東大出身の内務官僚ではあったが、早くから海軍に在籍、法務大尉として南方に赴任し、
戦後自らもオーストラリア軍に逮捕拘禁の身でありながら、戦犯弁護人として活躍した。
異色の経歴から広い視野で陸上自衛隊を見ることができた人物。

一方で、林敬三、大森寛らの一高-東大の系譜にありながらそれらの派閥には属さず、
『治安出動など自衛隊の任務から外すべきである』として
自衛隊を国軍本来の姿に求めてやまなかった。

自衛官の地位向上のためには幕僚長を認証官にすべきだと主張、また内局参事官会議でも
制服代表としてしばしば発言し、内局と衝突したとも伝えられているが、内局(シビリアン)も、
東大の大先輩には強く反論できず部分的に制服組が内局を抑える場面もあった。

統幕議長になった昭和53年4月、尖閣諸島に対する侵犯事件が発生
のちの非常時立法の発言に繋がった。
スクランブル体制下の自衛官の心情に託し、政治家−内局の無策無能と職務怠慢に
警鐘を鳴らしたものであったが、護衛艦に自らの選挙地名をつけることに夢中だった
時の防衛庁長官・金丸信の容れるところではなく、
勇気有る発言と引き換えに統幕議長を9ヶ月で辞任した。

現在、有事立法が政治日程になっているのは栗栖陸将の功績である。
栗栖弘臣こそは真の武人の一人である。