山田陸幕長の後任には、陸大首席の益田兼利(46)東部方面総監が有力であった。
しかし昭和45年11月25日 市谷駐屯地での三島事件の責任を負って辞任、
結局就任したのは2期後輩の衣笠駿雄であった。

陸士・陸大の軍刀組である上に空挺団の創始者であり、野戦部隊指揮官としての能力は抜群であった。

しかし陸幕長としては、記憶力抜群であった前任の山田正雄の副長であった経験からか、
万事が細か過ぎて大局を見失いがちであったとも伝えられている。