御前会議/大本営・政府連絡会議

天皇御臨席のもとに開かれる国家最高の会議
明治時代には元老や軍首脳などによって構成され、日清・日露戦争中は大本営会議に天皇が臨席される形式となった。

昭和12年11月 支那事変の本格化による大本営設置により、大本営会議に天皇御臨席の大本営御前会議と、政府首脳と統帥部首脳との大本営政府連絡会議(昭和19年8月以降は最高戦争指導会議)に御臨席を賜る場合の2種類存在する。

一般的には後者を御前会議と呼称し、支那事変・大東亜戦争期の重要国策については後者で決定された。すなわち昭和12年11月19日の閣議決定において、政治と統帥の調整を図るための協議機関として設置された。官制にはない組織ではあったが、重要な国策や政策の方針などはこの会議によって決定された。

近衛内閣時代の昭和15年11月28日から 大本営政府連絡懇談会 という名称になり、小磯内閣時代の昭和19年8月4日には 最高戦争指導会議 と改称した。しかし、改称しても大本営と政府の連携は緊密さを欠き、本来は『統帥機関』であった大本営が、『政治(戦争指導)』まで介入するようになり国家意思の統一を妨げたという観は否定できない。

会議の構成は、参謀総長・軍令部総長・陸海軍大臣・首相・外相・企画院総裁(国務大臣)などであり、蔵相ほか所要の閣僚や参謀次長・軍令部次長などが列席するようになった。  なお上記会議は権威はあっても法制的根拠はなく、必要な場合は閣議決定の手続きを必要とした。

 

昭和12年大本営設置以降の御前会議と議題
大本営御前会議 昭和12年11月24日 陸海軍作戦計画の上聞
大本営御前会議 昭和13年 2月16日 支那事変陸軍作戦指導要綱 御裁可 (戦面不拡大方針確立)
第 1回 昭和13年 1月11日 支那事変処理根本方針 和戦両用の施策
第 2回 昭和13年11月30日 日支新関係調査方針 東亜新秩序建設
第 3回 昭和15年 9月19日 日独伊三国同盟調印
第 4回 昭和15年11月13日 支那事変処理要綱と日華基本条約案
第 5回 昭和16年 7月 2日 情勢の推移に伴う帝国国策要綱決定
第 6回 昭和16年 9月 6日 帝国国策遂行要領 対米英戦準備
第 7回 昭和16年11月 5日 帝国国策遂行要領決定 開戦を辞せざる決意のもとに外交交渉
第 8回 昭和16年12月 1日 対米英蘭開戦を決定
第 9回 昭和17年12月21日 大東亜戦争完遂のための対支処理根本方針
第10回 昭和18年 5月31日 大東亜政略指導大綱 大東亜会議召集 決定
第11回 昭和18年 9月30日 今後採るべき戦争指導の基本大綱 (絶対国防圏の設定)
第12回 昭和19年 8月19日 今後採るべき戦争指導の基本大綱 (比島決戦)
第13回 昭和20年 6月 8日 今後採るべき戦争指導の基本大綱 (本土決戦)
第14回 昭和20年 8月 9日 国体護持の条件確認とポツダム宣言検討
第15回 昭和20年 8月14日 ポツダム宣言受諾