公刊戦史 二つの大東亜戦争開戦経緯



平成15年8月 防衛庁防衛研究所から「公刊戦史」の全面改訂を決めたとの報道がなされた。刊行開始は平成25年頃の見込で当分先の話ではあるが、書籍だけでなくCD−ROM化も予定されているという。

その全102巻からなる公刊戦史(大東亜戦争戦史叢書)には、大東亜戦争の勃発原因を探る戦争指導史として、二種類の開戦経緯史料が存在する。
「大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯」 全5巻 (昭和48年〜昭和49年)と
「大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯」 全2巻 (昭和54年)である。
我が国の戦争指導について、陸海軍別に二種類の異なる公刊戦史が編纂されることになったのは何故か。

当初公刊が予定されていたのは、原四郎戦史編纂官による「大東亜戦争指導史」で、昭和39年に完成したと言われている。ところが公刊に先立つ原稿審査の段階で海軍出身の編纂官たちから強烈なる反対に遭遇し、40箇所にものぼる異論が生じ、「大東亜戦争指導史」の公刊は中断されたと言われている。「大東亜戦争指導史」の原稿は、数年間保留された後に、海軍側の主張を容れて内容を再検討した上で、表題を「大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯」に変更するとともに、これとは別に「大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯」を追加して公刊することに調整され決着をみたという。この間公刊の是非を巡って、陸海軍出身者による激しい論争が展開されたという事であり、実際に販売された叢書の帯部分にもそのことを暗に認める記述が見られる。

まえがきに見るそれぞれの執筆態度は以下のとおりである。

===「大本営陸軍部 開戦経緯」/執筆者 戦史編纂官原四郎(士44期 元陸軍中佐 参謀本部作戦課)===

本書は大本営陸軍部の立場において、大東亜戦争の開戦に至る政戦略指導の経緯を記したものである。明治憲法下における日本は統帥権が行政権の枠外に独立しており、統帥すなわち用兵作戦の指導は統帥部が掌握していた。つまり行政は政府、用兵・作戦は大本営がそれぞれこれを分掌していたのであり、両者を統合する機能、戦争指導の制度・機構は存在しなかった。そこで日本は支那事変以降大本営設置に伴い、大本営と政府の連絡会議を設置し、その会議で戦争指導を議することとした。それがいわゆる「大本営政府連絡会議」(最高戦争指導会議)である。本書は以上のような大本営政府連絡会議又は御前会議の運営を中心とする大東亜戦争開戦指導史ともいうべきものである。

===「大本営海軍部 開戦経緯」/執筆者 戦史部調査員内田一臣(兵63期 元海軍少佐 元海上幕僚長)===

そもそも大東亜戦争開戦経緯は、陸海軍のみならず、外交・経済・内政・社会等の各立場から総合的に書かれるべきものであり、軍事を中心にとらえるとしても、陸海軍一体としてとりあげるべきものであったであろう。しかし諸般の事情によりそれが困難であった。諸般の事情の一つは、陸軍と海軍のものの考え方、認識の仕方などに一致しえないものが残り、それが今日においても払拭しきれないでいることである。このことは単に陸海軍の対立というのではなく、体質的な差異に由来するもののようである。(中略) 従って「陸軍開戦経緯」は参考とはしたが、別にこれに対する反論を試みたわけでも、また補完を試みたわけでもない。両者に重複した部分や相違した部分が生じているのは、それゆえ当然のことである。

と、陸・海軍の体質に由来するものと思われるものの見方、考え方、認識の仕方などの不一致を積極的に認め、海軍の良識と呼ばれるべきものを前提として「海軍部 開戦経緯」を執筆するという基本姿勢を鮮明にしている。

「陸軍部 開戦経緯」が、大本営政府連絡会議の運営に伴う陸海軍と政府・外交当局の動向を主体に執筆されているのに対して、「海軍部 開戦経緯」は海軍の良識と呼ばれるべきものを主体とし、上級の責任者・指揮官等の事態に応じた決裁の仕方を重視し、個々の幕僚や補佐官の思想動向は割愛するといった態度をとっている。
とはいえ、「陸軍部 開戦経緯」が陸軍弁護のために筆を曲げた節は見受けられず、またしばしば言われるような「海軍の良識」なるものの実態は不明である。それぞれの立場で客観的努力を傾注したのは事実であるが、陸海軍によって史料の選択や解釈に相違があったにもまた事実であろう。記述内容の差異もさることながら、陸海軍の見解の相違の一端を垣間見ることができ、興味深い。

(軍事史学 記念特集号 杉之尾孝生先生の論文を参考)