WELCOME TO MY HOMEPAGE

「現実論理」への道   高原利生

技術,制度,生活の背後にある「価値」と「方法,論理」

 

高原利生 
takahara-t@m.ieice.org
 

 最終更新日時 2011年04月18日

 

  トピック:1) 基本概念:事実オブジェクト(物、精神(私、私以外)、運動)、

21) 事実の歴史の総括による価値、価値と相互規定する機能,意味

22) 構造((横の)構造,(縦の)階層)(粒度、内部構造)

3) 変化、他との差異とこれらを処理する弁証法

三者の内部の各項間も相互作用の関係にあるが、粒度が実質、規定する。

 

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/eTRIZ/eforum/e2010Forum/eTRIZSymp2010Rep/eTRIZSymp2010TNRepH.html#Takahara 

  2010年の第6TRIZシンポジウムでの高原利生の発表のうち英文スライドが、中川先生により詳細に紹介された。

 

ノート「価値追加

今の行為の目的は、価値を具体化したものになっているだけでなく、価値は無意識の行為の規定要因にもなっている。同じことかもしれないが、何かの意味は価値に規定されているように見える。価値、機能、意味、属性について再考しておこう。人間とは、社会的関係の総体(マルクス「フォイエルバッハについてのノート」」)、属性の総体(マルクス「資本論」)である。社会的関係とは自分の価値実現の社会から見た対外的機能である。機能が対外的行為の意味である。属性は機能に一対一に対応する客観である。また、意味、属性は、空間,時間とともに粒度を規定する。

おそらく生命が究極の価値であり、これから他のより粒度の細かい価値;愛、自由、主観と客観の統一など、を導くことができる1.階層、2.相互規定がある。1.階層と2.相互規定と3.歴史性があることが問題を複雑、困難に見せている。宗教はこの困難さに耐えきれず思考を放棄する。

1.この階層は、価値→目的→機能→(単なる)意味→属性という(大きな)意味の階層の一部であり次第に意味が薄れていく。それぞれにも、究極の価値→より小さな価値といった階層、目的の階層、機能の階層がある。さらに、

意図する私の機能と意味

→意図しない私の機能と意味→その可能性の機能と意味、属性

→他人の機能と意味→その可能性の機能と意味、属性

という1.階層と2.相互規定があり、機能が属性に次第に展開されていく。

2.相互規定は、究極の価値も日常の意味の歴史を総括して得られることをも、今の目的が、大きな価値、今の物事の意味の総体に規定されていることもあらわす。今の私の価値観と意味は同時決定されている。

「芭蕉は捨て子を見捨てて旅を続ける」    20110209,10,13,14,26

16848月、41歳の芭蕉は、一年半に及ぶ最初の旅紀行に旅立つ。野ざらし紀行に記されたその道行で、箱根を越え、富士川にさしかかると、(数えで)三歳ほどになるであろう捨て子が泣いている。

「富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の、哀氣に泣有。この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたえず。露計の命待まと、捨置けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげてとをるに、

猿を聞人捨子に秋の風いかに(さるをきくひと すてごにあきの かぜいかに)

いかにぞや、汝ちゝに悪まれたるか、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなき(を)なけ。」

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/nozarasi/nozara03.htm

「唯これ天にして、汝が性のつたなき(を)なけ。」と言い「袂より喰物なげてとをる」だけで旅を続ける。

この芭蕉の「非人道」行為は非難の的だったらしい。三島由紀夫も、死の一週間前の対談で、芭蕉のようにひどいことはできない、自分なら助けただろうと語っている。

人の行為は、価値観、物事の意味の把握と、人の外部に置かれた技術、制度の二つによって規定される。別のところで述べたように、価値観と物事の意味の把握は、相互に規定されている。それで、価値観と物事の意味の把握を一体として一括りにし、価値観と表すと、行為、価値観、人の外部にある技術,制度の三者がある。行為は、価値観、人の外部にある技術,制度に規定される。

まず、当時の制度のもとでは、芭蕉を非難することはできない、当時の制度のもとでは、誰でも放置するしかないであろうから。芭蕉が、この子を助けるには、旅に連れていくか、親を見つけてそのもとに返すか、誰か世話をする人を見つけるかしかないであろうが、当時はどれも不可能であろうからである。当時、社会保障制度がないに等しかったことは、今との違いである。たった三百数十年で制度は大きく進歩した。これが第一の、芭蕉は非難されない理由である。

第二の理由付けを検討する。価値観は、時代に底流する常識である共同主観と、それに強く規定されている自分の価値観に分かれる。従って、芭蕉の行為を非難することができるためには、技術,制度を無視すれば、人の命は大事にすべきであるという不変の良き常識たる共同主観、価値観に反した自分の悪しき価値意識に基づいて、芭蕉は、捨て子を放置した、それ故、芭蕉は非難されるということになる。大きくは人の命が大事だと考えるのは、少なくとも三百数十年前と今で変わらないであろう。宗教は、価値観は不変、普遍と考えるようである。しかし、世界で年に数万の死者を出す自動車も人は使い続け、大虐殺をおこなった信長は歴史を推し進めた人物として今尊敬を集めている。これらは、多くの人が人の命を唯一の価値と考えておらず、他の価値との相対関係で決まると考えていることを表している。漠然と人の命が大事だということが仮に不変、普遍であっても、年寄りと若い人の命、良い行いの人と悪い行いの人の命の価値は異なろう。何より、命の価値に影響する良い悪いの価値は、明らかに三百数十年と今では大きく変わっている。今も少しずつ変わりつつある。どう変わってきたか、どう変わりつつあるかは詳論を必要とするだろうが、命の価値、それに影響する価値の常識は、当時と今で大きく変わっている。したがって今の価値観で芭蕉を非難することはできない。

行為、価値観、人の外部にある技術,制度が相互規定の関係にある故、行為は、価値観、人の外部にある技術,制度に規定されるのである。価値観も、同様に、行為、人の外部にある技術,制度に規定される。行為に規定されるということは、可能な行為、その方法にも規定されるということである。捨て子を助ける方法がないなら、捨て子の命は、抽象的一般的な価値にとどまり具体的な価値ではなかった。

この二つの理由で芭蕉は非難できない。このことは、制度を変え続けなければならないこと、価値観、物事の意味をよりよくし続けなければならないことも指し示す。技術、制度に関わらない人に対する行為をどうするかがこの他の問題である。ではどうすればよいか?は課題である。

ノート「弁証法論理から

1 対立物、自律的変化の階層

あるものとないものまたはあるものと他のもの

あるものとないもの:現実性と可能性

あるものと他のもの

現実性

可能性

 

 

現実性=一部と他の一部

A. 客観0)1)と態度0)2)

B. 認識3)

0) 変化そのもの

1) 客観の矛盾:あるオブジェクトの変化をもたらす

2) 行動への態度の矛盾

3) 相互依存する二つの認識

0) PC1

一属性の二値

同一性と差異性

01)客観

02)行動への態度

 

(PC2)

11)

一オブジェクトの二属性

内容と形式、機能と構造を含む

111)個々の運動の場合

112)個々の運動の集合の場合

12)

二オブジェクトの二属性

121)個々の運動の場合

122)個々の運動の集合の場合

123)一体

 

(TC)

2)

一、二オブジェクトの 二属性 一体

21)客観と態度主観と客観

22)態度

221)対象的態度

222)行動への態度

3)

31)空間と時間

32) (構造と機能に中立な)物理的属性

331)構造と機能の関係の属性

332)機能、意味の属性

例:

ある位置にあり、同時にない

ある状態にあり、同時にない

 

このままでいいのかいけないのか

例:

あるものの機能と構造

生産力と生産構造

生命の進化における機能と構造

例:

沸騰中の水の分子の反発力と空気の圧力

化学反応

使用価値と交換価値

 

男と女、生産と消費、個と対象、個と共同体

普及と深化(客観として)

自由と愛(客観として)

例:

21)

歴史と論理、

 

個と対象への態度、個と共同体への態度

認識と行動、目的と手段、手順と「精神」、

所有と帰属(制度として)、自由と愛()

22)221)

視点と態度、考えることと学ぶこと、謙虚さと批判、信じることと事後の批判

 

哲学と方法、態度と方法、哲学と科学、体系と運動、分析と総合、普及と深化(行動への態度として)自由と愛(行動への態度として)

222)

対象化,相対化と一体化

感情と論理、対象化,相対化と一体化、一体化のうち、所有と帰属(個人の態度として)

例:

空間と時間

 

北と南

 

粒度と網羅

粒度と内部構造

オブジェクトと粒度

 

現象と本質

偶然と必然

具体性と抽象性

個別性と普遍性

外からの定義と内からの定義

解決は属性変更、その結果、属性数、オブジェクト数変更が起こる場合がある

解決は属性(内部構造含む)変更、その結果、属性数、オブジェクト数変更が起こる場合がある

解決はオブジェクト数、属性数変更、属性変更

解決は新しい段階へ

 

2) 対立項の構造は、次の二つの要素を有する。

1.現実の自律運動,矛盾

現実がまずある。11/03/05,0404。現実の構造の要素である現実の自律運動,矛盾をとらえる二つの粒度がある。

0) 変化そのもの一属性の二値の対比で対立項ができるPC1で表現

1) 変化の構造二属性の対比で対立項ができるという客観的構造を表現

11) 一オブジェクトの二属性が対立物の場合

この中に、作用による変化をもたらす内容と形式(意味とその枠組み、機能と構造)がある。20110101,03,0221,0404

111) 認識される個々の運動が矛盾を形成する粒度

112) 認識される個々の運動の集合が大きな粒度の矛盾を形成する場合。

12) オブジェクトの二属性の直接の相互作用の場合20110101変更

121) 認識される個々の運動が矛盾を形成する場合

122) 認識される個々の運動の集合が大きな粒度の矛盾を形成する場合

123) 一体の場合20110401,04

2.行為を起動する拡張された矛盾

1一属性の二値の対比で対立項ができるPC3 11/03/05という矛盾の拡張の一オブジェクト以内のオブジェクト変更(一属性の変更、属性の削除,生成、オブジェクトの削除,生成)という解

2一属性の二値の対比で対立項ができるPC2という矛盾の拡張の、属性分離という解

) 二属性の対比で対立項ができるTC1,2という矛盾の拡張の、解

) 単独で存在する二つのもの(これは一体型矛盾の唯一の必要条件)が、より広い粒度または人の意識的努力によって対立項になる一体型矛盾という矛盾の拡張の、解

、行為を起動する、その拡張された矛盾

1.の自律運動がある。2.の行為をする。この行為の結果、人工的に矛盾を生成する行為である。生成された矛盾の型は1.の自律運動の型と同じである。つまり、矛盾に大きく二種あり、第一は自律運動と同義である矛盾、第二は行動を起動する拡張された矛盾である。第二のものは、行動が起動されると役目を終え、第一の矛盾に移動する。

行動を起動するものが、矛盾の拡張型だというのは、新鮮な発見だった。これで今までの様々な検討が統一される。矛盾の型は上で尽きており、自律運動も行動を起動するものもこれで網羅されている。1.2.イ)、ロ)、までが、対象化に関するので、一体化または対象化と一体化の統合を可能にするのは、論理的にハ)しかない一体型の矛盾解決は、各対立項自体の完全さ、相互作用、変革の永続、関連する各項(サブ項を含めて)の同時充足を必要条件,前提として、対立物の双方、または相互作用の意味,価値の全面的充足である

ノート「対象化と一体化の統一」から

苦闘が続いている。20110214

課題3一体化:個と全体(対象,共同体)の統一という矛盾の解決。一般的に一体という型の矛盾の構造

1.一般的な一体型の矛盾解決

11. 一般的な一体型の矛盾解決の内容

一般的な一体型の矛盾解決の内容は、各対立項自体の完全さ、相互作用、変革の永続、関連する各項(サブ項を含めて)の同時充足を必要条件,前提として、対立物の双方、または相互作用の意味,価値の全面的充足である「私が実践上,事物に対して人間的にふるまうことができるのは,ただ,事物が人間にたいして人間的にふるまうときだけだ」「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」(弁証法論理)

12. 一般的な一体型の矛盾解決の方法

「自己疎外の止揚は,自己疎外と同じ道をたどる」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.141) 「人間生活の諸形態の考察,したがってまたその科学的分析は,一般に,現実の発展とは反対の道をたどる。」(資本論、国民文庫版、第一分冊、p.136

マルクスの言ったことは、一般化してとらえることの可能で必要なことが多い。この若き時代の言もそうである。歴史と論理の同一性に匹敵する。原因に対処するTRIZとの対比可能か?差異解消:問題解決、新機能、理想化は、矛盾解消より広いか?矛盾解消は問題解決に対応するのか?新機能、理想化も矛盾としてとらえるのは、PC0。11/03/12

2一体化に特有の矛盾解決

21. 一体型の矛盾のうち、一体感の静的意味

一体型の矛盾のうち、一体感は、とりあえず、静的な帰属感、帰属意識(自分が何かに属している、包まれている意識)と所有感、所有意識1.他に何かいい名前があるであろう、マルクスの「所有」「私的所有」は、現在の「所有」観念にとらわれて狭く解釈され過ぎる。対象との関係を「所有」という関係だけからとらえている。タオルや下着を共有するのかという非難は悪意によるかもしれないが、論理的にこの批判がありうるのである。20110312  2何かが自分に属している意識と「経済学・哲学手稿」における、対象に対する「ある対象がわれわれの対象である」という意識が開く「すべての肉体的および精神的な感覚」、そして、この逆方向の、本来、全ての対象から見た我々,私の、我々,私にとっての意識20110310,11である。この静的面では、帰属感と所有感が解決のカギかもしれない。物々交換の検討参照20110204,12個と対象の双方の価値、意味が同じ両者の変化の価値、意味が同じということが本質的前提となる。20110203,04,10,17,19,20,0310,11  私的所有はわれわれを非常に愚かで一面的なものにしてしまったので,ある対象がわれわれの対象であるのは,われわれがそれを持つときにはじめてそうなのであるつまりそれがわれわれにとって存在しているか,それともわれわれによって直接に占有され,食われ,飲まれ,われわれの身につけられ,われわれによって住まわれ等々,要するに使用されるときはじめてそうなのである。」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.151-2(弁証法論理)

22一体型の矛盾のうち、一体感の静的意味と動的意識の統合、関係する全オブジェクトの意味,価値の全面的充足

221.一体感は、この静的面と、個と対象の関係が個、対象の全面である動的意識からなる「一体」矛盾である。おそらく、後者、動的面がないと前者、静的面は満足されない。帰属意識とこの所有意識という名前に代わる意識を統合した新しい一体化意識静的面;帰属感と所有感、動的面は相互規定の関係にある。神沢利子作「くまの子ウーフ」(ポプラ社)の中の「ちょうちょだけになぜなくの」という短編で、ウーフは「ぼくのちょうちょだ」と「所有」意識を持ったちょうちょに対してだけ悲しみの感覚が生じている。萌芽が述べられているこの一体化意識の、対象の全てへの展開と全的充実が必要である。20100404,20110311 

222関係する全オブジェクトの意味,価値の全面的充足

一体化に特有な一体型の矛盾解決の内容は、各対立項自体の完全さ、相互作用、変革の永続、関連する各項(サブ項を含めて)の同時充足を必要条件,前提として、関係する全オブジェクトの意味,価値の全面的充足である「疎外された労働は人間から,(1) 自然を疎外し,(2) 人間自身を,人間の自己の活動機能を,人間の生活活動を疎外することによって,それは人間から類を疎外する。それは人間にとって,類的生活を個人的生活の手段たらしめる」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p..105.

223マルクスの一般化に従い、現在の一体化の現在:帰属意識、所有意識、対象との今の関係をもたらした歴史、論理を見なければならない。20110312

3現在はどちらも満足されていない。その意味で、戦いをもたらしている、現在のゆがんだ国、宗教への帰属意識は、現状の欠陥の結果であり同時に原因である。20100311,14,15

TRIZ/USIT 論文: TRIZ シンポジウム 2009発表
TRIZという生き方?
高原 利生 ( )

日本TRIZ協会主催 第5回日本TRIZシンポジウム、2009年9月10-12日、国立女性教育会館、埼玉県比企郡嵐山町

紹介: 中川 徹 (大阪学院大学) 英文: 2010年 2月4日
掲載:2010. 9.23

Press the button for going to the English page.

編集ノート (中川 徹、2010年 9月19日)

本稿は、昨年(2009年)の第5回TRIZシンポジウムで発表されたものです。もっと早くに、遅くとも今年のTRIZシンポジウムの前に、昨年のシンポジウムの論文をこの『TRIZホームページ』に掲載してしまいたいと努力していたのですが、遅れてしまいました。

本稿は、高原利生さんの新しい力作です。高原利生さんは、2003年以来独自の理論構築を重ねられています。私は2007年秋に初めてその意義を理解し、そのそれまでの高原さんの発表14件全体を収録して、「高原利生論文集: 『差異解消の理論』 (2003-2007) 、論文集解題、論文14編 (高原利生 、2007年12月30日)」というページを、このサイトに作りました (掲載:2008. 3.30)。その後の論文は、つぎのようです。

高原利生: 「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−」、第4回 TRIZシンポジウム2008発表 (2008年9月10-12、ラフォーレ琵琶湖)、(本サイト掲載: 2009. 7.10))

(本稿) 高原利生: 「TRIZという生き方?」、第5回 TRIZシンポジウム2009発表 (2009年9月10-12、国立女性教育会館)、(本サイト掲載: 2010. 9.25)

(最新稿) 高原利生: 「TRIZという生き方?(2)」、第6回 TRIZシンポジウム2010発表 (2010年9月9-11、神奈川工科大学)、(本サイト、後日掲載予定)

本稿で著者は、いままでに蓄積してきたTRIZのものの見方をベースにして、TRIZの精神を深く考察し、「TRIZの精神での生き方」を導き出しています。壮大で緻密な論理構成です。著者の独自の用語がありますが、それに少しずつ馴染まれると、この論理が分かってくることと思います。

本ページはつぎのように構成しています。ご自分で分かりやすいと思う順番で参照下さい。

[1] 論文概要 (著者)  和文 (概要と拡張説明、1ページ)    英文(概要のみ)

[2] 発表スライド (27枚)  和文PDF           英文PDF

     発表論文 (8ページ) 和文 PDF

[3] 中川による紹介 (「Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2009」からの抜粋) (2010. 2. 4) 英文

[4] 発表全文 (スライド + トーク + 補足説明)  (著者作成 2010. 8.22)  和文     英文

2009年FIT2009の「弁証法論理の粒度,密度依存性Dependency of Dialectic Logic on Granularity and Density」が

http://www.sofken.com/FIT2009/pdf/D/D_046.pdf

で読める。従来の弁証法論理の欠点の修正をしたものである。

2008年論文

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2009Papers/TakaharaTRIZSymp2008/Takahara-TRIZSymp2008-090708.htm

より

オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像
−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−
高原利生 ( )

Press the button for going back to the English top page

項目 和文ページ 英文ページ
論文概要 (HTML) 概要 概要
発表スライド (PDF) (32枚 348KB) (32枚、283 KB)
発表スライド、ナレーションノートつき (PowerPoint) (303 KB)   (339 KB)
論文 (PDF) (8頁、360 KB) (10頁、201 KB)
中川による紹介 ("Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2008" より抜粋)  (HTML)  -

2003-2007年論文

高原利生論文集: 『差異解消の理論』 (2003-2007): 論文集解題と論文14編 (リンク

You can read my previous papers on TRIZ in “TRIZ home Page in Japan” as "Theory of Resolving Differences: A Collection of Papers Written by Toshio Takahara (2003-2007) with Annotated Bibliography" in Japanese and English thanks to Prof. NAKAGAWA (link )

 

   目次


1.思想

唯物論、事実主義宣言    20080901-20110214

唯物論、事実主義宣言ノート  20081114- 2011

     事実とは何か、 事実の認識

   価値、 型、粒度,機能,属性,弁証法論理 

     根源的差異解消、対象化という生き方、対象化と一体化の統一

オブジェクトについて  2008-20081120-20101115

「フォイエルバッハ論」における唯物論 20070308-20081205
「フォイエルバッハ論」における唯物論 その2―科学としての唯物論― 20071031,1101
マルクスのオブジェクト   20070403,05,06
マルクスのオブジェクト その2  20070407
マルクスのオブジェクト その3  20070414,16

マルクス「経済学・哲学手稿」における「システムオブジェクト1−プロセスオブジェクト−システムオブジェクト2」モデル把握(メモ)   2007-20081116,20090504,15

マルクス「経済学・哲学手稿」内容ノート 2007-20081118,1212,13,16,1229,20090504

同一性について 200809-20081225,26,27,28,29,30,31,20090101,02,03,05,06,09,15,16,20,22,23,24,29,30,31,

20090201,03,04,05,06,16,20,21,23,24,26,28,0301,06,0510,12,15,24,0704,17,0906,25

命の見方     20081018-20090424

 「聖書に進化論を持ち込むことができますか」(ものみの塔、20080101)について

      20090207,08,09,10,11,13,14,15,16,17,19,20,21,22,23,25,27,28,0302,04,26

ヨハネの第一の手紙について「この世」と、「兄弟を憎む者は皆、人殺しです」について      20081024- 20100329

比喩の誕生とその処理―創世記9章、レビ記17章、使徒言行録15の命と血―   20090204,05,06,21,22,26,28,0305,29,0416,20,28

使徒言行録17章までについて         20081104,05,11,18,19,20,1226             

.方法論

弁証法ノート    20081204-20101216

書くことの中の近代  (音羽の森, Vol.31 pp.59〜61、199512)
決定・ハムレット・コンピュータ (音羽の森, Vol.28 pp.38〜40(抜粋)、199212)

方法について―――「設計問題」と「運用問題」 (音羽の森, Vol.37 pp.42〜44、 200112)
デザイン(設計)の方法:ASITの補足的展開 (音羽の森, Vol.38 pp.47〜48、 20022)
Process Object and ASIT    ( 20030330)

オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像
−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3へのリンク

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2009Papers/TakaharaTRIZSymp2008/Takahara-TRIZSymp2008-090708.htm

より

オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像
−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−
高原利生 ( )
日本TRIZ協会主催 第4回TRIZシンポジウム、2008年9月10-12日、ラフォーレ琵琶湖、滋賀県守山市
紹介: 中川 徹 (大阪学院大学)、2008年10月26日(英文)、和訳: 2009年 7月 9日

[掲載:2009. 7.10]

Press the button for going back to the English top page

項目 和文ページ 英文ページ
論文概要 (HTML) 概要 概要
発表スライド (PDF) (32枚 348KB) (32枚、283 KB)
発表スライド、ナレーションノートつき (PowerPoint) (303 KB)   (339 KB)
論文 (PDF) (8頁、360 KB) (10頁、201 KB)
中川による紹介 ("Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2008" より抜粋)  (HTML)  -
高原利生 論文集『差異解消の理論』 (2003-2007): 論文集解題と論文14編 (高原利生)。  解題ページ (HTML)

この中で一番分かりやすいのは、ナレーションノートつきの発表スライドでしょう。高原さんが話されたままの説明がついていますので、スライドに書いておられることの意図がよくわかります。発表後の補足も加えられています。ノートの分量がページからはみ出すところがありますので、PDF化がうまくできず、著者の了解を得てPowerPoint のままで掲載しました。[一旦ファイル保存してから、PowerPointで開き、標準表示で下部にノートを表示させるか、あるいはメニューバーの表示からノート表示を指定して表示させて下さい。保存せずに直接開くとノートが読めないようです。] 高原さんの仕事は、最初はその用語で戸惑いますが、いくつもの発表を読んでいるうちに、その大きなスケールでの考え方が分かってくるようになると思います。

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/eTRIZ/index.html

-- Japan TRIZ Symp. 2008 Presentation:  The General Picture of TRIZ From the Viewpoint of Changing Objects ― A Method of Resolving Differences Based on the Concepts of Functions and Process Objects Part 3 ― (Toshio Takahara ()) (Jul. 10, 2009)

Slides in PDF , Slides with narration notes in PPT , Full paper in PDF , Introduction (Toru Nakagawa)
"Differences" is the gap between the desire and the reality.  We want to resolve the differences in all the activities of goal setting, problem recognition, designing, problem solving, etc.  The author has been constructing his own theoretical framework to handling the difference resolution and has developed his way of diagrammatic representation of such systems and activities.  His 14 papers written since 2003 were posted last year in this Web site .  The author wants to summarize his work in this presentation of TRIZ Symposium 2008.  The slides with narration notes may be easiest for you to understand the author's thoughts.

『高原利生論文集』(2003年−2007年の14編の論文)へのリンク

        高原利生 論文一覧 (2003年〜2007年)  (発表順) 

[番号] 出典-テーマ-年 題名 出典 言語ページ数、リンク
[1] TJ1_Area 2003 Application Area of Thinking Tool or Problem Solving Tool The TRIZ journal, Jun.2003. 英文5頁
[2] FIT0_ASIT_2003 A Study on Thinking Tool or Problem Solving Tool K-068, FIT2003, Sept.2003 英文3頁
[3] TJ2_Object_2003 How People Interact with Objects using TRIZ and ASIT The TRIZ journal, Aug.2003 英文13頁
[4] TJ3_ASIT_2003 Logical Enhancement of ASIT The TRIZ journal, Sept.2003 英文10頁
[5] TJ4_Function_2003 How Function is Realized in Problem Solving The TRIZ journal, Nov.2003 英文12頁
[6] FIT1_オブジェクト_2004 オブジェクト再考 FIT2004, K-053, 2004.09. 和文4頁
[7] FIT2_オブジェクト_2005 オブジェクト再考2−現実表現のための最小オブジェクトセット FIT2005, K-084, 2005.09. 和文4頁
[8] FIT3_オブジェクト_2005 オブジェクト再考3−視点と粒度− FIT2005, K-085, 2005.09. 和文4頁
[9] TS1_オブジェクト_2005 オブジェクトの再把握とそのTRIZ,USIT,ASITへの適用 第一回TRIZシンポジウム, 2005.09.01-03 和文6頁, 和文スライド20頁
How to Adapt Reconsidered Object to TRIZ, USIT and ASIT 英文スライド20頁
[10] TS2_差異解消_2006 機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法―またはBall氏の“階層化TRIZアルゴリズム”についてのコメント― 第二回TRIZシンポジウム, 2006.08.31-09.02 和文10頁,和文スライド20頁
A Method of Resolving Differences Based on the Concepts of Function and Process Object――Or a Comment on “Hierarchical TRIZ Algorithms" ―― 英文スライド19頁
[11] FIT4_図_2006 オブジェクト世界の構造化表示方法−オブジェクト再考4 FIT2006, K-093, 2006.09. 和文4頁
[12] FIT5_差異解消_2006 オブジェクト世界変革の方法−オブジェクト再考5− FIT2006, K-094, 2006.09. 和文4頁
[13] FIT6_ChangeObject_2007 The Principles of Handling Process Object in the Method of Resolving Differences ― Reconsidering Object 6 FIT2007, D-015, 2006.09. 英文4頁
[14] TS3_差異解消_2007 機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2 第三回TRIZシンポジウム, 2007.08.30-09.01 和文HP , 和文8頁,和文スライド8頁
[14] TS3_ResolveDifference_2007 A Method of Resolving Differences Based on the Concepts of Functions and Process Objects: Part 2 英文HP  , 英文16頁,英文スライド8頁


イラスト教材: 階層化TRIZアルゴリズム (Larry Ball, 訳: 高原利生・中川 徹) (導入部と簡易版) (開始: 2006. 2. 1; 最新: 2006. 9. 6)
     はじめに  (2006. 2. 1)
     A. 市場を発見する 
(2006. 2. 1)
     B. システム機能を明確にする 
(2006. 3. 6)
     C. 物理現象を特定する
(2006. 3. 6)
     D. システムオブジェクトを特定する 
(2006. 3. 6)
     E. システムを単純化する
(2006. 4. 4)
     F. 何が主たる問題か
(2006. 4. 4)
     G. 何が問題を起こす原因か?
(2006. 4. 4)
     H. 問題を解決するためにオブジェクトのノブを回せ
(2006. 5. 9)
     I. 得られた矛盾を解決する
(2006. 7. 4)
     J. 解決策を実現する
(2006. 9. 6)
     K. 付録: 機能を理想化する
(2006. 9. 6)
     L. 付録: ノブの一覧表
(2006. 9. 6)
     M. 付録: システムの進化
(2006. 9. 6)
     K. 付録: 雑
(2006. 9. 6)

イラスト教材: 階層化TRIZアルゴリズム (Larry Ball, 訳: 高原利生・中川 徹) (詳細版) (詳細版開始: 2007. 1. 7; 最新: 2007. 7.22)(完)
         
CD-R版を販売しています (2007.11. 1)
     A. 市場を発見する 
(2007. 1. 7)
     B. システム機能を明確にする 
(2007. 1.22)
     C. 物理現象を特定する
(2007. 1.22)
     D. システムオブジェクトを特定する 
(2007. 1.22)
     E. システムを単純化する (究極の理想解)  
(2007. 2.15)
     F. 何が主たる問題か
(2007. 4. 5)
     G. 何が問題を起こす原因か?
(2007. 4. 5)
     H. 問題を解決するためにオブジェクトのノブを回せ
(2007. 4. 5)
     I. 得られた矛盾を解決する (前半)
(2007. 5. 6)
            同 (後半)
(2007. 5.20)
     J. 解決策を実現する
(2007. 7.22)
     K. 付録. 機能を理想化する (全)  
(2007. 2.15; 3. 1)
     L. 付録. ノブの一覧表  
(2007. 6.24)
     M. 付録. 進化
(2007. 7.22)
     N. 付録. 雑
(2007. 7.22)  

階層化TRIZアルゴリズム」来日時の講演 (L. Ball; 訳 高原利生、中川 徹)   ; スライド PDF ; 解説つきスライド   (2008. 2.27)  

 

3.価値論 

4.文化論1 文化全般 技術

文化論ノート――自然・文化・人間についての技術者の一試論――(未発表、毎日21世紀賞「人間と環境」応募論文 、一部付記,一部削除、198506)
技術論の枠組み (音羽の森, Vol.24 pp.52〜54 、198812)

理想技術論と情報ネットワークシステム(抜粋)(応用科学学会誌Vol., No.1、199002)


5.文化論2 制度

方丈記と北朝鮮問題
マリア・バルバラ又は空想天皇制
遠く困難な死者追悼

北朝鮮問題

6.雑文

共通の価値基準と三つの死
初めての夏49年目の夏 (音羽の森 ,Vol.30 pp.60〜62 199412)
カルタゴの丘からイタリアが見える
子猫チャトラ追悼              20071230

えふえぬいい in 桶狭間 (FNE WORLD No.8,p.8,199301)
朝鮮人部落
ミシガンの風と湖と大地(FNE WORLD No.4,p.20,199201)

7.発表文献一覧


経過

 


  他の方のホームページの引用利用以外は、リンクを張れていない。基本的にテキストを並べただけのホームページである。改善のつもりだけあるが、何時になるか不明。

  またジオクリエータを利用しているが、全く違った図が表示されることがある。takahara-t@m.ieice.orgまでEmailをいただければ正しく表示されているものをお送りする。

URLの変更

新URL
http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

旧URL
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2744/
 
 

1.思想

唯物論,事実主義宣言  高原利生20080901,1011,12,13,14,20,23,24,27,28,31, 1102,03,04(公開), 05,06,08,10,14,16,17,19,21,26,28,29,1205,06,07,08,09,11,12,13,15,22,24,29, 20090107,10,11,26,0202,03,04,05,06,12,13,14,15,16,17,18,20,23,25,26,27,28, 0301,05,06,1112,13,14,16,17,20,21,22,23,24,25,26,29, 0401,02,07,08,10,11,12,13,14,16,18,21,23,24,30, 502,10,17,20,25, 0601,28,事実主義を追加, 29,0704唯物論、事実主義宣言に題変更, 08,12唯物論,事実主義宣言に題変更, 16,31,0801,23,27, 0904,24,26,27,29,1013,29, 1104,05,09,10,11, 1211,12,15,16,22, 20100101,03,04,10,11,14,18,19,26,30,31, 0202,07,10,12,14,15,21,24,25,26, 0302,17,18,23,0409,15, 0501,08,14,22,25,26,28, 1109,15,1204, 20110101,10,13,26, 0210,14

事実

事実は、この世界の現実とその歴史である。現実は、精神(他人と自分の)関係から構成される。関係は、静的関係 (例えば二つのものが接しないで並んでいるという関係は静的関係である。とりあえず考えない) 運動(ふるまい)からなる。人の外部に対する運動は行為である。精神(意識)は、感情、観念と観念の運動である思考である。物と精神(意識)の運動は現実を変化させ続けている。現実は、今の自分、他人、他の全ての存在が相互作用し合っており、同時に宇宙開闢以来現在までの事実の歴史の賜物である。

認識される事実の単位がオブジェクトである。この単位は粒度(扱う事実の空間時間、属性の範囲),密度(扱う事実のきめ細かさ)に依存する。オブジェクトは、「観念」(他人の精神のうち物理的実体に担われて表現され認識可能なものと自分の精神、運動から構成される。別の粒度では、オブジェクトは、それぞれに運動を含んだ物、自分、自分以外の人間である。

事実の認識とは、事実の認識単位であるオブジェクトを関係によって結び付け、ある粒度,密度認識像を作ることである。事実の認識は、自分の知覚によって直接行うか、既存の「観念」の再認識によって行われる。

真理方法、実現するべき価値や意味を含む既存の「観念」の体系も、事実から時間をかけて作られ続ける高次の事実である。価値は、対象化的価値;対象的客観的価値(生命の数の増加、生命の愛と自由の向上、自然負荷ゼロのための努力)、対象への態度(謙虚さ,誠実さ)と、一体化的価値;個と全体(対象、共同体)との統合である。

媒体に保存された観念は絶対的であるが認識できる現実でもあり、これを批判し新たな観念を作ることができる。

理想的な対象化的生き方

(態度)

謙虚な認識と批判の統一:現実と歴史と価値に関して、自分が受け取る情報を検証し、認識の方法,批判の手段,方法、現実変更と生成の手段,方法、これらについての既存の「観念」を謙虚に学び続け、同時に何ものも信ずることなく疑い批判し続け自己の対象的認識を相対化し続けよ。

(内容) 

誠実な変更行為:事実の中に目的と現実の差異を感じ取り、目的実現のための、現実の改善,変更の手段,方法と、新しい現実の生成の手段,方法を謙虚に求め続け、世界と人間の現実を誠実に改善し続け、変更し続け、生成し続けよ。変化がよいかどうかを検証し続けよ。事実から受け取った以上のものを事実に返し続けよ。常に他人と世界の向上に努力し続けよ

(方法)

正しい価値の正しい粒度のもとで、a. 認識と変更の候補の対象であるオブジェクトの網羅b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定の正しさ、c. 認識と変更の方法の正しさが必要である。

理想的な一体化的生き方

課題である。

 

以下は、「唯物論,事実主義宣言」を補足するものである。検討のためのドキュメントは、筆者が生きていればいつも未完である。このノート自身も常に検証する必要がある。作成途中のものも公開すべきであるという気になったので公開する。書いている途中から、文中に記入、追記の年月日を挿入するようにした。思考の順がある程度分かるが、思考の順と記述の体系性の矛盾をそのままにしておくことになった。見づらいがご容赦いただきたい。「思想の要件」を改題し、項番を振りなおした。20090105,0222,20100526 認識と変更の枠組みについてのノート」を分離する。20100119 この分離を皮切りに本ノートの解体を進める。黒色でなくシーグリーン色または薄い青で書かれた部分は本文への注である。具体的には、「事実」「オブジェクト、粒度、機能,属性(「事実の認識」を改める)、「価値」「型」「弁証法論理」(「粒度、機能,属性」を削除)という二群の要素と、「根源的差異解消」(解体予定)「対象化という生き方」「対象化と一体化の統一」という全体像に分けた。「唯物論,事実主義宣言の補足」「思想の方法ノート」と統合し、この二つを解体する。この他に「オブジェクトについて」「弁証法ノート」がある。20100403,05,07,11,14,17,0523,26,0804,0929,1204, 20110101,0201,02

20080625,0701,05,07,08,30,0813,0918,26,29,1008,09,12,13,14,18,21,28,29,1126,27,28,1208,18,31, 20090101,02,03,05,06,08,13,22,0202,15,22,24,25,26,27,28, 0301,02,03,04,05,06,07,08,09,10,11,12,13,14,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,29,30, 0401,02,03,04,05,06,09,11,12,13,14,16,17,18,20,21,23,24,25,27,28,29,30, 0501,02,04,05,06,07,10,12,16,18,19,20,21,23,25,26,27,28,29,30,31,0601,02,03,05,06,07,13,16,17,18,19,20,24,26,29事実主義追加, 30,0701,02,03,04唯物論、事実主義宣言ノートに題変更, 07,12唯物論,事実主義宣言ノートに題変更, 15,16,17,18,21,23,24,27,0806,24,0925,29,30,1003,04,05,1012.26,27,29,1104,06,10,27,28,1204,10,11,12,13,16,18,31, 20100101,02,03,04,05,06,07,09,10,19,30,0402,03,04

20081114,18,19,20,21,26,27,28,29,30,1202,12,14,21,22,23,24, 20090106,08,09,12,14,26,0201,02,04,05,06,11,12,13,14,15,16,17,18,22,23,24,25,26,28,0303,06,08,10,11,13,14,16,17,18,19,20,21,22,23,29,0401,02,12,13,14,16,18,20,21,23,24,25,30,0629, 0704, 12, 13,31,1012,13,14,16,26, 1106,10,20100130,0217,18,20,21, 0315,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,28,29,31,0401,02,03,07,2011

 

「唯物論,事実主義宣言」ノート  目次

 

事実とは何か:「唯物論,事実主義宣言」ノート

オブジェクト、粒度、機能,属性:「唯物論,事実主義宣言」ノート

 

価値:「唯物論,事実主義宣言」ノート

:「唯物論,事実主義宣言」ノート

弁証法論理:「唯物論,事実主義宣言」ノート

 

根源的差異解消:「唯物論,事実主義宣言」ノート

対象化という生き方:「唯物論,事実主義宣言」ノート

対象化と一体化の統一:「唯物論,事実主義宣言」ノート

事実とは何か:「唯物論,事実主義宣言」ノート

エンゲルスは唯物論の定義について「フォイエルバッハ論」の二箇所で、異なった内容を述べている。一つは、物質と精神はどちらが根源的かという問題意識からのものである。この問題は、現在では科学の問題に代わっていて、思想、哲学、生きかたの問題ではなくなっている(「フォイエルバッハ論における唯物論」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)。科学の問題を論じるには、論証と実証が可能であり必要である。

ここでの唯物論は、エンゲルスが「フォイエルバッハ論」で述べた第二の唯物論のとらえ方による。彼は次のように述べている。「われわれは現実の世界――自然と歴史――を、先人の観念論的な幻想なしにそれに近づく者のだれにでも現れるままの姿で把握しようと決心した。われわれは、空想的な連関においてでなく、それ自身の連関において把握された諸事実と一致しないあらゆる観念論的諸幻想を、容赦なく犠牲にしようと決心した。一般に唯物論とはこれ以上の意味をもっていない」(エンゲルス、「フォイエルバッハ論」、岩波文庫、松村訳、p.601960(原著1888)

この意味の唯物論は、散文的で元気の出ない用語だが「事実主義」というべきものである。

事実は、この世界の現実とその歴史である。現実は、現在の地球においては、物と心(精神)(前は観念としていた。オブジェクトの世界では「観念」という語を使う。少なくとも感情は操作の対象としない20090420,23と関係からなる。関係は、静的関係と運動ふるまい、人間の場合、行動)である。変化を問題とするので静的関係はとりあえず扱わない。この意味は、事実の要素の種類が物と心(精神)と運動ふるまい、人間の場合、行動)であるということである。

現実の運動は事実を変化させ、事実は変化、発展を続けている。現実は変えられるが過ぎ去った瞬間に変えられないものになる。事実の歴史と変えられない現実が絶対的である。正しい認識のために重要なのは正しい対象(オブジェクト)粒度(物事を扱う空間時間と属性の範囲),密度(物事を扱うきめ細かさ)対象(オブジェクト)間の関係と論理である。現在の地球においては、事実は、物と心と運動からなるというのもある粒度,密度による表現である。

心は他人の心と自分の心である。人の外部に対する運動は行為、心の運動は感情の動きと、観念の運動である思考である。心と精神はほぼ同じ意味に使う。感情が動き観念が運動し心ないし精神となる。

今の自分を含む現実は、宇宙開闢以来現在までの全ての事実の歴史の賜物である。もう一つの事実は保存された「観念」である。「観念」にはもともとの事実から抽出した価値観、目的、行動や認識についての知見も含む。事実の認識とは現実と歴史についての認識像という観念を作ることである。現実と歴史には、観念とその動きを含む。したがって科学的認識の結果や実現されている価値も含む。現実と歴史には、技術と制度、その蓄積を含む20100217追記

自分を含む現実認識とは自分の観念の中の世界内の自己認識と現実認識である。各人の自分を含む現実認識、自分を含む現実の変化は相互規定的にのみ得られる20100217追記

唯物論という名称は適切ではない。この名称に直接由来する非難もある。オブジェクト主義、対象主義、事実主義のほうが適切かもしれないが、今はこのまま使うことにする。

今は、唯物論者が物と精神の事実に謙虚であることができる。そうでなかった時代があったことに粛然とする。そうでなかった時代に、思想のあり方として、謙虚に生きるその謙虚さの対象は、特定の自然や神しかなかった。この場合、神には意味があった。

この唯物論は、生き方の論理学であり、あるべき思想、生き方の指針であり思想、哲学と方法の統合である。特定の価値の実現を目指すものではなく、普遍的なものでありたいと思っている。内容を他に押し付けるものではなく例えば宗教とも矛盾しない。ただ自らを絶対と思わず、他の立場を尊敬し、自らを改善し続けるという条件が必要である。この「宣言」自体、疑い続け求め続ける観念である。事実の中に差異を感じ、差異の根拠を問い、根拠を明確にし解消する論理を求め、解消のための行動を全力で続けなければならない。

「全てを疑え」と言ったのは誰だったか?事実に対しては謙虚でなければならない。同時に全てを疑わねばならない。「全てを疑う」−差異を感じその根拠を問う−解消しようとする、論理(20080928)が大事である。第一に「全てを疑え」という視線、視点を持ち続けることは多分最も重要だが同時に実に困難である。第二に事実の中に差異を感じる感性、第三に差異の根拠を問う勇気、根拠を明確にする論理、解消しようとする論理、第四に解消のための行動、いずれも困難だが、この全体が人生である。20090212

オブジェクト、粒度、機能,属性:「唯物論,事実主義宣言」ノート

(まとめ、オブジェクト)

Expansion of “The Ideal of TRIZ” (TS6)より

Something can be identified by differences between something and other thing. We can use this difference as definition of something such as dog or cat.

Generally something more complicated from the viewpoint of changing it should be viewed or defined from two points of view. The first view is to describe differences between something and other thing. This view is from outside. The second view is to describe inner structure of something. This view is from inside. These views are indispensable to make us recognize something, define something and change something.

As to Object we must add one more view. Something more complicated such as Object should be viewed or defined from three points of view. The first view is to describe differences between something and other thing. This view is from outside. The second view is to enumerate kinds or types of something. This horizontal view is from inside of something. The third view is to describe inner structure of something. This vertical view is also from inside. These three views are indispensable to make us recognize something, define something, enumerate kind of something and change something. And object of recognition and that of operation in common sense is the one that is to be recognized, defined, enumerated and changed.

 

What is type?

If we could find (if possible) minimum kinds of elements of something that covered the whole, the kinds of elements had exhaustiveness.

If we could find (if possible) minimum kinds of elements of something at adequate granularity in which we could deal with the same kind of element in the same way and in the different kind differently and the kinds of element covered the whole, the kinds of elements was called type which can gives us unified and structural way of handling and exhaustiveness.

If we could find types of something at adequate granularity both on something recognizable and how to change them, it could be said to obtain unified method of formal theory to change something.

 

Anything recognizable is called Object according to common sense. To recognize something is only to perceive not to understand something. I recognize four kinds of Objects. [TS2] [TS3] Here static relation is eliminated for simplicity.

1. Matter: System Object, Being

2. “Mind”: System Object, Being

21. Information of individual which is expressed by physical action

22. My idea or my fixed mind

3. Movement or Action: Process Object

Movement is process from a viewpoint of time and action from a viewpoint of relation between itself and other thing to change itself and other thing. We deal with these four types of Objects in different way. Matter, information of individual which is expressed by physical action and their movement are physical and only my mind and its movement are not physical. To be physical or not is not so simple from two reasons.

First point is that I can recognize and change my mind although it is not physical.

Secondly generally we cannot recognize other person`s mind so it is not Object except what is expressed in physical way such as written word or action. But we can touch or change other person`s mind indirectly via physical message or action not knowing exact way of changing it. This means that we can try to change or “control, process or modify” what is not Object. It is difficult not because we do not deal with other person`s mind as Object but because it is difficult in real life. And as movement is process and action to change itself and other thing, if some change is detected in other person`s mind we guess some movement cause the change.

Next figure shows relations between something recognizable and something controllable except other person`s mind. These are simple and my first and second view on Object. The third view will be shown later.

 

 

Being and movement

Something recognizable

Something controllable

 

 

 

 

 

 

 

 

 


              Fig. 2.1 Object 1: Matter

 

Object of matter is physical.

 

Being and movement

Something recognizable

Something controllable

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


         Fig. 2.2 Object 2: Object concerning other person`s mind

 

Object concerning other person`s mind needs to be physical. Most of other person`s mind is not Object because it is not physical but some of them may be controllable.

 

Being and movement

Something recognizable

Something controllable

 

 

 

 

 

 

 

 


                         

Fig. 2.3 Object 3: My mind

 

 

Object concerning my mind consists of two parts. My mind is not physical. But it is Object. This is the first part of Object concerning my mind. The second part of Object concerning my mind is information expressed by my physical action.

 

Definition of Object by Fey sais A component of the system that is to be controlled, processed or modified (e.g, moved, machined, bent, turned, heated, expanded, charged, illuminated, measured, detected, etc.). [TJF]

This definition is not bad. The first good point of this definition is that it does not eliminate “idea” nor movement because “idea” or movement is “a component of the system that is to be controlled, processed or modified” by Transformation Principles U, P, M from outside or Transformation Principles D from inside or Operation Principle R. This definition does not restrict object to be physical. Although examples seem to suggest that object is physical but examples are only examples. The second good point is that this definition has a hierarchical point of view. So practically object is system in some sense. This is as same as mine. So every system or Object have matter and movement as sub-system or sub-object. 

To control process or modify component of the system is what we want to do. Among something recognizable there is component of the system to be controlled, processed or modified. I cannot control, process or modify the Sun. But I can recognize the Sun, so the Sun is an Object for me. Moreover generally it is difficult to check in advance something is to be controlled, processed or modified or not.

Especially by the combination of Objects we could reconstruct the original phenomenon uniquely in the real world. We have types in every area including Objects, Objects change or application area.

 

世界を構成するものは何か、変えうるものは何か、その種類は何かということは2003年から3年間考えてきたことであった。

世界における事実の要素の種類は、物、心、運動である。事実をありのまま認識することはできない。事実の認識とは、自分の生物的制約や視点に制約された粒度(オブジェクトの空間的大きさ、時間的長さ)と密度(抽象度等のオブジェクトの細かさ)で、事実から認識できるオブジェクト群を抽出し、そのオブジェクト群を関係付け、現実と歴史についての認識像という観念を作ることである。オブジェクトとは、認識できる事実の要素であり、その種類は、,「観念」,運動である。「観念」とは、他人の精神のうち、行動に表れるか(20100805追記)、表現され物質的実体に担われ知覚可能な内容と、私の観念である。このうち科学的認識の内容が重要である。知覚可能な観念を「観念」として取り扱いを区別することにする。

 

存在と関係

認識可能なもの

制御可能なもの

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1.物「観念」(物質的実体(例:行動、ドキュメント)に担われた認識可能な他者と私の観念内容、および私の頭脳の中にある観念内容)という二つの「存在」:システムオブジェクト

「観念」は、事実に直接的または間接的に対応したものと、それに論理判断を加えたものである。前者は物と重なっている。

2.運動プロセスオブジェクト

運動は、時間の点からは過程、対外的には作用である。運動を止めていることも運動である。なお、この項は本来「関係」で静的関係と運動からなるととらえるべきであるが、静的関係をとりあえず捨象する。200907

別の粒度では、オブジェクトは、物、自分、自分以外の人間である。

これらの概要を「オブジェクトについて」に示している。(高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)。

図は一般のオブジェクトの構造を表している。オブジェクトの属性とは、オブジェクトを具体化する全てのものであり、上位のオブジェクトの属性は、全体属性,全体状態(例:水の温度)、下位のオブジェクトの構造(下位のオブジェクト(例:水の構成原子)、その数、内部構造)である.(狭義の)属性は、外部に対して機能となる。属性(オブジェクト内部にある)と機能(対外作用)の対応という視点が重要である。属性は量と質を持つ属性と構造があるのではない。属性には属性そのものとその値があり、値に量と質がある。構造にも量と質がある。20081205 オブジェクト (サブオブジェクト (属性)、属性、機能(内部 への、外部への))と見ることができる。外部への機能と内部を変える機能がある。20090211一般にはオブジェクト間は相互規定がある。負荷は機能の一種でありマイナスの意味を持った「通常の意味の機能」の逆概念である。一般に機能と負荷の区別は相対的である。この相対性は、ある場合、一つの機能(音楽)があるオブジェクトには価値であるが別のオブジェクトにはマイナスの価値(騒音)である。別の場合、「通常の意味の機能」の実現がその前段階の準備、後段階の後始末でマイナスの価値つまり負荷を伴う。この意味の負荷は他から受け取るもの少なさと他に与える負荷の少なさが基準である。他とは他人や自然である。このうち重要で最終的な粒度,密度で大事なのは自然負荷である。これは自然からの資源採取および自然への廃棄である。この自然負荷は比較的に各人に共有される負荷概念であろう。20090321,0401,02,04,06

属性の総体であるとマルクスが「資本論」の冒頭で述べたのは商品についてであった。オブジェクトは属性の総体であると拡張することができるので、人間というオブジェクトにも拡張できる。マルクスが、資本論で、属性の発見は歴史的行為である、と述べた「属性」は客観でなくここでいう「意味」である。つまり意味は人間が発見した属性である。私を含め、客観と、人にとっての客観はしばしば混同されて使われている。ここでの人も、人間一般なのか、事象に関わる人間なのか、私なのか混同されて使われる。20110126

属性は、空間,時間とともに粒度を規定するという点で実用上も重要である。

(粒度)20110102

粒度は、オブジェクトや価値を具体化する基本概念なので重要である。例えば価値は、どのような時間範囲の、誰の、どのような具体的価値を指しているか分からないと議論できないが、驚くべきことに、世の中、これが明示されないまま論議が行われている。

粒度は、物事を扱う空間時間と属性の範囲、密度は、物事を扱うきめ細かさである。粒度というGranularityの訳語も適切でない。粒度の「度」に度合いという意味はここにはない。オブジェクトの粒度とは、空間,時間と属性の特定された具体性である。粒度はオブジェクトを特定するものである。抽象とはあるものをとらえる属性を特定しそれ以外の属性を捨象し捨てることである。以前、粒度を、空間的時間的範囲ととらえたことがあり、空間的時間的範囲と抽象度としたこともあったが、誤解を避けるためにこう明確にする。20110126,0202

粒度、密度の関係が今まであまりはっきりしていなかった。もやもやしている点は、1. 粒度概念を広義には密度を含んで使う場合があるがそれが許されるかどうかということ、2. 粒度に含まれる属性のとらえかたである。広義には空間時間も属性に含まれるであろう。したがって粒度を昔FITで述べたように(高原:「オブジェクト再考3−視点と粒度−」FIT2005、(『高原利生論文集』 に含まれている

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm)

粒度を空間的時間的範囲ととらえ、密度を(これは上記FIT2005とは異なるが)外部からとらえるか内部についてとらえるかを問わず抽象度と理解することが論理的に可能であった。無意識に自分でそう抽象度の適用範囲を誤解することがあり混乱につながっていた。1.については、広義の粒度に密度を含んで理解することもあることを許容したい。ただし正確なここでのとらえかただけが、あるものの構造を、粒度と内部構造の総体とする便利な理解が可能である。1.を上のようにとらえれば、2.も明確になる。201101

(構造)

オブジェクト世界の把握のために問題と現在の総体の構造の把握が必要となる。それをもたらしている問題だけでなくその問題がもたらされている現在の総体とそれをもたらしているものを問わねばならない。問いが問題と現在の総体とそれをもたらしているものを網羅しているとは、可能な問題と現在の総体の全空間が網羅されており、その中を探索すればよいという保障があり、今の検討がどこにありどこにはないかを明らかにできることである。それは可能な問題と現在の総体の全空間の構造を明らかにすることである。

構造に二種ある。一つは通常の使い方で、自動車の構造という場合の現実のシステムの要素と要素間の関係である。ここでも構造の網羅をさらにすすめねばならない。それがもう一つのここでの構造で、そのものをそのものとする可能性は何かと、そのものが与える影響の可能性は何かという二つを網羅したものである。この網羅をどう表現するか、どう表現したら一番いいのかは検討課題である。今、複数の運動の表示手段はない。要素と要素間の関係も動的な関係を表現しうるが、そのものをそのものとするものは何かと、そのものが与える影響は何かという二つを網羅したものは、要素と要素間の関係と時間的論理を含み構造の可能性も含めて網羅しうる。構造をこの意味で使うことは私以外にないかもしれない。下記で「運動過程の構造は,a) 運動過程の作用の結果は何か,b) 何がこの運動過程を起動するかを規定すると定まる」と書いて検討したものである。書いてからしばらく経って、この構造が通常の意味の構造ではないと気づいた。20090130,0324,25,0411,0502

機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法またはBall氏の階層化TRIZアルゴリズムについてのコメント

第二回TRIZシンポジウム, 2006.08.31-09.02

和文10

和文スライド20

A Method of Resolving Differences Based on the Concepts of Function and Process Object――Or a Comment on “Hierarchical TRIZ Algorithms" ――

英文スライド19

 

オブジェクトの属性と機能の対応が規定されるのはどういう条件だろうか?一般にはオブジェクト間は相互規定がある。機能はオブジェクトにとっての意味である。一般化して言うと、11.主体の意識は、主体の機能によって変わる。主体の意識は、主体の機能が定着するにつれて定着した。12.オブジェクトの属性は、オブジェクトの機能によって変わる。オブジェクトの属性は、オブジェクトの機能が定着するにつれて定着した。21.主体の関係するオブジェクトは、主体の機能によって変わる。22.オブジェクトの関係するオブジェクトは、オブジェクトの機能によって変わる20090224,28,0301,02,03,17

そもそも客観的な因果関係というものはない。因果関係は第一に、客観的事象に価値という主観が加味されて形成されるが、価値はミクロに状況依存で、かつ長期的にはかなりマクロな粒度で変化する。因果関係は第二に、本質的に相互作用であり、それを抽象したものが因果関係に見える場合がある。この抽象もミクロに状況依存で、かつ長期的にはマクロな粒度で変化する。

世論調査のための聞き取りも、もともとの質問事項の枠組みと、聞き手の通常は無意識な先入観、時には悪意のある意図に、受け手が意識的、無意識的に合わせる働きで、聞き手の意見に引き寄せられるものになりやすい。そして両者ともそれを客観的と思い込む。20100528

重要なのは、主体の認識と意識と行動の関係である。主体の認識と意識、主体の意識と行動は同時並列的にのみ行われる。この二つを介して、各人の自分を含む現実認識、自分を含む現実の変革は相互規定的にのみ行われる各人の自己意識と世界意識の生成、自己変革と世界変革、の同時実行が目的である人間の価値のうち人間の属性は、継続する人間の行為に全面的に規定される。正確にはどういう条件でだろうか?20090307,08この説明自体今の時点では至難である。しかしそうであれば実現価値と粒度、密度を認識することをとりあえず目標とする。20090224,28,0305,07,08,12,17,19,20,0412,20100403

 

Method of Resolving Differences

Application Area

(Personal, Technology, Institution)

Objects

Object World

How to express Object World

Objects Change

Basic

Concepts and Types               

(Granularity and Density, Attributes)

機能a

他のオブジェクト世界へ

機能b

機能n

Fig. 1.  Total Picture of My Purposes and This Paper (hatched)

人またはグループのオブジェクトO1は個人または共同観念を共有する組織の成員、人またはグループのオブジェクトO2はオブジェクトO1と相互作用する個人または共同観念を共有する組織の成員である。オブジェクトO1の観念属性または共同観念は機能属性(行動属性)に作用し行動はオブジェクトO2に機能として働く。この機能はオブジェクトO2の機能属性(行動属性)を経てオブジェクトO2の観念属性または共同観念を変化させる。同時にオブジェクトO1はオブジェクトO2の機能属性(行動属性)を経てオブジェクトO2の構造属性も変化させ、また同時に自らの観念属性とオブジェクトO2の観念属性とも相互作用しており両者をわずかではあるが変化させる。オブジェクトO1の行動が継続されると意識との相互作用の回路は強化され固定化される。つまり人というオブジェクトO1の行動は自らの意識を変えると同時にオブジェクトO2を変化させる。

属性l

観念属性

オブジェクトO1

機能属性A

機能属性B

影響b

自然負荷l

.オブジェクトの構造とオブジェクトO1の機能

機能a

機能属性a

観念属性

オブジェクトO2

機能属性b

属性l

作用B

作用A

作用b

作用a

 

負荷属性

観念属性

人の属性

機能属性

負荷

.人の機能と構造

作用

要素数

要素間の関係

要素

人の内部構造

機能

機能

事実の認識は、自分の知覚する物とその運動を検知し直接行うか既存の「観念」を批判するかいずれかによって行われる。私が目の前の海を直接見ている場合だけ、この海は、波が運動しており潮汐運動をしている物である。この場合の海は物、運動というオブジェクトとしての海である。自分の頭の中の海、自分が書いた文章の中の海、他人の心の中の海が検知可能な形で表された海は、いずれも「観念」というオブジェクトとしての海である。この間に写真、映像としての海がある。これは、物、運動というオブジェクトと「観念」というオブジェクトの中間に位置するがいずれもオブジェクトであることに変わりはない。しかし他人が撮った写真、映像としての海も、あるいは自分が撮った写真、映像としての海でさえも今見ている海とは別のコンテクストの中にある海であり批判的に見なければならない。批判は今では認識という行為の殆ど全てを占める。例えば昔の社会主義リアリズム芸術、旧ソ連の政治体制の正しい批判はまだなされていない。20100503

読むこと、一般的に認識には二つの種類がある。認識に一体化する志向を持った認識と対象化する認識があるが、前者は感情が担い後者は観念が担うと考えられる。20090424対象化する認識、対象としての認識とは批判的に認識することである。20090314,16事実の複雑性に対応した多面的かつ重層的認識と、事実の変化に対応した弁証法的認識が必要となる。このために最も重要なのは正しい粒度,密度である。特に一部を全体と見間違うことに注意しなければならない。いかに小さな粒度、密度の認識でも論理的には現実の総体の認識が必要である。正しい粒度、密度を事前に保障する手段はない。事実の事後の検証しか手段がない。

認識者として、扱う対象、オブジェクトが明確であること。人間の関わる全ての領域(技術、制度、個人(食、性))のオブジェクトであること。全体のオブジェクトとの関係が明らかであること。このオブジェクトは、現実に対応した事実であるかどうか、正しいかどうか、価値あるものかどうかは問わない。オブジェクトの把握も困難な課題である。オブジェクトに階層がある。

認識者として、各階層の現実と歴史と実現されている価値、目的、変化させうるものの認識を謙虚に行い続けよ。特に批判者として、既存のこれらの「観念」を誠実に批判し続けよ。できれば根源的に。

(説明1:事実の拡張)

事実は、現実世界で起こる全ての物事である。一次的事実だけでなく、他人の思考も書かれた思考結果も事実である。事実の要素の種類は、物、心、運動であるのに対し、認識できる事実の要素であるオブジェクトの種類は、物,「観念」,運動である。事実の把握は、事実、その中の認識できるものであるオブジェクトという二段階を経て行われる。また実際上、事実の認識の大半は批判をとおして行われるので他人の「観念」を経由して行われ、従って実際上事実の認識の多くの部分は他人の「観念」の認識と批判である。

事実についての視点には、

直接ものを見ての認識と他人の観念を経由した認識、という認識が何を媒介にするかという軸、

一次的事実と科学的,芸術的認識(人間は、歴史と今の事実である現実についての体系的知識を得る科学的認識と世界との一体的認識を得る芸術的認識を発展させながら、技術と制度の変革によって自分と外部の認識と変革を媒介化してきた)という認識の内容の媒介性という軸

がある。重要なことは真理や価値を含むいかなる認識も一次的事実を源泉としており、事実の認識であるということである。少なくとも価値を含むいかなる認識も一次的事実を源泉としておりその中から構築されるという理解以外に正しい理解は得られない。一次的事実以外に絶対的なものはない。

事実の二種類のうち、物とその運動に対応するオブジェクト群は、物、運動から構成されている。観念とその運動に対応するオブジェクト群は、この二つの軸を組み合わせ、物、運動についての「観念」と、それに論理判断を加えた「観念」とその運動から構成されていて二重構造になっている。前者の「観念」は、客観的事実と直接対応している。後者の「観念」は、客観的事実との対応から離れ得る。

ここで、エンゲルスの「われわれは、空想的な連関においてでなく、それ自身の連関において把握された諸事実と一致しないあらゆる観念論的諸幻想を、容赦なく犠牲にしようと決心した。一般に唯物論とはこれ以上の意味をもっていない」という発言の解釈が問題となる。以下、これにつき、図式的で単純過ぎるが、一次的事実以外の「事実」を第一から第四のジャンルに分類しまとめておく。

科学的認識は「諸事実と一致」する。一方、例えばおとぎ話は、実際に起こった事実を語ったものではないという意味では直接的「諸事実と一致」しないが、多くの事実から抽出された間接的な事実の精髄が表現されていてその意味で「諸事実と一致」している。一般に小説、映画等でもそうである。実話を描いた小説でなくても、抽象画でも、「難解」な現代音楽でもしばしば高次の「諸事実と一致」している。高次の「諸事実と一致」したうえで、同時に人に一体感を与える芸術的認識でありうる。高次の「諸事実」には、事実から長い年月をかけて抽出される価値観や目的も含まれる。第一のジャンルである科学的認識、第二のジャンルであるおとぎ話、小説、映画等はエンゲルスの定義がそのまま当てはまりうる。事実に関して重要なのは、価値観は科学と同じレベルで第一のジャンルに属し事実に含まれることである。

また第三のジャンルとして、例えば世界創造神話は、世界創造が科学の対象になっていなかった時代に、世界創造という「諸事実と一致」する表現を目指したものである。現在では科学が明らかにした「諸事実と一致」と殆ど一致しないが一部は客観的「諸事実と一致」しているかもしれない。したがって科学的認識としての程度の低いものであるが、客観的「諸事実と一致」している面がある限りその範囲で芸術的認識としては極めて有用でありうる。全体に第三の世界創造神話等は、エンゲルスの定義にとっても科学的認識としての程度の低いものであるとしても意味はある。これと異なり、第四のジャンルがある。事実やその体系としての科学的認識でないものを事実や科学であると主張するものである。これもその主張がされたことは事実であり、私達はそれを認識できるのでオブジェクトであるが、ただ「容赦なく犠牲にしよう」とすべきものである。世界創造神話を科学的認識と主張する立場自体は「容赦なく犠牲にしよう」とすべきものである。

事実の運動は相互に関係し合いながら事実を変化させ、次々と新しい事実を作る。この相互関係が人に与える意味が価値である。こうして事実の認識とは、現実と歴史と実現されている価値についての認識像を作ることである。

説明2認識の構造と批判の構造)

スーパーシステム−システム−サブシステム、あるいは、スーパーオブジェクト−オブジェクト−サブオブジェクト

という事実と認識の階層についての知見を私達は持つに至っており、粒度設定の一つの基礎となっている。これは、思考の粒度は、第一に、階層を自由に上下、左右して設定すること、第二に、オブジェクトの階層については、

上位のオブジェクトの一部−そのオブジェクトの存在−サブオブジェクト

相互作用については、

そのオブジェクトの属性と外部との相互作用(外部からオブジェクトの属性への影響−オブジェクトの属性から外部に対する機能)−オブジェクトの属性と内部の相互作用(オブジェクトの属性から内部に対する機能−内部からオブジェクトの属性への影響)

という視点を活用して行うことを教えている。オブジェクトだけを取ってみると、次のようになり、あるオブジェクトの機能は外部に対する普通にとらえられている機能と内部に作用する機能の二つあることが重要である。

オブジェクト (サブオブジェクト(属性)、属性、機能 (内部への、外部への) )

これは各人の自分を含む現実認識は、行為による自分を含む現実の変革と相互規定的,同時並列的に行われることの根拠である。階層が上下という視点を持った概念であるのに対し、粒度は上下、左右の視点を持っており、階層を含みそれより広い概念である。一般に思考するということの大半はこの粒度設定が占める。

現実は変えられるが過ぎ去った瞬間に変えられないものになる。変えられない現実は絶対的である。保存された「観念」も変えられない現実であり絶対的であるがこれを批判し新しい観念を作ることはできる。事実の認識は、知覚される物とその運動から直接行うか、既存の「観念」を認識するかの二種類しかない。これらには、それぞれ、認識像と変更予定像がある。既存の「観念」認識は対象化する認識と一体化する認識がある。対象化する認識とは批判である。この中で文字の形態を読むという形式の認識が大きな比重を占める。

既存の「観念」批判の方法の確立が極めて重要である。まずできるだけ「正しい」認識が前提として必要である。「認識」という行為も複数の制約の充足された認識像を決定するという意味で,「決定」行為である。つまり認識、目的決定に共通に全ての観念の世界の判断は「決定」である。読むとは解釈することである。第一に単なる誤解の場合、非科学的知識や時代の制約等の原因で間違っている記述をそのまま読む場合、書かれた状況の無視や、比喩と事実の混同の場合のように間違って読む場合に典型的に表れるように、正しく読むか間違って読むかを問わずいかなる読み方も主観に左右されて解釈される。第二に語句の表す概念の意味、語句間の関係の理解も主観による解釈を伴う。むしろ読み方は読む人の主観そのものとすらいえる。経験したことをそのまま書くことが本来不可能で、書くことは書く人の主観による選択、関係付け等の結果であるように。20090331,0408,18,19

特に他人の「観念」は、当然ながら、全世界に対応しその像を含んでいる。ここに一つの「入れ子」構造がある。他人が別の他人に働きかけ変更しようとしている場合は、他人の「観念」は、全世界を含んだ「観念」を持った別の他人を自分の全世界の中に含む。こうして「入れ子」構造は二重になる。認識像と変更予定像それぞれの批判像がある。また他人の「観念」の運動は、通常は認識できず、せいぜい、私はその「観念」の変化結果しか認識できない。

他人の「観念」批判の方法の困難さは、この構造の複雑さの他に、人の生き方を左右するに当たっての価値観を左右する粒度、密度の設定の重大さ、困難さがある。これは他の批判については特に重要である。またいかに小さな粒度、密度の認識でも論理的には現実の総体の認識が必要である。

1.既存の観念2.(狭い意味の)事実の歴史と現実という二つがある。広い意味ではどちらも絶対的である。絶対的という意味は変えられないという意味である。既存のものを読むことも事実の認識も、どちらも視点により、粒度,密度の選定によるオブジェクト特定とオブジェクト間の空間的関係と時間的論理の特定が行われている。読むことも事実の認識も必ず解釈である。読むこと、一般的に認識には二つの種類がある。一つは読んで読むものと一体化する読み方、認識、もう一つは対象として読む読み方、認識である。対象としての認識とは批判的に認識することであり作り変えである。批判はそれをする人の知的感性的全体を賭けた批判対象との対決である。批判は認識という行為の殆ど全てを占める。もし仮に正しいことが分かるとしても、それは批判的に全人生を賭けて対決して読み認識した結果である。大事なことはそのようにしか読めない、認識できないことを乏しい人生の経験から知った。マルクスも聖書も、このように読むしか読めないのではなかろうかと思う。

(説明3:領域)

適用領域の型を検討する。オブジェクト世界の型というとらえ方、その型毎にオブジェクトの変化形態が大きく異なるような型というとらえ方、実用論的なとらえ方があり、これらの関係が問題となるが、この検討はすんでいない。20090423 領域の型というのは事実の作り方の型である20091013

「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術,等々は生産の特殊な諸様式にすぎないのであって,生産の一般的法則のもとに従う。」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.147)まず労働があり、「労働=生産」の間接化として,労働のための労働がある。労働のための労働は,「労働=生産」と,同一主体の行為として時間的に両立する,「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術、等々」の利用と,分業により,他主体の行為となる「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術、等々」の「製作」とがある。「生産の一般的法則」がもしあるとすれば,どんなものか?

「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術、等々」は,次のように分かれる。

 0. 直接に労働に寄与する技術,

 1. 比較的直接に生産に寄与する体系的,理性的認識結果である科学,

 2. 生産主体の維持である生活,生産主体の再生産である類の維持、生産と技術と科学の高度化に寄与する家族,国家,法,道徳等の制度,

 3. 世界との一体的認識,感性的認識である宗教,芸術

「何か」「領域(事実の変化の仕方)」「変化の方法」などその中からオブジェクトが選択される「もの」を分類して種類に分ける。

下記は実用論的なとらえ方の方に属するだろう。技術と制度の誕生と時を同じくして、人類は誕生した。その時以来、人は、個人の領域以外に、技術の領域と制度の領域を持つことになった。これは、それぞれ人間の自然、共同体への働きかけを媒介、仲介するものとしてそれぞれ技術手段、共同観念を持つ(なお、科学は、人間の体系的認識に関する共同観念であり、認識にはこの他に芸術があるが、いずれもここでは扱わない)。技術とは、技術手段とそれを作る過程、それを利用、運用する過程の総体である。制度とは、共同観念とそれを作る過程、それを利用、運用する過程の総体である。技術においては、技術手段を作る過程を経て技術手段が生まれる。人はこの技術手段に人と「対象」の間を仲介させ、利用、運用し、人の「対象」に対する働きかけや「対象」からの働きかけを改善する。制度においては、作る過程を経て共同観念が生まれる。成員全体の共同観念を利用、運用することによって、「対象」に対する働きかけはスムーズに行われる。この文化を四つに分ける考え方は、高原、「文化論ノート――自然・文化・人間についての技術者の一試論――」抜粋(毎日21世紀賞「人間と環境」応募論文 1985.06.)、高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/、高原、「理想技術論と情報ネットワークシステム」(抜粋)(応用科学学会誌Vol., No.1、199002)、高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

Application Area of Thinking Tool or Problem Solving Tool, The TRIZ journal, Jun.2003.を参照されたい。

機能

負荷属性

技術

機能属性

負荷

要素間の関係

要素

技術の

内部構造

技術の属性

.人と技術の機能と構造

制度と技術の差異を表にまとめる。

 

生成するもの

生成の仕方

再現性

利用法則性

自然

自然

自然に行われる

少ない

自然法則

意図的に行われる場合と無意識に行われたものを意図的に総括する場合がある

少ない

人間の法則

制度

意図的に行われる場合と無意識に行われたものを意図的に総括する場合がある

少ない

社会法則、人間の法則

技術

意図的に行われる

あり

主に自然法則

定義a 制度という共同観念は、共同観念の内、認識内容 (科学など) を除き(もともと除いてあるかもしれない) 変化を起こす観念の内,共同の(共有される)ものに限定したもの、つまり変化を起こす共同観念制度は、変化を起こす共同観念、それを作る、利用,運用することの総体。これがオブジェクト世界の型=領域を作る。

技術、制度が、オブジェクト世界の型=領域という言い方。オブジェクト世界はシステムオブジェクト=存在の運動(生成、変化、運用,利用)で成り立つ。オブジェクト世界において、システムオブジェクトがものであるのが技術、共同観念であるのが制度。

この定義は本質的で時間的内部構造を含んでいる。20091119,1217,20これは下記の定義1を定義の一般的形式に当てはめたもの。20091220

定義b もっと細かい粒度;オブジェクトが、組織(共同観念の内部構造)、属性(共同観念の機能)、共同主観、を持つという粒度。この定義は全体を網羅した空間的内部構造を述べる定義20091220

オブジェクトの二種類の「定義」として、一つは、カントからヘーゲルを経た、経済学・哲学手稿のマルクスによる、相互関係から再帰的、本質的な定義に至る把握である。(再帰的と本質的の関係は検討を要する)もう一つは、資本論の冒頭でマルクスが述べている、それ自体の属性の集合体が「もの」だという把握である(この場合も、物に精神を含めて存在をこの場合も拡張する必要がある)。マルクスは属性が機能に展開していくこと、属性の発見は歴史的行為であると述べている。個別的な定義としてはこれも本質的な把握である。20090820(オブジェクトについて)

制度には、共同観念が人と物の双方に担われるものと人にだけ担われるものがある。前者は、交換制度(例:言語、お金)で制度の基本要素をなす。後者は、個人単位の感じ方、思考、行動を規定する共同主観(例:思想、哲学、道徳、宗教)、社会的行動の構造面を規定する組織制度(例:国家、企業、家族)、社会的行動を機能面で規定する社会制度(例:法律、政治、経済)という三つの面がある。これらは排反ではない。(高原:オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−、第4回TRIZシンポジウム」、2008

適用領域の型はオブジェクト世界の型でもあり、このうち制度は、共同観念とそれを作る過程、それを利用、運用する過程の総体であり共同観念を要素として持つので図のような人と同じモデルを持つと考えることができる。

制度の基本要素である言語やお金の交換は、共同観念が人と物の双方に担われるもので、制度の機能の種類の型であり同時に内部構造の要素の一つである。

個人単位の感じ方、思考、行動を規定する共同主観(例:思想、哲学、道徳、宗教)は観念属性である。社会的行動の構造面を規定する組織制度(例:国家、企業、家族)は内部構造そのもの、社会的行動を機能面で規定する社会制度(例:法律、政治、経済)は機能ないし機能属性そのものである。最初は、共同主観(例:思想、哲学、道徳、宗教)組織制度(例:国家、企業、家族)社会制度が人にだけ担われる理由が分からなかったのであるが、こう見てくるとそれは当然なのであった。20090423,24

負荷属性

観念属性:

共同主観

属性

機能属性:

社会制度

負荷

. 制度の機能と構造

機能

作用

要素数

要素間の関係

要素

内部構造:組織制度

制度

機能

 

負荷属性

機能属性:

社会制度

作用

負荷属性

観念属性

人の属性

機能属性

作用

. 制度の機能と構造とその中の人

機能

制度

負荷

制度の

内部構造:

組織制度

要素間の関係

要素

:人

観念属性:

共同主観

価値:「唯物論,事実主義宣言」ノート

(形式13) 価値の型)(形式131) 価値の型)(唯物論宣言ノート)から移動20100401

最初に断っておかねばならない。自分に価値とは何かというような偉そうなことを語る資格があるかどうか分からないということである。これは本稿に限らない。現実の自分は、歳のせいかもしれないが、すぐ怒り、お金の問題や他の問題でいつももめている。昔、子供に意見をいう手紙を書いたら日ごろの言動と違うと言われて逆効果だと子の母親から注意された。様々迷惑を回りにかけたことの始末もついていない。どう始末すればいいのかも分からない。心配してくれた兄に侘びを言えないまま、2009年の暮れ兄は死んでしまった。20100525

今の行為の目的は、価値を具体化したものになっているだけでなく、価値は無意識の行為の規定要因にもなっている。同じことかもしれないが、何かの意味は価値に規定されているように見える。価値、機能、意味、属性について再考しておこう。人間とは、社会的関係の総体(マルクス「フォイエルバッハについてのノート」」)、属性の総体(マルクス「資本論」)である。社会的関係とは自分の価値実現の社会から見た対外的機能である。機能が対外的行為の意味である。属性は機能に一対一に対応する客観である。

今生きている生命は、長い歴史の中、想像を絶する困難さを生き抜いてきた奇跡の存在である。生命が究極の価値を規定する唯一のものである。これから他のより粒度の細かい価値;愛、自由、主観と客観の統一など、を導く1階層2相互規定がある。1.階層と2.相互規定と3.歴史性があることが問題を複雑、困難に見せている。宗教はこの困難さに耐えきれず思考を放棄する。事実主義という唯物論だけが価値、機能、意味、属性とその階層構造、相互関連、歴史性を明らかにできる。どの宗教が自らのいう価値から意味や属性を導くことができるか?原理的にこれは不可能である。後に述べるように、価値、機能、意味は歴史的に同時決定される構造を持つからである。20101115,1203,20110125,0202

1.この階層は、価値目的機能(単なる)意味属性という(大きな)意味の階層の一部であり次第に意味が薄れていく。それぞれにも、究極の価値より小さな価値といった階層、目的の階層、機能の階層がある。さらに、

意図する私の機能と意味

→1)意図しない私の機能と意味その可能性の機能と意味、属性

→2)他人の機能と意味その可能性の機能と意味、属性

という1.階層と2.相互規定があり、機能が属性に次第に展開されていく。もともとの意図する私の機能と意味から、意図しない私の機能と意味さらにその可能性の機能と意味、属性、他人の機能と意味からその可能性の機能と意味、属性に展開され、その最大限が属性である。人間にとっての属性が意味である。

11/01/13,16,24,25,31

2.相互規定は、究極の価値も日常の意味の歴史を総括して得られることをも、今の目的が、大きな価値、今の物事の意味の総体に規定されていることもあらわす。上の系列の矢印は逆向きでもある。

価値←目的←機能←(単なる)意味←属性

今の私の価値観と意味は同時決定されている。宗教的観念と異なり、一万年前、数千年前の、価値観、機能、物事の意味は、現在と異なっている。芭蕉は、親に捨てられて川のほとりで泣いている子を見捨てて旅立つ。もちろん当時は制度が現在と異なっている。人の命に対する価値観も少し今と異なっていた。命は大事という価値観は、大きくは今と余り変わらないかもしれないが、しかし小さくとも差はあった。宗教は、大きくは今と余り変わらないことだけをみて、変わらないというのである。数百年前の価値観、機能、物事の意味は、今とやや異なっている。それらは極めてわずかずつではあるが、今も変化している。

10/11/20, 11/01/11,13,16,20,23,24,25,26,0202

「芭蕉は捨て子を見捨てて旅を続ける」    20110209,10,13,14

16848月、41歳の芭蕉は、一年半に及ぶ最初の旅紀行に旅立つ。野ざらし紀行に記されたその道行で、箱根を越え、富士川にさしかかると、(数えで)三歳の捨て子が泣いている。

「富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の、哀氣に泣有。この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたえず。露計の命待まと、捨置けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげてとをるに、

猿を聞人捨子に秋の風いかに(さるをきくひと すてごにあきの かぜいかに)

いかにぞや、汝ちゝに悪まれたる?、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなき(を)なけ。」

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/nozarasi/nozara03.htm

「唯これ天にして、汝が性のつたなき(を)なけ。」と言い「袂より喰物なげてとをる」だけで旅を続ける。

この芭蕉の「非人道」行為は非難の的だったらしい。三島由紀夫も、死の一週間前の対談で、芭蕉のようにひどいことはできない、自分なら助けただろうと語っている。

人の行為は、価値観、物事の意味の把握と、人の外部に置かれた技術、制度の二つによって規定される。別のところで述べたように、価値観と物事の意味の把握は、相互に規定されている。それで、価値観と物事の意味の把握を一体として一括りにし、価値観と表すと、行為、価値観、人の外部にある技術,制度の三者がある。行為は、価値観、人の外部にある技術,制度に規定される

まず、当時の制度のもとでは、芭蕉を非難することはできない、当時の制度のもとでは、誰でも放置するしかないであろうから。芭蕉が、この子を助けるには、旅に連れていくか、親を見つけてそのもとに返すか、誰か世話をする人を見つけるかしかないであろうが、当時はどれも不可能であろうからである。当時、社会保障制度がないに等しかったことは、今との違いである。たった三百数十年で制度は大きく進歩した。これが第一の、芭蕉は非難されない理由である。

第二の理由付けを検討する。価値観は、時代に底流する常識である共同主観と、それに強く規定されている自分の価値観に分かれる。従って、芭蕉の行為を非難することができるためには、技術,制度を無視すれば、人の命は大事にすべきであるという不変の良き常識たる共同主観、価値観に反した自分の悪しき価値意識に基づいて、芭蕉は、捨て子を放置した、それ故、芭蕉は非難されるということになる。大きくは人の命が大事だと考えるのは、少なくとも三百数十年前と今で変わらないであろう。宗教は、価値観は不変、普遍と考えるようである。しかし、世界で年に数万の死者を出す自動車も人は使い続け、大虐殺をおこなった信長は歴史を推し進めた人物として今尊敬を集めている。これらは、多くの人が人の命を唯一の価値と考えておらず、他の価値との相対関係で決まると考えていることを表している。漠然と人の命が大事だということが仮に不変、普遍であっても、年寄りと若い人の命、良い行いの人と悪い行いの人の命の価値は異なろう。何より、命の価値に影響する良い悪いの価値は、明らかに三百数十年と今では大きく変わっている。今も少しずつ変わりつつある。どう変わってきたか、どう変わりつつあるかは詳論を必要とするだろうが、命の価値、それに影響する価値の常識は、当時と今で大きく変わっている。したがって今の価値観で芭蕉を非難することはできない。

この二つの理由で芭蕉は非難できない。このことは、制度を変え続けなければならないこと、価値観、物事の意味をよりよくし続けなければならないことも指し示す。技術、制度に関わらない人に対する行為をどうするかがこの他の問題である。ではどうすればよいか?は課題である。(「芭蕉は捨て子を見捨てる」終わり)

本質的に、絶対的に正しい価値は永遠に求められない。一方で、その都度の行為の目的は、価値を意識的または無意識に価値を具体化したものになっているので、価値は把握しておかなければならない。この矛盾は価値とは何かを求め続けることによって解決する20100928

価値は何かの答えは、宇宙の歴史を総括しつ続けて得るしかない。今の価値は、宇宙の歴史を総括して得るしかない。20100325,0409,0503,20110125今までの価値観の変遷を実証的に振り返らねばならないが今その余裕はない。20090327的のある位置に矢が当たる確率は0だが当たっている事実はある。宗教家が現実のよい点だけ取り出しそれを奇跡と言う。10/07/06 10/09/12今のある確率はゼロ故奇跡であるが同時に合理的である。今、生命が生き残っているという奇跡の論理と価値を調べる以外にない。20110213

とりあえず価値を、生命という究極的価値ととらえる粒度でなく、実用上役立つように、粒度をより細かくして検討する。客観的価値(生命、他の向上、自由の向上、自然負荷ゼロのための努力)主観的価値(目的実現のための精神向上とそのための謙虚さ,誠実さへの努力)と主観と客観の統一(他との一体感、対象化と一体化の統合)であると、(唯物論・事実主義宣言20100522)とした価値は、対象化的価値;対象的客観的価値(生命の数の増加、生命の愛と自由の向上、自然負荷ゼロのための努力)、対象への態度(謙虚さ,誠実さ)と、一体化的価値;個と全体(対象、共同体)との統合である(唯物論・事実主義宣言20110214(以降これを説明する)。

この価値の内容は理想的なある状態でなく現状を理想に近づける努力である。したがってこれは永遠に達成できない、したがって努力を続けるしかない。2010325 謙虚さと誠実さの究極は、悪人のために生き行動し死ぬことであり、その行為によって得られる自分の心の豊かさ以外の報いを拒否することである。(このような文章を書く私は謙虚でも誠実でもない。なお言うまでもないことであろうが、悪人のために生き行動し死ぬとは、悪人を「救う」ために生き行動し死ぬことである。これも誤解を受ける表現かもしれないが

現実の変革、生成の際、運用の改善かシステムの変更か新しいシステムの生成かを判断することが実際上極めて重要である。変革の可能性が大きくなる時は危機の可能性も大きくなっている。危機が大きくなっていれば、それに応じて運用の改善、システムの変更、新しいシステムの生成の必要性と可能性がこの順に大きくなっている。この一点が政治的問題についての意見の分かれ道である。他の問題においてもこの判断が大きい分かれ道である。20090205,22

自分の個々の作業と、制度の根本の認識と行為の二つが生き方として不可欠である。解決が困難と判断されることについては技術または制度の共同主観と共同行動が必要である。また制度と技術の目標について宣言で書くべきではないかと感じる。価値に基づいて現実を評価し対案を作ることも必要である。20090204,05,20100319

価値観が人の全ての思考、行動を規定している。したがって0.正しい価値観はどのようなものか、1.正しい価値観はどうやって身につくか、2.身についた価値観がどのように体現されているかのチェックをしなければならない。次は価値観実現の方法である。3.価値観を実現する方法はどうやって身につくか、4.価値観を実現する方法はどのように価値の実現に有効に作用しているかのチェックをしなければならない。20090414

いくつか解くべき課題がある。

1.主観,客観という軸と一体化,対象化という軸の関係が明確でない。

2.,自由というやや中期的価値と、新機能生成,理想化,問題解決という差異解消の短期的価値との関係。,自由というやや中期的価値と、新機能生成,理想化,問題解決という価値を具体化した目的実現のための差異解消の短期的価値の区別がある。20100225,0409

3.,自由,感受性の位置20100409

4.主観と客観の統一、対象化と一体化の統合が、全体を統括する上位の価値なのか主観的価値なのか、まだ整理がついておらず記述もまだ混乱しているがそのままにしておく。20100410極限の根源的な価値は長期的な価値か?20100222

5.主観的価値として謙虚さと誠実さをあげている()が、これらは価値を規定するもので価値ではないのではないかという疑問と、正しい価値と間違った価値があり謙虚さと誠実さは正しい価値としてやはりあげておくべきではないかという疑問がある。20100225,0409

6.技術は一価値か?技術的矛盾は二価値、制度は二価値か?20100306技術のあるいは科学の価値中立の問題とは別10/02/18

7.多様性という価値、天皇制という多様性。急激な変化は悪という価値。20091220これは物理的事実についていえる。観念は納得と整合性があれば急で可。10/04/09

8.子に対するように他の全ての人に愛が注げないのはなぜか?20091123身近にいないものへ愛が薄れるのはなぜか?時が経つと感情が薄れるのはなぜか?10/02/18,10/03/18

下記は修正を要する。20091016,20100318大雑把に修正した。20100409,10

1) 階層の中の価値と価値の形式:客観的価値と主観的価値

人というオブジェクトの、「上位オブジェクト」の一部、「人=生命」、「人の属性、機能」という階層の中において価値を考える必要がある。オブジェクトには全てこの階層があることはありがたいことである。

短期的,中期的には、このうち人の命の数が最も重要である。命があってはじめて、上位オブジェクトである宇宙の歴史と現在のつながりの認識、命の属性ないし機能である心や自由が話題にできるからである。これほど当然のことはないと思っていたが、宗教の中で自分の神に従順でないと殺してしまうことを当然とする自己中心教義のものが一神教にはあるのであった。このことを「ヨハネの第一の手紙について」でふれた。神に従順でないという属性を持っていると「滅ぼされて」しまう。

それに命の数は単純でもない。人間の他の生命の命の価値の違い、若い人と年取った人の命の価値の違い、「正しい」人と「正しくない」人の命の価値の違い、世界に貢献する人とこの世の迷惑になる人の命の価値の違いは依然不明である。

この前提で(あるいはこれを結果としてもたらす本質として20091128)、価値は本質的に機能の意味、副次的に属性の意味であるということを下記の論文で述べた。

オブジェクト再考

FIT2004, K-053, 2004.09.

和文4

機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法またはBall氏の階層化TRIZアルゴリズムについてのコメント

第二回TRIZシンポジウム, 2006.08.31-09.02

和文10 ,和文スライド20

A Method of Resolving Differences Based on the Concepts of Function and Process Object――Or a Comment on “Hierarchical TRIZ Algorithms" ――

同上

英文スライド19

機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2

第三回TRIZシンポジウム, 2007.08.30-09.01

和文HP , 和文8 ,和文スライド20

A Method of Resolving Differences Based on the Concepts of Functions and Process Objects: Part 2

同上

英文HP  , 英文16 ,英文スライド20

ここでこれが「上位オブジェクト」の一部、「人=生命」、「人の属性、機能」という階層の中にどう位置づけられるかが問題となる。

ここでの「価値は本質的に機能の(プラスの)意味、副次的に属性の(プラスの)意味」という形式的表現における価値は、後に出てくる客観的価値に対応している。これは本質的に価値とは客観的価値であることを意味していて主観的価値は価値の副次的な意味のさらに副次的な意味であり、20062007年の価値論は変更する必要がない。また後の図に示される機能属性と機能の面が客観的価値に、観念属性の面が主観的価値である20100225個は宇宙の歴史と時間の流れと他の生命や社会という空間の上位システムの中にあるという認識の状態は主観的価値の一部を形成する。20090420,25,1128

人の本質の実現は人の価値の全体の実現である。機能と属性は一対一に対応している。これは、人は機能ないし属性の全体だということである。このことはマルクスが資本論の冒頭で物について語ったことの一般化であり重要である。したがって人の価値の全体を考えることは人の本質を考えることである。

人の価値の全体は、機能、属性の客観性,主観性により客観的価値と主観的価値に分けられる。人の客観的価値は人の外部に対する機能の価値(またはそれと一対一に対応している機能属性の価値)と負荷のマイナス価値の総和である。人の主観的価値は人の観念属性の価値である。これは個人,集団等人をどのような空間的,時間的粒度,密度によりとらえるかで、さらに論ずることができる。

(説明)

外部に対する機能には、単純化すると20100410、それと一対一に対応する(機能)属性がある。単体の物の場合、機能と属性の対応は通常明確である。一般にオブジェクトは属性の総体である(マルクス)。属性には様々な粒度,密度がある。潜在的属性は機能によって活性化される(シカフス)。複数の属性に外部に対する複数の機能が一対一に対応する。

次の図は人というオブジェクトの機能と属性を表した図である。人というオブジェクトに特有なことがある。それは、一般のオブジェクトの構造を全て持った上で人の属性が機能属性と観念属性に分かれるということである。何か行動を起こすときには観念属性(のうちの状態)が変化し機能属性(のうちの状態)に作用して行動が起き機能が実現する。

負荷は機能の一種でありマイナスの意味を持った「通常の意味の機能」の逆概念である。一般に機能と負荷の区別は相対的である。この相対性は、ある場合、一つの機能(音楽)があるオブジェクトには価値であるが別のオブジェクトにはマイナスの価値(騒音)である。別の場合、「通常の意味の機能」の実現がその前段階の準備、後段階の後始末でマイナスの価値つまり負荷を伴う。この意味の負荷は他から受け取るもの少なさと他に与える負荷の少なさが基準である。他とは他人や自然である。このうち重要で最終的な粒度,密度で大事なのは自然負荷である。これは自然からの資源採取および自然への廃棄である。この自然負荷は比較的に各人に共有される負荷概念であろう。20090321,0401,02,04,06

 

負荷属性

観念属性

人の属性

機能属性

負荷

.人の機能と構造

作用

要素数

要素間の関係

要素

人の内部構造

機能

機能

 

以下、全階層の価値の内容を検討する。命の存在が前提である。ここでは健康に生きているという前提で、何が人間の本質的属性であるかを考える。

心の豊かさ=人間の属性の対内的機能=芸術的、感性的力=類、他人・社会、自然との一体感とその向上を願う気持ち(愛)と感受性

自由=人間の属性の対外的機能=認識し判断し行動するための科学的、技術的、論理的、理性的能力

と以前に書いた。人間の属性の対内的機能、対外的機能という表現を削除し次のようにする。

2) 客観的価値

命の存在の維持、数の増加、自然負荷ゼロについてはすでに前提としている。

人間は、感じ認識し,判断し,行動する。感じ認識するのは「何か、誰かを」である。行動するのは同じまたは別の「何か、誰か」に対してである。この「何か、誰か」をどのように「良く」感じ認識し、「何か、誰か」をどのように「良く」するよう行動するか。この「何か、誰か」の属性向上と感じ認識し,判断し,行動する「行い」の属性向上が価値となるであろう。ここで感じ認識し,判断し,行動する行動に二種ある。オブジェクトという対象との一体化を志向するという行動と対象化を志向する行動である。この二つは私とオブジェクトの間の型による区分である。オブジェクト間の関係を規定する概念に「平等」がある。広い意味の「愛」には平等は含まれるであろう。

オブジェクト

オブジェクト

感じ認識する

判断する

行動する

  人の全体

以上の流れと、この流れが外部に対する機能属性と内部に作用する観念属性を持つことが重要である。

これらが機能、属性の価値を検討する前提である。感じ認識する行為を別項目にすると次のようにまとめることができる。

感受性=感性的対象的認識力とその向上。

=歴史の流れ、他人・社会、自然との一体感と、それら対象の向上を願い努力しようとする気持ち、そのための行動。愛を対象との一体感だけでなく対象を向上させる行為まで含めて理解することについてはヨハネによる。(高原、「ヨハネの第一の手紙について」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

愛は、次のように、客観的価値(他の向上)と主観と客観の統一(他との一体感、対象化と一体化の統合)の双方に関わる。20100522

客観的価値(生命、他の向上、自由の向上、自然負荷ゼロのための努力)主観的価値(目的実現のための精神向上とそのための謙虚さ,誠実さへの努力)と主観と客観の統一(他との一体感、対象化と一体化の統合)20100522

自由=対象的に認識し判断し行動するための科学的、技術的、論理的、理性的能力、対象的行動。広い意味では認識を含めて理解する。この場合「自由とは必然性の認識である」という考えを含む。また「何々からの自由」とか「何々への自由」を含む。

 

感じ認識する

感じ認識する能力向上

判断し行動する

判断し行動する能力向上

オブジェクトの属性向上

:オブジェクトと一体化

感受性

感受性

自由:オブジェクトを対象化

感受性

感受性

自由

自由

自由

この感受性、自由、愛はつながって人間の属性の全体を作る。愛が現実化されるためには感受性と自由が、自由であるためには感受性と愛がなければならない。感受性を伸ばすためには、自由と愛が必要でかつ自由と愛が感受性を発展させる。

感性的力が感受性、芸術的力が愛、科学的、技術的、論理的、理性的能力が自由、かも知れない。

愛は第一に一体感であるからそれを感じる感受性を含む。第二に一体感の対象を含む。それは歴史の流れ、他人・社会、自然である。第三に対象をよくするための自由の全てを含む。それは科学、芸術、技術、制度である。

自由は第一に行動であるから行動のための感受性を含む。第二に行動の対象を含む。それは歴史の流れ、他人・社会、自然である。第三に対象をよくするためのよき行動の全てを含む。それは科学、芸術、技術、制度を含む。

自由は自分が持っている属性のうち、自分の科学的、技術的、論理的、理性的能力である。理性的な力とは、自分の認識能力と、認識した物事を筋道だて判断する論理的能力と外部へ働きかける操作能力である。自由には、科学的認識、技術的手段、制度的手段も含まれる。

愛、自由、感受性は現実を変革する行動とともに得られる愛、自由は、単なる心の属性でなく現実を変革する行動も含めたものととらえる。そして各人の自分を含む現実認識、自分を含む現実の変革は相互規定的にのみ行われる

,自由というやや中期的価値と、新機能生成,理想化,問題解決という価値を具体化した目的実現のための差異解消の短期的価値の区別がある。20100225,0409

3) 主観的価値

主観的価値は、1. 主観と客観の統一(対象化と一体化の統合)2. 目的実現のための精神向上と、3. そのための謙虚さ,誠実さである。(唯物論宣言20100409これは主観、思想と行動への態度、姿勢についての価値である。

1. 主観と客観の統一(対象化と一体化の統合)

認識、表現、変更には、対象化と一体化の方向がある。主観的価値は謙虚さと誠実さである。人の生命の存在、自由と愛が中期的な客観的価値である。長期的価値は、主観的価値と中期的客観的価値をともに満たし、さらに主観と客観の統一、対象化と一体化を統合することであろう。20100224 詳しくは「対象化と一体化の統一」で論ずる。20100410 主観と客観の統一、対象化と一体化の統合が、全体を統括する上位の価値なのか主観的価値なのか、まだ整理がついておらず記述もまだ混乱しているがそのままにしておく。20100410

長期的には全ての存在がお互いに一体的にあるあり方を求めなければならない。主観と客観の同一性,一体性と全ての存在の一体性が長期的な価値を総括する表現であろう。この場合人の生命の数は制限されるかもしれない。これが短期的価値にならないのは生態学等の知見が不足しているためである。愛や自由は客観的価値である。20090525対象化と一体化の「矛盾の運動を可能にするような形態」をつくりださねばならない。20091020,1110,1231

これはさらに、1.主観と客観の状態の一致として、人の類の中の個という認識、人の宇宙の歴史と現実の全ての人と生命と物のつながりの中で存在できているという自己相対化認識、2.主観と客観の運動の一致として、自由と愛という客観的価値が達成されつつあるという実感、がある。これら主観と客観の一致は全ての行為と思考についてである。全ての行為と思考に優劣がつくとすれば、それは客観的な行為と思考の優劣による。人間とは個の維持と種の維持なのだというのはマルクスである。個が犠牲になって類を活かすのがそもそも生命であるのだ。個や家庭が重要なのはこのことによる。個の維持は食により、そのために農業が中核をなしている。種の維持は、家庭を中心にした社会によっているが、理由は子供の生物的知的感性的世話の大変さによる。20100222,0404追記

2. 目的実現のための精神向上

謙虚さ,誠実さより具体的、直接的な価値である。今後の検討を要する。20100410

3. 謙虚さ,誠実さ

「カミュの小説ペストの中で医師リウーがいう誠実、ペストと戦う唯一の方法は『誠実』」(辺見庸)。「生きるとは誠実を胸に刻むこと」(ルイ・アラゴン)。20090418謙虚さと誠実さは、それ自身が基準を含んでいて人に要求できる属性である。20090525

謙虚さ:何かに従順な心。唯物論にとっては事実に従順な心。事実とは既存の全ての宗教的観念等の既存の観念、思想を含む。20090220 謙虚に、視点は自分の物理的位置、生物的属性、社会的属性に規定された粒度、密度と価値観によって、認識されるオブジェクトの具体的な粒度、密度を決めることを理解する。

謙虚さとは、変えられない事実に謙虚であり、同時にその事実が「合理的」であると理解し、かつその事実の根拠が同じという意味で自分と同一であると理解するということである。これと、既存の観念を何も信じない唯物論,事実主義の思想は、両立する。20090819,2010090829

誠実さ:謙虚さが前提となる。下記の内容があるであろう。

1. 間違っているかもしれない自分の認識を客観的にチェックする手段を持つこと。間違った認識に対し訂正、対処をすること。認識者として、入力情報の検証(と内容充実)手段があること。これは、他の情報が正しいことの要求をしてよいこと、場合によっては要求しなければならないことを意味する。

2. 間違っているかもしれない自分の目的を客観的にチェックする手段を持つこと。間違った目的に対し訂正、対処をすること。

3. 自分の認識、発言等の公表した内容と行動の一致を図ること。間違っているかもしれない認識、発言等の公表した内容と行動を客観的にチェックする手段を持つこと。間違った発言と行動に対し訂正、対処をすること。20090220,406追記(「責任を取ること」を削除20100503 正しい批判は、正しい面と正しくないことを分け、両者の根拠を明らかにし、正しくないことを修正する方法を示すことである。

4. 自分の行動が正しい目的を達成したかどうかの検証を行い,違いをただすこと。

謙虚さ、誠実さには自己相対化の態度を含む。絶対的なものを信ずる宗教的態度にないものである。20090406,20,23 良いことを行うことは、それ自体が良いのであり、それゆえに喜びであるのであって、それ以外ではない。他人がどういう価値観を持つかは干渉できないが、最低限の共通の価値観を共有する努力をしなければならない。正しいことは、確認できる事実であるか、確認できる事実と正しい論理により得られるものである。確認できる事実であるか、正しい論理であるかはドキュメント化され参照可能であることが望ましい。

これに対し例えば単に「何々に従順であれ」とは言えない。「何々」が善く正しいものであることが確認できないまま、それに対する「従順さ」を要求することは不当だからである。「何々を愛せ」とは言えない。 v」は人に要求する属性ではないからである。

4) 何の誰にとっての価値か

何の誰にとっての価値かが重要である。価値という言葉が実際に使われている場面を見てみる。オブジェクトの価値が、機能、属性の人一般にとっての意味である場合、機能、属性の私にとっての意味である場合、機能、属性のオブジェクトにとっての意味である場合がある。前二者が普通に使われている場合であろうがTRIZでは最後の意味でも使っており今後この意味でも使う。これらを表現するのは、オブジェクトの機能と構造の図、人の機能と構造の図である。

技術の領域の価値の場合、オブジェクトは一般のオブジェクトの機能と構造の図で十分である。オブジェクトが制度である場合はオブジェクトの構造が特殊になるため、実用上も目的達成を検討する際にも検討しておく必要があるであろう。オブジェクトの価値が機能、属性の制度の構成メンバにとっての意味である場合、オブジェクトの価値が機能、属性の社会の全成員にとっての意味である場合がある。これを表現するのは、制度の機能と構造の図である。

何の誰にとっての価値かが重要であるのと同様に、価値の内容のうち最低限共有すべき内容とその共有も努力すべきことである。

お互いに相手が悪いと思っており、客観的に両方とも正しい(ということはありうる)場合に、二人を含む全体としては、相手の非難は正しくないことである。これに対しては、次の道を行こうとすることが結局唯一の行ける道であることが、難しいが自覚しなければならない。二人を含む全体の立場に立つことが二人をともに活かす唯一の策であり、したがって自分のためにも相手のためにもなる道である。したがって自分のためになる唯一の道である。これは、この悪を断ち切る方策にはなる、と一応自分で分っても、自分を自己批判せず他を非難する理由は何か、が心から納得できていないため、頭で分っていてもつい感情的になってしまうのである。このようになるのは、相手の現状を状況と相手の過去との総体として理解できず、自分との同一性を理解できないゆえである。殺人者や被殺人者さえ自分であるという認識ができるのに(ヨハネの第一の手紙について)、日常でのこの同一性認識は困難である。20100305,12,0510

 

:「唯物論,事実主義宣言」ノート

独立した稿とする。20100415

1. 型とは何か)

高原:オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   、第4回TRIZシンポジウム」、2008 のスライドp.4の一部を次に示す。(一部追加)

もう一つ,これをやるためのキーというのがあって,です。これがちょっと,多分読んで何のことか分からないと思うんですが,要するに,オブジェクトとかオブジェクトの変化の仕方とかの要素を分類して種類に分けるんですね。

分類して,

1 異なった種類に対しては異なった処理ができ,同じ種類には同じ処理ができる。

2) 種類が「あるもの」全部を網羅できている*

3) 特にオブジェクトの場合** ,オブジェクトという要素の組み合わせで任意の現象,オブジェクト世界を再構成できる。

そういう分類の種類を見つけることです。

* : 網羅しているということは隙間なしにということであるが、重複してもよい。制度における組織制度、社会制度、共同観念は重複している。隙間なしの網羅、重複する網羅の条件不明。この二つの区別の基準不明20090113 網羅は粒度の関数である。20090930

** : なぜオブジェクトだけこうなるか?現実のオブジェクト世界と最大のオブジェクト世界という粒度の二重構造になっている。オブジェクトは最大のオブジェクト世界の要素であるが、再構成して得られるオブジェクト世界(任意の現象に対応する)が人間にとって意味のある点だということがオブジェクトに関して特有である。それゆえ特にオブジェクトの場合,オブジェクトという要素の組み合わせで任意の現象,オブジェクト世界を再構成できることになる。20090127,1001

型の理論の対象は認識、操作の全てである。「領域」は「何を」の下位に位置する。20090930,20100417この対象がどういう構造をしているか検討をする必要がある。20090113,27認識、操作をどういう群に分割するかが網羅と同時決定の対象である。差異解消は、群を「何を」「変化の方法」ととらえる理論である。「何か」「変化の方法」を分節化していく、これ自体、粒度とオブジェクトの相互作用の結果である。20090930 0100417「何か」「変化の方法」という二点に絞る。

差異解消理論より型の理論のほうが一般的で広い。「何を」(「領域」)「変化の方法」自体は、型の一つであるが、十分一般的な、形式的でありかつ内容的な枠組みである。もっと形式的な型はあるかという検討は必要である。内容的に今重要なことを指定できる型の検討も必要である。現実について、複数の同一の価値を実現するオブジェクト群を型の要素とするつまり異なった価値の実現が要素の種類とすることは重要な案である(例:商業マスコミ、保守政治として括った何か)。これは「何を」(「領域」)「変化の方法」の「領域」に力点を置いた型である。これは政治学や文化学に近くなり階級対立の各階級にも近い面があるが、これらと異なり同一の価値を実現するオブジェクト群をまとめて一種類とする。一人の人間も政府も国家もこの両面の機能を持ち全体で対立物の統一と闘争という矛盾の運動が行われる。ここではこの価値をどうつかむかが大きな問題となる。20090217 20100417

群の種類と粒度、密度が決まって後、サブ群の型としてもっと細かいいくつかの型がある。つまり差異解消についてもこの網羅はその具体的内容は一部しか検討されていない。20090126,0217

これらの分割も型を網羅することもその後の解に大きな制約となる。したがってここでの考え方の枠の検討は全体に大きく影響する。またここで検討する場ではないのであるが、型としてはとらえられない概念、言葉の使用法は思考作業に大きく影響する。20090217

オブジェクトについては、オブジェクトそのものが多くの具体的な対象を抽象した型の要素であり(牛は多くの牛を抽象したオブジェクトである。これは要素の種類である。これを意識しない)、同時に、もの,「観念」,運動がそれをさらに括った要素の種類である。網羅性種類の集合があるもの全部を覆う」のは牛も、ものも同じである。20090731,0930,1001

2. 網羅すべきもの)

0.まず目指すものは、変更するオブジェクトの特定、オブジェクト変更、である。認識の要素は、1. オブジェクトの粒度、密度と、2. オブジェクト間の関係と(変化の)論理が必要である。変更の要素は、相互規定する1. オブジェクトの粒度、密度と、2. オブジェクト間の変更の論理である。以下これをやや具体的な粒度,密度で述べる。

1.姿勢、視点により事前に検討しておくべきものを列挙する。現実と解の要素であるオブジェクト世界の型、価値の型、粒度,密度の選定基準である。

2.その都度必要なものは次のとおりである。変更するオブジェクトの特定のために必要なことは、現実のオブジェクト認識、目的のオブジェクト認識である。

21.現実のオブジェクト認識、目的のオブジェクト認識のために必要なのは、

領域(領域の網羅)毎の現実のオブジェクトの種類(型)

価値と領域(領域の網羅)毎の目的というプロセスオブジェクトの種類(型)、

オブジェクトの種類、

オブジェクトの粒度,密度と

これらが明確になった上でのオブジェクトの特定である。

22.オブジェクト変更のために必要なのは、

オブジェクト構造(これはオブジェクトのどこを操作、変更するかを決めるのに必要である)、

目的としてのオブジェクト変更の種類(型)、

手段としてのオブジェクトの操作と変換の種類(型)、

この両者の特定である。20090527,28,29

オブジェクト間の関連は、オブジェクト変更が成された場合、その関連するオブジェクトにもその影響が及ぶことを示している。20090528 なお、オブジェクト間の変化の論理は、小さな粒度,密度では「原因」の把握に、大きな粒度,密度では、変更のための法則性の把握のために役立つ。20090527,28

やや下記と不整合でありもう少し構造化も必要であるが。20090527,28

問い、答えられなければならない全体、可能な問題の全空間は、

基本概念と型のレベルで、11) 世界を構成するもの(オブジェクト)の種類は何か、12) 世界の領域の種類は何か、価値を担う主体の種類は何か、13) 機能の種類は何か、価値の種類は何か、

現実のレベルで、21) 過去と現実のオブジェクト認識(オブジェクト、オブジェクトの属性、オブジェクト間の関係、オブジェクト、オブジェクトの属性、オブジェクト間の関係の変化の歴史)、過去と現実の実現価値認識(個々の価値が過去と今の制度でどうなっているか、そうならざるを得ない構造は何か)、22) 今実現すべき価値はどの領域で、価値を実現する主体は何か、23) オブジェクト変更と価値実現の戦略、更に具体的な実際の方法である。20090312,14変更

この内容を次のように変更する。変更は21)22)23)に共通の「決定問題」の論理を14)に移すことである。20090315 15)を追加。20090518

以下は網羅の方法でもある、二次元の、多次元のマトリックスを埋めていく。マトリックスの「何」Xにより、「何」Yが異なるか、というその「何」Yを決め、次に「何」Xを決める。Yが変化の型(を規定する?)である。またはマトリックスの軸の一つが変化の型?残念ながら今のところ、XYも試行錯誤で求めるしかない。20091104,05,06,07

マトリックスの軸:

1. 変化の対象(現実の外的世界(の変更)(これは技術領域に適用)、変化を起こす観念=指示(これは制度領域に適用)(直接的指示、行動基準(目的:X、人の役割,権限:組織、行為の制約条件:社内規則、金利))

2. 変化の仕方、対象毎、目的の型とシステムオブジェクトとプロセスオブジェクトの区別、

目的の型とUPMDRの関係。特にオブジェクト0から1になるところ

XYZ:

Xは、1: システムオブジェクト、2: プロセスオブジェクト

Yは、1: 現実の外的世界について、2: 変化を起こす観念=指示について

Zは、1:作る、2:運用

 

111. システムオブジェクト、現実の外的世界について

システムオブジェクトAを作る(U:石器を作る, P, D, R)

112. システムオブジェクト、現実の外的世界について

システムオブジェクトAの問題解決(U, P, M, D, R)、システムオブジェクトAの理想化(D, R)

211. プロセスオブジェクト、現実の外的世界について

プロセスオブジェクト機能Aを作る(P, D)

運用,利用、プロセスオブジェクトA(U, P, M)

212. プロセスオブジェクト、現実の外的世界について

プロセスオブジェクトAの問題解決(P, M):プロセスオブジェクトAをなくす(P, D)

運用,利用、プロセスオブジェクトA(U, P, M)

121. システムオブジェクト、変化を起こす観念=指示について

共同観念Bの生成(U, P, M, D, R)

1) making system of person which itself is part of common idea

3) making contents of common subject which is sharing recognition and something that cause the direction on action such as purpose or sense of value

122. システムオブジェクト、変化を起こす観念指示について

共同観念Bの普及( )、共同観念Bの問題解決(U, P, M, D, R)、共同観念Bの理想化(D, R)

1) changing system of person which itself is part of common idea

3) changing contents of common subject which is sharing recognition and something that cause the direction on action such as purpose or sense of value

221. プロセスオブジェクト、変化を起こす観念=指示について

222. プロセスオブジェクト、変化を起こす観念=指示について

共同観念Bの運用,利用=観念属性から機能属性への変換、行為(U, P, M)

2) making or changing of activity which is functions

 

3. より細かい変化の仕方:変更は機能属性と観念属性か、の区別? 世界の中に抽象度の区別、質量の変化の区別?

(まとめ)

価値と問題と現在の総体の全空間の要素は、基本概念と型のレベルで、

11) オブジェクト(オブジェクト世界の型):世界を構成するオブジェクトの種類の網羅。これはオブジェクト間関係を含む20100809

12) 領域の型:オブジェクトの集合体がオブジェクト世界である。オブジェクト世界の種類が領域である。これは11) オブジェクトが分節したものである20090930

13) 価値の型、目的の型:価値の種類は何か、機能の種類は何か、目的の種類は何か、価値を様々な空間的,時間的粒度,密度に応じた具体的な目的に変換する方法。価値を担う主体の種類は何か、意識と行動の関係。この項はこの項以外の総括として分節したものである20090930

14)15)はオブジェクトとオブジェクト間の関係,論理の対である。20090524,30

14) オブジェクトの特定の仕方:これは、オブジェクトの粒度,密度の特定とその具体的な内容に分かれる20090703認識(オブジェクトの存在、属性、オブジェクト間関係)、合成(属性、機能の実現、複数の機能の合成によるシステム生成)の内容決定問題、とする記述が残っていた。14) を、オブジェクトを特定する仕方に改める。14)15)をオブジェクト、オブジェクト間の関係、論理の対に改める。20090524

15) オブジェクト間関係、変化の論理の特定の仕方:これは弁証法ノートに示す内容を含む。他は何か?領域に依存するオブジェクトとオブジェクト間関係、論理は?20090518,23,24,25

14)15)の型?20090519,0724

以上と、高原:オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   、第4回TRIZシンポジウム、2008スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 [一旦ファイル保存してから、PowerPointで開き、標準表示で下部にノートを表示させるか、あるいはメニューバーの表示からノート表示を指定して表示させて下さい。保存せずに直接開くとノートが読めないようです。] 論文PDF: 和文 英文 、紹介 (中川 ) 英文 でのスライドp.5は整合していない。何が整合していないかというと、今回は13) 価値の型を明示的に別項目にしている。2008年にオブジェクト変化を、客観的なオブジェクト変化とオブジェクト変換と操作に分けていたことが今回反映されていない。双方に共通の問題として、システムオブジェクト,プロセスオブジェクトの区別と、物,運動の区別、運動と変化の区別の関連が明確でない20090420,23,24

11)12)13)はあるものを網羅することに関し、14)15)はあるものの特定を述べる。この二つの区別がものついての最も基本的な二つの態度である。あるものとはオブジェクトで、物、「観念」,運動からなる。価値は「観念」に属する。あるものが何であるかということの中には、あるものの本質を述べること、あるものの属性を述べることが含まれる。オブジェクトは入れ子構造になっている。20100205

物事を変化させるのは運動というプロセスオブジェクトである。行為においてと同様に思考内部において(運動に代わる)変化をベースにして論理が進む。論理に(変化の)飛躍があると分からない。論理の一ステップも無限の可能性から一つが選ばれているということは飛躍であるが、根本的に消えずに残る最も大きな飛躍は、次の1.2.3.の前にある飛躍である。最初に次の1.2.3.のように認識されることの中に問題、解決はすでに含まれている。何かを作る最初の一歩が大事である。1.オブジェクトOの存在、2.オブジェクトOの属性 a の内容、3.オブジェクトO1とオブジェクトO2の関係 r の内容

オブジェクトO1とオブジェクトO2は関係 r があると書いてあるとする。書かれたものの背後に隠されているものは、主として、なぜオブジェクトO1とオブジェクトO2、関係 rが選ばれているかということである。書く側にとっても、オブジェクトO1とオブジェクトO2に関係があるということの発見は難しい。考えている過程の中で、朝起きてふと気付くというようなことが多いのである。なぜ無限の可能性の中からのオブジェクトO1とオブジェクトO2なのかは書く側にとっても説明し得ないことも多い。また関係 r も同様で無限の可能性の中から選ばれている。

オブジェクトO1は属性aを持っているという表明でも同じである。

オブジェクトO1は属性aを持っているということの中には、内部構造の要素aを持っているということを含む。要素a,b,c.で要素は網羅されているという重要な認識も含む。(他の形式は?)

なぜオブジェクトO1、オブジェクトO2、属性a, 関係 r が選定されたか、なぜ属性aなのか、要素a,b,c.で網羅されるのかの論拠を書く側は書くべきだし、読むほうはそれを理解しようとすべきである。書く側は、実際、書く時間の桁違いの時間をA,B,a,b.cの選択を探索作業に費やし、その結果を得ている。

オブジェクトO1、オブジェクトO2属性a,b,c の選択は、型の問題でもある。この選択がここで重要なのはなぜか?最初のオブジェクトO1、オブジェクトO2属性a,b,c の選択がここ、認識過程で重要というべきか?他の型は?この型を網羅すること。20090122,27 ある事象は、オブジェクト、属性の集まり=オブジェクト世界である。最小のオブジェクト世界は一つのオブジェクトまたは一つの属性である。判断、命題の主部、述部内容はオブジェクト世界である( 「何がどうする」:SOPOである。「何がどんなだ」:Oは属性を持つ。「何が何だ」:OOである) 法則のインプット、アウトプット内容はオブジェクト世界である20100925

これは、オブジェクトの粒度,密度の特定とその具体的な内容に分かれる。この両者は相互規定の関係にある。20090703,06

(粒度)20091231

粒度:全体に対する一部の指定、という構造指定の一部、形式指定の一部。内部構造を含まない指定。究極には具体物を示すこと。どんな指定も意味がある。

何かとは、何かの粒度指定をしない限り何かを言うことはできない。何かの粒度指定をする限り何かを言うことができる。

(内容)

内容について述べる。ここではオブジェクトの粒度,密度はすでに前提としている。オブジェクトの「決定」とは,単に何かを決めることである。ここでオブジェクトのあり方の「決定問題」を分類してみよう。内容に関する軸と形式に関する軸がある20090428。四つの分類軸がある。「決定・ハムレット・コンピュ−タ」、音羽の森28号、199212 (高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)を中心に検討を追加する。これがオブジェクトの粒度,密度と相互作用する。四つの分類軸がオブジェクトの粒度,密度とどう相互作用するか検討する必要がある。特にオブジェクトの実用論の型と、解の型、つまり解のオブジェクトのあり方の型;解の制約の型についての分類軸と制約を満足する解の数の型について相互作用が顕著である。20090531,0703

内容に関する軸の一つ目は,決定の実用論の型の分類軸である。つまり属性の型による分類である。

認識像と目的像に関わる行為を表にしてみると次のようになる。これらの行為のかなりのものが決定に関する行為であることが分かる。

最も疎の粒度で、認識像、「差異=問題」又は目的像、目的実現の三つに分かれる。

認識像と「差異=問題」又は目的像に関するものが、直接対象と向き合って認識像と目的像を生成することと、その認識像と目的像の人から人への伝達に二分される。

前者の認識像生成と目的像の生成、合成において「認識」という行為も「制約充足」された像を形成するという意味で,「決定」行為である。つまり認識、目的決定に共通に全ての観念の世界の判断は「決定」である。

後者の人から人への伝達は、送り手から見ると(認識像と目的像のどちらについても)説明、(認識像のみについて)証明、(目的像のみについて)指示または命令、受け手から見ると(認識像と目的像のどちらについても)鵜呑みまたは批判的理解である。このうち、(目的像のみについて)指示または命令以外は決定行為である。

目的実現は、自分で目的実現の行為を行うことと指示または命令による行動に分かれる。

表 認識像、目的像に対する行為

 

 

決定認識像

差異、決定目的像

目的実現

直接対象と向き合う

自分

生成

生成

目的実現の行為

人から人への伝達

自分が送り手

説明,証明

説明、指示または命令

 

自分が受け手

鵜呑み、説明,証明の批判

鵜呑み、説明の批判

指示または命令による行動

20090405,06,25

内容に関する軸の二つ目の分類軸は,解の型、つまり解のオブジェクトのあり方の型についてである。解の制約の型についての分類軸と制約を満足する解の数の型についての分類軸がある。これらはいずれも粒度,密度と相互作用がある。

認識(オブジェクトの存在、属性、オブジェクト間関係)のあり方の決定は決定問題として解くことができる。1992,2001, 20090307,09,10,11,14,15,0405解の制約の型つまりオブジェクトのあり方の制約の型についての分類軸は、オブジェクトが変化しない場合、オブジェクトOの存在、オブジェクトOの属性 a の内容(オブジェクトO1とオブジェクトO2の関係 r の内容は形式15)である。

ここでオブジェクトOの存在は、存在に関わる何らかの属性が極小になった極限として扱うこともできる。20090706

ここで属性 a は空間的形式的にはオブジェクトの狭義の属性(属性2、内容に相当)と内部構造(形式に相当)の二種がある(「オブジェクトについて」 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)。時間軸上、オブジェクトO1の狭義の属性2には機能として現実化するものと潜在的なままのものとがある。オブジェクトO1の属性が顕在化した動作は、オブジェクトO2との相互作用という関係 r であるととらえられる粒度,密度と、オブジェクトO1の単独の動作であるととらえられる粒度,密度がある。後者の場合の動作をオブジェクトO1の属性ととらえたいという気になる。そういう案もありうるが今はオブジェクトO1から独立したプロセスオブジェクトO1+ととらえる。20090404追記

属性 a についての言明で重要なのは、狭義の属性2(内容に相当)の種類の網羅と内部構造(形式に相当)の種類の網羅である。後者には要素の網羅がある。これは粒度、密度の階層を異にしたオブジェクトの網羅と同じである。属性 a の内容の種類の網羅は今後の課題である。これは活性と不活性、内容と形式を含む。

オブジェクトが変化する場合、オブジェクトOの存在、オブジェクトOの属性 a の内容の変化になる。オブジェクトが変化する場合は認識の内容でこの認識内容をその根拠をともに述べる論述は命題の可能性や現実そのものの証明の論述となる。

これらオブジェクトのあり方の制約の型は、オブジェクトが変化しない場合、認識の内容であり、この認識内容をその根拠をともに述べる論述は命題の可能性や現実そのものの証明の論述となる。

制約を満足する解の数の型については、a)解が一つある問題,b) 解がいくつかある問題,e) 解がない問題,がある。決定的な解を求める型として、a)解を一つ求める問題,b) 解をいくつか求める問題,c) 解を全て求める問題,近似解として、d) 最も「良い」解を求める問題,f) 解はないが解に最も近いものを求める問題,に分類できる。認識の場合この型はない。これは比較的単純そうである。但し,一般的に,e) 解がないことを証明する問題」は極めて難しく,d) f) 「最も良い」とか「最も近い」というところには,他の分類軸の「評価決定問題」が絡んでくる。

解の制約の型とは次の関係がある。オブジェクトOが存在するかしないか問題の場合は、存在するオブジェクトOの数が解の数である。オブジェクトOが属性aを持っているかどうかは、属性aを持っているオブジェクトOの数の問題ととらえられる。

オブジェクトOの存在、オブジェクトOの属性 a の内容のそれぞれに付いて下表の観念に関する作業について述べる。

 

 

決定認識像

決定目的像

直接対象と向き合う

自分

生成

生成

人から人への伝達

自分が送り手

説明,証明

説明、指示または命令

自分が受け手

鵜呑み、説明,証明の批判

鵜呑み、説明の批判、指示または命令による行動

オブジェクトOが存在に関する場合

1)自分が、オブジェクトOが存在する、しないことの認識、目的実現の像生成

21)自分が送り手として、オブジェクトOが存在することの説明,証明

1.実物がある場合、

11.明らかにオブジェクトOである実物を示しこれだという。

12.ある実物を示しこれがオブジェクトOであることを実証する。例えば

121.オブジェクトOしか持っていない属性を持っていることを示す。または

122.近似的で証明にはならないがオブジェクトOの属性を持っていることを列挙していく。例:神という共同観念

2.実物がない場合、

21.生成の原理と方法を示し、実現の条件が満たされていることを示す。これはオブジェクトOが存在しうることの証明である。

22.何がオブジェクトOであるかを言いそれがオブジェクトOであることを実証する。例えば、

221.オブジェクトOしか持っていない属性を持っていることを実証する。潜在的属性の場合、活性化の条件が満たされれば属性に対応する機能が顕在化することをいい、活性化の条件が満たされうることをいう。

222.近似的で証明にはならないがオブジェクトOの属性を持っていることをひとつずつ列挙していく。

22)自分が送り手として、オブジェクトOが存在しないことの説明,証明

1.実物がある場合は、実物を示すことが「存在しない」ことが間違いであることの実証になる。

2.実物がない場合、

21.生成の原理と方法がないことは証明不可能。

22.生成の原理と方法があるが、今はないことを示す。

23.生成の原理と方法があるが、実現の条件が今は満たされていないことを示す。

(条件が永遠にないことは証明不可能)

24.生成の原理と方法があり、実現の条件があるが今は生成してないことを示す。21.22.23.24.のいずれかと25.他から持ち込まれたことがないことを示す。

3)自分が受け手として、オブジェクトOが存在する、しないことの説明,証明の批判

問題

オブジェクトOの存在

 

前提2

オブジェクトOと関係する客観的事実の認識

オブジェクトOと関係する既存観念の認識

前提1

粒度や密度(オブジェクトをとらえる範囲の大きさと時間的長さ、抽象の程度)

前提0

視点:価値

オブジェクトOの属性 a に関する場合

1)自分の、オブジェクトOが属性 a を持っていることの認識、目的実現の像生成

21)自分が送り手として受け手に、オブジェクトOが属性 a を持っていることの説明,証明:

211)自分が送り手として受け手に、オブジェクトOが普遍的属性 a を持っていることの説明,証明20090523

属性 a に一対一に対応する属性があれば(あるか?あってもそれを証明することは困難)その属性を持っていることを証明するか、

属性 a を持っていることを実証する。これは属性 a があることを表現する例などを永遠に列挙し続ける不可能な過程か(列挙していくにつれ完全であることの確信度は上がっていく)、

潜在的属性の場合、活性化の条件が満たされれば属性に対応する機能が顕在化することをいい、活性化の条件が満たされうることをいう。

または属性 a を持たざるを得ない構造、必然性を持っていることを証明する。

1:自分が送り手として受け手に、オブジェクトOが完全であることの説明,証明

完全さに一対一に対応する属性があれば(あるか?あってもそれを証明することは困難)その属性を持っていることを証明するか、

完全であることを表現する属性を永遠に列挙し続ける不可能な過程か(列挙していくにつれ完全であることの確信度は上がっていく)、

部分に分けそれぞれの完全さを証明するか(これは論理的には前と同じだが問題空間が小さくなる)しかない。20090331

これは他より優れていることを含む。他より優れていることの実証は他を列挙しそれより優れていることを示す不可能な過程である。

2オブジェクトOが正しいまたは善いことの証明

正しい、または善いということは、完全に正しいまたは善いということであるので、この論理は完全であることをいう論理と同じである。

212)自分が送り手として受け手に、オブジェクトOが属性 a を持つことがあることの説明,証明:

3オブジェクトOに正しいところがある、または善いところがあることの証明

これは簡単で、正しいまたは善いことの例を一つ示せばよい。

20090331,0404,06,0521

22)自分が送り手として受け手に、オブジェクトOが属性 a を持っていないことの説明,証明

例:オブジェクトOが完全でないことの証明(オブジェクトOが完全であるという属性を持ってないことの証明)

これは簡単で、完全でない事例を一つ提示すればよい。またはオブジェクトOが存在しないことを示せばよい。

例:オブジェクトOが正しくないまたは善くないことの証明

これは簡単で、正しくないまたは善くない事例を一つ提示すればよい。またはオブジェクトOが存在しないことを示せばよい。

3)自分が受け手として、オブジェクトOが属性 a を持っている、いないことの説明,証明の批判

問題

オブジェクトOの属性 a

前提3

オブジェクトOの存在

 

前提2

オブジェクトOと関係する客観的事実の認識

オブジェクトOと関係する既存観念の認識

前提1

粒度や密度(オブジェクトをとらえる範囲の大きさと時間的長さ、抽象の程度)

前提0

視点:価値

オブジェクトの粒度、密度と、オブジェクト間の関係(と変化)の論理は相互規定する(唯物論宣言ノート)

オブジェクトが変化しない場合、オブジェクトO1とオブジェクトO2が関係 r を持っているという認識、オブジェクトO1とオブジェクトO2がそれぞれ事実、目的の場合は関係 r 目的実現の手段になる。オブジェクトが変化する場合うまく内容は思い浮かばない。

オブジェクトO1とオブジェクトO2が関係 r を持っていることに関する場合

1)自分が、オブジェクトO1とオブジェクトO2が関係 r を持っていることの認識、目的実現の像生成、

2)自分が送り手として受け手に、オブジェクトO1とオブジェクトO2が関係 r を持っていること、持っていないことの説明,証明

3)自分が受け手として、オブジェクトO1とオブジェクトO2が関係 r を持っていること、持っていないことの説明,証明の批判

問題

オブジェクトO1,O2間の関係の内容

前提3

オブジェクトO1の存在

オブジェクトO2の存在

前提2

オブジェクトO1,O2と関係する客観的事実の認識

オブジェクトO1,O2と関係する既存観念の認識

前提1

粒度や密度(オブジェクトをとらえる範囲の大きさと時間的長さ、抽象の程度)

前提0

視点:価値

三つ目は,形式に関する軸で定式化の型による分類軸である。これは差異=問題の作り方という形式についての軸である。1)「数学的定式化可能な問題」(これには解が数値のものと数値でないものの両者がある),2) 「非数学的定式化可能な問題」,3) 「定式化不可能な問題」に分類できる。残念ながら,世の中,定式化可能な問題は少ない。まして数学的定式化の可能な問題など殆どない。

四つ目も,形式に関する軸で決定方法の型による分類軸である。これは定まった差異=問題の解決の仕方についての形式である。

これは一応、ア)「逐次決定問題」,イ)「評価決定問題」,ウ)「総合決定問題」に分類できる。定式化の型に規定される。「逐次決定問題」とは,ああならこう,こうならどう・・・・というように順番に解に近づいていけるものである。「評価決定問題」とは,解の候補を列挙し,その候補を一つ一つ評価していって決定に至る問題である。これはさらに,解の候補が列挙でき,評価のしかたも定まっているイ1)「簡単な評価決定問題」と,解の候補の列挙のしかた,評価のしかたのいずれかが定まらないイ2)「困難な評価決定問題」とに分かれる。「総合決定問題」はこれらのいずれにも属さない問題である。

この分類についても「逐次決定」など,「風が吹けば桶屋が儲かる」くらいのものである。「総合決定」に至ってはその決定のメカニズムさえまだよく分かっていない。コンピュータに解けるのは1)数学的定式化が可能で,ア)逐次決定問題か,イ1)「簡単な」評価決定問題に限定され,且つ,これらのうちの一部である。コンピュータは本質的に,逐次処理を行う計算マシン又は述語論理マシンであり,「困難な」評価決定問題や総合決定問題に適合しない。そして「困難な」評価決定問題や総合決定問題を解くことを人間の知能の本質だとすれば,コンピュータによる人工知能は,本質的に不可能だということになる。

なぜ,「困難な」評価決定問題や総合決定問題にならざるを得ないのか考えよう。まず,扱う対象とする「項」の数が膨大で,何が固定項(定項)で,何が制御し得る項(変項)か曖昧で,それぞれの項が,それぞれ複雑且つ曖昧な属性,能力,状態を持っており,各項どうしの間には静的及び動的な関係があり,これらの関係は一般に相互規定的である。又,これら全てが変化する(定項の生成,消滅を含む)。又,扱う対象の外部(状況)も同様に,膨大,複雑,曖昧であり,相互関係と,対象との相互関係を有し,これら全てが変化する。これらの膨大さ,複雑さ,曖昧さ,変化性が解の候補の列挙と評価を困難にし,相互規定性は逐次決定を不可能にする。

混沌とも見える世界の中で,人間がみかけ上問題を近似的にせよ定式化し,近似解にせよ得ているようにみえるのは,その「視点」による制御能力のためである。人間の「視点」は,問題を見る範囲とタイムスパンを決め,どの程度の抽象度でどの項に着目すべきかを決定し,余分と思える情報を切り捨てる。人間は場合に応じて自由に「視点」を制御し,問題を定式化し,解を決定していく。(「決定・ハムレット・コンピュ−タ」、音羽の森28号、199212 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

評価決定問題を解くためには、解の候補の列挙、その候補の評価が必要でいずれも簡単ではない。解の評価のためには解実現のコスト算定が不可欠である。解の候補が複数あるケースは、単にある基準を満たすものが複数ある場合の他、根源性のレベルの異なる解がある場合がある。1992,20090628,0703

この四つ目,決定方法の型による分類軸で問題を)「逐次決定問題」にする努力のうち二つ注意すべき方法ないし考え方がある。一つは決定目的像の合成(属性、機能の実現、複数の機能の合成によるシステム生成)理想化問題として解くものである。想定している解き方は、1. 人の機能を実現する粒度,密度がある単位毎に一つあり、各単位の総体を実現する構造がもとめるシステムである。2.オブジェクトは最小の、しかしそれ自体一つの粒度、密度である) あとは「理想化」によって上位のシステムを合成していく、ということである。この「単位」と領域、人とどう関係しているかは課題である。思いもかけず理想化に出会う。理想化については下記Larry BallAE章を参照されたい。この理想化は前提が一般的ではないが解決の要素として有用である。20090326,0413,16,28

階層化TRIZアルゴリズム」 (L. Ball; 高原利生、中川 ) スライド PDF (2007.10. 8)

階層化TRIZアルゴリズム」 (L. Ball; 高原利生、中川 )   ; スライド PDF ; 解説つきスライド  (2008. 2.27)

もう一つは、「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−」(第4回TRIZシンポジウム」、2008)での差異解消方法のアプローチである。ここでは二オブジェクト,二属性以内という条件でオブジェクト変化の型を三つの階層によって整理したうえで網羅し、その型毎にTRIZTRIZホームページhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/ http://www.triz-journal.com/)の実現方法をTRIZの40の発明原理で整理した。これは将来「解の型」として定式化されるべきものである。全く意外なことにTRIZの全体像もこれで明らかになった。

このTRIZ シンポジウム第三回の解法は逐次決定問題の一般解法である。解を見つける手法である。評価決定方法は解が複数ある場合の選択方法である。20090326,27,0413,16,28,0628,0706

(全体の検討メモ20090206,07

全体の思想の方法と方法1,21について下記の6つが類似しており混乱している。「」の次に書き直す。

0 (思想の方法)

思想の方法について(1)得ようとするものの粒度、密度を規定する姿勢、視点、(2)得られた粒度、密度、(3)認識するまたは操作するべきオブジェクト、オブジェクト間関係を具体的に決定する方法、という時間的階層

疎粒度、疎密度。11と思想統一

11 (同時に求まるものの形式)

各階層の1.オブジェクト、オブジェクト世界への視点、2.オブジェクト世界とその粒度と密度、3.複数オブジェクトのそれぞれとその粒度と密度、またはオブジェクトとその属性の粒度と密度、4.複数オブジェクトの属性間またはオブジェクトとその属性間論理、5. 機能と実現価値、の同時決定、これら各階層の同時決定

機能と実現価値の考慮は必要、他に追加。0をオブジェクトに限定しやや具体化したもの。

各階層の、1.全体、問題への視点、2.全体、問題をいくつかのオブジェクト世界の群に分ける、3.個々のオブジェクト世界の群の粒度と密度、4.複数オブジェクトとその粒度と密度、その属性の粒度と密度、5. 複数オブジェクトの属性間またはオブジェクトとその属性間論理、6. 機能と実現価値、の同時決定、これら各階層の同時決定

12 (同時に求まる要素どうし)

認識内容と変更内容、

変更内容:目的と手段、

内容(認識内容と変更内容に共通):機能(マイナスの機能である負荷)と構造、

内容(認識内容と変更内容に共通):対象(オブジェクト)と機能である。

→11の具体例。131の複数群の具体例。全体の網羅必要12と「何を」「領域」「変化の方法」の関係

認識内容と変更内容:「何を」と「変化の方法」

変更内容:目的と手段::「何を」と「変化の方法」

内容(認識内容と変更内容に共通):機能(マイナスの機能である負荷)と構造:「何を」と「変化の方法」

内容(認識内容と変更内容に共通):対象(オブジェクト)と機能である。:「何を」

131 (同時性を逐次化する方法)

1. 問題をいくつかの群に分ける、2. 個々の群の中を、他の群の知見とそれからの影響を考慮して検討する、検討結果が他の群の内容に与える影響を検討する、3. 別の群に変えて2.に戻る、4. 一とおり終われば、個々の群の中を同じようにより細かくしていく、という順で次第に具体化していくこと

→131 オブジェクト、オブジェクト世界に対しては1. 複数群、2. サブ群という複数群と階層の思想と用語の統一。逐次化の方法は他と次元別。

132 ()

システムの機能、構造(構成)、負荷(コスト、消費電力等)についての仮想像を決定すること

→12に含まれる。

2 ()

群の種類と粒度、密度が決まって後、群毎に形式化を行い型として群の要素の種類を網羅しておく。差異解消は、群を「何を」「領域」「変化の方法」(群との関係?特殊な群?)ととらえる。

01と思想統一。「何を」「領域」「変化の方法」は同時決定でなく「領域」が決まり「何を」が決まり「変化の方法」が逐次的に決まっていく。01とは別?12は型の種類か?12と「何を」「領域」「変化の方法」の関係?「何を」から機能?「変化の方法」から負荷?

 

弁証法論理:「唯物論,事実主義宣言」ノート

独立した稿とする。20100415 

(運動)

運動は時間軸上では過程であり作用の結果変化をもたらす。作用または変化の意味が機能である。

まず、運動概念に厳密な定義を与えておく。矛盾が位置的運動の場合、位置属性が「一点にあり」同時に「一点にない」というのが運動である。これは禅問答のようであるが、次のように厳密に表現することができる。

ものAが単純な力学的位置的運動をしているとする。ある時点t でその時のAを中心とする半径r の球(又は円)を描き(直線運動の場合は線でよい)、Aが時点t + αAを中心とする半径r の球(又は円)の内にあることをrαに関して「一点にある」状態、外に出たならrαに関して「一点にない」状態になり「時間t からt + αの間に、r 以上、動いた」とする。

r α をゼロに近づけていくと、Aが「一点にある」状態と「一点にない」状態を区分する点は次第に時間t Aの点に近づいていく。すなわち、r α をゼロに限りなく近づける極限で、Aが「一点にある」状態と「一点にない」状態は限りなく一致に近づく。これが、位置属性が「一点にあり」同時に「一点にない」ことである。所要時間ゼロの思考実験でこの状態が確認される時、At 時点で位置的運動をしている。運動の確認により、r α をゼロに限りなく近づける極限において考えることが必須である。ゼロでないと、必ず運動を非運動と見間違う。つまり、r α をゼロに限りなく近づける極限で、「一点にある」状態と「一点にない」状態が両立することが位置的運動をしているということである。この表現では、本質的に「rαに関して」という制約条件を外すことができる。ただしAAの場所、時刻において、であるが。

At 時点で静止しているなら、「一点にない」状態がそもそも形成されない。この思考実験は所要時間ゼロであるので、「一点にない」状態が形成されない場合と、「一点にある」状態と「一点にない」状態が両立する場合のどちらかしかない。つまりある時点t A は、静止しているか位置的運動をしているかどちらかである。(弁証法ノート)20100308,09,10,14,1116

Aが一般的(位置的、機械的、化学的、有機的、生物的、社会的)運動をしているとする。Aが一般的運動をしているとする。ある時点t と時点t + αの間にAが変化していないなら、A αに関して「ある値を持つ」といい、変化したなら αに関して「ある値を持たない」状態になり「時間t からα に関して変化した」とする。

α をゼロに近づけていくと、A「ある値を持つ」ことと「ある値を持たない」ことを区分する点は時間的に次第に近づいていく。α をゼロに限りなく近づける極限で、A「ある値を持つ」ことと「ある値を持たない」ことは限りなく一致に近づく。これを、属性が「ある値を持つ」と同時に「ある値を持たない」こととする。α をゼロに限りなく近づける極限で、「ある値を持つ」と同時に「ある値を持たない」状態が両立することが運動をしているということである。この表現では、「 αに関して」という制約条件を外すことができる。At 時点で運動していないなら、そのある値を持たない」ことがそもそも形成されない。

なお、属性は狭い意味の属性と内部構造で、ここでの「値」は、前者の場合量的なまたは非量的なある値で表現され、後者の場合はある内部状態である。また、変化しているかどうかは、粒度に依存し、粒度は視点に依存している。

(弁証法ノート、FIT2009)20100419,0616,18,24,25,0701

(粒度、機能,属性、弁証法論理の関係)

FIT2009の原稿を書いていて、やっと今までの記述ではっきりしていなかったオブジェクトの粒度、機能,属性、弁証法論理矛盾を中核とした、空間的「関係」と時間的「変化」の認識と判断の論理)の三者の関係が少し明確になったのでそれを記す。この三者の問題だということになかなか気づかなかった。この三者の関係を整理しよう。

 

オブジェクトa1

オブジェクトb1

オブジェクトa2

オブジェクトb2

オブジェクトa3

オブジェクトb3

関係

関係

関係

変化

変化

変更

変更

過去

現在

目的

目的のための変更

現状の認識1

現状の認識2:過去からの変化を含めて認識

 

((根源を問うための全体の形式))

まず機能と構造という対立物、または属性と構造という対立物があり、機能がオブジェクトの粒度,密度と、機能内容という対立物、構造がオブジェクトの粒度,密度と、サブオブジェクト間空間的関係と時間的変化の論理(弁証法論理)という対立物である。行うべきことは、認識の場合(認識も決定する行為である(高原「認識問題・決定問題論ノート」SITA91)、機能,属性、オブジェクトの粒度,密度、オブジェクト間空間的関係と時間的変化の論理の同時把握、変更の場合、目的である機能,属性生成の把握とそのための手段であるオブジェクトの粒度,密度、オブジェクト間空間的関係と時間的変化の論理の把握が必要である。

機能,属性、オブジェクトの粒度,密度、弁証法論理は、目的認識、現実認識、差異解消のそれぞれを実現する対立物である。この機能,属性、オブジェクトの粒度,密度、弁証法論理を要素として、価値と具体的な目的という対立物、目的、現実、差異解消のそれぞれとそれらの全体という対立物が構成される。20090630,0701,02,08,20100422

現実、目的、問題、解決策にも、1. オブジェクトの粒度、密度と、2. オブジェクト間の関係と論理にも同時決定が必要である。これらについてとりあえず何を考え直すかは決めないと検討は進まないのである。20090326,27(不可能なことだが)同時に先に進むことが必要である。先に進むためにまず決めるべきものがある。後者について、1. オブジェクトの粒度、密度と、2. オブジェクト間の関係と変化の論理のうち1.をまず決め次に2.を決めるのである。実は1.2.は同時に決まっている、または、本来同時決定すべきものだが1.をまず決めないといけない。それはなぜだろうか?相互規定性があるものは、変えられるものを変えていき、変えられるものの中では実現価値にとって影響の大きいものから変えていく

20090214,15,17,18,20,22,24,25,26,0312,17,19,20,21,22,24,25,26,0404,13,16,23,27,30,0502,04,07,18,19,25,30, 20101116

具体化に向け、今後、歴史性、階層の知見を活かすことが必要と思われる。歴史性は、歴史と論理の一致であり、階層の知見の利用は、階層構造機能と構造内容と形式、という流れの中にあり、弁証法のカバー範囲に含まれる。いずれも弁証法の深化が求められている。20100219,1116

このうち、弁証法論理(矛盾を中核とした、空間的「関係」と時間的「変化」の認識と判断の論理)を再考する。問題は、弁証法論理(矛盾を中核とした、空間的「関係」と時間的「変化」の認識と判断の論理)の中の空間的「関係」の総体が構造であることである。単に、前の文の、空間的「関係」を構造に置き換えてしまうと、1. オブジェクトの粒度、機能,属性、弁証法の三者の関係と、2. オブジェクトの粒度、機能,属性、構造の三者の関係、の関係が怪しくなる。現に、文章によっては、この両者が登場している。

以上と、3. 第五回TRIZシンポジウムのスライド(p.6,p.7)での、オブジェクトの網羅、オブジェクトの粒度、弁証法という第五回TRIZシンポジウムのスライド、4. 第五回TRIZシンポジウムのスライド(p.8)での差異解消の過程との関係も明確化する必要がある。20091003

このうち、2. が、最も粒度が細かい要素を表している。あるオブジェクトの機能、構造の認識までで終わっている。1. は、これに加えてあるオブジェクトの変更が可能にする要素である(構造が明示的に取り上げられない)。3. は、さらに、全てのオブジェクトの認識、変更を可能とし保証する枠組みの要素である(機能と構造が明示的に取り上げられない)。4. は、あるオブジェクトの変更プロセスである。

(下記の扱い不明、20100419)機能は、オブジェクト間の相互作用がオブジェクトにとって持つ意味である。これは弁証法論理の具体的展開の人にとっての意味が機能だということである。これは機能,属性の実現が直接には弁証法論理の中のおそらく特定のオブジェクト間の動的作用という関係、変化の具体的展開によって得られるという「意外な」結果である。空間的関係と時間的変化の関係であれ弁証法論理であれ「手段」に見えるのに、特定のオブジェクト間の動的作用という関係、変化が直接目的をもたらすのであった。このことを、必要なことはオブジェクトの粒度,密度だけとか、オブジェクトの粒度,密度と、空間的関係と時間的変化の認識と判断の論理である弁証法論理の関係が、双方向でなく一方向ではないかと見誤ってはならない。オブジェクトの粒度,密度は重要である。

こうして、様々な粒度で、粒度、機能,属性、弁証法論理の同時決定がある20100422

(弁証法論理、対立物)

弁証法は、現実の変化は、全てのものが関係し全てのものが変化する中での、並列的同時的相互作用であるととらえる。運動を矛盾として認識するというのは、全てのものは関係し全てのものは変化するという現実を、自律的な一対一の矛盾の運動によって近似するという単純化を行うということである。

運動をすべて矛盾として認識することが弁証法的態度だというのは、この点で誤解を生む恐れがある。この限定された認識のもとで、さらに意図的な変更を、因果関係による時系列的な数少ない行為の介入によって行うという二つの制約を加えると、本質的に副作用が必ず生ずる。一般的には「解」など求めるのは不可能であるように見える。20091004,05

変化、変更の弁証法論理の理解は、残念ながら既存の教科書による限り不可能である。例えば弁証法の「三つの法則」は、一部に正しい内容を含んでいるとは言え、変化、変更のあり得る全ての場合を網羅していないし、正確に事実を表現していない。20100603,1118。ここで必要な範囲で、一部の見直しを行う。この検討は網羅された内部構造による検討である。(「弁証法論理の粒度,密度依存性」

http://www.sofken.com/FIT2009/pdf/D/D_046.pdf FIT2009)。20100102,03,0305 明朝黒文字は論文への追加である。20100306

対立物について、矛盾の機能は、対立物への影響と外部への作用に分かれる。いずれも、それぞれオブジェクト、対立物の粒度,密度に依存する。

対立物X」と「Yへの影響の型として、下記のものがある。

非質的変化:「X」と「Y」の非質的変化(狭義の属性の量的変化と、内部構造の質の変化をもたらさない変化)

質的変化1:「X」と/または「Y」の質的変化。これは、質的変化2:「X」と「Y」の属性の相互転化、を含む。例えば、「X Y (または全体)を規定すること」と「Y X (または全体)を規定すること」の相互転化が起こる(例:「形式が内容を規定すること」と、「内容が形式を規定すること」間の移行)対立物X」と「Y」が相互転化する([1]p.34)というのは間違いである。例えば内容と形式は相互転化しない。[4]

外部への作用に関しては、外部の非質的または質的変化が起こる(例:水の液体状態と気体状態の属性間の移行)

質量転化の法則は、属性の量と構成要素の量の変化によって、オブジェクト全体が別の質に変化するという法則だった。属性の量が、変化して全体が別の質のものになる例として、水が100度で沸騰して気体になる場合のような、クリティカルポイントを超えた特殊な物質変化が多くのテキストで好んで取り上げられている。エンゲルスは、自然の弁証法の中で、量の変化が質を変化させる例として、分子量が変わると別の質の物質になるということを挙げている。例えばCOCO2は別の質を持つ。このエンゲルスが扱ったこの分子量という量は、構造を構成する要素の数であり、属性の量とは異なる。いずれにしても、ここまでは、この法則は、オブジェクトの属性の量と構成要素の量の変化によって、オブジェクト全体が別の質のものに変化することを表現している。

(第一の拡張:「属性と構造、質転化の法則」)

この従来の「量質転化の法則」も、要素の変化と内部の構造変化も明示的に視野に入れて「属性と構造、質転化の法則」というべきものと拡張するのが自然である。従来の「量質転化の法則」に比べて、要素の変化と内部構造の変化が全体の質変化をもたらすことが加わる。全ての量、要素の数、要素間の関係が同一でも、要素そのものが別のものに変化すると、全体は別の質のものに変わりうる。自律運動に限定するとこういうことは起こりえないと考える人がいるかもしれない。しかし、あるシステムの全要素の人為的総入れ替えでさえ、そのシステムと入れ替えを行う人を含めた新しいシステムで考えれば、この総入れ替えも自律運動の一環である。また、全ての量、要素そのもの、要素の数が同一でも、要素間の関係が別のものに変化すると、全体は別の質のものに変わりうることも同様である。したがって、属性の量、要素そのもの、要素の数、要素間の関係の変化が、全体は別の質のものに変わりうる。これで、自律運動に限定して、新しい質を生ずる全ての要因がやっと網羅されたことになる。

(第二の拡張:「属性と構造、質的,非質的変化の法則」)

もう一段進めて、オブジェクトに新しい質を生ずるという前提を外す。つまり、オブジェクト一つに閉じた粒度では、属性と構造だけが、質的にせよ、質的でないにせよ、オブジェクト全体を変化させる。細かく言うと、属性、要素そのもの、要素の数、要素間の関係の変化が、全体を、質的、非質的に変化させる。これは、「属性と構造、質的、非質的変化の法則」というべきものである。

(第三の拡張:「属性と構造、質的,非質的変化の法則」の前提の拡張

さらに、自律運動に限定するという前提をはずしても、属性と構造、質的,非質的変化の法則」は、成立する。これは、先ほどの要素の人為的総入れ替えでの例の説明で明らかである。「物作り」では、全て「属性と構造、オブジェクト関係の法則」に従って、部分を集積しそれを機械的、化学的、有機的に組み合わせて新しい製品が出来上がる。

オブジェクトの属性の変化には、個別のオブジェクトの属性の値の変化、内部構造の変化、属性の種類の変化がある。このタイプの法則についてはこれで要素は網羅されている。

さらに命題の型を網羅してみる必要がある。20100806

対立物が統一されていてかつ対立しているという矛盾の定義が、一般的な運動の原動力と構造を表現していて、上の表現ではその結果が、質的,非質的の二様に表れるということを言っている。どういう属性の量的、質的変化、構造の変化をもたらすか、その運動の原動力と構造は、個々の領域に特有な法則によるが、属性の質的変化、質的な構造の変化をもたらす場合、インプットの粒度とアウトプットの粒度は異なっている。逆に言えば、インプットの量的な変化が、別の粒度で質的なアウトプットの変化を生じる法則が個々の領域にある場合がある

矛盾が位置的運動の場合、位置属性が「一点にある」と同時に「一点にない」という二値を取る、一般的な運動の場合、属性が「ある状態にあり」同時に「ある状態にない」という二値を取る、という表現の粒度があるこれは一オブジェクト一属性の二値が対立物をなすという粒度表現であるが、この他、対立物が、二オブジェクト二属性の場合、一オブジェクト二属性の場合がある。矛盾が位置的運動の場合、一オブジェクト一属性の二値が対立物をなすという粒度表現しかできず、高次の運動の場合、この他の粒度表現ができる理由はまだ言えていない(削除20100822)。

これはTRIZの「物理的矛盾」に相当する。「物理的矛盾」とは、TRIZで、「一つの面に対して正逆の互いに反する要求が同時にある」ということを表現する。オブジェクトの用語で言い換えれば、「一つの属性が同時に二つの値を持つということである。20100928

対立物が、一オブジェクト一属性の二値、

対立物が、一オブジェクト二属性、

対立物が、二オブジェクト二属性、

の順に、表現の粒度が低次から高次になり、表現されることが可能な事象も低次の運動から高次の運動になるという仮説を抱くが十分説明できていない。この仮説は、矛盾が位置的運動の場合、対立物が、一オブジェクト一属性の二値で、位置属性が「一点にあり」同時に「一点にない」という表現に限定されるということを説明するはずである。(弁証法ノート)20100308

負荷属性

オブジェクトの属性

機能属性

負荷

.オブジェクトの機能と構造

要素数

要素間の関係

要素

オブジェクトの内部構造

オブジェクト

機能

機能

 

「対立物の統一(と闘争の)法則」が、他との相互作用を表現する法則、「属性と構造、質的,非質的変化の法則」が、内部変化による一オブジェクトの変化の型を網羅する法則である20100305

対立物の階層は次のようになっている。

内と外、粒度、内部構造は、空間性,時間性、抽象度に規定される。空間性,時間性の内、外は分りやすい。ある抽象度で物事をとらえる場合、それ以外の抽象度はその抽象度の外にあるととらえ、ある抽象度の「外」の概念を拡張してとらえておく。

抽象性の構造が「対立物」の形式で表されるのは、変化が問題になる時には一般的である。生きることのような発展する条件においては特に顕著なのであろう。20100115,25抽象性の構造把握を、発展するという条件での「対立物」の網羅によって行おうと試みたが、依然、検討課題として残っている。10/01/11,12,26,20101215他の形式での表現もあるであろうが、「対立物」の形式での表現には、弁証法の今までの成果が利用できると言うメリットがある。20100126

ものの構造、変化の構造が、空間性,時間性でなく抽象性の構造として表されるのは不思議である。ものの構造、変化の構造は、空間性,時間性だけでなく抽象性の構造としても表される。20100128,1215

1 対立物、自律的変化の階層

 

あるものとないものまたはあるものと他のもの

あるものとないもの:現実性と可能性

あるものと他のもの

現実性

可能性

 

 

現実性=一部と他の一部

A. 客観0)1)と態度0)2)

B. 認識3)

0) 変化そのもの

1) 客観の矛盾:あるオブジェクトの変化をもたらす

2) 行動への態度の矛盾

3) 相互依存する二つの認識

0) PC1

一属性の二値

同一性と差異性

01)客観

02)行動への態度

 

(PC2)

11)

一オブジェクトの二属性

内容と形式、機能と構造を含む

111)個々の運動の場合

112)個々の運動の集合の場合

12)

二オブジェクトの二属性

121)個々の運動の場合

122)個々の運動の集合の場合

123)一体

 

(TC)

2)

一、二オブジェクトの 二属性 一体

21)客観と態度主観と客観

22)態度

221)対象的態度

222)行動への態度

3)

31)空間と時間

32) (構造と機能に中立な)物理的属性

331)構造と機能の関係の属性

332)機能、意味の属性

例:

ある位置にあり、同時にない

ある状態にあり、同時にない

 

このままでいいのかいけないのか

例:

あるものの機能と構造

生産力と生産構造

生命の進化における機能と構造

例:

沸騰中の水の分子の反発力と空気の圧力

化学反応

使用価値と交換価値

 

男と女

普及と深化(客観として)

自由と愛(客観として)

例:

21)

歴史と論理、

 

個と対象への態度、個と共同体への態度

認識と行動、目的と手段、手順と「精神」、

所有と帰属(制度として)、自由と愛()

22)221)

視点と態度、考えることと学ぶこと、謙虚さと批判、信じることと事後の批判

 

哲学と方法、態度と方法、哲学と科学、体系と運動、分析と総合、普及と深化(行動への態度として)自由と愛(行動への態度として)

222)

対象化,相対化と一体化

感情と論理、対象化,相対化と一体化、一体化のうち、所有と帰属(個人の態度として)

例:

空間と時間

 

北と南

 

粒度と網羅

粒度と内部構造

オブジェクトと粒度

 

現象と本質

偶然と必然

具体性と抽象性

個別性と普遍性

外からの定義と内からの定義

解決は属性変更、その結果、属性数、オブジェクト数変更が起こる場合がある

解決は属性(内部構造含む)変更、その結果、属性数、オブジェクト数変更が起こる場合がある

解決はオブジェクト数、属性数変更、属性変更

解決は新しい段階へ

 

矛盾を構成する「対立物」(必ずしも「物」でない、対立項ということもあるが、慣例に随い対立物という)は、あるものとないものまたはあるものと他のもののいずれかである。現実性と可能性は、あるものとないものの現実の矛盾である。あるものと他のものは、現実に別の世界からのあるものがもたらされる場合に生じ、もたらされる以前は矛盾でないが、もたらされた後は矛盾を生じ得る。奇妙に聞こえるかもしれないが、これは実験室で生起している世界に実験の外から何かを追加する時にごく普通に生じている。20100512,21,0614追記

変化の結果は発展と限らない。ヘーゲルの正反合の弁証法や、それにとらわれているエンゲルスの弁証法、更にそれにとらわれている従来の弁証法の教科書と異なり、全ては「発展」するものばかりではない。寺沢の「弁証法的論理学試論」は優れたテキストであるが、違和感を抱いた内容の一つが、「全ては「発展」する」ということを疑わない姿勢だった。まず自然は「発展」するとは限らない。宇宙の歴史は、発展するように見えるが、もしそうだったとしても「事実」がたまたまそう解釈できる場合があるに過ぎない。寺沢は、「新しい状態が生じるのが発展」というが、これでは死滅も「発展」になり、明らかに不適当な一般化である。これは、ヘーゲルにとらわれたものと思われる。個体の歴史はある時期だけ見れば発展しているように見えても、それは衰退を含んだ全体の一部である。唯物論の教科書には、全てのものは発生し発展しやがて消滅するとギリシャ哲学を引きながら書かれているが、こと弁証法を論ずると「発展」一本やりなのであった。20100501,02,10,12,0827,20110202

現実と観念の間に両者をつなぐ「態度」がある。態度のある項とない項の区別の根拠は明確になっていない20101118。解決した20110103

人、技術、制度という領域毎に、目的の型の違い(技術は自由、制度は自由、愛両方)、対立物、変化の型、結果の型、解決方法の違いがある。この違いはまだ明らかになっていない20100425,0503,20110128 対立項がシステムオブジェクトかプロセスオブジェクトかで変わるか?

対立項の構造は、次の二つの要素を有する。

1.現実の構造が上位にある。11/03/05現実の構造の要素の(0) 変化そのもの一属性の二値の対比で対立項ができるPC0、1)二属性の対比で対立項ができる矛盾)という粒度の違う運動のとらえかたによる現実の自律運動、矛盾

2.イ)一属性の二値の対比で対立項ができるPC3 11/03/05という矛盾の拡張の解として、一オブジェクト以内のオブジェクト変更(一属性の変更、属性の削除,生成、オブジェクトの削除,生成)

) 一属性の二値の対比で対立項ができるPC2という矛盾の拡張の、解

) 二属性の対比で対立項ができるTC1,2という矛盾の拡張の、解

) 単独で存在する二つのもの(これは一体型矛盾の唯一の必要条件)が、より広い粒度または人の意識的努力によって対立項になる一体型矛盾という矛盾の拡張の、解

、行為を起動する、その拡張された矛盾

 (矛盾の機能1:現実の矛盾と行動を起動する矛盾)

1.の自律運動がある。2.の行為をする、この行為の結果、人工的に矛盾を生成する行為である。生成された矛盾の型は1.の自律運動の型と同じである。つまり、矛盾に大きく二種あり、第一は自律運動と同義である矛盾、第二は行動を起動する拡張された矛盾である。第二のものは、行動が起動されると役目を終え、第一の矛盾に移動する。

矛盾には、0) 変化そのものの認識の表現、1)客観的構造を認識した矛盾、2)矛盾の拡張がある。0) 1)は、1に等しい。行動を起動する2(イ) PC3、ロ) PC2、ハ) TC1,2、ニ) 一体型矛盾)は、2)に等しい。11/03/05  0)1)2)の差は、矛盾の機能の差である。0)を、1)2)それぞれの基礎に位置つけることも可能である。20010307 行動を起動するものが、矛盾の拡張型だというのは、新鮮な発見だった。これで今までの様々な検討が統一される。矛盾の型は上で尽きており、自律運動も行動を起動するものもこれで網羅されている。態度に関する矛盾は、2)すなわち2の一部である。

(矛盾の機能2対象化、一体化)

1.2.イ)、ロ)、ハ)までが、対象化に関するので、一体化または対象化と一体化の統合を可能にするのは、論理的にニ)しかないと考えるか、1.2.イ)、ロ) 、ハ)までに個と他人の精神が含まれていない現状では議論する意味がないと考えるか。11/02//23,24,26,28,03/02。前者なら、ニ)は、より広い粒度または人の意識的努力によって対立項になる一体型矛盾である。より広い粒度でとらえることも意識的努力による。一体化に対するものの全ては、ニ)による11/02/27,28。2)は一体化矛盾を含む。1)にも一体化矛盾がある。11/03/05,08

以下、対立項と対立の解決を述べる。表では、「態度」を「現実」含めて記述している。運動、変化が起こる領域には、客観1)と客観に対する態度2)、両者に共通のもの0)がある。他に相互作用のある認識3)がある。認識の変化は?一体ととらえることができる場合にはその理由?20110201

A. 客観と態度

0)は、変化そのものだけを表す粒度でとらえた矛盾である。

1)は、0)の矛盾を、客観の変化の構造を表現する粒度でとらえた矛盾である。

2)は、1)の通常の矛盾と異なり、個々の「対立物」は客観的にまたは態度として単独で存在する。この中には「一体」ととらえられるものがある。すべて一体ととらえることができるか、できる場合にはその理由?これを人の意識的努力、態度が矛盾にする。TRIZの物理的矛盾、技術的矛盾は、人の意識的努力、態度による矛盾の拡張である。これは3)と異なり、矛盾の拡張といってよい。なお物理的矛盾には0)の矛盾も含む。

0) オブジェクトの変化そのものを表現する粒度

一属性が、ある値と別の値という二値を対立物としてもつ表現する粒度。同一性と差異性の矛盾である。10/04/0620101125 この粒度では、運動の構造は明らかにされない。つまり、位置的運動のようにある位置にあり同時にない場合であれ、より一般的に「ある値を持つ」と同時に「ある値を持たない」状態の両立の場合であれ、運動が変化をもたらしていることだけを表現し、運動の構造を明らかにしない。したがって運動しているが、結果として変化が現れない場合を扱えない。

この対立の解決である運動の結果は、一つの属性変更で表現できる。属性変更が起こり、その結果、属性数変更、オブジェクト数変更が起こる場合がある。

「ある値を持つ」と同時に「ある値を持たない」状態の両立が、一般の位置的、機械的、化学的、有機的、生命的、社会的運動を起こす。

01)客観

例:

ある位置にあり、ない:位置的運動(下記の特殊の場合)

ある状態にあり、ない:一般の運動:位置的、機械的、化学的、有機的、生命的、社会的運動、どう位置付けていいか分らないが、磁気的、電気的運動20110108

02)行動への態度

このままでいいのかいけないのか

以上は次のPC1である。TRIZは、これを現実の矛盾でな「物理的矛盾」PC 2に拡張する。

形式上、一オブジェクト一属性の二値の矛盾は、PC1;ある状態aとそれに限りなく近いある状態非aを同時に取る場合(これは変化を表現(エンゲルス)、なめらかな変化となめらかでない変化を含む,微分可能でも不可能でもよい)、PC 2;ある状態aaに全く異なるbを同時に取る場合(これは通常のTRIZの物理的矛盾)である。PC 2.は現実の矛盾ではない。PC 1.とPC 2.の差は、低次の運動の例で言うと、PC 1.は東京におり同時に東京にいない、PC 2.東京におり同時に大阪にいることを表現する。PC 2.は、現実の矛盾でない。

Larry Ballのレーキの例のように、技術的矛盾と物理的矛盾は相互規定し合っている。しかしLarry Ball は、技術的矛盾が先で物理的矛盾が規定されるというARIZを批判し、物理的矛盾が原因で技術的矛盾を結果として規定するという。PC2.は運動の定義の範疇を超え、分離原理による分離が可能かどうかを検査するしかない。In “Identity and Difference” opposites are two values of one attribute. This contradiction has two types. In the first type PC1 two values of one attribute are value “a” and value not “a” which is limitlessly equal to “a”. In this type compatibility of value “a” with value not “a” cause a movement which always exists in any movement 11) or 12).

The second type PC2 has two values of one attribute are value “a” and value “b” which is different from “a” to form Physical Contradiction in TRIZ. For this type TRIZ has Separation Principles to separate two values on several conditions. [LB] I do not know what would happen if two values could not be separated and value “a” and value “b” were nearly equal or quite different.

20100822,23,27,1215

1) 客観の矛盾:両者があるオブジェクトの変化をもたらす粒度

これには、0),11)がある運動と0),12)がある運動という型がある。0)は、変化そのものを表す細かな粒度でとらえた場合であるのに対し、1)はあるオブジェクトの変化を表す粗い粒度でとらえた場合である1)は、相互に必要不可欠の対立物からなり(矛盾の通常の定義のように)、人が意識しようがしまいが相互規定の直接の運動をする。つまり1)は客観の変化の矛盾である。

11) 一オブジェクトの二属性が対立物の場合

この中に、作用による変化をもたらす内容と形式がある。20110101。内容と形式は、人にとっての意味が定まる場合、機能と構造という対立物である。20110101,03 一オブジェクトの二属性、内容と形式、機能と構造を、実質上基本的に等値して使っているが、一オブジェクトに二属性あるからといって構造があるとは限らないかもしれない。

内容と形式も、機能と構造も、粒度に規定される。粒度とは、空間時間の範囲と、属性の範囲(項目の選択と項目の抽象度指定結果)である。20110207

この対立の解決である運動の結果は、一つの属性変更(内部構造含む)で表現できる。属性変更が起こり、その結果、属性数変更、オブジェクト数変更が起こる場合がある

属性の変容の扱い?

111) 個々の運動が矛盾を形成する粒度

例:

機械の運動

112) 個々の運動の集合が大きな粒度の矛盾を形成する場合。

例:

生産力と生産構造

生命の進化における機能と構造

生命であるオブジェクトとしての個が生成と死滅を繰り返しているのは、二つのオブジェクトのそれぞれの属性が矛盾の運動をしているのであり、その個を形成する上位のスーパーシステムまたはスーパーオブジェクトである種が全体として進化、発展しているのは、これを、一つのスーパーシステムまたはスーパーオブジェクトの中で対立している二つの属性ととらえる粒度においてである。生命の例は、文字どおり、個が生成と死滅を繰り返して種が進化を続ける例である。生命の進化など内部構造を持つものの発展を規定する矛盾の対立物の種類、型は、内容と形式である。

TRIZにおける「技術のトレンド」会社等の組織メンバーの行動の集積としての会社の発展等も同じ扱いができる(弁証法ノート、内容と形式の項参照)。これらは内容と形式という矛盾が他の個々の矛盾と多層構造をしていることを示している。

これらの生命の種の進化、TRIZにおける「技術のトレンド」、会社等の組織メンバーの行動の集積としての会社の発展は、個々には二オブジェクトの属性が対立物だが、内容と形式というとらえ方では、一オブジェクトの二属性が対立物という粒度でのとらえかたである。そうでない型の対立物があるとしたらどんな形のものか不明である20090213, 20100510,0606,1116

12) オブジェクトの二属性の直接の相互作用の場合20110101変更

二オブジェクトの二属性の直接の相互作用(矛盾)は任意の運動を起こしオブジェクトの変化を起こす。一般的な運動の構造である。

対立の解消手段はオブジェクト数、属性数変更、属性変更である。属性変更の結果、属性変化が続くだけか、属性数変更、オブジェクト数変更が起こる場合がある。属性の変容の扱い?

下記の区別は矛盾の粒度のとらえ方による。

121) 個々の運動が矛盾を形成する場合

例:

クリティカルポイント(例:融点)での二状態

沸騰中の水の分子の反発力と空気の圧力:

これが水の属性の質的変化を起こし液体状態と気体状態という水の二つの属性間の移行をもたらす。

化学反応

122) 個々の運動の集合が大きな粒度の矛盾を形成する場合。

例:

戦争している二つの集団

生産の社会的性格と取得の私的性格

物々交換の誕生から貨幣の誕生までの商品における使用価値と交換価値:物々交換成立後の商品の場合、使用価値と交換価値が生成される実際の対立の運動は、使用価値と交換価値(の原型)という属性が個々のオブジェクトに担われて一見偶然のような運動をしている。時間軸を広げ、物々交換の誕生から貨幣の誕生までの個々の商品の総体を一つの商品とみなし、そのオブジェクトの中で対立している使用価値と交換価値という二つの属性の対立と見る時間の粒度においてオブジェクト分割が行われ貨幣が誕生する。実際、従来、これは一つの商品の二属性の矛盾の運動として扱われてきた。使用価値はものとしての属性であり、交換価値は制度上の属性であり、ひとつのオブジェクトがものであり共同観念であるという特異な例である。

20100617,19,21,20110127追記。

注:オブジェクト数の変更、属性数の変更を起こすのは、一属性の変化、技術的矛盾と物理的矛盾の処理に共通に、次の場合がある。

1.完全に意図的にオブジェクト数の変更、属性数の変更をする場合。

2.半分意図的に起こす場合。

最初の意図的な物々交換で意図せず交換価値という属性が生まれる。この時、まず属性数の変更が起こり、次いで属性の変化が起こり、最後にオブジェクト数の変更を人が意図的に行って貨幣というオブジェクトが誕生する。

3.意図的に起こしているわけではない自律的運動の場合、つまり意図的でない行為が意図せずオブジェクト数の変更、属性数の変更をする場合。

生命の細胞分裂というオブジェクト数の変更、属性数の変更に人は意図的な関与はしない。

123) 一体

例:

男と女:男と女の矛盾は、解決が種のレベルの粒度を持っている。一体ととらえられる範疇に入るため。20110121 3)より移動、一体ととらえられる範疇に入るため3)に入っていた。

普及と深化(行動として)

自由と愛(行動として)

 

TRIZは、12)を現実の矛盾でない「技術的矛盾」TCに拡張する技術的矛盾」はある面を改良しようとすると、別の面が悪化する」という事態を表現する。「ある面を改良しようとすると、別の面が悪化する」というのは矛盾の表現にそぐわないので、「ある面を改良しようとすると、別の面が悪化するので、それを解決するある面の改良と別の面の悪化防止の両立」と言い換える。

1.直接の相互作用の場合: 対立物の片方を「改良しよう」としその解が 副作用を起こし結果として対立物のもう片方の別の面が悪化する」場合。これはもともとの矛盾に対する作用を扱っている。

2.直接の相互作用でない場合:ある面を改良しようとする」解が 副作用を起こし結果としてある面を改良しようとすると、別の面が悪化する

211. もとの作用が直接起こす。Larry Ballのレーキの例のように。[LB] p.I2

222. もとの作用が直接起こさない、予期せぬ副作用

TRIZ技術的矛盾」を二属性の両立に一般化する。

3. 直接の相互作用でない場合: 本来の両立すべき二変数

31. 別々のオブジェクトが同じものを共有

 制度のような共同観念の型:物々交換の成立は制度以前の2オブジェクトの同一観念化というTCの解決であった。制度成立は、同一観念を担うメンバーを増やし固定化しエネルギーを別の方へ向かいうるようにする。10/07/13

32. 別々のオブジェクトが違うものを別々に持つ。

結果として、TCは、12)の一部の一般化である。20100826,27

2) 態度の矛盾:両者がより大きな粒度の変化をもたらすもの:一体

2)は、客観と態度の矛盾、または態度自体の矛盾である。2)は矛盾の通常の定義と異なり、個々の「対立物」は客観的にまたは態度として単独で存在しうる。これを矛盾にするのは人の意識的努力、態度である。2)に対応する0)は、「To be or not to be: このままでいいのかいけないのか」である。

この対立物は一オブジェクトまたは二オブジェクトの二属性である。この対立物ペアは、通常「一体」という表現で扱われていて両者それぞれが時間に関係なく単独で存在可能である。例えば、謙虚さと批判という態度は、単独で存在可能であり単独でしか存在可能でないと普通は考えられている。もし両立できないと普通は考えられているこの二つが両立できれば、新しい段階がもたらされ、下の粒度からは革命的変化が実現できたように見える。二種の粒度の異なる矛盾があり、下位の矛盾の解決がより大きな粒度の矛盾になる。つまり個別の矛盾の解決と全体的な矛盾の解決がある。これらが解決されると、その問題は一応終わる。この解決状態は、常にこれらの問題が意識的に立てられつつ解決されていく状態になっている。これが一体という矛盾の実用上の意義である。この姿勢はTRIZが教えてくれたものである。

20100428,0508,10,0602,20110101,02,20

一体型の矛盾解決は、理論的には、各対立項自体の1) 完全さと2) 同時変革とを必要とする。 つまり、各対立項自体の完全さが相互に条件になっているように、また、それぞれの同時実行が条件になっているようにしなければならない。これは困難な課題である。相手が事物であろうと人間であろうが、それらが自分と同じ意欲を持ち行動せねばならないからだ。「私が実践上,事物に対して人間的にふるまうことができるのは,ただ,事物が人間にたいして人間的にふるまうときだけだ」「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」マルクス「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.15320110107,31

さらに、3) 各対立項自体がサブ対立項から成るという階層構造があるらしい。20110119

21) 客観と行動への態度:主観と客観

例:

歴史と論理、認識と行動、

目的と手段、手順と「精神」、

所有と帰属(制度として)、自由と愛()

22) 行動への態度

221)対象的態度

視点と態度、

考えることと学ぶこと:自分で考えて得ることと与えられたことを受動的に学ぶこと

謙虚さと批判:宗教を含めた既存の観念を謙虚に受け止めることと批判すること

信じることと事後の批判:あることを行うためには立てた目的、手段を固定して行うしかない、同時に結果との対比を行い目的、手段を批判する

 

哲学と方法、態度と方法、哲学と科学20101213

体系と運動:「体系へ」と「運動」の視点。体系が悪なのではない。両方の視点が必要である。体系は常に壊さねばならないが必要なのである。

分析と総合、

 

普及と深化(行動への態度として)

自由と愛(行動への態度として)

222)対象化,相対化と一体化

感情と論理、対象化,相対化と一体化、一体化のうち、所有と帰属(個人の態度として) 

B. 認識と態度

3)は、相互依存する二つの異なった認識であり矛盾ではない。しかし従来の弁証法のテキストでは矛盾としてとらえられている。「対立しつつ統一されている」ものを客観、主観によらず矛盾というならこれも矛盾である。ここでは矛盾を変化、運動の原動力ととらえたいので、客観の「対立しつつ統一されている」ものを矛盾という。従来の弁証法のテキストで、客観、主観に関わらず「対立しつつ統一されている」ものを矛盾といい、かつ矛盾は変化、運動の原動力というのは全くおかしい。本質と現象、上と下は運動の原動力にはならない。なお客観といえども主観によってとらえるしかないのは当然である20110121

この中には「一体」ととらえられるものがある。すべて一体ととらえることができるか、できる場合にはその理由?20100503,0607,1118,1215,20110103,21,27

3) 相互依存する二つの異なった認識

3)は、現実世界の矛盾でなく、その意味では正確には「矛盾」ではない。したがって0)1)2)は客観または人の態度を規定するのと異なり、現実の発展の原動力ではない。しかしエンゲルスや寺沢の本では「矛盾」として扱っている。全て対象的視点のものである。なぜか?20110128以下は、現実世界を総括した知見ではあるが、まだそれを網羅したものになっていない。(下記の分類と、0)1)1112)の分類は整合してない) 20100303,0411,0607,19,1215,20110103

31) 空間と時間20110117

32) (構造と機能に中立な)物理的属性

ある属性値とそうでない属性値 Cf. スピノザ

物理的属性のように見方、視点により自動的に規定される。

例:

+と−:ある基準をゼロととらえる視点での属性の二値(磁極のプラスマイナスは客観の矛盾である20110103

北と南:ある水平方向という視点での視線という属性の二値

上と下:垂直方向という視点での視線という属性の二値

33) 構造、構造と機能の関係機能,意味の属性

認識の発展ととるべき態度のために役立つ。他の、人の態度を規定する現実世界を総括した知見として、現実の見方、視点を規定するという意味で人の態度を規定する。自分の態度が決める。粒度が先行して決まる、または決まりやすい。11/01/06 全て対象的視点のものである。なぜか?20110128

一属性二値と一、二オブジェクトの二属性の場合がある。

331)  構造、構造と機能の関係

例:

粒度と網羅20100804

外からの定義と内からの定義:「対象化という生き方」参照。

粒度と内部構造:構造という属性の二値である。正確には、粒度で表示される全体との関係と内部構造、というべきであるが、これを単純に、粒度と内部構造ということにする。一部とその残りの粒度を具体化した例である。

上位のオブジェクトのオブジェクト数,属性数,属性と粒度

機能と粒度:機能は実世界の概念だが粒度は認識上の概念である。変更すべきオブジェクト候補が網羅されているという前提で、相互規定し合っている粒度、機能,属性、弁証法という方法の三者の同時決定を行うことは、このより正確な表現である。二項の対立はそもそも近似である。20100411,0602,07

332) 機能,意味の属性

下記の対立項が「値」であるような「属性」がある。これらは属性の形式であって内容を表示しない。内容についての一部は、寺沢恒信「弁証法的論理学試論」大月書店、1957、に述べられているが、十分でない。具体的内容は粒度を指定しなければならない。20110107

現象と本質

偶然と必然

具体性と抽象性

個別性と普遍性

20100126,0214,0314,20,26,29,0401,03,04,06,07,08,09,11,14,16,17,21,22,25,26,28, 0501,02,03,06,08,10,12,14,21,24,26,31, 0602,06,07,08,11,12,14,15,16,17,18,19,20,21,0730, 0822,23, 20110101,03,07,08,17,19,21,27,28,30,0202

FIT2010で書き直し、その後、歴史と論理を「一体」に追加。20100712 普及と深化を「一体」に追加。 20100713,1116, 分析と総合を「一体」に追加。17,18

 

根源的差異解消:「唯物論,事実主義宣言」ノート

本稿は、もともとの唯物論,事実主義宣言ノートの前半部分である。これに、「対象化」という生き方」「対象化と一体化の統一」が続く。本稿は将来「対象化という生き方」に統合されるものである。もともとの唯物論,事実主義宣言ノートはいくつかの草稿に移行、統合された。思想の方法ノートも解体し本稿にとりあえず統合した。「型」「粒度、機能,構造、弁証法論理」を分離した。20100403,05,07,11,12,13,14,15 0503

 ((根源を問うための形式と内容の検討)):最も疎粒度,密度の検討

 最も疎粒度,密度の検討が事実に向き合う姿勢の検討である。粒度,密度が様々な問題のキー概念である。20090519,20,30

どの領域の誰のということを前提に、a.現実、目的、問題、解決策への姿勢、視点(20090521まではオブジェクトの粒度,密度への姿勢、視点に限定していた)b.目的と現実から得られる差異=問題の把握、c.解決策の把握、d. b.c.における相互規定への方法上の対処、の順に述べる。この順は記述の順で思考の順ではない。もちろんb.(どの領域の誰の)目的と現実から得られる(適切な粒度,密度の)問題=差異がまずあり、c.解決策で差異を解消する、そのための前提a.b.c.のもとになっている。d.b.c.の共通の方法になっている。しかし思考はこれらの過程の同時並行で進む。

20090325,26,27,0406,17,18,20,23,0503,20,21.30,0602

まず常に考え直し常に原点に戻るための思想と方法へのa. 姿勢、視点が重要である。視点を規定する要因については、「オブジェクト再考3−視点と粒度−」FIT2005  を参照のこと。

生き方の理想解を考える。完全な認識、完全な実践の方法というものはない。理想的な生き方とは、既存の観念を含む事実に謙虚であることと、同時になにものも信ずることなく、既存の観念と自己を相対化し批判しながら価値と実現方法を求め続け、同時に自己と他と外部の変革を同時に努力し続けることとの矛盾の解決である20090806。いくつかは制度と技術に対する態度は共通である。

姿勢、視点 a1変化と持続

外部に対する行為、思考の内部の両面について変化を重視し、変化を扱う方法も求める。第一に、大事なのは、行為の結果もたらされた結果ではなく、行為そのものとそれによる変化である。達成された状態より変化が重要である。これは粒度、密度そのものについてのとらえなおしになっている。つまり価値の時間粒度は極めて小さく変わっている。これは技術における目的の場合と制度における目的の場合で異なるかもしれない。人と制度については明らかに変化とその蓄積が重要である。人と制度については変化の行為は観念に蓄積され続ける。その変化がよいかどうかを謙虚に誠実に検証し続ける必要もある。20090428,0521,0603,0716大事なのは、行為の結果もたらされたものではなく、行為そのものとそれによる変化である。(「唯物論宣言」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)。共産主義は理想でなく日常の努力であるとマルクスは「ドイツイデオロギー」の中で語っている。これは目的、理想とされるすべてに当てはまる。達成された状態より変化を優位とする。昨日より今日が少しよくなっていること、明日はさらに少しよくなることが重要である100の状態に安住するより、今0でも1でも0.0000001ずつのプラスの変化を続けるほうがよいのである。20090521,0715,1128

外への機能に関し変化が静的状態より重要というだけではなくて、第二に、それをもたらすことを保証する、思考内部にとっても変化をもたらし続ける思考が重要であり、変化を続ける態度、より重要な変化をもたらし続ける態度が重要である。書かれたものは観念の運動の結果である。観念の運動の結果から観念の運動を再現するのは一般に不可能である。しかし大事なのは、書かれた結果でなく書かれる前の観念の運動である。20090628,1128追加

第三に、変化を直接扱う方法が必要である。これについては第三回TRIZシンポジウム(TS3)で方法を示した。これは技術にも共通である。TS3でたまたま変化を扱う方法に到達した。また、書いてないことは、もとからないのか熟慮の末削除されたのか区別できない。変化の経過が記述されてあれば区別できる。20090731

姿勢、視点 a2批判、相対化:自分で思想や方法をゼロから作る努力、既存の観念と自己の批判と相対化20090204,0717,18

変化のために、既存の枠組みと自己をどう変えねばならないかが次の課題である。この理想解は何か、そのためにどうすればよいか?

苦労して作ったものだけが分かるのはなぜか?聖書や仏典ができた時のいきいきした精神を学ぶにはどうすればいいのか?あるいは新しい思想、方法を作るにはどうすればいいのか?聖書や仏典ができた時のいきいきした精神は、結果が記述されたものの普及の段階で必ず失われてしまうのはなぜか?

彼らが求めたものを求める、または自分で思想を作る、その際に彼らの書いたものを参考にし、批判するという態度でしか、彼らを学べない。本当は得ようとするものは、自分で思想や方法をゼロから作ろうとする努力によってしか得られない。そうでないと生き生きした精神は必ず失われてしまう。方法を作る時も同じである。自分で思想や方法を作る、その際に既存の書かれたものを参考にし、批判するという態度でしか、既存の書かれたものを学べない。このことは一方で、その努力をした一部の人だけでよいのかという問題、これなしに利用せざるを得ないという問題がある。対策が必要である。20091028,29,1127次善の策として自分と既存の観念の実現する価値と方法を疑い批判し問い相対化する必要がある。その際、仏陀であれイエスであれ、既存の観念とその実現する価値と方法を疑い批判し問う必要がある。20090204,0409,0619独立に達したと思っていた旧a11:既存の観念の批判と相対化、とa12:自己の批判と相対化は実は同じであった。20090327,0411絶対的なものはありそれは変えられない「事実」である。これと姿勢、視点 a11と姿勢、視点 a12に相反するように見えた。過去の観念は変えられない絶対的なものであるが同時に変える対象である。現実は変えられず同時に変えられるものである。20090411,12

批判は認識という行為の殆ど全てを占める。読むこと、一般的に事実の認識には二つの種類がある。一つは読んで一体化する読み方、もう一つは対象として読む読み方である。対象として読むとは批判的に読むことである。批判はそれをする人の知的感性的全体を賭けた批判対象との対決である。もし仮に正しいことが分かるとしても、それは批判的に全人生を賭けて対決して読んだ結果である。大事なことはそのようにしか読めないことを乏しい人生の経験から知った。20090215,16客観的な読み方というものはない。読むとは解釈することである。いかなる読み方も主観に左右されて解釈される。むしろ読み方は読む人の主観そのものとすらいえる。書くことが書く人の主観であるように。20090331,0408,0616書く場合には何が問題かを意識し、書くこと、何が分からないかを書くことが重要である。

相対性の認識、自分は絶対的でない、まして正しくないという認識が改善を生む。宗教の開祖たちの思考の中にだけ真実はあり、宗教の絶対体系のできた瞬間に堕落の過程が始まる20090602

現実に対応しているオブジェクトの認識像は、現実の物事の客観的状態と私のその物事との関係によって規定される視点の双方によって定まる。一見客観的とばかり思える矛盾でさえそうである。矛盾は主要な直接的相互作用である。重力の相互作用は客観的に存在するが普通は意識しない。人の価値に関与する問題に規定されて「主要な」相互作用が特定される20090619。また現実も自分も他人も制度も変化し続けている。20090717

何者も絶対化せず、自分の思想と他の思想を相対化し続けること、既存の観念に敬意を払いつつ論証または検証できないものを信じないこと、同時に既存の観念の実現する価値を問うこと、現実と思想のもたらすものの差異検出、検証、修正を続けることが必要である。要するに既存の観念を含む事実に謙虚であり、同時になにものも信ずることなく既存の観念と自己を相対化し続けることである。20090526,0602,0717追加

次善の策としてみんなで共同主観を作るという制度が必要で可能なのではないか?

姿勢、視点 a3価値の根源性、方法の網羅性、認識の完全性:現実、目的、問題、解決策への網羅性と根源性と完全性

(根源性)

今問題があり価値が実現されていない根源が問われなければならない。

根源性は、問いの前提、差異の根拠、現在の根拠、の三つについて問われる。この第二の差異の根拠については、価値の内容と時間空間粒度の長さと大きさ、つまりとりあえず地球のどれだけの時間の長さでの、どれだけの範囲の人や生物のための、どのような価値を実現するかが問われる。これは差異解消がどういう目的を実現するかを示す三つの目的の型(これについては後で述べる)毎に具体化できる。例えば目的の型が問題解決の場合、現在システムの運用の変更による対処、現在システムの変更による対処、現在システムの全面作り変えという粒度,密度の違った対処がある。第三はそもそも差異を生じさせる前提は現在であるから、現在の根拠を問うことである。その始まりを問うことである。始まりを問うことはそのものの本質を問うことであり同一性を問うことである。同一性が同一性でなくなることが始まりだからである。

根源性は何層にも渡る階層を持っておりどこまで遡るかを決めねばならない。ただし根源的であるほど良いわけではない。この階層構造とその特定基準は今後の検討課題である。とりあえず第二の価値の内容と時間空間粒度の長さと大きさに対応した根源性の階層を持つのであろう。そしてより時間空間粒度の大きな価値の実現にはより根源的な対処がおそらく必要になる。これは現実、目的、問題、解決策、つまり問いと答えのオブジェクトの時間粒度の大きさに対応する。そして時間粒度と空間粒度は経験上おおむね対応している(原子は小さく速く、地球は大きく遅く、人はその中間)。

(網羅性)

既存の観念と自己の相対化と批判の対象は何か。何のための相対化であり批判であるか?20090718

第一に、相対化と批判とは何か?今まで何が問われなかったかを問い、そして何が答えられなかったかを答えるために、これらの空間的,時間的網羅性を問うことである。それは、オブジェクトとオブジェクト変化の全体を網羅するオブジェクトとオブジェクト変化の種類をとして分類することである。網羅性は現実、目的、問題、解決策の全オブジェクト候補の空間が科学的に網羅されることである。20090723 さらに時間的かつ空間的多面的多層的に見るための視点の網羅性である。

網羅性は根源性のどのレベルでも必ず必要であり理想的にはそのどのレベルでも完全な網羅性が求められる。網羅の対象について、形式は網羅できる、具体的な内容も網羅できる。「エホバ11章のコメント」の例。網羅性の階層ができあがる。網羅には、事前の要素の種類の網羅オブジェクトの種類が、物と「観念」と運動からなるから、その都度、状況に応じた網羅にいたる階層構造がある20091231。その都度の状況に応じた網羅は具体的に行われるのに対し、状況に関係ない事前の網羅は種類について行われる20091231

根源性についても網羅性が求められようがその内容はよく分からない。根源性の階層を網羅することが最も優先する課題かもしれない20090626

網羅性が根源性を含む。本来、網羅は論理的なものである。論理的網羅は歴史的なものに本来一致する20090318,0430,0905

網羅性を問い根源的に問うための困難さは、何を求めるのか、何が問われなかったのか、全体像が分からないまま、網羅性、根源性を追求しなければならないことである。一般に何かを認識する必要があるのは未だ分かっていないゆえであるが、ここではさらに未だ分かっていないものの全体を問おうとしている。そのための姿勢、視点の検討は永遠に十分ではないであろう。エンゲルスやレーニンは、将来は弁証法や論理学を除いて哲学はなくなるという優れた洞察を持っていた。網羅性、根源性のための姿勢、視点は最もなくなりにくいものであろう。

20090521,25,26,0605,06,07,26

第二に、相対化と批判の対象は既存の観念であり、内容はその見直しである。

網羅の対象が何かも見直され網羅されねばならない。今現在、それは基本概念のレベルで次のとおりと考えられる。

1) オブジェクト(オブジェクト世界の要素):世界を構成するオブジェクトの種類。

現在、弁証法の法則、対立物の型、変化の型の見直しを行っている。(弁証法ノート、FIT2009

2) 領域の型:オブジェクトの集合体がオブジェクト世界である。オブジェクト世界の種類が領域である。領域の型というのは事実の作り方の型である20091013

3) 価値の型、目的の型:価値の種類は何か、機能の種類は何か、目的の種類は何か、価値を様々な空間的,時間的粒度,密度に応じた具体的な目的に変換する方法。価値を担う主体の種類は何か、意識と行動の関係。

4) オブジェクトの特定の仕方:オブジェクトの粒度,密度の特定とその具体的な内容。

5) オブジェクト間関係、変化の論理とその特定の仕方

等化原理群,「反」原理群などによる 40の原理の再構成を行った。制度について40の原理相当の検討が必要である。

見直しは応用レベルでは、制度の発展のトレンドについて行われるべきであろう。

20090718

b. 価値観をどう作っていくかは一般的な課題を検討し総括すれば一応(後で述べるように)答えが出る。これは粒度,密度の関数である。目的としてどの領域の誰のどの時間範囲のどのような価値の実現かの把握が重要である。価値を様々な空間的,時間的粒度,密度に応じた具体的な目的に変換することは困難な課題である。

(この姿勢、視点a1,a2,a3bについて、少し形を変えて「TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム)で述べた)

c. 「現実の認識と目的の差異=問題」の解消策つまり差異解消の方法を明らかにしなければならない。この中で、変化を起こすための主体としての人の心と行動の構造を問わねばならない。今問題にしているのは変化一般ではなく人による変更の行動であるからである。

d. 方法

網羅性と相互規定性:何が全体か何が重要かは分からない。1.その全体性と重要性を探しつつ、全体の要素を網羅し、2.要素間の相互規定性ゆえ同時決定すべきであるから、同時決定の方法を見つけるか逐次化して因果関係を利用するかして解決することにどう対処するかが解くべき課題である。網羅が先である。全体の網羅のためのキーは実現価値と粒度,密度である。全体は無数にある。意味のある何かの全体はその何かという言葉だけに規定されて決まる。何かをどう決めるか。その基準は何か。全体の網羅のためのキーは実現価値と粒度,密度である。だれのためのどのような実現価値かが唯一の問題である。全体は無数にある。意味のある全体は価値に規定されて決まる。20090214,15,17,18

関係と変化の論理に二通りの見方があるであろう。一つは、関係は空間的、論理は時間的ととらえ、変化の時間的論理が弁証法(論理)だとする見方である。こうとらえる錯覚がある。もう一つは、空間的「関係」と時間的「変化」は認識の視点で客観的、両者は判断と操作の視点で主観的であるととらえる見方である。いずれも弁証法論理が扱う。もともと矛盾とは「主要な」直接的相互作用であり空間的「関係」と時間的「変化」を含み、弁証法の中核をなす。「主要」であるかどうかは人の価値、それによる目的が規定する。弁証法(論理)は、矛盾を中核とした空間的「関係」と時間的「変化」の認識と判断の論理である矛盾とは、人の目的に規定された「対立物」の主要な自律的直接的相互作用である。20090517,20,28,0601,18,19,20,22,24(弁証法ノート)

d1. 方法1:価値から目的へ、相互規定性の中で

価値を様々な空間的,時間的な粒度,密度に応じた目的にどうやって落としていくかは全く見当もつかない。ただ形式的に次のようなことは言えるのである。第一に目的というオブジェクトの粒度,密度決定は、価値という他オブジェクトとの関係と相互作用する。ここではあくまで目的生成が一次的に目標なのではあるが相互作用のもとという条件の上でそれを行うということである。これは一般のオブジェクトの粒度,密度特定に共通の事情である。第二にこの一般的な価値と個々の粒度,密度における目的は、一般と特殊の矛盾の好例を提供する。第三に一般的価値から個別の粒度,密度の目的の生成と、目的と現実や解決策との相互作用は同時に行われる。第四に一般的価値は(後で述べるように)すでに出来上がっているように見えるが、実は長い時間的粒度,密度の個々の目的を総括したものが一般的価値として生成されているのであり、長い時間の相互作用と第一の短い時間の相互作用が混在しているのである。第三と第四はこの場合に特殊な事情である。これらを解決する論理についてはまだ何も分かっていないといってよい。

d2. 方法2 現実、目的、問題から解決策へ、相互規定性の中で

現実の認識も、現実というオブジェクトの粒度,密度決定は、目的と解決策という他オブジェクトとの関係と相互作用する。これは一般のオブジェクトの粒度,密度特定に共通の事情である。

こうして「現実の認識と目的の差異=問題」の把握が行われる。「差異つまり問題の定式化ができれば半分解けたも同然」という意味のことわざ的な表現は多い。「人間は解決可能な問題だけ提起する」というマルクスがこれらの中で最も的を射ている。これらは、目的、現実、解決策が相互作用しており、目的認識、現実認識、その「差異=問題」認識、解決が同時であることの表現である。

この相互規定性への対処が必要である。現実、目的、問題、解決策の相互規定性があることはaで最初触れていたがaは姿勢を述べるだけにとどめcにまわす。20090520

d3. 方法3 個々の相互作用、弁証法

相互作用、決定の同時性は、d1,d2のように、価値、現実、目的、問題、解決策の全体にも(これは全体と一部の矛盾の一環である(弁証法ノート参照))、そのそれぞれの中にもある。一般にオブジェクトは他のオブジェクトと相互規定関係にあり、意味のある粒度,密度でそれぞれの中にあるオブジェクトと関係,論理は、対立項として相互規定関係にある。d1,d2はこの組み合わせである。

それぞれの中にある相互作用は認識の場合と行為の場合で差がある。

b,cの中の認識は、

(オブジェクトの存在の認識の場合)相互規定する1. 11. オブジェクトの粒度,密度の特定、12. (オブジェクトの過去の変化)、2. オブジェクトの存在、の認識である。

(オブジェクトの属性の認識の場合)相互規定する1. 11. オブジェクトの粒度,密度の特定、12. (オブジェクトの過去の変化)、2. オブジェクトの機能と属性、の認識である。

(殆どの場合のサブオブジェクト間関係の認識の場合)相互規定する1. 11. 複数のサブオブジェクトから構成されるオブジェクトの粒度,密度の特定、12. 複数のサブオブジェクトの機能と属性間の関係(とサブオブジェクトの過去の変化)、2. オブジェクトの機能と属性、複数のサブオブジェクトの機能と属性、の認識である。

オブジェクトの属性の認識の場合、1.2.の矛盾;構造と機能、だけがある。殆どの場合のサブオブジェクト間関係の認識の場合、1.2.の矛盾;構造と機能、の中に11.12.の矛盾;オブジェクトの粒度,密度とオブジェクト間関係,論理、がある。これは、過去と現実のオブジェクト認識(オブジェクト、オブジェクトの属性、オブジェクト間の関係、それらの歴史)、過去と現実の実現価値認識(個々の価値が過去と今の制度でどうなっているか、そうならざるを得ない構造は何か)からなる。この1.の中の複数のサブオブジェクトの機能と属性間の関係をサブシステムオブジェクト間の関係と、今まで誤解していたように思う。20090523,25,0616,17,26,30,0701,04

c差異解消、つまり意図的変更は、現在のシステム、心と行動のあり方すべてについて、既存システムの運用の改善か、既存のシステムの変更か、新しいシステムの生成かを判断する必要がある。差異解消、変更は、オブジェクトの変更、削除の場合、相互規定する1. 変更する一つのオブジェクトの粒度,密度特定、2. その一つのオブジェクトの機能、属性の特定、それを変化させる論理の把握、オブジェクトの生成の場合、いつどこにかを確定の後、生成オブジェクトの粒度,密度、機能、属性の特定が必要である。価値の把握についても、現状の価値の運用の変更か、既存の価値の修正か、新しく価値を作るかを判断する必要がある。

これらの判断の粒度,密度選定方法はまだない。これらは1. オブジェクトの粒度、密度と、2. オブジェクト間の変更の論理の相互規定を表している。これが定まって後、必要な手段は関係と変更の論理である。これも今は不十分である。さらに実現の具体的な方法である。これらが差異解消の内容である。

網羅性、根源性が徹底すると相互規定性、同時決定性がより激しくなるか?なぜか?20090605

20090312,14,15,16,27,0525,30,0605,06,17,20,30変更

次の表に、認識する側の認識、認識結果を書くこと、その内容の読む側の理解に対する、方法のキーを記す。表の後に説明を付す。今のところあまり論理的でない内容であるが、これが2008年来悩んできたことのとりあえずの結果である。この各項目間の関係はまだよく分からない粒度,密度については、高原、「オブジェクト再考3−視点と粒度−」 を参照のこと。

                   

                認識              

認識結果を書く

認識結果を読む

方法 11

型の理論:網羅の方法

 

 

方法 12

認識過程、オブジェクト選択

認識過程、オブジェクト選択理由を書く。

オブジェクト選択理由を理解する

方法 13

差異解消理論

 

 

方法 14

差異解消理論:変化が単位?

 

 

方法 2

同時決定。その逐次化

 

 

これ自身の全体が、方法2の粒度,密度を疎にして自分自身に適用したものである20090216

方法 11 型の理論:理論の前提となる網羅の方法

「型」に移行。20100415

方法 12 認識過程、オブジェクト選択、特定。オブジェクトの粒度の特定

「型」に移行。20100415

方法 13 差異解消理論

差異解消は、目的の型、オブジェクト変化の型、オブジェクト操作と変換の型を関係付け統括する。

「何を」「領域」「変化の方法」のうち「何を」はオブジェクト世界でありその型はオブジェクトであった。「変化の方法」の型は、オブジェクト変化の型、オブジェクト操作と変換の型である。目的の型はオブジェクトのある状態ではなくある状態への変化であり、したがってオブジェクト変化の型と対応が付く。一属性、一オブジェクト以内のオブジェクトの変化の型は、属性とオブジェクトの生成と消滅、属性の変化である。二属性、二オブジェクト以内のオブジェクトの変化の型は、オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−で述べた。オブジェクトの操作と変換の型は、人によるオブジェクト操作と、オブジェクト変換の二つに分けられる。目的の型は、新しい機能の追加、問題解決、理想化の三つである。これらの一般性の程度?認識の型を追加すれば完全になるのか?

二オブジェクト二属性以下の場合の枠組みは次のとおりである。

1) 一つの属性の二つの値の処理:物理的矛盾を解く:

1. 分離可能な値の場合(属性、構造)と、分離できず運動する場合(属性、構造)の区分の構造は不明である。

2. それぞれの構造も不明である。20091224

2) 二属性の処理:技術的矛盾を解く

1.独立に扱える粒度:

2.関係がある粒度:21.Larry Ballのように物理的矛盾が原因で技術的矛盾が結果であり両者を一体でとらえるべきとする粒度。22.他の粒度?20091213

3) オブジェクト数の変更, 属性数の変更

(自律的オブジェクト変化)

a.オブジェクト数の変更

b.属性数の変更

属性の処理

c.全対象の相互作用による変化=

d.運動n属性2n値の処理:c.と同時、この結果が属性変化)その結果としてa. b

(意図的オブジェクト変化)

a.オブジェクト数の変更

b.属性数の変更

1属性の処理

一属性一値の変更

一属性二値の処理:物理的矛盾を解く:二値の分離

2属性の処理

技術的矛盾を解く

属性の処理

c.全対象の相互作用による変化

d.運動n属性2n値の処理:

c.と同時、この結果が属性変化)その結果としてa. b

差異解消の理論の詳細については、下記参照。

高原:機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2第三回TRIZシンポジウム, 2007.08.30-09.01和文HP , 和文8 ,和文スライド8 英文HP  , 英文16 ,英文スライド8

高原:ブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   、第4回TRIZシンポジウム」、2008

現実の差異解消は、要素間を関連付ける。

21) 過去と現実のオブジェクト認識(オブジェクト、オブジェクトの属性、オブジェクト間の関係、それらの歴史)、過去と現実の実現価値認識(個々の価値が過去と今の制度でどうなっているか、そうならざるを得ない構造は何か)、

22) 今実現すべき価値はどの領域で、価値を実現する主体は何か、目的像のオブジェクトの確定、

23) 現在のシステム、心と行動のあり方すべてについて、既存システムの運用の改善か、既存のシステムの変更か、新しいシステムの生成かを判断する必要がある。価値の把握についても、現状の価値の運用の変更か、既存の価値の修正か、新しく価値を作るかを判断する必要がある。これが定まって後、必要な手段は関係と変更の論理である。これも今は不十分である。さらに実現の具体的な方法である。これらが差異解消の内容である。20090312,14,15,16,27,0525,30,0602変更

これらを各回のTRIZシンポジウムで検討してきた。第4回TRIZシンポジウムで、この差異解消に関する手順を示した。これはあらかじめ検討しておける内容と、その都度の「差異=問題」毎の解消の内容に分かれる。あらかじめ検討しておける内容は、オブジェクトの種類、オブジェクト構造、目的(これは、あるプロセスオブジェクトである)の型、目的としての型であるオブジェクト変化(これは、目的の粒度を細かくしたあるプロセスオブジェクトである、)の型、手段としての型であるオブジェクトの操作(オブジェクトの操作と変換)の型である。その都度の「差異=問題」毎の解消の内容は、現実と目的の認識、目的を実現すべきオブジェクト変化の型2007年の論文で「オブジェクト変更の論理型」といっていたものである。名称を変えた深い意味はなく,単に去年使っていた名称を高原本人が忘れていたためである。2009「オブジェクト変更の型」と再修正20090930の一つに対応させ、変化させるオブジェクトを特定し、オブジェクトの操作と変換の仕方を特定することである。

第五回TRIZシンポジウムで一部修正。

1.目的の型:

現実、目的とその差異を認識し、抽象的に目的の型を把握します。目的の型とは、目的の種類で、新機能生成、理想化、問題解決のいずれかです。これはこういう形で網羅されています。」(「TRIZという生き方?」5TRIZシンポジウムのナレーション)

新機能生成、理想化、問題解決も相互作用がある、というよりそれぞれのいずれでも目的を達成でき、(少なくとも殆どをカバーし)どれが一番良いかは現状に依存して決まる。極端な場合、理想化、問題解決に耐えるか、新機能生成に踏み切るか?という定式化ができる。これは目的が現状に依存することの典型である。20100216

TS66TRIZシンポジウム)のスライドで次のように述べた。

1) 新しい機能を作ること:既存システムに新しい機能追加、または新システム設計

2) 問題解決:既存のシステムの不具合解決

3) 理想化:既存のシステムの機能をもっと良くすること、または現在の機能をより少ない資源、負荷で実現する改良

この三者[TS2]の差は相対的。全ての問題、差異はこのいずれによっても定式化できる?この差や技術、制度、個人の差は内容の差。形式はオブジェクトの言葉で述べられる

2.オブジェクト変更の型:

21.現実のオブジェクト世界が持っている潜在能力がどう対応できるかというのは、例えば、属性の変更で対応できるか、オブジェクト分割しかないかということである。大雑把に言うと、属性の単純な変更、属性の質的変更、属性数変更、オブジェクト数変更の順に困難になるし、オブジェクトの粒度は疎になる。この順にチェックするという方法も有効であろう(弁証法ノート)

これは、目的の型が単純に目的だけからは決まらないことを言っている。目的は、目的と現状の相互作用によって決まる。網羅、粒度、方法の相互作用より粒度の小さい相互作用である。20100216

22.目的の型とオブジェクト変更の型の関係:今までTRIZシンポジウム他でさんざん検討した。以下TS06スライドより。20100817

3.オブジェクト変更の型と操作・変換の型の関係:従来から課題だった。

属性の単純な変更、属性の質的変更、属性数変更、オブジェクト数変更、というオブジェクト変更の型(目的)とオブジェクトの操作・変換の型(変更手段)を結びつけることが、目的実現の手段を作ることになる。これには、1.オブジェクトの構造理解、2.オブジェクトとオブジェクトの構造の要素を変化させる運動の構造理解が必要である。1.は一応明らかになっている(高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−」(高原利生 ())   、第4回TRIZシンポジウム」、2008)。2.は、20.変化、変更の弁証法論理の理解により、21.変更手段の群と、22.その中から変更手段を特定することである。21.手段の一部が原理UPMD、操作R高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2」、3TRIZシンポジウム、2007高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ 『高原利生論文集』 である。22.手段の特定の仕方は既存TRIZの各ツールにあるが、体系化されているとは言い難いのが現状である。20100304,05

 

変更手段の群と、その中からの変更手段特定を検討する。

手順は次のようになる。

1.(量的なインプット(属性、内部構造の変化)が量的アウトプットをもたらす場合は特筆することではないのでこれ以外の場合を検討すると組み合わせが減るが、一応全組み合わせを検討する。)a.オブジェクト数の変更、b.属性数の変更、c1.属性の変化、c2.オブジェクト内部構造変化、の相互関係の明確化

2.原理UPMD、操作Rというインプットと、a.オブジェクト数の変化、b.属性数の変化、c1.属性の変化、c2.オブジェクト内部構造変化との関係の明確化20100306,07

まず1.を検討する。全てのオブジェクトに共通な形式として次のようなものがある。これをベースに個々の領域毎の具体的検討が望まれる20100315

b.属性数の変化に影響するものを検討する。

b1.属性分割からa1.オブジェクト分割が起こる

ものに「交換可能性」という属性が付加され、属性数の1から2への変更である属性分割が起こり、次いで貨幣の独立に至り、オブジェクト数1から2への変更であるオブジェクト分割が起こるように、属性分割からオブジェクト分割が起こり、社会の複雑化が蓄積されて現在に至るというのが、歴史の発展の主流をなしてきた。弁証法において、内容が形式を規定するとされるケースの典型例である。機能又は属性という内容が、構造という形式を規定している。

b2.属性統合,縮退からa2.オブジェクト統合,縮退が起こる

この副流として、この逆の属性統合,縮退からオブジェクト統合,縮退が起こり、社会の複雑化が縮小する過程が伴う。これも、内容が形式を規定するとされるケースである。機能又は属性という内容が、構造という形式を規定している。

b.属性の生成、消滅が起こり、a.オブジェクトの生成、消滅が起こらない)

1. 属性の生成が起こり、オブジェクトの生成、消滅が起こらない。

2. 属性の消滅が起こり、オブジェクトの生成、消滅が起こらない。

b.属性の生成、消滅が起こり、c2.オブジェクトの内部構造を変化させる

論理的に考えられる。自律運動では起こりにくい、あるいは時間がかかる。

内容が形式を規定するケースである。

c1.属性の変化が起こり、b.属性の生成、消滅が起こる)

c1.属性の変化が起こり、b.属性の生成、消滅が起こらない)

これらは、内容が形式を規定するケースであり、属性、属性数の変化がオブジェクト数変化、オブジェクト構造変化を主導する。

 

a.オブジェクトの生成、消滅に伴うb.属性の生成、消滅)

オブジェクトが生成、消滅するとそれに伴い、必ず、属性の生成、消滅が起こる。これは、形式が内容を規定するとされるケースの典型例である。これは、オブジェクト数変化が属性数の変化を主導する。

c2.オブジェクトの内部構造変化に伴うb.属性の生成、消滅)

オブジェクトの内部構造変化に伴い、属性の生成、消滅が起こる場合がある。これも、形式が内容を規定するとされるケースである。これは、オブジェクト内部構造変化が属性数の変化を主導する。

この二つは、形式が内容を規定するケースであり、オブジェクト数変化、オブジェクト構造変化が属性数の変化を主導する。

以下、a.オブジェクト数の変化に影響するものを検討する。

(略)

以下、c1.(狭い意味の)属性の変化に影響するものを検討する。

(狭い意味の)属性の変化が起こり、オブジェクト生成、消滅が起こる

(狭い意味の)属性の変化が起こり、オブジェクトの内部構造の変化が起こる

(狭い意味の)属性の変化が起こり、属性の生成、消滅が起こる)

これらは、内容が形式を規定するケースである。

(オブジェクトの生成、消滅に伴う(狭い意味の)属性の変更

(オブジェクトの属性の生成、消滅に伴う(狭い意味の)属性の変更

オブジェクト生成、消滅と属性の生成、消滅に伴い、必ず、属性の生成、消滅が起こる。したがってこれらのケースはない。

(オブジェクトの内部構造変化に伴う(狭い意味の)属性の変更

オブジェクトの内部構造変化に伴い、(狭い意味の)属性の変更が起こる場合がある。これは、形式が内容を規定するケースである。

以下、c2.オブジェクト内部構造変化に影響するものを検討する。

(オブジェクト内部構造変化が起こり、オブジェクトの属性を変化させるかもしれないが、オブジェクトの生成、消滅が起こらない)

(オブジェクト内部構造変化が起こり、オブジェクトの属性生成、消滅が起こる)

これらは、形式が内容を規定するケースである。

(オブジェクト内部構造変化からオブジェクトの生成、消滅が起こる)

(オブジェクトの生成、消滅に伴うオブジェクト内部構造の変化(生成、消滅))

これは、形式が形式を規定するケースである。

(オブジェクトの属性変化に伴うオブジェクト内部構造変化)

これは、内容が形式を規定するケースである。

以上は、オブジェクト内部の変化に対して起こる変化の型を述べている。

 

以下、そのオブジェクト内部の変化をどう起こすかというインプットを述べる。

原理UPMD、操作Rの内、「対立物の統一(と闘争の)法則」が利用するのは、原理UPM「属性と構造、質的,非質的変化の法則」が利用するのは、原理Dである。操作Rというのはどういう位置か?20100103,05,06,10と書いていたのを訂正する。インプットは四種類しかない。このインプットは従来の操作と変換原理(高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2」、第3TRIZシンポジウム、2007 高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3」−(高原利生 ())   、第4回TRIZシンポジウム」、2008)のうち、操作を取り出し拡張したものである。

1.何もせず見守る。既存のオブジェクトの動きをインプットとみなす:操作Nu

2.既存のオブジェクトを別の既存オブジェクトとの相互作用の場に持っていく、または相互作用の場から引き離す:操作Mo

3.新しいオブジェクトを別の既存オブジェクトとの相互作用の場に持っていく:操作Ad、操作Mo

4.既存のオブジェクトを新しいオブジェクトで置き換える:操作R

これは次のように展開する。

1.何もせず見守る。既存のオブジェクトの動きをインプットとみなす:操作Nu

原理UPM、原理Dにより展開する。

2.既存のオブジェクトを別の既存オブジェクトとの相互作用の場に持っていく、または相互作用の場から引き離す:操作Mo

原理UPMにより展開する。

3.新しいオブジェクトを別の既存オブジェクトとの相互作用の場に持っていく::操作Ad、操作Mo

原理UPMにより展開する。

4.新しいオブジェクトで既存のオブジェクトを置き換える:操作R

原理UPM原理Dにより展開する。20100309

これらにより、高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   」、(4回TRIZシンポジウム」、2008スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 、論文PDF: 和文 英文 、紹介 (中川 ) 英文 )の内容を見直す必要がある。20100311

20100103,05,06,10,0306,07,08,09

方法 14 方法は変化を単位として作られる

偶然であるが、2008年の検討で、少なくとも高原の方法はオブジェクトの変化を単位として構築されるということが分かった。高原:オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(第4回TRIZシンポジウム」、2008)の講演録参照。目標は変化であるが、方法も変化ベースであるというのは、自分でも意外な結論だった。方法がオブジェクトの変化単位になった直接の理由は、目標として「何々がない」(例えば騒音がない)ことを表現しようとして、その目標を記述することが難しいことであった。「ない」状態が目標と書くと、初めからないのかなくするのか分からない。何かを「なくする」のが目標と書くほうが分かりやすいのである。20100415追記

一般化しうるものかどうか、またこの意味することの詳細は不明である。目標が変化であるので、それに引きずられて方法も変化ベースになるのであろうか?もしそうなら同様に、一般の思考内部においても変化ベースで論理が進むことは納得できそうである。オブジェクトの言葉で言うとプロセスオブジェクトベースということである。物事を変化させるのはプロセスオブジェクトであるから、思考内部において変化ベースで論理が進む、行為においても然りというだけであろうか。

方法 2全体と要素、要素どうしは相互規定があり、同時に求まるという本質的事態。それを逐次化する方法−まず大雑把にそれから徐々に具体的に 20090120追加

網羅性と相互規定性:何が全体か何が重要かは分からない。その全体性と重要性を探しつつ、全体の要素を網羅しなければならないという要請と、要素間の相互規定性ゆえ同時決定すべきであるから、同時決定の方法を見つけるか逐次化して因果関係を利用するかして解決する要請にどう対処するかが解くべき課題である。網羅が先である。全体の網羅のためのキーは実現価値と粒度,密度である。20090214,15,17

下記は、網羅性と相互規定性への対応の方法を再帰的に自らに適用する最初の一歩であり網羅性と相互規定性への対応である。方法について(1)得ようとするものの粒度,密度を規定する、(2)得られた粒度,密度、(3)認識するまたは操作するべきオブジェクト、オブジェクト間関係を具体的に決定する方法、という時間的階層があるこれ自身、方法2の粒度、密度が疎なものである20090216

  つまり逐次化は方法の一部でありながら実は全体の上に立つ方法でもある。20090217

1)領域

認識:認識方法も叙述方法も同じ。逐次化する方法−まず大雑把にそれから徐々に具体的に、というのは認識について。20090214

目的と方法(手段):目的と方法(手段)と叙述方法。行為については、全体の網羅のためのキーは実現価値と粒度,密度である。相互規定性があるから実現価値のために変えられるものと変えるものの影響の大きいものから実現して行く。20090214

2同時に求まる全体と要素同時に求まる要素どうしとは何か?型の群との関係?同時性の根拠?20090127

まず二者の場合を考えよう。両者に相互規定性があるということは本質的に両者の同時決定をする必要があるということである。物事は基本的に全て相互規定性がある。したがって物事は全て本質的に同時決定を必要とする。しかし一方、相互規定性があるということは同時に片方が決まればもう片方も決まることを意味する。実際片方を決め片方を決めていくことは普通に我々が常に行っていることである。この二つの事情は我々は何ら根拠ある決定を行っていることにならないのかもしれないということである。片方がすでにあることはそれを既定(規定を訂正20100412)事実としていいことにはならない。何しろ我々は何かを変化させることが目的なのだから。片方がすでに現実として決まっている場合も片方を決める根拠が明確である場合も、一旦それを無視して相互規定性を検討してみなければならない。そうして総合的な同時決定に対処しなければならない。片方を決め得るのは両者の相互規定性が弱い場合だけである。この場合はそもそも相互規定性も同時決定性も意識されないことが多いであろう。しかもこれが殆どのケースであろう。これ以外の相互規定性がある場合に片方を決め得る場合と根拠は何だろうか。これは二者の場合に特殊な事情であるが、三者以上でも相互規定性が弱まっていくことには違いがない。20090205

要素どうし相互規定があることは、それゆえ、全体と要素にも相互作用があることになる。

21)同時に求まるものの形式

各階層のa. 粒度、密度の確定、b. オブジェクト、c. オブジェクト間関係とオブジェクトと属性間関係、d. 機能と実現価値、の各階層間も含めてその同時生成が、認識、行動のための思考の本質ということである。本稿自体、逐次的に方法の過程が進行するように書いているが実はそうではないやや細かく言うと、思考するとは、各階層の、1.全体、問題への視点、2.全体、問題をいくつかのオブジェクト世界の群に分ける、3.個々のオブジェクト世界の群の粒度と密度、4.複数オブジェクトとその粒度と密度、その属性の粒度と密度、5. 複数オブジェクトの属性間またはオブジェクトとその属性間論理、6. 機能と実現価値、の同時決定、これら各階層の同時決定20090207をすることである。この属性間論理には、要素の並列の網羅も含む。これで基本の全てを尽くしているか?後、リストアップしておくに値する具体的な粒度、密度は何か?前の二つとは別の。20090203 機能と実現価値の追加は、以前から気にかかっていた「思想と方法の統一」というテーマと、辺見庸氏の発言に触発され「唯物論宣言」とその注への追加を行ったことによる追加である。20090205,08

もうひとつ注意点がある。それは、上と別の階層、粒度、密度で、b+. オブジェクトそのものとc+. 論理そのものには一体性があるということであるこの一体性は、論理の型、具体的に成立した結果とオブジェクト、の時間軸上の双方にある「思考と存在とは,,,相互に一体性においてある」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.150というマルクスは、このことを語っているように、この引用文そのものからは読めるが、実際にマルクスがこの発言の前で述べているのはやや別のことである。20090101 一体性ゆえ同時決定か?20090111

客観的な「関係」は、思考の場では「論理」として使われる?オブジェクト−論理、思考−存在、関係-論理、の対応、一体性?20090203 

以上はむしろ網羅の方法で型の理論の一部?20090214これらは、変化が重要ということに関係がありそうだがよく分からない20090107

22)同時に求まる内容

221) 同時に求まる全体と要素

222) 同時に求まる要素どうし、これと型の関係?

「何を」と「変化の方法」自体が階層を成す。20090208

認識内容と変更内容:「何を」と「変化の方法」そのものの別表現?

変更内容:目的と手段:「変化の方法」の中が「何を」と「変化の方法」

内容(認識内容と変更内容に共通):機能(及びマイナスの機能である負荷)と構造:「何を」と「変化の方法」

内容(認識内容と変更内容に共通):対象(オブジェクト)と機能:「何を」

である。例をもっと挙げる必要がある。

対象(オブジェクト)と機能の例:創世記9章、レビ記17章から血に関する対象(オブジェクト)と機能は相互規定しあい、それゆえ一般に同時決定され、扱いの対象は対外的機能に応じ変わる例。詳細は「創世記9章、レビ記17章の命と血」に述べた(高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)。

3)同時性を逐次化する方法

方法について(1)得ようとするものの粒度、密度を規定する、(2)得られた粒度、密度、(3)認識するまたは操作するべきオブジェクト、オブジェクト間関係を具体的に決定する方法、という時間的階層があるこれ自身、方法2の粒度、密度が疎なものである20090216

実現のためにはその過程を逐次化する必要がある。次は、本質的に(何について?この「群」の定式化要)必要な同時決定の過程を擬似的に逐次化する方法(の一つ?)であろうか。20081230 何かを分かるための方法は、検討を、1. 問題をいくつかの群に分ける、2. 個々の群の中を、他の群の知見とそれからの影響を考慮して検討する、検討結果が他の群の内容に与える影響を検討する、3. 別の群に変えて2.に戻る、4. 一とおり終われば、個々の群の中を同じようにより細かくしていく、という順で次第に具体化していくことではないか。20081227,20090202 この方法の適用範囲、具体化が必要である。20090131

31)同時に求まる全体と要素の場合

32)同時に求まる要素どうしの場合

同時決定の例として、方式設計の例を以下に挙げる。機能(マイナスの機能である負荷)と構造の総合決定、同時決定の例である。

高原利生、「方式設計過程のモデル化」http://ci.nii.ac.jp/els/110002888995.pdf?id=ART0003212718&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no= &ppv_type=0&lang_sw=&no=1291487309&cp=

高原、「情報システム方式設計業務における総合決定」(平成6年情報処理全国大会,7S-06,1994.3

3.方式設計問題

 3.1 決定問題

 物理的実現に先立って仮想像を決定する決定問題には、逐次的に解が求まっていく逐次決定問題と、仮想像の解の候補の列挙が可能でこの評価が出来て解が求まる簡単な評価決定問題、解の候補の列挙方法とその評価方法のいずれかが定式化出来ない困難な評価決定問題、このいずれでもない総合決定問題とがある[4]

 3.2 方式設計問題                        

 方式設計担当者の行う各作業のなかで設計・調査フェイズにおける設計判断業務はその中核を成す。これはシステムの機能構造(構成)、負荷(コスト、消費電力等)についての仮想像を決定することである[4]

この過程は、より一般的なレベルから具体的なレベルへ移行していく階層的な段階を経る[5][6]。このそれぞれの段階の決定問題を、方式設計問題ということにする。この問題は次のように理解される(図2)。

 OJT(FUC,LOD)=f(F,S,L) ( 1 )

 S=g1(F) (2.1)

 L=g2(F,S) (2.2)

 F=g3(S)  (2.3)

 ここに、OJT( ): 実現によって果たされると予想される目的

     FUC( ): 実現によって果たされると予想される機能

     LOD( ): 実現に必要と予想される負荷

     f( )  : F,S,L からOJT( )への変換

     g1( ) : F からS への規定

     g2( ) : F,S からL への規定

     g3( ) : S からF への規定

     F   : 機能  S   : 構造  L  :負荷

                                                

 

             FUC     LOD    運用     外界      :因果関係        

                                   :静的相互規定     方式設計                F     L                   :時間的前後関係             

                  S          試験   論理的内容                   

                            

                   製作              物理的実現                                      

                                                 

          図2 方式設計、製作、試験、運用

 

 

 

F、S、L(いづれも多次元の変数を含む)が決定されれば、その結果として(1)式のように外界に与える機能、負荷が定まるが、方式設計の場合、予想される目的としての機能、負荷が左辺に与えられ、これを満足するF,S,Lを逆問題を解いて求める必要がある。(2.1)式は、機能が定まれば、これを満足する構造の候補が求まるという制約を示す。(2.2)式は、機能と構造が定まれば、これにより負荷が決定されるという制約を表す。(2.3)式は、構造が機能の量的側面である性能を規定するという制約を示す。

 3.3 方式設計における総合決定

 方式設計は、(2.1)(2.2)(2.3) 式の制約のもとに、(1)式の逆問題を解く故に解の項間に相互規定性が生じ、従って逐次決定は不可能である。解の候補の論理的枚挙は不可能か爆発を起こすかであり、またfの形は人間の経験に因って定まるのが一般である。従って簡単な評価決定も不可能である。それ故、方式設計問題は困難な評価決定問題か総合決定問題である。

(形式11) オブジェクト)「事実の認識」と統合

(形式12) 領域の型)「事実の認識」へ移行

(形式13) 価値の型)

(形式131) 価値の型)「価値」へ移行

(形式132) 主体の認識と意識と行動の関係「対象化と一体化」と統合

(形式14) オブジェクトの特定の仕方)「型」に移行

(形式15) オブジェクト間関係、論理の特定の仕方「型」に移行

形式の具体的な検討が内容だろうか。以下は現実分析でない。切り口の一つである。20090308意識と行動の規定関係についてである。20090319

(根源を問うことの内容検討のための準備12:オブジェクトの属性)

(根源を問うことの内容検討のための準備13:一般化)「対象化と一体化」と統合

(根源を問うことの内容検討のための準備2:安易な解と課題)「対象化と一体化」と統合

(根源を問うことの内容検討1:現在の危機;オブジェクト認識像、実現像の決定)

(根源を問うことの内容検討2:実現価値と実現主体)

(根源を問うことの内容検討3:オブジェクト変更)

 

対象化という生き方:「唯物論,事実主義宣言」ノート

20091014,26,27,29,1204,08,09,10,11,12,13,16,31, 20100101,02,03,04,05,06,07,09,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,21,22,23,24,25,26,27,28,31, 0201,02,04,05,07,08,09,12,14,15,17,19,21,22,23,24,25,26,28,0301,02,03,04,05,06,07,08,09,10,11,12,13,14,15,16,20 0402,03,16,17, 201005,201012, 201101

((初めに))

「哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきたにすぎない。たいせつなのはそれを変更することである」(マルクス、フォイエルバッハについてのテーゼ、「ドイツイデオロギー」所収、古在訳、岩波文庫) 変更の差分にだけ意味がある。現状には意味がない。

人間の「本性」が善か悪かという問題提起は有益ではない。重要なのは、本性がどうであれ、様々な人間の行為の累積が良い方向に向かってきたか悪い方向に向かってきたか、である。驚くべきことに、奇跡的に、人間は、良い方向に向かってきたし今もそうであるということである。これは偶然であり、奇跡であるかもしれない。人間の「本性」が善か悪かは問題ではない。善に向かって努力する種が、その努力ゆえに生き残ったと考えるべきである。そうであれば、この奇跡を継続するには不断の努力が必要なのである。いつの世も、悪人はいない。善人もいない。あるいは全て悪人である。全て善人である。言い換えると、誰もが善人で、同時に悪人である。いつの世も、全く正しい制度はない。あるいは全く正しくない制度はない。言い換えると、どの制度も正しく、同時に正しくない。事実についての今までのどの観念も正しく、同時に正しくない。これと並行に現代特有の問題がある。

たまたま、NHKのETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局の中で」(20090201 午後10001129)を観た。

「しのびよるいまだかつてない破局の時代を私たちはどう生きるべきなのか。人間とはなにか。人間はどうあるべきか。」「すべての関係性が貨幣的価値に置きかえられる現在にあっては、人間が本来もつべき実存的、社会的諸権利が資本に奪われ、その「生」がしだいにむき出しになりつつある」辺見庸はいう20090201 午後10001129NHKのETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局の中で」)。彼は「価値システム総体の破綻」を語る。人類の歴史は数百年単位で見れば、人類の発展段階に対応した危機に直面し、危機を認識し解決してきた歴史である。いいチャンスである。危機を契機に何を問わねばならないかをもう一度問わねばならない。

辺見庸氏は、秋葉原の通り魔事件の犯人について「彼、K君は私」だという。また「アメリカの価値観、金儲けがいいこととずっと教えてきたマスコミ」,「この正月の派遣切の人の派遣村のニュースを伝えている時間、別の番組は『大食いコンテスト』をやっていた。それ自体を道徳的に非難するのではないが」,「危機は単層ではない」,「しかしチャンス」,「資本が悪」,「たたかうということは好きでない、が、たたかわざるを得ない」と語る。同感でありそうとらえてきたと思う。「資本が悪」とは「私有財産が悪」ということである。経済学の文脈で語られる場合この私有財産は資本であり生産財である。「経済学・哲学手稿」で、資本生成の論理として述べられる生産財が、しかしそれが人に与える悪影響が語られる場面では私有財産一般として理解すると極めてよく理解できる書き方がされている。検討が必要である。また「彼は私」だということについても、秋葉原の通り魔事件の前のスポーツジムでの乱射事件のニュースで殺す側も殺される側も自分だと感じそれを語ったことがあった。(高原、「ヨハネの第一の手紙について」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/20090204,05,11,12,13,0425

現実は不況と秋葉原事件のような特異な犯罪であり差異が噴出している。不況は客観的なものである。働く「正常な」心の中の問題は前からあるが秋葉原事件のような特異な形になっている心がある。

人類は常に危機だったといっていいと思う。人類の歴史は数百年単位で見れば、人類の発展段階に対応した危機に直面し、危機を認識し解決してきた歴史である。人間の歴史は、問題が難しくなる闇と、それを解く能力がついていき解決する光との競争である。したがって人が直面する問題はいつも困難な課題であり、同時に次第により大きな問題が解けるようになってきた。光と闇がともに次第に大きくなるので現実を正確に分析することもより高度さが必要になってきている。そして分析能力も次第に身についてきている。

数百年単位で見ればそうであっても、危機と解決は単調には進まない。危機のたびに人間とは何かが問われ、価値観が問われてきた。それらは何度も問われ何度も答えられてきたというだろう。問われ方と答え方は少しずつ違ってきた。今も現在の人類に発展段階に対応した問題に直面している。今、危機が大きいとすれば解かれるものも大きいのである。高度化しているが間接化、媒介化していることに対処することが一般的に問題である。高度化と間接化、媒介化の関係は一つの課題である。この一般的対処法が課題である。どういう問題かをもう一度問い、共同主観をつくり共同で行動し問題を解決しなければならない。20090317,20,25

TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム、2009の要点)

どうするかが解くべき問題であり、「唯物論,事実主義宣言」は、常に制度と人間の心を同時に変革する努力をし続けるという事実主義という唯物論の答えである。

人が生きることは、価値実現のための事実の利用、運用、変更である。事実の変更とはオブジェクトの変更と行動である。オブジェクトの意図的な変更が差異解消である。

事実を認識する方法

事実を変更する方法

価値

事実認識、変更への態度

思想

方法

生き方=思想と方法

もう一つの言い方がある。思想、哲学は科学的方法では決められないこと、回りの全ての、決められないが決めないといけないことを決断することである。

思想は哲学とほぼ同じもので事実と価値観に基づいた人の在り方、生き方の中核であり、事実と価値観に基づいた今の認識と行動への姿勢である。科学は事実の体系的認識である。したがって思想、哲学は、事実や科学に依存しているがそれとは別のものである。価値は事実から作られ行動の目的を規定する。今、価値とこれに基づいて何のために何をするのかを決めるのが思想ないし哲学、どうするのかを決めるのが方法である。後で述べるように、方法の基本は、オブジェクトの粒度,密度と弁証法である。方法への態度も思想である。認識と行動への姿勢の内容は、人間,世界への認識態度、様々な価値のための行動(今と将来の行動の区分とそれぞれの行動、自分と他のための行動)への態度である。20090519,20,21,29,0602,28,1029,20100413

1. 生きることと生き方は内容と形式である。生き方は生きることの思想、方法であり、思想は、生きることと方法を上から規定するもので、生きる方法は生きることの中の具体的方法である。生きることはそもそも動詞概念だし、生き方は思想と方法、という思想と方法も動詞、名詞の両方を持った概念である。2. 目的と手段、生産力と生産関係、のそれぞれの後者も、方法という動詞概念をもったものである。20090924,1127

価値

目的

現実

差異解消

対象は、対象化できることが前提である。対象化できるものを全て対象にするべきである。こうして対象化全領域をカバーできるが、対象化できない一体化、感情の面は直接扱えない。感情面に強く規定される価値も直接扱えない。20100524,20110110

しかし、生きることは、その対象化の困難な価値を前提に、表面的には、価値−価値を具体化した目的−目的を実現する手段と方法−手段と方法を具体化する行動、という連鎖である。単純化すると、価値実現のための事実の利用、運用、変更である。価値は、人類の全歴史を総括して得られるので他項と相互作用があり、価値−目的−手段と方法−行動、もお互いに相互作用がある。したがってこの連鎖生成は容易でなく生きることは容易でない。

したがって生き方が求められる。生き方とは、そのための思想と方法である。思想は、生きることを規定するもので、方法は生きることの具体化手段である。認識と変更行動への姿勢の内容は、人間,世界への認識態度、様々な価値のための行動(今と将来の行動の区分とそれぞれの行動、自分と他のための行動)への態度である。20090519,20,21,29,20100412,0524,20110110

TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム、2009意図的な認識と意図的な変更の全体の枠組みの一部を示した。以下に、その要約とその展開を述べる。これは、20101月時点で重要と考えているテーマのいくつかの内の一つである。なお、文中、物理的矛盾、技術的矛盾という言葉が出てくる。TRIZ独特の用語であるが、文中では同じ語の内容を違った視点でとらえている。

1.(生きる)

生きることは事実を利用、運用、変更することである。利用、運用、変更は、価値を具体化した目的と事実の差異によって行われる。事実、価値、粒度が生きることにとって、最も基本的な三つの概念である。20091029,20100110

2.(理想的生き方の必要条件)

理想的な事実の利用、運用、変更の仕方のためには、

a. 認識像と変更像の候補の網羅(後に述べるように二段階の網羅がある)

b. 認識像と変更像のオブジェクト選択、粒度決定の正しさ

c. 認識と変更の方法の正しさ

が必要である。

以下は「TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム、2009)の発表スライドの一部とそのナレーションである。下記で全文を見ることができる。

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2010Papers/Takahara-TRIZSymp2009/Takahara-TRIZSymp2009-100918.htm[1] 論文概要 (著者和文 (概要と拡張説明、1ページ)    英文(概要のみ)

[2] 発表スライド (27和文PDF            英文PDF

     発表論文 (8ページ) 和文 PDF

[3] 中川による紹介 (Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2009」からの抜粋) (2010. 2. 4) 英文

[4] 発表全文 (スライド + トーク + 補足説明)  (著者作成 2010. 8.22)  和文     英文

3. 理想的生き方

3.1 網羅性,オブジェクトの粒度,弁証法

正しく事実を利用、運用、変更するために必要なことは、

a. 扱う対象の構造的網羅性

(事前)オブジェクトの種類、オブジェクト変化の、他、

(その都度)解候補の要素

b. オブジェクトの粒度の選択

認識:1.機能、2.オブジェクトの粒度、3.サブオブジェクト間空間的関係の決定

差異解消:1.目的、 2.オブジェクトの粒度、3.オブジェクトの属性またはサブオブジェクト変更の論理の決定、実行

c. 法としての弁証法:

変化は次の集合体

目的を意識した変更(つまり差異解消)

目的を意識しない変更

自律的変化:矛盾の運動

因果関係によってオブジェクトを変化させる。その際,矛盾の運動の結果と知見を利用。

.矛盾を扱う方法:矛盾の総括、物理的矛盾,技術的矛盾の処理

.矛盾の結果のトレンド利用:「歴史的なものと論理的なものの一致

 

 

ナレーション)TRIZというのは、オブジェクトの変更(「変化」を修正)の型から見るとその全体像はこうなんだということです。要するにTRIZというのは、オブジェクト数の変更、属性数の変更、一属性の変化、技術的矛盾と物理的矛盾の処理という、4種類だか5種類だかの処理が全てだと理解したということが、去年2008年に分かったことです。

オブジェクト変更の図は、現実の矛盾を総括し、意図的な変更を行うという条件でのありうる変更の型を(二オブジェクト二属性以下という条件でオブジェクト発展の状態遷移をオブジェクトの生成を含めて20091019 網羅した図です。

TRIZがすごいと思うのは、

一つの属性の二つの値の処理を、物理的矛盾を解くということで処理をして、

二属性の処理つまり二つのオブジェクトのそれぞれの属性または一つのオブジェクトの二つの属性の同時満足(この二つの違いは扱う粒度の差です)を、技術的矛盾を解くということで処理をするということを見つけたということです。

(「ある面を改良しようとすると、別の面が悪化する」という「技術的矛盾」を、一オブジェクト二属性の二値または二オブジェクト二属性の二値の同時満足すべき状態と形式化し、

一つの面に対して正逆の互いに反する要求が同時にある」という「物理的矛盾」を、一オブジェクト一属性の二値の同時満足と形式化するよう解釈しなおし形式化して結果的に拡張しています)

 

5.おわりに

人、制度、技術の全領域の全行為に適用可能な統合的思想と方法は必要。TRIZにはその可能性がある。不十分な点は方法が統一されてないこと、構造的網羅がないこと、粒度設定方法論がないこと。

事実主義による理想的な生き方:

    事実だけに謙虚であり、

対象的には、何ものも信ずることなく既存の観念と自己を批判し続け、

常に他人と世界の向上、一体化に全力で誠実に努力し続けること

 

ナレーション)人、技術、(技術以外といわれている)制度の全領域の全行為に適用可能な統合的思想と方法は必要で、TRIZにはその可能性があります。特に弁証法があります。

それに、 Ideal Final Way of Lifeを考えてみました、ということです。「生きる」という内容、機能があり(2)、次いで、その実現の方法、構造がある(3)がこの正しさは(2)が正しいことの必要条件であり、価値を含めた既存観念の相対化、批判を行い続けることが、もとの内容(2)の正しさを保証するのではないか(4)TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム)引用終わり)

展開の第一段階)

行うべきことは、以上の1.内容の反省,批判と深化、2.内容の具体化、3.新しい展開、である。201000217以下は、第一段階であり、結果として2.具体化のための1.内容の枠組みの深化になっている。大きな形式的枠組みは5TRIZシンポジウムのとおりである20101204

1) 内容1:事実の認識:

a. 型の網羅。

b. オブジェクトの粒度の選択

認識の場合、一体化、対象化の区別が生じる。価値と対象化の関係は明白、20091211

対象化の場合、変更のための価値、価値に基づく目的が生まれる。

一体化の場合?一体化と価値は?

2) 内容2:事実の変更:

a. 型の網羅。

b. オブジェクトの粒度の選択

価値(に基づく目的)と事実が変更(「差異解消」)の原因である。

c. 方法としての弁証法

3) 事実を規定するもの:自らの観念と既存の観念の相対化、批判がこれらを規定する。

今まで全ての思想はその扱う粒度を批判しなかった。ただ、こういう視点からはこう見えると述べるだけだった。それだけでなく、宗教を含んだ今まで全ての思想は、マルクスを除いて事実認識も価値も、対象化、相対化しなかった。

20091029,1204,08,09,10,11,20100302

A. 粒度、網羅と特定

a. 認識と変更の対象の候補、認識と変更の方法の候補のオブジェクトの網羅

b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定

c. 認識と変更の方法の選択、粒度決定

これと、以前に「型」で検討した価値と問題と現在の総体の全空間の要素11)12)13)14)15)との関係を述べておく。a. オブジェクトの網羅は下記の11)12)13)に相当し、b. 対象であるオブジェクトの選択、粒度決定は下記の14)に相当し、c. 方法であるオブジェクトの選択、粒度決定は下記の15)に相当する。

11) オブジェクト(オブジェクト世界の型):世界を構成するオブジェクトの種類の網羅。この網羅の仕方は様々あり、物、「観念」,運動も、14)15)もそれぞれ網羅の一種である。12)13)も網羅の中の一つに位置づけなければならないがまだできていない。20100208

12) 領域の型:オブジェクトの集合体がオブジェクト世界である。オブジェクト世界の種類が領域である。これは11) オブジェクトが分節したものである20090930

13) 価値の型、目的の型。これも11)オブジェクトの一部、「観念」オブジェクトから派生した特殊なオブジェクトである。20100208

あるもの、オブジェクトが何であるかを述べるのは14)15)である。

これは、オブジェクトの粒度,密度の特定とその具体的な内容に分かれる。20090703

あるもの、オブジェクトとは、ある粒度で客観的なあるものの全体像の一部を切り取って作られ規定されたものである。この全体像を最も形式的に述べると次のようになる。20100103,0207

0) 粒度,密度の特定とその具体的な内容

1) 外との客観的相互作用

11) 外からの作用

12) 自己を変える外への作用

2) 認識の視点

21) 視点を規定するもの:特に価値(これを具体化した目的、元は事実という内容から)

229 内容と形式を規定する視点

3) それにより規定されるもの

31)形式

311) 粒度

312) 内部構造

32)内容

これは、下記を含む。何かとは

1.そのもの、そのものを作ること、利用,運用の総体?

2.a. そのものを規定するもの、b. そのものが規定するもの、c. そのもの?これはそのものの関与する全て。

2の方が形式的で規定は広い、1は実運用の粒度、1のサブセットで、そのもの、そのものを作ること、利用,運用の粒度は異なる。

cf. 運動は生成,削除,変化、運用,利用の総体である。生成,消滅,変化と運用,利用の粒度は異なる。

14)は関係の要素または変更を受けるもの、15)は関係または変更で、いずれもオブジェクトである。20090524,30,20100209

14) オブジェクトの特定:

15) オブジェクト間関係、変化の論理の特定:

これはもともとあるものを変更しようとする全体の枠組みであった。これをやや追加,修正する。0100416

表現は、認識と変更の中間にある行為であり、表現は、認識、変更と並ぶ人の基本行為である。20100209,11,17表現は、認識の結果、変更の事前の予定像を可視化する。これらの行為の前にあるものとして態度がある。20110105 あるものを網羅すること、あるものが何であるかを述べることが、あるものに対する二つの表現態度である20100205,15 あるもの、オブジェクトを網羅するのは11)であり、12)13)はこのサブセットである。20100208 11)(と12)13))はあるものを網羅し、14)15)あるものが何であるかを述べる。この二つが、あるものの内容を述べることと並ぶ、あるものについての対象的表現の最も基本的な三つの態度である。あるものが何であるかを述べるのはあるものの粒度を特定することである。あるものとはオブジェクトで、物、「観念」,運動からなる。価値は「観念」に属する。あるものが何であるかということの中に、あるものの本質を述べること、あるものの属性を述べることが含まれる。「観念」は物、運動、他の「観念」を像として含むので、オブジェクトは入れ子構造になっている。粒度とオブジェクトは相互規定の関係にある

20091109,26,27,1220, 20100205,07,08,14,19,0804

a. 認識と変更の対象の候補、認識と変更の方法の候補のオブジェクトの網羅(11)12)13))b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定(14))c. 認識と変更の方法であるオブジェクトの選択、粒度決定、は、とりあえずこの順番: 11)12)13)オブジェクト網羅→14)オブジェクト特定→15)方法特定、だが、この三つに相互作用がある、この相互作用は粒度に依存する。中核となるのは粒度である。この粒度は、bの粒度が具体的状況での粒度であるのに対して、より広い意味である。20100105,0205,08価値(に基づく目的)と事実が変更の内容であり、粒度(と型)が認識と変更の形式である。200911121 粒度は規定されるものであると同時に、規定するものである。価値も粒度により、規定する側とされる側の双方にある。20091026,27,1204,20100103 規定するものと形式の関係はまだよく分からない。20091029,1210,20100112

B. 相互作用

オブジェクト間の相互作用は当然重要である。これへの視点は別途論じなければならない。20100301

a.b.c間の相互作用は粒度に依存する。この相互作用は純粋に観念上の相互作用であり、事実間の相互作用(ととらえられるもの)が客観的相互作用と思考上の観念的相互作用の共同結果であることと異なる。(なお、一般に、1.客観的事実というものはある(らしい)2.認識又は表現された事実は、客観的事実と思考上の観念的「事実」の共同結果である。)相互作用を無視していい場合はどういう場合だろうか?20100204,21 下記の記述は、この相互作用が必ずしも対称でないことを示す。20100214

1.網羅と粒度

11,一般的に網羅の仕方は粒度に規定される。

12.何の特定が何に必要か?個々の特定と種類の特定に粒度の違いがある20100201

2.方法と粒度

21.一般的に方法は粒度に規定される。

22.何の特定が何に必要か?個々の方法の特定と方法の種類の特定に粒度の違いがある20100201

3.網羅と方法

網羅と方法の相互作用は、上の二つと異なる。検討課題である。20100204

C. 歴史的変化

オブジェクトを基礎とした内と外、粒度、内部構造:b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定

網羅(型)、極限:a. 認識と変更の候補の網羅

認識と変更、弁証法(変化と相互作用、各対概念):c. 認識と変更の方法

の三種の基本概念について、共通に言えることは、静的に粒度が全体を規定する基本であると同様に、全体に関わる基本は、すべてのオブジェクトが相互作用と歴史的変化の中にあることの認識と対応である。歴史的変化性を考慮した型が必要である。これも粒度に依存する。

歴史性を考慮した型は、本質的に動的で変化が問題となる。歴史について、0.まず、事実は過程である(Hegel 小論理学215節「理念は本質的に過程である」)ことを前提にし、1.その積み重ねの事実が歴史であること、2.歴史と論理が基本として一致すること、3.歴史の各時点に依存した論理があること(例:TRIZの技術のトレンド)が重要である。20100130,31,0205,0301,02

歴史的変化を扱うのは弁証法論理であるが、従来の弁証法論理についての記述は、ヘーゲルをベースにしたものかエンゲルスをベースにしたものである。どちらも少なくとも一般的理解は間違いだらけといっていい(本ノート、弁証法ノート、高原ホームページ)。20100305,15

歴史性を考慮した型については、弁証法における歴史的なものと論理的なものの同一がおそらく活用のキーとなる。

(第5TRIZシンポジウム、スライドp.23

n  「人間生活の諸形態の考察,したがってまたその科学的分析は,一般に,現実の発展とは反対の道をたどる。」(『資本論第一巻第一章第四節、 国民文庫第一分冊、p.136

n   「自己疎外の止揚は,自己疎外と同じ道をたどる」(「経済学・哲学手稿」3,国民文庫、藤野渉訳,p.141

n  マルクスは、ヘーゲルに学んで、歴史的なものと論理的なものが一致することを見抜き、『資本論』を著した。商品から貨幣、貨幣から資本の生成史は、資本とは何であるかという概念史であり、それは資本とは何かという説明のなかに組み込まれている論理そのものである。
あるものが何であるのか、という規定をしようとすれば、あるものの歴史を、生成史をみればよい。http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hourou-musuko2.html

n  「論理学では、思想史は大体において思考諸法則と合致しなければならない」(レーニン、哲学ノート「ヘーゲルの弁証法(論理学)のプラン」国民文庫1p.287

また、a. 認識と変更の対象の候補、認識と変更の方法の候補のオブジェクトの網羅、b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定、c. 認識と変更の方法であるオブジェクトの選択、粒度決定、毎に歴史性の度合いが異なる。20100124,26,0414

また、下記の制度の構成要素の例に見るように、歴史性が大きいものは構造も複雑になる。20100126

1) 組織(共同観念の内部構造):会社、階層が大。歴史性が大

2) 属性(共同観念の機能):経済,政治の活動。階層性が中、歴史性が中。なぜか?

3) 共同主観:経済,政治の指針、法。階層性が小さい、歴史性が小さい。なぜか?20100124,0305

D. 階層性

A.B.C三つのそれぞれに、階層がある。この階層性は粒度に依存する。

D1. 網羅の階層構造:

階層構造11.型の網羅:オブジェクト,変更の方法、2.具体的な状況下でのオブジェクトの網羅、3.オブジェクト指定 20100103

階層構造2:空間,時間範囲指定

このサブセット:時間粒度の階層

1. 最も形式的な型は、時間粒度大の型にほぼ等しい(これは歴史性と論理性の一致の例である):例:TRIZの技術のトレンド

2. 中間(例:第5TRIZシンポジウム、Altholz論文)、

3. 具体的状況

階層構造31. :抽象度の指定,具体的規定1:全体と一部についての相互作用、相互依存の形式=対概念(具体と抽象、現実性と可能性?一般と特殊、偶然と必然)の片方(の程度)。例:一般,特殊の粒度:例、存在とある存在。09/12/25

変化の(空間性,時間性でない)抽象性の構造:対立物)「粒度、機能,属性、弁証法論理」参照。

階層構造32.:抽象度の指定,他の具体的規定2:相互作用、相互依存でない形式。例:オブジェクトの三つの形式;客観的、認識論的、意味論的。2009 09/12/28,9,31

20090829,31,0902,03,20100105,06,07,08,04014

D2. オブジェクトの選択の階層、粒度決定

オブジェクトの選択は、オブジェクトの粒度の選択に等しい。

オブジェクトの粒度の選択の階層粒度の階層:1.そのものに関与するものの粒度(範囲)、2.粒度を決める要素(空間、時間、抽象度)の種類、

D3. 認識と変更の方法、科学と弁証法の階層:科学と弁証法の区別、弁証法(ノートの)対立物の階層)、

認識と変更の方法は、科学と弁証法(オブジェクト間の関連と変化の型)による。

また認識と変更では異なる。さらにこれらを規定するものがある。

(事実→(認識)→選択されたオブジェクト、オブジェクト間の関係、差異→(弁証法による変換:オブジェクトの差異解消)→オブジェクト→(運動による事実の差異解消)→事実) これは、本来は同時決定過程である。

E. この条件で逐次化と具体化を行わねばならない。

1. 以上を自動的に考慮に入れる方法を作るにはどうすればよいか?

2. しかし、自動的に考慮に入れるような仕組みを作ってしまうと認識と変更は「機械的に」行われ「精神」が失われる。この矛盾をどう解決するか?

3. 粒度はあるものの空間的,時間的、抽象的な外からの特定に関するので、時間性を含むとはいえ時間を固定化してとらえるという意味で静的である。粒度については、疎の粒度での確定から密の粒度での確定へ、という形での利用と想像されるが、肝心の「確定」の仕方が分らない。20100304ここに移す)

これまでだけで言えることがある。それは何か?全体に「疎の階層での確定から密の階層での確定へ」を方法に利用すること。確定の方法は検討を要する。案の提示と評価か?疎から密へは、具体化の手段の一属性、制約条件であり決定の方法ではない。20100101,02,03,06,0416この逐次化の現段階が第4TRIZシンポジウムに示したとおりである。(高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   」、第4回TRIZシンポジウム」、2008)本稿に「TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム、2009)で意図的な認識と意図的な変更の全体の枠組みの一部として要約を示した。

以上は、

a. 認識と変更の扱う対象の候補のオブジェクトの網羅

b. 認識と変更の対象オブジェクトの選択、粒度決定

c. 認識と変更の方法の選択、粒度決定

を具体化する準備にはなっているが、まだ準備に過ぎない。「疎の階層での確定から密の階層での確定へ」という視点はここには入っていない。全体にまだほとんどできていない。20100201,08,19つまり、第5TRIZシンポジウムスライド3.2項のフローを、上に述べた知見を利用し具体的な方法を展開しなければならないがまだできていない。20100215,16

展開の第二段階)

次は、5TRIZシンポジウムと検討の第一段階を受けて、これからの第二段階以降の展開である。検討に粒度があり、この検討は、第一段階の検討内容を規定する内容である。20100111,12,13,14,15,16,17,18,19,21,22,24,25,26,28,31,0207

根源的網羅思考Radical Thinking for Enumerationディカル 網羅 極限化」思考を変更への準備2100301,07,15

5TRIZシンポジウムのスライドの最後の「おわりに」で、「「生きる」という内容、機能があり(2)、次いで、その形式、構造の理想がある(3)がこれは(2)が正しいことの必要条件であり、最後に、その形式の理想を最大限活かす極限として内容、機能を実行することが、もとの内容(2)の正しさを保証するのに十分だと述べています(4)」と述べた。「生きる」という前提を外し、2(3)だけ保持して(4)も外す。考えることの99%は粒度を決めることで、粒度が決まれば半ば自動的に(といっても場合によっては大変な努力の末に)、その粒度に対応した認識ができ解が決定される。その認識や解は、粒度が正しくなければ正しいものが得られないが、ある粒度が決まっても正しさは保証されない。つまりある粒度が決まっても、論理展開で如何様にも間違った内容の結論が出せる。正しい認識なり解のために、粒度の正しさは決定的に重要で必要条件だが、十分条件ではない粒度という形式が決まっても内容の完全な正しさは保証されない。残念ながら気づいたことである。(機能と構造というとき、機能は内容で、構造は形式である。そして構造は関係の総体で、外部との関係を規定する粒度と内部構造からなる。)

一方、世の中で行われている言明の正しいものはほとんどないといっていいだろう。何かが存在するという型の言明も、何かがある属性を持っているという型の言明も、文と文の関係の言明についていずれもそうである。ただ議論で声の大きなほうが勝つ、ただ多数派が勝つ、例示だけで論証にするということが、極端な例でなく普通に横行し通用している。何とかせねばならない。20100420

この二つが、本考察の出発点である。

以下は、思考展開の例にもなっている。(記述の順番は後から入れ替えている。)20100112,21 検討の形式と内容、(一部は第一段階の検討の内容にも、含まれておりこの第二段階検討の過程ではっきりしてきた)根源的網羅思考という視点について述べる。

20100111,12,13,14,16,18,19,0207,0416,0420,0526

問題がいくつかに展開する。

内容a1. あることが正しいことの必要条件、十分条件は何か?(a2の「正しい」内実と相互作用があるが201021420100115 これは内容の面から問題をとらえた場合である。5TRIZシンポジウムで最後に検討したのは正しさを形式の面から保証する条件だった。ここは直接正しさの条件を求めようとする。とりあえず答えようとしてみる。必要条件として、第一に、価値、粒度(この二つは、視点が生む少なくとも主たるものである)の正しさが要る。第二に、これ以外に正しさを保証するものは何かの検討が要る。

実際上、粒度が正しく、価値(とこれを具体化した目的)が正しい場合、正しい結論が出ているケースが多い。間違った結論は粒度、目的を間違った論理で展開した場合の行われるケースが多い。その間違った論理は、間違った粒度、目的ゆえである場合であるような気もする。最初に問題提起した前提を覆すことになるが、もう一度粒度、価値(とこれを具体化した目的)が正しい場合、結論、論理は正しいかどうか検討を要する。この点を保留のまま続ける。20100116,17,18,22,0221,0312

具体的な個々の十分条件の検討は、個々の粒度、属性の検討を具体的に行うことで可能であろう。そうでなく正しさに近づく方向を形式上作るという態度について述べた十分条件の検討例としては、第5TRIZシンポジウムの内容があった。20100102,03,06,09,12,14,15,17,18,23

内容a2 20100214正しさの極限、正しさとそうでないものの境目の検討がいる。人を殺すことはいかなる場合でも正しくないか、場合によっては正しい場合があるのか、暴力を振るうことはどうか、悪意を抱くことはどうか。あるものの成立条件と他のものの制約を維持しながらまたは変えながら、あるものがそのものでなくなる極限を求める内容の検討である。これは工学的発想である。(振り返って見ればこれが根源的網羅思考の出発点だった。)20100115,17,0214,15,0312,0420

崖の上の平原が正しさであれば崖の下を覗いてみて崖の下がどうなっているか知る必要がある。まして通常は、正しさの高原は、起伏があるがなだらかに高度を下げ知らないうちに平地になって行く。

12. オブジェクト間の関係判断、オブジェクト群(例えば文)間関係判断、13. オブジェクトの歴史の認識、オブジェクト間の関係の歴史の認識、オブジェクト群(例えば過去の思想)の歴史の認識、オブジェクト群(例えば過去の思想)間の関係の歴史の認識」の内容は、「22. 思考の型、形式」とダブる。整理が必要である。20100528

内容a1と内容a2が内容についての二つの問題である。次の二つはこれを形式的な面から述べたものである。内容a1と内容a2の相互作用があるように内容b1と内容b2も相互作用がある。20100214内容aが正しさの検討であったのに、次は正しさの内容から離れ形式的検討になっている

形式b1 内容a1を形式化する。命題の成立の条件は何かを問うこと。これも根源的網羅思考の一つである。20100208,14,0312(「正しい」という)内容が成立する条件を求めることは、外からの検討である。これもあるものの極限の条件検討の一種である。10/01/11,12,17,0312 粒度など形式固定の前提の下で、命題の当てはまる空間的時間的範囲の極限、抽象度の(例えば成立の一般性の)極限を求める。20100114,17,18,19,25,0311,12

形式b2 内容a2を形式化する。形式b1 と異なり、命題が「あるものがある属性を持っている」という命題の場合、内容の属性を保証する形式や条件の検討がいる内からの検討である。20100214,0311,12

形式b3. 形式b1形式b2と異なり、これは命題の一般性の極限を求めるということである。ある命題が成り立つということをどこまで一般化できるかということであり、ある命題が成り立つ範囲がどの程度の空間的,時間的範囲、抽象度の範囲のものであるかということである。20100114,17,18,19,25または、ある命題のある属性、一面を抽出しそれだけを極限まで一般化して考える。これも根源的網羅思考である。

例として、b1 b2 b3 の命題を、「極限」という面を離れて、内部、外部からの検討という面から一般化する。20100112,14 内部、外部からの検討という面は一面である。他にも展開可能な属性があるかもしれない。20100117

思考の型根源的網羅思考 Radical Thinking for Enumeration20100312,14,15

以上から一般化を行い、新しい思考方法を検討する。20100311,12

極限は、思考の極限化とその結果である。極限化は運動であるから機能を持つ。何のための極限化か、極限に行くことで得られる機能は何か、は具体的場面では確定しなければならない。20100115,0302網羅は思考の極限化の結果の一つである。典型も極限化の機能の結果の一つである。20100115,21,0214,28,0302 極限化の対象は、オブジェクト間の関係、歴史の認識、オブジェクトの変更を含むオブジェクト全般、弁証法を含む思考方法である。こうして、思考思考の極限化思考、となって円環ができるが、円環のスタートとゴールは別の点であり螺旋を形成する。また網羅であるためには網羅は構造的でなければならない。20100302,03,12,16,0402,0613

謙虚にかつ批判的に現実を構造的網羅的に変更可能なものとして認識し、可能な変更を極限化するのが、弁証法の活気の第二(第一は「今」の運動を運動としてとらえる態度である:FIT2010)、理想的な根源的極限的網羅思考である。

根源的極限的網羅思考は、思考のすべてを対象とする。

思考を規定するもの、思考の型、形式、思考が規定するもの(思考の機能)のうち前二者について述べる。

思考を規定するものは、状況、粒度と価値(および価値を具体化した目的)である。状況に応じて粒度と価値(および価値を具体化した目的)を構造的に網羅しなければならない。思考を規定するものについては、この変更で思考は全て変更されるので重要だがそれだけこの網羅は大きな思考作業を伴う。

価値については、「価値」:唯物論,事実主義宣言ノート参照。粒度とそれを規定するものについては、高原、「オブジェクト再考3−視点と粒度−」FIT2005

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPaers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm参照。20100214,0314,0528,0613,18

前に述べた対立物の階層のうち、認識に関する「3) 相互依存する二つの異なった認識」は、このうち視点に関するものとして重要である。

何かについての思考は、何かについてのA.認識,特定、表現、B.変更についての思考である。

A. 何かの網羅的認識,特定:網羅されたものの中から何かを特定し、がどういうものであるかを様々な粒度,密度で言うA1状況から独立したオブジェクトの事前の網羅的認識、事前の網羅的な命題や法則の認識の上で、A2状況に応じたオブジェクトの候補の特定を行う。

B. 何かの根源的極限的網羅的変更:何かを、ある属性(狭い意味の属性と内部構造)を維持しながら、他の属性(狭い意味の属性と内部構造)を様々な粒度,密度で極限的網羅的に変更して、そのもの全体の属性(狭い意味の属性と内部構造),機能を変化させるか、全体の存立条件を変化させる。B1状況から独立したオブジェクト間の関係の、事前の網羅的な命題や法則の変更、B2状況に応じたオブジェクト単独の変更、オブジェクト間の関係の変更である。

20100103,12,15, 0207,0420,0808,09,10

TRIZの理想の思想(第6TRIZシンポジウムTRIZの理想―TRIZという生き方?その2―」(TS6

生きることにもTRIZにも必要な大きな思想上の課題がある。それは、本来、弁証法の持っている活気を、生き方とTRIZに吹き込むことである。[FT10]

弁証法の活気とは第一に、弁証法は全てのオブジェクトが双方向に関連しあい運動し変化していると一瞬のうちにとらえる論理であり思想、視点、態度であると認識することである。下表に運動の構成要素たる対立物の網羅の概要を示す[FT10]。現実と認識の間に視点、態度があるが、下表では現実に含めて記している。一般にある矛盾は0) 11)、または0) 12)という密度の異なる対立物をともに持ち、2)12)のうちの特殊な対立物の型である。技術的矛盾TCは、通常の直接的対立物でない対立を含んでいる。下図に各矛盾の位置を示す。

n     視点と態度:このままでいいのかいけないのか(PC1)

n     今、機能と粒度、何が大事か何を変更すべきかPC2 TC2 を把握

図1 相互関係の中の各矛盾の位置

 

弁証法の活気の第二は、ある程度の時間をかけて認識、変更する対象空間内のオブジェクトとそれに関係するものの構造的網羅を行い、これらの根源的極限的な変更を可能にする理想的な根源的極限的網羅思考である。

思考を規定するもの、思考、思考が規定するものがある。思考を規定するものは、状況、視点、態度、粒度,密度と価値(と価値を具体化した目的)である。瞬時に有効な視点、態度は、また時間をかけて見直す対象でもある。

視点を提供するものとして既存のTRIZには、九画面法、小さな賢人たち(SLP)、究極の理想解(IFR)を始め随所にある理想性の思考がある。

根源的極限的網羅思考は、次のような要素からなる。

1. 思考を規定する視点、態度、粒度と価値(と価値を具体化した目的)、思考の型、思考が規定するものの網羅をする。思考を規定するものは、これが変更されると全ての思考が変更されるため重要だが、一方でこの網羅は極めて困難な心理的惰性の排除と膨大な思考作業を伴う。

2. 状況から比較的に独立した体系的知識について、事前に、オブジェクト、属性、これらの関係、命題、オブジェクトの変化やオブジェクト間関連についての法則、領域の型の網羅と位置づけを行い、命題、法則の生成、修正をしておく。これは既存の命題や法則の変更、成立条件(適用領域の粒度,密度)の変更を含み、適用領域の網羅を含む。(例えばTRIZは見直しが必要な対象として好適例である20100819)

オブジェクトの外からの定義の例として「他のオブジェクトと相互作用するもの」(「純粋理性批判」「経済学哲学草稿」)、内からの定義の例として「属性の総体」(「資本論」)がある。これは、原文の適用条件を極限まで拡大した例にもなっている。なお、マルクスにオブジェクトを内部構造から見るという視点がなかったと気づく。

A. 何かの網羅的認識,特定:何がどういうものであるかを様々な粒度,密度で言う。

Aの状況から独立したオブジェクトの事前の認識、事前の網羅的な命題や法則の認識の例を述べる。

何かの外からの検討か、内からの検討かは、検討についての視点をある面で網羅しており型を作る。これは、あるものの網羅、あるものが何かをいうこと双方に当てはまる。20100209 何かについての表現形式は、1.何かの内からの表現つまり属性と内部構造による表現か2.外からの表現による。このいずれでも同じものを正確に完全に表現することができる。しかし片方の言い方は他方を前提としておりその意味で相互作用がある。20100117,25 外からの表現には、あるものの他との差異をいう場合、あるものの他との関係をいう場合、全体の中のあるものを指定する場合がある。20100209

定義の例をあげる。定義の全体の位置づけは、オブジェクトの網羅、オブジェクトの特定に続く、第三の段階で、オブジェクトが何であるかを明らかにすることである。第三の段階での定義の意義は、二つあるであろう。一つは、議論のために、その議論の中で「何か」を固定して閉じておかないと論理が成立しない。二つは、そもそも議論は「何か」を変化させるためである。「何か」を変化させるためには、その変化を保証する開かれたものでなければならない。この二つは矛盾する。この矛盾は「一体」の型の矛盾である。前者は、一属性二値の同一非同一の矛盾、ある状態にあり同時にないという、普通には禅問答のように分からないものごとの意味が分からないという場合には必須である。

外からの定義は、他との差異を明らかにする。あるものの内からの定義は、変更できる内部構造を明らかにする。前者でも後者でもあるものを特定することはでき定義の役割は果たす。人は道具を使う人間であるとかいった類の定義は、人の定義としては最悪の例である。人間の多くの属性のうちの一つとして道具を使うことを挙げているとしても、道具を使う属性を持っていることと持たないことを対比しているのだとしても間違いである。もし、人間の定義を外部からの視点で述べるなら、人間だけが持っていて他は持っていない属性を特定しなければならない。人間の定義を内部からの視点で述べるつもりなら、人間の属性と内部構造を網羅するものでなければならない。20100117,25,0526,31,0608,28,20110102

以前に行った制度についての定義も同様であったことが分る。20100114,15

定義a 制度における共同観念は、共同観念の内、認識内容 (科学など) を除き 変化を起こす共同観念である20100303追加。)制度は、変化を起こす共同観念、それを作る、利用,運用することの総体である。オブジェクト世界はシステムオブジェクト=存在の運動(生成、変化、運用,利用)で成り立つ。オブジェクト世界において、システムオブジェクトがものであるのが技術、共同観念であるのが制度である。20091119,1217,20

定義b 制度は、オブジェクトが、組織(共同観念の内部構造)、属性(共同観念の機能)、共同主観、を持つものである。この定義は全体を網羅した空間的内部構造を述べる定義である。20091220

定義のこの二面は相互作用がある。一般にオブジェクトは歴史性が薄いもの濃いものがあるが、制度は、歴史性が濃い。歴史性が濃いものの場合は、定義の二面が持つ相互作用も変化するので注意する必要がある。歴史と論理が一致するという点の留意も必要である。20100124,0402,17

B. 何かの根源的極限的網羅的変更:何かを、ある属性(狭い意味の属性と内部構造)を維持しながら、他の属性(狭い意味の属性と内部構造)を様々な粒度,密度で極限的網羅的に変更して、そのもの全体の属性(狭い意味の属性と内部構造),機能を質的にまたは質的にでなく変化させるか、全体の存立条件を変化させる

Bの、状況から独立したオブジェクト間の関係の、事前の網羅的な命題や法則の変更の例を述べる。

20100809,18

下記は、命題の適用範囲を極限まで変更し、「定義」にまで拡張した例である。20100809

オブジェクトの二種類の「定義」として、一つは、カントからヘーゲルを経た、経済学・哲学手稿のマルクスによる、他の存在と相互作用するものが存在であるという、相互関係から存在の、再帰的、本質的な定義に至る把握を一般化し、存在に精神、運動を含めてオブジェクトに拡張する20100124,0301,0810

もう一つは、資本論の冒頭述べられている、それ自体の属性の集合体が商品だという把握を一般化し、商品をものに拡張し、ものに精神、運動を含めてオブジェクトに、拡張する20100124,0301,0810 個別的な定義としてはこれも本質的な把握である。

このいずれでも同じものを正確に完全に表現することができる。しかし片方の言い方は他方を前提としておりその意味で相互作用がある。属性の集合体がオブジェクトであるという定義は、他の存在と相互作用するものがオブジェクトであるという定義によっている。オブジェクトの属性は対外的には機能となり他と相互作用するからである。他の存在と相互作用するものがオブジェクトであるという定義も、おそらく、属性の集合体がオブジェクトであるという定義を歴史的に総括して得られた。

定義は、定義されるものの変化、変更のためのもので、定義そのものも変化する。20100124,0402,17

ここで、マルクスが属性の発見は歴史的行為だという指摘は重要である。この相互作用にも歴史性がある。20100117,25

類似の例として下記のオブジェクトの検討例がある。

「カント、経済学・哲学手稿のマルクスの存在オブジェクト客観的である存在の、レーニンの物質オブジェクト認識論的である存在の、資本論のマルクスの商品オブジェクト意味論的である存在の、全てに拡張してとらえる必要がある。」(オブジェクトについて、高原ホームページ)20090820,1225,27,28これはAの例にもなっている。

オブジェクトの変化やオブジェクト間関連について、命題や法則について、インプットとアウトプットの要素、条件の要素を網羅し、それぞれを論理的に極限まで変化させる。(例:質量転化の法則の拡張、FIT09 )オブジェクトの属性の変化には、個別のオブジェクトの属性の値の変化、内部構造の変化、属性の種類の変化がある。このタイプの法則についてはこれで要素は網羅されている。

さらに命題の型を網羅してみる必要がある。20100806

(第6TRIZ シンポジウムから)

3. 現実の状況に依存するものについては、状況を相対化しかつそれに応じ、視点、粒度,密度、価値,目的の網羅をする。その視点、粒度,密度、価値,目的ごとに、

1) 属性、オブジェクト、オブジェクト群を網羅する。

2) 属性、オブジェクト、オブジェクト群に関係するものと関係するものとの相互作用を網羅する。

3) 属性間、オブジェクトと属性、オブジェクト間、オブジェクト群間の関係の運動を網羅し根源を問い歴史の論理を探る。

4) 現実と目的から、変更するオブジェクトと属性、オブジェクト群を求める方法、変更するオブジェクトと属性、オブジェクト群の候補を網羅する。

5) これら全ての認識と変更に対して、根源的極限的な変更をする可能性を検討する。

オブジェクトの属性の変化には、個別のオブジェクトの属性の値の変化、内部構造の変化、属性の種類の変化がある。特に属性の極小化の極限はオブジェクトの削除である。

ここでの根源的網羅は、変更像の候補決定までがカバー範囲である。変更の実現には、変更のための資源、負荷は理想的にはゼロというという要因を考慮して解を特定する。解の確定、変更の実現まで含めた根源的網羅思考は今後の課題である。

20100307,10,11,14, 0416,17, 0503,24,25,0616,18,21,22,23,24,25,26,27

この変化、相互作用は、根源的にラディカルな極限的な変化、根源的にラディカルな極限的な相互作用である。これには、変化しないことを含むあらゆる変化、相互作用しないことを含むあらゆる相互作用を含む。

根源的にラディカルな極限的変化をさせることは、オブジェクトの網羅と変化の値の網羅である。根源的にラディカルな極限的相互作用をさせることは、オブジェクトの網羅と相互作用の値の網羅である。

この方向で、40の原理に変わるものができる可能性がある。20100301,02,03 40発明原理の構造化は道半ばであり今後の努力が必要である。TS4

根源的網羅は、像の候補決定までがカバー範囲である。像の確定、変更の実現まで含めた根源的網羅思考は今後の課題である。

本検討自体、根源的網羅思考によって得られた。根源的網羅思考は、自身も対象で再帰的であり、多層構造をしている。根源的網羅思考の型の網羅、解」の特定方法は今後の課題である。20100623

対象化という視点から、世界の認識と変更の極限を述べようと試みた。この検討過程そのものの内容は「TRIZという生き方?」の最後に述べたIdeal Final Way of Life 42,43項の一部に当たるのだろう。そうだとしたら、検討がこのような段階にあるということは、この42,43項を含めたIdeal Final Way of Life の全貌は、まだ殆ど明らかになっていないということである。20100115

したがってもう一つの課題として、本検討そのものの定式化を続ける必要がある。また、本稿の内容は、どのような問題にも共通の枠組みで、新しい論理学の一部になるべきものである。   

ともあれ必要なのは、哲学基礎なのか、論理学なのか、弁証法論理学なのか分らないが、世界の変更に役立つこれらの総体である。20100122 これらは、形式的に、考えねばならないすべての概念を網羅して課題を定式化し、価値実現のためのどのような変更にどの概念を用いればよいかを示すのに役立つはずのものである。20100209,14,15

まとめなおすと、1. あらゆる領域のあらゆる種類の差異解消ができ解が見つかることと、2. それが正しいかどうかという二つのテーマがある。経済なら、さらにあるいは正しいことに含まれて、持続可能なことが問題である。前者1. の道筋は示した。10/02/18,21

後者2. の「正しさ」は、5TRIZシンポジウムのスライドの最後の「おわりに」で述べたような方向があるのであった。もう一方、究極の根源的価値の内容をそれ自身追求する方向もある。生命の存在を前提として対象化と一体化の矛盾解決が最上位の根源的価値であるか?生命の存在を前提として愛、自由の完全な発展と両立が究極目標になるか?20100221

根源的網羅思考について下記にまとめた。「TRIZと生き方における対立物の構造と根源的網羅思考」FIT2010

20100927以降、電気情報関連学会中国支部関連学会(20101023岡山県立大学で開催)への投稿「根源的網羅思考によるオブジェクト特定と命題,法則の変更」で、オブジェクト特定、判断(正しい命題)、法則に対する態度を述べた。本論では、当初意図していた内容をやや超えて論理が展開した。その内容を記す。

展開の一つは、オブジェクトの形式で新たに網羅できる「問題」が明らかになり整理できることが分かったことである。

1.今まで、オブジェクトの形式での、粒度、オブジェクト網羅、(そのなかでの)オブジェクト特定、変更、という定式化10/09/14 機能の形式での、a. 目的と現実、網羅、b. オブジェクトの粒度選択、c. 方法、という定式化が混乱していた。前者での定式化をによる。1. オブジェクト世界の粒度特定、2.オブジェクト世界の機能、内部構造把握、 3. 判断,法則の把握、変更,生成、 1-. オブジェクト粒度特定、2-.オブジェクトの機能、内部構造把握、4. オブジェクト変更、が下記のように進むと一応考える。

 

 

2主語、述語という表現が命題、判断で、インプット、アウトプットという表現が法則である。ここで、主語、述語、インプット、アウトプットのいずれもオブジェクト世界(オブジェクトと属性の複合体、最小単位はオブジェクト、または属性)であり、命題、判断、法則はその関係を表現する。法則は一般性を持つものをいうが、この制約を外せば、正しい命題=判断、法則は、複数のオブジェクト、属性間の関係、変化の表現を一般的に表現する形式である。

一つのオブジェクト、複数のオブジェクトの認識:一つのオブジェクトの存在(存在オブジェクトがある) 、運動(存在オブジェクトが運動オブジェクトを持つ) 運動の結果の変化属性(オブジェクトが属性を持つ)についての認識、複数のオブジェクト間の(運動を含む)関係(複数オブジェクトが一部Aと全体B, 特殊なものAと一般的なものBの関係にある場合、オブジェクトAはオブジェクトBである、と表すことがある。その他、オブジェクトAはオブジェクトB と関係Rがある)(運動の場合その結果の)変化の認識。 

判断(正しい命題)は、一つのオブジェクトの存在、運動変化、属性についての認識、複数のオブジェクト間の(運動を含む)関係、変化の認識の、主部、述部からなる形式。      

法則は、一つのオブジェクトの変化、複数のオブジェクト間の(運動を含む)関係、(その結果の)変化の認識の、インプット、アウトプットからなる形式。

最小のオブジェクト世界は一つのオブジェクトまたは一つの属性である。

「何がどうする」:SOPOである。「何がどんなだ」:Oは属性を持つ。「何が何だ」:OOである。プロセスオブジェクトPOをオブジェクトとして扱うことにより、統一的処理が可能である。

10/09/18,25,27,20101017

3.属性と粒度の変更

31.既存哲学、思想、常識はすべて、ある粒度において正しい。一方、既存哲学、思想、常識は、その粒度は大き過ぎか小さすぎか、のいずれかでその粒度の外では間違っている。その構造、理由が以上で表現でき、しなければならない。20100927,28 

321判断の変化の極限

それぞれと全体の粒度を変化させる

(主部と述部とその構造をそのままにして変更)

1. 判断の主部、述部の属性を変化させる

2. 判断の主部、述部のある属性を削除する(より大きな粒度の主部、述部に置き換える) 

3. 判断の主部、述部に属性を追加する(より小さな粒度の主部、述部に置き換える)

(この例は多い。正しさの説明に例しかないものは殆どこうする必要がある)

4. 判断の主部、述部について、同じ述部が成立する主部を網羅し新しい主部とする(より大きな粒度の主部に置き換える)

(主部と述部の構造も変更)

5. 4ができると主部と述部は、同じ内容となり、言い換えとなる場合がある。そうして主部述部を入れ替えると定義になる

(例:存在は他の存在と相互作用するという命題から存在またはオブジェクトの定義を作る、例:商品は属性の集合体だという把握を一般化し、商品を存在またはオブジェクトの定義に拡張。より小さな粒度の主部、述部に置き換えるべき例がほとんどの思想家に見られるのに対し、この二つのマルクスの例は、より大きな粒度の主部、述部に置き換えるものでマルクスのすごさを表している。またサルトルは、マルクスが大局をみていることを評価する。(方法の問題(全集)p.32-33, 3434はマルクスの言葉ではない)サルトル方法の問題(全集)によるマルクスの寄与についての記述も重要である(p.99, 6, 36, 42)マルクスは、オブジェクトという概念と、制度というオブジェクト領域の発展の弁証法を明らかにした10/11/16,1224,20110114) 

322.法則のインプット、アウトプット(ともに三種のオブジェクトからなるオブジェクト世界)の要素、条件の要素を網羅し、それぞれと全体の粒度を論理的に1) 極限まで変化させ、2) 削除3) 生成する。

例:質量転化の法則の拡張[F09]:量質転化の法則は、オブジェクトの属性の量の変化によって、オブジェクト全体が別の質に変化するという法則  0

第一の拡張:属性と構造、質転化の法則  1

要素、要素間関係の変化が全体の質変化をもたらすことが加わる。

第二の拡張:属性と構造、質的,非質的変化の法則  2

アウトプットが質変化以外であることが付け加わる)

 続きは「対象化と一体化の統一」に移行。20110112

 

対象化と一体化の統一:「唯物論,事実主義宣言」ノート

(意識の歴史の前提と所有意識,一体化意識)

意識と行為は相互作用する。まず意識が直ちに行為を決める、意識が直ちに行為を変更する。変化する行為が、今度は長い時間をかけて意識を変更する。行為は、(狭い意味の)労働(人によるものの変換、エネルギー変換、情報変換)、ものの交換(人と人の間のものの交換)と移動、情報の交換(コミュニケーション)と移動である。

この相互作用の螺旋の中で、意識と行為は、問題を発生させ蓄積させながら、高度になっていく。問題と高度化が両立しているのであるがこの中に解決の芽も生じている。それを見つけるためには、この相互作用、相互規定の歴史から論理を抽出しなければならない。そのため、労働、物々交換、コミュニケーションの関係、労働、物々交換、コミュニケーションのあり方の変化とそれによる意識の変化を考察しなければならない。今の自分にはこれらを考察するための知見は十分でなく調べる時間の余裕もないのであるが、粗野であり検証抜きであることを承知の上で、本ノートは、主観的価値;主観と客観の統一,対象化と一体化の統合(価値については「価値」参照)、という視点からそれを論じる試みである。客観的価値、対象化という視点からは、別のノートで論じている

負荷属性

観念属性

人の属性

機能属性

負荷

.人の機能と構造

作用

要素数

要素間の関係

要素

人の内部構造

機能

機能

ここで、自己意識(個の意識)、他者意識、所有意識、他との一体化意識、対象化意識が問題となる。意識にとって他の重要な概念は、ものに対する働きかけである労働と、自己()あるいは他が属する共同体である。共同体は、地域共同体、血縁共同体に代表される、ある共同観念を共有するグループである。図は人の機能、構造を表現するもので、直接人の機能属性に作用する観念属性が表現される。精神が、観念と感情を含む総称であるが、意識は、個々の観念と感情を含む精神の方向性、態度を表すものと言えよう。

あくまでも私の意識という狭い粒度に限定しての話であるが、主体として、自己()、他者、共同体の三つ、意識という関係として、所有意識、一体化意識、対象化意識の三つがある。これらを変化させるものはまず労働である。労働の間接化、高度化が人間の歴史の大半と言ってもよいぐらいである。労働という行為の開始、高度化、コミュニケーションとの関係については多くのことが語られ知られてもいるので省略する。これに対する意識の変化も、さらにこれが労働に与える影響も検討されつくされていると思う。

20100405,06,08,23

自己意識(個の意識)、他者意識、所有意識、他との一体化意識、対象化意識は、自己意識(個の意識)と、他者意識,所有意識,他との一体化意識,対象化意識、というように二分できる。前が自己、個に関わり、後は他に関わる。また、自己意識(個の意識),所有意識,他との一体化意識と、他者意識,対象化意識、というようにも二分できる。これも、前が自己、個に関わり、後は他に関わる。どちらにも属する所有意識、他との一体化意識が検討のキーになりそうである。このどちらも広い意味で何かと何かを一体にする志向がある。

おそらく、直接に意識を規定する基本要因は、ものに働きかける労働と、他のものの所有感、他との一体感であろう。ものに働きかける労働は技術に、他のものの所有感、他との一体感は制度に展開する。他のものの所有感は複数の成員が承認せねばならず、他との一体感は、複数の成員に共有され、これら成員が新しい共同体を作れば強固になる所有感、所有意識は、他を自己にひきつける意識であり、他との一体感、一体化意識は他に自己をひきつける意識である。何かを自己所有しているという意識とは、何かに対する排他的な占有操作可能意識であろう。これがおそらく、自己意識の核となって、他との差異意識を生む大きな要素の一つである。他との一体化意識も一体化意識を共有しないグループとの差異意識を生み現在様々な問題の根源の一つになっている。

これらは、生物学的な歴史と社会的な歴史の中で生成し発展するが、ここでは社会的歴史の文脈での考察に限定する。生物学的な歴史も知っておく必要はあるが我々が変更しうるのは社会的な歴史だけであるから。所有意識、他との一体化意識は、社会的な歴史の中だけで発展する。

所有意識、他との一体化意識がどうなればいいのであろうか?20100318,19,22,23,24,26,31,0401,05,06,08,24,0525,0602,23

(意識の歴史 1. 物々交換と地域共同体意識の萌芽)

道具と言葉は、以前から多くの人によって人間を人間たらしめたものとして扱われてきた。これらはそれぞれ労働、情報交換の手段である。資本論第一巻第一章は、1.物々交換により、有用性という属性を持っていた「もの」に、交換可能性という属性が付加されて属性分割が起き、2.有用性と交換可能性という二つの属性は、使用価値と交換価値へと深化、変容して属性の変容、転換が行われ、3.交換価値という属性は貨幣になって独立し、オブジェクト分割が行われるという壮大な論理の物語である。資本論第一章を再読していて、マルクスが数十ページを費やして語っているこの奇跡の物語は感動的であった。今回もう一つ気付いて驚いたのは、マルクスが語っていない、この物語の前にあるもう一つの物語である。それは、平和的な物々交換が普及したというもう一つの奇跡である。闘って勝ったほうが相手の持っていたものを手に入れるというルールが一般化しても不思議ではなかった。しかしそうならなかった。平和的な物々交換が普及したのである。(「同一性について」 http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

これに比べれば、道具が普及し今日の技術の隆盛を見たのも、言葉が普及したのも、貨幣が発生したのも当たり前のことが自動的に起こったに過ぎない。20100423,25,0714制度が作られるとき、共同観念が変化する。交換という制度の場合、「誰か」が何かを所有しているという状態が変更されることで、「誰か」が意識されるようになる。20100715

制度の矛盾を規定する運動法則は価値実現が目的の運動である。交換の場合,生産量が増大するにつれ,交換の速さ,容易さの向上,交換量の増大という交換というオブジェクトの属性改善が,結果的に目的として達成されたのである。このオブジェクトの属性改善の指標は,地球上で長期に渡って普遍的な価値規準であり,属性改善が,全員には意識されなかったにも関わらず,結果として交換価値,貨幣という共同観念は定着したのであろう。

より粒度の小さい目的意識的活動と目的を意識しない人間の活動の総体が,矛盾の運動を実現する運動になるのは,1.人間の個々の行為の属性と全体の属性の一致(11.対立物の片方の属性を代表するか,または,12.それ自体が,対立物の両方の属性を代表し(個々の商品の交換が,使用価値と交換価値の両方を代表するように)),2.個々の行為の持続性,3.累積性,4.累積が矛盾の運動と同じレベルの大きな粒度となるという奇跡が必要である。個々の活動が,全体の矛盾の運動の要素を含んでいる程度と活動の重大さの程度に応じ,累積の持続と量の程度,共同体の範囲は決まる。

この矛盾の運動の結果としてある共同観念が生成され,それをもとにさらに新たな運動が発展していく。(高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3」−(高原利生 ())   、スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 、論文PDF: 和文 英文 、紹介 (中川 ) 英文 第四回TRIZシンポジウム, 2008.09.10-09.12

道具と言葉は労働、情報交換の手段である。物々交換が定着した後、有用性という属性を持っていた「もの」に、交換可能性という属性が付加されて属性分割が起き、有用性と交換可能性という二つの属性は、使用価値と交換価値へと深化、変容して属性の変容、転換が行われ、最後に、交換価値という属性は貨幣になって独立し、オブジェクト分割が行われるのであった。この過程は人の意識に媒介されておりそれと相互作用があるがこの人の意識は影に隠れており、あくまでものというオブジェクトの属性の変容とオブジェクト分割がものの論理によってすすんでいく。しかし、最初の、少なくとも物々交換が制度として定着するまでの物々交換は、ものを対象に行われるものの、意識が主体の劇的な運動であり過程であった。今となっては実証できない過去の歴史を再現しその実現論理を探らなければならない。自分の共同体の持っているものを相手に与え、相手も同じことを同時にするという共同観念の生成という奇跡が必要である。これは、共同観念の生成と発展の歴史と論理であり、制度の生成と発展の歴史と論理である。20100512,14,0714

このような探求が何の役に立つか?宇宙人との出会いは、明日あるか100年後にあるか10000年後にあるか分からない。その出会いは少なくとも何らかのもののやり取りであろう、もののやり取りがものの交換になっているか、ものの交換と情報の交換が分離していると思い込むのは地球の常識を安易に一般化しすぎているかもしれない。物々交換の論理をつかんでいるかどうかが地球の存否を左右するかもしれない(というのが検討の必要な一つの理由である。ものの交換と情報の交換が分離する必要条件、十分条件は何だろうか?地球上の生命は下等なものもこの分離ができているようであるが)。20100512

物の交換が次第に高次化、間接化していることによる行動の内容変化と、

0) 強奪の時代の労働と意識10/03/20,23

1) 平和的な物々交換が可能になった意識、その誕生直後の人の意識、定着後の人の意識、物々交換を担った人と担わない人の差。労働。

2) 「貨幣」を介しての媒介されたやり取りとなっている今の相互作用のもとの意識。自ら労働していない人も労働している人もおり、労働は分業が発達しているという条件の差。この歴史の段階の差異解消が問題意識である。意識の分化が起こった原動力と分化した意識が何を可能にしたか?20100322,23,0420,23

0) 強奪であれ、1) 平和的な物々交換であれ、これが成立する条件として自己所有意識と他所有意識があるのは自明と我々は思っている。しかし見てみるとそうではないことが分る。まず、0) 平和的でない物々交換、ないし強奪の場合の意識はどのようなものであったか。今となっては検証できず、想像することができるだけである。解はすでに得られている。得られた解から逆に事実をもとめなければならない。物々交換がなく強奪の意識しかなかった時には、自共同体意識、他地域共同体意識の区別のない漠然とした観念しかなかった。この強奪は、漠然とした共同体との一体化意識のような意識が発現させたもので、強奪の意識は所有意識ではなかった。今の時代の強盗行為とは全く実行に際しての意識は異なっており強奪は「悪」ではなかった。強奪される相手共同体は他者ではなかった。他者という意識は育たなかった。これが定着し、平和的な物々交換が成立しなかった架空の歴史がありえた。それを我々は想像することができる。この場合、商品交換は成立しないから、(後に述べるように)もちろんのことに自己意識は誕生しなかった。

平和的な物々交換の場合との違いは、他所有意識も他者意識の萌芽も発生しなかったことである。したがって本当は、この場合の所有意識は漠然としたある共同体(以下、地域共同体を想定する)の所有意識であり、正確にはその地域共同体の所有意識でさえなかった。地域共同体の所有意識は、他地域共同体の所有意識がなければ成立しないはずだからである。同様に、地域共同体意識は、他地域共同体意識がなければ成立せず、自意識は他意識がなければ成立しない。

こう見てくると、強奪の時代の意識は、それ以前のより未開の時代との差異はなく、ただ平和的な物々交換を準備したという意義しかないように見える。個と共同体との漠然とした融合的一体化意識しかなく、それは正確には共同体意識でも一体化意識でもなかった。もちろん、対象化と一体化も、個と他も分離していない。しかし、やがて平和的な物々交換が始まり定着したのであるから、全く意識に変化がなかったのでなく、少なくとも地域共同体所有意識と他地域共同体所有意識、地域共同体意識と他地域共同体意識の区別の萌芽がわずかに見えたであろう。この芽の成長と蓄積こそが画期的変化であった。強奪という行為を繰り返す中で、何か言葉にはならないが、自分の共同体と違う共同体があるようなないような漠然とした観念が芽生え出している。強奪の長い歴史過程の中のこのわずかな芽の成長と観念属性の変化の蓄積がその後の制度の全てをもたらしたのである。

1)この萌芽を活かし、平和的な物々交換が少しずつ始まり、やがて定着した。何万年何十万年を要したこの歴史的変化こそ、道具の製作,使用と並んで、今日をもたらした画期であった。

最初の物々交換は、地域共同体の代表が別の地域共同体の代表と行ったのであろう。その時、代表である彼または彼女が持っていた所有意識は地域共同体の所有意識だった。このときの彼または彼女の自己意識はまだ地域共同体意識に等しく、自己意識と地域共同体意識は分離していなかった。所有意識は地域共同体の所有意識だったから所有意識と一体化意識も分離していなかった。しかも、この地域共同体意識を持っていたのは、地域共同体を代表して物々交換を行う彼または彼女だけで、他の全てのメンバーは、まだ地域共同体意識すら持っていなかったであろう。強奪の場合との違いは、物々交換を行う彼または彼女だけは、他共同体意識と分離していない他者意識を持っていたことである。物々交換が始まった時、物々交換を直接担う先進メンバーでさえ、個の意識はなかった。やっとこの彼または彼女だけに、地域共同体意識の萌芽が生じている。そしてこの先進メンバーには自共同体との強烈な一体化意識があったかもしれない。

おそらく自共同体所有意識、他地域共同体所有意識が自共同体意識、他地域共同体意識を作った。

重要なことは、物々交換を直接担う二つの共同体双方の二人以上の先進メンバーは、少なくとも物々交換の行為の瞬間には、二種の共同体所有意識(自共同体所有意識、他地域共同体所有意識)とこれに起因する二種の地域共同体意識(自共同体意識、他地域共同体意識)を持っていたということである。物々交換の行為の瞬間だけ存在したかも知れない二種の共同体所有意識(自共同体所有意識、他地域共同体所有意識)に起因する二種の地域共同体意識(自共同体意識、他地域共同体意識)は、物々交換が継続して行われるようになってくるにつれ次第に定着し次第に明確な意識になってくる。最初の物々交換が成功するためには、少なくとも自共同体意識、他地域共同体意識があり、交換の対象はそれぞれの共同体が所有するものという意識が最低限あったはずである。そして共同体意識の生成には、共同体所有意識と他共同体意識が関与した、つまり自共同体所有意識、他地域共同体所有意識、自共同体意識、他地域共同体意識は同時に生成された、あくまできっかけは自共同体所有意識、他地域共同体所有意識であったろうが。

1.自分の前にあるものが自分の共同体の所有であり、相手の前にあるものが相手の共同体の所有であるという認識

2.自分の共同体の所有物を相手に与え、相手も同じことを同時にするという物々交換予定像

3.いつ、どこで、どのぐらいの量を受け渡すか

この両者のことを考えた共同観念を別々の共同体の代表が共有することが物々交換という制度の始まりである。このうち2.が生成に最も困難であったろう。2.の生成には、もしこの行為が成立したらお互いが利益を得るという確信と相手もそうであるという相手を信じる賭けが必要だった。

つまり、物々交換を直接担う共同体双方の先進メンバーの、共同体所有意識、地域共同体意識の萌芽によるこの賭けが、一時的に偶然の物々交換を可能にし、その継続が一時性、偶然性の程度を下げていき、それが共同体所有意識、地域共同体意識を強化し、それが一時的、偶然的だった物々交換を、次第に継続的、必然的なものに変えていく。漠然とした自他共同体の区別のない観念から、観念属性の変化が蓄積することによる自共同体意識と他共同体意識の分離という観念オブジェクトの分割が、物々交換という行為の成功と相互作用して起こり、長い相互作用過程の後、定着する。この過程はある共同体では成功しある共同体では失敗するが、成功する共同体は次第に増えて行き、今日に至る。奇跡が起こったのである。この過程が難しいのは、自他共同体の双方が、同じ自共同体所有意識、自共同体意識、他共同体所有意識、他共同体所有意識を持っていないと成功しない過程だからである。また直接交換行為を行うのが、共同体の代表者であったとしても、全員が交換行為に暗黙の了解をしているという前提も必要であったであろう。自他共同体の双方が、同じ自共同体所有意識、自共同体意識、他共同体所有意識、他共同体所有意識を持っていることと、共同体間で物々交換が行われることは、同じ問題が解決されることであり同じ奇跡が起こることであった。

この対立項を持つ主体が同じ目的と認識を持たないと解が求まらない事情は、一般に制度に共通し技術の場合と異なる点である。次の記述は、物々交換が始まった後、貨幣が成立する過程における改善される属性を述べている。物々交換そのものの成立過程においては、改善される属性は交換の成功頻度である。

制度の矛盾を規定する運動法則は価値実現が目的の運動である。交換の場合,生産量が増大するにつれ,交換の速さ,容易さの向上,交換量の増大という交換というオブジェクトの属性改善が,結果的に目的として達成されたのである。このオブジェクトの属性改善の指標は,地球上で長期に渡って普遍的な価値規準であり,属性改善が,全員には意識されなかったにも関わらず,結果として交換価値,貨幣という共同観念は定着したのであろう。

より粒度の小さい目的意識的活動と目的を意識しない人間の活動の総体が,矛盾の運動を実現する運動になるのは,1.人間の個々の行為の属性と全体の属性の一致(11.対立物の片方の属性を代表するか,または,12.それ自体が,対立物の両方の属性を代表し(個々の商品の交換が,使用価値と交換価値の両方を代表するように)),2.個々の行為の持続性,3.累積性,4.累積が矛盾の運動と同じレベルの大きな粒度となるという奇跡が必要である。個々の活動が,全体の矛盾の運動の要素を含んでいる程度と活動の重大さの程度に応じ,累積の持続と量の程度,共同体の範囲は決まる。

この矛盾の運動の結果としてある共同観念が生成され,それをもとにさらに新たな運動が発展していく。(高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3」−(高原利生 ())   、スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 第四回TRIZシンポジウム, 2008.09.10-09.12

 

一方でしかし、共同体間で物々交換が行われていた当時、交換を担わない大半のメンバーは地域共同体意識さえなかった。したがって大半にとってはそもそも何らかの共同体との一体化意識というものもなかった。一部の交換を担うメンバーに、自共同体所有意識と他地域共同体所有意識を契機にして、自共同体意識、他地域共同体意識の萌芽が生じ次第に定着していたが、そのメンバーを含む全員は、(労働の進歩、間接化の進展がその後という前提で、だが)対象化と一体化の意識も分離していないし、(商品の普及がその後という前提で、だが)個と他も分離していない。これは驚くべきことである。20100327,0401,05,08,15,23,0515,0623, 0801

地域共同体の中でのもののやり取りは、現在家庭内で行われているやり取りと同じ様な意識で、所有意識なしで行われていたであろう。この個の意識と他への意識の分離のないあいまいな集団全体への意識はおそらく人類発生とともに古い。

(意識の歴史 2. 商品と自己意識、他の意識、対象化)

労働、物々交換、コミュニケーションの三つの発展につれ、物々交換、コミュニケーションも労働として独立していく。労働も採取、農耕から種種の多様な労働が分化し分業が発達していく。技術と制度の相互作用が起きる。「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術,等々は生産の特殊な諸様式にすぎないのであって,生産の一般的法則のもとに従う。」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.147)「労働=生産」の間接化として,労働のための労働。労働のための労働は,「労働=生産」と,同一主体の行為として時間的に両立する,宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術の利用と,分業により,他主体の行為となる宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術の「製作」とがある。宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術は,比較的直接に生産に寄与する科学と,生産主体の維持である生活,生産主体の再生産である類の維持に関するものに分けられる。(「経済学・哲学手稿」における「システムオブジェクト1−プロセスオブジェクト−システムオブジェクト2」モデル把握(ノート))

対象化の画期的な進展が続き生産量の増大、したがって交換量の増大が続く。特に技術の領域では対象化は急速に進む。ここで詳細を述べることはできないが、これは問題をかかえた対象化、分化、間接化の歴史であった。

自己意識(個の意識)は、他との差異の意識を前提に、他者意識と同時に生成されるまた商品誕生と関係して自己意識が発生したという意味のことが資本論の中で述べられていた(マルクス)。物々交換が、地域共同体単位に行われ、しかも限られた人間に担われていた時代から、全ての人が商品を直接やり取りするに至るにつれて、つまり「他」と所有関係を交換するようになって初めて、他所有意識と自己所有意識が、それゆえそれと同時に「自己」と「他」の意識が発生し徐々に定着する自己意識が発生し,漠然とした共同体意識から分離してはじめて共同体意識も成立する。今までの共同体意識は漠然とした自分と一体の共同体意識であって真の共同体意識ではなかった。個と他への意識の分離は人類発生以来かなり後になってからであった。

「資本家的生産様式および取得様式は、したがって資本家的私的所有は、自己の労働にもとづく個別的な私的所有の第一の否定である。資本家的生産の否定は、この生産そのものによって、自然過程の必然性をもって産み出される。それは否定の否定である。この否定は、個別的所有を再建するが、資本家的時代の成果にもとづいて、すなわち、自由な労働者の協同と、土地および労働そのものによって産み出される生産手段との、彼らの共同所有とにもとづいて、再建するのである。」(資本論第一巻初版744〜5頁)
 
この文章は、所有の形式 面で、資本制の時代とその前後の時代の転化を、所有の形式の「否定」と「否定の否定」というヘーゲルの用語で、表している。まず、「自分の労働にもとづく個別的な私的所有」というものがあり、それが否定される。その否定は、自分の労働にもとづかない私的所有「資本家的私的所有」によるものである。(ただしここでは、資本制生産様式以前の「自分の労働にもとづく私的所有」という言い方を、近代社会の「私的所有」という普通の意味で、受け取ってはならない。個人的な私的所有というものは、近代社会において初めて現われるものである。一人の人間が「個人」として存在するようになるのは、近代社会=資本制生産様式の社会においてなのである。

我々が歴史を遠くさかのぼればのぼるほど、ますます個人は、それゆえまた生産する個人は、自立していないものとして、一つのいっそう大きい全体に属するものとして現われる――初めはまだまったく自然的な仕方で家族のなかに、そして種族にまで拡大された家族のなかに、後には諸種族の対立と融合から生じるさまざまな形式の共同体のなかにあらわれる。18世紀になって初めて、つまり、「市民社会」において初めて、さまざまの形式の社会的関連は、個々人の私的目的のためのたんなる手段として、外的必然性として、個々人に対立するようになる。しかしこのような立場、つまり、個別化された個々人の立場をつくりだす時代こそ、まさにこれまでのうちでもっとも発展した社会的な(この立場からすれば一般的な)諸関係の時代なのである。人間はもっとも文字どおりの意味でポリス的動物である。たんに社会的な動物であるばかりでなく、社会の中でだけ自己を個別化することのできる動物である。』『経済学批判への序説』『マルクス資本論草稿集』1、26-7頁」(野波俊一的仕事集、資本論ノート1, http://tyamati.hp.infoseek.co.jp/sihon1.htm) 20100124, 0221, 0315,17,23,26,27, 0401,05,06,07,24,25 労働結果は、当初からも今も、人の全体(内部と行為)の結実として外化、対象化された結果ではない、自分が与えるもの(物と情報、その過程)は、自分の全体(内部と行為)の表現ではない、自分のもらうものも、全く同様に、相手の人格表現ではない。これは決定的に対象化と一体化の意識を規定する。また、現在の交換は、第一に、ほとんど、自ら労働していない人も労働している人も行うやり取りであって自分の労働によって得たもののやり取りではなく、しかも「貨幣」を介しての間接的なやり取りである。第二に、商品交換は普遍化し高度化しており、間接化している。

問題をかかえた対象化意識だけ肥大化すると、あいまいであれあった全体への意識が失われる不安解消のため全体と一体化しようとする意識も強くなる。しかし、もともと一体化があったのに対象化が進行したから一体化を復活させるのではない。

(歴史のまとめ:起源と同時発展)

(意識の歴史 1. 物々交換と地域共同体意識)は、直接には労働や経済に関係ない全員が共通の地域性を共有する共同体の話、(意識の歴史 2. 商品と自己意識)は、貨幣を介する交換を行うという抽象的関係を有する経済の話である。20090224,28,0301,02,17,20100405

1. (起源1あいまいな全体意識から自共同体所有意識と他地域共同体所有意識、あいまいな自共同体意識と他地域共同体意識、自己()と他への意識の分離が、この順に起こり定着する。自己()と他への意識の分離が、今度は共同体意識を明確にしていく。

2. (起源2)対象化意識の起源は知らないが(今までに多くの知見が蓄積されていると思う)対立項を持つ複数の主体が、対象化志向でなく一体化志向を持ち同じ目的と認識を持たないと解が求まらない事情は、一般に制度に共通し技術の場合と異なる点である。あいまいな全体意識から対象化意識が発生することによって一体化意識も鮮明になる多様な労働が分化し分業が発達し、生産の増大、交換の増大により、対象化意識が発達する。初めは対象化も一体化もないあいまいな全体意識だった。技術による対象化と制度による一体化が進展したが、現実の経済の発展に伴う現実の対象化に問題があるので一体化にも問題が生じたのである。

3. (同時発展)そのうえで、自己()意識、他意識、共同体意識、所有意識、一体化意識、対象化意識は、問題と解への契機を増しながら同時平行的に発展している同時発展ゆえ同時解決しかないのである。

20090224,28,0301,17,0516, 20100318,23,24,25,27, 0401,04,05,06,07,08,23,0714共同体意識と経済起因らしい自己意識の実態と理想像が分からない。

(問題:矛盾)

問題は、第一に、対象化の「正しい」価値を求め実現することが課題である。自己()概念、他概念、共同体概念、所有、対象化、一体化という意識の動きは、いずれも問題を内包したまま同時に変化を続けている。これを規定する労働も、人の全体(内部と行為)の結実として外化、対象化された結果をもたらさない。

第二に、ばらばらの対象化と一体化は、お互いを補完しあわず、高めあうことがない。正しい価値実現のための対象化と一体化が必要である。

第三に、問題の現実の現象から言わねばならない。次に引用を示す。20090224,28,0301,04,1015, 20100131,0221, 0315,25,26, 0404,05,06,07,20,26

「同一性について」より

帰属感の同一性の種類、同一性の対象を考えていると、次のことが分かってくる。この感覚は「私」の感覚でありそれが他人にも展開されていくが、人の感覚であることには変わりない。この同一性の感覚は、自身との同一性、異なった時間、異なった空間の自分との関係がもとになっているが、それ自体は抽象的で確認困難である。この日本語になった「アイデンティ」を確認する手段が、何かの上位システム、上位オブジェクトに属しているという感覚を得ることであろう。そのために使われる上位システム、上位オブジェクトとして、実際上普及しているのが、国家、宗教宗派、民族である。これはなぜだろうか?これら国家、宗教宗派、民族は、何らかの事情で危機であるときに、逆にそれとの帰属意識が強固になる。離散された民族や他の国との紛争をかかえた国家、弾圧下の宗教宗派の場合がそうである。しかし、国家、宗教宗派、民族の属性がゆがんでいれば、帰属感もゆがむ。問題は、ゆがんでいようがいまいが帰属感は持たざるを得ないらしいということである。この理由はよく分からない。あり得る理由の一つは、制度への帰属感は、日常の疎外感の代償感をもたらすものとなっていること、二つ目は、本質的で疎外されていない帰属感は抽象的で得ることは困難に見えることであろうか。27歳の若きマルクスは類へ帰属意識が得られない原因を「経済学・哲学手稿」で語りそのための対策を提示したのであったが(「マルクス「経済学・哲学手稿」内容ノート」、高原利生ホームページ、http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)実際にこれは困難な課題である。これらはもっと厳密に述べる必要がある。

一体感は、間接化と分業により二重に得にくくなっている。もともとの(地域共同体との)一体感、帰属意識が、なぜ形を変え今でも国家、宗教への帰属意識として強力に残っているのかが私には謎である。間違っていても帰属意識が必要なのはなぜか。自己意識、個の意識が正しくなく曖昧な分、(国家や宗教への)偽の帰属意識という同一性への志向、一体化が大きな比重を占めるという面もある。国家や宗教の側、あるいはその代弁者からの直接,間接の必死の働きかけもあろう。偽の帰属意識、偽の一体感をなくすことは人間疎外をなくすための手段であり目的であり得る。

(既存解の批判)

1.従来の唯物論には不十分な形での「対象化」しかない。一方、宗教的知には、対象化は皆無といっては言い過ぎになろうが少なくとも弱いと言わざるを得ないであろう。一体化は、宗教的知にはあいまいで間違ったな形のまま過剰にある。宗教は、正しくない対象化が違っているからといって性急に単純に一体化を求めてきた。そもそも宗教は、対象化が不十分なまま性急に一体化を求めざるを得なかった知である。20100221,0315 現在ある従来の唯物論と宗教の、対象化と一体化はどちらも違っている。正しい一体化と正しい対象化の両方が必要で、この両立という矛盾の解決が必要である。両立を目指さない一体化も対象化では、本来の一体化も対象化も得られない。

一体化も対象化も歴史を総括し対象的に得られた真理、価値、歴史の論理を糧とし、迷妄を廃したものでなければならない。宗教、宗教的なものに共通し、残念ながら「昔話」やおとぎ話にも共通する克服すべきものは多くかつ根深い。

ビルの4階にある子供のバレエ教室の先生は、「まじめにやらんと窓から落とすぞ」という言う。第一に、窓から落とされるという罰が怖いから良いことをする、させるということであり、本質的に態度として間違っている。「教育」のステップでやむを得ないことだと言う人が多いのかもしれないが。第二に、窓から落とすということそれ自体の表現は、論外である。事後の報いで釣って良いことをさせ、あるいは事前の「捧げもの」で良い報いを神から得ることを求め、罰で脅して罪を起こさせないようにし、罰を犯しても償いをすればよいことの前提となっている共同観念は、間違った対象化された知であり克服すべきものである。「罪と罰」における罰と、何かへの仕返しというのは、制度化の完成度に差があるだけで同じことであり、罪と罰が等価であるというのは、またそもそも何かと等価な行為があるという概念は、誤って成立した幻想であり克服すべき共同観念である。これは、知る限り全ての宗教、宗教的なものに共通し、残念ながら「昔話」やおとぎ話にも共通するものである。なにしろキリスト教の神は、穀物を捧げるカインよりいけにえを捧げるアベルをよしとする。それらは長い間、「正しさ」「良さ」を損ない続けてきた。実際には良きことをしても良き結果が得られるとは限らなかった。良きことをして良き結果が得られるなら、それは科学的知識であるから検証に耐える必要があるが、いままでそれはなされていない。それでも良きことをし続け、かつ良きこととは何かを問い続けねばならなかった。

良きこと正しきことの基準は価値である。価値も人間の歴史を総括し対象化して得られるものである。価値における、生、自由、自然負荷、愛、主観と客観の統一について、1000年単位ではその考え方は変わってきている。

自由についての概念はせいぜいこの100年ほどの間に明らかになってきたことが多い。

愛についての本稿の意見はまだ少数派に属するであろうが2000年前にキリスト教が説いたものは少なくとも理論的には超えられている。

変わりにくいと思われる人の生の大事さについても、若い人の生命と死が近い人の生命のどちらが価値があるか、大雑把には人の意見は一致するだろうが、両者の差異は何かについては皆意見が違うだろう。今世界の各地で死刑は正しいかどうか真剣に議論される時代にはやっとなっている。また特に人間以外の生命の生についての判断基準は、これも100年ほどの間に明らかになってきたことである。

ましてや「地球に優しい」という自然負荷については価値として問題になってきたのはこの十年ではないか。どの価値も時代が変われば少しずつ変わりかつ一致はなかなか難しいのである。2000年前の宗教の説いた価値はすでに乗り越えられているし、現代の宗教家の説く価値も狭いものが多い。

自分の信じる宗派内の価値から全人類の価値へ、そして全生命の価値へと価値の内容は深化、拡大を遂げようとしている。しかし多くの宗教、宗教的なもの、世の「常識」は、これを不変と考えている、というより、価値が変化するという意識がなく、「不変の価値」を語る時に、語る自分の「今」の根拠のない固定的価値観にとらわれ、特に狭い人間中心主義に立っていることに驚くことが多い。これは、多くの宗教、宗教的なもの、世の「常識」が違っている証拠である。

宗教、常識、おとぎ話(おとぎ話も、もともとそれが持っているより豊かな内容が、要約された簡易版ではことごとく因果応報、安直な勧善懲悪物語に書き換えられ「だから」良いことをしなければならない悪いことはしてはならないという物語になっている)の迷妄、因果応報という妄念を脱することと、自ら正しいと信じる価値が変化すること、相対化の必要性と可能性が、今やっと生まれた。

因果応報をうたい文句にしている宗教、常識、おとぎ話は多いが、大きな欠点がある。一つは、因果応報の因と果の時間経過の間に価値が変化することはなぜか意図的に忘れ去られるかそもそも語る人に気がつかれていない。もう一つは次の点である。「正しい」「良い」ことはただ「正しい」「良い」ゆえにする。「正しくない」「良くない」ことはただ「正しくない」「良くない」ゆえにしない。それ以外の「正しい」「良い」行為ほど「正しさ」「良さ」を損ない汚すものがあるだろうか?これこれの良い報いがえられるから良いことをしましょう、こんな罰があるから悪いことはやめましょうというのは、知能の低い人に当面の効果はあるかもしれないが、幸い人類の知的水準はもう「当面の効果」よりその本質的な害悪のほうが大きくなったことに気づく段階に来ている。その行為は、行為者の心が「正しくない」「良くない」ゆえに「正しくない」「良くない」ものとなっている。

このことは次のことも意味している。常に「正しい」「正しくない」こととは何か、より「正しい」ことは何かを問い続け、自らの観念を相対化し続けなければならない。それが面倒だと言ってはならない。面倒だと言うなら他にどんな方法があるか示して欲しい。それに、因果応報が正しい観念であるなら、その正しさを証明したうえで、しかし良い報いがえられるから良いことをするのでなく、罰があるから悪いことはやめるというのではないことを説得しなければ、良さ、正しさを汚し続けることになる。本質的にこれも結構難しいことではないのか?20100101,06,10,12, 0224, 0319,21,22,23,28,29, 0420, 0503,23

2.ヨハネの第一の手紙で二つの文に感動したのであるが、この感動的理解は、私がヨハネの「したかったができなかったヨハネの意図を完成するにはどうすればよいか」を結果的に考えることになった批判の最中で得られた。読むことも認識であるから一体化する読む方と対象化して読む読み方がある。ヨハネの二つの文については、対象化して読む極限に、ある種の一体化の感動を得たのであった。ヨハネの行為の位置づけができ彼の限界が分かった瞬間と、彼のすごさに感動した瞬間が同時であった。これは自分の初めての経験ではないかと思う。この不思議な体験の対象化作業は終わっていない。(ヨハネの第一の手紙について)

(唯物論の解と課題)

1.「対象化と一体化」という矛盾

事実に対しては謙虚でなければならない。同時に全てを疑わねばならない。矛盾である。20090731,0805

これを、人、観念について考える。愛の気持ちと批判の統合、20090902 謙虚に信じることと何も信じないことの矛盾、自由と愛の矛盾、愛と批判の矛盾は、究極には対象化と一体化の矛盾である。20090902

謙虚に事実の全てを受け入れることと事実を批判することは矛盾である。自分はかくも謙虚なのに他人が謙虚でないのはおかしいと文句をいうのは、単に謙虚でないだけである。他人が謙虚でないことをもたらしている現実を認識できていないから。この態度と異なり、謙虚さと批判の両立という矛盾が運動できる形態を探さねばならない。まず時間的分離;一旦謙虚に受け入れ、なぜそうなっているのかを理解し、その後の批判、次に属性による分離を行う。20091016

児童向けの映画「ひとりぼっちの狼と7匹の子やぎ」は、一方的に相手を信ずる物語である。つまり矛盾の対立項の片方だけがある。留守番をしている7匹の子やぎは食べようとしてやってくる狼を一方的に善良と信じていて結果はこれだけで解である。20090920,20100410

謙虚に事実の全てを受け入れることと人を信じることはやや異なる20100410。人を信じること人を信じる,信じているふりをすることもやや異なる20100410この矛盾は明らかに分離可能である。対象化と一体化の分離の一部である。20090819,0913

人を信じるということは、変えられない事実に謙虚であり、同時にその事実が「合理的」であると理解し、かつその事実の根拠が同じという意味で自分と同一であると理解するということである。信じているふりをするということは、四つのことを意味する。一つは信じることが正しい、しかし信じることは実際上できない、信じていることを相手に伝えることに意味がある、そして信じているのだということを相手に伝えるということである。これらの態度は他人に対するだけでなく一般化できるししなければならない。

これと、既存の観念を何も信じない唯物論,事実主義の思想は、両立する。第一にこれらは認識の二つの面に過ぎない、前者は謙虚である面、後者は変更が必要である面である。第二に両方とも批判が必要である。20090819,20この二点で典型的に優れていたのはマルクスである。20090829

「対象化と一体化」というのは、従来の唯物論なり弁証法のテキストにはない。「対象化と一体化」というのは対立している矛盾である。しかし矛盾であるので統一されてもいて、この矛盾の解決とはマルクスの有名な言葉を借りれば「矛盾の運動を可能にするような形態をつくりだす。これは,一般に現実の矛盾が解決される方法である。」(マルクス、資本論、国民文庫、第一分冊p.182,183 )対象化と一体化の「矛盾の運動を可能にするような形態」をつくりださねばならない。弁証法でいう歴史と論理の一致を適用し「自己疎外の止揚は,自己疎外と同じ道をたどる」(「経済学・哲学手稿」3,国民文庫、藤野渉訳,p.141)という若きマルクスを一般化すれば、矛盾の解決は矛盾の深化の道を逆にたどる、ただしもとの地点に戻るのでなくより高い統合点に着かねばならない一体化から対象化が分離した道を逆にたどり、しかも両者が統合された点に着かねばならない。

一体化と対象化の矛盾は、二つの面がある。一つは、直接に、自分の外に存在する客観的な何かここでの対象への尊敬,感謝の念,一体感と、対象を向上させようとする現世の努力の矛盾である。二つ目は、そのための主観的態度として、信じることと、相対化し批判することとの矛盾である。そもそも、唯物論という事実主義の立場に立たないとこの矛盾すら成立しない。唯物論という事実主義の立場以外では、尊敬,感謝の念,一体感の対象と、向上,努力の対象が異なり、信じ一体化する対象と、相対化し批判する対象が異なるからである。唯物論という事実主義の立場に立たないと、一体化と対象化は永久に別々に分離されたままであり続ける。唯物論という事実主義の立場に立った場合の対象は、数十億年の事実の歴史、その間に得られた真理、価値、歴史の論理の総体である。この対象に対して一体化と対象化を同時に行うのはまさに矛盾である。しかし、この矛盾を解決しない限り、信じることは行動のために必要だが、それだけでは、信じない他を排除してしまい、一体感は一体感の外の集団を排除してしまう。一方、相対化という対象化は、他を排除しないがそれだけでは一体感の安らぎは得られない。20100315,21,22,23

マルクスは、主観と客観の統合という形で疎外克服を論じた。20100215,0315

エミール・ポッティジェリは、それを次のように述べる。「ヘーゲルが絶対理念の弁証法で解決した主観と客観との同一性の問題,それをマルクスは具体的に解決する」「共産主義によって,人間は彼の真の自然(本性)を獲得し,そして疎外の時代には彼のすべての実践がそれに対立させていたところの世界を獲得するであろう」(エミール・ポッティジェリ,「経済学・哲学手稿」仏訳者の序文,藤野渉訳,p.256

対象化と一体化の矛盾を語ってきた。矛盾にはいくつかの型がある。対象化と一体化の矛盾は、対立物が全体の不可欠な要素ではなく、より大きな粒度の全体の不可欠な要素であるものである。この型の例としては、他に、主観と客観、認識と行動、男と女がある。この型は、普通は矛盾として扱われない。それぞれが通常の意味では単独で存在し、その上の粒度で始めて矛盾とされるからである。例えば、男と女は、個体としては矛盾でなく種という扱いの粒度で矛盾となり種の生存をもたらす。

この矛盾を解決すると新しい段階に達することができる。対象化と一体化の矛盾、主観と客観の矛盾が、矛盾として扱われその解決は図られるようになった時、マルクスが言っていた人間の前史は終わり歴史が始まる。このときに初めて「必要に応じて受け取り、能力に応じて与える」個性の社会が実現する。個の対象化と一体化の矛盾解決(のための努力)には、社会の「必要に応じて受け取り、能力に応じて与える」こと(のための努力)が相互前提となる。マルクスの難解な「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」「したがって一方,社会における人間にとって,いたるところで対象的現実が人間の本質的諸力の現実となり,人間的現実となり,それゆえに彼自身の本質的諸力の現実となることによって,彼にとってすべての対象は彼自身の対象化,彼の個性を確証し実現する諸対象,彼の諸対象となる,すなわち彼自身が対象となる」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.153)という27歳の若き日の言葉はこのような意味であった。20100324,25

主観的価値が、主観と客観の運動の一致(部分と全体の同一性)であるのと同様、客観的価値は、差異解消=同一化、等化であるという形式的な対比も成立する。20071020090901,20100323 (主観,客観という軸と一体化,対象化という軸の関係がまだ明確でない。20100225

対象化と一体化の矛盾の正しい解決の方法が今一番分からない点である。解決は永遠にされないが解決の方法はありその方法が分らない。さらに統合された対象化と一体化が正しいものである保証はどのようなものかも分らない。20091020,1110,1231, 20100221,0315,23,25,0406

2.事実主義による理想的な生き方から

唯物論という事実主義による理想的な生き方とは、事実だけに謙虚であり、対象的には、何ものも信ずることなく既存の観念と自己を批判し続け、常に他人と世界の向上、一体化に全力で誠実に努力し続けることである。

一体化する志向を持った認識と対象化する認識のうち、前者は主として感情が担い後者は主として観念が担うと考えられる。20090424,0731,20100221 前者は芸術、後者は科学に発展する。20100217自由が対象的認識,対象的行動で、愛が一体的認識,表現と対象的行動であろうか?10/02/18(この点については、「ヨハネの第一の手紙について」で論じた。)そうであれば、一体化と対象化の統一は、自由と愛の統一、芸術と科学の統一である。繰り返すことになるが、これは唯物論という事実主義による立場以外には得られず理解もされない。20100321

とりあえず、各人の自己意識と世界意識の同時生成、自己変革と世界変革、の同時実行が目的達成の手段である。20090305,0406,20100404各人の自己意識と世界意識の同時生成、自己変革と世界変革、の同時実行が目的である20090305,0406各人の自分を含む現実認識、自分を含む現実の変化は同時並列的にのみ得られる20090306

3.とりあえず全体の中の位置把握と与える実感ともらう実感

対策の一つとして目的の手段でもあり目的そのものでもあるのは、他人のため、胸を張って社会の役に立っているという実感を持つことである。物々交換は他に与えるものがあるということと他からもらうものがあるという前提で与えることともらうことを意味する。これはすばらしいことではないだろうか。これが始まりであり目的である。そして、分業が進展している現在は、全体を見通す能力、そのものの全体の位置を把握する能力、行為に人間のあらゆる能力を発揮する可能性を、皆に与えている。

与えることともらうことは物である必要はない。行為であってよい。与えることともらうことが同時である必要はない。しかし与える実感ともらう実感が両方必ず必要である。目的の手段でもあり目的そのものでもあるというのは完全な手段ではないことも示している。これをすぐに実現できなくしたものは何だろうかと考えるべきである。ここまで来てやっとマルクスを思い浮かべる。これは飛躍によっているのでこの飛躍を論理にしなければならない。誤解を招く言い方であるが今の制度の基で極限まで与える実感ともらう実感を得る努力をすべきである。その上でそれがどの程度実現できどの程度実現できないか、その根源を問いただすべきである。20090224,28,0305,0516,20100402,25

4.とりあえず芸術という解

芸術は、もともと一体化を目指す認識である。そうであれば、特定の「芸術家」だけでなく、全員が何らかの芸術行為を行うことが少なくとも必要であろうか。20100428 0503

(解決のためのいくつかの概念整理のいくつか)

いくつかの課題を未整理のまま記しておく。

1.どの領域の何か

今実現すべき価値はどの領域の何か、についても、まだ概略の検討がすんだだけで殆ど何もできていない。価値を実現する主体は、今取り敢えず価値の実現を望んでいる人である。価値は失われたのか?そうではないような気がする。求める価値と現実の差異が見えてきただけという気がする。チャンスではないか。(根源を問うことの内容)でこの一部を検討する。これは価値のうち人間の属性についての理想と現実の差異である。

ここでの「自己」、「他」の観念が、「家族」や地域共同体、最近では国家など自分の属する集団の中でどのように位置づけられていたか、今はどうなっているか、どうあるのがよいのかは明確でない。

2.今、詳論の余裕がないが、言葉の発生と普及と発展による情報の交換(人と人の間の情報の交換)と移動も以上と相互作用しつつ自己意識と相互作用してきた。情報の交換の技術の進歩(宇宙、航空、インタネット)による客観化、対象化の内容変化の可能性も活用しなければならばならない。サン・テクジュペリは「人間の土地」で航空機の高みから見る人間の生活の相対化を語った。今、月から見た「地球の出」の写真や宇宙ステーションからの地球中継は、人の認識の相対化にさらに大きなインパクトがある。この意味も十分解明されていない。20100317,18,23

3.神沢利子作「くまの子ウーフ」(ポプラ社)という童話集がある。この中に「ちょうちょだけになぜなくの」という短編が入っている。

ある日、部屋に入ってきたちょうちょをウーフは「ぼくのちょうちょだ」と言う。お父さんが逃がしてやりなさいと言うが、逃げそうになったちょうちょを、ウーフが逃がすまいとして窓を閉める。窓に挟まれてちょうちょは死んでしまい、ウーフは泣く。

それを見た狐の友達ツルタが、ウーフはいつもトンボの羽をとって遊んだり、てんとうむしをお尻でつぶしたりし、ビフテキを食べたりしていることを指摘して、からかう。

お墓を作ってやるが、そなえたドロップに蟻がたかる。ウーフは「なめちゃだめだ」「こら、僕がなめちゃうぞ」といってドロップをなめる。

「口の中で「たすけてくれえ」と小さな声がしたようだった。ウーフは息をとめて目をまるくしました」というところでお話は終わる。

問題提起だけで終わる。要約のできない,してはいけない物語である。生命の命への態度が何段にもなっていて、作者も整理せず大人へも問題を出したままにしている。「ぼくのちょうちょだ」と所有意識を持ったものに対してだけ悲しみの感覚が生じている。

「去るものは日々に疎し」、偽の一体感を所有意識により説明し解決策も示す。所有意識が一体化のキー?20100404

4.ほめられてうれしいのはなぜか。自分だけ評価されて評価されるべき他が評価されなくてもうれしいか。これは微妙である。間違ってほめられてもうれしくない。

寂しいのはなぜか。人といつも繋がっていたいか。今は繋がりがなくても繋がりが可能ならいいか。

一体化を本質とする芸術の誕生は人間のどの段階であるか。芸術と帰属意識の関係は?20090224,28,0301,04 20100404

「対象化という生き方」からの展開の第三段階)

20110112「対象化という生き方」から移行)

「対象化という生き方」の展開は5TRIZシンポジウムのままである。

欠けている大きなものは、下記の問題とこれらの関係の理解である。

1.前提に、実世界の矛盾の把握の困難さがあり、サルトルが「方法の問題」(全集、以下のページは本書)「弁証法的理性批判」で指摘したマルクス主義を生き方にするという課題を解決しなければならない。マルクス,サルトルと、教条的唯物論,教条的弁証法の態度の矛盾10/12/07である。これは、技術分野ではあまり気にすることの必要のない課題である。技術と制度の違いの検討も必要である。

2. 源的網羅思考のより深い検討が必要である。

3実世界の矛盾の解を求めるに際しては、それを「物理的矛盾」「技術的矛盾」に変換しないといけないという内容に関する問題である。

4.そして個と全体の統合である。20101204,05,07,20110204,15

新しい論理学は、これらを含み次の内容を持つ。20101213

 理想的な行為と思考の内容、本来のマルクスの考え方を展開し形式化したサルトルのいう全体化は、価値実現の最も重要な矛盾の運動であり、a)b)の二つの内容を持つ。(XX化という過程は必ず矛盾という運動の別視点表現である。過程は運動の別視点表現である、少なくとも一属性の二値の同時存在という矛盾の別視点表現である。XX化という過程は必ず二属性間の矛盾という運動の別視点表現である)

a)対象化:対象そのものを良くするための全体化=差異解消、という客観の全体化(全体の把握と必要かつ可能な内容の変更をすること)、その認識の全体化(これはb)に含め考えることもできる)について、瞬時に、私が、全体の把握と必要かつ可能な内容の変更をすること

b)一体化:個と全体(対象,共同体)の統一:a)の達成を前提にした自己(個)と対象(他者、もの)、共同体の統一という「一体」の対立の解消、認識の面での主観と客観の一致(これをa)に含めて考えることもできる)、行為の過程での生き甲斐、結果の達成感の獲得という主観と客観の一致、全体化を含む。

a)とb)は非対称である。なぜか?

行動、態度、思考は、三つに時間分離できる。その上で個々に検討する。対象化を扱う根源的網羅思考も三つに時間分離する。一体化:個と全体(対象,共同体)の統一を扱う思考と感情を扱う態度もこの時間分離に対応するものがあるのかもしれないが、これは十分に述べられていない。

1. 事前に検討、熟考しておくべきこと

(基本概念について)

 分かっていること0:下記の基本概念。

1)基本概念:粒度、事実オブジェクト(物、精神(私、私以外)、運動)、構造,階層

2)事実の歴史の総括による価値、価値と相互規定する機能,意味

3)変化、他との差異とこれらを処理する弁証法

弁証法は、A. 粒度 (D. 階層性、型の階層を含む:Da. 網羅の階層構造、Db. オブジェクトの選択の階層、Dc. 科学と弁証法の階層)に依存するB.相互作用、C.歴史性の論理である。(前の検討の記号のとおり) 全ては相互作用、運動でありその構造、歴史がある。矛盾より構造が先にある11/01/06,10相互作用が、矛盾と条件(的相互作用)と無視できるものに分かれる。矛盾認識は世界の構造の対立項による近似である。10/11/10,1204,20110112,13,14 矛盾という粒度があり10/11/17、サルトルは、方法の問題(全集)p.152-154で並列関係(構造)から矛盾へ、というストーリを述べている。10/11/18

B.相互作用、C.歴史性を矛盾で近似する。10/11/30,1204,13,171,20110107,24,0208

二変数の両立である矛盾の分析方法が一部分かっている。

課題0何が問題かを求める方法11/01/18つまり分かっていることと課題を分ける、という常に変わる作業が、思考の弁証法の出発点で大きな部分である。11/01/18,19

( a)対象化

分かっていること1対象的全体化の内容把握の概要。

この内容は、全体化のための論理である。サルトルは、方法の問題p.6‐9で歴史と真理の全体化=対立、差異解消ととらえる。サルトルの認識の実存主義10/11/21では一瞬の行動が全部を保持していないといけない。10/12/02 誤解されやすいが、これは対象化の論理である。20110211

a1)空間軸の全体性:一事が全体、物の世界の全体性と人の世界の全体性

a2)時間軸の全体性:瞬時に全体、という「一体」20101227,29,20110107,10

今、瞬時に私が全体の把握と必要かつ可能な内容の変更をすることが必要である

これらを可能にするのは、根源的網羅思考という態度と思考形式である。これは全過程を貫いて働き、内容と相互作用する。根源的網羅思考は、客観の全体化への態度であり、認識の面での完全な主観と客観の一致に向かう態度である。この理想的な行為と思考の論理学は、あらゆる状況に適用される形式である。(以下は二つ以上のいくつかの内容が含まれる、分けて記述すべき) あらゆる状況とは、行為、思考と両者の間にあり思考の延長にある表現(表現は対象化された思考のオブジェクトであり、制度には不可欠である20110119、行為、思考に論理はあるが表現にこの同じ意味の論理はない)のうち、

1.行為、思考、表現が該当する(個人で変更する単純な変更の場合行為と思考のみであることがある、制度的行為の場合、案の議論、説得が必要なので表現が加わる。)実際の現実の変更の場合(この場合、反対意見を排除する強制的実行が論理的に可能である。強制の扱いは課題である)、

2.思考、表現が該当する、複数案の比較をし議論をする場合、

3.思考、表現が該当する、他の説得をする場合

である。20110111

制度つまり共同観念の働く場では、正しさの証明を自分にも他にも提示する必要がある。全体の把握と必要かつ可能な内容の変更は、価値、目的の粒度(事実と目的は、価値の粒度が規定している)と、それを導く論理の正しさの二つの明示的な提示が結論のセットでなければならない。つまり価値、目的の粒度は検討の出発点であり結論の重要な一部でもある。特に決定的なのは、実質的に粒度、特に価値の粒度である10/12/03。実質的に粒度であるという意味は、第一に、粒度が瞬時に仮の形にせよ設定可能であり、しかも日常、我々はいつも粒度を無意識に設定して生きているので、本来、選択の任意性があり、第二に、論理は逆に本来は、「正しい」論理がただ一つあるはずで固定的決定的であるであるはずであるからである。11/01/11,20110208これこれの粒度の目的を述べ、それはこれこれの手段で達成でき、その手段で当初の目的が達成できることが確認できると述べることが、実世界の変更、相手との議論、相手の説得に共通する。20110109,0208粒度、特に価値の粒度設定とその理由の提示が求められるのは、制度に限らず全領域である。20110213

20101205のあるメールの一部:事実、目的、解、という三項があり、一般に、事実、目的は、双方とも客観的に定まっているものだということを前提に議論がされ、それで解が出されます。特に事実は定まっているから事実だし、目的についても、議論において、必要なほど十分には明示的に確定的に述べられません。

しかし、事実の認識像、目的、解、は同時に決まるのですね。つまりこの三者は相互規定し合っています。事実と目的が解を規定するのは当然ですが、解が出ないようなとてつもない目的は設定されないし、目的が明確になってはじめて事実は認識され、云々。

それでは解は永遠にでないので、論理を進めるためには、事実と目的を確定しなければならない。事実と目的を確定するためには、事実と目的の粒度を確定しなければならない。あるものの粒度とは、そのものの空間的時間的範囲、抽象の程度です。

問題は、どのような粒度で議論されようが、論理的に正しい論述が行えて正しい解が出る、ということです。世の中、粒度が違うためにすれ違う議論ばかりです。)

課題1多変数空間の分析と解(とりあえず三変数の)が必要である。疎外は制度における二変数の矛盾技術的矛盾TCの典型である。(サルトル、方法の問題(全集)p.10310/11/07,08, 11/01/06,07,13,14,20110204多対多の構造分析の手法は定式化されていない。特に、制度の場合、関係は一対一だけですまない。社会は複数の制度において複数の人が行動する。マルクスが政治の大局を構造分析した論理は定式化されていない。構造分析のためにまず必要なのは、構造の単位を確定する粒度であるが、問題は粒度、単位の機能、全体把握が同時決定過程であることだ。マルクスが政治の大局を見ぬけたのはこの同時把握に秀でていたということだろうが、その論理は可視化、対象化されていない。認識は分析だと言ってきた気がするが、認識にも合成が必要であるという面も大きい20110301。

(制度の)複数価値実現が課題である。

a1)空間軸の全体性:一事が全体:物の世界の全体性と人の世界の全体性がある。他人の行動をどうするか、10/12/19。他人を含んだより広い粒度の価値が必要で自分と他人という「一体」という型の対立項の発見がより広い粒度をもたらすであろうか?11/01/10 一事が全体という対象性の問題だけでなく、「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」マルクス「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.153)という、制度の、つまり複数人の価値の実現という問題がある。制度にも、我々が歴史を遠くさかのぼればのぼるほど、ますます個人は、それゆえまた生産する個人は、自立していないものとして、一つのいっそう大きい全体に属するものとして現われる――初めはまだまったく自然的な仕方で家族のなかに、そして種族にまで拡大された家族のなかに、後には諸種族の対立と融合から生じるさまざまな形式の共同体のなかにあらわれる。18世紀になって初めて、つまり、「市民社会」において初めて、さまざまの形式の社会的関連は、個々人の私的目的のためのたんなる手段として、外的必然性として、個々人に対立するようになる。しかしこのような立場、つまり、個別化された個々人の立場をつくりだす時代こそ、まさにこれまでのうちでもっとも発展した社会的な(この立場からすれば一般的な)諸関係の時代なのである。人間はもっとも文字どおりの意味でポリス的動物である。たんに社会的な動物であるばかりでなく、社会の中でだけ自己を個別化することのできる動物である。』『経済学批判への序説』『マルクス資本論草稿集』1、26-7頁」(野波俊一的仕事集、資本論ノート1, http://tyamati.hp.infoseek.co.jp/sihon1.htm) という視点の階層がある20110203

空間性:制度における二変数の解:1) 制度(家庭、社会、種族という階層)内複数価値、2) 制度間複数価値

以上の機能上の課題を、手段、方法の面で言うと、総合、合成が課題であるということになる。分析は抽象化かつ分割、総合は具体化かつ全体化なのであった。具体的変更は総合化、全体化なのであった。20101102, 03, 04, 28,20110102,0213 認識は分析だけでなく合成が必要な決定行為なのであった20110301。

総合の方法については、サルトル、Arshadの指摘とともに、高原「情報システム方式設計業務における総合決定」(平成6年情報処理全国大会,7S-06,1994.3)や十数年前?の情報処理学会全国大会の東大生産技術研究所の筆者による、同時的、並列的に次第に具体化の程度を高めていく方法の詳細化が必要である。生産技術研究所の筆者は、本棚からはみ出している百科全書を棚にしまうためには、一冊づつ押し込んだのでは入らない場合でも、いくつかを同時に少しづつ押し込んでいくと入ることがあるという指摘をしていた。工作での工夫でも同様なことがあるという指摘をしていた。20101231,20110102

合成については、1.目的の型に依存する合成という視点の検討、2.時間軸上の過程分析が必要である。1)複数値の同時処理、21)展開(横、階層)するコンセプト処理、22)副作用処理、3)解コンセプトの具体化。10/10/10,20110110

想定している解き方は、Larry Ballの発展として、

1.人の機能を実現する粒度,密度がある単位毎に一つあり、各単位の機能の両立を実現する構造がもとめるシステムである。(この粒度が異なる場合はありうるか?異なる場合の処理があるとしたらどんなものか?20091222) 

2.(オブジェクトは最小の、しかしそれ自体一つの粒度、密度である) あとは「理想化」によって上位のシステムを最小化していく。この「単位」と領域、人とどう関係しているかは課題である。20090326,27,0416,23,1129

現実について、複数の異なった価値を実現するサブ世界を型の要素とすることは重要な案である(例:商業マスコミ、保守政治、)。これは「何を」「領域」「変化の方法」の「領域」に力点を置いた型である。

分析的理性と対比した弁証法的理性10/10/30、弁証法の方法、総合の関係について、サルトル、方法の問題(全集)p.32, 34, pp.60-61, p.90, p.113-4, p.120, p.134、安易な一般化のみがあるというArshadTRIZ詳細よりも一般性を重視する」という指摘(「TRIZのいままでの旅程とこれからの道」http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jforum/2010Forum/ArshadForward2010/ArshadForward100508.htmとの類似性)参照。

課題2認識された矛盾を変更の矛盾に変換し、一属性の変化、または対立物の型毎に、一つの属性の二つの値の物理的矛盾を解く、または二つのオブジェクトのそれぞれの属性または一つのオブジェクトの二つの属性の技術的矛盾を解く。

目的の型、対立物の型毎に

1.一属性の変化、

11.量的変化、質的変化、生成、消滅という結果の型

12.手段の型

2.一つの属性の二つの値の物理的矛盾

21.運動、両立、解決できないまま、という結果の型

22.手段の型

3.二つの属性の技術的矛盾

31.両立か相手の消滅か?という結果の型

32.対立物11)は方法D、対立物12)は、方法UPMによるという手段の型

がある。これらの組み合わせ(ありえないものあるか?)が解を近づけるはずである20101223。

 1.目的の型:新機能生成、理想化、問題解決のどれが一番良いかは現状に依存して決まる。20100216,1217目的の型→目的実現の型20100426

2.オブジェクト変更の型:

21.現実のオブジェクト世界が持っている潜在能力がどう対応できるか

3.オブジェクト変更の型と操作・変換の型の関係

価値、目的、領域(制度(物に担われる制度、人の共同主観、人の主観、と技術の区別、さらにその中の区別)、がオブジェクト操作、変換方法を規定、限定するか?20081115,20100104

オブジェクト変更の型:変化の型がシステムオブジェクトの型(機械的、化学的、生命的、社会的)を決めるか?そうだが包含関係だけがある。20091206,22,20100104

 (b)一体化

苦闘が続いている。20110214弁証法論理「唯物論,事実主義宣言」ノートの対立物の項参照20110228

課題3一体化:個と全体(対象,共同体)の統一という矛盾の構造。一般的に一体という型の矛盾の構造。矛盾の解決。

 

矛盾の構造について分かっていること2

対象の全体化が解決しても、b)の全体性が今は得られないことは明白である。一体感も、理論的にさえ客観の保証がなく思いこみによる自己満足に終わる恐れがある。一体化を目指す主観的意図とそれが実現できないかもしれない客観との隙間を埋めねばならない。この隙間を埋めるためにできることをすべてやらねばならない。

隙間を埋めるためにできることの第一は、全体性が今、直ちには得られないことが明白であるので、変化という視点で全体を目指すことである。変化という視点で全体を目指すことの持続(今のままの変更または変更の仕方の変化の持続)で全体性の代わりにするしかない。問題はこれができる最大限であるということである。20101229。(高原利生の差異解消理論は変化が単位である。マルクスの存在把握とサルトル方法の問題(全集)p.155- がこれを後押ししてくれる。10/11/17

 

矛盾の構造と解決について分かっていること3第二に、「一体」という型の矛盾(「粒度、機能,属性、弁証法論理」対立物の構造の項参照)を含むらしいことから生ずる困難への対処をおこなわねばならない。困難であるが、困難ゆえ豊かで高度な解決が得られるはずである。弁証法論理「唯物論,事実主義宣言」ノートの対立物の項参照20110228

一体型の矛盾解決は、各対立項自体の完全さ、相互作用、変革の永続を必要とする20110117  関連する各項(サブ項を含めて)の同時充足相互に条件になっている。20110107,0206,08

b)一体化:個と全体(対象,共同体)の統一:a)の達成を前提にした自己(個)と対象(他者、もの)、共同体の統一という「一体」の対立の解消、認識の面での主観と客観の一致(これをa)に含めて考えることもできる)、行為の過程での生き甲斐、結果の達成感の獲得という主観と客観の一致、全体化を含む。他に抜けは?

次のようなこの矛盾の構造と要件がある。

1) a)の達成を前提、

a1) 空間軸の全体性:一事が全体、物の世界の全体性と人の世界の全体性がある。

a2) 時間軸の全体性:瞬時に全体、という「一体」

という理想と現実の矛盾であるTRIZの矛盾の拡張である。必要のない日常の場合あり、必要があるのはどういう条件か?

#1

21) 自己(個)と対象(他者、もの) という「一体」の矛盾の解消、という「一体」の矛盾の解消、3) これが、全員にとって必要であること、4) 客観、主観と客観の統一、主観 20110213 5) 認識(これをa)に含めて考えることもできる)、行為の過程 (4)5)を含む)20110117,0210,13  6) 空間と時間という認識形式(これは相互作用する認識の形式である。上の矛盾を含むその形式である)

234、動的一体のために1も。11/02/12

「経済学・哲学手稿」における労働の矛盾の展開20110216参照。

#3 1.認識の面での主観と客観の一致は、私の変更行為が私以外のものの変更を含む場合は、その変更のための認識と変更の内容と意味を私が理解すること、その変更のための認識と変更の内容と意味の全体の中の位置を理解すること(これはa) にも含まれると考えることもできる)

#2 2.行為の面での主観と客観の一致で、行為の過程での生き甲斐,一体感、結果の達成感,一体感である。一体感とは一体化、全体化の意識である。このことを可能にするのが何なのかまだ分からない。

#4 空間性:制度における二変数の解:制度(家庭、社会、種族という階層)内複数価値と制度間複数価値

一体感は静的な帰属感と所有感の他、個と対象の関係が個、対象の全面である動的意識11/02/12

 

#これらをオブジェクトの用語で言う。言えるか?a)は言える。11/02/15

もの、他者、共同体(その種類)で異なる。

客観、主観と客観の統一、主観、認識(これをa)に含めて考えることもできる)、行為毎に、

一体はその関与する属性に関して、関与が全体?位置?11/02/15

 

22) 自己(個)と共同体の統一という「一体」の矛盾の解消、3) これが、全員にとって必要であること、4) 客観、主観と客観の統一、主観 20110213 5) 認識(これをa)に含めて考えることもできる)、行為の過程 (4)5)を含む)20110117,0210,13  6) 空間と時間という認識形式(これは相互作用する認識の形式である。上の矛盾を含むその形式である)

一体感は、帰属感(自分が何かに属している感)と所有感(何かいい名前があるかもしれない、何かが自分に属している感)からなる「一体」矛盾である(他にどういう矛盾?)ので、帰属感と所有感が解決のカギかもしれない。物々交換の検討参照20110214

私的所有はわれわれを非常に愚かで一面的なものにしてしまったので,ある対象がわれわれの対象であるのは,われわれがそれを持つときにはじめてそうなのであるつまりそれがわれわれにとって存在しているか,それともわれわれによって直接に占有され,食われ,飲まれ,われわれの身につけられ,われわれによって住まわれ等々,要するに使用されるときはじめてそうなのである。

もっとも,私的所有は,占有のこれらすべての直接的実現そのものを,再びただ生活手段とのみ解するのであって,それらが手段として奉仕する生活とは,私的所有の生活,すなわち労働と資本家なのである。したがって,すべての肉体的および精神的な感覚のかわりに,これらのまったくの疎外,すなわち持つことの感覚が現れた。人間存在は,その内的な富をおのれのそとへ生みだすために,この絶対的な貧しさへ還元されねばならなかった」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.151-2

私的所有の積極的止揚は,人間的生活を我がものとする獲得として,いっさいの疎外の積極的止揚であり,したがって人間が宗教,家族,国家,等々から彼の人間的な,すなわち社会的なあり方へ帰ることである(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.147

 

7) 確信と謙虚さ、確信と批判、考えて得ることと学んで得ることという一体矛盾

#1 時間性:変化の視点での仮の全体性が、自己満足に終わらず、主観的かつ客観的全体性であるためにできることは、常に変更が変更オブジェクトの粒度外への副作用をも考慮した結果の確認を行い必要な修正を行い続けることとその結果の達成感があること、変更を続ければ全体化が達成される可能性の客観的保証があることとそのことへの主観的確信があることが必要である。これ自体、主観と客観の相互作用であり矛盾の運動過程である。サルトルの先権性の排除10/11/21、サルトル方法の問題(全集)p.162-3前進的遡行的に関する記述10/11/17、10/11/23、手順と精神の矛盾解消10/11/28、先覚による開拓と後継による普及の矛盾10/11/21が時間軸の全体性に関わる。運動と存在の統一、変更と運用(サルトル方法の問題p.158, 162)の統一10/11/17もこれに関する。

これらは1)6)の態度を規定する矛盾である。主観的確信は持続の力にもなるので必要であるが、確信もそれぞれ謙虚さと批判と一体矛盾を形成する対立物の一項でもある。このことを忘れないことも困難なことであり実現はさらに困難なことである。

10/12/19,23,25,27,29,31,20110109,10,12,17,19,24,0203,04,10,14

矛盾の解決について分かっていること4「自己疎外の止揚は,自己疎外と同じ道をたどる」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.141) 「人間生活の諸形態の考察,したがってまたその科学的分析は,一般に,現実の発展とは反対の道をたどる。」(資本論、国民文庫版、第一分冊、p.136

以上は、本矛盾a)b)の全体そのものとその主要な条件である。20110101

 

「経済学・哲学手稿」における労働の矛盾の展開20110216

1. 「労働の実現が,国民経済学的状態においては,労働者の現実性剥奪として現れ,対象化が対象の喪失および対象の奴隷たることとして,我がものとする獲得が[よそのものになる]疎外として,[手ばなす]外化として現れる。」(「経済学・哲学手稿」1,藤野渉訳,p.98)本質的な行為プロセスがある条件下で別の質に変わる。この行為を一般化しても同じ。一般化した粒度においても現象論であることに変わりはない。20110216

「彼は彼の生命を対象の中に入れる―しかしいまやその生命はもはや彼に属さず,対象に属している」(「経済学・哲学手稿」1,藤野渉訳,p.99)労働というプロセスは生きるということである。このプロセスは相互作用であるから自分と対象に結実する。これは生きるプロセスの意味が、「国民経済学的状態」の条件下で対象には結実し自分には結実しないという単純化であり、対象に結実した意味の本質を問わないととらえている点で、単純化あるいは間違である。20110216

「疎外された労働は人間から,(1) 自然を疎外し,(2) 人間自身を,人間の自己の活動機能を,人間の生活活動を疎外することによって,それは人間から類を疎外する。それは人間にとって,類的生活を個人的生活の手段たらしめる」(「経済学・哲学手稿」1,藤野渉訳,p.105)現象論の空間的粒度を広げる。20110216

「われわれはたしかに外化された労働の概念を国民経済学から,私的所有の運動の結果として得た。しかしこの概念の分析にさいして明らかになることは,たとえ私的所有が外化された労働の根拠として,原因として現れるにしても,それはむしろその帰結なのであって,」「のちになるとこの関係は,相互作用に変わる」(「経済学・哲学手稿」1,藤野渉訳,p.114「一方ではそれ(私的所有:高原)は外化された労働の所産であり,そして第二にそれは,労働がそれをとおして外化する仲介手段であり,この外化の実現であるという秘密である」(「経済学・哲学手稿」1,藤野渉訳,p.114)外化された労働と私的所有の同時成長という矛盾の構造20110216

「人間自身はもはや私的所有の外的なあり方にたいする外的な緊張のなかにあるのではなくて,むしろ人間自身が私的所有のこの緊張したあり方になっているからである。以前には人間の,おのれに外的であること,実在的な外化であったものが,ただ外化の行為,外に出すことになっている」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.136)外化された労働と私的所有の同時成長の結果がもたらすもの。なぜ「人間の,おのれに外的であること,実在的な外化であったものが,ただ外化の行為,外に出すこと」になるか?前に述べた単純化があるのではないか?20110216

「しかし,無所有と所有の対立は,労働と資本の対立として理解されないかぎり,まだ無頓着な対立,おのれの内的関係に対するおのれの活動的なつながりにおいて把握されない対立であり,矛盾として把握されていない対立である。」「所有の排除としての私的所有の主体的本質,労働と,そして,労働の排除としての客体的労働,資本とは,私的所有――それの発展した矛盾の関係としての,それゆえに,一つのエネルギッシュな,解消に駆りたてる関係としての――である」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.141)矛盾の構造。「無所有と所有の対立」「労働の排除としての客体的労働」というところ他に前に述べた単純化があらわれている。20110216

「私的所有の関係は,労働,資本,および両者の連関である。

これらの諸項が経過しなければならない運動は,

第一に―両者の直接的あるいは媒介された統一性。

資本と労働は最初はまだ一体。次に,なるほど分離され疎隔されるけれども,互いに積極的な条件として相手を助長促進しあう。

[第二に]両者の対立。たがいに相手を排除しあう。

[第三に]各者の自分自身にたいする対立。資本そのものは]自分とその利子に分かれ,,,資本家が残りなく犠牲に供される。」(「経済学・哲学手稿」2,藤野渉訳,p.130実に優れた、この単純化された矛盾の構造の定式化で、一般化可能である。20110216

 2. 三つ課題がある。一つはこの単純化された定式化の単純すぎる解決による次の共産主義の姿の修正が必要かどうかの検討である。20110216

「人間は彼の生活活動そのものを,彼の意欲および彼の意識の対象とする。人間は意識的な生活活動を持っている。(中略)人間が一つの意識的存在であるのは、すなわち、彼自身の生活が彼にとって対象であるのは、ただ、まさしく彼が一つの類的存在であるからにほかならない。ただこのことによってのみ,彼の活動は自由な活動である」(「経済学・哲学手稿」1,藤野渉訳,p.106「人間の自己疎外としての私的所有の積極的止揚としての共産主義。それゆえに,人間による,人間にとっての人間的本質の現実的獲得としての共産主義。それゆえに,完全な,意識的になった,そしてこれまでの発展の富全体の内部で生成したところの,人間の――一個の社会的な,すなわち人間的な人間としての人間の,自己にとっての帰還としての共産主義。」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.145-6「人間と自然のあいだの,また人間と人間のあいだの抗争の真実の解決であり,現存在と本質との,対象化と自己確認との,自由と必然との,個と類との争いの真の解決である。」「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.146「人間はただ思考のなかだけでなく,すべての感覚でもって,対象的世界のなかで肯定される」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.154「私的所有の積極的止揚は,すなわち,人間的な本質と生活,対象的人間,[人間的製作物を人間にとってかつ人間によって感性的に我がものとする獲得は,たんに直接的,一面的な享楽の意味,たんに占有の意味,持つという意味においてのみ解されてはならない。人間は彼の全面的本質を,ある全面的なしかたで,つまりある全体的な人間として,我がものとする。世界にたいする彼の人間的諸関係の各々,すなわち,見る,聞く,嗅ぐ,味わう,触感する,思考する,直感する,感覚する,意欲する,活動する,愛すること,要するに彼の個性のすべての器官は,直接にその形態において共同的器官として存在する諸器官と同様に,それの対象的ふるまいにおいて,すなわち対象にたいするふるまいにおいて,対象を我がものとする獲得である。」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.151「私的所有の止揚は,すべての人間的な感覚と性質の完全な解放である。しかしそれがこの解放であるのはまさしく,これらの感覚と性質が主観的にも客観的にも人間的になっているということによってである。目は,その対象が一つの社会的,人間的な対象,人間から起こる人間にとっての対象となっているように,人間的な目になっている。それゆえ諸々の感覚は,その実践において直接の理論家となっている。それらの感覚は事物にたいして事物のためにふるまう。だが事物そのものが,それ自身にたいする,および人間にたいする,一つの対象的な人間的なふるまいなのであり,またその逆でもあるのだ。それゆえに要求ないし享楽はそのエゴイズム的な本性を失っており,自然はその単なる効用を失っている。というのは,効用が人間的な効用となっていることによってである」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.152「豊かな人間と豊かな人間的要求とが現れる。豊かな人間は同時に,人間的な生活表明の全体性を必要としている(欠いている)人間である」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.158

3. 第二の課題は社会性の検討である。(ここに見る限りマルクスは十分に説明していない)20110216

「我々が見たのは,積極的に止揚された私的所有という前提のもとで

いかに人間が人間を,自己自身と他の人間を生産するか,いかに人間の個性の直接の実証である対象が同時に, 他の人間にとっておのれ自身の現存在であり,他の人間の現存在, しかもおのれにとっての他の人間の現存在であるかということである。

同様にしかし,労働の材料も主体としての人間も,運動の成果であるとともに出発点でもある。こうして運動全体の社会的性格が,その一般的性格なのであって,社会自身が人間を人間として生産するちょうどそのように,社会は人間によって生産されている」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.147-8

「活動と享楽は,その内容にとってと同様に,存在様式からいってもまた社会的であり,社会的活動と社会的享楽である。自然の人間的本質は社会的人間にとってはじめて存在している。なぜなら,ここにはじめて自然は人間にとって,人間との絆として,他の人間にとってのおのれの現存在およびおのれにとっての他の人間の現存在として,同様にまた人間的現実の生活のエレメントとして,現存しているからであり,ここにはじめて自然は人間自身の人間的あり方の基礎として現存しているからである。ここにはじめて人間にとって,彼の自然的あり方が彼の人間的あり方となっており,自然が彼にとって人間になっている。こうして社会は,人間と自然の完璧な本質一体性であり,自然の真の復活であり,貫徹されたる,自然のヒューマニズムである」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.148「私は人間として活動しているがゆえに社会的である」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.148「同様に他の人間たちの諸々の感覚と享楽も,私自身が我がものとする獲得となっている。したがって,これらの直接的な器官のほかに社会的諸器官が,社会という形態において形成される。たとえば他の人々と直接に共同して行う活動等々が,私の生活表明の一器官となっており,」

4. まだ明確にならない社会性を前提にしての話であるが、)理想の人生、労働をオブジェクトの用語で述べることである。

「社会における人間にとって,いたるところで対象的現実が人間の本質的諸力の現実となり,人間的現実となり,それゆえに彼自身の本質的諸力の現実となることによって,彼にとってすべての対象は彼自身の対象化,彼の個性を確証し実現する諸対象,彼の諸対象となる,すなわち彼自身が対象となる」マルクス「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.153)この「人間」は、自分という(属性の総体)である。個に特有の、属性(現実化した属性、可能性としてある属性)が個性である。「人間の本質的諸力」とは、個性の価値が理想的に発現される属性(現実化した属性、可能性としてある属性)である。理想的には、相互規定される個と対象の双方は一体で、個と対象の双方の価値、意味が同じ状態での両者の相互作用が行われる。これは個が理想的に生きることである。相互規定される個と対象の双方が一体であるのは当然なので、個と対象の双方の価値、意味が同じ両者の変化の価値、意味が同じということが本質的である。20110203,04,10,17,19,20

「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.153

5. この矛盾の構造と解消手段

抽象的形式的解消か原因の解消か?20110217

2. 瞬時の今の態度

瞬時に、全体把握と必要かつ可能な変更像決定のために今決めねばならぬものは何か?事実と価値を具体化した目的について粒度の特定、解の同時決定が本質的であるが、そのために特に決定的なのは、実質的に粒度、特に価値の粒度であった10/12/03。実質的に粒度であるという意味は、粒度が必要かつ瞬時に仮の形にせよ設定可能であることである。しかも日常、我々はいつも粒度を無意識に設定して生きている。11/01/11新しい粒度設定が「今」態度として必要でありそれが1)対象化のための生き方の99%である。

21.価値の粒度、 "to be or not to be" (PC1)

22.事実、オブジェクトの粒度、オブジェクト構造10/11/11

23. PC2 and TC2

 そして重要なことは、2)対象化と一体化の統合は、今、この瞬間にだけなされるということである。どのようになされるのかはまだ謎であるが。

3. 時間のかかる今の方法検討:弁証法

事実、価値を具体化した目的について粒度の特定、可能な変更方法を極限化の検討の上特定する20101205(変更の極限化は、目的か手段か?この位置?これが下記の32のどこで出てくるか?32の外の論理。この種の他の論理?10/12/29)

ここでは瞬時に仮決定しなければならなかった粒度の検証を行わねばならない。粒度は決めねば思考が続かないが、正しい保証はない。決め、同時に修正することを常に行わねばならない。

31. 事実の認識:歴史性と認識の弁証法

32. 事実の変更(労働、生活):変更の弁証法

(まとめ)

1. 技術と制度の変数、対象化

11111. 技術における一変数の解、112.技術における二変数の解

12121. 制度における一変数の解、122. 制度における二変数の解

1221.制度(家庭、社会、種族という階層)内複数価値、1222.制度間複数価値

2. 一体化:全員にとって個の今と全体の統一(空間的時間的全体性における統一)(必要のない日常の場合あり、必要があるのはどういう条件?階層がある)

以上は、まだ網羅されておらず、自己批判であり同時に俗流左翼や宗教的教条への批判にもなっている。

11/02/03,04

20100215,28,0301,1107,08,10,12,1204,05,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,27,28,29.30,31, 20110101,02,03,07,09,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,24,25, 0203,04,07,08,10,12,13,14,15,16,17,19,20,26,27,28,0301なおこれは論理学なので一体化のた,めの方策は含まない(と書こうとして、含んでも良いのではないかという気もしてきた。愛や一体化を形式的に扱うのも論理である。20100226,28)。

 

(参考資料)

唯物論

高原:「『フォイエルバッハ論』における唯物論」および「『フォイエルバッハ論』における唯物論 その二 ―― 科学としての唯物論 ―― 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

科学と芸術、技術と制度

高原:「文化論ノート――自然・文化・人間についての技術者の一試論――」未発表(毎日21世紀賞「人間と環境」応募論文の一部 1985.06.)、高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

高原:「理想技術論と情報ネットワークシステム」(抜粋)(応用科学学会誌Vol., No.1、199002)、高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

オブジェクトとオブジェクト変更

高原:「オブジェクトについて」 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

[FT04] 高原:「オブジェクト再考」FIT20042004(『高原利生論文集』 に含まれているhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ )

[FT051] 高原:「オブジェクト再考2―現実表現のための最小オブジェクトセット―」FIT20052005(『高原利生論文集』 に含まれているhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ )

[TS01] 高原:「オブジェクトの再把握とそのTRIZ,USIT,ASITへの適用」、第1TRIZシンポジウム、2005 (『高原利生論文集』 に含まれているhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ )

[TS02] 高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法またはBall氏の階層化TRIZアルゴリズムについてのコメント」、2TRIZシンポジウム、2006高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ 『高原利生論文集』 に含まれている

[TS03] 高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2」、3TRIZシンポジウム、2007高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ 『高原利生論文集』

[TS04] 高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3」− http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2009Papers/TakaharaTRIZSymp2008/Takahara-TRIZSymp2008-090708.htm   、スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 [一旦ファイル保存してから、PowerPointで開き、標準表示で下部にノートを表示させるか、あるいはメニューバーの表示からノート表示を指定して表示させて下さい。保存せずに直接開くとノートが読めないようです。] 論文PDF: 和文 英文 、紹介 (中川 ) 英文 “The General Picture of TRIZ From the Viewpoint of Changing Objects―A Method of Resolving Differences Based on the Concepts of Functions and Process Objects Part 3―“,(英文10 ページ,英文スライド32ページ、講演内容の英訳付き) 第四回TRIZシンポジウム, 2008.09.10-09.12

視点、粒度                           

高原:「オブジェクト再考3−視点と粒度−」FIT2005、(『高原利生論文集』 に含まれている

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm高原利生ホームページ

http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ )

価値、愛

高原:「ヨハネの第一の手紙について」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

根源的網羅思考、生き方

[FT09] 高原:「弁証法論理の粒度,密度依存性」 FIT2009. 2009

http://www.sofken.com/FIT2009/pdf/D/D_046.pdf (和文2 ページ)

[TS05] 高原:TRIZという生き方?”,

(和文8ページ,和文スライド27ページ)

“ TRIZ as The Way of Life? Part 2“,
(
英文スライド27ページ)
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2010Papers/Takahara-TRIZSymp2009/Takahara-TRIZSymp2009-100918.htm

[1] 論文概要 (著者和文 (概要と拡張説明、1ページ)    英文(概要のみ)

[2] 発表スライド (27和文PDF            英文PDF

     発表論文 (8ページ) 和文 PDF

[3] 中川による紹介 (Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2009」からの抜粋) (2010. 2. 4) 英文

[4] 発表全文 (スライド + トーク + 補足説明)  (著者作成 2010. 8.22)  和文     英文

 [FT10] 高原:TRIZと生き方における対立物の構造と根源的網羅思考“, FIT2010, 2010.09.
(
和文4 ページ)
[TS06] 高原:理想的TRIZ TRIZという生き方その2”,
(
和文8ページ,和文スライド32ページ)
“The Ideal of TRIZ  TRIZ as The Way of Life? Part 2“,
(
英文10 ページ,英文スライド32ページ)
第六回TRIZシンポジウム, 2010.09.09-11

[RT10] 高原: 根源的網羅思考によるオブジェクト特定と命題,法則の変更」, 電気関係学会中国支部連合大会, 2010. (和文2 ページ)

根源的差異解消:「唯物論,事実主義宣言」ノート

本稿は、もともとの唯物論,事実主義宣言ノートの前半部分である。これに、「対象化」という生き方」「対象化と一体化の統一」が続く。本稿は将来「対象化という生き方」に統合されるものである。もともとの唯物論,事実主義宣言ノートはいくつかの草稿に移行、統合された。思想の方法ノートも解体し本稿にとりあえず統合した。「型」「粒度、機能,構造、弁証法論理」を分離した。20100403,05,07,11,12,13,14,15 0503

 ((根源を問うための形式と内容の検討)):最も疎粒度,密度の検討

 最も疎粒度,密度の検討が事実に向き合う姿勢の検討である。粒度,密度が様々な問題のキー概念である。20090519,20,30

どの領域の誰のということを前提に、a.現実、目的、問題、解決策への姿勢、視点(20090521まではオブジェクトの粒度,密度への姿勢、視点に限定していた)b.目的と現実から得られる差異=問題の把握、c.解決策の把握、d. b.c.における相互規定への方法上の対処、の順に述べる。この順は記述の順で思考の順ではない。もちろんb.(どの領域の誰の)目的と現実から得られる(適切な粒度,密度の)問題=差異がまずあり、c.解決策で差異を解消する、そのための前提a.b.c.のもとになっている。d.b.c.の共通の方法になっている。しかし思考はこれらの過程の同時並行で進む。

20090325,26,27,0406,17,18,20,23,0503,20,21.30,0602

まず常に考え直し常に原点に戻るための思想と方法へのa. 姿勢、視点が重要である。視点を規定する要因については、「オブジェクト再考3−視点と粒度−」FIT2005  を参照のこと。

生き方の理想解を考える。完全な認識、完全な実践の方法というものはない。理想的な生き方とは、既存の観念を含む事実に謙虚であることと、同時になにものも信ずることなく、既存の観念と自己を相対化し批判しながら価値と実現方法を求め続け、同時に自己と他と外部の変革を同時に努力し続けることとの矛盾の解決である20090806。いくつかは制度と技術に対する態度は共通である。

姿勢、視点 a1変化と持続

外部に対する行為、思考の内部の両面について変化を重視し、変化を扱う方法も求める。第一に、大事なのは、行為の結果もたらされた結果ではなく、行為そのものとそれによる変化である。達成された状態より変化が重要である。これは粒度、密度そのものについてのとらえなおしになっている。つまり価値の時間粒度は極めて小さく変わっている。これは技術における目的の場合と制度における目的の場合で異なるかもしれない。人と制度については明らかに変化とその蓄積が重要である。人と制度については変化の行為は観念に蓄積され続ける。その変化がよいかどうかを謙虚に誠実に検証し続ける必要もある。20090428,0521,0603,0716大事なのは、行為の結果もたらされたものではなく、行為そのものとそれによる変化である。(「唯物論宣言」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)。共産主義は理想でなく日常の努力であるとマルクスは「ドイツイデオロギー」の中で語っている。これは目的、理想とされるすべてに当てはまる。達成された状態より変化を優位とする。昨日より今日が少しよくなっていること、明日はさらに少しよくなることが重要である100の状態に安住するより、今0でも1でも0.0000001ずつのプラスの変化を続けるほうがよいのである。20090521,0715,1128

外への機能に関し変化が静的状態より重要というだけではなくて、第二に、それをもたらすことを保証する、思考内部にとっても変化をもたらし続ける思考が重要であり、変化を続ける態度、より重要な変化をもたらし続ける態度が重要である。書かれたものは観念の運動の結果である。観念の運動の結果から観念の運動を再現するのは一般に不可能である。しかし大事なのは、書かれた結果でなく書かれる前の観念の運動である。20090628,1128追加

第三に、変化を直接扱う方法が必要である。これについては第三回TRIZシンポジウム(TS3)で方法を示した。これは技術にも共通である。TS3でたまたま変化を扱う方法に到達した。また、書いてないことは、もとからないのか熟慮の末削除されたのか区別できない。変化の経過が記述されてあれば区別できる。20090731

姿勢、視点 a2批判、相対化:自分で思想や方法をゼロから作る努力、既存の観念と自己の批判と相対化20090204,0717,18

変化のために、既存の枠組みと自己をどう変えねばならないかが次の課題である。この理想解は何か、そのためにどうすればよいか?

苦労して作ったものだけが分かるのはなぜか?聖書や仏典ができた時のいきいきした精神を学ぶにはどうすればいいのか?あるいは新しい思想、方法を作るにはどうすればいいのか?聖書や仏典ができた時のいきいきした精神は、結果が記述されたものの普及の段階で必ず失われてしまうのはなぜか?

彼らが求めたものを求める、または自分で思想を作る、その際に彼らの書いたものを参考にし、批判するという態度でしか、彼らを学べない。本当は得ようとするものは、自分で思想や方法をゼロから作ろうとする努力によってしか得られない。そうでないと生き生きした精神は必ず失われてしまう。方法を作る時も同じである。自分で思想や方法を作る、その際に既存の書かれたものを参考にし、批判するという態度でしか、既存の書かれたものを学べない。このことは一方で、その努力をした一部の人だけでよいのかという問題、これなしに利用せざるを得ないという問題がある。対策が必要である。20091028,29,1127次善の策として自分と既存の観念の実現する価値と方法を疑い批判し問い相対化する必要がある。その際、仏陀であれイエスであれ、既存の観念とその実現する価値と方法を疑い批判し問う必要がある。20090204,0409,0619独立に達したと思っていた旧a11:既存の観念の批判と相対化、とa12:自己の批判と相対化は実は同じであった。20090327,0411絶対的なものはありそれは変えられない「事実」である。これと姿勢、視点 a11と姿勢、視点 a12に相反するように見えた。過去の観念は変えられない絶対的なものであるが同時に変える対象である。現実は変えられず同時に変えられるものである。20090411,12

批判は認識という行為の殆ど全てを占める。読むこと、一般的に事実の認識には二つの種類がある。一つは読んで一体化する読み方、もう一つは対象として読む読み方である。対象として読むとは批判的に読むことである。批判はそれをする人の知的感性的全体を賭けた批判対象との対決である。もし仮に正しいことが分かるとしても、それは批判的に全人生を賭けて対決して読んだ結果である。大事なことはそのようにしか読めないことを乏しい人生の経験から知った。20090215,16客観的な読み方というものはない。読むとは解釈することである。いかなる読み方も主観に左右されて解釈される。むしろ読み方は読む人の主観そのものとすらいえる。書くことが書く人の主観であるように。20090331,0408,0616書く場合には何が問題かを意識し、書くこと、何が分からないかを書くことが重要である。

相対性の認識、自分は絶対的でない、まして正しくないという認識が改善を生む。宗教の開祖たちの思考の中にだけ真実はあり、宗教の絶対体系のできた瞬間に堕落の過程が始まる20090602

現実に対応しているオブジェクトの認識像は、現実の物事の客観的状態と私のその物事との関係によって規定される視点の双方によって定まる。一見客観的とばかり思える矛盾でさえそうである。矛盾は主要な直接的相互作用である。重力の相互作用は客観的に存在するが普通は意識しない。人の価値に関与する問題に規定されて「主要な」相互作用が特定される20090619。また現実も自分も他人も制度も変化し続けている。20090717

何者も絶対化せず、自分の思想と他の思想を相対化し続けること、既存の観念に敬意を払いつつ論証または検証できないものを信じないこと、同時に既存の観念の実現する価値を問うこと、現実と思想のもたらすものの差異検出、検証、修正を続けることが必要である。要するに既存の観念を含む事実に謙虚であり、同時になにものも信ずることなく既存の観念と自己を相対化し続けることである。20090526,0602,0717追加

次善の策としてみんなで共同主観を作るという制度が必要で可能なのではないか?

姿勢、視点 a3価値の根源性、方法の網羅性、認識の完全性:現実、目的、問題、解決策への網羅性と根源性と完全性

(根源性)

今問題があり価値が実現されていない根源が問われなければならない。

根源性は、問いの前提、差異の根拠、現在の根拠、の三つについて問われる。この第二の差異の根拠については、価値の内容と時間空間粒度の長さと大きさ、つまりとりあえず地球のどれだけの時間の長さでの、どれだけの範囲の人や生物のための、どのような価値を実現するかが問われる。これは差異解消がどういう目的を実現するかを示す三つの目的の型(これについては後で述べる)毎に具体化できる。例えば目的の型が問題解決の場合、現在システムの運用の変更による対処、現在システムの変更による対処、現在システムの全面作り変えという粒度,密度の違った対処がある。第三はそもそも差異を生じさせる前提は現在であるから、現在の根拠を問うことである。その始まりを問うことである。始まりを問うことはそのものの本質を問うことであり同一性を問うことである。同一性が同一性でなくなることが始まりだからである。

根源性は何層にも渡る階層を持っておりどこまで遡るかを決めねばならない。ただし根源的であるほど良いわけではない。この階層構造とその特定基準は今後の検討課題である。とりあえず第二の価値の内容と時間空間粒度の長さと大きさに対応した根源性の階層を持つのであろう。そしてより時間空間粒度の大きな価値の実現にはより根源的な対処がおそらく必要になる。これは現実、目的、問題、解決策、つまり問いと答えのオブジェクトの時間粒度の大きさに対応する。そして時間粒度と空間粒度は経験上おおむね対応している(原子は小さく速く、地球は大きく遅く、人はその中間)。

(網羅性)

既存の観念と自己の相対化と批判の対象は何か。何のための相対化であり批判であるか?20090718

第一に、相対化と批判とは何か?今まで何が問われなかったかを問い、そして何が答えられなかったかを答えるために、これらの空間的,時間的網羅性を問うことである。それは、オブジェクトとオブジェクト変化の全体を網羅するオブジェクトとオブジェクト変化の種類をとして分類することである。網羅性は現実、目的、問題、解決策の全オブジェクト候補の空間が科学的に網羅されることである。20090723 さらに時間的かつ空間的多面的多層的に見るための視点の網羅性である。

網羅性は根源性のどのレベルでも必ず必要であり理想的にはそのどのレベルでも完全な網羅性が求められる。網羅の対象について、形式は網羅できる、具体的な内容も網羅できる。「エホバ11章のコメント」の例。網羅性の階層ができあがる。網羅には、事前の要素の種類の網羅オブジェクトの種類が、物と「観念」と運動からなるから、その都度、状況に応じた網羅にいたる階層構造がある20091231。その都度の状況に応じた網羅は具体的に行われるのに対し、状況に関係ない事前の網羅は種類について行われる20091231

根源性についても網羅性が求められようがその内容はよく分からない。根源性の階層を網羅することが最も優先する課題かもしれない20090626

網羅性が根源性を含む。本来、網羅は論理的なものである。論理的網羅は歴史的なものに本来一致する20090318,0430,0905

網羅性を問い根源的に問うための困難さは、何を求めるのか、何が問われなかったのか、全体像が分からないまま、網羅性、根源性を追求しなければならないことである。一般に何かを認識する必要があるのは未だ分かっていないゆえであるが、ここではさらに未だ分かっていないものの全体を問おうとしている。そのための姿勢、視点の検討は永遠に十分ではないであろう。エンゲルスやレーニンは、将来は弁証法や論理学を除いて哲学はなくなるという優れた洞察を持っていた。網羅性、根源性のための姿勢、視点は最もなくなりにくいものであろう。

20090521,25,26,0605,06,07,26

第二に、相対化と批判の対象は既存の観念であり、内容はその見直しである。

網羅の対象が何かも見直され網羅されねばならない。今現在、それは基本概念のレベルで次のとおりと考えられる。

1) オブジェクト(オブジェクト世界の要素):世界を構成するオブジェクトの種類。

現在、弁証法の法則、対立物の型、変化の型の見直しを行っている。(弁証法ノート、FIT2009

2) 領域の型:オブジェクトの集合体がオブジェクト世界である。オブジェクト世界の種類が領域である。領域の型というのは事実の作り方の型である20091013

3) 価値の型、目的の型:価値の種類は何か、機能の種類は何か、目的の種類は何か、価値を様々な空間的,時間的粒度,密度に応じた具体的な目的に変換する方法。価値を担う主体の種類は何か、意識と行動の関係。

4) オブジェクトの特定の仕方:オブジェクトの粒度,密度の特定とその具体的な内容。

5) オブジェクト間関係、変化の論理とその特定の仕方

等化原理群,「反」原理群などによる 40の原理の再構成を行った。制度について40の原理相当の検討が必要である。

見直しは応用レベルでは、制度の発展のトレンドについて行われるべきであろう。

20090718

b. 価値観をどう作っていくかは一般的な課題を検討し総括すれば一応(後で述べるように)答えが出る。これは粒度,密度の関数である。目的としてどの領域の誰のどの時間範囲のどのような価値の実現かの把握が重要である。価値を様々な空間的,時間的粒度,密度に応じた具体的な目的に変換することは困難な課題である。

(この姿勢、視点a1,a2,a3bについて、少し形を変えて「TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム)で述べた)

c. 「現実の認識と目的の差異=問題」の解消策つまり差異解消の方法を明らかにしなければならない。この中で、変化を起こすための主体としての人の心と行動の構造を問わねばならない。今問題にしているのは変化一般ではなく人による変更の行動であるからである。

d. 方法

網羅性と相互規定性:何が全体か何が重要かは分からない。1.その全体性と重要性を探しつつ、全体の要素を網羅し、2.要素間の相互規定性ゆえ同時決定すべきであるから、同時決定の方法を見つけるか逐次化して因果関係を利用するかして解決することにどう対処するかが解くべき課題である。網羅が先である。全体の網羅のためのキーは実現価値と粒度,密度である。全体は無数にある。意味のある何かの全体はその何かという言葉だけに規定されて決まる。何かをどう決めるか。その基準は何か。全体の網羅のためのキーは実現価値と粒度,密度である。だれのためのどのような実現価値かが唯一の問題である。全体は無数にある。意味のある全体は価値に規定されて決まる。20090214,15,17,18

関係と変化の論理に二通りの見方があるであろう。一つは、関係は空間的、論理は時間的ととらえ、変化の時間的論理が弁証法(論理)だとする見方である。こうとらえる錯覚がある。もう一つは、空間的「関係」と時間的「変化」は認識の視点で客観的、両者は判断と操作の視点で主観的であるととらえる見方である。いずれも弁証法論理が扱う。もともと矛盾とは「主要な」直接的相互作用であり空間的「関係」と時間的「変化」を含み、弁証法の中核をなす。「主要」であるかどうかは人の価値、それによる目的が規定する。弁証法(論理)は、矛盾を中核とした空間的「関係」と時間的「変化」の認識と判断の論理である矛盾とは、人の目的に規定された「対立物」の主要な自律的直接的相互作用である。20090517,20,28,0601,18,19,20,22,24(弁証法ノート)

d1. 方法1:価値から目的へ、相互規定性の中で

価値を様々な空間的,時間的な粒度,密度に応じた目的にどうやって落としていくかは全く見当もつかない。ただ形式的に次のようなことは言えるのである。第一に目的というオブジェクトの粒度,密度決定は、価値という他オブジェクトとの関係と相互作用する。ここではあくまで目的生成が一次的に目標なのではあるが相互作用のもとという条件の上でそれを行うということである。これは一般のオブジェクトの粒度,密度特定に共通の事情である。第二にこの一般的な価値と個々の粒度,密度における目的は、一般と特殊の矛盾の好例を提供する。第三に一般的価値から個別の粒度,密度の目的の生成と、目的と現実や解決策との相互作用は同時に行われる。第四に一般的価値は(後で述べるように)すでに出来上がっているように見えるが、実は長い時間的粒度,密度の個々の目的を総括したものが一般的価値として生成されているのであり、長い時間の相互作用と第一の短い時間の相互作用が混在しているのである。第三と第四はこの場合に特殊な事情である。これらを解決する論理についてはまだ何も分かっていないといってよい。

d2. 方法2 現実、目的、問題から解決策へ、相互規定性の中で

現実の認識も、現実というオブジェクトの粒度,密度決定は、目的と解決策という他オブジェクトとの関係と相互作用する。これは一般のオブジェクトの粒度,密度特定に共通の事情である。

こうして「現実の認識と目的の差異=問題」の把握が行われる。「差異つまり問題の定式化ができれば半分解けたも同然」という意味のことわざ的な表現は多い。「人間は解決可能な問題だけ提起する」というマルクスがこれらの中で最も的を射ている。これらは、目的、現実、解決策が相互作用しており、目的認識、現実認識、その「差異=問題」認識、解決が同時であることの表現である。

この相互規定性への対処が必要である。現実、目的、問題、解決策の相互規定性があることはaで最初触れていたがaは姿勢を述べるだけにとどめcにまわす。20090520

d3. 方法3 個々の相互作用、弁証法

相互作用、決定の同時性は、d1,d2のように、価値、現実、目的、問題、解決策の全体にも(これは全体と一部の矛盾の一環である(弁証法ノート参照))、そのそれぞれの中にもある。一般にオブジェクトは他のオブジェクトと相互規定関係にあり、意味のある粒度,密度でそれぞれの中にあるオブジェクトと関係,論理は、対立項として相互規定関係にある。d1,d2はこの組み合わせである。

それぞれの中にある相互作用は認識の場合と行為の場合で差がある。

b,cの中の認識は、

(オブジェクトの存在の認識の場合)相互規定する1. 11. オブジェクトの粒度,密度の特定、12. (オブジェクトの過去の変化)、2. オブジェクトの存在、の認識である。

(オブジェクトの属性の認識の場合)相互規定する1. 11. オブジェクトの粒度,密度の特定、12. (オブジェクトの過去の変化)、2. オブジェクトの機能と属性、の認識である。

(殆どの場合のサブオブジェクト間関係の認識の場合)相互規定する1. 11. 複数のサブオブジェクトから構成されるオブジェクトの粒度,密度の特定、12. 複数のサブオブジェクトの機能と属性間の関係(とサブオブジェクトの過去の変化)、2. オブジェクトの機能と属性、複数のサブオブジェクトの機能と属性、の認識である。

オブジェクトの属性の認識の場合、1.2.の矛盾;構造と機能、だけがある。殆どの場合のサブオブジェクト間関係の認識の場合、1.2.の矛盾;構造と機能、の中に11.12.の矛盾;オブジェクトの粒度,密度とオブジェクト間関係,論理、がある。これは、過去と現実のオブジェクト認識(オブジェクト、オブジェクトの属性、オブジェクト間の関係、それらの歴史)、過去と現実の実現価値認識(個々の価値が過去と今の制度でどうなっているか、そうならざるを得ない構造は何か)からなる。この1.の中の複数のサブオブジェクトの機能と属性間の関係をサブシステムオブジェクト間の関係と、今まで誤解していたように思う。20090523,25,0616,17,26,30,0701,04

c差異解消、つまり意図的変更は、現在のシステム、心と行動のあり方すべてについて、既存システムの運用の改善か、既存のシステムの変更か、新しいシステムの生成かを判断する必要がある。差異解消、変更は、オブジェクトの変更、削除の場合、相互規定する1. 変更する一つのオブジェクトの粒度,密度特定、2. その一つのオブジェクトの機能、属性の特定、それを変化させる論理の把握、オブジェクトの生成の場合、いつどこにかを確定の後、生成オブジェクトの粒度,密度、機能、属性の特定が必要である。価値の把握についても、現状の価値の運用の変更か、既存の価値の修正か、新しく価値を作るかを判断する必要がある。

これらの判断の粒度,密度選定方法はまだない。これらは1. オブジェクトの粒度、密度と、2. オブジェクト間の変更の論理の相互規定を表している。これが定まって後、必要な手段は関係と変更の論理である。これも今は不十分である。さらに実現の具体的な方法である。これらが差異解消の内容である。

網羅性、根源性が徹底すると相互規定性、同時決定性がより激しくなるか?なぜか?20090605

20090312,14,15,16,27,0525,30,0605,06,17,20,30変更

次の表に、認識する側の認識、認識結果を書くこと、その内容の読む側の理解に対する、方法のキーを記す。表の後に説明を付す。今のところあまり論理的でない内容であるが、これが2008年来悩んできたことのとりあえずの結果である。この各項目間の関係はまだよく分からない粒度,密度については、高原、「オブジェクト再考3−視点と粒度−」 を参照のこと。

                   

                認識              

認識結果を書く

認識結果を読む

方法 11

型の理論:網羅の方法

 

 

方法 12

認識過程、オブジェクト選択

認識過程、オブジェクト選択理由を書く。

オブジェクト選択理由を理解する

方法 13

差異解消理論

 

 

方法 14

差異解消理論:変化が単位?

 

 

方法 2

同時決定。その逐次化

 

 

これ自身の全体が、方法2の粒度,密度を疎にして自分自身に適用したものである20090216

方法 11 型の理論:理論の前提となる網羅の方法

「型」に移行。20100415

方法 12 認識過程、オブジェクト選択、特定。オブジェクトの粒度の特定

「型」に移行。20100415

方法 13 差異解消理論

差異解消は、目的の型、オブジェクト変化の型、オブジェクト操作と変換の型を関係付け統括する。

「何を」「領域」「変化の方法」のうち「何を」はオブジェクト世界でありその型はオブジェクトであった。「変化の方法」の型は、オブジェクト変化の型、オブジェクト操作と変換の型である。目的の型はオブジェクトのある状態ではなくある状態への変化であり、したがってオブジェクト変化の型と対応が付く。一属性、一オブジェクト以内のオブジェクトの変化の型は、属性とオブジェクトの生成と消滅、属性の変化である。二属性、二オブジェクト以内のオブジェクトの変化の型は、オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−で述べた。オブジェクトの操作と変換の型は、人によるオブジェクト操作と、オブジェクト変換の二つに分けられる。目的の型は、新しい機能の追加、問題解決、理想化の三つである。これらの一般性の程度?認識の型を追加すれば完全になるのか?

二オブジェクト二属性以下の場合の枠組みは次のとおりである。

1) 一つの属性の二つの値の処理:物理的矛盾を解く:

1. 分離可能な値の場合(属性、構造)と、分離できず運動する場合(属性、構造)の区分の構造は不明である。

2. それぞれの構造も不明である。20091224

2) 二属性の処理:技術的矛盾を解く

1.独立に扱える粒度:

2.関係がある粒度:21.Larry Ballのように物理的矛盾が原因で技術的矛盾が結果であり両者を一体でとらえるべきとする粒度。22.他の粒度?20091213

3) オブジェクト数の変更, 属性数の変更

(自律的オブジェクト変化)

a.オブジェクト数の変更

b.属性数の変更

属性の処理

c.全対象の相互作用による変化=

d.運動n属性2n値の処理:c.と同時、この結果が属性変化)その結果としてa. b

(意図的オブジェクト変化)

a.オブジェクト数の変更

b.属性数の変更

1属性の処理

一属性一値の変更

一属性二値の処理:物理的矛盾を解く:二値の分離

2属性の処理

技術的矛盾を解く

属性の処理

c.全対象の相互作用による変化

d.運動n属性2n値の処理:

c.と同時、この結果が属性変化)その結果としてa. b

差異解消の理論の詳細については、下記参照。

高原:機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2第三回TRIZシンポジウム, 2007.08.30-09.01和文HP , 和文8 ,和文スライド8 英文HP  , 英文16 ,英文スライド8

高原:オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   、第4回TRIZシンポジウム」、2008

現実の差異解消は、要素間を関連付ける。

21) 過去と現実のオブジェクト認識(オブジェクト、オブジェクトの属性、オブジェクト間の関係、それらの歴史)、過去と現実の実現価値認識(個々の価値が過去と今の制度でどうなっているか、そうならざるを得ない構造は何か)、

22) 今実現すべき価値はどの領域で、価値を実現する主体は何か、目的像のオブジェクトの確定、

23) 現在のシステム、心と行動のあり方すべてについて、既存システムの運用の改善か、既存のシステムの変更か、新しいシステムの生成かを判断する必要がある。価値の把握についても、現状の価値の運用の変更か、既存の価値の修正か、新しく価値を作るかを判断する必要がある。これが定まって後、必要な手段は関係と変更の論理である。これも今は不十分である。さらに実現の具体的な方法である。これらが差異解消の内容である。20090312,14,15,16,27,0525,30,0602変更

これらを各回のTRIZシンポジウムで検討してきた。第4回TRIZシンポジウムで、この差異解消に関する手順を示した。これはあらかじめ検討しておける内容と、その都度の「差異=問題」毎の解消の内容に分かれる。あらかじめ検討しておける内容は、オブジェクトの種類、オブジェクト構造、目的(これは、あるプロセスオブジェクトである)の型、目的としての型であるオブジェクト変化(これは、目的の粒度を細かくしたあるプロセスオブジェクトである、)の型、手段としての型であるオブジェクトの操作(オブジェクトの操作と変換)の型である。その都度の「差異=問題」毎の解消の内容は、現実と目的の認識、目的を実現すべきオブジェクト変化の型2007年の論文で「オブジェクト変更の論理型」といっていたものである。名称を変えた深い意味はなく,単に去年使っていた名称を高原本人が忘れていたためである。2009「オブジェクト変更の型」と再修正20090930の一つに対応させ、変化させるオブジェクトを特定し、オブジェクトの操作と変換の仕方を特定することである。

第五回TRIZシンポジウムで一部修正。

1.目的の型:

現実、目的とその差異を認識し、抽象的に目的の型を把握します。目的の型とは、目的の種類で、新機能生成、理想化、問題解決のいずれかです。これはこういう形で網羅されています。」(「TRIZという生き方?」5TRIZシンポジウムのナレーション)

新機能生成、理想化、問題解決も相互作用がある、というよりそれぞれのいずれでも目的を達成でき、(少なくとも殆どをカバーし)どれが一番良いかは現状に依存して決まる。極端な場合、理想化、問題解決に耐えるか、新機能生成に踏み切るか?という定式化ができる。これは目的が現状に依存することの典型である。20100216

TS66TRIZシンポジウム)のスライドで次のように述べた。

1) 新しい機能を作ること:既存システムに新しい機能追加、または新システム設計

2) 問題解決:既存のシステムの不具合解決

3) 理想化:既存のシステムの機能をもっと良くすること、または現在の機能をより少ない資源、負荷で実現する改良

この三者[TS2]の差は相対的。全ての問題、差異はこのいずれによっても定式化できる?この差や技術、制度、個人の差は内容の差。形式はオブジェクトの言葉で述べられる

2.オブジェクト変更の型:

21.現実のオブジェクト世界が持っている潜在能力がどう対応できるかというのは、例えば、属性の変更で対応できるか、オブジェクト分割しかないかということである。大雑把に言うと、属性の単純な変更、属性の質的変更、属性数変更、オブジェクト数変更の順に困難になるし、オブジェクトの粒度は疎になる。この順にチェックするという方法も有効であろう(弁証法ノート)

これは、目的の型が単純に目的だけからは決まらないことを言っている。目的は、目的と現状の相互作用によって決まる。網羅、粒度、方法の相互作用より粒度の小さい相互作用である。20100216

22.目的の型とオブジェクト変更の型の関係:今までTRIZシンポジウム他でさんざん検討した。以下TS06スライドより。20100817

3.オブジェクト変更の型と操作・変換の型の関係:従来から課題だった。

属性の単純な変更、属性の質的変更、属性数変更、オブジェクト数変更、というオブジェクト変更の型(目的)とオブジェクトの操作・変換の型(変更手段)を結びつけることが、目的実現の手段を作ることになる。これには、1.オブジェクトの構造理解、2.オブジェクトとオブジェクトの構造の要素を変化させる運動の構造理解が必要である。1.は一応明らかになっている(高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−」(高原利生 ())   、第4回TRIZシンポジウム」、2008)。2.は、20.変化、変更の弁証法論理の理解により、21.変更手段の群と、22.その中から変更手段を特定することである。21.手段の一部が原理UPMD、操作R高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2」、3TRIZシンポジウム、2007高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ 『高原利生論文集』 である。22.手段の特定の仕方は既存TRIZの各ツールにあるが、体系化されているとは言い難いのが現状である。20100304,05

 

変更手段の群と、その中からの変更手段特定を検討する。

手順は次のようになる。

1.(量的なインプット(属性、内部構造の変化)が量的アウトプットをもたらす場合は特筆することではないのでこれ以外の場合を検討すると組み合わせが減るが、一応全組み合わせを検討する。)a.オブジェクト数の変更、b.属性数の変更、c1.属性の変化、c2.オブジェクト内部構造変化、の相互関係の明確化

2.原理UPMD、操作Rというインプットと、a.オブジェクト数の変化、b.属性数の変化、c1.属性の変化、c2.オブジェクト内部構造変化との関係の明確化20100306,07

まず1.を検討する。全てのオブジェクトに共通な形式として次のようなものがある。これをベースに個々の領域毎の具体的検討が望まれる20100315

b.属性数の変化に影響するものを検討する。

b1.属性分割からa1.オブジェクト分割が起こる

ものに「交換可能性」という属性が付加され、属性数の1から2への変更である属性分割が起こり、次いで貨幣の独立に至り、オブジェクト数1から2への変更であるオブジェクト分割が起こるように、属性分割からオブジェクト分割が起こり、社会の複雑化が蓄積されて現在に至るというのが、歴史の発展の主流をなしてきた。弁証法において、内容が形式を規定するとされるケースの典型例である。機能又は属性という内容が、構造という形式を規定している。

b2.属性統合,縮退からa2.オブジェクト統合,縮退が起こる

この副流として、この逆の属性統合,縮退からオブジェクト統合,縮退が起こり、社会の複雑化が縮小する過程が伴う。これも、内容が形式を規定するとされるケースである。機能又は属性という内容が、構造という形式を規定している。

b.属性の生成、消滅が起こり、a.オブジェクトの生成、消滅が起こらない)

1. 属性の生成が起こり、オブジェクトの生成、消滅が起こらない。

2. 属性の消滅が起こり、オブジェクトの生成、消滅が起こらない。

b.属性の生成、消滅が起こり、c2.オブジェクトの内部構造を変化させる

論理的に考えられる。自律運動では起こりにくい、あるいは時間がかかる。

内容が形式を規定するケースである。

c1.属性の変化が起こり、b.属性の生成、消滅が起こる)

c1.属性の変化が起こり、b.属性の生成、消滅が起こらない)

これらは、内容が形式を規定するケースであり、属性、属性数の変化がオブジェクト数変化、オブジェクト構造変化を主導する。

 

a.オブジェクトの生成、消滅に伴うb.属性の生成、消滅)

オブジェクトが生成、消滅するとそれに伴い、必ず、属性の生成、消滅が起こる。これは、形式が内容を規定するとされるケースの典型例である。これは、オブジェクト数変化が属性数の変化を主導する。

c2.オブジェクトの内部構造変化に伴うb.属性の生成、消滅)

オブジェクトの内部構造変化に伴い、属性の生成、消滅が起こる場合がある。これも、形式が内容を規定するとされるケースである。これは、オブジェクト内部構造変化が属性数の変化を主導する。

この二つは、形式が内容を規定するケースであり、オブジェクト数変化、オブジェクト構造変化が属性数の変化を主導する。

以下、a.オブジェクト数の変化に影響するものを検討する。

(略)

以下、c1.(狭い意味の)属性の変化に影響するものを検討する。

(狭い意味の)属性の変化が起こり、オブジェクト生成、消滅が起こる

(狭い意味の)属性の変化が起こり、オブジェクトの内部構造の変化が起こる

(狭い意味の)属性の変化が起こり、属性の生成、消滅が起こる)

これらは、内容が形式を規定するケースである。

(オブジェクトの生成、消滅に伴う(狭い意味の)属性の変更

(オブジェクトの属性の生成、消滅に伴う(狭い意味の)属性の変更

オブジェクト生成、消滅と属性の生成、消滅に伴い、必ず、属性の生成、消滅が起こる。したがってこれらのケースはない。

(オブジェクトの内部構造変化に伴う(狭い意味の)属性の変更

オブジェクトの内部構造変化に伴い、(狭い意味の)属性の変更が起こる場合がある。これは、形式が内容を規定するケースである。

以下、c2.オブジェクト内部構造変化に影響するものを検討する。

(オブジェクト内部構造変化が起こり、オブジェクトの属性を変化させるかもしれないが、オブジェクトの生成、消滅が起こらない)

(オブジェクト内部構造変化が起こり、オブジェクトの属性生成、消滅が起こる)

これらは、形式が内容を規定するケースである。

(オブジェクト内部構造変化からオブジェクトの生成、消滅が起こる)

(オブジェクトの生成、消滅に伴うオブジェクト内部構造の変化(生成、消滅))

これは、形式が形式を規定するケースである。

(オブジェクトの属性変化に伴うオブジェクト内部構造変化)

これは、内容が形式を規定するケースである。

以上は、オブジェクト内部の変化に対して起こる変化の型を述べている。

 

以下、そのオブジェクト内部の変化をどう起こすかというインプットを述べる。

原理UPMD、操作Rの内、「対立物の統一(と闘争の)法則」が利用するのは、原理UPM「属性と構造、質的,非質的変化の法則」が利用するのは、原理Dである。操作Rというのはどういう位置か?20100103,05,06,10と書いていたのを訂正する。インプットは四種類しかない。このインプットは従来の操作と変換原理(高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2」、第3TRIZシンポジウム、2007 高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3」−(高原利生 ())   、第4回TRIZシンポジウム」、2008)のうち、操作を取り出し拡張したものである。

1.何もせず見守る。既存のオブジェクトの動きをインプットとみなす:操作Nu

2.既存のオブジェクトを別の既存オブジェクトとの相互作用の場に持っていく、または相互作用の場から引き離す:操作Mo

3.新しいオブジェクトを別の既存オブジェクトとの相互作用の場に持っていく:操作Ad、操作Mo

4.既存のオブジェクトを新しいオブジェクトで置き換える:操作R

これは次のように展開する。

1.何もせず見守る。既存のオブジェクトの動きをインプットとみなす:操作Nu

原理UPM、原理Dにより展開する。

2.既存のオブジェクトを別の既存オブジェクトとの相互作用の場に持っていく、または相互作用の場から引き離す:操作Mo

原理UPMにより展開する。

3.新しいオブジェクトを別の既存オブジェクトとの相互作用の場に持っていく::操作Ad、操作Mo

原理UPMにより展開する。

4.新しいオブジェクトで既存のオブジェクトを置き換える:操作R

原理UPM原理Dにより展開する。20100309

これらにより、高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   」、(4回TRIZシンポジウム」、2008スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 、論文PDF: 和文 英文 、紹介 (中川 ) 英文 )の内容を見直す必要がある。20100311

20100103,05,06,10,0306,07,08,09

方法 14 方法は変化を単位として作られる

偶然であるが、2008年の検討で、少なくとも高原の方法はオブジェクトの変化を単位として構築されるということが分かった。高原:オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(第4回TRIZシンポジウム」、2008)の講演録参照。目標は変化であるが、方法も変化ベースであるというのは、自分でも意外な結論だった。方法がオブジェクトの変化単位になった直接の理由は、目標として「何々がない」(例えば騒音がない)ことを表現しようとして、その目標を記述することが難しいことであった。「ない」状態が目標と書くと、初めからないのかなくするのか分からない。何かを「なくする」のが目標と書くほうが分かりやすいのである。20100415追記

一般化しうるものかどうか、またこの意味することの詳細は不明である。目標が変化であるので、それに引きずられて方法も変化ベースになるのであろうか?もしそうなら同様に、一般の思考内部においても変化ベースで論理が進むことは納得できそうである。オブジェクトの言葉で言うとプロセスオブジェクトベースということである。物事を変化させるのはプロセスオブジェクトであるから、思考内部において変化ベースで論理が進む、行為においても然りというだけであろうか。

方法 2全体と要素、要素どうしは相互規定があり、同時に求まるという本質的事態。それを逐次化する方法−まず大雑把にそれから徐々に具体的に 20090120追加

網羅性と相互規定性:何が全体か何が重要かは分からない。その全体性と重要性を探しつつ、全体の要素を網羅しなければならないという要請と、要素間の相互規定性ゆえ同時決定すべきであるから、同時決定の方法を見つけるか逐次化して因果関係を利用するかして解決する要請にどう対処するかが解くべき課題である。網羅が先である。全体の網羅のためのキーは実現価値と粒度,密度である。20090214,15,17

下記は、網羅性と相互規定性への対応の方法を再帰的に自らに適用する最初の一歩であり網羅性と相互規定性への対応である。方法について(1)得ようとするものの粒度,密度を規定する、(2)得られた粒度,密度、(3)認識するまたは操作するべきオブジェクト、オブジェクト間関係を具体的に決定する方法、という時間的階層があるこれ自身、方法2の粒度、密度が疎なものである20090216

  つまり逐次化は方法の一部でありながら実は全体の上に立つ方法でもある。20090217

1)領域

認識:認識方法も叙述方法も同じ。逐次化する方法−まず大雑把にそれから徐々に具体的に、というのは認識について。20090214

目的と方法(手段):目的と方法(手段)と叙述方法。行為については、全体の網羅のためのキーは実現価値と粒度,密度である。相互規定性があるから実現価値のために変えられるものと変えるものの影響の大きいものから実現して行く。20090214

2同時に求まる全体と要素同時に求まる要素どうしとは何か?型の群との関係?同時性の根拠?20090127

まず二者の場合を考えよう。両者に相互規定性があるということは本質的に両者の同時決定をする必要があるということである。物事は基本的に全て相互規定性がある。したがって物事は全て本質的に同時決定を必要とする。しかし一方、相互規定性があるということは同時に片方が決まればもう片方も決まることを意味する。実際片方を決め片方を決めていくことは普通に我々が常に行っていることである。この二つの事情は我々は何ら根拠ある決定を行っていることにならないのかもしれないということである。片方がすでにあることはそれを既定(規定を訂正20100412)事実としていいことにはならない。何しろ我々は何かを変化させることが目的なのだから。片方がすでに現実として決まっている場合も片方を決める根拠が明確である場合も、一旦それを無視して相互規定性を検討してみなければならない。そうして総合的な同時決定に対処しなければならない。片方を決め得るのは両者の相互規定性が弱い場合だけである。この場合はそもそも相互規定性も同時決定性も意識されないことが多いであろう。しかもこれが殆どのケースであろう。これ以外の相互規定性がある場合に片方を決め得る場合と根拠は何だろうか。これは二者の場合に特殊な事情であるが、三者以上でも相互規定性が弱まっていくことには違いがない。20090205

要素どうし相互規定があることは、それゆえ、全体と要素にも相互作用があることになる。

21)同時に求まるものの形式

各階層のa. 粒度、密度の確定、b. オブジェクト、c. オブジェクト間関係とオブジェクトと属性間関係、d. 機能と実現価値、の各階層間も含めてその同時生成が、認識、行動のための思考の本質ということである。本稿自体、逐次的に方法の過程が進行するように書いているが実はそうではないやや細かく言うと、思考するとは、各階層の、1.全体、問題への視点、2.全体、問題をいくつかのオブジェクト世界の群に分ける、3.個々のオブジェクト世界の群の粒度と密度、4.複数オブジェクトとその粒度と密度、その属性の粒度と密度、5. 複数オブジェクトの属性間またはオブジェクトとその属性間論理、6. 機能と実現価値、の同時決定、これら各階層の同時決定20090207をすることである。この属性間論理には、要素の並列の網羅も含む。これで基本の全てを尽くしているか?後、リストアップしておくに値する具体的な粒度、密度は何か?前の二つとは別の。20090203 機能と実現価値の追加は、以前から気にかかっていた「思想と方法の統一」というテーマと、辺見庸氏の発言に触発され「唯物論宣言」とその注への追加を行ったことによる追加である。20090205,08

もうひとつ注意点がある。それは、上と別の階層、粒度、密度で、b+. オブジェクトそのものとc+. 論理そのものには一体性があるということであるこの一体性は、論理の型、具体的に成立した結果とオブジェクト、の時間軸上の双方にある「思考と存在とは,,,相互に一体性においてある」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.150というマルクスは、このことを語っているように、この引用文そのものからは読めるが、実際にマルクスがこの発言の前で述べているのはやや別のことである。20090101 一体性ゆえ同時決定か?20090111

客観的な「関係」は、思考の場では「論理」として使われる?オブジェクト−論理、思考−存在、関係-論理、の対応、一体性?20090203 

以上はむしろ網羅の方法で型の理論の一部?20090214これらは、変化が重要ということに関係がありそうだがよく分からない20090107

22)同時に求まる内容

221) 同時に求まる全体と要素

222) 同時に求まる要素どうし、これと型の関係?

「何を」と「変化の方法」自体が階層を成す。20090208

認識内容と変更内容:「何を」と「変化の方法」そのものの別表現?

変更内容:目的と手段:「変化の方法」の中が「何を」と「変化の方法」

内容(認識内容と変更内容に共通):機能(及びマイナスの機能である負荷)と構造:「何を」と「変化の方法」

内容(認識内容と変更内容に共通):対象(オブジェクト)と機能:「何を」

である。例をもっと挙げる必要がある。

対象(オブジェクト)と機能の例:創世記9章、レビ記17章から血に関する対象(オブジェクト)と機能は相互規定しあい、それゆえ一般に同時決定され、扱いの対象は対外的機能に応じ変わる例。詳細は「創世記9章、レビ記17章の命と血」に述べた(高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)。

3)同時性を逐次化する方法

方法について(1)得ようとするものの粒度、密度を規定する、(2)得られた粒度、密度、(3)認識するまたは操作するべきオブジェクト、オブジェクト間関係を具体的に決定する方法、という時間的階層があるこれ自身、方法2の粒度、密度が疎なものである20090216

実現のためにはその過程を逐次化する必要がある。次は、本質的に(何について?この「群」の定式化要)必要な同時決定の過程を擬似的に逐次化する方法(の一つ?)であろうか。20081230 何かを分かるための方法は、検討を、1. 問題をいくつかの群に分ける、2. 個々の群の中を、他の群の知見とそれからの影響を考慮して検討する、検討結果が他の群の内容に与える影響を検討する、3. 別の群に変えて2.に戻る、4. 一とおり終われば、個々の群の中を同じようにより細かくしていく、という順で次第に具体化していくことではないか。20081227,20090202 この方法の適用範囲、具体化が必要である。20090131

31)同時に求まる全体と要素の場合

32)同時に求まる要素どうしの場合

同時決定の例として、方式設計の例を以下に挙げる。機能(マイナスの機能である負荷)と構造の総合決定、同時決定の例である。

高原利生、「方式設計過程のモデル化」http://ci.nii.ac.jp/els/110002888995.pdf?id=ART0003212718&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no= &ppv_type=0&lang_sw=&no=1291487309&cp=

高原、「情報システム方式設計業務における総合決定」(平成6年情報処理全国大会,7S-06,1994.3

3.方式設計問題

 3.1 決定問題

 物理的実現に先立って仮想像を決定する決定問題には、逐次的に解が求まっていく逐次決定問題と、仮想像の解の候補の列挙が可能でこの評価が出来て解が求まる簡単な評価決定問題、解の候補の列挙方法とその評価方法のいずれかが定式化出来ない困難な評価決定問題、このいずれでもない総合決定問題とがある[4]

 3.2 方式設計問題                        

 方式設計担当者の行う各作業のなかで設計・調査フェイズにおける設計判断業務はその中核を成す。これはシステムの機能構造(構成)、負荷(コスト、消費電力等)についての仮想像を決定することである[4]

この過程は、より一般的なレベルから具体的なレベルへ移行していく階層的な段階を経る[5][6]。このそれぞれの段階の決定問題を、方式設計問題ということにする。この問題は次のように理解される(図2)。

 OJT(FUC,LOD)=f(F,S,L) ( 1 )

 S=g1(F) (2.1)

 L=g2(F,S) (2.2)

 F=g3(S)  (2.3)

 ここに、OJT( ): 実現によって果たされると予想される目的

     FUC( ): 実現によって果たされると予想される機能

     LOD( ): 実現に必要と予想される負荷

     f( )  : F,S,L からOJT( )への変換

     g1( ) : F からS への規定

     g2( ) : F,S からL への規定

     g3( ) : S からF への規定

     F   : 機能  S   : 構造  L  :負荷

                                                

 

             FUC     LOD    運用     外界      :因果関係        

                                   :静的相互規定     方式設計                F     L                   :時間的前後関係             

                  S          試験   論理的内容                   

                            

                   製作              物理的実現                                      

                                                 

          図2 方式設計、製作、試験、運用

 

 

 

F、S、L(いづれも多次元の変数を含む)が決定されれば、その結果として(1)式のように外界に与える機能、負荷が定まるが、方式設計の場合、予想される目的としての機能、負荷が左辺に与えられ、これを満足するF,S,Lを逆問題を解いて求める必要がある。(2.1)式は、機能が定まれば、これを満足する構造の候補が求まるという制約を示す。(2.2)式は、機能と構造が定まれば、これにより負荷が決定されるという制約を表す。(2.3)式は、構造が機能の量的側面である性能を規定するという制約を示す。

 3.3 方式設計における総合決定

 方式設計は、(2.1)(2.2)(2.3) 式の制約のもとに、(1)式の逆問題を解く故に解の項間に相互規定性が生じ、従って逐次決定は不可能である。解の候補の論理的枚挙は不可能か爆発を起こすかであり、またfの形は人間の経験に因って定まるのが一般である。従って簡単な評価決定も不可能である。それ故、方式設計問題は困難な評価決定問題か総合決定問題である。

(形式11) オブジェクト)「事実の認識」と統合

(形式12) 領域の型)「事実の認識」へ移行

(形式13) 価値の型)

(形式131) 価値の型)「価値」へ移行

(形式132) 主体の認識と意識と行動の関係「対象化と一体化」と統合

(形式14) オブジェクトの特定の仕方)「型」に移行

(形式15) オブジェクト間関係、論理の特定の仕方「型」に移行

形式の具体的な検討が内容だろうか。以下は現実分析でない。切り口の一つである。20090308意識と行動の規定関係についてである。20090319

(根源を問うことの内容検討のための準備12:オブジェクトの属性)

(根源を問うことの内容検討のための準備13:一般化)「対象化と一体化」と統合

(根源を問うことの内容検討のための準備2:安易な解と課題)「対象化と一体化」と統合

(根源を問うことの内容検討1:現在の危機;オブジェクト認識像、実現像の決定)

(根源を問うことの内容検討2:実現価値と実現主体)

(根源を問うことの内容検討3:オブジェクト変更)

 

 

対象化という生き方:「唯物論,事実主義宣言」ノート

20091014,26,27,29,1204,08,09,10,11,12,13,16,31, 20100101,02,03,04,05,06,07,09,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,21,22,23,24,25,26,27,28,31, 0201,02,04,05,07,08,09,12,14,15,17,19,21,22,23,24,25,26,28,0301,02,03,04,05,06,07,08,09,10,11,12,13,14,15,16,20 0402,03,16,17, 201005,201012, 201101

((初めに))

「哲学者たちは世界をいろいろに解釈してきたにすぎない。たいせつなのはそれを変更することである」(マルクス、フォイエルバッハについてのテーゼ、「ドイツイデオロギー」所収、古在訳、岩波文庫) 変更の差分にだけ意味がある。現状には意味がない。

人間の「本性」が善か悪かという問題提起は有益ではない。重要なのは、本性がどうであれ、様々な人間の行為の累積が良い方向に向かってきたか悪い方向に向かってきたか、である。驚くべきことに、奇跡的に、人間は、良い方向に向かってきたし今もそうであるということである。これは偶然であり、奇跡であるかもしれない。人間の「本性」が善か悪かは問題ではない。善に向かって努力する種が、その努力ゆえに生き残ったと考えるべきである。そうであれば、この奇跡を継続するには不断の努力が必要なのである。いつの世も、悪人はいない。善人もいない。あるいは全て悪人である。全て善人である。言い換えると、誰もが善人で、同時に悪人である。いつの世も、全く正しい制度はない。あるいは全く正しくない制度はない。言い換えると、どの制度も正しく、同時に正しくない。事実についての今までのどの観念も正しく、同時に正しくない。これと並行に現代特有の問題がある。

たまたま、NHKのETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局の中で」(20090201 午後10001129)を観た。

「しのびよるいまだかつてない破局の時代を私たちはどう生きるべきなのか。人間とはなにか。人間はどうあるべきか。」「すべての関係性が貨幣的価値に置きかえられる現在にあっては、人間が本来もつべき実存的、社会的諸権利が資本に奪われ、その「生」がしだいにむき出しになりつつある」辺見庸はいう20090201 午後10001129NHKのETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局の中で」)。彼は「価値システム総体の破綻」を語る。人類の歴史は数百年単位で見れば、人類の発展段階に対応した危機に直面し、危機を認識し解決してきた歴史である。いいチャンスである。危機を契機に何を問わねばならないかをもう一度問わねばならない。

辺見庸氏は、秋葉原の通り魔事件の犯人について「彼、K君は私」だという。また「アメリカの価値観、金儲けがいいこととずっと教えてきたマスコミ」,「この正月の派遣切の人の派遣村のニュースを伝えている時間、別の番組は『大食いコンテスト』をやっていた。それ自体を道徳的に非難するのではないが」,「危機は単層ではない」,「しかしチャンス」,「資本が悪」,「たたかうということは好きでない、が、たたかわざるを得ない」と語る。同感でありそうとらえてきたと思う。「資本が悪」とは「私有財産が悪」ということである。経済学の文脈で語られる場合この私有財産は資本であり生産財である。「経済学・哲学手稿」で、資本生成の論理として述べられる生産財が、しかしそれが人に与える悪影響が語られる場面では私有財産一般として理解すると極めてよく理解できる書き方がされている。検討が必要である。また「彼は私」だということについても、秋葉原の通り魔事件の前のスポーツジムでの乱射事件のニュースで殺す側も殺される側も自分だと感じそれを語ったことがあった。(高原、「ヨハネの第一の手紙について」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/20090204,05,11,12,13,0425

現実は不況と秋葉原事件のような特異な犯罪であり差異が噴出している。不況は客観的なものである。働く「正常な」心の中の問題は前からあるが秋葉原事件のような特異な形になっている心がある。

人類は常に危機だったといっていいと思う。人類の歴史は数百年単位で見れば、人類の発展段階に対応した危機に直面し、危機を認識し解決してきた歴史である。人間の歴史は、問題が難しくなる闇と、それを解く能力がついていき解決する光との競争である。したがって人が直面する問題はいつも困難な課題であり、同時に次第により大きな問題が解けるようになってきた。光と闇がともに次第に大きくなるので現実を正確に分析することもより高度さが必要になってきている。そして分析能力も次第に身についてきている。

数百年単位で見ればそうであっても、危機と解決は単調には進まない。危機のたびに人間とは何かが問われ、価値観が問われてきた。それらは何度も問われ何度も答えられてきたというだろう。問われ方と答え方は少しずつ違ってきた。今も現在の人類に発展段階に対応した問題に直面している。今、危機が大きいとすれば解かれるものも大きいのである。高度化しているが間接化、媒介化していることに対処することが一般的に問題である。高度化と間接化、媒介化の関係は一つの課題である。この一般的対処法が課題である。どういう問題かをもう一度問い、共同主観をつくり共同で行動し問題を解決しなければならない。20090317,20,25

TRIZという生き方?」の要点)

どうするかが解くべき問題であり、「唯物論,事実主義宣言」は、常に制度と人間の心を同時に変革する努力をし続けるという事実主義という唯物論の答えである。

人が生きることは、価値実現のための事実の利用、運用、変更である。事実の変更とはオブジェクトの変更と行動である。オブジェクトの意図的な変更が差異解消である。

事実を認識する方法

事実を変更する方法

価値

事実認識、変更への態度

思想

方法

生き方=思想と方法

もう一つの言い方がある。思想、哲学は科学的方法では決められないこと、回りの全ての、決められないが決めないといけないことを決断することである。

思想は哲学とほぼ同じもので事実と価値観に基づいた人の在り方、生き方の中核であり、事実と価値観に基づいた今の認識と行動への姿勢である。科学は事実の体系的認識である。したがって思想、哲学は、事実や科学に依存しているがそれとは別のものである。価値は事実から作られ行動の目的を規定する。今、価値とこれに基づいて何のために何をするのかを決めるのが思想ないし哲学、どうするのかを決めるのが方法である。後で述べるように、方法の基本は、オブジェクトの粒度,密度と弁証法である。方法への態度も思想である。認識と行動への姿勢の内容は、人間,世界への認識態度、様々な価値のための行動(今と将来の行動の区分とそれぞれの行動、自分と他のための行動)への態度である。20090519,20,21,29,0602,28,1029,20100413

1. 生きることと生き方は内容と形式である。生き方は生きることの思想、方法であり、思想は、生きることと方法を上から規定するもので、生きる方法は生きることの中の具体的方法である。生きることはそもそも動詞概念だし、生き方は思想と方法、という思想と方法も動詞、名詞の両方を持った概念である。2. 目的と手段、生産力と生産関係、のそれぞれの後者も、方法という動詞概念をもったものである。20090924,1127

価値

目的

現実

差異解消

対象は、対象化できるものが前提である。対象化できるものを全て対象にするべきであると考える。したがって対象化全領域をカバーでき、対象化できない一体化、感情の面は直接扱えない。感情面に強く規定される価値も直接扱えない。20100524

しかし、生きることは、その対象化の困難な価値を前提に、表面的に、価値−価値を具体化した目的−目的を実現する手段と方法−手段と方法を具体化する行動、という連鎖である。単純化すると、価値実現のための事実の利用、運用、変更である。価値は、人類の全歴史を総括して得られるので他項と相互作用があり、価値−目的−手段と方法−行動、もお互いに相互作用がある。したがってこの連鎖は容易でなく生きることは容易でない。したがって生き方が求められる。生き方とは、そのための思想と方法である。思想は、生きることを規定するもので、方法は生きることの具体化手段である。認識と変更行動への姿勢の内容は、人間,世界への認識態度、様々な価値のための行動(今と将来の行動の区分とそれぞれの行動、自分と他のための行動)への態度である。20090519,20,21,29,20100412,0524

TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム、2009意図的な認識と意図的な変更の全体の枠組みの一部を示した。以下に、その要約とその展開を述べる。これは、20101月時点で重要と考えているテーマのいくつかの内の一つである。なお、文中、物理的矛盾、技術的矛盾という言葉が出てくる。TRIZ独特の用語であるが、文中では同じ語の内容を違った視点でとらえている。

1.(生きる)

生きることは事実を利用、運用、変更することである。利用、運用、変更は、価値を具体化した目的と事実の差異によって行われる。事実、価値、粒度が生きることにとって、最も基本的な三つの概念である。20091029,20100110

2.(理想的生き方の必要条件)

理想的な事実の利用、運用、変更の仕方のためには、

a. 認識像と変更像の候補の網羅(後に述べるように二段階の網羅がある)

b. 認識像と変更像のオブジェクト選択、粒度決定の正しさ

c. 認識と変更の方法の正しさ

が必要である。

以下は「TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム、2009)の発表スライドの一部とそのナレーションである。下記で全文を見ることができる。

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2010Papers/Takahara-TRIZSymp2009/Takahara-TRIZSymp2009-100918.htm[1] 論文概要 (著者和文 (概要と拡張説明、1ページ)    英文(概要のみ)

[2] 発表スライド (27和文PDF            英文PDF

     発表論文 (8ページ) 和文 PDF

[3] 中川による紹介 (Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2009」からの抜粋) (2010. 2. 4) 英文

[4] 発表全文 (スライド + トーク + 補足説明)  (著者作成 2010. 8.22)  和文     英文

3. 理想的生き方

3.1 網羅性,オブジェクトの粒度,弁証法

正しく事実を利用、運用、変更するために必要なことは、

a. 扱う対象の構造的網羅性

(事前)オブジェクトの種類、オブジェクト変化の、他、

(その都度)解候補の要素

b. オブジェクトの粒度の選択

認識:1.機能、2.オブジェクトの粒度、3.サブオブジェクト間空間的関係の決定

差異解消:1.目的、 2.オブジェクトの粒度、3.オブジェクトの属性またはサブオブジェクト変更の論理の決定、実行

20101205のあるメールの一部:事実、目的、解、という三項があり、一般に、事実、目的は、双方とも客観的に定まっているものだということを前提に議論がされ、それで解が出されます。特に事実は定まっているから事実だし、目的についても、議論において、必要なほど十分には明示的に確定的に述べられません。

しかし、事実の認識像、目的、解、は同時に決まるのですね。つまりこの三者は相互規定し合っています。事実と目的が解を規定するのは当然ですが、解が出ないようなとてつもない目的は設定されないし、目的が明確になってはじめて事実は認識され、云々。

それでは解は永遠にでないので、論理を進めるためには、事実と目的を確定しなければならない。事実と目的を確定するためには、事実と目的の粒度を確定しなければならない。あるものの粒度とは、そのものの空間的時間的範囲、抽象の程度です。

問題は、どのような粒度で議論されようが、論理的に正しい論述が行えて正しい解が出る、ということです。世の中、粒度が違うためにすれ違う議論ばかりです。)

c. 法としての弁証法:

変化は次の集合体

目的を意識した変更(つまり差異解消)

目的を意識しない変更

自律的変化:矛盾の運動

因果関係によってオブジェクトを変化させる。その際,矛盾の運動の結果と知見を利用。

.矛盾を扱う方法:矛盾の総括、物理的矛盾,技術的矛盾の処理

.矛盾の結果のトレンド利用:「歴史的なものと論理的なものの一致

 

 

ナレーション)TRIZというのは、オブジェクトの変更(「変化」を修正)の型から見るとその全体像はこうなんだということです。要するにTRIZというのは、オブジェクト数の変更、属性数の変更、一属性の変化、技術的矛盾と物理的矛盾の処理という、4種類だか5種類だかの処理が全てだと理解したということが、去年2008年に分かったことです。

オブジェクト変更の図は、現実の矛盾を総括し、意図的な変更を行うという条件でのありうる変更の型を(二オブジェクト二属性以下という条件でオブジェクト発展の状態遷移をオブジェクトの生成を含めて20091019 網羅した図です。

TRIZがすごいと思うのは、

一つの属性の二つの値の処理を、物理的矛盾を解くということで処理をして、

二属性の処理つまり二つのオブジェクトのそれぞれの属性または一つのオブジェクトの二つの属性の同時満足(この二つの違いは扱う粒度の差です)を、技術的矛盾を解くということで処理をするということを見つけたということです。

(「ある面を改良しようとすると、別の面が悪化する」という「技術的矛盾」を、一オブジェクト二属性の二値または二オブジェクト二属性の二値の同時満足すべき状態と形式化し、

一つの面に対して正逆の互いに反する要求が同時にある」という「物理的矛盾」を、一オブジェクト一属性の二値の同時満足と形式化するよう解釈しなおし形式化して結果的に拡張しています)

 

5.おわりに

人、制度、技術の全領域の全行為に適用可能な統合的思想と方法は必要。TRIZにはその可能性がある。不十分な点は方法が統一されてないこと、構造的網羅がないこと、粒度設定方法論がないこと。

事実主義による理想的な生き方:

    事実だけに謙虚であり、

対象的には、何ものも信ずることなく既存の観念と自己を批判し続け、

常に他人と世界の向上、一体化に全力で誠実に努力し続けること

 

ナレーション)人、技術、(技術以外といわれている)制度の全領域の全行為に適用可能な統合的思想と方法は必要で、TRIZにはその可能性があります。特に弁証法があります。

それに、 Ideal Final Way of Lifeを考えてみました、ということです。「生きる」という内容、機能があり(2)、次いで、その実現の方法、構造がある(3)がこの正しさは(2)が正しいことの必要条件であり、価値を含めた既存観念の相対化、批判を行い続けることが、もとの内容(2)の正しさを保証するのではないか(4)TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム)引用終わり)

展開の第一段階)

行うべきことは、以上の1.内容の反省,批判と深化、2.内容の具体化、3.新しい展開、である。201000217以下は5TRIZシンポジウムを受けた展開の第一段階であり、結果として2.具体化のための1.内容の深化になっている。大きな形式的枠組みは5TRIZシンポジウムのとおりである20101204

1) 内容1:事実の認識:

a. 型の網羅。

b. オブジェクトの粒度の選択

認識の場合、一体化、対象化の区別が生じる。価値と対象化の関係は明白、20091211

対象化の場合、変更のための価値、価値に基づく目的が生まれる。

一体化の場合?一体化と価値は?

2) 内容2:事実の変更:

a. 型の網羅。

b. オブジェクトの粒度の選択

価値(に基づく目的)と事実が変更(「差異解消」)の原因である。

c. 方法としての弁証法

3) 事実を規定するもの:自らの観念と既存の観念の相対化、批判がこれらを規定する。

今まで全ての思想はその扱う粒度を批判しなかった。ただ、こういう視点からはこう見えると述べるだけだった。それだけでなく、宗教を含んだ今まで全ての思想は、マルクスを除いて事実認識も価値も、対象化、相対化しなかった。

20091029,1204,08,09,10,11,20100302

A. 粒度、網羅と特定

a. 認識と変更の対象の候補、認識と変更の方法の候補のオブジェクトの網羅

b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定

c. 認識と変更の方法の選択、粒度決定

これと、以前に「型」で検討した価値と問題と現在の総体の全空間の要素11)12)13)14)15)との関係を述べておく。a. オブジェクトの網羅は下記の11)12)13)に相当し、b. 対象であるオブジェクトの選択、粒度決定は下記の14)に相当し、c. 方法であるオブジェクトの選択、粒度決定は下記の15)に相当する。

11) オブジェクト(オブジェクト世界の型):世界を構成するオブジェクトの種類の網羅。この網羅の仕方は様々あり、物、「観念」,運動も、14)15)もそれぞれ網羅の一種である。12)13)も網羅の中の一つに位置づけなければならないがまだできていない。20100208

12) 領域の型:オブジェクトの集合体がオブジェクト世界である。オブジェクト世界の種類が領域である。これは11) オブジェクトが分節したものである20090930

13) 価値の型、目的の型。これも11)オブジェクトの一部、「観念」オブジェクトから派生した特殊なオブジェクトである。20100208

あるもの、オブジェクトが何であるかを述べるのは14)15)である。

これは、オブジェクトの粒度,密度の特定とその具体的な内容に分かれる。20090703

あるもの、オブジェクトとは、ある粒度で客観的なあるものの全体像の一部を切り取って作られ規定されたものである。この全体像を最も形式的に述べると次のようになる。20100103,0207

0) 粒度,密度の特定とその具体的な内容

1) 外との客観的相互作用

11) 外からの作用

12) 自己を変える外への作用

2) 認識の視点

21) 視点を規定するもの:特に価値(これを具体化した目的、元は事実という内容から)

229 内容と形式を規定する視点

3) それにより規定されるもの

31)形式

311) 粒度

312) 内部構造

32)内容

これは、下記を含む。何かとは

1.そのもの、そのものを作ること、利用,運用の総体?

2.a. そのものを規定するもの、b. そのものが規定するもの、c. そのもの?これはそのものの関与する全て。

2の方が形式的で規定は広い、1は実運用の粒度、1のサブセットで、そのもの、そのものを作ること、利用,運用の粒度は異なる。

cf. 運動は生成,削除,変化、運用,利用の総体である。生成,消滅,変化と運用,利用の粒度は異なる。

14)は関係の要素または変更を受けるもの、15)は関係または変更で、いずれもオブジェクトである。20090524,30,20100209

14) オブジェクトの特定:

15) オブジェクト間関係、変化の論理の特定:

これはもともとあるものを変更しようとする全体の枠組みであった。これをやや追加,修正する。0100416

表現は、認識と変更の中間にある行為であり、表現は、認識、変更と並ぶ人の基本行為である。20100209,11,17あるものを網羅すること、あるものが何であるかを述べることが、あるものに対する二つの表現態度である20100205,15 あるもの、オブジェクトを網羅するのは11)であり、12)13)はこのサブセットである。20100208 11)(と12)13))はあるものを網羅し、14)15)あるものが何であるかを述べる。この二つが、あるものの内容を述べることと並ぶ、あるものについての対象的表現の最も基本的な三つの態度である。あるものが何であるかを述べるのはあるものの粒度を特定することである。あるものとはオブジェクトで、物、「観念」,運動からなる。価値は「観念」に属する。あるものが何であるかということの中に、あるものの本質を述べること、あるものの属性を述べることが含まれる。「観念」は物、運動、他の「観念」を像として含むので、オブジェクトは入れ子構造になっている。粒度とオブジェクトは相互規定の関係にある

20091109,26,27,1220, 20100205,07,08,14,19,0804

a. 認識と変更の対象の候補、認識と変更の方法の候補のオブジェクトの網羅(11)12)13))b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定(14))c. 認識と変更の方法であるオブジェクトの選択、粒度決定、は、とりあえずこの順番: 11)12)13)オブジェクト網羅→14)オブジェクト特定→15)方法特定、だが、この三つに相互作用がある、この相互作用は粒度に依存する。中核となるのは粒度である。この粒度は、bの粒度が具体的状況での粒度であるのに対して、より広い意味である。20100105,0205,08価値(に基づく目的)と事実が変更の内容であり、粒度(と型)が認識と変更の形式である。200911121 粒度は規定されるものであると同時に、規定するものである。価値も粒度により、規定する側とされる側の双方にある。20091026,27,1204,20100103 規定するものと形式の関係はまだよく分からない。20091029,1210,20100112

B. 相互作用

オブジェクト間の相互作用は当然重要である。これへの視点は別途論じなければならない。20100301

a.b.c間の相互作用は粒度に依存する。この相互作用は純粋に観念上の相互作用であり、事実間の相互作用(ととらえられるもの)が客観的相互作用と思考上の観念的相互作用の共同結果であることと異なる。(なお、一般に、1.客観的事実というものはある(らしい)2.認識又は表現された事実は、客観的事実と思考上の観念的「事実」の共同結果である。)相互作用を無視していい場合はどういう場合だろうか?20100204,21 下記の記述は、この相互作用が必ずしも対称でないことを示す。20100214

1.網羅と粒度

11,一般的に網羅の仕方は粒度に規定される。

12.何の特定が何に必要か?個々の特定と種類の特定に粒度の違いがある20100201

2.方法と粒度

21.一般的に方法は粒度に規定される。

22.何の特定が何に必要か?個々の方法の特定と方法の種類の特定に粒度の違いがある20100201

3.網羅と方法

網羅と方法の相互作用は、上の二つと異なる。検討課題である。20100204

C. 歴史的変化

オブジェクトを基礎とした内と外、粒度、内部構造:b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定

網羅(型)、極限:a. 認識と変更の候補の網羅

認識と変更、弁証法(変化と相互作用、各対概念):c. 認識と変更の方法

の三種の基本概念について、共通に言えることは、静的に粒度が全体を規定する基本であると同様に、全体に関わる基本は、すべてのオブジェクトが相互作用と歴史的変化の中にあることの認識と対応である。歴史的変化性を考慮した型が必要である。これも粒度に依存する。

歴史性を考慮した型は、本質的に動的で変化が問題となる。歴史について、0.まず、事実は過程である(Hegel 小論理学215節「理念は本質的に過程である」)ことを前提にし、1.その積み重ねの事実が歴史であること、2.歴史と論理が基本として一致すること、3.歴史の各時点に依存した論理があること(例:TRIZの技術のトレンド)が重要である。20100130,31,0205,0301,02

歴史的変化を扱うのは弁証法論理であるが、従来の弁証法論理についての記述は、ヘーゲルをベースにしたものかエンゲルスをベースにしたものである。どちらも少なくとも一般的理解は間違いだらけといっていい(弁証法ノート、高原ホームページ)。20100305,15

歴史性を考慮した型については、弁証法における歴史的なものと論理的なものの同一がおそらく活用のキーとなる。

(第5TRIZシンポジウム、スライドp.23

n  「人間生活の諸形態の考察,したがってまたその科学的分析は,一般に,現実の発展とは反対の道をたどる。」(『資本論第一巻第一章第四節、 国民文庫第一分冊、p.136

n   「自己疎外の止揚は,自己疎外と同じ道をたどる」(「経済学・哲学手稿」3,国民文庫、藤野渉訳,p.141

n  マルクスは、ヘーゲルに学んで、歴史的なものと論理的なものが一致することを見抜き、『資本論』を著した。商品から貨幣、貨幣から資本の生成史は、資本とは何であるかという概念史であり、それは資本とは何かという説明のなかに組み込まれている論理そのものである。
あるものが何であるのか、という規定をしようとすれば、あるものの歴史を、生成史をみればよい。http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hourou-musuko2.html

n  「論理学では、思想史は大体において思考諸法則と合致しなければならない」(レーニン、哲学ノート「ヘーゲルの弁証法(論理学)のプラン」国民文庫1p.287

また、a. 認識と変更の対象の候補、認識と変更の方法の候補のオブジェクトの網羅、b. 認識と変更の対象であるオブジェクトの選択、粒度決定、c. 認識と変更の方法であるオブジェクトの選択、粒度決定、毎に歴史性の度合いが異なる。20100124,26,0414

また、下記の制度の構成要素の例に見るように、歴史性が大きいものは構造も複雑になる。20100126

1) 組織(共同観念の内部構造):会社、階層が大。歴史性が大

2) 属性(共同観念の機能):経済,政治の活動。階層性が中、歴史性が中。なぜか?

3) 共同主観:経済,政治の指針、法。階層性が小さい、歴史性が小さい。なぜか?20100124,0305

D. 階層性

A.B.C三つのそれぞれに、階層がある。この階層性は粒度に依存する。

D1. 網羅の階層構造:

階層構造11.型の網羅:オブジェクト,変更の方法、2.具体的な状況下でのオブジェクトの網羅、3.オブジェクト指定 20100103

階層構造2:空間,時間範囲指定

このサブセット:時間粒度の階層

1. 最も形式的な型は、時間粒度大の型にほぼ等しい(これは歴史性と論理性の一致の例である):例:TRIZの技術のトレンド

2. 中間(例:第5TRIZシンポジウム、Altholz論文)、

3. 具体的状況

階層構造31. :抽象度の指定,具体的規定1:全体と一部についての相互作用、相互依存の形式=対概念(具体と抽象、現実性と可能性?一般と特殊、偶然と必然)の片方(の程度)。例:一般,特殊の粒度:例、存在とある存在。09/12/25

変化の(空間性,時間性でない)抽象性の構造:対立物)「粒度、機能,属性、弁証法論理」参照。

階層構造32.:抽象度の指定,他の具体的規定2:相互作用、相互依存でない形式。例:オブジェクトの三つの形式;客観的、認識論的、意味論的。2009 09/12/28,9,31

20090829,31,0902,03,20100105,06,07,08,04014

D2. オブジェクトの選択の階層、粒度決定

オブジェクトの選択は、オブジェクトの粒度の選択に等しい。

オブジェクトの粒度の選択の階層粒度の階層:1.そのものに関与するものの粒度(範囲)、2.粒度を決める要素(空間、時間、抽象度)の種類、

D3. 認識と変更の方法、科学と弁証法の階層:科学と弁証法の区別、弁証法(ノートの)対立物の階層)、

認識と変更の方法は、科学と弁証法(オブジェクト間の関連と変化の型)による。

また認識と変更では異なる。さらにこれらを規定するものがある。

(事実→(認識)→選択されたオブジェクト、オブジェクト間の関係、差異→(弁証法による変換:オブジェクトの差異解消)→オブジェクト→(運動による事実の差異解消)→事実) これは、本来は同時決定過程である。

E. この条件で逐次化と具体化を行わねばならない。

1. 以上を自動的に考慮に入れる方法を作るにはどうすればよいか?

2. しかし、自動的に考慮に入れるような仕組みを作ってしまうと認識と変更は「機械的に」行われ「精神」が失われる。この矛盾をどう解決するか?

3. 粒度はあるものの空間的,時間的、抽象的な外からの特定に関するので、時間性を含むとはいえ時間を固定化してとらえるという意味で静的である。粒度については、疎の粒度での確定から密の粒度での確定へ、という形での利用と想像されるが、肝心の「確定」の仕方が分らない。20100304ここに移す)

これまでだけで言えることがある。それは何か?全体に「疎の階層での確定から密の階層での確定へ」を方法に利用すること。確定の方法は検討を要する。案の提示と評価か?疎から密へは、具体化の手段の一属性、制約条件であり決定の方法ではない。20100101,02,03,06,0416この逐次化の現段階が第4TRIZシンポジウムに示したとおりである。(高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   」、第4回TRIZシンポジウム」、2008)本稿に「TRIZという生き方?」(第5TRIZシンポジウム、2009)で意図的な認識と意図的な変更の全体の枠組みの一部として要約を示した。

以上は、

a. 認識と変更の扱う対象の候補のオブジェクトの網羅

b. 認識と変更の対象オブジェクトの選択、粒度決定

c. 認識と変更の方法の選択、粒度決定

を具体化する準備にはなっているが、まだ準備に過ぎない。「疎の階層での確定から密の階層での確定へ」という視点はここには入っていない。全体にまだほとんどできていない。20100201,08,19つまり、第5TRIZシンポジウムスライド3.2項のフローを、上に述べた知見を利用し具体的な方法を展開しなければならないがまだできていない。20100215,16

展開の第二段階)

次は、5TRIZシンポジウムと検討の第一段階を受けて、これからの第二段階以降の展開である。検討に粒度があり、この検討は、第一段階の検討内容を規定する内容である。20100111,12,13,14,15,16,17,18,19,21,22,24,25,26,28,31,0207

根源的網羅思考Radical Thinking for Enumerationディカル 網羅 極限化」思考を変更への準備2100301,07,15

5TRIZシンポジウムのスライドの最後の「おわりに」で、「「生きる」という内容、機能があり(2)、次いで、その形式、構造の理想がある(3)がこれは(2)が正しいことの必要条件であり、最後に、その形式の理想を最大限活かす極限として内容、機能を実行することが、もとの内容(2)の正しさを保証するのに十分だと述べています(4)」と述べた。「生きる」という前提を外し、2(3)だけ保持して(4)も外す。考えることの99%は粒度を決めることで、粒度が決まれば半ば自動的に(といっても場合によっては大変な努力の末に)、その粒度に対応した認識ができ解が決定される。その認識や解は、粒度が正しくなければ正しいものが得られないが、ある粒度が決まっても正しさは保証されない。つまりある粒度が決まっても、論理展開で如何様にも間違った内容の結論が出せる。正しい認識なり解のために、粒度の正しさは決定的に重要で必要条件だが、十分条件ではない粒度という形式が決まっても内容の完全な正しさは保証されない。残念ながら気づいたことである。(機能と構造というとき、機能は内容で、構造は形式である。そして構造は関係の総体で、外部との関係を規定する粒度と内部構造からなる。)

一方、世の中で行われている言明の正しいものはほとんどないといっていいだろう。何かが存在するという型の言明も、何かがある属性を持っているという型の言明も、文と文の関係の言明についていずれもそうである。ただ議論で声の大きなほうが勝つ、ただ多数派が勝つ、例示だけで論証にするということが、極端な例でなく普通に横行し通用している。何とかせねばならない。20100420

この二つが、本考察の出発点である。

以下は、思考展開の例にもなっている。(記述の順番は後から入れ替えている。)20100112,21 検討の形式と内容、(一部は第一段階の検討の内容にも、含まれておりこの第二段階検討の過程ではっきりしてきた)根源的網羅思考という視点について述べる。

20100111,12,13,14,16,18,19,0207,0416,0420,0526

問題がいくつかに展開する。

内容a1. あることが正しいことの必要条件、十分条件は何か?(a2の「正しい」内実と相互作用があるが201021420100115 これは内容の面から問題をとらえた場合である。5TRIZシンポジウムで最後に検討したのは正しさを形式の面から保証する条件だった。ここは直接正しさの条件を求めようとする。とりあえず答えようとしてみる。必要条件として、第一に、価値、粒度(この二つは、視点が生む少なくとも主たるものである)の正しさが要る。第二に、これ以外に正しさを保証するものは何かの検討が要る。

実際上、粒度が正しく、価値(とこれを具体化した目的)が正しい場合、正しい結論が出ているケースが多い。間違った結論は粒度、目的を間違った論理で展開した場合の行われるケースが多い。その間違った論理は、間違った粒度、目的ゆえである場合であるような気もする。最初に問題提起した前提を覆すことになるが、もう一度粒度、価値(とこれを具体化した目的)が正しい場合、結論、論理は正しいかどうか検討を要する。この点を保留のまま続ける。20100116,17,18,22,0221,0312

具体的な個々の十分条件の検討は、個々の粒度、属性の検討を具体的に行うことで可能であろう。そうでなく正しさに近づく方向を形式上作るという態度について述べた十分条件の検討例としては、第5TRIZシンポジウムの内容があった。20100102,03,06,09,12,14,15,17,18,23

内容a2 20100214正しさの極限、正しさとそうでないものの境目の検討がいる。人を殺すことはいかなる場合でも正しくないか、場合によっては正しい場合があるのか、暴力を振るうことはどうか、悪意を抱くことはどうか。あるものの成立条件と他のものの制約を維持しながらまたは変えながら、あるものがそのものでなくなる極限を求める内容の検討である。これは工学的発想である。(振り返って見ればこれが根源的網羅思考の出発点だった。)20100115,17,0214,15,0312,0420

崖の上の平原が正しさであれば崖の下を覗いてみて崖の下がどうなっているか知る必要がある。まして通常は、正しさの高原は、起伏があるがなだらかに高度を下げ知らないうちに平地になって行く。

12. オブジェクト間の関係判断、オブジェクト群(例えば文)間関係判断、13. オブジェクトの歴史の認識、オブジェクト間の関係の歴史の認識、オブジェクト群(例えば過去の思想)の歴史の認識、オブジェクト群(例えば過去の思想)間の関係の歴史の認識」の内容は、「22. 思考の型、形式」とダブる。整理が必要である。20100528

内容a1と内容a2が内容についての二つの問題である。次の二つはこれを形式的な面から述べたものである。内容a1と内容a2の相互作用があるように内容b1と内容b2も相互作用がある。20100214内容aが正しさの検討であったのに、次は正しさの内容から離れ形式的検討になっている

形式b1 内容a1を形式化する。命題の成立の条件は何かを問うこと。これも根源的網羅思考の一つである。20100208,14,0312(「正しい」という)内容が成立する条件を求めることは、外からの検討である。これもあるものの極限の条件検討の一種である。10/01/11,12,17,0312 粒度など形式固定の前提の下で、命題の当てはまる空間的時間的範囲の極限、抽象度の(例えば成立の一般性の)極限を求める。20100114,17,18,19,25,0311,12

形式b2 内容a2を形式化する。形式b1 と異なり、命題が「あるものがある属性を持っている」という命題の場合、内容の属性を保証する形式や条件の検討がいる内からの検討である。20100214,0311,12

形式b3. 形式b1形式b2と異なり、これは命題の一般性の極限を求めるということである。ある命題が成り立つということをどこまで一般化できるかということであり、ある命題が成り立つ範囲がどの程度の空間的,時間的範囲、抽象度の範囲のものであるかということである。20100114,17,18,19,25または、ある命題のある属性、一面を抽出しそれだけを極限まで一般化して考える。これも根源的網羅思考である。

例として、b1 b2 b3 の命題を、「極限」という面を離れて、内部、外部からの検討という面から一般化する。20100112,14 内部、外部からの検討という面は一面である。他にも展開可能な属性があるかもしれない。20100117

思考の型根源的網羅思考 Radical Thinking for Enumeration20100312,14,15

以上から一般化を行い、新しい思考方法を検討する。20100311,12

極限は、思考の極限化とその結果である。極限化は運動であるから機能を持つ。何のための極限化か、極限に行くことで得られる機能は何か、は具体的場面では確定しなければならない。20100115,0302網羅は思考の極限化の結果の一つである。典型も極限化の機能の結果の一つである。20100115,21,0214,28,0302 極限化の対象は、オブジェクト間の関係、歴史の認識、オブジェクトの変更を含むオブジェクト全般、弁証法を含む思考方法である。こうして、思考思考の極限化思考、となって円環ができるが、円環のスタートとゴールは別の点であり螺旋を形成する。また網羅であるためには網羅は構造的でなければならない。20100302,03,12,16,0402,0613

謙虚にかつ批判的に現実を構造的網羅的に変更可能なものとして認識し、可能な変更を極限化するのが、弁証法の活気の第二(第一は「今」の運動を運動としてとらえる態度である:FIT2010)、理想的な根源的極限的網羅思考である。

根源的極限的網羅思考は、思考のすべてを対象とする。

思考を規定するもの、思考の型、形式、思考が規定するもの(思考の機能)のうち前二者について述べる。

思考を規定するものは、状況、粒度と価値(および価値を具体化した目的)である。状況に応じて粒度と価値(および価値を具体化した目的)を構造的に網羅しなければならない。思考を規定するものについては、この変更で思考は全て変更されるので重要だがそれだけこの網羅は大きな思考作業を伴う。

価値については、「価値」:唯物論,事実主義宣言ノート参照。粒度とそれを規定するものについては、高原、「オブジェクト再考3−視点と粒度−」FIT2005

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPaers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm参照。20100214,0314,0528,0613,18

前に述べた対立物の階層のうち、認識に関する「3) 相互依存する二つの異なった認識」は、このうち視点に関するものとして重要である。

何かについての思考は、何かについてのA.認識,特定、表現、B.変更についての思考である。

A. 何かの網羅的認識,特定:網羅されたものの中から何かを特定し、がどういうものであるかを様々な粒度,密度で言うA1状況から独立したオブジェクトの事前の網羅的認識、事前の網羅的な命題や法則の認識の上で、A2状況に応じたオブジェクトの候補の特定を行う。

B. 何かの根源的極限的網羅的変更:何かを、ある属性(狭い意味の属性と内部構造)を維持しながら、他の属性(狭い意味の属性と内部構造)を様々な粒度,密度で極限的網羅的に変更して、そのもの全体の属性(狭い意味の属性と内部構造),機能を変化させるか、全体の存立条件を変化させる。B1状況から独立したオブジェクト間の関係の、事前の網羅的な命題や法則の変更、B2状況に応じたオブジェクト単独の変更、オブジェクト間の関係の変更である。

20100103,12,15, 0207,0420,0808,09,10

TRIZの理想の思想(第6TRIZシンポジウムTRIZの理想―TRIZという生き方?その2―」(TS6

生きることにもTRIZにも必要な大きな思想上の課題がある。それは、本来、弁証法の持っている活気を、生き方とTRIZに吹き込むことである。[FT10]

弁証法の活気とは第一に、弁証法は全てのオブジェクトが双方向に関連しあい運動し変化していると一瞬のうちにとらえる論理であり思想、視点、態度であると認識することである。下表に運動の構成要素たる対立物の網羅の概要を示す[FT10]。現実と認識の間に視点、態度があるが、下表では現実に含めて記している。一般にある矛盾は0) 11)、または0) 12)という密度の異なる対立物をともに持ち、2)12)のうちの特殊な対立物の型である。技術的矛盾TCは、通常の直接的対立物でない対立を含んでいる。下図に各矛盾の位置を示す。

n     視点と態度:このままでいいのかいけないのか(PC1)

n     今、機能と粒度、何が大事か何を変更すべきかPC2 TC2 を把握

図1 相互関係の中の各矛盾の位置

 

弁証法の活気の第二は、ある程度の時間をかけて認識、変更する対象空間内のオブジェクトとそれに関係するものの構造的網羅を行い、これらの根源的極限的な変更を可能にする理想的な根源的極限的網羅思考である。

思考を規定するもの、思考、思考が規定するものがある。思考を規定するものは、状況、視点、態度、粒度,密度と価値(と価値を具体化した目的)である。瞬時に有効な視点、態度は、また時間をかけて見直す対象でもある。

視点を提供するものとして既存のTRIZには、九画面法、小さな賢人たち(SLP)、究極の理想解(IFR)を始め随所にある理想性の思考がある。

根源的極限的網羅思考は、次のような要素からなる。

1. 思考を規定する視点、態度、粒度と価値(と価値を具体化した目的)、思考の型、思考が規定するものの網羅をする。思考を規定するものは、これが変更されると全ての思考が変更されるため重要だが、一方でこの網羅は極めて困難な心理的惰性の排除と膨大な思考作業を伴う。

2. 状況から比較的に独立した体系的知識について、事前に、オブジェクト、属性、これらの関係、命題、オブジェクトの変化やオブジェクト間関連についての法則、領域の型の網羅と位置づけを行い、命題、法則の生成、修正をしておく。これは既存の命題や法則の変更、成立条件(適用領域の粒度,密度)の変更を含み、適用領域の網羅を含む。(例えばTRIZは見直しが必要な対象として好適例である20100819)

オブジェクトの外からの定義の例として「他のオブジェクトと相互作用するもの」(「純粋理性批判」「経済学哲学草稿」)、内からの定義の例として「属性の総体」(「資本論」)がある。これは、原文の適用条件を極限まで拡大した例にもなっている。なお、マルクスにオブジェクトを内部構造から見るという視点がなかったと気づく。

A. 何かの網羅的認識,特定:何がどういうものであるかを様々な粒度,密度で言う。

Aの状況から独立したオブジェクトの事前の認識、事前の網羅的な命題や法則の認識の例を述べる。

何かの外からの検討か、内からの検討かは、検討についての視点をある面で網羅しており型を作る。これは、あるものの網羅、あるものが何かをいうこと双方に当てはまる。20100209 何かについての表現形式は、1.何かの内からの表現つまり属性と内部構造による表現か2.外からの表現による。このいずれでも同じものを正確に完全に表現することができる。しかし片方の言い方は他方を前提としておりその意味で相互作用がある。20100117,25 外からの表現には、あるものの他との差異をいう場合、あるものの他との関係をいう場合、全体の中のあるものを指定する場合がある。20100209

定義の例をあげる。定義の全体の位置づけは、オブジェクトの網羅、オブジェクトの特定に続く、第三の段階で、オブジェクトが何であるかを明らかにすることである。第三の段階での定義の意義は、二つあるであろう。一つは、議論のために、その議論の中で「何か」を固定して閉じておかないと論理が成立しない。二つは、そもそも議論は「何か」を変化させるためである。「何か」を変化させるためには、その変化を保証する開かれたものでなければならない。この二つは矛盾する。この矛盾は「一体」の型の矛盾である。前者は、一属性二値の同一非同一の矛盾、ある状態にあり同時にないという、普通には禅問答のように分からないものごとの意味が分からないという場合には必須である。

外からの定義は、他との差異を明らかにする。あるものの内からの定義は、変更できる内部構造を明らかにする。前者でも後者でもあるものを特定することはでき定義の役割は果たす。人は道具を使う人間であるとかいった類の定義は、人の定義としては最悪の例である。人間の多くの属性のうちの一つとして道具を使うことを挙げているとしても、道具を使う属性を持っていることと持たないことを対比しているのだとしても間違いである。もし、人間の定義を外部からの視点で述べるなら、人間だけが持っていて他は持っていない属性を特定しなければならない。人間の定義を内部からの視点で述べるつもりなら、人間の属性と内部構造を網羅するものでなければならない。20100117,25,0526,31,0608,28,20110102

以前に行った制度についての定義も同様であったことが分る。20100114,15

定義a 制度における共同観念は、共同観念の内、認識内容 (科学など) を除き 変化を起こす共同観念である20100303追加。)制度は、変化を起こす共同観念、それを作る、利用,運用することの総体である。オブジェクト世界はシステムオブジェクト=存在の運動(生成、変化、運用,利用)で成り立つ。オブジェクト世界において、システムオブジェクトがものであるのが技術、共同観念であるのが制度である。20091119,1217,20

定義b 制度は、オブジェクトが、組織(共同観念の内部構造)、属性(共同観念の機能)、共同主観、を持つものである。この定義は全体を網羅した空間的内部構造を述べる定義である。20091220

定義のこの二面は相互作用がある。一般にオブジェクトは歴史性が薄いもの濃いものがあるが、制度は、歴史性が濃い。歴史性が濃いものの場合は、定義の二面が持つ相互作用も変化するので注意する必要がある。歴史と論理が一致するという点の留意も必要である。20100124,0402,17

B. 何かの根源的極限的網羅的変更:何かを、ある属性(狭い意味の属性と内部構造)を維持しながら、他の属性(狭い意味の属性と内部構造)を様々な粒度,密度で極限的網羅的に変更して、そのもの全体の属性(狭い意味の属性と内部構造),機能を質的にまたは質的にでなく変化させるか、全体の存立条件を変化させる

Bの、状況から独立したオブジェクト間の関係の、事前の網羅的な命題や法則の変更の例を述べる。

20100809,18

下記は、命題の適用範囲を極限まで変更し、「定義」にまで拡張した例である。20100809

オブジェクトの二種類の「定義」として、一つは、カントからヘーゲルを経た、経済学・哲学手稿のマルクスによる、他の存在と相互作用するものが存在であるという、相互関係から存在の、再帰的、本質的な定義に至る把握を一般化し、存在に精神、運動を含めてオブジェクトに拡張する20100124,0301,0810

もう一つは、資本論の冒頭述べられている、それ自体の属性の集合体が商品だという把握を一般化し、商品をものに拡張し、ものに精神、運動を含めてオブジェクトに、拡張する20100124,0301,0810 個別的な定義としてはこれも本質的な把握である。

このいずれでも同じものを正確に完全に表現することができる。しかし片方の言い方は他方を前提としておりその意味で相互作用がある。属性の集合体がオブジェクトであるという定義は、他の存在と相互作用するものがオブジェクトであるという定義によっている。オブジェクトの属性は対外的には機能となり他と相互作用するからである。他の存在と相互作用するものがオブジェクトであるという定義も、おそらく、属性の集合体がオブジェクトであるという定義を歴史的に総括して得られた。

定義は、定義されるものの変化、変更のためのもので、定義そのものも変化する。20100124,0402,17

ここで、マルクスが属性の発見は歴史的行為だという指摘は重要である。この相互作用にも歴史性がある。20100117,25

類似の例として下記のオブジェクトの検討例がある。

「カント、経済学・哲学手稿のマルクスの存在オブジェクト客観的である存在の、レーニンの物質オブジェクト認識論的である存在の、資本論のマルクスの商品オブジェクト意味論的である存在の、全てに拡張してとらえる必要がある。」(オブジェクトについて、高原ホームページ)20090820,1225,27,28これはAの例にもなっている。

オブジェクトの変化やオブジェクト間関連について、命題や法則について、インプットとアウトプットの要素、条件の要素を網羅し、それぞれを論理的に極限まで変化させる。(例:質量転化の法則の拡張、FIT09 )オブジェクトの属性の変化には、個別のオブジェクトの属性の値の変化、内部構造の変化、属性の種類の変化がある。このタイプの法則についてはこれで要素は網羅されている。

さらに命題の型を網羅してみる必要がある。20100806

TS6

3. 現実の状況に依存するものについては、状況を相対化しかつそれに応じ、視点、粒度,密度、価値,目的の網羅をする。その視点、粒度,密度、価値,目的ごとに、

1) 属性、オブジェクト、オブジェクト群を網羅する。

2) 属性、オブジェクト、オブジェクト群に関係するものと関係するものとの相互作用を網羅する。

3) 属性間、オブジェクトと属性、オブジェクト間、オブジェクト群間の関係の運動を網羅し根源を問い歴史の論理を探る。

4) 現実と目的から、変更するオブジェクトと属性、オブジェクト群を求める方法、変更するオブジェクトと属性、オブジェクト群の候補を網羅する。

5) これら全ての認識と変更に対して、根源的極限的な変更をする可能性を検討する。

オブジェクトの属性の変化には、個別のオブジェクトの属性の値の変化、内部構造の変化、属性の種類の変化がある。特に属性の極小化の極限はオブジェクトの削除である。

ここでの根源的網羅は、変更像の候補決定までがカバー範囲である。変更の実現には、変更のための資源、負荷は理想的にはゼロというという要因を考慮して解を特定する。解の確定、変更の実現まで含めた根源的網羅思考は今後の課題である。

20100307,10,11,14, 0416,17, 0503,24,25,0616,18,21,22,23,24,25,26,27

この変化、相互作用は、根源的にラディカルな極限的な変化、根源的にラディカルな極限的な相互作用である。これには、変化しないことを含むあらゆる変化、相互作用しないことを含むあらゆる相互作用を含む。

根源的にラディカルな極限的変化をさせることは、オブジェクトの網羅と変化の値の網羅である。根源的にラディカルな極限的相互作用をさせることは、オブジェクトの網羅と相互作用の値の網羅である。

この方向で、40の原理に変わるものができる可能性がある。20100301,02,03 40発明原理の構造化は道半ばであり今後の努力が必要である。TS4

根源的網羅は、像の候補決定までがカバー範囲である。像の確定、変更の実現まで含めた根源的網羅思考は今後の課題である。

本検討自体、根源的網羅思考によって得られた。根源的網羅思考は、自身も対象で再帰的であり、多層構造をしている。根源的網羅思考の型の網羅、解」の特定方法は今後の課題である。20100623

対象化という視点から、世界の認識と変更の極限を述べようと試みた。この検討過程そのものの内容は「TRIZという生き方?」の最後に述べたIdeal Final Way of Life 42,43項の一部に当たるのだろう。そうだとしたら、検討がこのような段階にあるということは、この42,43項を含めたIdeal Final Way of Life の全貌は、まだ殆ど明らかになっていないということである。20100115

したがってもう一つの課題として、本検討そのものの定式化を続ける必要がある。また、本稿の内容は、どのような問題にも共通の枠組みで、新しい論理学の一部になるべきものである。   

ともあれ必要なのは、哲学基礎なのか、論理学なのか、弁証法論理学なのか分らないが、世界の変更に役立つこれらの総体である。20100122 これらは、形式的に、考えねばならないすべての概念を網羅して課題を定式化し、価値実現のためのどのような変更にどの概念を用いればよいかを示すのに役立つはずのものである。20100209,14,15

まとめなおすと、1. あらゆる領域のあらゆる種類の差異解消ができ解が見つかることと、2. それが正しいかどうかという二つのテーマがある。経済なら、さらにあるいは正しいことに含まれて、持続可能なことが問題である。前者1. の道筋は示した。10/02/18,21

後者2. の「正しさ」は、5TRIZシンポジウムのスライドの最後の「おわりに」で述べたような方向があるのであった。もう一方、究極の根源的価値の内容をそれ自身追求する方向もある。生命の存在を前提として対象化と一体化の矛盾解決が最上位の根源的価値であるか?生命の存在を前提として愛、自由の完全な発展と両立が究極目標になるか?20100221

根源的網羅思考について下記にまとめた。「TRIZと生き方における対立物の構造と根源的網羅思考」FIT2010

展開の第三段階)

20100927以降、電気情報関連学会中国支部関連学会(20101023岡山県立大学で開催)への投稿「根源的網羅思考によるオブジェクト特定と命題,法則の変更」で、オブジェクト特定、判断(正しい命題)、法則に対する態度を述べた。本論では、当初意図していた内容をやや超えて論理が展開した。その内容を記す。

展開の一つは、オブジェクトの形式で新たに網羅できる「問題」が明らかになり整理できることが分かったことである。

1.今まで、オブジェクトの形式での、粒度、オブジェクト網羅、(そのなかでの)オブジェクト特定、変更、という定式化10/09/14 機能の形式での、a. 目的と現実、網羅、b. オブジェクトの粒度選択、c. 方法、という定式化が混乱していた。前者での定式化をによる。1. オブジェクト世界の粒度特定、2.オブジェクト世界の機能、内部構造把握、 3. 判断,法則の把握、変更,生成、 1-. オブジェクト粒度特定、2-.オブジェクトの機能、内部構造把握、4. オブジェクト変更、が下記のように進むと一応考える。

 

 

2主語、述語という表現が命題、判断で、インプット、アウトプットという表現が法則である。ここで、主語、述語、インプット、アウトプットのいずれもオブジェクト世界(オブジェクトと属性の複合体、最小単位はオブジェクト、または属性)であり、命題、判断、法則はその関係を表現する。法則は一般性を持つものをいうが、この制約を外せば、正しい命題=判断、法則は、複数のオブジェクト、属性間の関係、変化の表現を一般的に表現する形式である。

一つのオブジェクト、複数のオブジェクトの認識:一つのオブジェクトの存在(存在オブジェクトがある) 、運動(存在オブジェクトが運動オブジェクトを持つ) 運動の結果の変化属性(オブジェクトが属性を持つ)についての認識、複数のオブジェクト間の(運動を含む)関係(複数オブジェクトが一部Aと全体B, 特殊なものAと一般的なものBの関係にある場合、オブジェクトAはオブジェクトBである、と表すことがある。その他、オブジェクトAはオブジェクトB と関係Rがある)(運動の場合その結果の)変化の認識。 

判断(正しい命題)は、一つのオブジェクトの存在、運動変化、属性についての認識、複数のオブジェクト間の(運動を含む)関係、変化の認識の、主部、述部からなる形式。      

法則は、一つのオブジェクトの変化、複数のオブジェクト間の(運動を含む)関係、(その結果の)変化の認識の、インプット、アウトプットからなる形式。

最小のオブジェクト世界は一つのオブジェクトまたは一つの属性である。

「何がどうする」:SOPOである。「何がどんなだ」:Oは属性を持つ。「何が何だ」:OOである。プロセスオブジェクトPOをオブジェクトとして扱うことにより、統一的処理が可能である。

10/09/18,25,27,20101017

3.属性と粒度の変更

31.既存哲学、思想、常識はすべて、ある粒度において正しい。一方、既存哲学、思想、常識は、その粒度は大き過ぎか小さすぎか、のいずれかでその粒度の外では間違っている。その構造、理由が以上で表現でき、しなければならない。20100927,28 

321判断の変化の極限

それぞれと全体の粒度を変化させる

(主部と述部とその構造をそのままにして変更)

1. 判断の主部、述部の属性を変化させる

2. 判断の主部、述部のある属性を削除する(より大きな粒度の主部、述部に置き換える) 

3. 判断の主部、述部に属性を追加する(より小さな粒度の主部、述部に置き換える)

(この例は多い。正しさの説明に例しかないものは殆どこうする必要がある)

4. 判断の主部、述部について、同じ述部が成立する主部を網羅し新しい主部とする(より大きな粒度の主部に置き換える)

(主部と述部の構造も変更)

5. 4ができると主部と述部は、同じ内容となり、言い換えとなる場合がある。そうして主部述部を入れ替えると定義になる

(例:存在は他の存在と相互作用するという命題から存在またはオブジェクトの定義を作る、例:商品は属性の集合体だという把握を一般化し、商品を存在またはオブジェクトの定義に拡張) 

322.法則のインプット、アウトプット(ともに三種のオブジェクトからなるオブジェクト世界)の要素、条件の要素を網羅し、それぞれと全体の粒度を論理的に1) 極限まで変化させ、2) 削除3) 生成する。

例:質量転化の法則の拡張[F09]:量質転化の法則は、オブジェクトの属性の量の変化によって、オブジェクト全体が別の質に変化するという法則  0

第一の拡張:属性と構造、質転化の法則  1

要素、要素間関係の変化が全体の質変化をもたらすことが加わる。

第二の拡張:属性と構造、質的,非質的変化の法則  2

アウトプットが質変化以外であることが付け加わる)

 

続きは「対象化と一体化の統一」に移行。20110112

 

対象化と一体化の統一:「唯物論,事実主義宣言」ノート

(意識の歴史の前提と所有意識,一体化意識)

意識と行為は相互作用する。まず意識が直ちに行為を決める、意識が直ちに行為を変更する。変化する行為が、今度は長い時間をかけて意識を変更する。行為は、(狭い意味の)労働(人によるものの変換、エネルギー変換、情報変換)、ものの交換(人と人の間のものの交換)と移動、情報の交換(コミュニケーション)と移動である。

この相互作用の螺旋の中で、意識と行為は、問題を発生させ蓄積させながら、高度になっていく。問題と高度化が両立しているのであるがこの中に解決の芽も生じている。それを見つけるためには、この相互作用、相互規定の歴史から論理を抽出しなければならない。そのため、労働、物々交換、コミュニケーションの関係、労働、物々交換、コミュニケーションのあり方の変化とそれによる意識の変化を考察しなければならない。今の自分にはこれらを考察するための知見は十分でなく調べる時間の余裕もないのであるが、粗野であり検証抜きであることを承知の上で、本ノートは、主観的価値;主観と客観の統一,対象化と一体化の統合(価値については「価値」参照)、という視点からそれを論じる試みである。客観的価値、対象化という視点からは、別のノートで論じている

負荷属性

観念属性

人の属性

機能属性

負荷

.人の機能と構造

作用

要素数

要素間の関係

要素

人の内部構造

機能

機能

ここで、自己意識(個の意識)、他者意識、所有意識、他との一体化意識、対象化意識が問題となる。意識にとって他の重要な概念は、ものに対する働きかけである労働と、自己()あるいは他が属する共同体である。共同体は、地域共同体、血縁共同体に代表される、ある共同観念を共有するグループである。図は人の機能、構造を表現するもので、直接人の機能属性に作用する観念属性が表現される。精神が、観念と感情を含む総称であるが、意識は、個々の観念と感情を含む精神の方向性、態度を表すものと言えよう。

あくまでも私の意識という狭い粒度に限定しての話であるが、主体として、自己()、他者、共同体の三つ、意識という関係として、所有意識、一体化意識、対象化意識の三つがある。これらを変化させるものはまず労働である。労働の間接化、高度化が人間の歴史の大半と言ってもよいぐらいである。労働という行為の開始、高度化、コミュニケーションとの関係については多くのことが語られ知られてもいるので省略する。これに対する意識の変化も、さらにこれが労働に与える影響も検討されつくされていると思う。

20100405,06,08,23

自己意識(個の意識)、他者意識、所有意識、他との一体化意識、対象化意識は、自己意識(個の意識)と、他者意識,所有意識,他との一体化意識,対象化意識、というように二分できる。前が自己、個に関わり、後は他に関わる。また、自己意識(個の意識),所有意識,他との一体化意識と、他者意識,対象化意識、というようにも二分できる。これも、前が自己、個に関わり、後は他に関わる。どちらにも属する所有意識、他との一体化意識が検討のキーになりそうである。このどちらも広い意味で何かと何かを一体にする志向がある。

おそらく、直接に意識を規定する基本要因は、ものに働きかける労働と、他のものの所有感、他との一体感であろう。ものに働きかける労働は技術に、他のものの所有感、他との一体感は制度に展開する。他のものの所有感は複数の成員が承認せねばならず、他との一体感は、複数の成員に共有され、これら成員が新しい共同体を作れば強固になる所有感、所有意識は、他を自己にひきつける意識であり、他との一体感、一体化意識は他に自己をひきつける意識である。何かを自己所有しているという意識とは、何かに対する排他的な占有操作可能意識であろう。これがおそらく、自己意識の核となって、他との差異意識を生む大きな要素の一つである。他との一体化意識も一体化意識を共有しないグループとの差異意識を生み現在様々な問題の根源の一つになっている。

これらは、生物学的な歴史と社会的な歴史の中で生成し発展するが、ここでは社会的歴史の文脈での考察に限定する。生物学的な歴史も知っておく必要はあるが我々が変更しうるのは社会的な歴史だけであるから。所有意識、他との一体化意識は、社会的な歴史の中だけで発展する。

所有意識、他との一体化意識がどうなればいいのであろうか?20100318,19,22,23,24,26,31,0401,05,06,08,24,0525,0602,23

(意識の歴史 1. 物々交換と地域共同体意識の萌芽)

道具と言葉は、以前から多くの人によって人間を人間たらしめたものとして扱われてきた。これらはそれぞれ労働、情報交換の手段である。資本論第一巻第一章は、1.物々交換により、有用性という属性を持っていた「もの」に、交換可能性という属性が付加されて属性分割が起き、2.有用性と交換可能性という二つの属性は、使用価値と交換価値へと深化、変容して属性の変容、転換が行われ、3.交換価値という属性は貨幣になって独立し、オブジェクト分割が行われるという壮大な論理の物語である。資本論第一章を再読していて、マルクスが数十ページを費やして語っているこの奇跡の物語は感動的であった。今回もう一つ気付いて驚いたのは、マルクスが語っていない、この物語の前にあるもう一つの物語である。それは、平和的な物々交換が普及したというもう一つの奇跡である。闘って勝ったほうが相手の持っていたものを手に入れるというルールが一般化しても不思議ではなかった。しかしそうならなかった。平和的な物々交換が普及したのである。(「同一性について」 http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

これに比べれば、道具が普及し今日の技術の隆盛を見たのも、言葉が普及したのも、貨幣が発生したのも当たり前のことが自動的に起こったに過ぎない。20100423,25,0714制度が作られるとき、共同観念が変化する。交換という制度の場合、「誰か」が何かを所有しているという状態が変更されることで、「誰か」が意識されるようになる。20100715

制度の矛盾を規定する運動法則は価値実現が目的の運動である。交換の場合,生産量が増大するにつれ,交換の速さ,容易さの向上,交換量の増大という交換というオブジェクトの属性改善が,結果的に目的として達成されたのである。このオブジェクトの属性改善の指標は,地球上で長期に渡って普遍的な価値規準であり,属性改善が,全員には意識されなかったにも関わらず,結果として交換価値,貨幣という共同観念は定着したのであろう。

より粒度の小さい目的意識的活動と目的を意識しない人間の活動の総体が,矛盾の運動を実現する運動になるのは,1.人間の個々の行為の属性と全体の属性の一致(11.対立物の片方の属性を代表するか,または,12.それ自体が,対立物の両方の属性を代表し(個々の商品の交換が,使用価値と交換価値の両方を代表するように)),2.個々の行為の持続性,3.累積性,4.累積が矛盾の運動と同じレベルの大きな粒度となるという奇跡が必要である。個々の活動が,全体の矛盾の運動の要素を含んでいる程度と活動の重大さの程度に応じ,累積の持続と量の程度,共同体の範囲は決まる。

この矛盾の運動の結果としてある共同観念が生成され,それをもとにさらに新たな運動が発展していく。(高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3」−(高原利生 ())   、スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 、論文PDF: 和文 英文 、紹介 (中川 ) 英文 第四回TRIZシンポジウム, 2008.09.10-09.12

道具と言葉は労働、情報交換の手段である。物々交換が定着した後、有用性という属性を持っていた「もの」に、交換可能性という属性が付加されて属性分割が起き、有用性と交換可能性という二つの属性は、使用価値と交換価値へと深化、変容して属性の変容、転換が行われ、最後に、交換価値という属性は貨幣になって独立し、オブジェクト分割が行われるのであった。この過程は人の意識に媒介されておりそれと相互作用があるがこの人の意識は影に隠れており、あくまでものというオブジェクトの属性の変容とオブジェクト分割がものの論理によってすすんでいく。しかし、最初の、少なくとも物々交換が制度として定着するまでの物々交換は、ものを対象に行われるものの、意識が主体の劇的な運動であり過程であった。今となっては実証できない過去の歴史を再現しその実現論理を探らなければならない。自分の共同体の持っているものを相手に与え、相手も同じことを同時にするという共同観念の生成という奇跡が必要である。これは、共同観念の生成と発展の歴史と論理であり、制度の生成と発展の歴史と論理である。20100512,14,0714

このような探求が何の役に立つか?宇宙人との出会いは、明日あるか100年後にあるか10000年後にあるか分からない。その出会いは少なくとも何らかのもののやり取りであろう、もののやり取りがものの交換になっているか、ものの交換と情報の交換が分離していると思い込むのは地球の常識を安易に一般化しすぎているかもしれない。物々交換の論理をつかんでいるかどうかが地球の存否を左右するかもしれない(というのが検討の必要な一つの理由である。ものの交換と情報の交換が分離する必要条件、十分条件は何だろうか?地球上の生命は下等なものもこの分離ができているようであるが)。20100512

物の交換が次第に高次化、間接化していることによる行動の内容変化と、

0) 強奪の時代の労働と意識10/03/20,23

1) 平和的な物々交換が可能になった意識、その誕生直後の人の意識、定着後の人の意識、物々交換を担った人と担わない人の差。労働。

2) 「貨幣」を介しての媒介されたやり取りとなっている今の相互作用のもとの意識。自ら労働していない人も労働している人もおり、労働は分業が発達しているという条件の差。この歴史の段階の差異解消が問題意識である。意識の分化が起こった原動力と分化した意識が何を可能にしたか?20100322,23,0420,23

0) 強奪であれ、1) 平和的な物々交換であれ、これが成立する条件として自己所有意識と他所有意識があるのは自明と我々は思っている。しかし見てみるとそうではないことが分る。まず、0) 平和的でない物々交換、ないし強奪の場合の意識はどのようなものであったか。今となっては検証できず、想像することができるだけである。解はすでに得られている。得られた解から逆に事実をもとめなければならない。物々交換がなく強奪の意識しかなかった時には、自共同体意識、他地域共同体意識の区別のない漠然とした観念しかなかった。この強奪は、漠然とした共同体との一体化意識のような意識が発現させたもので、強奪の意識は所有意識ではなかった。今の時代の強盗行為とは全く実行に際しての意識は異なっており強奪は「悪」ではなかった。強奪される相手共同体は他者ではなかった。他者という意識は育たなかった。これが定着し、平和的な物々交換が成立しなかった架空の歴史がありえた。それを我々は想像することができる。この場合、商品交換は成立しないから、(後に述べるように)もちろんのことに自己意識は誕生しなかった。

平和的な物々交換の場合との違いは、他所有意識も他者意識の萌芽も発生しなかったことである。したがって本当は、この場合の所有意識は漠然としたある共同体(以下、地域共同体を想定する)の所有意識であり、正確にはその地域共同体の所有意識でさえなかった。地域共同体の所有意識は、他地域共同体の所有意識がなければ成立しないはずだからである。同様に、地域共同体意識は、他地域共同体意識がなければ成立せず、自意識は他意識がなければ成立しない。

こう見てくると、強奪の時代の意識は、それ以前のより未開の時代との差異はなく、ただ平和的な物々交換を準備したという意義しかないように見える。個と共同体との漠然とした融合的一体化意識しかなく、それは正確には共同体意識でも一体化意識でもなかった。もちろん、対象化と一体化も、個と他も分離していない。しかし、やがて平和的な物々交換が始まり定着したのであるから、全く意識に変化がなかったのでなく、少なくとも地域共同体所有意識と他地域共同体所有意識、地域共同体意識と他地域共同体意識の区別の萌芽がわずかに見えたであろう。この芽の成長と蓄積こそが画期的変化であった。強奪という行為を繰り返す中で、何か言葉にはならないが、自分の共同体と違う共同体があるようなないような漠然とした観念が芽生え出している。強奪の長い歴史過程の中のこのわずかな芽の成長と観念属性の変化の蓄積がその後の制度の全てをもたらしたのである。

1)この萌芽を活かし、平和的な物々交換が少しずつ始まり、やがて定着した。何万年何十万年を要したこの歴史的変化こそ、道具の製作,使用と並んで、今日をもたらした画期であった。

最初の物々交換は、地域共同体の代表が別の地域共同体の代表と行ったのであろう。その時、代表である彼または彼女が持っていた所有意識は地域共同体の所有意識だった。このときの彼または彼女の自己意識はまだ地域共同体意識に等しく、自己意識と地域共同体意識は分離していなかった。所有意識は地域共同体の所有意識だったから所有意識と一体化意識も分離していなかった。しかも、この地域共同体意識を持っていたのは、地域共同体を代表して物々交換を行う彼または彼女だけで、他の全てのメンバーは、まだ地域共同体意識すら持っていなかったであろう。強奪の場合との違いは、物々交換を行う彼または彼女だけは、他共同体意識と分離していない他者意識を持っていたことである。物々交換が始まった時、物々交換を直接担う先進メンバーでさえ、個の意識はなかった。やっとこの彼または彼女だけに、地域共同体意識の萌芽が生じている。そしてこの先進メンバーには自共同体との強烈な一体化意識があったかもしれない。

おそらく自共同体所有意識、他地域共同体所有意識が自共同体意識、他地域共同体意識を作った。

重要なことは、物々交換を直接担う二つの共同体双方の二人以上の先進メンバーは、少なくとも物々交換の行為の瞬間には、二種の共同体所有意識(自共同体所有意識、他地域共同体所有意識)とこれに起因する二種の地域共同体意識(自共同体意識、他地域共同体意識)を持っていたということである。物々交換の行為の瞬間だけ存在したかも知れない二種の共同体所有意識(自共同体所有意識、他地域共同体所有意識)に起因する二種の地域共同体意識(自共同体意識、他地域共同体意識)は、物々交換が継続して行われるようになってくるにつれ次第に定着し次第に明確な意識になってくる。最初の物々交換が成功するためには、少なくとも自共同体意識、他地域共同体意識があり、交換の対象はそれぞれの共同体が所有するものという意識が最低限あったはずである。そして共同体意識の生成には、共同体所有意識と他共同体意識が関与した、つまり自共同体所有意識、他地域共同体所有意識、自共同体意識、他地域共同体意識は同時に生成された、あくまできっかけは自共同体所有意識、他地域共同体所有意識であったろうが。

1.自分の前にあるものが自分の共同体の所有であり、相手の前にあるものが相手の共同体の所有であるという認識

2.自分の共同体の所有物を相手に与え、相手も同じことを同時にするという物々交換予定像

3.いつ、どこで、どのぐらいの量を受け渡すか

この両者のことを考えた共同観念を別々の共同体の代表が共有することが物々交換という制度の始まりである。このうち2.が生成に最も困難であったろう。2.の生成には、もしこの行為が成立したらお互いが利益を得るという確信と相手もそうであるという相手を信じる賭けが必要だった。

つまり、物々交換を直接担う共同体双方の先進メンバーの、共同体所有意識、地域共同体意識の萌芽によるこの賭けが、一時的に偶然の物々交換を可能にし、その継続が一時性、偶然性の程度を下げていき、それが共同体所有意識、地域共同体意識を強化し、それが一時的、偶然的だった物々交換を、次第に継続的、必然的なものに変えていく。漠然とした自他共同体の区別のない観念から、観念属性の変化が蓄積することによる自共同体意識と他共同体意識の分離という観念オブジェクトの分割が、物々交換という行為の成功と相互作用して起こり、長い相互作用過程の後、定着する。この過程はある共同体では成功しある共同体では失敗するが、成功する共同体は次第に増えて行き、今日に至る。奇跡が起こったのである。この過程が難しいのは、自他共同体の双方が、同じ自共同体所有意識、自共同体意識、他共同体所有意識、他共同体所有意識を持っていないと成功しない過程だからである。また直接交換行為を行うのが、共同体の代表者であったとしても、全員が交換行為に暗黙の了解をしているという前提も必要であったであろう。自他共同体の双方が、同じ自共同体所有意識、自共同体意識、他共同体所有意識、他共同体所有意識を持っていることと、共同体間で物々交換が行われることは、同じ問題が解決されることであり同じ奇跡が起こることであった。

この対立項を持つ主体が同じ目的と認識を持たないと解が求まらない事情は、一般に制度に共通し技術の場合と異なる点である。次の記述は、物々交換が始まった後、貨幣が成立する過程における改善される属性を述べている。物々交換そのものの成立過程においては、改善される属性は交換の成功頻度である。

制度の矛盾を規定する運動法則は価値実現が目的の運動である。交換の場合,生産量が増大するにつれ,交換の速さ,容易さの向上,交換量の増大という交換というオブジェクトの属性改善が,結果的に目的として達成されたのである。このオブジェクトの属性改善の指標は,地球上で長期に渡って普遍的な価値規準であり,属性改善が,全員には意識されなかったにも関わらず,結果として交換価値,貨幣という共同観念は定着したのであろう。

より粒度の小さい目的意識的活動と目的を意識しない人間の活動の総体が,矛盾の運動を実現する運動になるのは,1.人間の個々の行為の属性と全体の属性の一致(11.対立物の片方の属性を代表するか,または,12.それ自体が,対立物の両方の属性を代表し(個々の商品の交換が,使用価値と交換価値の両方を代表するように)),2.個々の行為の持続性,3.累積性,4.累積が矛盾の運動と同じレベルの大きな粒度となるという奇跡が必要である。個々の活動が,全体の矛盾の運動の要素を含んでいる程度と活動の重大さの程度に応じ,累積の持続と量の程度,共同体の範囲は決まる。

この矛盾の運動の結果としてある共同観念が生成され,それをもとにさらに新たな運動が発展していく。(高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3」−(高原利生 ())   、スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 第四回TRIZシンポジウム, 2008.09.10-09.12

 

一方でしかし、共同体間で物々交換が行われていた当時、交換を担わない大半のメンバーは地域共同体意識さえなかった。したがって大半にとってはそもそも何らかの共同体との一体化意識というものもなかった。一部の交換を担うメンバーに、自共同体所有意識と他地域共同体所有意識を契機にして、自共同体意識、他地域共同体意識の萌芽が生じ次第に定着していたが、そのメンバーを含む全員は、(労働の進歩、間接化の進展がその後という前提で、だが)対象化と一体化の意識も分離していないし、(商品の普及がその後という前提で、だが)個と他も分離していない。これは驚くべきことである。20100327,0401,05,08,15,23,0515,0623, 0801

地域共同体の中でのもののやり取りは、現在家庭内で行われているやり取りと同じ様な意識で、所有意識なしで行われていたであろう。この個の意識と他への意識の分離のないあいまいな集団全体への意識はおそらく人類発生とともに古い。

(意識の歴史 2. 商品と自己意識、他の意識、対象化)

労働、物々交換、コミュニケーションの三つの発展につれ、物々交換、コミュニケーションも労働として独立していく。労働も採取、農耕から種種の多様な労働が分化し分業が発達していく。技術と制度の相互作用が起きる。「宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術,等々は生産の特殊な諸様式にすぎないのであって,生産の一般的法則のもとに従う。」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.147)「労働=生産」の間接化として,労働のための労働。労働のための労働は,「労働=生産」と,同一主体の行為として時間的に両立する,宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術の利用と,分業により,他主体の行為となる宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術の「製作」とがある。宗教,家族,国家,法,道徳,科学,芸術は,比較的直接に生産に寄与する科学と,生産主体の維持である生活,生産主体の再生産である類の維持に関するものに分けられる。(「経済学・哲学手稿」における「システムオブジェクト1−プロセスオブジェクト−システムオブジェクト2」モデル把握(ノート))

対象化の画期的な進展が続き生産量の増大、したがって交換量の増大が続く。特に技術の領域では対象化は急速に進む。ここで詳細を述べることはできないが、これは問題をかかえた対象化、分化、間接化の歴史であった。

自己意識(個の意識)は、他との差異の意識を前提に、他者意識と同時に生成されるまた商品誕生と関係して自己意識が発生したという意味のことが資本論の中で述べられていた(マルクス)。物々交換が、地域共同体単位に行われ、しかも限られた人間に担われていた時代から、全ての人が商品を直接やり取りするに至るにつれて、つまり「他」と所有関係を交換するようになって初めて、他所有意識と自己所有意識が、それゆえそれと同時に「自己」と「他」の意識が発生し徐々に定着する自己意識が発生し,漠然とした共同体意識から分離してはじめて共同体意識も成立する。今までの共同体意識は漠然とした自分と一体の共同体意識であって真の共同体意識ではなかった。個と他への意識の分離は人類発生以来かなり後になってからであった。

「資本家的生産様式および取得様式は、したがって資本家的私的所有は、自己の労働にもとづく個別的な私的所有の第一の否定である。資本家的生産の否定は、この生産そのものによって、自然過程の必然性をもって産み出される。それは否定の否定である。この否定は、個別的所有を再建するが、資本家的時代の成果にもとづいて、すなわち、自由な労働者の協同と、土地および労働そのものによって産み出される生産手段との、彼らの共同所有とにもとづいて、再建するのである。」(資本論第一巻初版744〜5頁)
 
この文章は、所有の形式 面で、資本制の時代とその前後の時代の転化を、所有の形式の「否定」と「否定の否定」というヘーゲルの用語で、表している。まず、「自分の労働にもとづく個別的な私的所有」というものがあり、それが否定される。その否定は、自分の労働にもとづかない私的所有「資本家的私的所有」によるものである。(ただしここでは、資本制生産様式以前の「自分の労働にもとづく私的所有」という言い方を、近代社会の「私的所有」という普通の意味で、受け取ってはならない。個人的な私的所有というものは、近代社会において初めて現われるものである。一人の人間が「個人」として存在するようになるのは、近代社会=資本制生産様式の社会においてなのである。

我々が歴史を遠くさかのぼればのぼるほど、ますます個人は、それゆえまた生産する個人は、自立していないものとして、一つのいっそう大きい全体に属するものとして現われる――初めはまだまったく自然的な仕方で家族のなかに、そして種族にまで拡大された家族のなかに、後には諸種族の対立と融合から生じるさまざまな形式の共同体のなかにあらわれる。18世紀になって初めて、つまり、「市民社会」において初めて、さまざまの形式の社会的関連は、個々人の私的目的のためのたんなる手段として、外的必然性として、個々人に対立するようになる。しかしこのような立場、つまり、個別化された個々人の立場をつくりだす時代こそ、まさにこれまでのうちでもっとも発展した社会的な(この立場からすれば一般的な)諸関係の時代なのである。人間はもっとも文字どおりの意味でポリス的動物である。たんに社会的な動物であるばかりでなく、社会の中でだけ自己を個別化することのできる動物である。』『経済学批判への序説』『マルクス資本論草稿集』1、26-7頁」(野波俊一的仕事集、資本論ノート1, http://tyamati.hp.infoseek.co.jp/sihon1.htm) 20100124, 0221, 0315,17,23,26,27, 0401,05,06,07,24,25 労働結果は、当初からも今も、人の全体(内部と行為)の結実として外化、対象化された結果ではない、自分が与えるもの(物と情報、その過程)は、自分の全体(内部と行為)の表現ではない、自分のもらうものも、全く同様に、相手の人格表現ではない。これは決定的に対象化と一体化の意識を規定する。また、現在の交換は、第一に、ほとんど、自ら労働していない人も労働している人も行うやり取りであって自分の労働によって得たもののやり取りではなく、しかも「貨幣」を介しての間接的なやり取りである。第二に、商品交換は普遍化し高度化しており、間接化している。

問題をかかえた対象化意識だけ肥大化すると、あいまいであれあった全体への意識が失われる不安解消のため全体と一体化しようとする意識も強くなる。しかし、もともと一体化があったのに対象化が進行したから一体化を復活させるのではない。

(歴史のまとめ:起源と同時発展)

(意識の歴史 1. 物々交換と地域共同体意識)は、直接には労働や経済に関係ない全員が共通の地域性を共有する共同体の話、(意識の歴史 2. 商品と自己意識)は、貨幣を介する交換を行うという抽象的関係を有する経済の話である。20090224,28,0301,02,17,20100405

1. (起源1あいまいな全体意識から自共同体所有意識と他地域共同体所有意識、あいまいな自共同体意識と他地域共同体意識、自己()と他への意識の分離が、この順に起こり定着する。自己()と他への意識の分離が、今度は共同体意識を明確にしていく。

2. (起源2)対象化意識の起源は知らないが(今までに多くの知見が蓄積されていると思う)対立項を持つ複数の主体が、対象化志向でなく一体化志向を持ち同じ目的と認識を持たないと解が求まらない事情は、一般に制度に共通し技術の場合と異なる点である。あいまいな全体意識から対象化意識が発生することによって一体化意識も鮮明になる多様な労働が分化し分業が発達し、生産の増大、交換の増大により、対象化意識が発達する。初めは対象化も一体化もないあいまいな全体意識だった。技術による対象化と制度による一体化が進展したが、現実の経済の発展に伴う現実の対象化に問題があるので一体化にも問題が生じたのである。

3. (同時発展)そのうえで、自己()意識、他意識、共同体意識、所有意識、一体化意識、対象化意識は、問題と解への契機を増しながら同時平行的に発展している同時発展ゆえ同時解決しかないのである。

20090224,28,0301,17,0516, 20100318,23,24,25,27, 0401,04,05,06,07,08,23,0714共同体意識と経済起因らしい自己意識の実態と理想像が分からない。

(問題:矛盾)

問題は、第一に、対象化の「正しい」価値を求め実現することが課題である。自己()概念、他概念、共同体概念、所有、対象化、一体化という意識の動きは、いずれも問題を内包したまま同時に変化を続けている。これを規定する労働も、人の全体(内部と行為)の結実として外化、対象化された結果をもたらさない。

第二に、ばらばらの対象化と一体化は、お互いを補完しあわず、高めあうことがない。正しい価値実現のための対象化と一体化が必要である。

第三に、問題の現実の現象から言わねばならない。次に引用を示す。20090224,28,0301,04,1015, 20100131,0221, 0315,25,26, 0404,05,06,07,20,26

「同一性について」より

帰属感の同一性の種類、同一性の対象を考えていると、次のことが分かってくる。この感覚は「私」の感覚でありそれが他人にも展開されていくが、人の感覚であることには変わりない。この同一性の感覚は、自身との同一性、異なった時間、異なった空間の自分との関係がもとになっているが、それ自体は抽象的で確認困難である。この日本語になった「アイデンティ」を確認する手段が、何かの上位システム、上位オブジェクトに属しているという感覚を得ることであろう。そのために使われる上位システム、上位オブジェクトとして、実際上普及しているのが、国家、宗教宗派、民族である。これはなぜだろうか?これら国家、宗教宗派、民族は、何らかの事情で危機であるときに、逆にそれとの帰属意識が強固になる。離散された民族や他の国との紛争をかかえた国家、弾圧下の宗教宗派の場合がそうである。しかし、国家、宗教宗派、民族の属性がゆがんでいれば、帰属感もゆがむ。問題は、ゆがんでいようがいまいが帰属感は持たざるを得ないらしいということである。この理由はよく分からない。あり得る理由の一つは、制度への帰属感は、日常の疎外感の代償感をもたらすものとなっていること、二つ目は、本質的で疎外されていない帰属感は抽象的で得ることは困難に見えることであろうか。27歳の若きマルクスは類へ帰属意識が得られない原因を「経済学・哲学手稿」で語りそのための対策を提示したのであったが(「マルクス「経済学・哲学手稿」内容ノート」、高原利生ホームページ、http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/)実際にこれは困難な課題である。これらはもっと厳密に述べる必要がある。

一体感は、間接化と分業により二重に得にくくなっている。もともとの(地域共同体との)一体感、帰属意識が、なぜ形を変え今でも国家、宗教への帰属意識として強力に残っているのかが私には謎である。間違っていても帰属意識が必要なのはなぜか。自己意識、個の意識が正しくなく曖昧な分、(国家や宗教への)偽の帰属意識という同一性への志向、一体化が大きな比重を占めるという面もある。国家や宗教の側、あるいはその代弁者からの直接,間接の必死の働きかけもあろう。偽の帰属意識、偽の一体感をなくすことは人間疎外をなくすための手段であり目的であり得る。

(既存解の批判)

1.従来の唯物論には不十分な形での「対象化」しかない。一方、宗教的知には、対象化は皆無といっては言い過ぎになろうが少なくとも弱いと言わざるを得ないであろう。一体化は、宗教的知にはあいまいで間違ったな形のまま過剰にある。宗教は、正しくない対象化が違っているからといって性急に単純に一体化を求めてきた。そもそも宗教は、対象化が不十分なまま性急に一体化を求めざるを得なかった知である。20100221,0315 現在ある従来の唯物論と宗教の、対象化と一体化はどちらも違っている。正しい一体化と正しい対象化の両方が必要で、この両立という矛盾の解決が必要である。両立を目指さない一体化も対象化では、本来の一体化も対象化も得られない。

一体化も対象化も歴史を総括し対象的に得られた真理、価値、歴史の論理を糧とし、迷妄を廃したものでなければならない。宗教、宗教的なものに共通し、残念ながら「昔話」やおとぎ話にも共通する克服すべきものは多くかつ根深い。

ビルの4階にある子供のバレエ教室の先生は、「まじめにやらんと窓から落とすぞ」という言う。第一に、窓から落とされるという罰が怖いから良いことをする、させるということであり、本質的に態度として間違っている。「教育」のステップでやむを得ないことだと言う人が多いのかもしれないが。第二に、窓から落とすということそれ自体の表現は、論外である。事後の報いで釣って良いことをさせ、あるいは事前の「捧げもの」で良い報いを神から得ることを求め、罰で脅して罪を起こさせないようにし、罰を犯しても償いをすればよいことの前提となっている共同観念は、間違った対象化された知であり克服すべきものである。「罪と罰」における罰と、何かへの仕返しというのは、制度化の完成度に差があるだけで同じことであり、罪と罰が等価であるというのは、またそもそも何かと等価な行為があるという概念は、誤って成立した幻想であり克服すべき共同観念である。これは、知る限り全ての宗教、宗教的なものに共通し、残念ながら「昔話」やおとぎ話にも共通するものである。なにしろキリスト教の神は、穀物を捧げるカインよりいけにえを捧げるアベルをよしとする。それらは長い間、「正しさ」「良さ」を損ない続けてきた。実際には良きことをしても良き結果が得られるとは限らなかった。良きことをして良き結果が得られるなら、それは科学的知識であるから検証に耐える必要があるが、いままでそれはなされていない。それでも良きことをし続け、かつ良きこととは何かを問い続けねばならなかった。

良きこと正しきことの基準は価値である。価値も人間の歴史を総括し対象化して得られるものである。価値における、生、自由、自然負荷、愛、主観と客観の統一について、1000年単位ではその考え方は変わってきている。

自由についての概念はせいぜいこの100年ほどの間に明らかになってきたことが多い。

愛についての本稿の意見はまだ少数派に属するであろうが2000年前にキリスト教が説いたものは少なくとも理論的には超えられている。

変わりにくいと思われる人の生の大事さについても、若い人の生命と死が近い人の生命のどちらが価値があるか、大雑把には人の意見は一致するだろうが、両者の差異は何かについては皆意見が違うだろう。今世界の各地で死刑は正しいかどうか真剣に議論される時代にはやっとなっている。また特に人間以外の生命の生についての判断基準は、これも100年ほどの間に明らかになってきたことである。

ましてや「地球に優しい」という自然負荷については価値として問題になってきたのはこの十年ではないか。どの価値も時代が変われば少しずつ変わりかつ一致はなかなか難しいのである。2000年前の宗教の説いた価値はすでに乗り越えられているし、現代の宗教家の説く価値も狭いものが多い。

自分の信じる宗派内の価値から全人類の価値へ、そして全生命の価値へと価値の内容は深化、拡大を遂げようとしている。しかし多くの宗教、宗教的なもの、世の「常識」は、これを不変と考えている、というより、価値が変化するという意識がなく、「不変の価値」を語る時に、語る自分の「今」の根拠のない固定的価値観にとらわれ、特に狭い人間中心主義に立っていることに驚くことが多い。これは、多くの宗教、宗教的なもの、世の「常識」が違っている証拠である。

宗教、常識、おとぎ話(おとぎ話も、もともとそれが持っているより豊かな内容が、要約された簡易版ではことごとく因果応報、安直な勧善懲悪物語に書き換えられ「だから」良いことをしなければならない悪いことはしてはならないという物語になっている)の迷妄、因果応報という妄念を脱することと、自ら正しいと信じる価値が変化すること、相対化の必要性と可能性が、今やっと生まれた。

因果応報をうたい文句にしている宗教、常識、おとぎ話は多いが、大きな欠点がある。一つは、因果応報の因と果の時間経過の間に価値が変化することはなぜか意図的に忘れ去られるかそもそも語る人に気がつかれていない。もう一つは次の点である。「正しい」「良い」ことはただ「正しい」「良い」ゆえにする。「正しくない」「良くない」ことはただ「正しくない」「良くない」ゆえにしない。それ以外の「正しい」「良い」行為ほど「正しさ」「良さ」を損ない汚すものがあるだろうか?これこれの良い報いがえられるから良いことをしましょう、こんな罰があるから悪いことはやめましょうというのは、知能の低い人に当面の効果はあるかもしれないが、幸い人類の知的水準はもう「当面の効果」よりその本質的な害悪のほうが大きくなったことに気づく段階に来ている。その行為は、行為者の心が「正しくない」「良くない」ゆえに「正しくない」「良くない」ものとなっている。

このことは次のことも意味している。常に「正しい」「正しくない」こととは何か、より「正しい」ことは何かを問い続け、自らの観念を相対化し続けなければならない。それが面倒だと言ってはならない。面倒だと言うなら他にどんな方法があるか示して欲しい。それに、因果応報が正しい観念であるなら、その正しさを証明したうえで、しかし良い報いがえられるから良いことをするのでなく、罰があるから悪いことはやめるというのではないことを説得しなければ、良さ、正しさを汚し続けることになる。本質的にこれも結構難しいことではないのか?20100101,06,10,12, 0224, 0319,21,22,23,28,29, 0420, 0503,23

2.ヨハネの第一の手紙で二つの文に感動したのであるが、この感動的理解は、私がヨハネの「したかったができなかったヨハネの意図を完成するにはどうすればよいか」を結果的に考えることになった批判の最中で得られた。読むことも認識であるから一体化する読む方と対象化して読む読み方がある。ヨハネの二つの文については、対象化して読む極限に、ある種の一体化の感動を得たのであった。ヨハネの行為の位置づけができ彼の限界が分かった瞬間と、彼のすごさに感動した瞬間が同時であった。これは自分の初めての経験ではないかと思う。この不思議な体験の対象化作業は終わっていない。(ヨハネの第一の手紙について)

(唯物論の解と課題)

1.「対象化と一体化」という矛盾

事実に対しては謙虚でなければならない。同時に全てを疑わねばならない。矛盾である。20090731,0805

これを、人、観念について考える。愛の気持ちと批判の統合、20090902 謙虚に信じることと何も信じないことの矛盾、自由と愛の矛盾、愛と批判の矛盾は、究極には対象化と一体化の矛盾である。20090902

謙虚に事実の全てを受け入れることと事実を批判することは矛盾である。自分はかくも謙虚なのに他人が謙虚でないのはおかしいと文句をいうのは、単に謙虚でないだけである。他人が謙虚でないことをもたらしている現実を認識できていないから。この態度と異なり、謙虚さと批判の両立という矛盾が運動できる形態を探さねばならない。まず時間的分離;一旦謙虚に受け入れ、なぜそうなっているのかを理解し、その後の批判、次に属性による分離を行う。20091016

児童向けの映画「ひとりぼっちの狼と7匹の子やぎ」は、一方的に相手を信ずる物語である。つまり矛盾の対立項の片方だけがある。留守番をしている7匹の子やぎは食べようとしてやってくる狼を一方的に善良と信じていて結果はこれだけで解である。20090920,20100410

謙虚に事実の全てを受け入れることと人を信じることはやや異なる20100410。人を信じること人を信じる,信じているふりをすることもやや異なる20100410この矛盾は明らかに分離可能である。対象化と一体化の分離の一部である。20090819,0913

人を信じるということは、変えられない事実に謙虚であり、同時にその事実が「合理的」であると理解し、かつその事実の根拠が同じという意味で自分と同一であると理解するということである。信じているふりをするということは、四つのことを意味する。一つは信じることが正しい、しかし信じることは実際上できない、信じていることを相手に伝えることに意味がある、そして信じているのだということを相手に伝えるということである。これらの態度は他人に対するだけでなく一般化できるししなければならない。

これと、既存の観念を何も信じない唯物論,事実主義の思想は、両立する。第一にこれらは認識の二つの面に過ぎない、前者は謙虚である面、後者は変更が必要である面である。第二に両方とも批判が必要である。20090819,20この二点で典型的に優れていたのはマルクスである。20090829

「対象化と一体化」というのは、従来の唯物論なり弁証法のテキストにはない。「対象化と一体化」というのは対立している矛盾である。しかし矛盾であるので統一されてもいて、この矛盾の解決とはマルクスの有名な言葉を借りれば「矛盾の運動を可能にするような形態をつくりだす。これは,一般に現実の矛盾が解決される方法である。」(マルクス、資本論、国民文庫、第一分冊p.182,183 )対象化と一体化の「矛盾の運動を可能にするような形態」をつくりださねばならない。弁証法でいう歴史と論理の一致を適用し「自己疎外の止揚は,自己疎外と同じ道をたどる」(「経済学・哲学手稿」3,国民文庫、藤野渉訳,p.141)という若きマルクスを一般化すれば、矛盾の解決は矛盾の深化の道を逆にたどる、ただしもとの地点に戻るのでなくより高い統合点に着かねばならない一体化から対象化が分離した道を逆にたどり、しかも両者が統合された点に着かねばならない。

一体化と対象化の矛盾は、二つの面がある。一つは、直接に、自分の外に存在する客観的な何かここでの対象への尊敬,感謝の念,一体感と、対象を向上させようとする現世の努力の矛盾である。二つ目は、そのための主観的態度として、信じることと、相対化し批判することとの矛盾である。そもそも、唯物論という事実主義の立場に立たないとこの矛盾すら成立しない。唯物論という事実主義の立場以外では、尊敬,感謝の念,一体感の対象と、向上,努力の対象が異なり、信じ一体化する対象と、相対化し批判する対象が異なるからである。唯物論という事実主義の立場に立たないと、一体化と対象化は永久に別々に分離されたままであり続ける。唯物論という事実主義の立場に立った場合の対象は、数十億年の事実の歴史、その間に得られた真理、価値、歴史の論理の総体である。この対象に対して一体化と対象化を同時に行うのはまさに矛盾である。しかし、この矛盾を解決しない限り、信じることは行動のために必要だが、それだけでは、信じない他を排除してしまい、一体感は一体感の外の集団を排除してしまう。一方、相対化という対象化は、他を排除しないがそれだけでは一体感の安らぎは得られない。20100315,21,22,23

マルクスは、主観と客観の統合という形で疎外克服を論じた。20100215,0315

エミール・ポッティジェリは、それを次のように述べる。「ヘーゲルが絶対理念の弁証法で解決した主観と客観との同一性の問題,それをマルクスは具体的に解決する」「共産主義によって,人間は彼の真の自然(本性)を獲得し,そして疎外の時代には彼のすべての実践がそれに対立させていたところの世界を獲得するであろう」(エミール・ポッティジェリ,「経済学・哲学手稿」仏訳者の序文,藤野渉訳,p.256

対象化と一体化の矛盾を語ってきた。矛盾にはいくつかの型がある。対象化と一体化の矛盾は、対立物が全体の不可欠な要素ではなく、より大きな粒度の全体の不可欠な要素であるものである。この型の例としては、他に、主観と客観、認識と行動、男と女がある。この型は、普通は矛盾として扱われない。それぞれが通常の意味では単独で存在し、その上の粒度で始めて矛盾とされるからである。例えば、男と女は、個体としては矛盾でなく種という扱いの粒度で矛盾となり種の生存をもたらす。

この矛盾を解決すると新しい段階に達することができる。対象化と一体化の矛盾、主観と客観の矛盾が、矛盾として扱われその解決は図られるようになった時、マルクスが言っていた人間の前史は終わり歴史が始まる。このときに初めて「必要に応じて受け取り、能力に応じて与える」個性の社会が実現する。個の対象化と一体化の矛盾解決(のための努力)には、社会の「必要に応じて受け取り、能力に応じて与える」こと(のための努力)が相互前提となる。マルクスの難解な「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」「したがって一方,社会における人間にとって,いたるところで対象的現実が人間の本質的諸力の現実となり,人間的現実となり,それゆえに彼自身の本質的諸力の現実となることによって,彼にとってすべての対象は彼自身の対象化,彼の個性を確証し実現する諸対象,彼の諸対象となる,すなわち彼自身が対象となる」(「経済学・哲学手稿」3,藤野渉訳,p.153)という27歳の若き日の言葉はこのような意味であった。20100324,25

主観的価値が、主観と客観の運動の一致(部分と全体の同一性)であるのと同様、客観的価値は、差異解消=同一化、等化であるという形式的な対比も成立する。20071020090901,20100323 (主観,客観という軸と一体化,対象化という軸の関係がまだ明確でない。20100225

対象化と一体化の矛盾の正しい解決の方法が今一番分からない点である。解決は永遠にされないが解決の方法はありその方法が分らない。さらに統合された対象化と一体化が正しいものである保証はどのようなものかも分らない。20091020,1110,1231, 20100221,0315,23,25,0406

2.事実主義による理想的な生き方から

唯物論という事実主義による理想的な生き方とは、事実だけに謙虚であり、対象的には、何ものも信ずることなく既存の観念と自己を批判し続け、常に他人と世界の向上、一体化に全力で誠実に努力し続けることである。

一体化する志向を持った認識と対象化する認識のうち、前者は主として感情が担い後者は主として観念が担うと考えられる。20090424,0731,20100221 前者は芸術、後者は科学に発展する。20100217自由が対象的認識,対象的行動で、愛が一体的認識,表現と対象的行動であろうか?10/02/18(この点については、「ヨハネの第一の手紙について」で論じた。)そうであれば、一体化と対象化の統一は、自由と愛の統一、芸術と科学の統一である。繰り返すことになるが、これは唯物論という事実主義による立場以外には得られず理解もされない。20100321

とりあえず、各人の自己意識と世界意識の同時生成、自己変革と世界変革、の同時実行が目的達成の手段である。20090305,0406,20100404各人の自己意識と世界意識の同時生成、自己変革と世界変革、の同時実行が目的である20090305,0406各人の自分を含む現実認識、自分を含む現実の変化は同時並列的にのみ得られる20090306

3.とりあえず全体の中の位置把握と与える実感ともらう実感

対策の一つとして目的の手段でもあり目的そのものでもあるのは、他人のため、胸を張って社会の役に立っているという実感を持つことである。物々交換は他に与えるものがあるということと他からもらうものがあるという前提で与えることともらうことを意味する。これはすばらしいことではないだろうか。これが始まりであり目的である。そして、分業が進展している現在は、全体を見通す能力、そのものの全体の位置を把握する能力、行為に人間のあらゆる能力を発揮する可能性を、皆に与えている。

与えることともらうことは物である必要はない。行為であってよい。与えることともらうことが同時である必要はない。しかし与える実感ともらう実感が両方必ず必要である。目的の手段でもあり目的そのものでもあるというのは完全な手段ではないことも示している。これをすぐに実現できなくしたものは何だろうかと考えるべきである。ここまで来てやっとマルクスを思い浮かべる。これは飛躍によっているのでこの飛躍を論理にしなければならない。誤解を招く言い方であるが今の制度の基で極限まで与える実感ともらう実感を得る努力をすべきである。その上でそれがどの程度実現できどの程度実現できないか、その根源を問いただすべきである。20090224,28,0305,0516,20100402,25

4.とりあえず芸術という解

芸術は、もともと一体化を目指す認識である。そうであれば、特定の「芸術家」だけでなく、全員が何らかの芸術行為を行うことが少なくとも必要であろうか。20100428 0503

(解決のためのいくつかの概念整理のいくつか)

いくつかの課題を未整理のまま記しておく。

1.どの領域の何か

今実現すべき価値はどの領域の何か、についても、まだ概略の検討がすんだだけで殆ど何もできていない。価値を実現する主体は、今取り敢えず価値の実現を望んでいる人である。価値は失われたのか?そうではないような気がする。求める価値と現実の差異が見えてきただけという気がする。チャンスではないか。(根源を問うことの内容)でこの一部を検討する。これは価値のうち人間の属性についての理想と現実の差異である。

ここでの「自己」、「他」の観念が、「家族」や地域共同体、最近では国家など自分の属する集団の中でどのように位置づけられていたか、今はどうなっているか、どうあるのがよいのかは明確でない。

2.今、詳論の余裕がないが、言葉の発生と普及と発展による情報の交換(人と人の間の情報の交換)と移動も以上と相互作用しつつ自己意識と相互作用してきた。情報の交換の技術の進歩(宇宙、航空、インタネット)による客観化、対象化の内容変化の可能性も活用しなければならばならない。サン・テクジュペリは「人間の土地」で航空機の高みから見る人間の生活の相対化を語った。今、月から見た「地球の出」の写真や宇宙ステーションからの地球中継は、人の認識の相対化にさらに大きなインパクトがある。この意味も十分解明されていない。20100317,18,23

3.神沢利子作「くまの子ウーフ」(ポプラ社)という童話集がある。この中に「ちょうちょだけになぜなくの」という短編が入っている。

ある日、部屋に入ってきたちょうちょをウーフは「ぼくのちょうちょだ」と言う。お父さんが逃がしてやりなさいと言うが、逃げそうになったちょうちょを、ウーフが逃がすまいとして窓を閉める。窓に挟まれてちょうちょは死んでしまい、ウーフは泣く。

それを見た狐の友達ツルタが、ウーフはいつもトンボの羽をとって遊んだり、てんとうむしをお尻でつぶしたりし、ビフテキを食べたりしていることを指摘して、からかう。

お墓を作ってやるが、そなえたドロップに蟻がたかる。ウーフは「なめちゃだめだ」「こら、僕がなめちゃうぞ」といってドロップをなめる。

「口の中で「たすけてくれえ」と小さな声がしたようだった。ウーフは息をとめて目をまるくしました」というところでお話は終わる。

問題提起だけで終わる。要約のできない,してはいけない物語である。生命の命への態度が何段にもなっていて、作者も整理せず大人へも問題を出したままにしている。「ぼくのちょうちょだ」と所有意識を持ったものに対してだけ悲しみの感覚が生じている。

「去るものは日々に疎し」、偽の一体感を所有意識により説明し解決策も示す。所有意識が一体化のキー?20100404

4.ほめられてうれしいのはなぜか。自分だけ評価されて評価されるべき他が評価されなくてもうれしいか。これは微妙である。間違ってほめられてもうれしくない。

寂しいのはなぜか。人といつも繋がっていたいか。今は繋がりがなくても繋がりが可能ならいいか。

一体化を本質とする芸術の誕生は人間のどの段階であるか。芸術と帰属意識の関係は?20090224,28,0301,04 20100404

「対象化という生き方」からの展開の第三段階)

20110112「対象化という生き方」から移行)

「対象化という生き方」の展開は5TRIZシンポジウムのままである。

欠けている大きなものは、下記の三つの問題とこれらの関係の理解である。

1.前提に、実世界の矛盾の把握の困難さがあり、サルトルが「方法の問題」(全集、以下のページは本書)「弁証法的理性批判」で指摘したマルクス主義を生き方にするという課題を解決しなければならない。マルクス,サルトルと、教条的唯物論,教条的弁証法の態度の矛盾10/12/07である。これは、技術分野ではあまり気にすることの必要のない課題である。技術と制度の違いの検討も必要である。

2. 源的網羅思考のより深い検討が必要である。

3実世界の矛盾を、解を求めるに際してはそれを「物理的矛盾」「技術的矛盾」に変換しないといけないという内容に関する問題である。20101204,05,07

新しい論理学は、これらを含み次の内容を持つ。20101213

 理想的な行為と思考の内容、本来のマルクスの考え方を展開し形式化したサルトルのいう全体化は、価値実現の最も重要な矛盾の運動であり、1)2)の二つの内容を持つ。(XX化という過程は必ず矛盾という運動の別視点表現である。過程は運動の別視点表現である、少なくとも一属性の二値の同時存在という矛盾の別視点表現である。XX化という過程は必ず二属性間の矛盾という運動の別視点表現である)

1)対象そのものの全体化=差異解消、という客観の全体化(全体の把握と必要かつ可能な内容の変更をすること)、その認識の全体化(これは2)に含めて考えることもできる)について、瞬時に、私が、全体の把握と必要かつ可能な内容の変更をすること

この内容は、全体化のための論理である。サルトルは、方法の問題p.6‐9で歴史と真理の全体化=対立、差異解消ととらえる。サルトルの認識の実存主義10/11/21では一瞬の行動が全部を保持していないといけない。10/12/02

11)空間軸の全体性:一事が全体、物の世界の全体性と人の世界の全体性がある。

12)時間軸の全体性:瞬時に全体、という「一体」20101227,29,20110107,10

今、瞬時に私が全体の把握と必要かつ可能な内容の変更をすることが必要であるこれらを可能にするのは、根源的網羅思考という態度と思考形式である。これは全過程を貫いて働き、内容と相互作用する。

理想的な行為と思考の論理学は、あらゆる状況に適用される形式である。(以下は二つ以上のいくつかの内容が含まれる、分けて記述すべき) あらゆる状況とは、行為、思考、両者の間にあり思考の延長にある表現(表現は対象化された思考のオブジェクトであり、制度には不可欠である20110119、行為、思考に論理はあるが表現にこの同じ意味の論理はない)のうち、

1.行為、思考、表現が該当する(個人で変更する単純な変更の場合行為と思考のみであることがある、制度的行為の場合、案の議論、説得が必要なので表現が加わる。)実際の現実の変更の場合(この場合、反対意見を排除する強制的実行が論理的に可能である。強制の扱いは課題である)、

2.思考、表現が該当する、複数案の比較をし議論をする場合、

3.思考、表現が該当する、他の説得をする場合

である。20110111

制度つまり共同観念の働く場では、正しさの証明を自分にも他にも明示する必要がある。全体の把握と必要かつ可能な内容の変更は、価値、目的の粒度(事実と目的は、価値の粒度が規定している)と、それを導く論理の正しさの二つの明示的な提示が結論のセットでなければならない。つまり価値、目的の粒度は検討の出発点であり結論の重要な一部でもある。特に決定的なのは、実質的に粒度、特に価値の粒度である10/12/03。実質的に粒度であるという意味は、粒度が必要かつ瞬時に仮の形にせよ設定可能であり、しかも日常、我々はいつも粒度を無意識に設定して生きている。11/01/11これこれの粒度の目的を述べ、それはこれこれの手段で達成でき、その手段で当初の目的が達成できることが確認できると述べることが、実世界の変更、相手との議論、相手の説得に共通する。20110109

20101205のあるメールの一部:事実、目的、解、という三項があり、一般に、事実、目的は、双方とも客観的に定まっているものだということを前提に議論がされ、それで解が出されます。特に事実は定まっているから事実だし、目的についても、議論において、必要なほど十分には明示的に確定的に述べられません。

しかし、事実の認識像、目的、解、は同時に決まるのですね。つまりこの三者は相互規定し合っています。事実と目的が解を規定するのは当然ですが、解が出ないようなとてつもない目的は設定されないし、目的が明確になってはじめて事実は認識され、云々。

それでは解は永遠にでないので、論理を進めるためには、事実と目的を確定しなければならない。事実と目的を確定するためには、事実と目的の粒度を確定しなければならない。あるものの粒度とは、そのものの空間的時間的範囲、抽象の程度です。

問題は、どのような粒度で議論されようが、論理的に正しい論述が行えて正しい解が出る、ということです。世の中、粒度が違うためにすれ違う議論ばかりです。)

根源的網羅思考は、客観の全体化への態度であり、認識の面での完全な主観と客観の一致に向かう態度である。

 

2)主体と対象、主観と客観の統一

1)の達成を前提にした2)主体と対象、主観と客観の統一という「一体」の対立物の解消、認識の面での主観と客観の一致(これを1)に含めて考えることもできる行為の過程での生き甲斐、結果の達成感の獲得という全体化からなる

自分、自分と対象との向き合い方である10/11/23(サルトルの投企、方法の問題(全集)p.108-109, p.110)。

1)と2)は非対称である。なぜか?

 

行動、態度、思考は、三つに時間分離できる。その上で個々に検討する。対象化を扱う根源的網羅思考も三つに時間分離する。対象化と一体化の統一を扱う思考と感情を扱う態度もこの時間分離に対応するものがあるのかもしれないが、これは十分に述べられていない。

1. 事前に検討、熟考しておくべきこと

11.網羅、全体性のための基本概念

1)基本概念:事実オブジェクト(物、精神(私、私以外)、運動)、構造,階層

2)事実の歴史の総括による価値、価値に相互規定される機能,意味

3)変化と他との差異

10/11/30,1204,13,171,20110107,24

 3)については、前の検討のとおりで、Aを除くB,Cは弁証法である。

A. 粒度 (D. 階層性、型の階層を含む:Da. 網羅の階層構造、Db. オブジェクトの選択の階層、Dc. 科学と弁証法の階層)

B.相互作用

C.歴史性

12.全体化への態度

( 0) 基本概念について

 分かっていること0:いままでの検討による基本概念

課題0価値から意味が変換されて出てくる論理、一体という型の矛盾、特に所有と帰属という対立物の検討が課題である。

( 1) 対象そのものの全体化について)

分かっていること1:いままでの検討による基本概念と全体化の内容把握。

静的には粒度が全体を規定する基本、

動的には全体に関わる基本は、すべてが歴史性の認識と対応である。

何が問題かを求める方法11/01/18つまり分かっていることと課題を分ける、という常に変わる作業が、思考の弁証法の出発点で大きな部分である。11/01/18,19

矛盾より構造が先にある11/01/06,10 つまり全ては相互作用、運動でありその構造がある。相互作用が、矛盾と条件(的相互作用)と無視できるものに分かれる。矛盾認識は世界の構造の対立項による近似である。10/11/10,1204,20110112,13,14 矛盾という粒度があり10/11/17、サルトルは、方法の問題(全集)p.152-154で並列関係(構造)から矛盾へ、というストーリを述べている。10/11/18

二変数の両立である矛盾の分析方法が一部分かっている。

課題1:多変数空間の分析(とりあえず三変数の)の事実分析が必要である。多対多の構造分析の手法は定式化されていない。特に、制度の場合、関係は一対一だけですまない。社会は複数の制度において複数の人が行動する。マルクスが政治の大局を分析した論理は定式化されていない。疎外は制度における技術的矛盾TCの典型である。(サルトル、方法の問題(全集)p.10310/11/07,08, 11/01/06,07,13,14

11)空間軸の全体性:一事が全体、物の世界の全体性と人の世界の全体性がある。他人の行動をどうするか、10/12/19。他人を含んだより広い粒度の価値が必要で自分と他人という「一体」という型の対立項の発見がより広い粒度をもたらすであろうか?11/01/10

課題2認識された矛盾を変更の矛盾に変換し、一属性の変化、または対立物の型毎に、一つの属性の二つの値の物理的矛盾を解く、または二つのオブジェクトのそれぞれの属性または一つのオブジェクトの二つの属性の技術的矛盾を解く。

目的の型、対立物の型毎に

1.一属性の変化、

11.量的変化、質的変化、生成、消滅という結果の型

12.手段の型

2.一つの属性の二つの値の物理的矛盾

21.運動、両立、解決できないまま、という結果の型

22.手段の型

3.二つの属性の技術的矛盾

31.両立か相手の消滅か?という結果の型

32.対立物11)は方法D、対立物12)は、方法UPMによるという手段の型

がある。これらの組み合わせ(ありえないものあるか?)が解を近づけるはずである20101223。

 1.目的の型:新機能生成、理想化、問題解決のどれが一番良いかは現状に依存して決まる。20100216,1217目的の型→目的実現の型20100426

2.オブジェクト変更の型:

21.現実のオブジェクト世界が持っている潜在能力がどう対応できるか

3.オブジェクト変更の型と操作・変換の型の関係

価値、目的、領域(制度(物に担われる制度、人の共同主観、人の主観、と技術の区別、さらにその中の区別)、がオブジェクト操作、変換方法を規定、限定するか?20081115,20100104

オブジェクト変更の型:変化の型がシステムオブジェクトの型(機械的、化学的、生命的、社会的)を決めるか?そうだが包含関係だけがある。20091206,22,20100104

 課題3:総合、合成が課題である。

分析は抽象化かつ分割、総合は具体化かつ全体化なのであった。具体的変更は総合化、全体化なのであった。20101102, 03, 04, 28,20110102

総合の方法については、上記サルトル、Arshadの指摘とともに、高原「情報システム方式設計業務における総合決定」(平成6年情報処理全国大会,7S-06,1994.3)や十数年前?の情報処理学会全国大会の東大生産技術研究所の筆者による、同時的、並列的に次第に具体化の程度を高めていく方法の詳細化が必要である。生産技術研究所の筆者は、本棚からはみ出している百科全書を棚にしまうためには、一冊づつ押し込んだのでは入らない場合でも、いくつかを同時に少しづつ押し込んでいくと入ることがあるという指摘をしていた。工作での工夫でも同様なことがあるという指摘をしていた。20101231,20110102

合成については、1.目的の型に依存する合成という視点の検討、2.時間軸上の過程分析が必要である。1)複数値の同時処理、21)展開(横、階層)するコンセプト処理、22)副作用処理、3)解コンセプトの具体化。10/10/10,20110110

想定している解き方は、Larry Ballの発展として、

1.人の機能を実現する粒度,密度がある単位毎に一つあり、各単位の機能の両立を実現する構造がもとめるシステムである。(この粒度が異なる場合はありうるか?異なる場合の処理があるとしたらどんなものか?20091222) 

2.(オブジェクトは最小の、しかしそれ自体一つの粒度、密度である) あとは「理想化」によって上位のシステムを最小化していく。この「単位」と領域、人とどう関係しているかは課題である。20090326,27,0416,23,1129

現実について、複数の異なった価値を実現するサブ世界を型の要素とすることは重要な案である(例:商業マスコミ、保守政治、)。これは「何を」「領域」「変化の方法」の「領域」に力点を置いた型である。

分析的理性と対比した弁証法的理性10/10/30、弁証法の方法、総合の関係について、サルトル、方法の問題(全集)p.32, 34, pp.60-61, p.90, p.113-4, p.120, p.134、安易な一般化のみがあるというArshadTRIZ詳細よりも一般性を重視する」という指摘(「TRIZのいままでの旅程とこれからの道」http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jforum/2010Forum/ArshadForward2010/ArshadForward100508.htmとの類似性)参照。

 ( 2)主体と対象、主観と客観の統一について)

対象の全体化が解決しても、2)の全体性が今は得られないことは明白である。一体感も、理論的にさえ客観の保証がなく思いこみによる自己満足に終わる恐れがある。残る2)は、この上に立った、行為の面での主観と客観の一致で、行為の過程での生き甲斐、結果の達成感であるように見える。達成感、確信は、主観と客観の達成の少なくとも一部である一体感を構成するであろう。行為の面での主観と客観の一致は大きな課題である。10/12/17,18,25,29,31,20110117 

一体化を目指す主観的意図とそれが実現できないかもしれない客観との隙間を埋めねばならない。この隙間を埋めるためにできることをすべてやらねばならない。

分かっていること2:この矛盾の構造の一部:

1)2)の矛盾が「一体」という型の矛盾(「粒度、機能,属性、弁証法論理」対立物の構造の項参照)であるらしい。一体型の矛盾解決は、各対立項自体の1) 完全さと2) 同時変革とを必要とする。20110117  1)2)の完全さが相互に条件になっているように、また、1)2)の同時実行が条件になっているようにしなければならない。(マルクス)20110107  3) 各対立項自体がサブ対立項から成るという階層構造があるらしい。20110117

主観と客観という一体型矛盾である。

次のようなこの矛盾解決のサブ構造があり要件がある。

空間と時間という一体の矛盾20110117

11)空間軸の全体性:一事が全体、これは対象性の問題)

12)時間軸の全体性:瞬時に全体、という「一体」20101227,29,20110107,10

時間性:変化の視点での仮の全体性が、自己満足に終わらず、主観的かつ客観的全体性であるためにできることは、常に変更が変更オブジェクトの粒度外への副作用をも考慮した結果の確認を行い必要な修正を行い続けることとその結果の達成感があること、変更を続ければ全体化が達成される可能性の客観的保証があることとそのことへの主観的確信があることが必要である。これ自体、主観と客観の相互作用であり矛盾の運動過程である。

認識と行為という一体の矛盾

1.認識の面での主観と客観の一致は、私の変更行為が私以外のものの変更を含む場合は、その変更のための認識と変更の内容と意味を私が理解すること、その変更のための認識と変更の内容と意味の全体の中の位置を理解すること(これは1) にも含まれると考えることもできる)

2.行為の面での主観と客観の一致で、行為の過程での生き甲斐,一体感、結果の達成感,一体感である。一体感とは一体化、全体化の意識である。このことを可能にするのが何なのかまだ分からない。

20110109,10,11,16

確信と謙虚さという一体矛盾

主観的確信は持続の力にもなるので必要であるが、この確信も謙虚さという一体矛盾を形成する対立物の一項でもある。このことを忘れないことも困難なことであり実現はさらに困難なことである。

分かっていること3:隙間を埋めるためにできることの第一は、全体性が今、直ちには得られないことが明白であるので、変化という視点で全体を目指すことである。変化という視点で全体を目指すことの持続(今のままの変更または変更の仕方の変化の持続)で全体性の代わりにするしかない。問題はこれができる最大限であるということである。20101229。(高原利生の差異解消理論は変化が単位である。マルクスの存在把握とサルトル方法の問題(全集)p.155- がこれを後押ししてくれる。10/11/17

課題4この矛盾の構造の残り

1)2)の矛盾が、変更を続けて部分的に全体化を行い続けるしかないこと、かつ「一体」という型の矛盾であるということから生ずる困難への対処を統合的におこなわねばならない。

困難であるが、困難ゆえ豊かで高度な解決が得られるはずである。しかしこの矛盾の構造はほとんど明らかにできていない。

前者は、変化、時間軸の方法である。

12)時間軸の全体性

20101227,29,20110107,10サルトルの先権性の排除10/11/21、サルトル方法の問題(全集)p.162-3前進的遡行的に関する記述10/11/17、10/11/23、手順と精神の矛盾解消10/11/28、先覚による開拓と後継による普及の矛盾10/11/21が時間軸の全体性に関わる。運動と存在の統一、変更と運用(サルトル方法の問題p.158, 162)の統一10/11/17もこれに関する。これらの内容検討と、2)との関係は課題である。10/12/17 

後者は、一体感は、帰属感(自分が何かに属している感)と所有感(何かいい名前があるかもしれない、何かが自分に属している感)からなる「一体」矛盾である(他にどういう矛盾?)ので、帰属感と所有感が解決のカギかもしれない。

10/12/19,23,25,27,29,31,20110109,10,12,17,19,24

以上は、本矛盾1)2)の全体そのものとその主要な条件である。20110101

以上は、まだ網羅されておらず、自己批判であり同時に俗流左翼や宗教的教条への批判にもなっている。また別項「対象化と一体化の統一:「唯物論,事実主義宣言」ノートと統一すべきものになった。20101229,31

2. 瞬時の今の態度

瞬時に、全体把握と必要かつ可能な変更像決定のために今決めねばならぬものは何か?事実と価値を具体化した目的について粒度の特定、解の同時決定が本質的であるが、そのために特に決定的なのは、実質的に粒度、特に価値の粒度であった10/12/03。実質的に粒度であるという意味は、粒度が必要かつ瞬時に仮の形にせよ設定可能であることである。しかも日常、我々はいつも粒度を無意識に設定して生きている。11/01/11新しい粒度設定が「今」態度として必要でありそれが1)対象化のための生き方の99%である。

21.価値の粒度、 "to be or not to be" (PC1)

22.事実、オブジェクトの粒度、オブジェクト構造10/11/11

23. PC2 and TC2

 そして重要なことは、2)対象化と一体化の統合は、今、この瞬間にだけなされるということである。どのようになされるのかはまだ謎であるが。

3. 時間のかかる今の方法検討:弁証法

事実、価値を具体化した目的について粒度の特定、可能な変更方法を極限化の検討の上特定する20101205(変更の極限化は、目的か手段か?この位置?これが下記の32のどこで出てくるか?32の外の論理。この種の他の論理?10/12/29)

ここでは瞬時に仮決定しなければならなかった粒度の検証を行わねばならない。粒度は決めねば思考が続かないが、正しい保証はない。決め、同時に修正することを常に行わねばならない。

31. 事実の認識:歴史性と認識の弁証法

32. 事実の変更(労働、生活):変更の弁証法

20100215,28,0301,1107,08,10,12,1204,05,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,27,28,29.30,31, 20110101,02,03,07,09,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,24,25

なおこれは論理学なので一体化のた,めの方策は含まない(と書こうとして、含んでも良いのではないかという気もしてきた。愛や一体化を形式的に扱うのも論理である。20100226,28

(参考資料)

唯物論

高原:「『フォイエルバッハ論』における唯物論」および「『フォイエルバッハ論』における唯物論 その二 ―― 科学としての唯物論 ―― 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

科学と芸術、技術と制度

高原:「文化論ノート――自然・文化・人間についての技術者の一試論――」未発表(毎日21世紀賞「人間と環境」応募論文の一部 1985.06.)、高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

高原:「理想技術論と情報ネットワークシステム」(抜粋)(応用科学学会誌Vol., No.1、199002)、高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

オブジェクトとオブジェクト変更

高原:「オブジェクトについて」 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

[FT04] 高原:「オブジェクト再考」FIT20042004(『高原利生論文集』 に含まれているhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ )

[FT051] 高原:「オブジェクト再考2―現実表現のための最小オブジェクトセット―」FIT20052005(『高原利生論文集』 に含まれているhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ )

[TS01] 高原:「オブジェクトの再把握とそのTRIZ,USIT,ASITへの適用」、第1TRIZシンポジウム、2005 (『高原利生論文集』 に含まれているhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm 高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ )

[TS02] 高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法またはBall氏の階層化TRIZアルゴリズムについてのコメント」、2TRIZシンポジウム、2006高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ 『高原利生論文集』 に含まれている

[TS03] 高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2」、3TRIZシンポジウム、2007高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ 『高原利生論文集』

[TS04] 高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3」− http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2009Papers/TakaharaTRIZSymp2008/Takahara-TRIZSymp2008-090708.htm   、スライドPDF: 和文 英文 、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文 英文 [一旦ファイル保存してから、PowerPointで開き、標準表示で下部にノートを表示させるか、あるいはメニューバーの表示からノート表示を指定して表示させて下さい。保存せずに直接開くとノートが読めないようです。] 論文PDF: 和文 英文 、紹介 (中川 ) 英文 “The General Picture of TRIZ From the Viewpoint of Changing Objects―A Method of Resolving Differences Based on the Concepts of Functions and Process Objects Part 3―“,(英文10 ページ,英文スライド32ページ、講演内容の英訳付き) 第四回TRIZシンポジウム, 2008.09.10-09.12

根源的網羅思考、生き方

[FT09] 高原:「弁証法論理の粒度,密度依存性」 FIT2009. 2009

http://www.sofken.com/FIT2009/pdf/D/D_046.pdf (和文2 ページ)

[TS05] 高原:TRIZという生き方?”,

(和文8ページ,和文スライド27ページ)

“ TRIZ as The Way of Life? Part 2“,
(
英文スライド27ページ)
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2010Papers/Takahara-TRIZSymp2009/Takahara-TRIZSymp2009-100918.htm

[1] 論文概要 (著者和文 (概要と拡張説明、1ページ)    英文(概要のみ)

[2] 発表スライド (27和文PDF            英文PDF

     発表論文 (8ページ) 和文 PDF

[3] 中川による紹介 (Personal Report of Japan TRIZ Symposium 2009」からの抜粋) (2010. 2. 4) 英文

[4] 発表全文 (スライド + トーク + 補足説明)  (著者作成 2010. 8.22)  和文     英文

 [FT10] 高原:TRIZと生き方における対立物の構造と根源的網羅思考“, FIT2010, 2010.09.
(
和文4 ページ)
[TS06] 高原:理想的TRIZ TRIZという生き方その2”,
(
和文8ページ,和文スライド32ページ)
“The Ideal of TRIZ  TRIZ as The Way of Life? Part 2“,
(
英文10 ページ,英文スライド32ページ)
第六回TRIZシンポジウム, 2010.09.09-11

[RT10] 高原: 根源的網羅思考によるオブジェクト特定と命題,法則の変更」, 電気関係学会中国支部連合大会, 2010. (和文2 ページ)

                                 

高原:「ヨハネの第一の手紙について」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

視点、粒度                           

高原:「オブジェクト再考3−視点と粒度−」FIT2005、(『高原利生論文集』 に含まれている

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2008Papers/TakaharaPapers2003-2007/TakaharaBiblio080323.htm高原利生ホームページ

http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ )

 

 

オブジェクトについて  2008-20081120,21,24,1205,12,13,20090105,12,13,0212,0304,14,15,16,20,0411,16,0523,0719,0813,20,0904,1225,27,28, 20100209,0414,0624,0805,0917 1017,18,1115

オブジェクトとは何かについては、2003年以来ほぼ三年に亘って、主な関心事だった。分かったことを、その都度、未熟な形で論文発表してきた。その後の検討内容も含め、ここで全体の概要をまとめる。

1. オブジェクトへの視点

生きることは何かを変化させることである。重要なことは唯一つ、必要な時に、必要な人または人々が、必要な何かに、ある方法で必要な変化を起こす、つまり変更するということである。必要な何かについての基本概念を再考しておかねばなければならない。

第一はこの、必要な何かとは何かを明確にしなければならない。これは、誰が、いつ、認識し変更するかに依存する。しかし、いつ誰に、何を変化させる必要が生じるかは、一般には予測できない。私が変更できるもの、変更するものだけが、今、私に意味があるが、今、自分は、何も変更する必要がないということもあろう。

これらすべてに対応する必要がある。現実の今の世界について、操作,変更できるものは認識できるものの中から選ばれる。認識できるものの中から認識するものが選ばれる。操作,変更できるものから、操作,変更するものが選ばれる。認識できるもの、認識するもの、操作,変更できるもの、操作,変更するもの、の順に狭くなる。

そもそも何が操作,変更できるものであるか、その最大限が分かっておいたほうが良いであろう。何が認識できるものかの最大限も、できれば分かっていた方がよい。世界の中に、認識も変更もできないものがもしあるとすれば、それは何なのかは、これも分かっていた方がよいであろう。今、実用上は分かってもしようがないものかもしれないが、将来、認識または変更できるものに変わるかもしれないからである。この「必要な何か」は未だよく分からないので、オブジェクトと名付けておくことにする。オブジェクトが最も基本的な概念である。オブジェクトとは何か、それをどう定義するか、その何かとは、認識できるもの、認識するもの、操作できるもの、操作するものであるか、それとも他のものであるかということである。つまり,何が変更できるものであるか、何が認識できるものか等の関係を明らかにし、その内実が定まることだけが重要である。オブジェクトにどういう名前を付けてよぶか、一つの名前か複数の名前かということなら、それはどうでもよいことである。ここでは一つの名前、オブジェクトを取っているが、これは統一的な名前を付けておくと便利に扱えるからに過ぎない。

オブジェクトについて、明確にしなければいけない第二は、世界の中に、認識できるもの、認識するもの、操作できるもの、操作するものは、どのような種類があるかということである。昔、物質とは何かが問題になったときがあった。オブジェクトの集合体で現実に対応したオブジェクト世界を表現するとする。今の問題は、任意のオブジェクト世界を漏れなく重複もなく表現できる最小のオブジェクトの種類は何かということである。具体的には、この種類のうち次の要件を満たす最小の種類を列挙することが課題である。その要件は、1.種類毎に扱いが異なること(もし扱い方が同じなら区別する意味がない)、2.各種類のオブジェクトがダブりなく、かつ隙間なく世界を覆うことである。  これらにより事実の表現が可能になる。

人間は、世界の中の物のへの働きかけを、物により間接化して技術をつくり、世界の中の人への働きかけを、共同観念によって間接化して制度を作った存在である。

明確にしなければいけない第三は、オブジェクトの構造はどうなっているのかということである。以上の三つは、世界を認識し操作しようとする場合、必要であることは論を待たないであろう。これらは全て関係しているが、実用上もどれも重要である。例えば、オブジェクトの構造を知っておくことは、オブジェクトを変更しようとする際に必須である。例えば問題解決に際して何かをするとは、オブジェクトを変更することであり、オブジェクトの何にどう変化を起すのかということである。

2. オブジェクトとは何か、その種類

事実は、この世界で起こった物事とその結果である。事実は、今の地球では、もの,他人と自分の精神,運動からなる現実とその歴史である。事実の運動は相互に関係し合いながら事実を変化させ、次々と新しい事実を作り、発展し複雑化を続けている。今の自分を含む現実は、宇宙開闢以来現在までの全ての事実の変化の歴史の賜物である。事実の歴史と現実が絶対的である。(高原、「唯物論宣言」高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/

事実をありのまま認識することはできない。事実の認識とは、現実と歴史についての認識像という観念を作ることである。事実の認識とは、自分の定める粒度で、オブジェクト群から認識像という観念を作ることである。オブジェクトとは、認識できる事実の要素であり、その種類は、,「観念」,運動である。「認識できるもの」が最も広いことがオブジェクトの定義とする理由である。操作,変更できるものまたは操作,変更するものをオブジェクトというわけにはいかない。操作,変更できるものまたは操作,変更するものをオブジェクトとすると、操作,変更できないまたは操作,変更しないが影響は受けるものが除外されてしまい扱いの対象から外れてしまう。

他人が何を考えているかは外からはわからない。「観念」とは、他人の精神のうち、行動に表れるか(20100805追記)表現され物質的実体に担われ知覚可能な内容と、私が主体である場合の私の頭脳の中にある観念内容である。知覚可能な観念を「観念」として取り扱いを区別することにする。事実の認識は、自分の知覚する物とその運動を検知し直接行うか既存の「観念」を批判するかいずれかによって行われる。私が目の前の海を直接見ている場合だけ、この海は、波が運動しており潮汐運動をしている物である。この場合の海は物、運動というオブジェクトとしての海である。自分の頭の中の海、自分が書いた文章の中の海、他人の観念の中の海が検知可能な形で表された海は、いずれも「観念」というオブジェクトとしての海である。この間に写真、映像としての海がある。これは、物、運動というオブジェクトと「観念」というオブジェクトの中間のオブジェクトであるがいずれもオブジェクトであることに変わりはない。しかし他人が撮った写真、映像としての海も、あるいは自分が撮った写真、映像としての海でさえも今見ている海とは別のコンテクストの中にある海であり批判的に見なければならない。20090314,16

ここでの例は、システムオブジェクト,プロセスオブジェクトの区別は厳密にはないことを示している。風、海、川はむしろプロセスオブジェクトであると言っていいくらいである。20090904

,「観念」という二つの「存在」をシステムオブジェクトといい、運動(過程)プロセスオブジェクトいうここで運動とは、力学的移動に限らず化学反応、思考、社会活動等を含んだ活動一般である.私は私特有のオブジェクトを持つ.ここでは、システムオブジェクト、プロセスオブジェクトという区分で二分し、前者を、物、「観念」に二分している。

物をオブジェクトととらえる以外に、技術、制度を利用し,作る運動(過程)や自分だけの行動もプロセスオブジェクトとすることと、「観念」をシステムオブジェクトとする。通常の物をオブジェクトとするとらえかたとは、「観念」と運動もオブジェクトとする二点で異なる。これは、特に、技術以外の領域を扱う場合必須となる。なお、運動は、時間の点からは過程、対外部的には作用であり、運動、過程、作用は、同じものを別の面から見た言い方である。過程、作用という面を持つものは運動だけである。今まで明記してなかった運動の拡張について追加しておく。

1) 実世界が、物、精神、運動からなっているのに対し、認識可能なオブジェクトの内容は、,「観念」運動であった。実世界で物は運動し、その結果変化する。変化より運動が上位概念である。実世界の観念はオブジェクト世界では「観念」に変わるのであった。実世界の精神がオブジェクトでは「観念」として扱う範囲が狭まるのであるが、運動は見かけ上、オブジェクトでは拡張される20090813「観念」の運動をどう扱うのかは今まではっきりしていなかった。他人の観念の運動は外からは見えない。変化の結果だけを見ることができる場合がある。自分の観念の運動ですらそうである。そこで観念の変化結果があった場合、観念の運動があったことと推測する。ここでは、見かけ上は変化が運動より上位にあるが実際にはおそらく運動が先にあるのである。他人の頭の中をそう推測する。この拡張の記述は遅きに失したかもしれない。なお、実世界の矛盾における対立物を観念の世界における矛盾の対立物に拡張するに当たって同様の考えによった。高原:「オブジェクト変化の型から見えるTRIZの全体像−機能とプロセスオブジェクト概念を基礎にした差異解消方法 その3−(高原利生 ())   第4回TRIZシンポジウム」、2008. 発表のことばをそのまま書いたノートつきのスライド を一旦保存して、PowerPoint でノートを読むのが一番分かりやすい。スライドPDF: 和文英文、ナレーションノートつきスライドPPT: 和文英文、論文PDF: 和文英文、紹介 (中川 徹) 英文 20090105,

2)これを表現する場合、観念は論理によって別の観念に変化する。したがって論理関係は観念を変化させるものであり運動を拡張したものとしてオブジェクトと扱う。(同一性について)20090523

3) もう一つは実世界の運動の拡張である。オブジェクトの内部構造はオブジェクトの要素(サブオブジェクト)とその関係の総体である。この要素間の関係は、オブジェクトの内部構造では静的に見える。しかし、この静止は、全体のオブジェクトが運動しているのにサブオブジェクトが静止しているか(地球が回転しているのにその上の建物が静止して見えるように)、運動を疎粒度で見て静止に見えるか、運動を静止させている関係(椅子の各部分間の関係のように)かである。この静止も運動と見る。20090105,0320

ただし、これでも、現実世界を完全には再構成できないので、本稿のオブジェクト概念は完全ではない。運動という形態で関係しない二つのものや「観念」を表現できない。例えば、横に並んで立っている二つのものの静的関係を表現できない。20090105,0320

下記はTS06の原稿の修正である。20100820,22

Something can be identified by differences between something and other thing. We can use this difference as definition of something such as dog or cat.

Generally something more complicated from the viewpoint of changing it should be viewed or defined from two points of view. The first view is to describe differences between something and other thing. This view is from outside. The second view is to describe inner structure of something. This view is from inside. These views are indispensable to make us recognize something, define something and change something.

As to Object we must add one more view. Something more complicated such as Object should be viewed or defined from three points of view. The first view is to describe differences between something and other thing. This view is from outside. The second view is to enumerate kinds or types of something. This horizontal view is from inside of something. The third view is to describe inner structure of something. This vertical view is also from inside. These three views are indispensable to make us recognize something, define something, enumerate kind of something and change something. And object is the one that is to be recognized, defined, enumerated and changed.

 

What is type?

If we could find (if possible) minimum kinds of elements of something that covered the whole, the kinds of elements had exhaustiveness.

If we could find (if possible) minimum kinds of elements of something at adequate granularity in which we could deal with the same kind of element in the same way and in the different kind differently and the kinds of element covered the whole, the kinds of elements was called type which can gives us unified and structural way of handling and exhaustiveness.

If we could find types of something at adequate granularity both on something recognizable and how to change them, it could be said to obtain unified method of formal theory to change something.

 

Anything recognizable is called Object according to common sense. To recognize something is only to perceive not to understand something. I recognize four kinds of Objects. [TS2] [TS3] Here static relation is eliminated for simplicity.

1. Matter: System Object, Being

2. “Mind”: System Object, Being

21. Information of individual which is expressed by physical action

22. My idea or my fixed mind

3. Movement or Action: Process Object

Movement is process from a viewpoint of time and action from a viewpoint of relation between itself and other thing to change itself and other thing. We deal with these four types of Objects in different way. Matter, information of individual which is expressed by physical action and their movement are physical and only my mind and its movement are not physical. To be physical or not is not so simple from two reasons.

First point is that I can recognize and change my mind although it is not physical.

Secondly generally we cannot recognize other person`s mind so it is not Object except what is Object expressed in physical way such as written word or action. But we can touch or change other person`s mind indirectly via physical message or action not knowing exact way of changing it. This means that we can change or “control, process or modify” what is not Object. It is difficult not because we do not deal with other person`s mind as Object but because it is difficult in real life. And as movement is process and action to change itself and other thing, if some change is detected in other person`s mind we guess some movement cause the change.

Next figure shows relations between something recognizable and something controllable except other person`s mind. These are simple and my first and second view on Object. The third view will be shown later.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                          Fig. 2 Object 1: Matter

Object of matter is physical.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


         Fig. 3 Object 2: Object concerning other person`s mind

Object concerning other person`s mind is physical. Other person`s mind is not physical but some of them are controllable. It is not Object.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                          Fig. 4 Object 3: My mind

Object concerning my mind consists of two parts. My mind is not physical. But it is Object. This is the first part of Object concerning my mind. The second part of Object concerning my mind is information expressed by my physical action.

 

Definition of Object by Fey sais A component of the system that is to be controlled, processed or modified (e.g, moved, machined, bent, turned, heated, expanded, charged, illuminated, measured, detected, etc.). [TJF]

This definition is not bad. The first good point of this definition is that it does not eliminate “idea” nor movement because “idea” or movement is “a component of the system that is to be controlled, processed or modified” by Transformation Principles U, P, M from outside or Transformation Principles D from inside or Operation Principle R. This definition does not restrict object to be physical. Although examples seem to suggest that object is physical but examples are only examples. The second good point is that this definition has a hierarchical point of view. So practically object is system in some sense. This is as same as mine. So every system or Object have matter and movement as sub-system or sub-object. 

To control process or modify component of the system is what we want to do. Among something recognizable there is component of the system to be controlled, processed or modified. I can not control, process or modify the Sun. But I can recognize the Sun, so the Sun is an Object for me. Moreover generally it is difficult to check in advance something is to be controlled, processed or modified or not.

Especially by the combination of Objects we could reconstruct the original phenomenon uniquely in the real world. We have types in every area including Objects, Objects change or application area.

 

1.物、2.(固定化された) 「精神」 「観念」 21. 物質的実体に担われ認識できる観念内容 22. 私の精神 3.運動、を別の粒度で、それぞれに運動を含め、私、他人、物という三種として扱うこともできる。201009

  1+22+3

他人: 1+21+3

  : 1+3

 

Let us summarize some other basic concept of my previous paper.  [TS2] [TS3] [TS4]

Granularity is size, magnitude or scope in space and/ or time and degree of abstraction.

Density is density of inner structure.

Function is primarily meaning of Process Object, secondly meaning of attributes of Object.

Structure is granularity and inner structure.

Property or Attributes is content of Object with specific description. Property or attribute of Object should be grasped accurately and treated at adequate granularity. 

We have three granularities of attributes in Object.

 Attributes 1 is everything that concretely describe Object.

Attributes 1 includes attributes 2 in narrow sense and inner Structure.

 Attributes 2 in narrow sense includes attributes 3 in most narrow sense which is difficult to change and state which is easy to change. [TS4]

Object has inner structure and attributes which produce function to the outside.

Structure is an assemblage of elements and their relations. Structure of something consists of the relation between the whole and itself and inner structure of something. The granularity of Object is a part of structure because it provides the relation between the whole. And density belongs to inner structure.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Fig.1 Structure of Object

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 5 Structure of Object [TS4]

 

3. オブジェクトの構造、粒度他の基本概念

必要な基本概念の整理をすることが必要になってくる。オブジェクトの概念だけでなく、粒度,密度、属性、機能の概念を見直さざるを得なかった。粒度は、物事を扱う空間的時間的範囲、密度は、物事を扱うきめ細かさ,特に抽象の程度である。属性とは、オブジェクトを具体化する全てのものであり、上位のオブジェクトの属性は、全体属性,全体状態(例:水の温度)、下位のオブジェクトの構造(下位のオブジェクト(例:水の構成原子)、その数、構造)である.(狭義の)属性は、外部に対して機能となる。属性(オブジェクト内部にある)と機能(対外作用)の対応という視点が重要である。属性は量と質を持つ属性と構造があるのではない。属性には属性そのものとその値があり、値に量と質がある。構造にも量と質がある。20081205 オブジェクト (サブオブジェクト (属性)、属性、機能(内部 への、外部への))と見ることができる。外部への機能と内部を変える機能がある。20090211一般にはオブジェクト間は相互規定がある。機能はオブジェクトにとっての意味である。オブジェクトが主体であるとき機能は明らかにとらえられるが、無生物がオブジェクトの場合、機能はオブジェクトに与えた変化を、それがプラスと推測されるとき機能とする。その意味はオブジェクトの属性に作用する。特にオブジェクトが主体であれば主体にとっては意識に作用する。20090224,28,0301,02,03

この作業の結果、形式上、厳密なオブジェクトの定義から外れたように見えるものが出てきている。例えば、オブジェクトの属性は認識できるものであるので、定義上オブジェクトであるが、オブジェクトの属性として、オブジェクトの一面として扱い、オブジェクトの属性をオブジェクトととらえなおすことはしない。ここでそのオブジェクトの属性をオブジェクトととらえなおすとすれば、とらえている粒度を変更していることになる。機能についても同様である。機能はオブジェクトに依存する概念である。あるオブジェクトから機能が導かれる。この機能をオブジェクトとしてとらえなおすことはしない。ある粒度に対応してオブジェクト群が定まるように、その粒度に応じて機能群が定まることになる。つまり、オブジェクトより粒度の概念が上位概念である。ある粒度においてオブジェクトをとらえる限り、その粒度を変更してはならない

誰がいつ認識するのか、いつ認識するのかは、適当に決めればよい。また「私が認識できるもの」や、「認識できるもの」の中から、今、私が「認識するもの」が決まる。これらは、実際のオブジェクトが粒度に依存して決まることを示している。粒度の重要さは、オブジェクトないしシステムが世界で多様な階層の中にあり、その中から粒度の指定によって観念像を作るからである。単純化すると、スーパーオブジェクト−オブジェクト−サブオブジェクトという階層があり、各階層間の対応は、多対一であり同時に一対多である。これは驚くべきことといわねばならない。認識のために最も重要なのは正しい粒度,密度である。

システムとオブジェクトは全く同じものである。システム論では、システムは要素の集りという視点で見た概念である。オブジェクト論は、同じものを、こういう特定の視点に限定しないで見た一般的概念である。両者は、認識という視点から見ても、操作という視点から見ても同じである。オブジェクトもシステムと同様に階層があり、システムもオブジェクトと全く同様に原理U,P,D等で操作できる(高原:「機能とプロセスオブジェクト概念を中心にした差異解消方法 その2」、3TRIZシンポジウム、2007高原利生ホームページ http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/ 『高原利生論文集』20100414追記

4. オブジェクト概念の歴史的背景

カントの実体把握、マルクスの存在把握は次のようなもので、いずれも驚嘆すべきものであった。

「一切の実体は空間において同時的に存在するものとして知覚される限り完全な相互作用をなしている」(カント、純粋理性批判 二版1787、岩波文庫)

「太陽は植物の対象であり、植物には不可欠の、植物の生命を保証する対象である.同様にまた植物は、太陽のもつ生命をよびさます力の発現、太陽の対象的な本質力の発現として、太陽の対象なのである. 」「それ自身が第三者にとって対象でない存在は、いかなる存在をも自分の対象として持たない」(マルクス、経済学・哲学草稿 1844、岩波文庫)

カントとマルクスは、この記述に続いて、「相互作用しないものは存在しない」ことを、カントは3ページ半にわたってこの命題の「証明」の中で、マルクスは数行のメモで、それぞれ説明しようとしているが、いずれも私には十分に理解できない。しかし、「相互作用しないものは存在しない」あるいは「相互作用しないものは存在しないと思ってよい」ことは今では常識のようになっている。

この定義は、存在の、客観性、関係性、再帰性による把握を特徴とする。客観的である所以は、人の認識や変更と何ら関係がないことである。再帰的である所以は、存在とは他の存在と相互作用するものであるととらえる点で、存在のとらえ方が存在を前提にしており入れ子になっているからである。形式的に再帰性を回避しようとすれば、存在は相互作用(という運動、動的関係)でないものととらえることになるが、これも、相互作用(という運動、動的関係)とは存在でないものととらえることになるので、再帰性から逃れられない。(なお、再帰性と本質性の関係は検討を要する)

このカントからヘーゲルを経た、経済学・哲学手稿のマルクスの「存在とは、相互作用するものである」を「相互作用するものは何だろうか」と広げて考えたが、相互作用するものはやはり存在なのであった。

そして、存在と、相互作用=運動がオブジェクトとするというのが一つの解なのであった20101017

レーニンの「唯物論と経験批判論」での物質概念は、要するに「物質とは、認識できる実体である」と要約できる。認識可能性という一点の属性のみに絞って実体をとらえる点で当時は画期的なものだった。カントとマルクスの再帰的なとらえかたと異なり、これは認識という限定されたコンテクストを前提としていて実用的である。これを「認識できるものは何だろうか」と広げた時、それが存在と相互作用(運動)なのであった。

この二つの本質的存在把握と別に、三つ目の個別具体的把握というべきものがあり、これもマルクスによる。資本論の冒頭でマルクスが述べている、それ自体の属性の集合体が存在だという把握である。マルクスはそのものの属性が外部に対しては機能に展開していくことを述べており、機能は関係が持つ意味であるから、マルクスの把握はいずれも関係をもとにしたものであるといえる。個別的な定義としてはこれも本質的な把握である。

有名なフォイエルバッハについてのテーゼで、マルクスが述べている「人間は社会的関係の総体である」というとらえ方も、書かれた時期こそ離れているが、ここでの把握と同様である。社会的関係とは対外的機能の総体であり、機能が対外的行為の意味であり、機能を実現するのが内部的には属性であるから。

カントやヘーゲル、27歳の経済学・哲学手稿マルクスと晩年の資本論のマルクスの対比も面白い。直接、彼らが問題にしているのが、実体(カント)、存在(マルクス)、物質(レーニン)、商品(マルクス)であるという差異はここでは問題でない。重要な差異は、カント、経済学・哲学手稿のマルクスの存在オブジェクトが客観的であり、レーニンの物質オブジェクトが認識論的であり、資本論のマルクスの商品オブジェクトが意味論的であることである。客観的、認識論的、意味論的と、前の規定を前提として進むにつれ、扱われる範囲は狭くなっていく。進み方はこの順序でなければならない(もっともレーニンはマルクスの経済学・哲学手稿を読んでいないのであるが。そして最後のマルクスはレーニンの前の人であるが)。この進み方でのみ正しさが保証される。そして、カント、経済学・哲学手稿のマルクスの存在オブジェクトは、客観的である存在の全てに拡張してとらえる必要があり、レーニンの物質オブジェクトは、認識論的である存在の全てに拡張してとらえる必要があり、資本論のマルクスの商品オブジェクトは、意味論的である存在の全てに拡張してとらえる必要があり、このようにしても本質を損なわない。したがって今では、当時のいずれのオブジェクトも、物に観念を加えて存在を把握する必要もある。今までそうされてこなかった理由の検討は今後の課題である。20090820,1225,27,28

オブジェクト概念の歴史的背景の要約について、以前、次の様に述べた。この内、第一の意味における「