戒 厳 令

大日本帝国憲法第14条で規定されている天皇大権の一つ。明治15年8月5日 太政官布告第36号。

戦時または事変に際し兵備をもって全国または一地方を警戒する権能行為を規定。
憲法14条の戒厳は一般に「軍事戒厳」と呼ばれる。一方、憲法8条による緊急勅令による戒厳は「行政戒厳」とよばれ、日比谷交番焼討事件、関東大震災、2・26事件などに適用され、一般的にはこの行政戒厳を指す場合が多い。大東亜戦争後の日本国憲法下では戒厳制度は廃止された。

 
会戦・基数

「会戦」とは、統帥参考書の定義では、「(戦略単位たる)軍以上の大兵力の行う戦闘及びその前後に於ける機動の総称」 とされ、概ね10個師団以上の大兵団戦闘のことを示す。 20世紀の陸海空3次元による戦争形式では、会戦の意味は薄くなっており、相当期間戦略的任務を遂行しうる「軍」が会戦単位と称された。
また「会戦分」とは、軍需品の使用・補給の基準を示す数量単位である。1会戦は3〜4ヶ月分の作戦期間を想定している。

昭和18年参謀本部幕僚手簿によれば、1個師団の1会戦分の軍需品の数量は、約1万トンで1銃(1門)あたりの基準は以下のとおり。

拳銃 40発
小銃 300発
   軽機関銃  8000発
   重機関銃 23000発
37ミリ対戦車砲   900発
   野(山)砲  2000発

「基数」というのは弾薬の使用基準で、1基数は概ね1会戦分の20分の1である。

 
軍機保護法

明治32年7月制定。軍事上の秘密を守ることを目的とする法律。即ち、「作戦、用兵、動員、出師、その他軍事上秘密を要する事項または図書物件」を保護するものである。軍事秘密を探知、収集し、外国に漏洩した行為などは死刑が適用された。

 
海軍陸戦隊

海軍による陸上戦闘部隊。
英国海軍にならい、建軍当初は海兵隊と称した。明治19年11月5日 海軍陸戦隊概則でその法的地位が確立した。

各鎮守府の海兵団に常設しておき、必要に応じて海軍大臣または艦隊長官が派遣することになっていたが、大東亜戦争中は広大な海域で島嶼作戦が展開されたため、鎮守府陸戦隊にとどまらず、特設根拠地隊、警備隊、防空隊という名称で次々編成された。

開戦時は7個編成からはじまって、終戦時は各種計262隊に達した。陸戦用海軍将校として、その多くは海軍予備学生があたり、館山砲術学校がその教育機関となった。歩兵・砲兵・戦車兵に相当する知識を要求されるため、陸軍から教官はじめ多くの指導を仰いで充当した。 編成・装備は均一ではなく、概ね戦術単位の組織であり、陸軍の大隊から聯隊に相当する規模である。多くの陸戦隊司令は中佐、副長は大尉が任じられ、攻略部隊ではなく防備部隊としての任が多い。同規模の陸軍部隊よりも火砲が充実していた。

ニュージョージアの横須賀第7特別陸戦隊を例に挙げると、12センチ砲8門 8センチ砲16門 7.5センチ高角砲4門 を有し、総員1800名の構成であった。