研究部主事
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 閑院宮は 「戦争をやめることはありません。断固として戦うべきです。勝てます。皇軍の精鋭はまだ敗れていない」
 久邇宮も 「私も賛成です。戦うべきです」
 閑院宮と久邇宮は戦争継続を強く主張したが、他の皇族方は誰も話に加わらなかった。

 間もなく天皇が陸軍の軍服をお召しになって入御され、宮全員が起立してお迎えした。

 天皇は、本土決戦の見込や連日の空襲による国民の悲惨な状況から、ポツダム宣言受諾の決心を伝え、
 本日連合国からのその回答があったことを告げられた。
 さらに 「皇族全員が平和を達成する目的のため協力することを望む」として話を終えられた。

 天皇は13人の皇族に対し、意見があったら述べて欲しい と仰せになった。

 まず、高松宮が賛成でございます と述べ、そして宮によって表現は違うが、全員が賛成した。

 閑院宮は 「陛下の御決心がかくある以上何も意見はありませんが、果たしてわが国の存立が維持できるか心配です」
 久邇宮も、 「国体の護持について不安ですが、御決心があった上は従います」 と答えた。
 意見らしいものは2人だけで、他の宮様方は、もう戦争をやめるべきだと考えていた。
 朝鮮王族である李家のお二人の胸中はわからなかったが、
 最後に李王垠と李鍵公が「承りました」と述べた。

 それを受けて皇族最長老の梨本宮がたち上がってお辞儀をした。
 「私ども一同、誓って一致協力して聖旨を輔翼し奉ります」

 梨本宮が着席すると会議は終わった。興奮する者も泣く者もいなかった。
 閑院宮は皇族が 「無気力」で「事勿れ主義」であると思って歯痒く観じたが、
 戦争に負けたという実感はなく、ただ戦争が終わった、 と思っただけであった。

 約2時間の雑談の後、それぞれ皇族方は戻っていった。
 賀陽宮は久邇宮と同じ車にのった。
 久邇宮は、 「特攻機でまだ十分にやれる。残念だ」と呟くように言ったが
 賀陽宮は、 「見込みはないよ…」と答えた。

  『天皇家の戦い』 加瀬英明著 より