朝鮮出身の陸軍将校

 明治29年1月 韓国陸軍の尉官または生徒相当の11名が陸士(8期相当)の特別課程に入学した。
 その後、明治年間に数名が入学し、卒業後は韓国陸軍将校として任官した。

 明治43年の日韓併合により、日本陸軍に準じその官位、階級、任免 等は
 当面韓国の規定にそのままよるものとされた。

 大正9年 4月勅令118号により、旧韓国軍人(朝鮮軍人)のうち将校を帝国陸軍将校に任用、
 39名がその適用をうけた。そのうち11名が留学生出身者であった。

 明治40年 9月 韓国軍廃止により当時の韓国武官生徒等が陸士予科に編入され、
 陸士本科卒業後は帝国陸軍軍人として処遇され将校に任官された。

 その後は、内地出身者と同一の試験に合格して入校していった。

 魚 潭中将(11) 洪 思翊中将(26) はじめ将官まで昇進した者もあり、
 その多くが終戦後の独立韓国軍の将校として任じられ、
 韓国国防相や参謀総長まで輩出した。

 陸士内部はもちろん軍内部においても
 朝鮮人であるがゆえの差別待遇はなかった。
 むしろそれは、「陸士生徒として最も恥ずべき行為である」とする風潮が強く、
 厳正なる軍紀にてらし、同じ「帝国臣民」として処遇された。
 また朝鮮出身者の多くも国防献金その他、銃後に戦線に献身的であったという。

 しかし、地方(一般民間社会)の空気の残る下級兵士の中には、
 朝鮮人将校を軽視する傾向があったことは否定できない。



 海軍の朝鮮出身者については後述。