検証:栗林忠道中将の最後@ 大野 芳説と梯 久美子説 VOL.1



クリントイーストウッド監督による映画化によって注目を浴びている硫黄島作戦。
平成18年、一つの記事が週刊誌に掲載された。
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終戦後、副官小元少佐がDT6(独立混成部隊)某軍曹から聞いた話。
3月23日D長(兵団長=栗林中将)は、ここ迄善戦してきたのだから降伏しても良いと云われ、自ら白旗を掲げ、兵数名を伴い米軍第一線に赴き降伏交渉をしてきた。中根参謀は降伏すべきでないとD長を諌めたがD長は聞かなかった。中根参謀は壕の入り口で自己の軍刀を抜きD長の首を刎ね自ら拳銃で自殺した。
高石参謀長、及び市丸参謀(海軍側指揮官)は首実験をして壕を出て行った。当時薄暮で薄暗かった。

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栗林中将は敵上陸後1週間位は兵団長として統率していたが、「ノイローゼ」で全く役に立たぬ状態であり、高石参謀長、中根参謀、海軍の市丸参謀が中心になって司令部が運営されていた。
命令は中根参謀が全部起案、戦後の兵団長告別の辞(大本営打電)も中根参謀の筆である。


栗林中将の「死の真相」異聞
ノンフィクション作家 大野芳氏
SAPIO 2006/10/25

荒唐無稽な戦場伝説、と断じてしまうには情報元がかなりはっきりしていたため、今日でもこの説を信じている人は少なくない。
戦闘継続中に最高指揮官が白旗を掲げて降伏交渉を行ったとしたら… 『皇軍に降伏の二文字なし』とされた我が国の軍事史を塗り替える大事件である。この驚くべき内容を受けて、ただちに独自の検証を行ったのは、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、評伝『散るぞ悲しき』を著した梯久美子女史である。
文藝春秋誌に掲載されたその検証内容を、以下に掲載する。

赤字 堀江芳孝 元少佐(後方参謀 士48期)による証言:降伏説
青字 小元久米治 元少佐(副官 少9期)他による証言:堀江説への反証

堀江少佐は、船舶輸送の指導のため父島常勤で生還、小元少佐は高級副官として硫黄島・第109師団司令部内に勤務していたが、20年2月4日 大本営への連絡のため本土出張、米軍上陸のため帰島することはできなかった。


<検証>栗林中将 衝撃の最後
ノンフィクション作家 梯久美子氏
文藝春秋 2007/2

まず情報の出所は、非公式を前提に作成された防衛庁内部文書「硫黄島作戦について」S37編纂からの引用であった。防衛庁戦史室が実施した硫黄島関係者の聞き取り調査の記録である。
中でも、元109師団参謀、堀江芳孝氏(元少佐)の証言が多くを占める。即ち、栗林中将降伏説というのは、堀江芳孝氏の証言によるものなのである。

(証言に先だって)
硫黄島作戦に関しては当時大本営からの発表、世上伝えられているように決して立派なものではなかった。内部には幾多の抗争、内紛、誤り語り伝えられている事実等がある。今之等の事項を部外特に遺族に発表することには問題があるが、戦史としては真実を残す必要があるので、私は事の真実を残す必要があるのでその儘申し述べます。

(栗林中将の人物像について)
能力絶対優位、参謀長以下他の者は雑魚の如く考えていた模様。頭良し。アメリカ、カナダ駐在の影響大。アメリカ礼賛。寝具の始末、靴の手入れも自らやり、日本酒を好まずウイスキー愛用。(中略)
陸大専科卒、少候出身者を極度に嫌う。堀参謀長、参謀(堀江を除く)小元副官等を兵の面前で罵倒することしばしばあり。(中略)将校、特に側近の者は凄く反抗していた。小元副官は度々殺すぞと怒り、吉田参謀も隣室で、背後から弾が来るぞと、D長に聞こえるように言うていた。兵には評判が良かった模様である。

堀江元少佐は証言の中で、栗林中将の最後の状況は『終戦後副官小元少佐がDT6某軍曹から聞いた話』である、としているが、堀江氏の聞き取りを行った翌月、防衛庁の戦史編纂官は小元元少佐を呼び、話を聞いている。おそらく堀江証言の真偽について尋ねられたのであろう。小元氏は次のように証言している。

『栗林中将が敵上陸1週間位でノイローゼに陥ったとか白旗を掲げ降伏交渉に行ったとか言うたことなし』

堀江氏が「投降→部下による斬殺」説の出所であるとした小元氏本人が「そんなことを言った覚えはない」、と完全否定したわけで、この時点でこの説の前提は崩れたことになる。
さらに小元氏は別の資料も提出している。
堀江証言で小元氏のネタ元とされる『DT6某軍曹』からの書簡である。
小元氏が『栗林中将の最後については(中略)私は之(小田書簡)以外に資料なし』とまで述べている内容は

DT6某軍曹=小田静夫曹長(司令部での通信担当 最後の総攻撃に参加するも生還)からの書簡
S27.2.4

兵団長閣下と海軍の一丸少将(正しくは市丸)指揮により、千鳥飛行場に全員切り込み天皇陛下の万歳を三唱して全員名の如く玉砕しました。その時中根参謀と石飛参謀−確かに石飛と申したと思いますが7年も前のこと判然としません−が、栗林閣下を射殺し、然る後自ら胸部を撃って花々しく護国の花と散られました。

*石飛参謀とは高石参謀長と思われる、また射殺とあるのは、文脈から自決を幇助する行為とみなすのが自然であろう。

これによってひとまず「投降→部下による斬殺」説は否定された。
しかし実はこれで終わりではなく、その後も意外な事実が判明し「投降→部下による斬殺」説は形を変えて、こんにちまで生き続けているのである。


検証:栗林忠道中将の最後@ 大野 芳説と梯 久美子説 VOL.2