自衛隊創世期 2

 服部元大佐が実権を握っていれば隊の性格も違っていたと言われているが
 結局警察予備隊の中心人物にはなり得なかった。

 予備隊発足前後の暗躍は相当のものと言われており、豊富な資金を擁し、
 帝国陸軍再建のためにH機関と称される再軍備の黒幕機関をつくり謀略家服部の面目を如何なく発揮した。

 だが、予備隊中枢に入れなかった服部大佐は、一転して反対派にまわった。
 予備隊の中間的色彩(警察らしい軍隊)に不満を持つ元軍人の代表となってはっきり再軍備を推進するグループを形成したのである。
 「元軍人でなければ再軍備はできない」として政界・財界に働きかけを強めた。
 さらには国防会議事務局の防衛計画担当官として服部元大佐を送りこもうと画策したがこれも失敗に終わった。

 一方、吉田茂の駐英大使時代の陸軍武官であった辰巳栄一は、首相となった吉田の軍事顧問として独自の動きをみせていた。
 辰巳元中将は英語はペラペラであったが、作戦や編制には疎く、教育や情報の人物である。
 ゆえに再軍備の構想や性格づけには服部大佐のグループほど確固たる見識を有さなかった。
 服部グループから「武官屋になにができるか」と小馬鹿にされていたのも頷けよう。

 辰巳元中将はこのような自身の弱点は知っており、予備隊に関しては4人のブレーンに相談した。

 宮野正年元少将(30) 支那派遣軍作戦課長−第15方面軍参謀副長 等
 細田熙元大佐(39) 大本営編制班長−作戦課高級課員 等
 高山信武元大佐(39) 大本営戦力班長−軍事課高級課員 等
 杉田一次元大佐(37) などの編制・作戦のエキスパートであった。

 服部グループに対して辰巳グループとも言えるこのメンバーのうち
 細田、高山、杉田の3名は他の7名の元大佐とともに予備隊に入った。

 のちに、陸軍同士がいつまでもいがみあっていては国軍再建には不利益であるとして
 辰巳中将と服部大佐は手を結んだ とされているが詳細は不明である。