参考文献 解説3/朝日ソノラマ戦史シリーズ



光人社NF文庫と並んで文庫本では有名な「朝日ソノラマ戦史シリーズ」。 「航空戦史シリーズ」「新戦史シリーズ」「スパイ戦史シリーズ」の3種類があり、「航空戦史」と「新戦史」の中で好評だった作品はのちに「新装版 戦記文庫」として重版された。
堀越二郎技師と奥宮正武中佐による有名な「零戦」(の新装版で陸軍機解説や各種軍用機の生産実績などは割愛され資料性は低くなった)や、翻訳者の大井篤大佐から歴史的価値なしと酷評された、ウィロビー少将の「マッカーサー戦記」、木俣滋郎氏による有名な海戦史シリーズ(シーパワー他からの既連載)、加登川幸太郎中佐による戦車戦に関する翻訳書など、なかなか侮りがたいラインナップであった。文庫本ゆえの「俗っぽさ」は否定できず戦史というよりも戦記物ではあるが、その価格からも重宝がられる存在であった。

シリーズの中心は「航空戦史シリーズ」で、全100冊を数えた。ヨーロッパ戦線、朝鮮戦争、ベトナムなど題材は多岐にわたり、空戦だけでなく海戦も扱うようになり、陸戦も若干含まれる。また「スパイ戦史シリーズ」は裏面史として貴重であった。 以下に海戦記を中心に紹介するが現在では残念ながら在庫を除いてすべて絶版である。

大本営海軍部
山本 親雄 著

支那事変から大東亜戦争にかけて前後2回にわたって大本営海軍部に勤務した著者が、記憶の薄れぬ(昭和25年)うちに当時の日記と記憶に頼り書き綴ったものを、防衛庁戦史室の資料や先輩・知人の口述筆記などによって補正したものである。 主要な作戦の反省のほかに潜水艦作戦の不振、陸海軍の対立問題、敗戦をまねいた艦隊決戦主義、実現しなかった日独協同作戦などについても言及しており、「この戦争の渦中にいた者は、不幸な戦争の事実を子孫のために正しく伝える義務と責任があると思う。」と、著者の思惟に基づいた事実究明と反省の書である。

著者・山本親雄は海兵46期、海大30期。「千代田」艦長、航空本部総務部第1課長などを歴任、昭和18年1月には軍令部第1部(作戦)第1課長として作戦指導の中枢にあった人物。終戦時第72航空戦隊司令官。元海軍少将。
昭和49年8月に戦史刊行会企画より発刊されたものを文庫版に収録したものである。

 

伊58潜帰投せり
橋本 以行 著

日本の潜水艦はどこにいたか?そしてどんな戦いをしていたのか? 真珠湾奇襲にはじまり、南海ソロモンでの死闘、北海での荒海との闘い、そして米重巡「インディアナポリス」撃沈… 歴戦3年有余の末無事帰投した数少ない潜水艦長の一人として知られざる潜水艦隊の戦いを書き残したもので、板倉光馬・元少佐(61期)の著作と並んで本作品は有名である。巻末には橋本艦長の回想、むすびには期待を裏切った潜水艦戦として福留繁元中将の一文、あとがきには豊田副武元大将の推奨文が付記されている。

著者・橋本以行は海兵59期。伊24潜の水雷長として特殊潜航艇(酒巻艇)を搭載してハワイ作戦に参加、潜水学校甲種学生、呂31潜艦長を経て、新造艦・伊58潜の艦長として特攻兵器「回天」戦を展開し終戦。元中佐。 戦後は京都梅宮大社の宮司を勤め、先頃惜しくも他界された。
昭和27年10月に鱒書房から単行本として発刊されたものを文庫本として収録したものである。

 

ソロモン海敵中突破
種子島 洋二 著

昭和18年、ソロモン海での戦況は日本軍にとって極度に悪化しつつあった。圧倒的な物量を誇る米軍はこの方面の制空権と制海権を握り、我が海軍航空隊も聯合艦隊も苦戦の連続であった。もはやガダルカナル島撤退時のように駆逐艦のみによる兵力輸送はほとんど不可能である。 そのため舟艇機動により、玉砕寸前の南東支隊をコロンバンガラ島から撤退させる「セ」号作戦が立案された。付近海面は多数の敵艦隊に包囲された中を、護衛艦艇もない無防備に近い大発動艇100隻で2往復し、12000名からなる我が陸海軍部隊を200キロ離れたブーゲンビル島に撤収させる作戦である。

著者・種子島洋二は海兵55期。駆逐艦「汐風」艦長で大東亜戦争を迎え、以降各艦長を歴任、第1輸送隊長として「セ」号作戦の実施部隊の指揮を執り、第88警備隊司令としてブーゲンビル島にて終戦。元中佐。
昭和50年2月に戦史刊行会企画から「ソロモン海『セ』号作戦」の題名で発刊されたものを、文庫本として収録したものである。

 

激闘駆逐艦隊
倉橋 友二郎 著

開戦当初、我が水雷戦隊は6個戦隊を数え、そのうちの第1から第4までの各水雷戦隊はいずれも敵主力艦と刺し違え戦法をもってする艦隊決戦用に備えられたものであった。たしかに高速で走り回る水雷戦隊は艦隊の華と呼べるものであったが、本来の目的であった華々しい魚雷戦、殊に訓練の重点をおいた夜戦は少なく、実際の働きは大型艦や輸送船の護衛、孤島への人員・物資の輸送などに終始し、被害を重ねた。

著者・倉橋友二郎は海兵65期。第4駆逐隊の駆逐艦「萩風」砲術長でミッドウエー海戦やガダルカナルへの一木支隊輸送作戦に参加。のち防空駆逐艦「凉月」の砲術長として戦艦大和以下の海上特攻に参加、定員290名のところ戦時動員で450名近く、しかも防空強化のため約350名が砲術科員であった。佐世保帰投後は北九州の西海空基地防空隊長にて終戦。元少佐。 大戦中のほとんど大部分を駆逐艦に乗り、駆逐艦とともに戦った著者による貴重な体験の一端をありのままに紹介している。 昭和31年7月に鱒書房から「第41防空駆逐隊戦記」の題名で発刊されたものを、文庫本として収録したものである。

 

最後の特派員
衣奈 多喜男 著

昭和16年2月20日 朝日新聞社のヨーロッパ特派員・ローマ支局長として横浜港から乗船した著者が日本に帰ったのは、昭和21年3月26日のことである。実に5年もの永きにわたりローマを拠点として、欧州の戦況を同盟国イタリアとドイツの側から刻々と故国日本に打電し続けた。ドイツ占領下のパリ、イタリア本島への連合軍進攻、ムッソリーニの失脚、ノルマンディ戦線、ドイツ脱出記と終戦前後のストックホルム等々、枢軸側からみたヨーロッパ戦線での体験記である。 著者は新聞社特派員であるだけに単なる体験記に留まらず、ルポルタージュとも言うべき内容に冨んでおり、類書が少ない貴重なものである。

著者・衣奈多喜男は支那事変特派員、バタビア特派員を歴任後、欧州特派員。戦後は朝日新聞名古屋本社報道部長、東京本社企画部長、朝日ソノラマ社長などを歴任。
昭和22年6月に朝日新聞社から「ヨーロッパ青鉛筆」の題名で、昭和48年8月に朝日ソノラマから「敗北のヨーロッパ特電」として刊行された。 後者を加筆したものを文庫本として収録したものである。

 

情報士官の回想
中牟田 研市 著

陸軍で二等兵からしごかれるのは御免、という当時の学生心理からスマートな海軍(予備)士官を志願した著者が配属されたのは、軍令部での通信謀報班であった。「通信謀報」と「暗号解読」とは必ずしも同義語ではない。「暗号解読」が不可能な場合に傍受資料を解析し敵の戦略動向に関する情報を構成する手段一般を「通信解析」と呼び、戦争後期には太平洋の広域作戦を行う海軍にとって唯一の情報手段であった。
米海軍の暗号を解読しえないままの傍受資料から、敵の作戦企図を予知するこの「通信解析」の体系は、学生あがりの予備士官たちによって形成されたのである。だがその彼等も体系的な入門教育を受けておらず、手掛りなしの暗中模索の状態から独力で「通信謀報」の体系を組み立てていた。中でも呼出符号の変更パターンの解読によって動静の変化を読み取るという「系図解析」を中心に、通信量を統計的に整理する「計量解析」を組み合わせることによって、米軍の戦略意図をかなり正確に謀知していたのである。

著者・中牟田研市は東京商科大学(現一橋大学)卒業後海軍予備学生として応召、軍令部に籍を置き、トラック島の第1連合通信隊、ラバウルなどを転戦。海軍大和田通信隊で対米通信解析班員として2年余り勤務し終戦をそこで迎えた。元大尉。戦後は国鉄に勤務。
昭和49年10月にダイヤモンド社から刊行されたものを、文庫本として収録したものである。

 

真珠湾スパイの回想
吉川 猛夫 著

昭和16年春 ホノルル総領事館員として赴任した書記正・森村正の正体は、米艦隊の動きを探るべく潜入した軍令部第3部第8課に属する吉川猛夫予備少尉だった。総領事の喜多長雄以外にこのことを知る者はおらず、表面上の仕事の傍ら行楽客を装い、ハワイの気象条件、航空基地の戦力、在泊米艦隊の動静などを日本に打電し続けた。むろん緊張高まる情勢下においてFBI当局は監視の目を光らせており、盗聴や尾行をかいくぐってのスパイ活動であった。
@知り得た情報をいかにして本国に打電するか A本国からの指令をいかにして受領するか B専門的知識で状況を判断できるか C単独行動の危険性 D緊張の連続に耐え得る精神力 等々…そして真珠湾奇襲攻撃の日は迫る。

昭和38年12月に講談社から刊行された「東の風、雨/真珠湾スパイの回想」を、文庫本として収録したものである。 なお「東の風、雨」とは、開戦にあたって帝国政府が在外公館に向け放送した隠語で、米英と交戦状態に入れり、という意味であった。

 

日本との秘密戦
E・M・ザカリアス 著

1945年5月8日から始まった米国の対日放送、いわゆる「ザカリヤス放送」の米国公式スポークスマンによる回顧録。著者・E・M・ザカリアス(Zacharias、Ellis Mark)は元米国海軍少将。駐日大使館付語学将校として1920年日本に派遣されて以来、米国屈指の日本通であった。 卓越した語学力と日本での知人を通じ、高松宮、野村吉三郎、米内光政、横山一郎といった政府・軍の高官に接近し、帝国海軍の情報を入手していた。そして開戦となり、途中重巡「ソルトレイク・シティ」、戦艦「ニューメキシコ」各艦長等を経るもほぼ一貫して対日情報勤務に従事する。
1945年3月 フォレスタル海軍長官に提出した「対日心理戦争作戦案」が採用され、対日心理戦争の最高指揮をとることとなる。すなわち日本本土への上陸作戦を行うことなしに、日本の無条件降伏を促進し、実現するために、日本の戦争指導者たちに対する強力な心理戦争の実行であった。

昭和33年11月に日刊労働通信社から刊行されたものを、文庫本として収録したものである。